第十五話 誘惑
ニコデマスが帰った後、イエスは一人、呆けたようにじっと座り込んでいた。
偉そうな事をあの人に言ったが、実際のところ、わたしは何もわかってなんかいない・・・。
ただ、突然、何となく身体に冷気のようなものを感じて身震いし、その途端、なぜか心がカーッと熱くなって放心状態になったかと思ったら、その次には何となく口をついていろんな言葉が飛び出してくる。
あるいは、突然、何かがひらめいてハッとし、それを話す時もある。
自分でもびっくりするくらいいろんな言葉が自然と口をついて出てくるのだ・・・。
しかも、そんな勇気が自分にあったのかと思うぐらい、ものすごく大胆なことを言ってしまう・・・。
時には、どこにそんな智恵があったのかと思うようなことを思いつくこともある。
そして、まるで何かに突き動かされたかのようにどうしても気持ちを抑えきれなくなって、つい、それを口にしてしまうのだ・・・。
神よ、エル・シャダイ(全知全能の神)よ。
わたしが話したことは本当に正しいことなのか?
あなたが本当に伝えたいことなんだろうか?
ああ、わたしには分からない。
わたしにどうしてあなたの御心のすべてが分かるだろう?
人間になどあなたの聖なる御心など決して分かるはずもない。
だが、わたしには伝えたいことがある。
どうしてもそれを伝えなければならないということだけは分かっている。
それによって、わたしと同じように心の痛みに苦しむ人達が救われるはずだと、そう思ったからだ。
だが、それが果たして本当に正しいかどうかは分からない・・・・。
イエスは、それからもひたすら自分がこれからやろうとすることへの迷いを抱えて一人、悩み続けていた。
だが、それでもその迷いが消えることはなかった。
結局、ペサハ(過ぎ越しの祭り)が終わり、それ以上、エルサレムに居ても仕方ないのでイエスはクファノウムにそのまま戻ることにした。
帰る道すがらもイエスはずっと考え続けたが、やはり何も答えは見つからなかった。
だから、イエスは一歩一歩、歩みを進める毎に、まるで天から答えが降ってくるのを待つかのように空を見上げ、ため息をついては情けない顔でとぼとぼと歩いて行った。
ちょうどその時、遠くの方から彼を呼び止める声がした。
「ちょっと、ちょっと。あんたっ、ちょっと待ってよ!」
イエスはその声にハッとしてすぐに後ろを振り返った。
そこには身なりはそれなりに良かったが、どうにもだらしなさそうに見える男がこれまたにやけた表情を浮かべて立っていた。
「あんた、この前、エルサレム神殿で出店を壊して説教をした人だろ?
俺、あの時、居合わせたんだけどさ、いやぁ、なかなか、イカしてたね。
結構、肝が据わっててさぁ。
それになんともまぁ、説教慣れしてるっていうか・・・。
それで俺、ずっとあんたのこと探してたんだよ。
俺と一緒に仕事しないかと思ってさ」
男はイエスにそう言うと、いっそうにやけた笑いを目ににじませた。
「仕事?」イエスが怪訝そうに男に尋ねると、
「そ。俺、ずっとエルサレムで預言者をやってたんだけどさ。
ここ最近、不景気だろ? おかげで稼ぎがずいぶんと減っちまってさ。
あんたのように聞こえのいい律法書の句でも引っ張りだしゃあ、ちったぁ人の信用も上がるってもんだが、俺にはそういった学はないしな。
それでも、結構、口は上手い方だからさ、今まではそこそこ稼いで来れたんだ。
ところが最近はそうもいかなくなってきて、このままじゃいけないって思ってたところへあんたが偶然、現れてくれたんだ。
まさに天の助けだって思ったよ、へへ」
男はイエスの気持ちなどお構いなしにべらべらと良くしゃべった。
男がそこまで話すと、イエスはあきれて物も言えず再び黙って歩き出した。
「おい、おい、ちょっと、待てよ。
まだ、話は終わっちゃいないって。
俺の腕を疑っているんなら、見せてやるよ。
そうだなぁ、例えば、ほら、律法書に出てくるだろ?
天からパンが降ってくる話さ。(出エジプト記16章2~36節参照)
それと同じで、石をパンに変えて見せますって初めにみんなに言っておくんだ。
で、こうやって石をよぉく見せといて、それからサッと目くらましして後ろからパンを出してやる」
そう言うと、男は先を急ごうとするイエスと並んで歩きながら彼の手品を器用にして見せた。
「ほら、この通り。こうすると、『おーっ!』と言ってみんな、驚くんだ。
で、『今、見せた神の奇跡を有り難いと思うなら、もっと大きくて新しいパンをわたしに持ってきなさい。そうしたら、あなたの家にパンが欠くことはなくなるだろう』って言うとさ、これがみんな、素直に持ってくるんだよ。しかも、喜んで。
な? 結構、いい稼ぎになるだろ?
けど、今、話した通り、俺が知っている律法書の句なんて、たかが知れているしさ。
それに、こう、なんて言うかさ、それなりに預言者って言う雰囲気もいるんだよな。
でも、あんたならそういう雰囲気があるしさ。
俺達、一緒にやれば、きっともっといい稼ぎ、出来ると思うんだ。
どうだい、俺と手を組まないか?」
男は相変わらずにやけた表情を浮かべてイエスを誘ってきた。
イエスはそんな男とは口も利かずにそのまま行こうとしたが、律法書を悪用してそんな詐欺を繰り返している男にどうにも我慢ができなくなってきて思わず口を開いた。
「あなたにこんな話をしても無駄だろうが、一つ、言っておきたいことがある。
律法書に書かれていることはそんなことじゃない。
あなたが考えているような、そんな物や金の話じゃないんだ。
何かを差し出したら、何かをもらえるような話でもないんだ。
ただ、律法書にはこう書かれてある。
―“ 神 ”はあなた方が一体、心の中で何を考え、どう成長するかを知るために、
あなた方が神から与えられた良心を守り続けるかどうかを見るために、
あなた方に試練や苦難を与える。
神はあなた方を失意に落とすこともある。
そうして、最初に“ 飢え ”を与え、
それから“ 食べ物 ”を与えてくれるのだ。
そうすることで“ 神 ”は私達、人に教えてくれる。
人は、パン(金や物)の為だけに生きているのではない、
“ 神 ”の口からもたらされる心の言葉によって
“生かされている”のだと。(申命記8章3節)
だから、神の救いは与えるばかりではない。
だが、与えられることに慣れてしまった人間にはどうにも分からないだろうが」
イエスはつぶやくようにそう言うと、男を振り切ろうと足を急がせた。
「ちょ、ちょっと待てって。もう少し話を聞いてくれよ」
男はあわててイエスの後をおっかけてきて、強引にイエスの腕を引っ張っていき、すぐ近くにあったエルサレムの街全体が見下ろせる高台へと連れて行った。
「ほら、見ろ。すごいだろう? 時々、ここに人を連れてくるんだ。
そして、こう言ってやる。
『ここから飛び降りて見ろ。
お前が本当にアブラハムの子孫ならば、
そしてお前に信仰心というものがあるのなら、天使がお前を助けにやって来て死ぬことはないだろう』ってね。
そうすると、連中は大抵、恐れおののいて俺の前に許しを請いながらひれ伏すのさ。
そして、ちょっとばかし賽銭を握らせてくれる」
男は再びイエスを見てニヤッと笑った。
「あなたは“ 神 ”というものが一体、どんな存在で、どれほど偉大な力を持っているのかも知らず、恐れ多くもよくそんなことができるものだ。
律法書にも書いてあるだろう。
― 天(宇宙)の主である“神”の力を安易に試すな(申命記6章16節)と」
イエスはぼそっとそれだけ言い残すと、再び男を振り切ろうとそこから背を向けて去ろうとした。
「おい、おい、あれを見ろよっ、あのエルサレムの街を、さ!
あんたと俺で手を組めば、あの街は思い通りになるんだぜ。
それに大儲けもできるんだ。
なぁ、考え直せよ。俺の言う通りにしてくれりゃ、あんた、一夜にして大金持ちさ。な?」男はしつこくそう言って、離れていこうとするイエスの腕を無理につかんで引き戻そうとした。
「わたしの腕を放せ、悪魔っ!
さっきから言っているだろう、律法書にはこう書かれてある、と。
― お前の良心の主である“ 神 ”を畏れよ。
“神”のみに仕え、“神”の御名においてのみ誓いを立てよ。
そして、“神”のおっしゃった事を心して守れるよう
お前の周りにうようよいる“人間”という名の神々には決して仕えるな』(申命記6章13−17節)と。
だから、わたしに何を言っても無駄だ。
お前の思い通りになどなりはしない。
お前のやっているような、くだらないことにわたしを誘うな」
そう言ってイエスは男を睨むと、さっさとその場を離れて行った。
後に残された男はチッと舌打ちすると、ようやくイエスを見限り、結局、元来た道を再び戻って行った。
そして、イエスは男から離れて再び自分の迷いについて考え始めたが、しばらく歩いているうち、ニコデマスに向かって言った自分の言葉が頭の中でくっきりとよみがえってきた。
- 人というのは、誰でも知っていることしか話せないし、自分で見てきたことしか分からない。
- 人は何でも知っていると思い上がり、神を信じない。
- 神はあなたに教えてくれていたはずだ、その頭に、その心に、その魂に・・・
ああ、そうか。
わたしも思いあがっていた。
わたしも神を信じていなかった。 先のことなど誰にも分からないのに、知った風に思い、先のことを気に病んで悩んでいたのだ。
だが、わたしがいくら迷っても未来がどうなるかなんて、神のみぞ知る、だ。
だから、そんな先のことを思いわずらい、自分ではどうにもできないことを考え続けるより、“ 今 ”、自分にとって必要なこと、自分がすべきこと、自分が正しいと分かっていることだけを精一杯、やっていればいいんだ。
そうして、“ 神 ”(善)だけを信じていれば、それでいいんだ。
そうすれば、その時が来たら、必ず“ 神 ”は教えてくれる。
わたしがどうするべきかは、“ その時が来たら ”、ちゃんと神が教えてくれるはずだ。
だって、何が最も正しいことなのかを知っているのは、神だけなのだから。
イエスはそう思うと、身体中が熱くなり、力がみなぎってくる気がした。
未来への希望が見えてきて、イエスの歩みはさっきよりもずっと確かなものになっていった。
そんなエルサレム参詣を終えたイエスは、クファノウムに戻ってくると、以前よりももっと積極的に洗礼活動にいそしむようになった。
その甲斐あってか、イエスの評判は日に日に高まるようになり、彼の話を聞きに集まってくる人々も徐々に増えていった。
そんな彼らに向かってイエスはこう、呼びかけた。
「愛に飢え、満たされぬ思いでいる心貧しき人達よ。
あなた達に幸せが訪れますように。
心配しなくても天の神様とその王国はあなた方の為にある。
今、苦しみや悲しみに嘆く人達よ、あなた達にも幸せが訪れますように。
今は苦しくても必ずあなた達にも慰められる時はやってくる。
だから、力なき人達よ、決してくじけてはいけない。
今は力がなくとも。あなた方がこの世間で受け入れられる日は必ず来るのだ。
だから、愛と正義に飢え、命の水に心乾く人達よ。
祝福あれ。
あなた達の心にもきっと愛や正義、命の水もあふれんばかりに与えられるだろう。
そうして、あなた達が心から満足できる時は必ずやってくる。、
ああ、そして思いやりある心優しき人達よ。
あなた方に幸せが訪れますように。
あなた達の思いやりは必ず神に通じ、神はあなた方の思いに報いてくださる。
純粋で心清らかな人達よ、祝福あれ。
あなた方はその心できっと“ 神 ”を見ることだろう。
そして、この世で最も平和を愛する人達よ。
争いを拒み、傷つけ合うことを嫌う人達よ。
あなた方こそ、まさしく“ 神の子達 ”である。
たとえ、今、あらゆる人々から悪口を言われてののしられようとも、
あなた方の心に愛と正義と真実があるのなら、
心配せずとも神はあなた方を必ずあらゆる苦難から守ってくださる。
喜ぶがいい。
神は決して愛と正義と真実をその心に持つあなた方を見捨てたりなどしない。
そして、これを忘れないでほしい。
これまで神から教えられた正しいことを預言してきた者達はもちろん、
あなた方の目の前にいる預言者もまた、
あなた方と同じようにいつも世間の人達から心傷つけられ、
苦しめられてきたのだということを・・・。
だから、あなた達だけじゃないんだ。
あなた達は一人ぼっちじゃない。
あなた一人だけが今、苦しく悲しいんじゃない。
だから、覚えておいてほしい。
あなた達が心を込めて撒いた愛の種は、
決して無駄じゃないのだと。
それは必ずあなた自身の心と身体を潤す実りになることを
どうか忘れないでほしい。
(マタイ5章3−10節参照)」
このイエスの言葉に、日々の暮らしに疲れ、心と身体をぼろぼろにしていた人々は涙した。
誰にも顧みられない、さびしき人々の心に愛の光が宿った。
そして、イエスが口にした“ 神 ”の救いに希望をもつようになった。
その後、イエスは自分一人で話すだけでなく、もっとたくさんの人々にも話が伝わるよう、クファノウムに連れてきた弟子達にも自分と同じ話をするように指示していった。