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第百十六話 汚水 後書き(注1)その20

今話のテーマ曲↓

The Plague「天災」

米アニメ映画『the Prince of Egypt(エジプトの王子)』より


https://youtu.be/99PBpkvUACg


日本語版↓

https://youtu.be/4d5a4wty8eA



♪天の創造主からのお告げだ、お告げ。

神からのお告げだ。


お前達、王侯貴族の王室や政府が

我が神が創りし人類をお前達の勝手な束縛や呪縛から解放し、

平等な身分にすることを拒んだ以上、

この王国(中央政府)全土に

あらゆる困難や災難、不幸や厄介事を送ってやろう

お前達の家に、寝床に

河川に、道路に

飲み物に、食べ物に

家畜や乗り物、お前達の田畑や産業基盤(インフラ)にも


お前達、王侯貴族やその臣民達が

善なる神や自然(神が創りし庭)の掟に逆らうのを

止めるまで

お前達がその軍拡(暴力)をあきらめて

善なる我らの創造主に従うまで


神はお前達、王侯貴族やそれに従う臣民達に

あらゆる自然(神が創りし庭)の脅威を

見せつけてやろう

様々な昆虫から細菌、小動物、大型動物に至るまで

お前達の毎日、当たり前に続くと思ってきた

全ての日常生活が崩壊していく


そう我が創造主はおっしゃっている



「かつてはわたしもお前達、皇室やその臣民達を

同国人、同じ民族と呼んでいた。

お前達、政府(皇室)や上役の指示に従い、

喜ばせて取り入ろうともした

お前達に気に入ってもらえなければ

生きていけないと思い込んでいたから

お前達のご機嫌を取ることが

わたしの人生の全てだった」


空から雷を呼ぼう

火事を鎮めるどころかかえって

火事になりやすい雨も降り注がせよう


「今でもわたしは神がわたしを

預言者に選ばなければ良かったのに

この軍拡(暴力)や戦争(人殺し)に狂った世界に住む

彼ら王侯貴族やその愚民達に向かって

神のお告げを伝える役目などわたしに

課さなくても良かったのにとも思っている

なぜ、わたしだけがこんな辛い役目を果たさなければならないのか

何も知らずに厄介事や不便はあってもそうとも気づかず

結局、似たような理由で死んでしまう

他の人達と同じ生涯を

わたしに送らせてくれてもいいじゃないかと

今でも思う」



雨と一緒に火災になる(ひょう)も一緒に降り注がせよう

それはお前達のあらゆる田畑に、

あらゆる町々に


「だが、ここがわたしの祖国だ

この国で起きるあらゆる苦痛や荒廃が

どれほどわたしの心の中を

かきむしることか!!

何にも罪もない人達が苦しんで苦しんで

全てを奪われ、死んでいく

それら全てはお前達、王侯貴族とそれに従う愚民達の

どうでもいいつまらない虚栄心、

世間体だけを守ろうとする

その頑固さのせいだ」


お前達の田畑を食い散らかすバッタを

大量に送ってやろう

これまで世界中、誰も見たこともないような

あらゆる天災が訪れる

全ての葉も茎も倒れ、

一片たりとも青々とした豊かさを残すことはない

お前達、王侯貴族やその隷従する愚民達が

罪のない者達に仕向けてきた

その無情で残虐非道な鞭や脅しに使ってきた刀剣を

そっくりそのままお前達に向けてやろう


そう、我らの宇宙におわす全知全能の神はおっしゃっている



「おい、かつては同じ国の民と呼んでいたお前

お前はどうしてそんな非難やでたらめのお告げとやらを

この国の権力者や、ましてや恐れ多くも天皇陛下に向かって

口汚く罵れる?」



これまで痛めつけ、脅し、人殺し(戦争)に使ってきた

その鞭や刀剣を

お前達に向けてやろう



さぁ、我が手で創りし罪のない人類を

自由に平等に解放せよ


そう、我らの創造主はおっしゃっている

我が天におわす全知全能の神はそうお告げになったのだ



「かつては同国人と呼んだお前、

どうしてそんなにも皇室や王侯貴族、その臣民達を

忌み嫌うようになったんだ?

単に私達の裕福な暮らしを

これまでの成功や功績の数々を

妬んで羨ましいだけなんじゃないのか?」



神はあらゆる天災や苦難を

お前達、皇室や王侯貴族、その臣民達に送ると

そうはっきりおっしゃっている


「では、もっと私達、皇室とそれに従う臣民達は

結束を固めて断固としてお前の神とやらと戦う

どれほどの代償を払ってでも

損害が出たとしても

お前をきっと打ち負かしてやろう

この国を支配する皇室が、政府がそう命じているのだ」


この宇宙と地球を支配する全知全能の創造主が、

神がそうお命じになっている


「皇室(政府)は決して納税する大衆を手放したりしない」


皇室(政府)よ、全世界の王侯貴族達よ

我が一般国民(大衆)に主権を明け渡し

即刻、課税と兵役を止めよ




**1956年に公開されたアメリカ映画の『The Ten Commandments(邦題は『十戒』)』を始め、このテーマ曲が歌われたフリーメイソン(イギリス軍事秘密結社)が経営する宣伝会社の一つであるディズニー社の元社員達によって創設されたドリームワーク社の米アニメ映画『The Prince of Egypt(邦題は『プリンス・オブ・エジプト』1998年公開)』でも旧約聖書に描かれたモーゼはユダヤ移民の子でありながら迫害に遭っている最中、バスケットの中に入れられて川に流され、エジプトの王女に拾われて王子として育ったと解釈されているが、実際には川に流されて王女に拾われたものの、すぐ傍でモーゼの姉と母親が待機していて捨て子を哀れに思った王女が父親であるエジプト王(ファラオ)が行うヘブライ(古代ユダヤ人)移民が生んだ男の子は全員、子供のうちに始末して軍事的な脅威を取り除くという迫害政策を採っていたのと対照的にエジプト兵の増強を目論み、慈善(偽善)活動のつもりで乳母を雇って養育費も税金で支払うと言い出したことからそれを逆手に取った彼の母親が乳母を買って出たためヘブライ人(古代ユダヤ人)として育っており、その後、エジプトの王女の息子になったと聖書に記されているのも(出エジプト記2章10節参照)それはあくまで傭兵養成所または公的養護施設を設立したエジプトの王女が養親になったという意味で、そのため、エジプトの王女が彼をモーゼ(=Moses、当時のエジプト全土の王と言うより、一地域の神官王だったトトメス1世(=Thutmose I)の名前が「トト神(Thut)の子(mose)」という意味だったため、そのメス(Mose)「子供」だけを採って「トトメス1世の傭兵」のつもりで名付けたのがモーゼなのだが、たまたまヘブライ語のmashá「引き上げた、救った」とエジプト語のmöu「水、雨、海、湖、精液、流れ」の発音がどちらもよく似ていたためヘブライ人(古代ユダヤ人)達の間では「溺れかかった世の中の流れから引き上げられて救われた者」という意味になった。)と名付けることとなった。ちなみに、モーゼを助けたエジプトの王女とは第100話「智慧(1)」(注4)で話したハトシェプスト女王のことで、慰安婦施設を建てていたように軍事に役立つなら上述の乳児院も税金で建てていたらしくモーゼはそこで育ったエジプト兵の一人ということになり、繰り返し申し上げておくが、王侯貴族とは基本、自分の血筋を生き残らせる為に他人の子供が幼気(いたいけ)な乳幼児であっても生かさず殺すのであって捨て子に対してもその子を人間として見て哀れに感じる感情よりむしろ兵士として育てれば自分達の一族の役に立つという捕獲動物を捨て去るには惜しい、もったいないというケチ臭さから来ている感情なので純粋な情けからハトシェプスト女王は赤ん坊のモーゼを救ったわけではない。古代に限らず現代でも王侯貴族を名乗ったり、あるいはそう呼ばれる人達の心には一切、人としての慈愛(=Zion)など存在しないことはここではっきりお伝えしておく。それゆえ、彼らの行う慈善(偽善)活動に恩義を感じる必要もなければ、彼らの名前を冠した乳児院や養護施設といった福祉施設やその運営費も結局、大衆が稼いだ税金によって建てられたものなのでその点においても彼ら個人の人格や功績が特段、優れていたため神から王侯貴族としての特権をもらった訳ではないこともここで併せて申し述べておく。その辺の誤解が多大にある為に彼ら王侯貴族への畏敬心が未だに根強く世間に残されるのであって、神は王侯貴族という地位や身分を作ったことは一度もなく、むしろそれこそきっぱりと十戒の中で「自分以外の人や動物、宇宙の天体を神として崇めてはならない」との掟がある通り、神は神だけであって地球上のどんな人も決して神にはならない、つまり他人の自由を束縛したり、王侯貴族や国家(政府)の為に犠牲にして死なすことはもとより、どんな不利益も他人に与えてはならないということも本作品と聖書を通じてお伝えしていこうと思う。

なぜなら、北海の海底に敷いたランゲルド鋼管やノルドストリームのガス管がミサイルや水雷で酸性雨のように汚染された海水によって腐食して穴が開き、ガス漏れが発生した通り(第116話『汚水』(注1)その13参照)、東京湾アクアトンネルのコンクリートの鉄筋や鋼管も汚染された東京湾の海水に果たして耐えられるのか疑問であり、実際、既に剥落(はくらく)が起きているらしく、どうやらそのトンネルはく落対策工事及び道路構造物の点検の為に2023年1月23日から30日まで夜間だけ通行止めにして補修したそうで、トンネルが潮汐によって揺すぶられて剥落を起こしているのは確かなようである。しかも、完成当時には想定外だった1999年と2013年のNASA(アメリカ航空宇宙局)による月面での衝突実験以降、月の引力(絆)がブレて狂っている今、大量の海水が真上にある東京湾アクアトンネルは第116話『汚水』(注1)その17のラトビアのスーパーマーケットの屋根と同じく最悪な建築物と言える。その上、危険個所はトンネルだけではない。海上の高速道路の橋梁(きょうりょう)に使われている鋼材はチタンとステンレス鋼(鉄+クロム+ニッケル+モリブデンなどを合わせた合金鋼材)の異なる金属を合わせたチタンクラッド鋼材だそうで、どちらも耐腐食性の金属ではあるが、東京湾アクアラインに使われている鋼材は特にクロム、ニッケル、モリブデンの合金成分を増やした特殊鋼らしく(SUS312Lまたはオーステナイト系ステンレス鋼)酸素があればその増やしたクロムと酸素が結合して金属を保護する薄い膜を作れるが、酸欠(酸素欠乏)の上に気温、気圧共、高まっている今、二酸化炭素(CO2)が多いため炭素の方がクロムと結合しやすくなり、粒界腐食(りゅうかいふしょく)または鋭敏化(えいびんか)と呼ばれる独特の腐食を起こす。また、チタンとも合わせているため第116話『汚水』(注1)その16で説明した自衛隊のF15戦闘機が空気汚染によって異種金属接触腐食またはガルバニック腐食と呼ばれる異なる金属同士の腐食を起こしたようにチタンクラッド鋼材もその危険がある。さらに橋桁(はしげた)近くの橋梁上部(気中部)には防錆効果が高いとの評判のフッ素樹脂塗料が塗ってあるそうだが、これも第116話『汚水』(注1)その13で話したホスゲンガスのようにフッ素化合物は常温では気体になるため海水の塩分と窒素(N)や硫黄(S)の多い汚染された酸性の空気と一緒に光合成(太陽光による呼吸分解)されてしまうと金属を溶かすフッ化水素酸にもなりうる。そうして腐食しかねない橋梁の上にはこれまた橋桁同士の連結部分である段差を減らして車が走りやすいよう、また、地震(核実験)の際に橋桁が途中で海に落ちたりしないようできるだけ多くの橋梁で一本の長い橋桁を支えるという世界でも類を見ない多径間(たけいかん)連続化(れんぞくか)(東京湾アクアラインでは最長が10径間連続桁、長さ1,630m)になっているそうなので、たった1本の橋梁でも腐食して倒れればかえって大部分の橋桁まで共倒れすることになる。そんな危ない橋が東京湾アクアラインなのだが、たとえ橋が倒れなくても単にここを車で通るだけでも生命の危険があり、それが深さ約57mの海面下に(もぐ)る構造になっているからだが、海ほたるパーキングエリア(木更津人工島)や風の塔(川崎人工島)、ピラミッド(浮島換気所)によっていくら換気や気圧調整しているとは言え、高さ約40mの高速道路から急に海抜マイナス約57mの地下にそれなりの速度で走る車に乗って潜るということは体内の水圧や血圧が急変するためその調整が難しくなる。そのため、大抵の人がトンネルを抜けるとかかりやすくなるのが急性減圧症候群、潜水病またはケーソン病と呼ばれる、トンネル内で気圧の異なる窒素(N)や酸素(O)を吸った為に起きる窒素中毒や酸素中毒の一種で、潜水の際に水圧がかかるのは当然だが、ケーソンと呼ばれる海水を取り除いた地下構造物の中でも地上から遠くなるためその分、大気圧がかかって高圧になる。まして、海底トンネルは周囲に水圧がかかるため同様に地上とは異なる気圧になることからそこを車が走っている最中、体内の気圧や血圧の調整をしようと人体が呼吸を増やすため嫌でも地上とは異なる圧力の空気を吸うことになる。そうして地上に出てしまうとその弊害から意識が遠のいたり、視野などの知覚が鈍ったり、むくみや関節炎、めまいや耳鳴り、(しび)れや倦怠感、最悪の場合、呼吸困難や心臓及び肺に血栓ができることもある。それも頻繁に東京湾アクアラインを利用すればするほど慢性的な症状となって現れるのだからまさしく死の高速道路と言ってもおかしくない。その上、頻繁に利用しなくても車を運転中に意識が遠のいたり、視野などの知覚が(にぶ)ることは事故に繋がりやすいため東京湾アクアラインで追突事故が起きやすいのもそのせいであり、また、地上に出る付近で混雑しやすいのもドライバーが正常な知覚に戻るまで時間がかかるからで、そんな怖い道路にもかかわらず日本政府(皇室&自民党軍事政権)はリニアモーターカー(磁気浮上新幹線)敷設の為に人体実験しようと千葉県木更津市にある幼稚園から高等学校までの一貫校でキリスト教系の学校法人暁星(ぎょうせい)国際学園のスクールバスを装い、この死の高速道路を利用して小学生まで乗せて毎日、通学させているらしく、子供達を守るべき立場の大人が生命(いのち)の危険があると知りつつ公共事業の利権や軍拡といった私利私欲の為にその犠牲(人身御供)にするなどもっての(ほか)で、そうまで犠牲を払ったところでリニアモーターカー(磁気浮上新幹線)が失敗することは明らかなのだから亀ノ瀬トンネルと同じく瓦礫(がれき)になると分かり切っている日本政府(皇室&自民党軍事政権)の玩具(おもちゃ)の為に人口減少や少子化で世界中が困っている昨今、わざわざ未来を背負って立つかけがえない子供達(国民)の生命(いのち)を犠牲にするほど馬鹿らしいことはない。実際、この東京湾アクアラインも公共事業としては大失敗であり、総工費1兆2,323億円、これに借金の利息も(かさ)んでいくため道路料金を上げても下げても赤字が解消されないことを知りながらリニアモーターカー(磁気浮上新幹線)の為だけに造った実験施設だったことから最初から採算など度外視しており、これを運営していけばしていくほど経年劣化で維持費や補修費も(かさ)んでいき、異常気象で倒壊や崩落の危機まで抱えることにもなったのだからこれほど無駄ではた迷惑な巨大玩具は世界でも類を見ない。しかも、経済効果と言ってもほとんどないに等しく、千葉県木更津市と神奈川県川崎市を直結させて東京湾アクアラインに隣接する羽田空港にも近くなり、人や物の流れが増えるとの触れ込みだったが、実際のところ、東京湾アクアラインが開通してからと言うより、それ以前の1994年からかずさDNA研究所を始めとしたアメリカのウェストバージニア州(第116話『汚水』(注1)その17参照)を真似たような医療関係や製薬企業の研究所が立ち並ぶかずさアカデミアパークが木更津市に設立され、それと共に食料品や医薬品などの販売を兼ねたアクア木更津(現、スパークルシティ木更津)などの量販店が建てられて先進医療技術を装った生物(細菌)兵器開発研究施設で治験(人体実験)が行われるため東京湾アクアラインが開通して以降、木更津市は“死人を作る街”と化し、人口は下がる一方になったことからデパートやスーパーマーケットを始め、商店街にある店舗も次々と閉店に追い込まれるようになった。そうして1970年代のベビーブーム以降、上京してくる若年層によって豊富な労働力と人口(税収)に恵まれてきた東京都を始めとした首都圏が1995年のバブル経済破綻(不動産価格&株価暴落)によって景気が落ち込み、2000年から世界中で少子化が問題になり始めるとそれまで当たり前に増えていた労働力と人口(税収)の不足に悩まされるようになった。そのため、地方から労働者と税金をかき集める必要が出てきたことから2004年に富浦IC(インターチェンジ)(千葉県南房総市(みなみぼうそうし)富浦町深名(とみうらちょうふかな))~富津竹岡IC(富津市竹岡(ふっつしたけおか))までの全長20.4kmの富津館山(ふっつたてやま)道路を整備し、2005年には富津竹岡IC~富津中央IC(富津市鶴岡(ふっつしつるおか))まで7.5kmほど館山自動車道を延ばし、さらに2007年にその館山自動車道を木更津市にある木更津ジャンクション(合流点)で神奈川県横浜市金沢区から東京都、埼玉県、茨城県を巡って木更津市に至る首都圏中央連絡自動車道と東京湾アクアラインに繋げて千葉県南部の奥深い地域にまで道路を延ばし、それに20億円ほど掛けて千葉県初のETC(電子決済料金徴収)専用インターチェンジ、いわゆるスマートインターチェンジに替えると同時に1970年代の人気俳優でベビーブーム世代には印象深いアイドル国会議員の森田健作(もりた けんさく)(本名、鈴木栄治(すずき えいじ))氏に「東京湾アクアラインの道路料金を普通車3千円から800円に切り下げる」との公約を掲げさせて2009年に千葉県知事に当選させたためこれを機に千葉県の地方から木更津市や首都圏へと景気の悪化で職にあぶれた若年層などの棄民(政府(王室)から見捨てられた国民。第106話『革命(1)』参照)が移住し始めた。そこから木更津市の人口は一時的に増え始め、東京湾アクアラインも里帰りや移住、通勤、通学、物流、観光などで頻繁に利用されるようになったのだが、既に死人を作る街である木更津市に移り住んでも生き延びれるはずはなく、まして2013年から心臓病を原因とした世界的な死亡者数の増加と少子化による人口減少が始まったため(第116話『汚水』(注1)その17参照)再び木更津市の人口は落ち込み始め、むろん、首都圏に人口を吸い取られた木更津市周辺地域も過疎化するようになり(ストロー現象)、結局、東京湾アクアラインを走って首都圏と木更津市を結んでいた高速バスも3割が削減され、人口増加を期待して建てられた三井アウトレットパーク木更津などの大型ショッピングセンターや大型家具店、住宅地などの不動産販売も期待外れに終わっただけだった。しかも、東京湾アクアラインと競合していたフェリーも廃止されるようになり、鉄道も多数の高速道路によって電車を利用する乗客が減ったため本数を削減して定期運行も廃止することになり、巨費を投じて東京湾アクアラインを始め、高速道路を整備した割に損失の方が投資した税金より上回り、マイナスの経済効果しか出ていない。それを実家はラムサール条約に登録された二つの沼があって核のゴミ溜めにされている(第116話『汚水』(注1)その6参照)宮城県栗原市(くりはらし)出身で粗野で乱暴な言葉遣いや悪戯(いたずら)、嫌がらせなどの軽犯罪を冗談で済ましがちな蛮殻(ばんから)な校風で知られ、明治政府(皇室&自民党軍事政権)によって建てられた県立築館(つきだて)高等学校を卒業したという脚本家の宮藤官九郎(くどう かんくろう)(本名は宮藤(くどう)俊一郎(しゅんいちろう)。官九郎とは「宮中の九郎判官(くろうほうがん)」の略語で、九郎判官とは源義経(みなもとのよしつね)の通称が九郎で、位階が判官(宮城門(きゅうじょうもん)と呼ばれる宮中の門を護衛する為に上京してきた警備役人。左衛門尉(さえもんのじょう)(第116話『汚水』(注1)その4参照)と同じ身分であり、現代の身分で言えば警視、中隊長、少佐、学校長など。)だったことにちなんだものらしく、官九郎は自身がその身分にあることを示した芸名である。)氏が脚本を書いたテレビドラマ『木更津キャッツアイ』(2002年放送)で東京湾アクアラインや首都圏の華やかな雰囲気を煽り立て木更津市を始めとした千葉県の若年労働者の上京を促したり、NHKのニュースや新聞報道などでいかにも東京湾アクアラインができたことで経済効果があったようにプロパガンダ(大衆洗脳宣伝)したところで現実には大赤字で、大失敗だったことに変わりない。しかも、そのプロパガンダ(大衆洗脳宣伝)を鵜吞(うの)みにしたとして今後、東京湾アクアラインの経済効果で人口や景気が回復していくとするならそれに見合った食料や資源、燃料、雇用(産業)が必要になってくるが、まるで第107話『革命(2)』(注2)その1で話した明治から昭和初期の東北飢饉や昭和金融恐慌の頃と全く変わらない、農業や漁業などの食料生産を始めとした、実際に利益や物資を生み出し、国家(共同社会)を支えている労働者を(ないが)ろにして低賃金や無賃でこき使い、経費削減(コストカット)標語(モットー)にケチって(節約して)雇用も切り捨て、路頭に迷わせ、社会的身分も(おとし)める一方、働きもせず、利益も生まず、役にも立たず、酒に、性交(セックス)に、麻薬に、賭け事(ギャンブル)に、悪趣味な嫌がらせや悪事に(うつつ)を抜かしてだらしなく遊び惚け、借金と損害ばかりを膨らませながら戦争(国民殺し)の為の愚にもつかない玩具(おもちゃ)(兵器)を造るだけの軍需産業と政府(皇室)関係者や企業経営者、学者などの家族、親戚、友人、知人を美化したり、持ち上げたり、プロパガンダ(大衆洗脳宣伝)活動を行うテレビや新聞、ネット、アニメやゲームなどのマスメディア産業には公務員と同様、多額の税金でもって高賃金と破格の待遇を保障し、太平洋戦争を起こした戦争犯罪者として国政から退(しりぞ)けられたはずの皇室と自民党軍事政権が国民主権と定めた日本国憲法に反して主権者であるかのように振舞い、戦後80年近くもそんな無益な“軍需産業とマスメディア産業=金融経済(お金だけ動いて、目に見える物やサービス、成果が何もない商取引)”の方を実体経済(価値に見合った物やサービスが手に入る商取引)よりも庇護し続けてきたため、本来、千葉県は日本の最高峰である標高3,775.51 mの富士山を起点に西(左)から標高2,601mの北奥(きたおく)千丈岳(せんじょうだけ)が最高峰の神奈川県、埼玉県、東京都、群馬県までを連なる関東山地、次が群馬県の最高峰である標高2,578 mの日光白根山(にっこうしらねさん)を抱く日光連山、さらに北東(右上)には標高1,917mの三本槍岳(さんぼんやりだけ)が最高峰の栃木県の那須岳(なすだけ)(または那須連山)、その隣が標高1,021.8mの八溝山(やみぞさん)が最高峰の茨城県の八溝山地、そこからさらに宮城県から福島県、茨城県にまたがる阿武隈高地(あぶくまこうち)の一部であり、最高峰が標高881.6mの栄蔵室(えいぞうむろ)である茨城県の多賀山地(たがさんち)と月の引力(絆)を標高差(電位差)を活かして引っ張ってきて、最後に標高408.2 mの愛宕山(あたごやま)(または嶺岡愛宕山(みねおかあたごやま))が最高峰の房総(ぼうそう)半島に広がる房総丘陵(ぼうそうきゅうりょう)一帯に水を招くようにできているので全長322km、流域面積16,840 km²で新潟県、長野県、群馬県を流れる信濃川(しなのがわ)(全長367 km、流域面積11,900 km²)、北海道の石狩川(いしかりがわ)(全長268 km、流域面積14,330 km²)を抑えて日本では最大の流域面積を誇る利根川(とねがわ)を始め、房総半島には千葉県中南部の夷隅郡(いすみぐん)大多喜町(おおたきまち)から京葉(けいよう)工業地域がある市原市までを流れる養老川(ようろうがわ)(全長73.4 km、流域面積245.9 km²、古代は与保呂(よほろ)川と呼ばれ、与保呂とは「保呂(ほろ)(現代では馬車の上を覆う(ほろ)のこと)を助(与)ける」という意味で、大和民族(愛瀰詩(えみし)または蝦夷(えぞ))は幌馬車ならぬ保呂(幌)舟を使っていたので河川に吹く風の力を利用して強く()がなくても保呂(幌)で川上(かわかみ)川下(かわしも)を行き来していた。そのため、京都府舞鶴市にも与保呂川があるのはそこでも保呂(幌)舟が使われていたためである。しかし、その後、倭族(現、皇室)がその様子を見て真似するようになったのが敵からの矢を避ける為に(よろい)代わりに背中に背負うようになった保呂(ほろ)(または母衣(ほろ))で、(もと)の使い方を知らない倭族(現、皇室)はあれこれ考えて無理やり軍需品にして使ってみたようだが、風船のように(ふく)らむ保呂(母衣)を背負(しょ)って馬に乗って走ってもかえって風の力で後ろに流されがちで、走る速度が遅くなれば敵の矢が当たりやすくなり、攻撃しやすいのだからむしろ付けない方が矢を避けられて安全なように思えるが、肝心な所がいつも抜けている倭族(現、皇室)は平安時代(9世紀)から戦国時代(17世紀)まで防御用具のつもりで不便な保呂(母衣)を使い続けたようで戦国時代になるとさすがに防御には役立たないと分かったらしく、現代で戦地を取材する報道関係者が中立の立場として攻撃されないよう目印を掲げて戦地を自由に往来できるように、この保呂(母衣)を背負った武将は伝令係や交渉役として戦国時代では一応、例外はあっても攻撃しない決まりになっていたようで結局、単なる飾りにしか使い道はなかったようである。なお、川の名前が与保呂から養老に変わったのは江戸時代に養老絞(ようろうしぼ)り(または有松・鳴海絞(ありまつ・なるみしぼ)り、筋絞(すじしぼ)り)と呼ばれる青と白の縦筋(たてすじ)模様になるよう着物を絞って染める藍染がその川で行われるようになったからで、表向きは着物の染色だが、実際は江戸幕府に隠れて藍玉(第116話『汚水』(注1)その7参照)を使い、爆薬(第116話『汚水』(注1)その14の窒化インジウムガリウムを参照)の研究開発に五井藩(ごいはん)鶴牧藩(つるまきはん)は励んでいたため大倭朝廷(現、皇室)の女帝の元正(げんしょう)天皇が岐阜県にある養老の滝で似た爆薬を作っていたのにちなんで養老川と呼ぶようになった。)や千葉県では利根川の次に広い流域面積299.4 km²、全長67.5 kmの夷隅川(いすみがわ)(古代では伊甚(いじみ)と書き、伊は前話で話した堯帝(ぎょうてい)の息子の丹朱が左遷された崇山(現、嵩山)から車で西に2時間ちょっとの所にある伊河(いが)から採った名前で、殷族や倭族などの朝鮮王朝(現、皇室)から迫害されてきた大和民族(愛瀰詩または蝦夷)の先祖である支那人(古代中国人)達が故郷を懐かしんで「伊河にそっくり((はなは)だ)な川」という意味で名づけたのが伊甚(いじみ)川で、その後、支那人(大和民族)達の開墾した田畑や農作物、川などの資源を狙ってしつこく追い回す大倭朝廷(現、皇室)に川が乗っ取られ、名前が書き換えられたのが夷隅川(いすみがわ)で、「蝦夷(えぞ)(すみ)に追いやる川」という意味であり、現代の“いじめ”の語源である。だから、この川の由来を誤魔化そうと今でも千葉県庁が夷隅川流域懇談会の資料として作成した『第8回夷隅川流域委員会【夷隅川水系河川整備計画(案)環境編について】』(2022年12月22日開示)には「『古事記』や『日本書紀』では夷隅地域は「いじむ」「いじみ」とよばれており、この「いじみ」とはハワイ語の「イ・チ・ミ」=「川が悲鳴を上げて流れる(山の間を蛇行して流れる)地域」と解釈する説もある。このように、川の地形から「いすみ」という地名がつくように蛇行の激しさは夷隅川の特徴の一つである。また、「()」は東方の異民族(東夷(とうい))に対する蔑称(べっしょう)でもあり、東の未開の地の意味も込められていた可能性もある」と記されていて、中国や朝鮮半島を経由して移住してきた支那人(古代中国人)達がわざわざハワイ島を迂回して日本に来たわけでもないのにどうして千葉県にハワイ語が残されているのかそれこそ未開の蛮族の発想らしいオカルト(超常現象)学説に思えるが、ともかく「川が悲鳴を上げて流れる」とか「東方の異民族(東夷)に対する蔑称」だとか、「東の未開の地の意味も込められた」などと執拗に大和民族(支那人)を侮辱するような記載があるのもそれが理由である。)、さらに千葉県中南部で太平洋側に流れるいすみ市の夷隅川(伊甚(いじみ)川)とは対照的に東京湾に向かって流れ出るのが県内では利根川に次いで長い川で知られる全長88 km、流域面積273.2 km²、木更津市と袖ケ浦市(そでがうらし)の主要河川である小櫃川(おびつがわ)(小櫃とは地元では倭建命(やまとたけるのみこと)の側室((めかけ))だった弟橘比売(おとたちばなひめ)(のみこと)(別名は大橘比売(おおたちばなひめ)(のみこと))が東征(関東に住む大和民族(愛瀰詩(えみし)または蝦夷(えぞ))を征伐(せいばつ)する為の戦争)に参戦してきた際、河川で暴風雨に遭い、自分達の軍船が沈みそうになったため(いかだ)で逃げようとしたところ、結局、流されて死んだためその遺体、または遺品である(くし)を小さな(ひつ)(ひつぎ))に納めたとか、あるいは7世紀に大倭朝廷(現、皇室)内で起こった皇位継承争い(壬申の乱)で敗れた大友皇子(おおとものみこ)が近畿からわざわざ関東にまで落ち延びて結局、そこで自害したためその遺体を小さな櫃(棺)に納めたから小櫃川(おびつがわ)と呼ばれるようになった(『小櫃村誌』、『君津郡誌』、SF小説家の豊田有恒(とよた ありつね)氏著の『大友の皇子東下(あずまくだ)り』(1994年発刊)参照)などと、いかにも倭族(現、皇室)らしいオカルト伝説(おとぎ話(ファンタジー))がまことしやかに伝えられているが、小櫃とは現代でも米櫃(こめびつ)と漢字で書くように小さい箱や容器、台所の床下収納家具のことで、古代で千葉県は家具や台所用品を主な製品とした木材及び金属加工を行う工業地帯であり、小櫃川はその台所用の床下収納用品が盛んに作られていたため名づけられた河川名である。それゆえ、千葉県には木更津市にある高柳(たかやなぎ)銚子塚(ちょうしづか)古墳(5世紀頃)や金鈴塚(きんれいづか)古墳(6世紀頃)といった祇園(ぎおん)長須賀(ながすが)古墳群や県最大の古墳群である富津市(ふっつし)内裏塚(だいりづか)古墳群(5世紀頃)、さらに小櫃川中流域にある君津市(きみつし)戸崎(とざき)地区や岩出(いわで)地区にも墳丘や周溝が今も残されている戸崎古墳群や飯籠塚(いごづか)古墳群(5世紀~7世紀)など、県全域に数多くの古墳が造られたのも古墳とは墳墓(ふんぼ)ではなく大規模工場であって、第110話『灌漑(かんがい)』(注2)の中で前方後円墳を“山の畑”と言った通り、山に植林して材木を育て燃料にし、金属加工で鋳型(いがた)を作る際に使われる蜜蝋(みつろう)を作る為に養蜂も行い、工業用水を周辺の(みぞ)に引いて近所に製造中の騒音が響かないよう、また、夏は涼しく冬は暖かくなるよう山に似た墳丘を築いてそこに作業場や()を設け、その中で作業していたからで、日本全国のどの古墳の石室からも遺骨らしい遺骨がほとんど出てこず逆に石器や土器、須恵器(すえき)釉薬(うわぐすり)を塗っていない陶器に近い土器で、水甕(みずがめ)などの実用品や陶器を作る為の鋳型などに使われていた。)、埴輪(はにわ)(人や動物の形をした素焼きの土器)、鉄製の刀や鎌、鈴といった金属加工品にガラス玉、また、眉庇付冑(まびさしつきかぶと)(ワイングラスに似た小さな鉢が真上に付いていて、さらに野球帽に似た前つば(眉庇(まびさし))の付いた鉄製の(かぶと)(兜)と言うのが日本政府(皇室&自民党軍事政権)による解説だが、本当はただの(なべ)である。つまり、頭に(かぶ)る物ではなく、中に汁物や食品を入れて使う物で、なぜ、前つば(眉庇)が付けられているのか言うと、そこにお玉杓子(たまじゃくし)のような調理器具や揚げ物などで一時的に食材を置いて水や油を切る際に便利だからである。そしてどうして真上(まうえ)と言うか、真下(ました)に小さな鉢が付いているのかと言うと、現代の調理台と違って古代は地面に穴を掘ってそこに火をくべる(かまど)が使われていたからで、上述の祇園・長須賀古墳群の一つである祇園大塚山古墳から出てきた金銅製眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、福井県吉田郡永平寺(えいへいじ)町にある二本松山古墳から出土した金銅製眉庇付冑、兵庫県加西市(かさいし)にある亀山1号墳の眉庇付冑のように、その真上にある小さな鉢が少し斜めに傾いた形で作られているのも(かまど)を掘る際にシャベルのように傾かせて掘った方が掘りやすく、鍋から汁物がこぼれ難くなることと、その鉢が杭のように(かまど)にしっかり突き刺さっていれば鍋が倒れ難くなって調理中の事故が防げるからで、あくまで毎日の暮らしを便利にする為の台所用品でしかなかったのだが、これをわざわざ軍需品にしたのも殷族や倭族などの朝鮮王朝(現、皇室)やモンゴル部族のような狩猟遊牧民族で、使い方を知ってか知らずか鍋を頭に被ってでも戦争(人殺し)がしたかったらしく、鉄製の鍋のままだと重すぎて頭に被った際、首を折りかねないので少し厚みを薄く作り変えた眉庇付冑(まびさしつきかぶと)が韓国慶尚南道(キョンサンナムド)金海(キメ)市の金海遺跡から出土している。)などの副葬品と呼ばれる品物の方が人の骨よりも数多く出土するのも工場だったからで、遺品として他所(よそ)から持ち込んだ品物を埋めたわけではなく、元からそこで生産されていた工場製品が古墳に残されていただけなのだが、自分達が建国者である支那人達(大和民族)を虐殺して日本を乗っ取った異民族(蛮族)であるとの真実を一般国民に知られたくない日本政府(皇室&自民党軍事政権)は明治維新以降、その証拠となる古墳を荒らし廻り、さらに出土品なども捏造(ねつぞう)してきたため不自然な人骨や武具なども出てくるようになったが(政府(皇室)直轄企業である東北電力子会社に勤務していた藤村新一(ふじむら しんいち)氏による2000年に発覚した旧石器捏造事件、同時期にマスコミに暴かれたことで自殺と見せかけて殺された別府大学教授の賀川光夫(かがわ みつお)による大分県聖嶽洞穴(ひじりだきどうけつ)遺跡問題などを参照)、それでも古墳の数が多すぎて全てを工作して回るにも限界があり、また、日本政府(皇室&自民党軍事政権)自身が今でも古墳を墳墓と言い張るぐらい元々、発想が稚拙で貧困なので自分達で付いた嘘に振り回されて古墳や出土品が本物か偽物か自分達でも判別しきれなくなってきており、前話で話した価値のない高松塚古墳を多額の税金をかけて守ろうとするのもそれが理由で、小櫃川の由来も考古学的見解は言えず依然、伝説(おとぎ話(ファンタジー))の域から出ないようである。)、君津市と富津市(ふっつし)の真ん中を流れて県内では小櫃川に次に長い川である全長80km、流域面積142 km²の小糸川(こいとがわ)(古代では須恵川(すえがわ)が本当の名前で、須恵器(陶器に近い実用的な土器)と今でも呼ばれる通り、その須恵器の生産がこの川周辺で盛んだったため付いた名前であり、須恵とは須が「粘土紐(ねんどひも)(彡)を重ねて頭(頁)に似た形を作る」、恵は旧字では惠と書き、「天(一)から神の御心(心)が光(日)となって人間=細菌(虫)に届く、与えられる」、つまり“知恵”という漢字の通り、恵とは本来、「神から与えられる光明」という意味で、須恵器は「神から知恵の光を与えられて粘土紐を重ねることで人の頭に似せて作った器」が元々の意味である。そのため、君津市に隣接する富津市に千葉県では最大規模の古墳群の内裏塚(だいりづか)古墳群(5世紀頃)があるのも古代ではその須恵器工場が立ち並んでいたからで、無論、どの古墳からも必ずと言っていいほど須恵器が出土している。(白姫塚(しらひめづか)古墳須恵器)しかし、その後、その繁栄ぶりに目を付けた大倭朝廷(現、皇室)が乗っ取ったことから須恵川は大倭朝廷(現、皇室)の先祖である(こん)が飛ばされた羽山(うざん)(第116話『汚水』(注1)その19参照)の南部にあってちょうど堯帝や舜帝、禹達の故郷がある長江デルタの真北に位置する、古代では(こん)ら殷族(後の倭族)が住む徐州(じょしゅう)と禹達、支那人(古代中国人)達の故郷である揚州(ようしゅう)の境目になっていた中国第三の大河である淮河(わいが)にちなみ、かつ、周王朝の侯爵の子孫でもある大倭王朝(現、皇室)はこの須恵川が周王朝の侯爵領との意味も込め、“周淮(すえ)”川に改称した。それからは周淮川という名前で定着していたのだが、それを再び変更することになったのは大倭朝廷(現、皇室)が徳川幕府に国権を奪い取られたことで事実上、国政から退けられたため(第116話『汚水』(注1)その6の禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)を参照)それを武力(暴力)で奪い返そうとこの周淮川(須恵川)の地頭(じとう)(元々は各地方を縄張りに暴れまわっていた野武士や暴力団を大倭朝廷(現、皇室)が雇い入れて各地方の管理を任せていたのだが、現代でも暴力団を「その団体の構成員(その団体の構成団体の構成員を含む)が集団的にまたは常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体をいう。」(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律=通称、暴力団対策法の第一章第二条第二項引用)と日本政府(皇室&自民党軍事政権)が定義している通り、本来は国政や地域社会に関わらせてはいけないトラブルメーカー(争いや問題の種を撒く厄介者)として取り締まるべき者を徳川幕府に従わない大倭朝廷(現、皇室)贔屓(びいき)の大名達の中にはわざわざ彼らを徴税役人として雇い入れて自分達の領内を武力(暴力)でもって管理させていたようで、そのため、「泣く子と地頭には勝てぬ(赤ん坊と地頭のような強情で頑固な乱暴者に道理を言い聞かせても通じないから言っても無駄だ)」との(ことわざ)にもある通り、理不尽な手段や武力(暴力)を使って領民を脅迫したり、困らせていた単なる犯罪者なのだが、現代でも日本国民の誰もが暴力団を反社会的団体や犯罪者集団とみなし、迷惑な存在に思っていてもなぜか野放しにされているのと同じようにこの地頭も実際は違法な地位や身分でありながら合法的に扱われることになった。)の地位にあった大草平内(おおくさ へいない)という男に命じ、この周淮川(すえがわ)(須恵川)で小糸焼と呼ばれる飛騨国(ひだこく)(現、岐阜県)の高山藩三代目藩主で、平家の末裔だった豊臣秀吉の母の大政所(おおまんどころ)(第116話『汚水』(注1)その5の方広寺鐘銘事件を参照)の親戚でもあった金森重頼(かなもり しげより)が京都から陶工を招いて地元の小糸坂で当時、原子爆弾(核兵器)を開発する為に木灰と黄土、それに鉄分5%前後を含んだ青みがかった特徴で知られる高麗茶碗(第116話『汚水』(注1)その6の鍋島焼を参照)を茶道にかこつけて作らせていたのだが、寒冷地である飛騨山脈の麓での陶磁器の製造は温度調節が難しくて失敗したため古代から陶磁器生産の聖地である周淮川(須恵川)に目を付けた大倭朝廷(現、皇室)は大草にその小糸焼(核兵器)作りを任せたことからにわかに兵器開発拠点にされるようになった周淮川(須恵川)周辺は実験で豪雨や洪水が頻繁に起きるようになった。さらに飛騨国(現、岐阜県)でもそれまで散々、兵器実験を行っていたことと、折しも15世紀からの大航海時代でキリスト(人殺しの十字架)教教徒の欧米人達が海や山を越え、陸を越えて(第86話『最後の預言』及びマタイ23章~24章)世界各地に出没し、トランス・メキシコ火山帯(第116話『汚水』(注1)その12参照)のポポカテペトル山(17世紀では1642年、1663年、 1664年、1665年、1697年噴火)を始め、様々な火山を日本で大倭朝廷(現、皇室)が大分県の九重火山(くじゅうかざん)(1662年と1663年噴火)や沖縄県の硫黄鳥島(いおうとりしま)(1664年噴火)、北海道の有珠山(うすざん)(1663年噴火)、渡島駒ヶ岳(おしまこまがだけ)(または蝦夷駒ヶ岳1640年噴火)、樽前山(たるまえさん)(1667年噴火)を噴火させていたように地球のプレート(岩盤)下を直接、(いじく)り、地熱活動を妨げるような破壊活動を戦争(人殺し)と併せて行っていたため、地球全体が寒冷化して異常気象が頻発していたことも相まって(Little Ice Age、小氷期)、農業には欠かせない夏の日差しが射す1674年(延宝2年)の5月から9月まで雨が3か月も降り止まず凶作となり、現在の福井県、石川県、岐阜県の北西部を含めた越前地方で数万人を越す餓死者が出ることとなり(福井藩の医者の橘宗賢(たちばな そうけん)が書いた『橘宗賢伝来年中(でんらいねんちゅう)日録(にちろく)』参照)、翌年の1675年(延宝3年)も異常気象は続いて、青森県を始め、岩手県や秋田県でも豪雨や洪水が発生し、関東の食糧庫である東北地方が壊滅的な被害を受けたため江戸(現、東京都)では米価はもちろん、あらゆる穀物価格が急騰して経済は大混乱に陥り、ほぼ全国的な飢饉となった。(延宝の飢饉または卯年飢饉)それでも世間からかけ離れた公家生活にどっぷり浸りきって能天気な大倭朝廷(現、皇室)とそれに(くみ)して幕府と大衆を密かに裏切る大名達は武力(暴力)で政権交代できるものと夢想し、兵器実験を続けたため大雨で山が崩れて土石流が発生し、その死傷者が出たり、農作物が腐って家畜に与える餌に困り、人間の餓死に加えて家畜も死に絶えることとなり、生物(細菌)兵器も撒かれて疫病も発生し、1677年(延宝5年)には噴火による大気汚染がひどくて窒素(N)や硫黄(S)が蔓延し、岩手県の胆沢(いさわ)地方で赤い雪が降るまでになり、雪(水)が汚染されているのだから当然、農作物も腐った状態で育つためそれを食べた人が食中毒を起こすなど、あらゆる町や村で死体が転がっていて道を塞ぎ、もはやこの世の終わりかと思うぐらい悲惨な状況が続いていたのだが、その間、大倭朝廷(現、皇室)が日本の君主気取りで何をしていたかと言えば、父親の後水尾(ごみのお)法皇(第116話『汚水』(注1)その7の明暦の大火を参照)が相変わらず軍拡に励んで大衆(大和民族)を殺して国土も破壊しながら倒幕を試み、その息子の霊元(れいげん)天皇は男子の皇位継承者がいないとの理由から次々と侍女に手を出しては妊娠させ、皇子を期待して霊元天皇の側室となったその侍女達を盾に朝廷内の権力や財政を握ろうとする公家達が権力闘争していただけで、全く世間の惨状からは遠く離れたおとぎの異世界でいろいろ揉めていたらしく、ちなみにこの当時、日本だけでなく、お隣の朝鮮半島でも庚辛(こうしん)大飢饉と呼ばれるこれまでの飢饉とは比べ物にならないぐらいの大災害が起きており、1670年の元日から太陽の周りに白虹というよりも赤や青の光が見える虹に近い日暈(ハロ)(第116話『汚水』(注1)その15の白虹貫日(はっこうかんじつ)を参照)が現れ、さらに三日後には太陽の周りにある氷晶を含んだ薄い雲に光が反射してあたかも太陽が二つや三つに分かれたかのように見えたり、太陽を包むような光の輪ができるなどの幻日(げんじつ)も見られ、1週間後には今度は太陽だけでなく月も同じく奇妙な光が一緒に現れる幻月(げんげつ)となり、流星も度々、観測され、年明け早々、雷を伴った大雨が降っていたことからそうした日暈(ハロ)や幻日、幻月が現れたようだが、明らかに不穏な気象(大気の状態や変化)であることは一目瞭然で、2月に入ると今度はみぞれ混じりの雨や大雪、(ひょう)が降り始め、ここから(ひょう)を中心に作物の芽を潰し始め、3月に入っても雪が止まず、4月からは(ひょう)の被害が増えて稲や麦を倒し、人や家畜にも当たって死傷させるまでになり、5月も(ひょう)と一緒に今度は渇水して干ばつが起きるようになり、6月はその干ばつから一転して大雨や洪水が起き、日本と同じく飢饉のみならず、土石流や洪水で家や田畑が押し流されたり、海水に田畑が()かって塩害になるなど、朝鮮全土にあったあらゆる食糧が数か月間で消え果てた。むろん、食糧以外に綿花や麻のような衣服や紙製品、家畜の餌などの生活物資だけでなく、火薬や麻薬の原料にもなる軍需産業の物資も枯れ果て国全体の産業が立ち行かなくなり、失業者も増える。そうして最も飢饉がひどかった1670年~1671年だけでも100万人近くが犠牲となり、飢饉対策として朝鮮王朝や大倭朝廷(現、皇室)が度々、行ってきた疫病(生物(細菌)兵器。第107話『革命(2)』(注2)その1の口減らし、第116話『汚水』(注1)その10の法定伝染病を参照)の散布による国民を殺して自分達、特権階級だけが生き残れるよう食糧をケチる(節約する)口減らし政策も手伝って1696年までに朝鮮半島の2割~3割の人口が減ることとなった。さらに異常気象による飢饉は朝鮮半島に限らず、中国やヨーロッパでも起こっていて、中国ではイエズス会の武器や軍資金の供与を受けたテロリスト(武装農民)達が度重なる飢饉対策ができない無能な明王朝(政府)に対して11世紀から砂金や馬、毛皮、朝鮮人参(にんじん)の他に傭兵や武器密輸などで財を成し、中国東北部や北朝鮮一帯で縄張りを張って暴れていた後金(こうきん)王朝(後の(しん)王朝)の二代目王ホンタイジを皇帝に立てて反乱を起こすようになったため明王朝もウル第三王朝のように(第116話『汚水』(注1)その19参照)異常気象による産業基盤(インフラ)の荒廃と食糧及び物資の枯渇から滅亡して清王朝が台頭することとなり(1636年~1686年)、イギリスもチャールズ1世が財政破綻や食糧、物資の枯渇を責められて処刑され(第116話『汚水』(注1)その1参照)、スチュアート王朝が断絶してエセ軍人のクロムウェルが国権を掌握するイギリス共和国が樹立し(1649年~1660年)、それも長く続かず王政復古したものの、王室と議会が税源と食糧、物資の分け前を巡って小競(こぜ)り合いを続ける内戦状態となり、北欧でもデンマークとスウェーデンの両王国が現代でもスウェーデンの主要穀倉地帯で最大の食料供給源である南部のスコーネ地方を始めとした肥沃(ひよく)な領土や植民地を巡って軍拡競争していたことから(スコーネ戦争1675年~1679年、9年戦争もしくは大同盟戦争 1688年~1697年など)、この当時、デンマーク領であっても基本的に軍需産業では中立の立場を採るアイスランド(第116話『汚水』(注1)その18参照)が兵器実験で1693年に自国内にあるヘクラ山(=Hekla、アイスランドの首都のレイキャビック市から東に車で約2時間半、第116話『汚水』(注1)その18で話したエーライヴァヨークル火山とレイキャビック市のちょうど真ん中ぐらいに位置する標高1,491 mの活火山で、少なくともAD1104年から20回以上は噴火が行われてきており、直近も2000年2月26日~3月8日まで噴火させている。ヘクラとはデンマーク語で「僧衣」という意味で、カソリック(キリスト教軍事総合商社)で司祭が僧服の上に重ねて着ているかっぽう着のような衣装のことだが、なぜ、そんなかっぽう着を身に着けているのかと言うと、宗教儀式として兵器の為の人体実験を兼ねた人身御供を行う際、血で僧服が汚れるからで、そのため、ヘクラ山はアイスランド人からは「地獄門」とも呼ばれている。ちなみに1882年に日本で最初に東京日本橋に料理学校を開いて大衆の健康に害となる料理を普及させるため(第116話『汚水』(注1)その7のフランベを参照)料理研究家の赤堀峰吉(あかほり みねきち)が考案し、2014年に理化学研究所の研究員の小保方晴子(おぼかた はるこ)氏が論文の不正やSTAP細胞(=Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency、頭文字を採ってSTAP、正式名称は刺激惹起性(じゃっきせい)多能性獲得細胞で、要するに病原菌の毒や弱酸性溶液などに細胞を(ひた)すとその刺激によって細胞が分裂して様々な機能を持って増えるというトンデモ学説)の嘘が発覚する前にマスコミから「リケジョ(理系女子または理化学研究所の略)の星」と持ち上げられ、写真撮影で着ていたかっぽう着もこのカソリック(キリスト教軍事商社)の伝統である人身御供(兵器開発の為の人体実験)の意味を込めて作られたものである。)を噴火させたことからこれが引き金となってスウェーデンを始め、当時、スウェーデン領にされていた現在のフィンランド、エストニア、ラトビア及びノルウェー王国などの北欧とスコットランドで大飢饉が起きることとなった。(The Seven ill Years 1695年~1699年)その経緯もほとんど朝鮮半島と同じで、エストニアでは1695年の6月~9月まで断続的に雨が降り続け、長雨で穀類がほとんど育たず洪水も起こり、翌年の1696年も冷害が続いてエストニアの人口の少なくとも5分の一が失われ、フィンランドも同じく(しも)や長雨などの冷害と洪水でライ麦が育たず餓死する人が続出し、人肉を(ほふ)るまでの悲惨な世情となり、スウェーデン王国の首都であるストックホルム市は餓死した死体で(あふ)れかえり、ここでも道を塞いでいたそうで、その困窮したスウェーデン王国の惨状を見てグランドツアー(=Grand tour、イギリスのジェームズ1世の長男、ヘンリー王子の道化役の従者を務めていたトマス・コリヤットが1608年にヨーロッパ各地を周遊し、海外の国情をイギリスに伝えた『Coryat's Crudities~Hastily gobled up in Five Moneth's Travels(邦題にすると『コリヤットが生でつかんできた海外情報~5か月間で一気に巡ったヨーロッパについて』1611年発刊)でそれまでイギリスにはなかった食事用のフォークや日傘または雨傘を紹介してその本がよく売れたためそれ以降、貴族や上流階級の子女を中心に20歳前後の若者達が従者などを連れてヨーロッパ視察旅行に出かける人達が増えるようになり、同盟国や仮想敵国などを視察することで各国が持つ食料や物資、資源の在り処がわかるだけでなく、軍備の状況を把握したり、直接、武器取引などもできるためグランドツアーはヨーロッパの王侯貴族達の間では半ば成人の儀式のように慣習的に行われることとなった。)にお忍びで来ていたロシアのピョートル1世は国力が弱っているスウェーデン帝国を潰せる絶好の機会と見てポーランド王と反スウェーデン同盟を結び、後に大北方戦争(=The Great Northern War、1700年~1721年)を仕掛けてきたことからスウェーデンはそれまで領有してきたラトビア、エストニアのバルト地方をロシア帝国に奪われることとなった。その北欧と共にヘクラ山に近かったスコットランドも火山噴火の被害に遭い、穀物価格が2倍以上に跳ね上がり、当時の人口の1割以上を減らすことになり、1690年代はずっと不作続きになったことと、上述の通り、スコットランド王とイングランド王を兼ねてきたスチュアート王朝が途中、断絶し、チャールズ2世を王位に就けて王政復古したものの、王室と議会が税源の配分で揉めて再びジェームズ2世から王権を奪い、娘のメアリー2世とその夫のオランダ総督のウィレム3世を王位に就かせる政権転覆(クーデター)を図ったため(第116話『汚水』(注1)その12の名誉革命を参照)王座を取り返そうとするジェームズ2世が国内だけでなく、海外でもヨーロッパ諸国を引き入れた戦争(人殺し)を始めたことで(9年戦争または大同盟戦争)スコットランドもその戦火に巻き込まれたことから農地はいっそう荒れ果てることとなり、一時は日本の満州農業移民百万戸移住計画(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)のような武装させた農民や元兵士達に南米のパナマに移住させて開拓させる計画も行ったのだが(ダリエン計画 1698年~1700年)自国の農地管理もままならないのに気候の違う南米に移住して農業などうまくいくわけがなく、自分達が原住民達を追い出す為に撒いたマラリア(第102話『腐敗 』(注6)参照)にかかったり、湿度が高く雨季や乾季がある熱帯雨林気候のパナマでの生活になじめず気力を失い、身体を壊していったようで、結局、そうした無謀な政策と戦争(人殺し)をし続けたためスコットランド議会の権威は失墜し、それまでのように王権や国政に口を出せる発言権を失ったスコットランドはイングランドに併合されることとなった。(グレートブリテン王国 1707年)一方、デンマークも飢饉の被害に遭いそうな地理的位置にあったのだが、なぜ、被害がひどくなかったかと言うと、それまでに散々、戦争(人殺し)してきて領土も広がらず利益らしい利益もなかったため他のヨーロッパ諸国と比べて絶対王政がデンマーク王国では既に衰退していて一般大衆が主導する交易や農業が盛んだったことと、ヘクラ山が噴火するちょうど10年ぐらい前からデンマークはユダヤ人移民を受け入れたことにより1600年以上にも渡って迫害され続け、何もない所から先祖伝来の文明(神が与えし智慧)でもって自分達の暮らしを支えてきたユダヤ人達の技能と労働力は(たぐい)まれなもので、これまで第112話『女傑』(注1)で話したエセ天文学者のウィリアム・ハーシェルが使っていた高品質のアイピース(接眼レンズ)を作ったのがユダヤ人だったり、第107話『革命(2)』(注2)その2においてドイツのナチス党がユダヤ人達を強制収容所に送ったのはユダヤ人達の持つ文明(神が与えし智慧)に基づいた知識や技術を引き出す為とも話した通り、後ほど詳しくお話ししようと思うが、彼らユダヤ人達を自国に受け入れることはある意味、国家経済を活性化させる政策の一つであり、それだけ国家経済を大きく飛躍させられるだけの力量が彼らにはあったからで、キリスト教やユダヤ教といった軍需産業の為に創設された宗教教義における制約や差別、偏見がなかったら、また、そうした迫害によって心がねじれて犯罪や悪知恵に走るペトロ(第69話『共存』の両替商を参照)やパナマ運河疑獄事件で賄賂の受け渡しや暗殺などの犯罪を請け負っていたアルトン(第113話『内部者』(注1)参照)のような悪徳金融業者、アメリカのトルーマン大統領(第116話『汚水』(注1)その8参照)などの欧米白人種の戦争(人殺し)や軍拡に加担するユダヤ人達がいなかったら、ユダヤ人達ほどヨーロッパのあらゆる国々の経済に貢献してきた民族はいない。だが、そうした彼らの功績が今でも高く評価されないのも王侯貴族を始めとした特権階級の軍拡志向とそれに沿って創られたゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教系の宗教が捻じ曲げてきた聖書への誤解があるからで、その嘘だらけの聖書解釈の為に殺人犯や強盗犯、詐欺師の多くに国権や特権を明け渡し、王侯貴族のような特権階級に祀り上げ、自分達の生命線となる田畑を始めとした産業基盤を兵器の為に破壊させ、何百万人、何千万人の餓死者や病死者、戦死者を出す不幸や災難を招くことになったのだからこれほど罪深いことはない。ともかく、心あるユダヤ人達がこの時、デンマークにいたからこそユダヤ人同士のお互い助け合おうとする精神でもって近隣に住むドイツやオランダから食料や物資をかき集め、それをユダヤ人達だけでなく、デンマーク人達にも分け与えたからで、さらにそのユダヤ人達の親切心を素直に感謝し、彼らを快く受け入れ、その活動に協力しようとするデンマーク人達も中にはいたからこそ、デンマークは大飢饉をどうにか乗り越えられたのであってその彼らの“慈愛”(=Zion)という神から与えられた人らしい心がなかったら誰も生き残ってなどいけなかっただろう。むろん、少なくなった食料や物資を自分達の宝庫に山と備蓄し、自分達、特権階級だけが生き残ろうと大衆に分け与えることなく、逆にケチる(節約する)為にモンゴル帝国から習い覚えたペスト菌(黒死病)を飢饉が起きる度にばら撒くような(The second plague pandemic 14th century to 18th century)軍事力(暴力)以外に生計手段がない王朝(政府)の恐怖政治では労働力や技能が絶滅することはあっても国が再興するなど到底、あり得ない。それが身に染みてよく分かったからこそ徳川家康を始め、徳川幕府は戦国時代に終止符(ピリオド)を打ち、基本的に天下泰平(全国民が平和に安全に暮らせる社会)と武断政治(武力(暴力)を絶って法律に基づいた政治。第116話『汚水』(注1)その6参照)を目指していたため大倭朝廷(現、皇室)が火山噴火や疫病(生物(細菌)兵器)を撒くなどして武断政治を妨害し、身の程知らずな政権交代の野望を抱いて勝手気ままな軍拡を行い、それによって災害や飢饉が引き起こされる度に徳川幕府は救い小屋(食糧及び救援物資の配給)を始め、生活費や税金(年貢)の工面をする為に一般国民(農民)の財産であり、生計基盤である田畑(不動産)を担保に借金して永続的に大倭朝廷(現、皇室)の手先の大名や地頭達に子々孫々までしつこく脅され続けないよう田畑永代売買禁止令(第116話『汚水』(注1)その6参照)も定めた訳で、延宝の飢饉が起きた時も幼少から流刑となった囚人の食事を心配して「なぜ、処刑せず生命を助けて流罪にしたのに餓死させるような真似をするのか」と家臣達を鋭く批判し(1709年(宝永6年)発刊の徳川家の暴露本『武野燭談(ぶやしょくだん)』5巻参照。作者は不詳とされているが、恐らく戦国時代の茶道家(第116話『汚水』(注1)その3の闘水または闘茶を参照)の千利休(せんのりきゅう)の師匠であり、一向一揆などの暴動で知られる一向宗(いっこうしゅう)の信徒でもあった武野紹鴎(たけのじょうおう)の子孫や弟子達が徳川家のお伽衆(とぎしゅう)(道化役の従者)などによく雇われていたらしいので大倭朝廷(現、皇室)に徳川幕府内の内情や醜聞(スキャンダル)を知らせる為に書いた本と思われる。)、それを聞いた父、家光が子供でありながら大人でも気づかない細かい所まで気配りができ、大人にも臆せず正しい疑問を理路整然と問いただせる賢さ、さらに誰からも顧みられず忌み嫌われるだけの囚人にも温かい心を向ける心根の優しさに感心し、跡取りに決めたという四代目将軍の徳川家綱(とくがわ いえつな)が実質、国政を行っていたからこそ、地球規模の天災が起きている最中にも国民殺しの為の軍拡と子作りに励むだけの能天気な大倭朝廷(現、皇室)でさえ何とか生き残っていける食料や物資が手に入ったのであって、そうでなかったらとっくの昔に処刑されているか、戦国時代に織田信長の寄付がなければ天皇の身分にもなれなかった正親町(おおぎまち)天皇のように(第116話『汚水』(注1)その5参照)何も送らずそのまま見捨てて餓死させても良かっただろう囚人同然の大倭朝廷(現、皇室)に情けなどかけていられる状況ではなかったと思うが、何せ誰に対しても優しく賢すぎた家綱は自分の身を削って無理をして公務に明け暮れ、何事も穏便に済まそうとしたことと、父親の家光が治世の後半で大倭朝廷(現、皇室)との攻防戦と自分の立場の矛盾に悩んで妥協点を探る融和政策を採るようになったことで(第116話『汚水』(注1)その6参照)11歳で将軍職を引き継いだ家綱は幼心に残された父親の政策をそのまま踏襲してしまい、断ち切るべきだった武力(暴力)の連鎖と国家(共同社会)に巣食う寄生害虫と言うべき大倭朝廷(現、皇室)との悪縁を温存してしまった。その家綱の寛容を弱さと勘違いした大倭朝廷(現、皇室)は将軍に就任した時から彼を子供と思って舐めてかかって増長し、さらに幕閣や大名達を悪党仲間に引き入れて国家(共同社会)を蝕む害虫の数をいっそう増殖させ、火山噴火に加え、明暦の大火(第116話『汚水』(注1)その7参照)のような都市機能と共に産業基盤を破壊して麻痺させる兵器実験を始め、親戚であるアイヌ民族を焚きつけていざこざを起こさせて蜂起させ、幕府軍と戦わせたり(シャクシャインの戦いまたは寛文蝦夷蜂起1669年)、欧米諸国と武器密輸が大っぴらに行えるよう徳川家康から断られているイギリス王室(政府)の交易船(第116話『汚水』(注1)その1の三浦按針を参照)を再び招き寄せたり(リターン号来航及び通商請求事件1673年)、家光の時代に島原の乱(1637年~1638年。第116話『汚水』(注1)その6参照)で武器供与を行い、戦国時代の1557年に豊後(ぶんご)(現、大分県)の藩主だった大友宗麟(おおとも そうりん)(第116話『汚水』(注1)その12のカボチャを参照)の領内にて初めて生体実験を密かに行う西洋式の病院や乳児院を教会と併設して創った(現、大分市医師会立アルメイダ病院)ポルトガルの武器商人でイエズス会のメンバーでもあるルイス・デ・アルメイダを招へいし、豊後(ぶんご)(現、大分県)にあるエセ病院と似たような病院(現、国民健康保険平戸市民病院)を自分達の領内にも建てさせて江戸時代以降も徳川幕府に隠れて人体実験を行わせていた平戸藩(現、長崎県)の藩士だった田川七左衛門(たがわ しちざえもん)を祖父に持ち、後に滅亡した明王朝の後継者を名乗って台湾で清王朝に盾突き、挙兵するようになった中国人と倭族(在日北朝鮮人)の混血児(ハーフ)で海賊の鄭成功(てい せいこう)が東南アジアにおける大倭朝廷(現、皇室)の武器密輸ルートの中継点になるべく鄭氏王朝(1661年~1683年)を興したためこの大倭朝廷(現、皇室)の傀儡政権が度々、日本にやって来てはようやく無法な武力(暴力)中心の恐怖政治から人らしい慈愛(=Zion)や正義に基づいた法律中心の文明社会を築こうとしていた徳川政権に再び野武士や海賊が闊歩(かっぽ)し、人殺し(戦争)や強盗、強姦などの犯罪ばかりで誰もまっとうに働かず、国土が荒む一方だった戦国時代に逆戻りさせるだけの無益な戦争(人殺し)に軍事支援を求めて誘ってきたりと次から次へと嫌がらせを含んだ厄介事を引き起こすようになった。その間、地球規模で起きている天災や飢饉と併せて表向き忠誠を誓って従うと約束した徳川政権と大衆(一般国民)を密かに裏切り、大倭朝廷(現、皇室)につき従ってこれらの揉め事や厄介事、嫌がらせや暗殺を仕掛けてくる幕閣や大名達に不当に文句や陰口を叩かれたり、政策にもいろいろケチをつけられて邪魔され、突き上げられながらただ一人、家綱だけがめげずに自分の身を削ってでも孤軍奮闘していたおかげで飢饉の際は父親の家光に倣い、農民(一般国民)が借金で田畑を切り売りして結局、なし崩しに大倭朝廷(現、皇室)の手先の大名や地頭、庄屋らに大事な不動産(農地)を奪われ、自主経営ができた本百姓の身分から水呑み百姓(小作人、現代で言う派遣社員や非正規雇用者。第107話『革命(2)』(注2)その3参照)に中小零細経営の農民達が没落しないよう小規模の田畑の分割相続を禁じる分地制限令を発布して年貢(税金)の方を軽減したり、免除させるよう大名達を牽制(けんせい)したり、アイヌ民族の部族長のシャクシャインが交易の分け前を巡って蜂起した時も単に武力鎮圧しただけに留まらず、弥生時代に支那人(大和民族)達によって建てられた古墳(林業を兼ねた工場)を真似たチャシ(=잣、中世韓国語は「要塞」または「松の実」という意味だが、古代韓国語は“栢史(かし)”、ブナ科のカシワ(柏)の上に漢字の一を入れて(かしわ)の作り方を真似した木=(かや)(かや)とも書く)と呼ばれるイチイ科の針葉樹のことであり、松の木とブナを交配させた木が(かしわ)だが、松の木と人類誕生以来の生物(細菌)兵器であるソテツ(創世記3章及び第116話『汚水』(注1)その3参照)を合わせて作ったことから栢史(かし)=「柏を真似て松の木と先祖伝来のソテツ(蘇鉄)を合わせて作ったカヤやイチイ、チャボガヤの砦」が本来の意味で、言うまでもなくどれも猛毒の木だが、ソテツと同じくカヤの実は天日で数日間、干したり、土に埋めて発酵させたり、灰汁(あく)抜きしてから煎るか、蒸して加熱すれば食用になり、イチイの実も種子以外の果肉の部分は毒が少なくどうにか食べられるためアイヌ民族は支那人(大和民族)達が松やブナ、(かしわ)などを栽培し、森の畑を築いてそこからどんぐりや松の実などの木の実を食料や家畜の餌にしたり、材木を燃料にする他、須恵器(陶器に近い土器)などの工業製品も作っていた古墳(大規模工場)を模倣し、自分達の兵器工場としてチャシ(栢史(かし))を造ったようで、そのためイチイの実をアイヌ語でアエッポ「我らの食い物」、材木をクネニ「弓になる木」と呼んでいたそうで、本州では7世紀からとっくに途絶えていた古墳ならぬそうした兵器工場を中世まで建ててそれで生計を立てていたらしく、古代の(すた)れた兵器を売り、手間暇かけて灰汁(あく)抜きしても発がん性があって心臓麻痺や呼吸困難、血圧や筋力の低下、肺病なども招きやすい有毒なイチイ科の実を食べ続けていたのだから倭族(現、皇室)と血縁関係にあるアイヌ民族が時代や世の中の動きについていっていない文盲な発展途上蛮族だったことは間違いない。)に(こも)って粗雑な作りの毛皮に(わし)(たか)の羽、漁業技術が低くて漁獲高が少ない上、質の悪い鮭やニシン、昆布といった到底、需要(買う客)など見込めそうにない零細産業で細々と食い繋ぐだけが精一杯の彼らの窮状を察し、そんな価値のない物産品を持ってきても米や木綿、農具などの鉄製品、漆器(しっき)などと交換してその製法も徐々に教えて職業訓練を施し、さらに大倭朝廷(現、皇室)と結託してアイヌ民族の中でも決まった部族だけを贔屓(ひいき)して取引し、武器密輸の仲間に引き入れようとする松前藩(第116話『汚水』(注1)その7の山丹交易を参照)の独占をそれとなく止めさせるため松前藩の役人による直接経営から民間の商人達を多く参画させて松前藩の役人達の代行業者として運営させる場所請負制度、現代で言う委託代行業制を導入し、アイヌ民族の雇用の充実を図って徳川幕府への不満を抑え込む懐柔策を行ったため安定した収入と自分の能力や存在価値を大事にしてもらえる仕事を提供されて未来への希望が持てるようになったアイヌ民族も江戸時代初期の牢人達(第116話『汚水』(注1)その6参照)のように次第に軟化する人達も出るようになり、幕府への反発心も消えていった訳で、それだけきめ細かく相手の立場を思いやり、考え、目立った物言いや派手なパフォーマンスはできなくても思慮深く慈愛(=Zion)に満ちた家綱らしい采配がなかったら、同じ血縁関係にあって時々、自分達の都合で戦争(人殺し)にも駆り出し、その生命も戦地で張ってもらいながら報酬はもちろん、保障らしい保障も味方であるアイヌ民族にさえ与えない思いやりも思慮の欠片(かけら)もない大倭朝廷(現、皇室)の愚政ではアイヌ民族同様、この飢饉や天災の最中ではすぐに共倒れになっていただけで日本という国家(共同社会)そのものもとっくの昔に消滅していたかもしれない。むろん、国家(共同社会)を乗っ取って甘い汁を吸うだけが目的の強盗集団の大倭朝廷(現、皇室)にそんな思いやりとか思慮を求めるのもおかしいかと思うが、それでもせめて強盗ならば他の強盗を呼び寄せたら分け前が減るかもとの常識ぐらいあってもよさそうなものだが、そうした常識も大倭朝廷(現、皇室)には全くないらしく、前回、元寇(モンゴル帝国軍の日本侵略。第116話『汚水』(注1)その3参照)を呼び寄せた時はまだモンゴル帝国がその当時、世界的な軍事大国で広大な領土があってそこから食料や物資、資源のおこぼれがもらえそうだったからと言い訳できたかもしれないが、今回、家綱の時代に呼び寄せたイギリスは財政破綻や食糧難で一旦、王室が滅亡して既に内戦状態に陥っており、その後、アメリカ大陸を乗っ取って植民地から食料を強奪し、食い繋げるようになったと言っても自国だけでは自国民を養っていけないから植民地漁りをしていた訳で、そんな日本以上に貧乏な国の王室(強盗)を呼び寄せたらもっと争いが増えてアメリカで原住民達が殺され、迫害されていったように国土を荒らされ、現代の日本でも毎年のごとく米兵達に女子供が強姦されたり、殺される一方、過剰な内政干渉や特権及び税配分を求められ続けるように、それでなくても飢饉や天災で食料も物資も枯渇している最中なのにイギリス王室(政府)まで引き込んだらもっと貧乏になるだけとの当たり前の考えすら浮かばなかったどころか、以前、ジェームズ1世の交易船が来航して徳川秀忠(とくがわ ひでただ)に通商を求めてから既に半世紀以上も経っていて、すっかり事情も変わっているのにまだあの時のスチュアート王朝が安定的に存続していると思い込んで最新の海外情勢や強盗仲間に入れるつもりの相手の財政状況をよく調べもせず呼び寄せたようで、よくそんな稚拙な能力で政権交代して一国を預かり、自分達で運営しようなどと恐れも不安も抱かず無謀でしかない野望をしつこく持てるのか、どこからその過信や自惚(うぬぼ)れが大倭朝廷(現、皇室)の頭に湧いてくるのかほとほと理解に苦しむが、前回の元寇は神からの助けと言える神風が吹いてくれたおかげで何とか日本は独立国のままでいられたが、今回は良心(神の精神)を持って国政を行っていこうとする家綱がいてくれたからこそ問題ばかりを起こす大倭朝廷(現、皇室)の後始末に追われる忙しい国務の合間を縫ってオランダ商館から取り寄せた報告書(『阿蘭陀風説書(オランダふうせつがき)』1641年から入港の際は必ず幕府に提出することになっていた。)まで抜かりなく読んでいたためすぐにイギリス王室(政府)が内戦状態にあることやカソリック(キリスト教伝統派)と決別してプロテスタント(キリスト教新興派)を推し進めてきたイギリス王室(政府)がこれまた強固にカソリック(キリスト伝統派)教国を標榜(ひょうぼう)してきたスペイン王室(政府)と結婚同盟を結んだことまで分かり、イギリス王室(政府)が宗派替えをしてでも他国と手を結ぶのはそれだけ形勢が不利と見てそんな時に交易などすればイギリス王室(政府)の同盟国や植民地とみなされ、他の国々から攻撃されかねないとイギリス王室(政府)に危機感や警戒感を家綱が持ったからこそしっかりと無駄な通商条約を断れたのであって、この時、家綱が不利で無益な条約だろうと欧米諸国から資金や武器供与を申し出られたらすぐに乗って欧米諸国の要求に何でも従うしか能がない明治政府(皇室&自民党軍事政権。第104話『蒙昧』(注2)参照)のように愚鈍だったらすぐにアメリカやインドその他の国々と同様、日本も欧米諸国の戦地にされて滅茶苦茶に荒らされ、目ぼしい食料も物資も何もかも強奪されて滅亡していたかもしれない。幸い、家綱は大倭朝廷(現、皇室)には政務を幕閣に任せっきりで「左様(さよう)せい」と言うだけのバカ殿にしか見えなかっただろうが、実際は「能ある鷹は爪を隠す」(第72話『疑心』参照)の(ことわざ)の通り、誰よりも優秀な能力を強靭(きょうじん)な精神力でもって周囲の嫉妬を買って生命を狙われないよう隠していたのであってこの家綱がこの時、国権を握っていたからこそ以後、徳川幕府体制が腐敗して自然消滅し、大倭朝廷(現、皇室)に乗っ取られる大政奉還までの200年近くも欧米人達が世界各地を股にかけて暴れまくり、様々な陰謀や戦争(人殺し)を仕掛けて無法地帯と化す国際社会の中でただ一つ、鎖国(孤高)を貫く法治独立国家として日本を維持させることとなった。しかし、そうして一生懸命、自分達の国(共同社会)を守ろうとする家綱の苦労も知らず相変わらず武力(暴力)を振り回していれば誰もがひれ伏し、支配者になれると夢想する能天気な大倭朝廷(現、皇室)はコソコソと火山噴火や放火といった軍拡を止めないためそれによって起きる災害対策まで家綱は頭を悩ませなければならず、将軍に就任してから6年後、家綱が17歳の時に起きた明暦の大火(第116話『汚水』(注1)その7参照)も大倭朝廷(現、皇室)の暴挙の一つだが、この時も彼が江戸という都市空間を密集させず所々、空地を設けて火災を隣家に燃え移りにくくしたり、瓦ぶき屋根や土蔵造りといった耐火建築も奨励し、料金を払ってくれた保険加入者だけを守る為に設置されたイギリスの消防署(第116話『汚水』(注1)その1参照)と違って民家も武家屋敷も関係なく無償で消火や救助活動を行う定火消(じょうびけ)し(消防隊)を税金で設置したため毎年の恒例行事のように放火を行う大倭朝廷(現、皇室)の暴虐非道なテロ災害にも耐えれるよう江戸(現、東京)を始めとした都市機能を強化させていったのだが、火災の他に災害対策として行ったのが『諸国(しょこく)山川掟(さんせんおきて)』と呼ばれる地滑り、がけ崩れ、土石流対策と洪水対策を兼ねた治水事業で、この当時、燃料、建築及び産業資材は材木が中心で林業は主要な国家産業だったのだが、第116話『汚水』(注1)その6で話したように徳川幕府の成立以降、最初の百年間だけで269件もの放火が起きていて、その復興の度に急増する材木の需要に対応するため森林が乱伐されることになり、あちこち木が切られてハゲ山になった場所から地滑りやがけ崩れ、土石流が発生し、さらに川近くであれば洪水も起きることからこれを防ぐ為に定めたのがこの『諸国山川掟』で、現代で日本政府(皇室&自民党軍事政権)の国土交通省が定めた山から水を抜く抑制工法やコンクリートの壁などで抑える抑止工法とは真逆に木の根株を取り除かせずむしろできるだけ木をたくさん植えて樹木にも保水させ、山全体の水分量を増やして土壌を固めさせる方法で、さらにこれも日本政府(皇室&自民党軍事政権)とは違って目先の儲けを優先して土砂災害が起こりそうな場所に田畑や宅地、建物の建築許可を下ろさずそうした危険な場所に家や田畑を建てないよう禁じる法律でもあり、その結果、今でも日本の国土の7割を森林が占めるほど豊かな自然と水資源に恵まれることとなり、第116話『汚水』(注1)その7に出てきた尾張藩の側室の福が考えた巣山や留山(とめやま)留木(とめき)の制度が活かされて林業が盛んになると同時に田畑も土砂災害や洪水に遭わずに済んで米やその他の農作物の収穫高も上がり、さらに人や野生動物の双方が森林から採取した木の実まで食べられるようになるのだから腹をすかして里まで餌を探しに下りてくる熊や猪などの害獣に田畑を荒らされたり、襲われる心配もなくなる。もちろん、山に木が多く繁れば水や空気が浄化されて気象(大気の状態や変化)や気候(大気の循環)もいくらか安定し、地球規模の天災が起きていてもその清浄な環境を保っている限り、日本だけは異常気象の被害から免れやすくなる。しかも、この『諸国山川掟』によってもたらされた相乗効果は林業や農業だけに留まらず山の環境を改善したことで第116話『汚水』(注1)その17で話した秋田県のだんぶり長者が残した金や銀などの鉱山資源も活性化させることとなった。そのため、大倭朝廷(現、皇室)が徳川幕府の財源を枯渇させて倒幕しようと様々な攻撃を仕掛けてしょっちゅう都市や産業基盤が壊されながらもどうにかこうにか200年近くも自給自足の生活ができており、欧米諸国のように植民地からの食料や物資に頼らなくても大倭朝廷(現、皇室)を含めて自国民を養える国力があったわけで、それをこの家綱一人が考えて指示していたとは大倭朝廷(現、皇室)はもちろん、家綱と毎日、顔を合わせて一緒に仕事をしている幕閣達もほとんど気づいていなかっただろうが、それぐらい家綱は優秀過ぎたためかえって何でも一人で抱え込んで激務をこなそうとしたことが仇となり、また、大倭朝廷(現、皇室)から献上品を装って送られてくる毒入りの菓子や食材を始め、家綱の善政により雇用や生活水準が改善されてずっと暮らしやすくなったにもかかわらず、その恩義が大倭朝廷(現、皇室)の親戚であるアイヌ民族も相変わらず分からないようで大倭朝廷(現、皇室)に命じられるがまま今でも和製アーモンドと称されて売られているカヤの実を灰汁抜きせずそのまま詰めたカヤ飴を献上してきたことからこれを家綱がつい、うっかり食べてしまったことも手伝って結局、それまでに食べさせられてきた有害な食事と激務から来る過労死に近い心臓発作で39歳という若さでこの世を去った。それでも彼が11歳から将軍を継いで28年間に残した功績は数知れず、生前には気づかなかった幕閣達も家綱を失ってみて初めて彼の有能な指揮によっていかに自分達の暮らしが楽になったかが分かったらしく、身の程知らずな大倭朝廷(現、皇室)が家綱と同じく生物(細菌)兵器を家綱の妻や側室にも送って妊娠しても流産や死産をさせていたため子のないまま家綱が急死したことをこれみよがしに喜び、早速、政権交代できるものと自分達の血縁の中から徳川家と関係のありそうな者を洗い出し、たまたま徳川家康のひ孫と結婚していたらしい有栖川家(ありすがわけ)の子孫である幸仁親王(ゆきひとしんのう)を推挙してこれに将軍職を継がせて実権を握ろうとしたのだが、既に徳川幕府体制で安定した暮らしや地位を得て不満もないのに常に武力(暴力)と神の子孫を自称する大倭朝廷(現、皇室)独自の宗教による脅しと心理的な圧力以外にこれと言って大倭朝廷(現、皇室)を実質的な主君にする利点はなく、まして軍拡、軍拡でしょっちゅう金を兵器に注いで金欠になり、献金ばかり求めてくる大倭朝廷(現、皇室)に実権を握らせたらすぐに財政破綻することは目に見えていたため幕閣の誰もが反対し、結局、そのまま徳川幕府体制が続くことになったものの、幕閣達も大倭朝廷(現、皇室)と同様、国家(共同社会)の甘い汁だけ吸って生き残ることしか思いつかない寄生害虫に過ぎなかったため家綱の残した偉業を引き継げる者が誰もおらず、それゆえ、徳川幕府はそれ以降、ひたすら家綱が作った社会制度の恩恵にすがって生計を立てるしかなくなった。そして、その恩恵の一つがこの『諸国山川掟』という国策として行われた治水事業であり、大幅に国の税予算も割り当てて行ったことからこれに大倭朝廷(現、皇室)を始め、幕閣や大名達もその利権の旨味を狙って積極的にこの事業に乗り出した。しかし、家綱の意向がまるで分かっていない幕閣や大名達が治水事業を行っても大衆(国民)の暮らしや安全を守ったり、改善してそこから利益を増やそうとせず、できるだけ目の前にある税予算を自分達の懐の中にしまい込もうとしかしないためまるで古代で治水工事をしていた共工や(こん)達のように(第116話『汚水』(注1)その19参照)安い価格で仕上がるはずの作業をわざと高く見積もったり、だらだらと無駄な工事を引き延ばし、やるべき工事は全く手をつけなかったりと治水事業を大義名分にしてあらゆる不正の温床に仕立てただけだった。だから、家綱が存命だった時も曾祖父の家康の代から現在の東京都と埼玉県を流れる荒川(全長173km、流域面積2,940 km²)と合流して江戸湾(現、東京湾)に流れていた利根川を新たに造った水路や水量の少ない河川に付け替えながら古代に田畑を冠水させて農業を行っていた頃のままで氾濫しがちだったため流域をもっと広げて新しい田畑や村々に水を供給することで洪水対策を行うと同時に現在の利根川の河口となっている千葉県の銚子市や太平洋まで水路を延ばして水上交通の利便性も良くする治水事業を行っていたのだが(利根川東遷事業)、この事業がいい金づるになると見た大倭朝廷(現、皇室)は子飼いの幕閣や大名達を暗躍させ、工事資材の横流しや上前を跳ねることはもちろん、治水工事をわざと失敗させたり、日数を引き延ばして費用を嵩上げしたり、洪水や土砂崩れなどの災害が起きやすい場所に家や田畑を新設させて災害が起きる度にそれを復興事業と称して再工事を行い、二重に費用(税金)が支払われるよう仕向けていたことから結局、洪水を防ぐどころか江戸(現、東京都)から被災地を変えて現在の千葉県の印旛沼(いんばぬま)付近にあった佐倉藩(現、佐倉市)の領内で洪水が頻繁に起きるようになった。それもそのはずで元々、印旛沼(いんばぬま)が総面積9.43㎢、平均水深1.7m、そこから車で西に40分ほどの所にある手賀沼(てがぬま)は総面積4.02㎢、平均水深0.9m、さらにそれまでの付け替え工事で茨城県から印旛沼方面に流れてくる全長111.8km、流域面積1,043.1km²で、河口近辺にはこれまた総面積3.49㎢、平均水深1mの太田沼(現、牛久沼(うしくぬま))とも繋がっていて利根川に負けず劣らず洪水の多い暴れ川で知られる小貝川(こかいがわ)をわざわざ利根川に合流させてしまっており、その上、もう一つ、茨城県から流れてくる鬼怒川(きぬがわ)(全長176.7km、流域面積1,760.6km²)とも合流させたため大雨が降ればものすごい勢いで印旛沼に流れてくることになり、加えて折しも地球規模の天災に見舞われて豪雨の頻度も増していた最中なのだから佐倉藩領内は洪水や大雨による不作や凶作に見舞われることとなった。そのため、年貢(税金)が納められない農民達が増えたことから佐倉藩二代目藩主の堀田正信(ほった まさのぶ)に免税や減税を願い出る者が続出したのだが、堀田はこれを無視し、それどころか大倭朝廷(現、皇室)への献金のやり繰りにあくせくしていたため年貢(税金)を減らすどころか逆に増やしてきた。これにはさすがに所得が低い水呑み百姓(契約社員)だけでなく高所得の本百姓(または高持百姓(たかもちびゃくしょう)。正社員)でも応じられなくなっていたことから農民達を代表して領内の名主(または庄屋)達が佐倉藩に何度も掛け合い、減税を訴えたのだが、却下され、さらに直接、藩主の堀田が駐在する江戸(現、東京都)の藩邸にまで出向いて直訴してもやはり門前払いにされて、どうにも八方塞がりになったところへ家綱が父、家光の頃に日本地図(日本六十余州(よしゅう)国々切絵図(くにぐにきりえず))の作成と諸藩の内政を視察する国廻り派遣(または巡見使(じゅんけんし)制度)を行っていたことに倣い、自分も本格的に国廻り派遣(巡見使制度)を復活させようと巡見使を抜き打ちで佐倉藩に送り込んでいたことからその巡見使が木内惣五郎(きうち そうごろう)という元武士らしい百姓から例の年貢(税金)の減免願いの顛末(てんまつ)を聞き出した。そうしてその巡見使から重税の件のみならず、頻繁に洪水が起きている事も報告された家綱は何が佐倉藩内で起きているか気づいたためそれまでの悪事や大倭朝廷(現、皇室)への軍資金供与が露見しそうになった堀田は突然、「幕府が利根川の付け替え工事を推し進めたせいで自領内が氾濫して洪水となり、多くの領民達が困窮することになったようだから私が領地を返上(寄付)するのでそれでもって彼らの窮状を救ってやってほしい」などと偽善の申し出書を残して江戸(現、東京都)の藩邸から姿をくらまし、返上(寄付)すると言ったはずの佐倉領内に勝手に逃げ込んだ。そのため、同じ白水真人(はくすいしんじん)(大倭朝廷(現、皇室)に軍資金を貢がされるだけの家臣)同士、その資金繰りの苦労が分かるだけに老中の松平信綱(第116話『汚水』(注1)その7参照)が謀反(国家反逆罪)で処刑されてもおかしくない堀田をかばって何らかの精神的な病に(かか)ったんだろうと無理やりこじつけ、事件をうやむやにし、結局、領地没収だけで済んだ堀田は弟や叔父の下で預けられることとなったが、その後もいろいろ大倭朝廷(現、皇室)にこき使われていたらしく、獄中同然の蟄居閉門(ちっきょへいもん)の身でありながらそこを抜け出して京都の清水寺や京都府八幡市にある石清水(いわしみず)八幡宮を参拝して廻り、そこで兵器を受け取った後、1677年(延宝5年)11月4日にはかつて自領があった房総半島に出没し、延宝房総沖地震を起こして沿岸部に住む漁民達を中心に少なくとも300人以上の死傷者と1,000軒近くの家屋を地震や津波によって倒壊させている。しかし、所詮、用済みになれば殺されるのが大倭朝廷(現、皇室)の臣民に定められた義務(悪魔の法)なので利根川の治水工事の件と房総半島で地震が起きる前に大倭朝廷(現、皇室)の住む京都に来ていたことが幕府に露見したことがどうにも許されなかったらしく、かつて幕府を批判する文書を残して自領に逃げたぐらい家綱の考えを嫌って否定していた堀田がなぜか家綱の急死を受けてその死を(いた)み、切腹ではなく、ハサミで自分の喉を突くという武士にしては変わった形の自害で殉死することとなった。なお、偶然、巡見使に佐倉藩の内情を告発する形になり、手柄を立てた木内惣五郎の名前は佐倉惣五郎にすり替えられた後、二年後の黒船来航を画策して(第116話『汚水』(注1)その1のサウス・シー・バブル事件を参照)倒幕を狙っていた大倭朝廷(現、皇室)が1851年に『東山桜荘子(さくらそうし)』という演目で歌舞伎を打たせたことから有名になり、その芝居の中で幕府の政治がいかに悪政かをプロパガンダ(大衆洗脳宣伝)すると共に明治政府(皇室&自民党軍事政権)の発足後、自分達の政府(皇室)や政治に対して批判や直訴などを行った場合は処刑するとの暗黙の脅しも脚本に盛り込ませたため惣五郎は寺に参詣に行く家綱の(かご)に突進して直訴したことで幕府の護衛の者に捕らえられ、妻子共々、処刑された後、その恨みから怨霊となって堀田家に(たた)り、これを断絶させたと言い伝えられているようだが、そもそも内部告発させる為に国廻り派遣(巡見使制度)を行っていた家綱に告発者の惣五郎を殺す理由はどこにもなく、むしろ徳川幕府への意見や批判、考えをどしどし募ってそこから改善策や画期的な政策案を創り出したかったわけで、家綱の死後、将軍職を引き継いだ徳川綱吉(第116話『汚水』(注1)その7参照)以降、各藩を視察してその内政を「美政、中美政、中悪政、悪政」の4段階で評価する巡見使が今度はその権威を笠に着て賄賂や接待を受けて何が悪いとふんぞり返り、もらった賄賂を大倭朝廷(現、皇室)に回して各藩の評価を粉飾するそんな建前でしかない監査と称した賄賂の徴収事業をしたかったのではなく、あくまで大衆(国民)の真実の声、生の本音が聞きたかったからで、それを知らなければ各地で実際に起きている問題や争いの種は何も解決しなければ、大衆(国民)一人一人が心から望んでいる要望にも全く応えられえない。だから、家綱は巡見使を通じてその真実の声、生の本音を惣五郎から聞き出したからこそその声が政策に反映されることになり、実際に佐倉藩に住む農民達(国民)が望んでいた年貢(税金)の減免が行われた上、洪水が頻繁に起きる問題も解決しようと利根川の水路を一旦、印旛沼に流れ込まないよう閉じる工事も1666年に行われ、同じ年に『諸国山川掟(さんせんおきて)』も発布されて洪水や土砂災害の起きやすい場所に新しい田畑や家屋などを造成することは禁じられるようになった。だが、その皆が楽に豊かに儲かって誰も争う必要もなく安全に暮らせるようになる為の法律を素直に聞き入れず、善人ぶることで世間から敬われようと口先だけ法律順守だの公約だのと誰よりも盛んに唱え、実際は誰よりも真っ先にそれらを破り、悪事や犯罪をうやむやにして自分達の要望だけを皆に押し付ける悪法にすり替え、自分達の武力(暴力)や自分達ででっち上げ、改鋳し、金種を変えて(かさ)増ししてきた贋金(にせがね)を含めたあらゆる硬貨や紙幣といった金銭だけがこの世のあらゆる問題や争いを解決し、人間はもとより、地球の全ての生物及び自然、宇宙も支配できると妄信し続けているのが大倭朝廷(現、皇室)を始めとしたゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達なので、家綱が定めた『諸国山川掟』も国民の生命及び財産を守る責任を負う老中として久世広之(くぜ ひろゆき)稲葉正則(いなば まさのり)阿部忠秋(あべ ただあき)酒井忠清(さかい ただきよ)と自分達でその法律に署名、捺印し、これを守ると誓って大衆(国民)に公布しておきながら全く守らない。そのため、せっかく洪水被害をなくし、安全に生かして永続的にどんどん利益を上げてもらう為の国の宝と言うべき大衆(労働者)と田畑などの産業基盤(インフラ)を大倭朝廷(現、皇室)やその家臣達は目先のあぶく銭を稼ぐ為とそのあぶく銭を注いで作った自分達の武力(暴力)を誇示してくれる玩具(兵器)の為にわざわざ災害が起きそうな場所に田畑や家屋を造成してそれを大衆(国民)に売りつけ、洪水が起きないように閉じたはずの利根川に日本で最大の面積を持つ琵琶湖(669.26㎢、平均水深41.2m)に次いで二番目の水量を持つ茨城県の霞ヶ浦(かすみがうら)(面積220㎢、平均水深4m)まで付け足し、水量が少なくしょっちゅう生活用水や農業用水の不足から争いが絶えない総面積約90,000ha、千葉県の2割を占めるほど広大な九十九里平野には今でも太平洋戦争の食料不足を解消する為に急ごしらえで造った大利根用水(給水面積約10,370ha、千葉県佐倉市ぐらいの広さ)と両総用水(給水面積約20,000ha、富山県魚津市ぐらいの広さ)があるだけでそれでも広い九十九里平野に利根川の豊かな水を3割ほどしか与えようとせず、わざと利根川をいつまでも氾濫させるよう仕向けて新しく干拓して造成した田畑や家屋を洪水や土砂災害に遭わせては復興事業を装って何度も工事費(税金)を着服し、そうして利根川のみならず、日本全国津々浦々、自分達の玩具(兵器)を仕掛けては地震や津波、洪水や火山噴火、放火などの官製テロを行いながら大倭朝廷(現、皇室)が実権を握って日本を支配し、贅沢三昧な暮らしができる未来を夢見て“国の宝=国民と国土”を破壊し、枯渇させていく。だから、年々、倍増していくそうした官製テロと税金の不正詐取により徳川幕府も財政破綻していき、贅沢な暮らしどころか、大倭朝廷(現、皇室)はもちろん、どこの大名達も経済的に追い詰められ、結局、鎖国(孤高)を保っていながら自給自足ができ、しかも海外から欲しがられて交易を何度も申し出られるぐらい食料や物資、資源に恵まれて豊かだった日本は幕末にはすっかりその国力を失い、かつては何度も頭を下げて交易を願い出ていた欧米政府(王室)に逆に大倭朝廷(現、皇室)が平伏して倒幕の為の軍資金と軍隊を借りたため実権を奪われ、自主独立国から従属国に転落することとなった。だが、そんな凋落(ちょうらく)していくだけの未来が待ち受けているとも知らず、また、現実世界からかけ離れた兵器開発や女遊びに夢中になって遊んで暮らす大倭朝廷(現、皇室)の生活を本当に支えているのが毎日、働いて国益を稼いでくれる大衆(国民)と有能なだけでなく、祖国であるこの日本をこよなく愛する家綱が丹念に現状を調べ上げ、考えに考え、練りに練って真心込めて作った法案や政策、そして何より、人間を含めあらゆる生物が生まれて長く生きていけるよう地球と宇宙を創造し、太陽や月、星々を絶妙な均衡(バランス)でもって配置し、水や空気、風や雨、山や海、大地を整え、わたし達、人類に美しい自然(神が創りし庭)を与えてくれた神様の大いなる慈愛(=Zion)とも全く思わず、ひたすら飽くなき我欲とそれを唱え続ければいつかは叶うと信じて止まない実力のない見掛け倒しの見栄(虚飾)を張り続け、何が何でもこの日本を大衆(国民)と徳川幕府から奪い返して思うがままに支配しようと躍起な大倭朝廷(現、皇室)とその家臣の大名達は目下、目の敵にしている家綱の政策や法案をことごとく妨害し、徳川幕府の持つ財力や武力(暴力)を衰退させ、これを凌ぐことしか頭にないため上述した地頭の大草平内(おおくさ へいない)が仕切っていた周淮川(すえがわ)(須恵川)も利根川と同じく『諸国山川掟』に沿った治水事業という名目で兵器実験が繰り返され、その結果、洪水が度々、起きるようになった。それが小糸焼という大倭朝廷(現、皇室)が開発を進めていた陶磁器(核兵器)の実験に原因があることを隠ぺいする為と、また、私利的に我田引水(自分の田畑にだけ水を引き込むこと)して所有地の範囲を広げようと川向かいにあった隣村の貞元村(さだもとむら)(現、千葉県道159号君津大貫線から二級河川の江川近辺)にも蛇行して流れていた周淮川(須恵川)をこの大草(おおくさ)という中富村(なかとみむら)(現、君津市中富区)の地頭が勝手に直線に造り替えた。その際の言い訳が「蛇行して流れているから洪水する。川の流れをまっすぐにしてやれば氾濫は起きないはずだから私は再三、『諸国山川掟』を提唱する幕府に川を直線にするようお願いしてきた。」というもので、その時にこっそり隣の貞元村との境界線を書き換えた地図も一緒に差し出し、周淮川(須恵川)も小糸焼にちなんで小糸川と勝手に改称してその地図に書き加えた。(1662年(寛文2年)の境界線紛争の裁許状(判決文)『覚』と『中富、貞元境界控絵図 延寶二年(1674年)」を参照)それ以来、古代から君津市と富津市を流れてきた須恵川は小糸川に名前がすり替えられて現代に至っており、ついでに洪水を起こしていた張本人である地頭の大草も今では反対に洪水を鎮圧した神として中富にある富西寺(ふさいじ)内の大草平内廟という小さな(ほこら)に祀られていて、茶碗一杯に高く盛られたご飯と具のたっぷり入ったけんちん汁を富西寺の檀家達が食べる“お日(天照大神様)待ち”と呼ばれる宗教行事も続けられているそうだが、鎮圧したというその洪水は小糸川(須恵川)を直線的な水の流れに変えた1674年(延宝2年)以降も続いており、その被害は大草平内(びょう)の真横に置かれた石碑にもしっかりと記載されていて、それによると1690年10月8日(旧暦、元禄3年9月7日)に2mにもせり上がった波で中富村の田畑が全て土砂に埋まるという大洪水が起きたそうで、大草が小糸川(須恵川)を付け替えて境界線を延ばし、隣の貞元村の領域を侵害して自分が仕切る中富村の田畑を拡大させるズルをしたものの、結局、田畑が埋まったことで収穫が全て失われ、貞元村を始め、近隣の村々から食べ物を恵んでもらうしかなかったそうで、川の流れをまっすぐに変えても洪水を収められず、しかも境界線を変えたことで川の水源や耕作領域を中富村に奪われることとなり、長年、揉めることになった貞元村の人々がその恨みつらみを(こら)えて情け(=Zion(ジオン))をかけてくれなかったら誰も生きられなかったとして中富村の人々自身が大草を大いに非難したらしく、22歳の時から小糸川(須恵川)の付け替え工事を装って散々、大倭朝廷(現、皇室)の指示に従い、小糸焼(核兵器)の爆破実験に携わってきた51歳のベテラン地頭の大草でもさすがにその公共工事の失敗の責任は免れられなかったようで、大洪水が起きた翌年の1691年(元禄4年)に地頭職を辞めさせられている。それでも長年、地頭職(兵器実験)以外の仕事をしたことがない大草としてはその歳になってできる仕事が限られているため事実上、解雇になった後も元の地頭職(兵器実験)を小糸川(須恵川)で続けさせてくれと言い続けるしかなく、世間に知られたくない大倭朝廷(現、皇室)の軍事機密を抱えている大草を厄介に思ったのかとうとうその8年後に60歳になった大草は路上で殺されることとなった。(大草平内廟の石碑に記された「元禄十二年志半ばにして六十歳で“黄土(おうど)に卒する”まで」を参照)しかし、大草の死で小糸川(須恵川)の悲劇が終わったわけではなく、大倭朝廷(現、皇室)の指示する相手が大草以外の誰か他の者になったというだけで指示内容に大して変わりはないのだから洪水被害は止むことはない。そのため、小糸川(須恵川)の直線改修工事を装った兵器実験はその後も延々と行われ、それによる公害被害もますます増えることとなった。なぜなら、第116話『汚水』(注1)その19で話した中国の沭河(じゅつが)と同じく、富士山を始め、日本でも有数の高い山々に囲まれて房総丘陵に水源を引っ張ってきている千葉県内の河川は古代からそう簡単な技では水流を収められそうにない膨大な水量があるからで、それを蛇行させることで広い範囲の田畑に水を供給しながら水流も同時に緩めていた訳で、その流れを直線にしてしまったら当然、勢いを増して激流になる。だから、洪水が余計に増えることとなり、江戸時代だけでなく、近年では1970年(昭和45年)7月、1989年(平成元年)9月、1996年(平成8年)9月、2006年(平成18年)12月と、ほぼ10年周期で起きていて、周期に関しては最大の要因が日本政府(皇室&自民党軍事政権)の起こす兵器実験なので人為的な設定によるものだが、洪水が止まないのはこれまでに付け替えてきた水路が小糸川の水流に合っていないからで、『諸国山川掟』に従って冠水しやすい地域に宅地や田畑などを造成しなければいいものをそれに未だ従わず江戸時代から延々と放火によって復興サイクル政策を続けてきた新潟県糸魚川(いといがわ)市のように(第116話『汚水』(注1)その6参照)復興工事費にかこつけた税金の横流しを狙って何度も洪水が繰り返され、何も知らない一般市民がその巻き添えとなって被害に遭うこととなった。ところが、最近、その洪水被害よりもっと怖いことが小糸川に起こりつつあり、それが被害範囲の縮小で、1970年(昭和45年)の洪水の時は氾濫面積4,500ha(君津市31,878haの面積の約1割)、浸水面積1,840ha、浸水家屋は22,900戸にも上ったのに対し、1989年(平成元年)では前回の総雨量340mmを上回った435mmに達し、被害が大きくなるはずが氾濫面積が157ha、浸水したままになった場所はなく、浸水家屋も32戸と大幅に減っている。その被害が少なかった要因を近年の土木技術が進歩して河道を改修したからと日本政府(皇室&自民党軍事政権)は大威張りで自慢するかもしれないが、実際のところ、氾濫面積そのものが大幅に減っているのだから河道の改修とは関係なく、小糸川の水量自体、大幅に減少していることに他ならない。つまり、渇水である。それは小糸川に限らず、日本最大の流域面積であるはずの利根川でも1972年(昭和47年)から2016年(平成28年)の45年間に16回も取水制限が行われるぐらいの渇水が起きていて、小糸川も例外ではなく、復興サイクル政策のため氾濫しやすいようそれとなく河道を狭く改修してあるため渇水状況が分かり難くなっているかもしれないが、1996年(平成8年)と2006年(平成18年)の洪水でも豪雨で浸水したとしても小糸川が氾濫することはなく、最後の2006年(平成18年)の時は浸水面積が65haでも浸水家屋は0戸だった。つまり、それぐらい日本でも有数の水場と言える千葉県内の河川の水量が大幅に減ってきているということは日本全体の水資源の危機であるともはっきり言える。そうなれば最新2021年の農業産出額における野菜部門で全国3位、イモ類で全国4位、米類は8位、豆類が2位と、全体の農業産出額でも3,471億円で6位の千葉県(2022年(令和4年)12月27日に発表された農林水産省調べの『令和3年 農業産出額及び生産農業所得(都道府県別)』を参照)が渇水することは日本国民全員の食料危機にも繋がる。そんな怖い実態がかつては暴れ川と呼ばれてきた利根川や洪水で悩まされてきた小糸川に現れてきており、水の流れが急に途絶えるなどあるはずがないと傲慢に思い込んできた日本政府(皇室&自民党軍事政権)の予想を大きく裏切る事態となればもはや取り返しはつかなくなる。それも考え合わせて千葉県民の皆さんだけでなく、日本国民全員がこの日本における自然(神が創りし庭)を見直し、もう日本政府(皇室&自民党軍事政権)に任せっぱなしにしてはいけない時期に来ていると言えるだろう。)、こうした数々の河川に千葉県は恵まれていて渇水するなど到底、考えられない日本でも指折りの水資源が豊富で繁栄しやすい土地なのだが、それがここ最近、怪しくなってきており、利根川だけで1994年に起きた平成6年渇水(第116話『汚水』(注1)その16参照)に続き、1996年(平成8年)は夏と冬の時期に取水制限を行っていて、次が翌年の1997年(平成9年)の2月~3月、2001年(平成13年)8月、2012年(平成24年)は9月~10月、さらに翌年2013年(平成25年)も7月~9月まで制限し、さらに2016年(平成28年)は6月~9月までとかなり長期間、節水や取水制限を呼びかけることとなって、その後、取水制限はしていなくても2017年(平成29年)、2018年(平成30年)も渇水が続いていたため国策として行っている軍需工場が立ち並ぶ東京湾沿いの千葉県浦安市(うらやすし)から富津市(ふっつし)までの京葉工業地域と特権階級が多く住む首都圏や千葉県北部の都市への給水に危機感を覚えた日本政府(皇室&自民党軍事政権)は利根川の渇水を解消するためそれまで効果を危ぶむ反対意見や財政困難から建設を躊躇していた貯水目的のダムを急遽、あちこち建設しだし(群馬県の八ツ場ダムや栃木県の南摩(なんま)ダム)、それだけではどうにも足りないと思ったのか今度は千葉県南部の房総丘陵一帯に目をつけ、ここから水を引っ張ってこようと、国土交通省、農林水産省、厚生労働省、経済産業省の4省庁によって設立されている独立行政法人水資源機構が管理する房総導水路をこっそり引き延ばして房総丘陵にある農業用水や生活用水を給水しているいくつかのダム(貯水池)と繋がるように付け替えた。その結果、起きたことが南房総市にある小向ダムの貯水率が2020年(令和2年)12月14日から約30%にまで落ち込み、2021年(令和3年)1月から約3200世帯に断水するかもしれないと正月前に南房総市長が住民達に言い出した事件で、房総導水路は利根川から上述した九十九里平野に向けて水路が敷かれた両総用水を経て、成田市や香取市、山武郡(さんぶぐん)横芝光町(よこしばひかりまち)などを流れる栗山川(くりやまがわ)(全長38.8km、流域面積292.3 km²、千葉県では第2位の流域面積を持つ川で、成田市及び2006年まで栗源町(くりもとまち)(現、香取市)と呼ばれていた一帯に広がる下総台地が水源である。栗山川という名前の由来は禹や舜帝達、大和民族の祖先の出身地である長江デルタの最西端に溧水河(りっすいが)という、現在の江蘇省南京(なんきん)市から車で南に向けて約1時間の所にある溧水区(りっすいく)と呼ばれる丘陵地を源流にして流れている河川にちなんだもので、現代では中国語の溧水区も“(さんずい)”+“(くり)”に変えられているが、古代は“氵”+“(あわ)”であり、(あわ)を主食にしてその地域で作っていたから付いた名前なのだが、それがどうして“(くり)”という漢字になったのかと言うと、栗源町(くりもとまち)を始め、千葉県に渡った支那人(大和民族)達がブナの木と黒松を交配させて(くり)の木を開発し、それを再びかつて住んでいた朝鮮半島南部の任那(みまな)加羅(から)(現、韓国の慶尚南道(キョンサンナムド)金海(キメ)市付近。第110話『灌漑』(注2)参照)、中国に残っていた支那人達に作り方を口コミで伝えたからで、その実が(あわ)の黄色い粒に似ていたことから「粟に似た木」という意味で漢字の(アシ)の部分が“米”から“木”になった。だから、千葉県を流れる栗山川も香取市岩部(いわべ)(旧、栗源町)にある大塚古墳や香取郡多古町(たこまち)の北条塚古墳などの川沿いにあった古墳の墳丘に栗の木がよく栽培されていたから付いた名前であり、現代で香取市立栗源(くりもと)中学校のホームページに載せられている「高句麗(現、北朝鮮)からの渡来人が栗源に村を作った」とか「栗山川も元は高句麗にちなんで“句麗山川”と呼ばれていた」といった話は大倭朝廷(現、皇室)が乗っ取ってからの話であって、人殺し(戦争)と強盗が本業の大倭朝廷(現、皇室)に村を開墾するなどできるはずはなく、むろん、栗の木も栽培できなかったため切り倒され、せいぜい栽培できたとしても兵器用に作り変えた(ひのき)(第116話『汚水』(注1)その7参照)や黒檀(こくたん)(第116話『汚水』(注1)その16の檀国を参照)、上述したアイヌ民族の好物のイチイ科の木ぐらいであり、その他の作物にしても気候(大気循環)や土壌の性質を全く考えない滅茶苦茶な農法であるため壊滅的に失敗したらしく、残された手段が先祖代々、狩猟遊牧騎馬民族であることから農業から牧畜に転向したようで、それ以来、下総台地(しもうさだいち)は牛や馬を放牧する牧草地となった。それでもそうして全てを乗っ取られ、せっかく築いた山も田畑も荒らされて支那人(大和民族)達の痕跡などもうどこにもないように見えても、彼らが月の引力(絆)を緻密に観測し、どこから地下水を集めてきてどう川を造るべきか文明(神が与えし智慧)でもって考えに考え抜き、長い年月と労力をかけて水路を掘って築いてくれた栗山川が1千年以上経った今でも千葉県だけでなく、首都圏を始め、関東に住む人々の喉を潤す“生命の水”として欠かせないものになっているのだからその偉業はそう簡単に真似できるものではない。だから、栗山川のみならず、河川の構造そのものがまるで分かっていない大倭朝廷(現、皇室)が乗っ取ったところで手に負えるはずはなく、それは現代の日本政府(皇室&自民党軍事政権)も同じで、古代から変らず軍拡一辺倒で壊す(殺す)ことと奪うことしかできない彼らは後先(あとさき)考えずひたすらありったけの地下水を汲み上げ、それを利益にも腹の足しにもならない人殺しの玩具(兵器)を作る為だけに使い果たす。そしてその兵器実験でまた、川の水や空の空気を汚染し、気象(大気の状態)や気候(大気循環)をこじらせて豪雨や干ばつを招き、結局、川の水も減らして農作物ができず、飢饉になる。その繰り返しを古代から延々と続けてきていい加減、その間違いに気づけばいいものをそれがどうにも分からないのが彼ら日本政府(皇室&自民党軍事政権)の知能の限界のようなので救いようがない。そのため、栗山川も度々、渇水しては争いが絶えず、1894年(明治27年)には両岸に住む農民達が我田引水(自分の田畑にだけ水を引き込むこと)の為に(すき)(くわ)、竹槍、日本刀を持ってお互いを殺し合って奪おうと争い、1933年(昭和8年)もやはり干ばつで水利組合長を切り殺そうとしたり、大勢の農民達が村長宅に押し入って米を強奪したそうで、誰かを殺したり、奪っても水が増えるわけでも食料が手に入るわけでもないのだが、それが分からない日本政府(皇室&自民党軍事政権)は21世紀になった現在でもまた、戦争(人殺し)の為に地下水を汲み上げすぎて栗山川の川底(河床)を沈下させ、南房総市にある小向ダムを渇水させてしまったようで、Twitter(ツィッター)(第116話『汚水』(注1)その9のアラブの春を参照)やブログなどのネットの書き込みを始め、ニュースでも正月前に断水生活を強いられるかもしれないと告げられた住民達の怒りや憤りの声、「天災だから仕方ない」という南房総市の苦し紛れの言い訳を擁護する政府(皇室)支持者達の意見が報道されて国内が二分に分かれて言い争うこととなった。幸い、今回は断水する前に連日、まとまった雨が降ったおかげで貯水率が戻り、事なきを得たようだが、いつまた、渇水するか、それがどのくらい続く災害なのか全く分からない状況なのだから、これほど怖いことはない。それを日本政府(皇室&自民党軍事政権)が行う近隣のダムや自衛隊の給水車から水を集めてくるか、節水を呼びかけ、ペットボトル1ダース分を各家庭に配るだけのその場凌ぎでしかない治水管理に任せていたら遠からず誰もが生命の危機に陥ることは目に見えている。それも踏まえて日本国民の皆さんが今後、どう自分達の生命と財産を守っていくべきか他人事と思わず小向ダムの渇水事件を参考によくお考えいただきたい。)の河道を通り、そこから主に地下水路でもって房総導水路を房総丘陵に向けて敷き、南部の“夷隅(いすみ)”郡(夷隅は上述の通り、“いじめ”の語源である)大多喜町まで約100kmに渡って“利根川の水を千葉県南部に送水している”と水資源機構を始めとした日本政府(皇室&自民党軍事政権)は宣伝しているが、既に利根川が散々、渇水してきている以上、他所(よそ)に送れる水などあるはずがなく、実際はその逆で房総丘陵の地下水が利根川に送られているのであって水資源機構のホームページに書かれた「今では、利根川の水を南房総にある大多喜町まで、約100キロメートルもの長い距離を運び、必要な地域での水不足の心配をなくし、人々の暮らしを支えているのです」との文言は単なる誇大政治サービス広告(デマゴギー)でしかない。だから、いつものごとく口先ばかりの公共サービスはいくら高い税金を払っても行われることはなく、それどころか水不足の心配が増すだけの軍拡にばかり日本政府(皇室&自民党軍事政権)は力を注いでいるのだから、わたし達、日本国民の生命と財産は日本政府(皇室&自民党軍事政権)に守られることは決してない。その事実を裏付けるように渇水に伴って千葉県の農業産出額=食料の実質生産量は年々、下がる一方の全国の農業産出額に合わせて同じく下がっていっている上、古代に栗山川に渡来してきた大倭朝廷(現、皇室)が農業に失敗して牧畜を始めたように昨今の千葉県も米や野菜が中心だった農業から畜産業に移行しているようで、そのうち家畜の飼料にする農作物も減っていけば肉で飢えを凌ぐこともできなくなる。だったら、太平洋や東京湾の魚介類があるじゃないかと反論される方もいらっしゃるかもしれないが、言うまでもなく、漁業産出額は絶頂だった頃の1989年(平成元年)の2.7兆円と比べて2020年(令和2年)は1.3兆円とすっかり半減している。(農林水産省調べの『令和2年漁業産出額』2022年3月31日発表分を参照)しかも、軍拡を優先させたがる日本政府(皇室&自民党軍事政権)は軍需工場から排出される有害な廃水を厳しく制限することはないため川から海へ流れる窒素(N)や硫黄(S)だらけの工業廃水は酸性雨のごとく海を汚染する。そのため、近年、問題になってきているのは地上と同じく酸欠(貧酸素化または海洋酸性化)である。長年、海が汚染されてすっかりプランクトン(浮遊生物。第116話『汚水』(注1)その14参照)が減ってきて、それまで起こっていた赤潮(=Red tidesまたはHarmful algal bloom、過剰な窒素(N)でプランクトンが異常繁殖し、海が赤く染まる現象)や青潮(=Aquatic hypoxia、プランクトンの大量死によりその死体が腐敗して過剰に硫黄(S)が発生し、海が乳青色や乳白色に染まる現象。第116話『汚水』(注1)その14のアオコを参照)といった一部の地域で見られる異常現象では済まなくなり、とうとうプランクトンも細菌も生きられない無酸素水塊(=Anoxic waters)、別名“死の海域”(=Dead(デッド) Zone(ゾーン))とも呼ばれる無酸素の水の塊が世界各地の河口や沿岸に広がるようになった。要は、公害によって大量発生したプランクトンが大量死滅して海底に堆積し、その死体を分解する細菌自身が吸う酸素(O)の量も不足してきて細菌も死んでいき、そうして彼らの死体だらけになった貧酸素(=Hypoxia)または無酸素の水の塊が冷たい海の底で溜まった状態になるのだが、通常、海水の温度が保たれ、海水の循環が行われていれば海面で光合成(太陽光による呼吸分解)を受けて酸素(O)が生成された海水がすぐに海面を漂う風に冷やされて海底へと沈み込み、そこで酸素(O)を持った海水と海底の海水が混ざり合うことで貧酸素や無酸素状態の水塊も解消されていくはずが、海上も酸欠(酸素欠乏)で太陽からの放射線(光や電磁波)が強まっている上(第116話『汚水』(注1)その16参照)、風も造られ難くなっていて、海面の温度がなかなか下がらないため海底に酸素(O)を含んだ海水が頻繁に沈まなくなる。加えて、プランクトン自体、既に減っているのだから酸素(O)も生成しづらくなっており、たとえ海面の海水が沈んだとしても海底に広く溜まってしまった貧酸素や無酸素の水塊を解消できる量にも満たない。極めつけは兵器実験で地熱活動を妨げる火山噴火を行ったり、地球の地軸をブレさせて気温や気圧が安定しないことから海水の温度や水圧も狂ってきて海底に溜まっているはずの貧酸素や無酸素の水塊が海面に浮上してくるようにもなった。そうして海面に上がってきた貧酸素や無酸素の水塊は既に少なくなっていた海面の海水の酸素(O)の濃度を薄めると同時に水塊に含まれていた酸素(O)より窒素(N)や硫黄(S)を好む細菌(嫌気性細菌)を活性化させ、さらに海面での海水の気温や気圧の高まりから地熱で温められた状態にある海底で酸素(O)を嫌う細菌(嫌気性細菌)が発酵を行う環境に似ていることから海面で漂っていた窒素(N)や硫黄(S)だらけの汚染水と結びついて新たな毒素を生成したり、塩分濃度を高めたりもする。(硝酸塩(しょうさんえん)硫酸塩(りゅうさんえん)、炭酸塩などを使った嫌気性細菌による呼吸分解)こうして浮上してきた貧酸素や無酸素の水塊によって魚介類はもとより、酸素(O)を生成してくれるプランクトンや細菌も再び中毒死したり、窒息して枯渇していくことから“死の海域(デッドゾーン)”と呼んでいて、直近の事例を挙げるとすれば2022年1月21日から3日間、北海道稚内市(わっかないし)宗谷湾(そうやわん)沿岸でおよそ30kmにも渡って死んだイワシが大量に浜辺に打ち上げられたり、2023年1月10日に静岡県浜松市にある海水と淡水が混ざる汽水湖(きすいこ)で知られる浜名湖に注ぐ六間川(ろっけんがわ)で数十万匹ものボラが死んでいるのが見つかったり、2023年2月7日には新潟県糸魚川市筒石(つついし)の筒石漁港海岸にまたもイワシが大量に死んで打ち上げられ、12日までに220トン(約500kg袋433個分)ほど回収しても次々、打ちあがってくるため処理が追いつかず困っているそうで、六間川の大量死は酸欠による窒息死、宗谷湾と筒石漁港海岸は水温が急激に下がったことが原因としているようだが、どれも死の海域(デッドゾーン)が日本の沿岸に広がっているからであり、少なくなった酸素(O)、つまり息のしやすい場所を求めて魚もプランクトンも細菌も一斉に同じような経路や場所に向かって集まりやすいためその途中で死の海域(デッドゾーン)に出くわすと大量死しやすく、その場で即、窒息死でなくても既に餌となるプランクトンが減っていて栄養失調になっていたり、高められた塩分濃度で息しづらく衰弱していたところへ(第116話『汚水』(注1)その8の浸透圧調整を参照)水温や水圧が乱高下するような過酷な海洋環境に(さら)されればもはや耐えきれずに死んでしまう。そんな荒廃した漁場が日本だけでなく、世界各地の沿岸にも広がっているのだからたとえ漁業産出額と同様、絶頂だった頃の1961年(昭和36年)の699,200人から1990年代に入ると半減し、2021年(令和3年)は129,320人と5分の1に減少した漁民(2022年12月19日発表の農林水産省の『令和3年漁業構造動態調査報告書』を参照)を外国人も含めて税金でもって高賃金&好待遇を謳って雇い入れ、より漁獲量を増やす努力をしたとしても、あるいは逆に世界人口と同じく世界全体の漁獲量を養殖魚や川魚まで含めて増えていると統計数を偽り、日本の漁獲高が減っているのは漁業経営法が遅れているからだとして配給制よろしく漁業関係者に海の資源を節約させて(ケチらせて)難局を乗り切ろうと魚種や漁獲量を制限する調整を行ったとしても(Total(トータル) Allowable(アローワブル) Catch(キャッチ)、略してTAC制度)世界全体の魚介そのものが枯渇してきている以上、いずれ限界が来る。それが分かっているのか分かっていないのか水産庁が補助金を出して全国の漁業関係者に70種類の稚魚を育てさせて放流させ、漁獲できる量を人為的に増やす栽培漁業なる漁法を提唱し、2019年には徳仁(なるひと)天皇と雅子(まさこ)妃が自分達の即位に併せて稚魚を手渡し、栽培漁業を推進する記念式典(宗教儀式)まで行い、国策として資源を増やす姿勢を誇示していて、2021年(令和3年)の漁獲高が105,400トン、全国8位の千葉県も毎年、マダイやヒラメ、マコガレイ、アワビや車海老を中心に栽培漁業を行っており、上述した小糸川ではフナやアユ、ウナギなどを放流しているそうだが、実際のところ、どこまで本気か怪しいもので、2019年に長年、新日本製鐵(せいてつ)新日鐵(しんにってつ)と世間から大手企業として認知され、親しまれてきたブランド社名をわざわざ変えた日本製鉄株式会社が二酸化炭素(CO2)を削減する環境対策を装って2021年から社運を賭けて開発を取り組んでいる、これまでの空気や炭素を使って不純物を取り除く冶金(製錬&精錬)方法(第97話『不浄(1)』の酸化還元反応を参照)から今度は空気ではなく大量の水を使って水素ガスを吹き込み、熱水で不純物を取り除く水素爆弾用と見られる水素還元製鉄を行なうようになったことから取り除いた窒素(N)や硫黄(S)を含んだ工業廃水(チオシアン酸アンモニウム液)を水で薄めてこっそり小糸川に流すつもりがうまく薄まらなかったのか高濃度で排出されたらしく(2022年6月19日)、鉄と反応した際に生じるチオシアン酸鉄錯体(硫黄+窒素+鉄+水)の赤い液で小糸川が染まってせっかく放流した稚魚も含めて魚が大量死したそうで、食べる為に栽培している魚を食べても触ってもいけないとのお達しが千葉県から出され、結局、栽培漁業は失敗に終わっている。にもかかわらず、日本製鉄株式会社の水素還元製鉄を止めさせる気は更々、日本政府(皇室&自民党軍事政権)にはないらしく、自分達の都合だけで定めた水質基準を守っていれば安全と断言し、そのうち水で浄化されるとして食料より兵器を優先させ、子飼いにしている軍需企業である日本製鉄が出した公害を隠蔽したいようで、自分達から言い出し、税金でもってメディアを駆使してうるさく国民に説教して回っている環境政策すらまともにできていない。そのため、高度経済成長期と称された1960年(昭和40年)~1975年(昭和50年)代に空気を使った冶金(製錬&精錬)方法により煙がモクモクと立ち込めて神奈川県の京浜(けいひん)工業地域周辺に住む住民達が喘息(ぜんそく)となり、工場からの煙による光化学スモッグが原因と認められた死者が百人以上、公害認定されていない患者は数千人とも言われ、病気を苦にした自殺者まで出て公害訴訟となった川崎公害(1982年~1999年)の頃と変わらず、今度は空気から水に替えられただけで公害は全く止んでいないのだから日本製鉄や日本政府(皇室&自民党軍事政権)が自画自賛する水素還元製鉄を始めとした環境改善技術など彼らの机上の空論でしかない。しかも、そうした食料危機だけでなく、またもや兵器製造の為だけに水素還元を主流にしようと大量の水まで使い出したことから上述の南房総市の小向ダムを始めとした千葉県全体の水資源も枯渇してくるようになった。そうなればもはや千葉県民はもちろん、利根川を生活用水に使っている関東圏に住む国民も干上がることになり、第116話『汚水』(注1)その11で話したツノート(地下貯水池)を何千か所も造って恵まれた水資源を持つ民族と豪語していたマヤ文明が水を枯渇させて消滅していったように首都圏も滅びかねない。そこまで日本政府(皇室&自民党軍事政権)が想定した上でそんな水素還元などの軍拡を栽培漁業より優先させているのか定かでなく、今のところ、彼らの動きから見てやはり盲滅法(めくらめっぽう)(都合の悪い事には目をつむって犯罪でも関係なく自分達がやりたい事だけごり押しする迷惑行為)にしか進んでいないようなのでこのまま彼ら日本政府(皇室&自民党軍事政権)の主導に従って進めばわたし達、国民も餓死する危険に晒されていると言えるが、それでもこの国の中には未だこれまで本作品で述べてきた事実を嘘や冗談と決めつけ、何としてでも政府(皇室)を擁護したい為だけにそれこそ口から出まかせの根拠のない反論をしてくる人達がいるようで、そういう人達が言うには国際的な大企業がいくつもあって経済大国と呼ばれ、米ドルや英ポンドと並んで円という通貨価値が国際社会で認められているこの国の経済力があれば食料その他の物資を海外から輸入できるはずとの意見のようだが、はっきり言って皇室(政府)を神の子孫と信じる彼らの目からすればこの国は今も経済大国に映っているかもしれないが、現実はとっくに貧乏な発展途上国に転落している。

【参考サイト】


・アクアライン開通25年 ニュースや動画で振り返る | NHK

https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/007/82/


・東京湾アクアラインはなぜ、渋滞しやすいのか

https://www.coaweek.org/aqua-line/


https://takumick.com/aqualine-congestion


・武具の保呂または母衣

https://historydaily.org/content/123675/a842a92fa325c7b4c3446c4dbb0b14a5.jpg


・養老絞り(または有松・鳴海絞り、筋絞り)

https://story.nakagawa-masashichi.jp/wp-content/uploads/2020/07/arimatsuTOP01.jpg


・『第8回夷隅川流域委員会【夷隅川水系河川整備計画(案)環境編について】』

http://www.pref.chiba.lg.jp/kasei/kawazukuri/isumi/documents/isumi08-si04.pdf


・須恵器

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E6%81%B5%E5%99%A8#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:131123_Hyogo_Prefectural_Museum_of_Archaeology_Japan24s5.jpg


眉庇付冑(まびさしつきかぶと)と名付けられているが、実際は鍋で使われていた物

https://ja.wikipedia.org/wiki/眉庇付冑#/media/ファイル:二本松山古墳出土_金銅装眉庇付冑_(J-14168).JPG

https://ja.wikipedia.org/wiki/眉庇付冑#/media/ファイル:祇園大塚山古墳出土_金銅製眉庇付冑_(J-728).JPG

https://ja.wikipedia.org/wiki/眉庇付冑#/media/ファイル:亀山1号墳出土_眉庇付冑_(J-34411).JPG


・朝鮮半島で武具として使われていた眉庇付冑↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/眉庇付冑#/media/ファイル:金海杜谷43号墳出土_眉庇付冑.JPG


・旧石器捏造事件についての記事↓

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/09211100/?all=1

「神の手」旧石器捏造事件から20年 今だから話せる“世紀の大スクープ”舞台裏


そもそも最初から皇室(政府)に頼まれて考古学者などが捏造してきたものを

皇室(政府)御用達の毎日新聞の記者が暴くのだから最初から知ってる話題(ネタ)を暴いているに過ぎず大スクープでも何でもなく、ただのヤラセ記事である。

要はでっち上げの犯罪を犯させてからその弱みを握る皇室(政府)関係者が

後からその弱みを暴露して用済みとなったスパイ達に反論や報復ができないようにさせるという仕掛けになっていて、世のマスコミ報道はその仕掛けで成り立っているようである。



・禹や瞬帝の頃の中国全土(九州)の地図

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a4/Yugong_Nine_Provinces_Map_禹贡九州图.svg



・京都市内に浮かんだ2022年の白虹貫日(ハロ現象または日暈)

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/813594


https://smtgvs.weathernews.jp/smart/report/image/2022-04-02/61694774.jpg



・幻日

https://tabizine.jp/wp-content/uploads/2015/03/33370-03.jpg

https://photohito.k-img.com/uploads/photo63/user62905/d/d/dd39efec14dc85c3359f6f79d16d1cf4/dd39efec14dc85c3359f6f79d16d1cf4_l.jpg



・幻月

https://response.jp/imgs/thumb_h2/521936.jpg



・アイスランドのヘクラ山

https://en.wikipedia.org/wiki/Hekla#/media/File:2006-05-21-153901_Iceland_Stórinúpur.jpg


・デンマーク語でヘクラ(僧衣)、一般にはカズラ、またはチャジブル

https://en.wikipedia.org/wiki/Chasuble#/media/File:Czeslaw_Kozon.jpg

https://en.wikipedia.org/wiki/Chasuble#/media/File:Archbishop_Daniel_Dinardo.jpg


・日本初の料理学校である赤堀割烹教場とかっぽう着

https://cook.co.jp/赤堀料理学園について/#jp-carousel-407


・インチキ学説のスタップ細胞を発表していた頃のかっぽう着を着た小保方晴子氏

http://m8ntk4.blog.fc2.com/blog-entry-25.html


・アイヌ民族のチャシ(要塞)跡

https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/12942133

https://ja.wikipedia.org/wiki/チャシ#/media/ファイル:Tyashi.jpg


・かや飴

https://blog.goo.ne.jp/koufujyou26/e/e8939c075aa52ba86ddde645304acc1b


・利根川東遷事業

https://livedoor.blogimg.jp/nara_suimeishi/imgs/a/3/a3d685cc.jpg


・日本六十余州国々切絵図 上総(現、千葉県中央部)

https://da.apl.pref.akita.jp/koubun/item/00010005/ref-C-15707


下総(現、千葉県北部)

https://da.apl.pref.akita.jp/koubun/item/00010005/ref-C-15706



・東山桜荘子の歌舞伎浮世図

https://www.yamada-shoten.com/i_item/2014/12/34660.jpg



・中富村と小糸川の古地図

(中央部の右端にある地図が17世紀の中富村と貞元村の境界線です。)

www.kimitsu.jp/InetInfo/sadamoto/map/ふれあいマップ貞元/M/05_中富.jpg


(下部の右端にあるのが大草平内廟の石碑で、拡大すると碑文が読めます)

hww.kimitsu.jp/InetInfo/sadamoto/map/ふれあいマップ貞元/M/05_中富.jpg


・大草平内廟

https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/yama/news/2006/060602nakatomi.htm


・利根川の渇水の報道2016年

https://news.ntv.co.jp/category/society/332859


・令和3年 農業産出額及び生産農業所得(都道府県別)

https://www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/seisan_shotoku/r3_betsu/index.html


・千葉県のダムと房総導水路

https://www.pref.chiba.lg.jp/suisei/images/kankeizutohyou2.png


・独立行政法人水資源機構 房総導水路のホームページ

https://www.water.go.jp/kanto/bouso/02dousuiro/about.html

引用「房総半島には、これらの水への要求を充分に満たすだけの大きな水源はありませんでした。そこで、これらの地域に利根川の水を運ぶ「房総導水路」がつくられたのです。 今では、利根川の水を南房総にある大多喜町まで、約100キロメートルもの長い距離を運び、必要な地域での水不足の心配をなくし、人々の暮らしを支えているのです。」(引用終わり)

だそうだが、実際は房総半島に水源があって利根川は水源ではありません。


・小向ダムの渇水報道

https://www.asahi.com/articles/ASNDC75TPNDCUDCB01Y.html

千葉・南房総市のダム貯水率31%に 年末断水か


報道では水門の工事となっているが、実際は地下水路を作って小向ダムの貯水を利根川へと流していたようである。


https://www.chibanippo.co.jp/news/national/759790

南房総・小向ダム 貯水率72%渇水対策終了 市長「協力に感謝」 | 千葉日報オンライン


https://koganem.com/minamibousousi/

南房総市の断水はなぜ?人災なのか天災なのか原因を調査



・栗源中学校のホームページによる栗山川の語源

ttps://www.katori-edu.jp/kurimoto-j/栗源区紹介/栗山川の源流


・栗源中学校による修学旅行生の置き去り事件

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/262422


・千葉県の河川地図

ttps://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/study/woodbook/woodbook/standard/image/04tiba.gif



・漁業生産状況

https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/r01_h/trend/1/t1_f1_1.html



・世界中のデッドゾーン(貧酸素または無酸素水塊)

https://ja.wikipedia.org/wiki/貧酸素水塊#/media/ファイル:Aquatic_Dead_Zones.jpg



・赤潮

https://creators-pctr.c.yimg.jp/lX6XNwr_vBflCyyTsLzkUEAjPISTfYDs3fjP8IJAWCkFFm5DAllj8f584393mbTxViq91B_VoaA19Yifr7sHtk4xNrjnnEESkt3QCUpBXoCFC18rYNQJlBr0fTKOJFMjaMBCzG2A6q3l52HwK6GOLCyXsttLJ5iQnHHTBF4rRZaqQcD65oD1K3YYxeh73_z6ZGWwMZD-ZjiKr2DhhcdvDw==

・青潮

https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/aosioIMG_0987.jpg

https://www.b-kanzai.co.jp/files/libs/83/201707251544341625.JPG


・あまりの寒波、イワシも衰弱死か…海岸に大量打ち上げ : 読売新聞オンライン

https://www.yomiuri.co.jp/national/20220125-OYT1T50066/


・栽培漁業式典での徳仁天皇と雅子妃

https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/r01_h/trend/1/zoom_p1_1-04.html



・日本製鉄の敷地から脱硫液が流出 付近で魚が大量死、原因を調査へ

https://www.asahi.com/articles/ASQ6P74P4Q6PUDCB00Y.html



・無公害を謳う日本製鉄の脱硫設備↓

https://www.eng.nipponsteel.com/business/steelplants/ironmaking/coqg_desulfurization_equipment/

COG脱硫設備(NSNNF®) | 日鉄エンジニアリング株式会社


(引用)除去した硫黄分は硫酸として回収される無公害プロセスです

(1)脱硫塔1塔で脱硫後のH2S濃度50mg/Nm3以下を達成でき、湿式脱硫法として最高水準の脱硫性能を誇ります。

(2)全ての脱硫廃液は燃焼後に濃硫酸原料として使用されるため、廃液は系外に排出されません。(引用終わり)


排出されないはずが、排出されています。

それもなぜかちゃんと小糸川へ流される水路があるようです。



・光化学スモッグ

川崎公害

https://kawasaki.genki365.net/G0001340/assets/attachmentfile/attachmentfile-file-25577.jpg


2020年に発令された東京都の光化学スモッグ報道

https://shinagawa.goguynet.jp/2020/08/11/smog/

https://shisokuyubi.com/bousai-jutu/photochemical-smog



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