第百十六話 汚水 後書き(注1)その12
『Isaiah Song』by Maverick City Music
https://youtu.be/DAXy_RZ2enU
上記がリンク切れの場合は下記をお試しください。
https://youtu.be/KHH1swbWOCQ?si=4aNl_zV2ZRQV9hZF
https://youtu.be/QTZj5FJMuMI?si=IHhZnush8t0-R7lA
The Isaiah Song by ft. Chandler Moore & Benita Jones
『神から御言葉を預かった“預言者”イザヤの詩』
(旧約聖書イザヤ記より)
これがこの宇宙と地球を創造した主なる神からの御言葉である。
『わたしこそがこの現実世界を構築する以前から
存在していた神である。
神であるわたしだけが最初から存在し、
あらゆる地上の物体が生まれては消えていっても
最後まで神であるわたしだけが生き続ける。
お前達、人類の未来を知るのは神であるわたしだけであり、
これら全ての事を知り尽くしているのも神であるわたし以外に
誰がいよう?
だから、決して恐れるな
神であるこのわたしがお前達、人類の為にこの詩を贈ってやろう
さぁ、この聖なる詩を謳え
荒れ果てた大地で嘆く者達よ
聖なる生きた水は泣き叫ぶ声ももう出ないほど
涙で喉を涸らして心傷ついた人々の元にやって来る
たとえ、お前達が何ら力も富もなく、地位も身分もなくても
神であるこのわたしが全ての源であり、泉である。
だから、神であるわたしからさぁ、生きた水を
汲むがいい。
神であるこのわたしが与えてやろう
わたしこそがあらゆる生きた豊かな水を与える源泉である。
決して消えることも、朽ち果てることもない
神であるわたしこそがあらゆる生物に生命を与える源泉である』
これがこの宇宙と地球を創造した主なる神からの御言葉である
『神はあらゆる世代から世代、古代から延々と存在し続けてきた
その神であるわたしこそがこの地上のあらゆる何千、何万人もの
天才達を創ってきた聖なるただ一つの智慧であり、
魂であり、精神である。
そして、このわたしの“神”という名を
称え、敬い、救いを求める者であれば
神であるこのわたしが必ず救う
だから、決して恐れることはない。
お前達の敵からお前達を守るこの聖なる詩を贈ってやろう
さぁ、謳え、謳え、
乾いた大地で嘆く人々よ、
慈愛(=Zion)を求めて
泣き叫び、喉を涸らす人々よ
生きた神の聖なる水はお前達にこそ与えられる
たとえ、お前達には何ら武器や力や富はなくても
この現実世界を創った神であるこのわたしが
全ての智慧の源泉であり、
神であるこのわたしにできない事は何もない
だから、さぁ、汲むがいい、
わたしから生きた聖なる智慧の水を
何も無いと力尽きて嘆く人々よ
神であるわたしから生きた生命の水を汲むがいい
なぜなら、神であるわたしだけが
この無慈悲で残酷な荒れ果てた砂漠の世界を
溢れんばかりの豊かな川に変え、
心傷ついた者達にわたしの慈愛(=Zion)の心を
注いでやることのできる唯一の存在だから
その燃え尽きて灰のように真っ白になった
虚ろに絶望しているお前達に
再び美しい希望の火をその心に灯してやれるのは
神であるわたしだけだ
お前達の嘆きも慟哭も
再び喜びや笑い声に変えられるのは
神であるこのわたしだけである』
さぁ、天国が今、開かれた
あなた方の頭上に、そして
これから未来永劫、人類の子孫達の頭上に
今こそ、天国の門が開かれたのだ
神であるあなたが今こそ目の前におられることが分かる
まさしく今、あなたの御心がここにあると感じられる
神であるあなたが今、
わたし達、人類を癒し、慰めてくれていることがよく分かる
さぁ、今こそ、天国が目の前に開かれている
神こそが、この荒れ果てた何も無い大地に
実り豊かな道を創ってくれる
神こそが、このひたすら乾ききった無慈悲な砂漠の世界に
美しい清らかな川を創ってくれる
神こそが、この瓦礫と死体の山と化した荒れ地に
正しい道を創ってくれる
さぁ、もう喉を涸らして泣くことはない
天国は今、開かれたのだ
もう二度と何も報われないこともない
天国は今、目の前にあるんだ
もう無慈悲で心の乾ききった者達の嘲笑や侮蔑を
この現実世界で聞くこともなくなる
疲れたあなた方をいくらでも慰め、労わってくれる天国が
今、この地上に創られたのだから
『さぁ、謳え、謳え、
乾いた大地で嘆く人々よ、
慈愛(=Zion)を求めて
泣き叫び、喉を涸らす人々よ
生きた神の聖なる水はお前達にこそ与えられる
たとえ、お前達には何ら武器や力や富はなくても
この現実世界を創った神であるわたしが全ての源であり、
神であるこのわたしにできない事は何もない
だから、さぁ、汲むがいい、
わたしから生きた聖なる水を
何も無いと力尽きて嘆く人々よ
神であるわたしから生きた生命の水を汲むがいい』
ええ、今まさに神であるあなたがわたし達、人類に
救いを与えてくださっていることがよく分かる
まさしく今、その救いの手を差し伸べてくださっていることが
この聖なる詩からよく分かる
確かにわたしには何も無くても、
神様は本当に全ての源泉だ
たとえ今のわたしがあらゆる幸せを奪われていたとしても
神様は再びわたしに幸福を与えてくださる真の幸福の源だ
だから、神様は必ずわたしに喜びを戻してくださる
これがわたし達、人類を創ってくださった神様の御言葉である
この宇宙にいらっしゃるあなた達のお父さんが
今まさにあなた達の頭上で
あなた達の為に救いの詩を謳ってくださってる
もうあなた方の喜びが消えることはない
二度と泣くこともなくなる
あなた達はきっと平和を喜び、幸せに歌い踊ることだろう
二度とその幸せや平和を奪われることもない
これからはきっとあなた方はいろいろな案を考え出し、
その手で創り、大きく育て、
その人生を実り豊かなものにしていくことだろう
しかも、その際、彼が持ち込んだ干拓や石油採掘に使う蒸気式のボーリングマシン(=Oil derrick、ねじのようなドリルで地面に穴を掘って石油やガス、温泉などを掘り出したり、地質調査を行う為の機械のこと。ただし、ボーリングマシンとは和製英語なので、英語でBoring machineと言うと、地面を掘る大きな機械ではなく、金属加工の際に板金などに穴を開ける機械のことで、英語では地面に穴を開ける装置はこのDerrickの方が一般的である。特に石油を掘削する装置はOil derrickと呼ぶ。ところが、日本でデリックと言うと、また違う意味になり、港に停泊中の貨物船からケーブルでもって貨物を吊り上げて荷下ろしを行う装置のことか、建築現場で資材を吊り上げて移動させるクレーンを指すらしいので、かなりややこしいのでご注意下さい。ちなみに、ボ“ー”リングは何かに穴を開けること、一方、ボ“ウ”リング(=Bowling)とは中世英語のbole「木の幹」とbulwark「防壁」の二語を合わせて「壁のように並べた木のピンに向かって球を投げて倒す球技」のことで、日本語でも“ー”と“ウ”で全く意味が異なるのでこれもややこしいのでご注意下さい。さらに補足すると、英語でもDerrickは地面を掘削する機械だけでなく、日本と同じように船から貨物を荷下ろしする機械の意味もあるので、何だか頭がこんがらがりそうだが、元々、Derrickと言う強姦魔が恩赦されて死刑執行人になり、囚人の首吊り用に作った装置だからデリックと呼ぶようになったそうで、そうした背景から作業する人の安全性などを考えて作られた機械ではないため死亡事故が多発する危険な機械でもあるのだが、ともかく物を吊るし上げる機械はDerrick、手元にある何かに穴を開けるのがBoring Machineと想像していただければ多少、区別がしやすいかと思う。)が急に地面を強く掘り下げすぎて原油を噴水のように噴出させてしまい、操作途中だったドリルを引き上げる際に摩擦を起こして火花が生じたため掘り当てた原油が一気に爆発してしまった。その結果、事故が起こった現在のベラクルス州にあるドス・ボカス港から約300km先のメキシコ湾の沖合でも火事が見えるぐらいの大爆発で、1908年7月4日~8月30日までの約2か月間、日に9万バレル(つまり、2か月分だと大型タンカーが約2.6隻分)もの石油を噴出させながら燃え続け、炎も61m(大体、20階建てのビル)ぐらいにまで達し、摂氏538度もの熱でオルメカ文明の頃に築かれた豊かで美しかったサンゴ礁や湿地帯なども全て焼き払われることとなった。さらに石油が燃え続けたことから日本でも火山口や温泉などで卵が腐った匂いがした後、高濃度の気体により嗅覚が麻痺し、呼吸困難で死亡してしまったり、低濃度でも一定期間、吸い続ければ気管支炎や肺水腫を起こしてしまう硫化水素が発生したため周辺の住民が次々と倒れて亡くなっていき、農業や漁業といったそれまでつつがなく営んできた産業が全てできなくなった。結局、ピアソン達、欧米人達がメキシコにやって来て残したものは軍需産業の公害だけで、以前よりもメキシコの水資源を枯渇させてしまっただけでなく、メキシコに埋まっていた石油もピアソンの興したピアソン社(=Pearson plc、元はイギリス北部のウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォード市でピアソンの祖父が創設した従業員わずか9人ほどの小さな土建屋に過ぎなかったが、折しもイギリス国内は第116話『汚水』(注1)その11で話した蒸気機関の特許を取得したことで蒸気機関が流行になり、さらにそれをアメリカ大陸で使っていたトロッコ(貨車)や何台も馬車を繋げて人や荷物を運ぶワゴントレイン(=Wagon train、貨車または馬車を一列に連ねて運ぶ方式、つまり“列車”。)にも使うようになったことからもっと大量に兵士や銃などの兵器が運べるよう16世紀にドイツやイギリスにあった鉱石を運ぶ為のレール(=Rail、語源は古英語でregol「支配者、占領地を示すまっすぐな境界線」、つまりRailroad、Railwayとは「王道、支配者の道」を意味する。)を木製から鉄製に換えた鉄道(=Railroad)が盛んに造られるようになった。しかし、元から鉄資源が無いと言うべきか、少なくとも現代でイギリス人と呼ばれているアングロ・サクソン民族がブリテン島を占領して支配するようになってからは資源らしい資源が無いに等しいイギリスで冶金(製錬&精錬)など発達する訳はなく、鉄製レールを造って敷く為の知識や技術がほとんどなかったのだが、そんなイギリス人達に鉄の冶金術(製錬&精錬)を図らずも伝えることになったのがイギリス人達が占領したアメリカ大陸に住む原住民のインディアン達だった。それが現代ではイロクワ族(=Iroquois、正しくは古フランス語のHeroes「英雄、神格化された者達」、quois「何か、目に見えないもの」を併せてHieroQuois「目に見えない神の御心または精神によって突き動かされ、聖なる者と敬われるようになった人々」という意味。)と欧米人達から呼ばれるようになった人達で、彼らの言語ではホーディノソネー族(=Haudenosaunee、イロクワ語で「長屋に住む人々」)というアメリカ合衆国以前に既に異なる都市国家を築いていた部族同士が民主主義精神の下で結集し、『Kaianere’kó:wa(英題は『the Great Law of Peace』、邦題だと『平和大憲法』、イロクワ族(ホーディノソネー族)の伝承によると、日食が起きた1142年頃から口伝えで制定され、まず5か国(5部族)が批准して1190年頃に成文化されたまさしくアメリカで最初に制定された“合衆国憲法”(=the United States Constitution)である。しかし、なぜ、その憲法を制定して成文化(書面化)するまでに50年近くも時間がかかったのかと言うと、別に彼ら原住民達が文字を知らなかったわけではなく、既に5か国(5部族)とも異なる言語や文字を持つ別々の都市国家だったからで、それを共通憲法として認識できるように変えたのが彼らが使っていたワンパンベルト(=Wampum Belts)と呼ばれる貝殻のビーズ(数珠玉)で作った帯であり、現代で例えるなら様々な情報を記録する為に一定の記号や数字、色などを使って符号(信号)にするエンコード(=Encode、符号化)にして憲法を変換した物がそのワンパンベルトだった。つまり、彼らイロクワ族(ホーディノソネー族)が発明したワンパンベルトによる平和憲法の記録媒体がなかったらモールス信号のような19世紀以降の電信符号はもちろん、現代で使われるコンピューターのエンコード(符号化)もできなかったと言える。)』という名の、全117条項にも渡って定められた平和憲法の下で一つの合衆国(様々な国同士の共同社会)を欧米人達がアメリカ大陸を占領しに来る前に既に築いていた人達だった。そんな高度な文明(神の智慧)を持った人達だったが、元はお互い我利だけを求めて絶え間なく戦争(人殺し)を続け、部族(都市国家)同士で憎み合っていた人々でもあり、中には人肉を喰らって共食いの儀式を奨励する部族もいて、ここでもやはりゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教がはびこっていたのだが、どう見てもいがみ合ってお互いを殺し合うばかりの部族同士を一つにまとめたのがデガナウィーダという一人の男だった。16世紀にフランスからカナダを経由して宣教しに来たイエズス会の宣教師達が原住民達に信用される為にこのデガナウィーダの伝記にナザレのイエスの話を混ぜたり、自分達が改宗させたカナダに住むワイアンドット族(またはヒューロン族)を彼の出身部族と偽ってしまったため今ではもう、アメリカの原住民達の子孫の間でも彼の正確な人物像が分かり難くなってしまっているが、それでも彼が遺した功績は計り知れず、デガナウィーダこそ19世紀から始まった欧米人達の産業革命の基礎を築いたと言っても過言ではない。なぜなら、彼の残した鉄の冶金術(製錬&精錬)がなかったら欧米人達、特にイギリス人達にとっては蒸気機関の次に産業革命の象徴である鉄道を敷く鉄製レールは造れなかったからである。だが、そうなったのもまず、デガナウィーダが部族間の戦争(人殺し)を止める宣教活動を始めたからで、彼がアメリカ大陸で絶え間なく続いていた戦争(人殺し)の連鎖を止めていなかったら現代では存在していて当然のように思われ、何気なく利用されている鉄道も自動車も、船も飛行機も鉄橋その他のあらゆる鉄鋼製品が誕生することはなかった。それぐらい彼の平和宣教活動はわたし達、人類にとてつもない遺産を遺してくれたのだが、なぜ、そんな事が言えるのかと言うと、彼が戦争(人殺し)を止めたことでアメリカ大陸に降り注いでいた酸性雨を止めたからである。酸性雨の話は第97話『不浄(1)』で説明した通り、金属を冶金(製錬&精錬)することで生まれる。この酸性雨が多量に降り注いで公害が拡がるのは言うまでもなく戦争(人殺し)に必要な武器や兵器を大量に生産しようとするからで、デガナウィーダ達が暮らしていた五大湖(=The Great Lakes、西から順に五大湖の中では最大の面積の82,100㎢を誇り、ちょうど日本の北海道が一回り小さくなったサイズのスペリオル湖(=Lake Superior)、最大水深406mのスペリオル湖の次に面積57,800㎢で最大水深が282mとかなり深いミシガン湖(=Lake Michigan)、ミシガン湖の南端にあるシカゴ港から出航して二つの湖の間に突き出た形で横たわるミシガン州に沿って時計回りに進むと面積59,600㎢、湖の南端には自動車の街と呼ばれるデトロイト港まで行けるヒューロン湖(=Lake Huron)、そのデトロイト港から東へ横に伸びる形で拡がる面積25,700㎢、最大水深64m、平均水深もたった19mと五大湖の中で最も浅いエリー湖(=Lake Erie)、そのエリー湖をそのまま東端まで渡ってさらにナイアガラ川を下り、観光名所で名高いナイアガラの滝を眺めながら北上するとカナダのトロント港までたどり着き、そこから東へもっと別の湖や川を渡ればモントリオール市やケベック市まで航行できる面積18,960㎢、五大湖の中では最小のオンタリオ湖(=Lake Ontario)といった地形になっていて、エリー湖を除いて全て氷河期が崩壊した際にできた氷河湖だが、日本のリアス式海岸(第110話『灌漑』(注1)参照)と同じようにほとんど人為的に手を加えて故意に広げた湖群でもある。そして、エリー湖も第110話『灌漑』で話したように最大水深がわずか64m、平均水深も19mでかなり浅いことと、大体、季節に応じて高波が周辺の土地を冠水させるそうなのでこれも第98話『不浄(2)』でソドムやゴモラのあったシディム渓谷で田畑を冠水させて農業を行っていたのと同じく、エリー湖の周辺に住んでいたインディアン達も葦原を茂らせて高波を防御しながら夏季には多量に、冬季は波の勢いを弱めて湖で浄化された土壌が田畑に流れ込むよう調節していたらしく、このことからもエリー湖が人工湖であることがよく分かる。その他、アメリカでは最大、世界でも有数の鉄鉱石の採掘場であるメサビ鉄山(=The Mesabi Iron Range)を始めとした鉄山帯がスペリオル湖周辺に密集しており、2022年現在でも露天掘り(第97話『不浄(1)』~第98話『不浄(2)』参照)の採掘場としては世界最大であるハル・ラスト・マホニング露天掘り鉄採鉱場がある通り、古代でも鉄の生産はこの五大湖周辺で行われていたようで、中東のシディム渓谷と同じようにカルスト地形(炭酸塩が主成分の石灰岩でできた土地)に穴を掘って雨水や地下水を流して塩水に変え、湖の周辺などにさらに大きな穴を掘ってそこにその塩水を流し込めるようにし、スペリオル湖周辺の鉄山帯から採掘した鉄鉱石を漁業用の網でもって流し運びながら塩水を貯めた穴に鉄鉱石を沈めてそこで鉄と硫黄とを分離させていたらしく(塩浴法)、数々のシンクホールが五大湖周辺の地表だけはでなく、2001年頃にヒューロン湖の浅瀬で見つかったミドル・アイランド・シンクホールのように湖底にも掘られているのは上述の通り、船で大量の鉱石を引っ張って運んでいたからで、今でもその湖底のシンクホールに高濃度の硫黄が漂い、酸素が少ないのは古代からそこで鉄鉱石の湿式精錬を行っていたことが理由である。)の南側、特にエリー湖のある現在のオハイオ州を中心にして東隣にあるペンシルバニア州、その下のウェストバージニア州、オハイオ州の真下に位置するケンタッキー州、そして鉄山帯のあるスペリオル湖の真下でミシガン湖を囲むように時計回りに位置するミシガン州、インディアナ州、イリノイ州、ウィスコンシン州と、後にミシシッピ文明(=the Mississippian culture、五大湖の南東部やスペリオル湖とミシガン湖のある現在のウィスコンシン州から流れるミシシッピ川流域に沿ってメキシコ湾に流れ出る河口があるルイジアナ州、そこからメキシコ湾を取り囲んで位置するミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア州、フロリダ州までの地域でAD800年~AD1600年頃に栄えた文明のこと。特にデガナウィーダ達が平和憲法の下で合衆国を興した地域で栄えた文明を別名、ホープウェル文明(=the Hopewell traditionもしくはthe Hopewell culture)と呼ぶこともあるが、“Culture”を日本語に訳すなら「文化、文明」だろうが、アメリカでは一般的にHopewell Traditionと呼ばれており、なぜ、“Tradition”「遺産」とわざわざ言葉を換えて名づけられているのかと言うと、一般のアメリカ人達の間では単に1800年代に遺跡が見つかった土地の所有者の名前がMordecai Hopewellだったからという説明がよくされているが、そもそもMordecaiは旧約聖書に出てくるユダヤ人の名前であり(エズラ記2章及びエステル記参照)、もっと遡ればBC18世紀頃のハムラビ法典の中に記されている中東のバビロニア帝国で主神として信仰されていたマルドゥク神(=Marduk、アッカド語で「不滅の太陽神が産んだ牡牛」という意味で、Marduとは現代英語のMurder「殺人、殺戮、烏の群れ」の語源であり、また、末尾の-kはcaiと綴りと読みが変わって、後にcarry「馬や牛で引く荷車(言い換えれば牛車)で運ぶ」という単語の語源となった。)にまつわる名前で、つまり、Mordecaiとは「殺人者を連れてくる者、軍隊を率いる者」という意味なので、一般ユダヤ人達によるアメリカへの移住も始まっていない19世紀初頭に20世紀になっても迫害されていたユダヤ人達がアメリカ開拓に躍起だった欧米白人種より先に土地が買えたとは考えられないことから、明らかにモーデケイ・ホープウェルさんの遺産だったからHopewell Traditionと名づけられたとの説はでっち上げのように思えるが、元よりそんなデマが出回ったのもこのHopewell traditionと呼ばれる地域一帯を買い取ったアメリカ及びイギリス政府(王室)がその土地を入手するまでに至った経緯、いわゆる、アメリカ開拓史についての真実をアメリカの一般国民に知られたくなかったからである。つまり、デマの出所はアメリカ及びイギリス政府(王室)であり、Hopewellとは1799年にフランスの最高責任者となったナポレオン・ボナパルト(第103話『略奪』(注3)参照)からフランスの植民地だったルイジアナ州(現在のルイジアナ州ではなく、アメリカ大陸を三つに分けた場合、その3分の1に当たるアメリカの中央部をフランス領ルイジアナ州と呼んでいた。)をアメリカ政府が購入する際、その売買の仲介をしたホープ商会という、一見、オランダの銀行のように見せかけて実際は16世紀からスコットランド王家に仕える織物商人だったホープ家が建てた銀行であり、そのホープ家とこれまた1762年の創業以来、ヨーロッパ中の王室(政府)に資金を貸しまくって女王陛下の銀行と呼ばれていた事実上、イギリスの国営銀行であり、明治維新の日本にも貸して日露戦争からバブル景気に沸いた日本経済が破綻する1995年までイギリス最大手だったベアリングス銀行両行がアメリカとフランスの両政府に資金を融通したことから、Hopeとはこのホープ商会(=Hope & Co.)のことであり、日本で大倭朝廷(現、皇室)が貨泉を持って朝鮮半島から侵略に来て以降、住友財閥が屋号に“泉”屋と付けるのと同じく(第116話『汚水』(注1)その5参照)、Wellは「資金が湧き出る泉、財源」なのでこれと併せて「ホープ商会の資金が湧き出る泉」、ひいては「イギリス王室(政府)の財源」との意味合いも含ませながらHopewell tradition「イギリス王室(政府)の財源となる遺産」と名づけたのであって、まさしくこの地域をアメリカとイギリス政府(王室)がまんまとフランス革命とナポレオン戦争に扇動されたフランス国民(政府)から奪い取っていなければ、もっと言うなら、デガナウィーダ達、アメリカの原住民達が平和憲法の下でミシシッピ文明やホープウェル遺産と呼ばれる文明(神が与えし智慧)の中でも冶金(製錬&精錬)に関する文明を発展させていなければ、19世紀から2022年の今もなお、続いているアメリカとイギリス政府(王室)が牽引する世界経済の構築は成り立っていなかった。言うなれば、アメリカの原住民達が培ってきた文明(神が与えし智慧)を常々、自分達はナザレのイエス神と言うより本当はMordacaiという名前が口から出てくるぐらい中東のゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の軍神であり、大勢の兵士(殺人者)達を率いてくるマルドゥク神を信仰し、その軍神に選ばれた子孫と豪語するイギリス王室とその臣下達が盗んだからこそ彼らは鉄道や自動車、船舶、飛行機、産業機械のみならず、鉄を用いた銃やミサイル、ロケット、戦艦、戦闘機、核兵器なども製造販売して世界中から大英帝国や軍事大国アメリカと呼ばれるようになったのであって、彼ら自身は最初から文明(神が与えし智慧)など何もなく、世界的な富が生めるぐらいの発明も何一つしたことはなかった。それゆえ、その真実、イギリスにとっては蒸気機関に続いて19世紀の産業革命の象徴である鋼鉄(=Steel)を誰が最初に開発したか?について表沙汰にされることを恐れてHopewell Traditionの由来のデマを流したようで、この他にも1803年にフランス領ルイジアナ州を乗っ取ってから第3代アメリカ大統領だったトマス・ジェファーソンの命で結成された隊長メリウェザー・ルイスと副長ウィリアム・クラークによるルイス・クラーク探検隊がミシシッピ文明(ホープウェル遺産)の遺跡を発見し、原住民達から冶金(製錬&精錬)の知識や技術を聞き出すだけでなく、彼らが耕す田畑やその周辺の鉱山、さらにはそこから実際に鉱石を採掘して冶金(製錬&精錬)まで行える労働者(奴隷)も確保しようと画策したのがある計画殺人だった。主犯は副長のクラークだが、実行犯はナサニエル・ヘイル・プライアーという男で未婚者に限られていた隊員の中でただ一人、妻帯者だったプライアーが選ばれた理由が彼が17世紀にアメリカ大陸からイギリスに伝えられたウィートラコッシュ(カビさせたトウモロコシ。 第116話『汚水』(注1)その1参照)というよりウィートラコッシュを作る途中でできるアフラトキシン(カビ毒)の製法を知っていたからで、その生物(細菌)兵器の知識からポカホンタスの姉妹の子孫でポウハタン族の末裔とも詐称していたらしく、そのためクラークに雇われて毒を盛ったのが同じ隊員の一人である弱冠22歳のチャールズ・フロイドという青年だった。発端はフロイドとの間に何らかの揉め事があった訳ではなく、最初から殺害を目的に彼を探検隊に誘ったらしく、カビ菌のついた腐ったトウモロコシを食べさせて中毒にした後、トウモロコシを販売していたソーク族という原住民の一人にその罪を擦り付けたらしく、身に覚えのない罪を咎められた食品販売業者であるソーク族の男は慌てて応急処置をして中毒で倒れたフロイドを助けようとしたため一旦は回復しかかったのだが、クラーク達がまたもや似たような食事を勧めて再度、フロイドを食中毒にしたため結局、彼はそのまま帰らぬ人となった。そうして殺人の冤罪を着せられたソーク族の男は探検隊に逮捕されて監禁されてしまい、その彼の釈放と賠償金の交渉に探検隊の前に現れたのがこれも事前に示し合わせていたソーク族の前酋長だったクォッシュクォーメ(=Quashquame、ソーク族が話すフォックス語で「“飛びつく”魚」という意味。)とソーク族内にあった宗教団体、つまり、デガナウィーダ達が生きていた12世紀に一度は“偉大なる精神”(=The Great Spirit、アメリカの原住民達の間では全知全能の神のことをそう呼ぶ。)の教えである平和憲法を人々に伝えたことからゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教は否定されて無くなったのだが、彼らの世代が死んでいなくなると他部族との婚姻や移民などで再び宗教団体(軍事結社)が復活してしまい、悪魔祓いなどを行うスピリチュアルカウンセラー(霊媒師)なる業者がソーク族内でも密かに営業していたことからこのスピリチュアルカウンセラー(霊媒師)の息子だったブラックホークと名乗る男も前酋長に付き添ってきた。もちろん、最初からこの二人を探検隊との交渉に呼び寄せる為だけに仕組まれた計画殺人で、この事件の前にクォッシュクォーメは横領の罪か何かで酋長を辞めさせられていたらしく、ソーク族内の内政に口出しする権限はもはやなかったのだが、酋長という以前の肩書を盾にして勝手に冤罪の交渉に入った挙句、彼らが探検隊と交わした証書が後に原住民達がお互いの部族の境界線を指して呼んでいた名前から採ってプレーリー・デュ・シアン条約(=The Treaty of Prairie du Chien)または最初に証書に調印したミズーリ州の地名を採ってセントルイス条約(=The Treaty of St. Louis of 1804)と呼ばれる五大湖周辺に住んでいた原住民達を強制的に移住させる一連の条約の始まりとなった。しかし、なぜ、原住民が売ったトウモロコシを食べて中毒死した一人の白人に対する賠償金の話がその他の原住民の強制移住の話にまで繋がったのかと言うと、元々、それが目的でクォッシュクォーメ達と交渉していたからで、殺人容疑で監禁されているソーク族の男を釈放する代わりにソーク族の住んでいる土地を一部、賠償金として探検隊、ひいてはアメリカ政府に永続的に差し出すと書かれた証書にクォッシュクォーメ達が署名してしまったことからその土地に住んでいた原住民達は全員、移住せざるを得なくなった。むろん、そんな彼らの交渉など全く与り知らない赤の他人の原住民達にしてみれば自分達の家や田畑などの財産をクォッシュクォーメ達の署名一つでアメリカ政府を始めとした白人達に奪われてしまったのだから非難ごうごうになったのも当然で、しかも、その署名の後、交渉の顛末など何も知らず釈放されて家に帰れるものと思い、喜び勇んでクォッシュクォーメ達に駆け寄ったソーク族の食品販売業者を探検隊は無情にもその場で撃ち殺してしまった。ところが、白人の隊員だけでなく、原住民の一人を殺すことも最初から計画していたことで、このアメリカ政府が派遣した白人達の非道に憤るよう原住民達を焚きつけることがブラックホーク(=Black Hawk、英語で「腹黒い鷹」、本名のMa-Ka-Tai-Me-She-Kia-Kiakも「大きな黒い鷹」という意味なので通称として英名を好んで使っていたらしく、後に自伝をアメリカ政府の新聞記者に代筆してもらって英語で出版し、ベストセラーになったほど白人達からは相当、もてはやされたようで、若い頃はそうしてアメリカ政府に密かに雇われたソーク族の過激派テロリスト指導者として慣らし、傍若無人に振舞って粋がっていたようだが、晩年は家も土地も失って移住してきた白人達の畑作業や土地案内を手伝うなどしてその期間だけ食事や寝床を恵んでもらう貧困生活をするようになったらしく、結局、彼がその一生を賭けて行ってきたことは単にソーク族を始めとしたアメリカの原住民達を大勢、戦争(人殺し)に巻き込んで殺傷し、その家族や罪もない子供達を路頭に迷わせ、泣かせた挙句、彼らが平和に築いていた家や田畑などの財産を白人達に無料で明け渡しただけだった。しかも、その弊害はその子孫にまで影響し、現代でもなお、ブラックホークが先頭に立って暴動や戦争(人殺し)を煽っていた猛者や乱暴者の印象が白人達の心に根強く残ってしまったため、アメリカの原住民というだけで争いを好みやすい白人達から挑発的な心無い暴言を吐かれたり、嫌がらせを受けるなどの人権を侵害する行為が度々、アメリカの原住民の子孫に及ぶのもあちこち荒し廻っていたブラックホークが犯してきた犯罪の代償を支払わされているようなもので、彼自身もまた、死後も安らかには眠らせてもらえなかったらしく、面白半分で彼の墓を暴いた不心得者が世間に彼の骨を晒そうとして盗み出してからは見つかっても保管場所が定まらずあちこちたらい回しにされたそうで、結局、彼の骨がどこへ消えたか今ではもう、誰も知らない・・・。)と呼ばれるクォッシュクォーメに付き添ってきたもう一人のソーク族の男の役目だった。要するに、アメリカ政府が派遣した白人隊員の一人を原住民が殺したとなればアメリカに住む白人達は原住民に対して憎悪を抱くようになり、それとは逆に原住民に冤罪を被せて裁判もせずに無情に撃ち殺したのがアメリカの白人となれば原住民達もまた、アメリカの白人達を仲間の仇と思って報復しようとする。これがアメリカ及びイギリス政府(王室)が当初から描いていた計画殺人の脚本だった。そして、この脚本にたまたま便乗したのが酋長の座を降ろされて腐っていたところをアメリカ政府から支援の申し出があったことでそれに飛びつき、白人達の力を借りて酋長の座に返り咲きたかったクォッシュクォーメとゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教に狂信して自分の腕力を振るうことしか頭になかったブラックホークだった。その彼らについては後に現代アメリカ文学の大家として知られ、1861年7月10日にミズーリ州セントルイス市にあるフリーメイソン支部のポーラスター・ローズヒルロッジNo.79のマスターメイソンになった元新聞記者のマーク・トウェイン(=Mark Twain、本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンス。マーク・トウェインというペンネームを使うようになったのはミシシッピ川の遊覧船の船長だったイザヤ・セラーズが川についての情報を新聞に投稿する際、使っていた仮名を偶然、目にして拝借したからとの奇遇、不思議なめぐり合わせを理由にしているようだが、そもそもイザヤなどといういかにも聖書のイザヤ記を意識したユダヤ人らしい名前に併せて英語でSellers「販売業者、セールスマン」が苗字になっていることからして実在の人物とは考えられない名前であり、何度も言うようだが、19世紀のアメリカでユダヤ人が船長や職長などのリーダー(長)職、つまり、欧米白人種より高い職位に就ける身分ではなかったのだから(第116話『汚水』(注1)その8の前書きを参照)作家マーク・トウェインの説明は嘘になる。恐らく彼の本を販売するフリーメイソンのメンバー達が彼を売り出す為に考えて付けた名前がマーク(引用符に)・トウェイン(二重の意味が含まれる)だったから使うようになっただけで、現代アメリカ文学の巨匠マーク・トウェインとは小説家のオスカー・ワイルド(第116話『汚水』(注1)その5参照)のようにフリーメイソン(イギリス王室を存続させる為の軍事結社)が税金を使ってプロパガンダ(大衆洗脳宣伝)したことで巨匠にされただけの偽の文芸作家であり、そのため聖書の謎を読み解いて世界最強の兵器を作ることが目標の軍事結社であるフリーメイソンのメンバー達をイザヤと名づけ、自分の本を売ってくれるとの意味も併せてイザヤ・セラーズと彼らを総称したようである。だから、彼の本は全てワイルドの本と同じくフリーメイソンのメンバー同士が兵器情報や軍事機密を交わす為の暗号文になっている。)の処女作である『Jim Smiley and His Jumping Frog(邦題は『ジム・スマイリーと彼の飛び蛙』1865年発刊)』、または『The Celebrated Jumping Frog of Calaveras County(邦題は『キャラベラス郡の名高き飛び蛙』1865年発刊)』あるいは『The Notorious Jumping Frog of Calaveras County(邦題は『キャラベラス郡の悪名高き飛び蛙』1867年発刊)』と、三篇ともいろいろ題名が変えられて出版されていて分かりづらいが、いずれも内容は同じでクォッシュクォーメ達のことが書かれてあり、どの題名にも出てくるJumping Frog(飛び蛙)こそソーク族の前酋長のクォッシュクォーメ(“飛びつく”魚)のことである。そして、日本でもよく知られるマーク・トウェインの代表作『トム・ソーヤの冒険(=The Adventures of Tom Sawyer、1876年発刊)』や『ハックルベリー・フィンの冒険(=Adventures of Huckleberry Finn、1884年~1885年発刊)』もルイス・クラーク探検隊の冒険談や彼らがミシシッピ川を下ってその地域の文明(神が与えし智慧)の在り処を探し求め、見つけた鉄の冶金術(製錬&精錬)などが話の筋に織り込まれており、子供向けの文学というよりフリーメイソン(イギリス王室を存続させる為の軍事結社)から常々、子供並みの知能と蔑まれている大衆に軍事機密である鉄鋼の情報を知られないよう脚色されて書かれたものだが、元より“文明(神が与えし智慧)とは一体、何なのか?”がまるで分かっておらず年老いてもスパイや戦闘ごっこが止められない野卑で幼稚なフリーメイソン(軍事結社)の大人向けに書かれたファンタジー(幻想)小説であり、作者のトウェインも読者であるフリーメイソン(軍事結社)のメンバーやアメリカ及びイギリス政府(王室)関係者達も真面目な“文学”のつもりでこれらの本を評価しているのかもしれないが、書かれている内容は?と言えば、探検隊が計画的に殺したフロイドの話やその罪をインディアンであるソーヤ族の男に擦り付けた話、自分達、フリーメイソン(軍事結社)のメンバーを海賊と称して常に悪知恵やズル、盗みを奨励し、不正や怠慢なく正直に労働してそれに見合った対価を自分の能力で得られることを喜びとせず逆にそれを心底、嫌って馬鹿にするなど、低俗かつ卑怯な生き方ばかりが描かれており、要は自分達、フリーメイソン(軍事結社)のメンバーやアメリカ及びイギリス政府(王室)関係者達が犯してきた不正や犯罪行為の自慢話ばかりなのだから何をそんなに神(善)に逆らうことが誇らしいのか理解し難いが、終始、そうやって人間らしく善(神)の教えを信じて愛や誠意を尽くそうとする生き方を茶化しているだけで到底、“真面目な=真剣に自分の生き方と向き合って考え、書かれた”文学でないことだけは確かである。しかし、もちろん、「自分達がその事件の犯人です!」などと書くわけはないので、あくまでファンタジー(おとぎ話)として殺人事件が描かれ、犯人も自分達、白人ではなくインディアンが犯人になっていて、ズルや盗み、不正行為も既に分別をわきまえ、物事の善悪が分かっていて当然と見られる年齢を過ぎたいい大人が故意にした行為ではなくて、まだ無知蒙昧な子供達がつい、悪戯心から犯した過ちとして書かれてしまうためフリーメイソン(軍事結社)のメンバーや政府(王室)関係者以外で裏の意味を読むことはない一般の読者からすればあくまでフィクション(作り話)なので深刻とは思わなくなる。そうしていつの間にか実際に水面下で行われている殺人も強盗も不正行為も全て冗談やおとぎ話の世界、現代用語で言い換えるなら、異世界での出来事で片付けられてしまう。それが現代アメリカ文学の真髄とも言われるマーク・トウェインの作品なのだが、ともかく彼の本こそ1804年からアメリカ政府というよりもイギリス政府(王室)の指示で始められたルイス・クラーク探検隊の特に鉄鋼に関するミシシッピ文明(ホープウェル遺産)の考古学調査についての報告とそれに伴ったアメリカの原住民達に対する強制移住政策の経緯がまとめられており、それゆえ現代まで読み継がれ、出版され続けてきたのだろうが、実際のところ、マーク・トウェインの本が出版されたのは1865年以降のことなのでトウェインもルイス・クラーク探検隊の隊員達に会ったこともなければ、クォッシュクォーメ達から直接、話を聞いたわけではない。なのに、なぜ60年以上も前の、少なくとも1812年に起こった米英戦争(=The War of 1812、ヨーロッパのナポレオン戦争と並行して1812年~1815年まで行われたイギリス王室(政府)が画策したアメリカ大陸を独占する為のヤラセ戦争のこと。第103話『略奪』(注3)や第116話『汚水』(注1)その5でも話した通り、フランス革命やナポレオン戦争は元々、イギリス王室(政府)がフランス本国とその植民地を乗っ取る為に操作していた暴動や戦争(人殺し)だったので、サマセット裁判の理由(イギリス本国では奴隷を所有してはいけないとイギリスの法廷で決められた裁判。第116話『汚水』(注1)その5参照)を除けば、フランス王室が倒れるきっかけとなったアメリカ独立戦争もイギリス王室(政府)がアメリカにあるフランスの植民地を乗っ取る為のヤラセ戦争の一つとも言えるが、フランス革命やナポレオン戦争に成功して国王のルイ16世を処刑したからと言って姑息な手段を使ってフランスの領土を手に入れたイギリス王室(政府)が堂々とその領有権を主張できるはずはなく、むろん、アメリカにあるフランス領の原住民や移住した欧米人達もイギリス王室(政府)に威光を感じて平伏する訳もなく、まして思わぬ成り行きからアメリカを独立させてしまった以上、イギリス王室(政府)はもはやアメリカ政府に干渉する法的権限も徴税権も失ってしまう。そこで、独立国としてアメリカ政府が独自に制定できるようになった法的権限や徴税権をイギリス王室(政府)の都合のいいように修正させ、アメリカ政府内の国会議員や州代表、さらに政治資金を出させたり、軍資金(税金)を共有していく軍需企業の経営者達などをイギリス王室(政府)の味方で固める為に画策されたのがこの米英戦争である。そのため、彼らがまず、行ったのがフィラデルフィア憲法制定会議(=The Constitutional Convention)と呼ばれる現在のアメリカ合衆国憲法を制定させる為のヤラセ会議であり、ここで論争を繰り広げていかにも民主的な憲法作りをしているかのように装いながら実際はそれぞれの政治思想を探り合い、誰を味方に引き入れるか決めていき、ついでに自分の利益の配分が増えるよう駆け引きもして、できるだけ本当に制定したい憲法案からは遠ざかった議論で時間を稼ぎ、結局、会議の出席者が議論に疲れ果てたところで最後に付け加えられたのがアメリカ版権利章典(=United States Bill of Rights、1789年9月25日制定)、アメリカ版と書いた通り、原案はイギリスの憲法である権利章典(=The Bill of Rights 1689、あるいはイギリス議会(フリーメイソン)がリチャード1世やクロムウェルを処刑した後、王位に担ぎ出したリチャード2世(第116話『汚水』(注1)その1の王政復古を参照)に続き、王位に就かせたジェームズ2世とも結局、財政(税金配分)や軍事(兵器開発)の考えを巡って揉めるようになったことからそのジェームズ2世から王位をはく奪して大衆からの人気も高くて徴税の広告塔になってくれそうだったジェームズ2世の娘のメアリー2世とその夫のオランダ総督ウィレム3世を無理に国王にしようと考え出された憲法条項なので、その政権転覆(歴史用語では名誉革命(=The Glorious Revolution)と言う。)が行われた年の1688年を採ってThe Bill of Rights 1688と呼ぶこともある。正式名称は「An Act Declaring the Rights and Liberties of the Subject and Settling the Succession of the Crown」で、直訳すると「臣民の権利と自由を宣言すると同時に王位継承問題を解決する為の憲法」となっており、第116話『汚水』(注1)その1で話した権利の請願と同様、王制や封建制度を残したまま勝手に王様の臣民(所有物)にされている一般国民の自由と権利の範囲が定められた法律であり、もちろん、2022年現在もこの17世紀にいつの間にか定められていた非成典憲法(=Uncodified constitutionまたはUnwritten constitution、正式に全国民の前で宣言や署名を行わずいつの間にか憲法や法律にされている国家(共同社会)の中の“口約束”のこと。つまり、王や天皇といった特定の人物を神(頂点)にして国家(共同社会)を築いた場合、その神を名乗る支配者が間違ったり、失政を行った際に備えていつでも口約束(憲法)が書き換えられるようあえて正式な書面を残さないようにしたり、あるいは別の書面などを用いて最初の口約束(憲法)をうやむやにし、後からつけ足すなどして都合の悪い口約束(憲法)をいつでも裏切れるようにしておくことを非成典憲法、または不文憲法と呼ぶ。)がイギリス連合王国のみならず、イギリスの共有財産(植民地)にされている全ての国々、つまり、地球上にあるほとんどの国に“憲法=国、共同社会を成り立たせる上での約束事”として、たとえ全国民の前で宣言や調印がされていなくても適用されるようになっており、そのためこの地球上でお互いの平和や秩序を守りながら幸福に生きていこうとする多くの一般国民の基本的人権=生存権が守られず、平和や秩序を壊してでも我利を優先したがる支配者層の都合により人権(生存権)や財産が常に脅かされ、傷つけられ、奪われるのも、この権利章典が元々、イギリス国王と議会(フリーメイソン)の間、支配者層の間だけの約束事(憲法)であってその他の国民には関係がないからで、しかも、口約束に過ぎず、その内容もイギリス国王と議会(フリーメイソン)の武力抗争の末の妥協点として普段、武装していいとか、いけないとか、議会(フリーメイソン)に向けて常備軍を置くなとか、税金(軍資金)の配分は国王と議会(フリーメイソン)の双方で決めるべきだとか、要は彼らの先祖だったバイキング(海賊)か、あるいは現代だとヤクザかマフィアの組織内で抗争中のお頭(国王)とその子分(議会)がお互いの武力均衡を保つ為に決めた事であり、堅気の一般国民が労働しながら協力して一緒に国(共同社会)を築く上でそれぞれ個人の自由や人権(生存権)、財産権などを保障してもらう憲法(約束)の話では一切、ないのだが、イギリス政府(フリーメイソン)がこの権利章典をまるで堅気の一般国民の自由や権利をもまとめて保障するような印象操作を行ったことから今ではほとんどの一般国民がこの権利章典の憲法条項(約束)によって自分達の人権(生存権)や自由、財産権なども守られていると信じて疑わなくなったため、毎度、政府(王室)に裏切られることになり、また、延々と続けられる彼ら支配者層の抗争や失政の末の戦争(人殺し)にも巻き込まれ、加勢(兵士)として駆り出されて生命を落とすなど、これまでもそうだったように今後もこの権利章典の憲法条項(約束)が一般国民はもちろん、国王や議会(フリーメイソン)の支配者層も含め、誰の基本的人権(生存権)や自由、財産も一切、保障することはない。)という、個人の武装や軍備の自由と権利、宗教や言論の自由を国王に認めさせると同時に、今後もイギリス王室に忠誠を誓って税金(軍資金や用心棒代、場所代といったみかじめ料)を支払い続けるとの義務を支配者層以外の一般国民は知らぬ間に約束させられる不文律(暗黙の了解)に近い憲法条項であり、これによってイギリス王室(政府)寄りの議員や州代表、軍需産業の経営者達が自由に武器や兵器を売買できるようになり、さらに一見、宗教や言論の自由が保障されていて一般国民も自由が許されているかのような“印象”を受けるかもしれないが、さっきも申し上げた通り、あくまで支配者層の中だけの不文律の口約束に過ぎないため宗教の自由とはゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の寄付金集めを自由にすることであり、言論の自由もまた、政府関係者が新聞や本、雑誌などを使ったプロパガンダ(大衆洗脳宣教)活動を広く行えるようにして一般国民が軍拡や戦争(人殺し)を何となく容認するよう誘導する為であって、支配者層と関係ないそれぞれ一般国民の要望や意見を取り上げたり、ましてアメリカ政府が行う政策や税制を批判させたり、反戦活動はもとより、銃や核兵器のような武器や兵器を廃止させる言論や社会運動を自由に行わせる為では決してない。だが、そう言うと、アメリカ国民の方々を始め、読者の方々から「アメリカでは反戦デモも銃規制や銃廃止、核兵器廃止運動だってしょっちゅうやっているじゃないか」と反論されるかもしれないが、実際、直近の2018年3月24日にも“March for Our Lives(私達の生命を守る為の行進)”と呼ばれる銃規制デモがその1か月前に起きた17人が死亡、17人が重軽傷を負ったフロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校での銃乱射事件への犯罪再発防止策を求めて全米のみならず、世界各地で約200万人以上もの参加者がアメリカ政府に非難の声を上げたらしく、もっと遡るなら1969年10月15日と11月15日の二回に渡って学生を中心に首都ワシントン市で開かれたベトナム戦争の終結を求める反戦デモ(=The Moratorium to End the War in Vietnam)でも50万人以上の人達が参加したそうで、他にも大規模なデモ行進はこれまで新聞やテレビ、インターネットなどでしょっちゅう見かけるが、はっきり言ってそれだけ大勢の人達がアメリカ政府の行う政治に反対や非難の声を上げてもこれまで一度たりともアメリカ政府が銃犯罪を無くしたこともなければ、戦争(人殺し)を止めたこともない。言い換えれば、何を一般国民が叫ぼうとアメリカ政府は銃や戦争(人殺し)を無くす気は更々なく、武器や兵器の製造販売こそ彼らイギリス王室(政府)と臣民であるアメリカの国会議員や州代表、軍需企業の経営者達の資金源の上、戦争(人殺し)こそ彼らにとって一番の稼ぎ時なのだから、それを放棄しようなどとそんな殊勝な気持ちがあるはずはなく、建国当初から引き続きイギリス王室(政府)に忠誠を誓って世界中に武器や兵器を販売し、その利益と共に宗教の寄付金やマスコミの営業利益も税金(軍資金&みかじめ料)としてイギリス王室(政府)に密かに貢納しながら自分達の利益も確保する為に制定されたのがこのアメリカ版権利章典だった。だから、どんなにアメリカ国民が反戦デモや銃反対運動を行ってアメリカ政府やその裏に控えるイギリス王室(政府)に向かって叫んだとしても、フランス革命や諸国民の春など(第107話『革命(2)』参照)、これまで散々、ヤラセの革命運動(暴動)を自分達で演出して起こしてきたイギリス政府(王室)にしてみれば、少しでも一般国民が違法行為や暴動に及べば武力(暴力)でもって鎮圧すれば済む話で、むしろ彼らがデモや暴動を盛り上げてくれればくれるほど、それがかえって大衆の興味や関心を引いて本や新聞、雑誌などを売るイギリス政府(フリーメイソン)に囲われているマスコミにとっては格好の話題になる。だから、何を大勢で訴えても効果がないことから今ではデモ行進を行う一般国民の方も単にお祭りか催し物と勘違いして派手に着飾ったり、仮装したりして遊び気分で参加する人達が多く、大して深刻な事態にはならないだろうが、たまに第116話『汚水』(注1)その5で話したバージニア大学のThe Unite the Right rallyのように死亡者や重軽傷者が出る騒ぎになることもあるためこうしたデモや抗議集会にはなるべく参加しない方が得策かと思うが、いずれにせよ、デモで訴えようと訴えまいと、21世紀になってもなお、イギリス王室に忠誠を誓って武器や兵器、軍隊を常備することが国民の自由や権利などと言っているような、石器時代から代わり映えしない上に無秩序で野蛮なアメリカ版権利章典を合衆国憲法に掲げている限り、アメリカ国民の生命と財産はこれまでと同様、蹂躙され続けることになるのだろう。ともかく、こうしてアメリカ政府とイギリス王室(政府)の密約としてどちらの国の憲法にも同じ権利章典が組み入れられ、次に彼らが自分達の仲間に引き込んだのがクォッシュクォーメ達のようなゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教を信じるアメリカの原住民達だった。ただし、デガナウィーダ達が平和憲法を打ち立てて以来、争い事を好まず、王侯貴族や皇族などの特定の人物や一族をわざわざ祀り上げてその下で自分達が平伏し、支配してもらうような社会体制も築かず、誰もが偉大なる精神(神)の下で平等との民主主義精神を基本思想として教えられてきたアメリカの原住民達の説得はかなり難しかったのだが、五大湖の周辺でも現在のカナダを始めとした北方に住んでいたアルゴンキアン語族(=Algonquian people、主に大西洋沿いのカナダから北米のニューヨーク州、五大湖の北側辺りで住んでいた原住民達の話す言葉が16世紀に入植してきたフランスの探検家(諜報員)のサミュエル・ド・シャンプランにはスペイン北部のアラゴン王国(現、アラゴン州)で話される方言のように聞こえたため、スペイン語でaragonés「アラゴン語」とalgo「それらしい何か」、quien「何者か」を併せ、さらに原住民達の気質を見てギリシャ人船員がつい、罵ったギリシャ語のārgós「働かない、怠け者」との意味も含めて、Algonquien(英語での綴りはAlgonqui“a”n)「アラゴン語に似た話し方をする怠け者達」と呼ぶようになった。実際、現代の遺伝学によれば、父方の遺伝を表すY染色体(第114話『細胞』参照)がカナダと北米東部、つまり、大西洋側に住む原住民達の子孫と西ヨーロッパ側に住む子孫が同じだそうで(ハプログループR1系統またはR-M173)、さらに細かく地球上の遺伝の分布を調べてみると、このカナダや北米に住むアルゴンキアン語族の子孫と西ヨーロッパでもケルト民族(アングロ・サクソン民族)、アラゴン語を話すスペインのバスク民族、そしてアッシリア帝国があったコーカサス地方(=The Caucasus、中東北部にある黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈周辺を中心にロシアとトルコ、イランの間にあるアゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアの3か国を含めた地域のこと。また、第82話『玉石混淆』や第92話『ロゴス(言葉)(2)』の中で話した氷河期の崩壊後、ノアの箱舟が流れ着いたとされるアララト山(=Mount Ararat、標高約5,137m)もこのコーカサス地方にあるため、聖書に書かれた通り、氷河期崩壊後の世界人類の発祥地とも言える。なお、このコーカサス地方に関連する話は追々、本作品でお話していこうと思う。)が出自とされる、いわゆるコーカソイド(=Caucasoid、The Caucasian race、Europid、Europoid)、一般的には“白人種”と呼ばれる人達のY染色体はどれもかなりの確率で一致するらしく(ハプログループR1bまたはR-M343)、これらの事実からして現在、カナダや北米東部に住むアルゴンキアン語族の子孫達は氷河期崩壊後、ヨーロッパを経て北極に近いグリーンランドなどを渡り、移住してきたものと考えられる。そのため、先祖の頃から話してきた言葉が似ていたせいか意気投合しやすかったようで、また、アルゴンキアン語族は自分達をWàwàckeciriniwak族(鹿の部族)と呼んでいたほどバスク民族やケルト民族(アングロ・サクソン民族)と同じような狩猟民族だったため、獲物を仕留める為に新しい武器も欲しかったことから侵略に来た白人達との武器取引にもすぐに応じやすく、この彼らの共謀が後にイロクワ族の住む土地を荒らす原因となった。ちなみに、氷河期の崩壊後、アメリカに移住したのはヨーロッパの白人種だけではなく、もちろん、ユーラシア大陸のモンゴロイド(=Mongoloid、Mongolian race、Yellow、Asiatic、Oriental)、一般的には“黄色人種”と呼ばれる子孫の中でも特にユーラシア大陸東北部に住んでいた“蒙古人種”も(彼らが爆薬で壊す前は)太平洋の真北にある平均深度が約50mのベーリング海峡(=Bering strait)が地続きだったためそこを通って現在のアラスカ州にたどり着いたらしく、カナダ西部から北米の中央部のワイオミング州からオクラホマ州、テキサス州などに住んでいたシャイアン族やアパッチ族といったテレビや映画の西部劇でよく見かける羽根飾りの冠を被った典型的なインディアンの戦士だった原住民達の子孫と、同じくアッシリア帝国の末裔がいた西域(第116話『汚水』(注1)その3参照)、現在の新疆ウイグル自治区のカザフ族、ロシアではコサック(第107話 『革命(2)』(注2)その1のコサックを参照)と呼ばれていた子孫、さらに中国の東北部や朝鮮半島でも北部の満州族、つまり、日本を侵略した大倭朝廷(現、皇室)の先祖となる北朝鮮人や同じく親戚のアイヌ民族など、いわゆる倭人(人でなし)の子孫のY染色体は皆、同じだそうで(ハプログループC2系統(旧C3系統)またはC-M217)、彼らもまた、いずれの民族も狩猟民族だったようなので“好戦的(暴力的)な気質”は変わりないようである。しかし、北米のみならず、南北アメリカ大陸の原住民達の子孫はそうした動物であれ、人であれ、相手が弱っているとすぐに面白がって弄んで傷つけようとしたり、欲しいとなれば何でも殺して奪い取ろうとする阿修羅(争いを好む心無い人でなし、またはアッシリア人のこと。第116話『汚水』(注1)その3参照)の子孫の数よりむしろ自分や家族が生きていく為に動物は狩っても普段は人や動物が弱っていれば進んで労わろうとし、生きる糧になるよう作物もたくさん作って農業や狩猟、その他どんな職業に就いても一生懸命に働いて子孫を繫栄させようとする“賢明で優しい心(善)の遺伝”を持つ人達の方がずっと多いようで、遺伝学だけでは決して明かせない彼らの魂とも言える“心(意味)を伝える言葉や文字”を持った原住民が大勢いたからこそ、平和憲法を符号化したワンパンベルトや19世紀以降、欧米白人種が喉から手が出るぐらい欲しい鉄鋼その他の合金の冶金術(製錬&精錬)など、文明(神が与えし智慧)による高度で優れた利器がいろいろ作られたのも生まれる前から神がその心に刻んでおいてくれた“愛(=Zion)という名の文明(神が与えし智慧)”があったからに他ならない。だから、彼らのY染色体はベーリング海峡やグリーンランドを渡ってきたと思われる原住民達の子孫とは全く違うそうで(ハプログループQ系統またはQ-M242)、どちらかと言うとその始祖は青銅器時代にインドや東南アジアから中央アジア、そこからロシアのアルタイ山脈やバイカル湖周辺にまで移住していったと見られているが、中央アジアへ移住したと言っても現代の中国人達とはほぼ違っており、今から約3千年前の古代の中国人達のY染色体の方が大多数のアメリカの原住民達の子孫に似通っていて(ハプログループP系統またはK2b2)、現代で彼らと同じY染色体を持った人達が多く見つかるのは中国などの中央アジアよりもフィリピンのルソン島に住む原住民らしいので、そこから推測してやはり第116話『汚水』(注1)その11の中で話した“魔訶”(偉大な、人知を超えた)という言葉がイースター島に伝わっている通り、インダス文明や中国では葦原がすっかり消えて無くなるぐらいの大きな戦争(人殺し)があったせいで古代人達は“船や飛行機を使って”太平洋を渡り、中央アジアから脱出していったらしく、そのため古代の中国人達のY染色体が現代とはほとんど一致しない訳で、さらに彼ら青銅器時代の古代人達が持っていたインダス文明の知識と技術が中南米大陸に伝わってマヤ文明が栄え、そこから再び戦火を逃れて北上し、北米大陸に移った彼らの子孫であるデガナウィーダ達、アメリカの原住民達がミシシッピ文明のような文明社会を築くようになっていったものと思われる。なお、蛇足だが、日本では言うまでもなく大倭朝廷(現、皇室)の親戚であるアイヌ民族と琉球民族が共通したY染色体を持っており(ハプログループD1a2aまたはD-M55)、これが現代の日本人の3割か4割を占めているそうだが、後の6割~7割は全く違っていて、これも人類発祥の地であるインドや東南アジア(第114話『細胞』(注2)のウォレス線を参照)から比較的、元の住んでいた土地に似た稲作などが行いやすい温暖な気温や気候の中国南部やまだ戦争(人殺し)で陸地が沈められておらず地続きだったため朝鮮半島や日本列島などに広く北上していったようで(ハプログループO1b系統またはO-M268)、その中で日本人のY染色体はハプログループO1b2系統またはO-M176が多く、南下してきたアイヌ民族などの大倭朝廷(現、皇室)にはまず見られないY染色体である。)と呼ばれる独自の言葉はあっても文字がなく、その後、イロクワ族や白人達との交流から文字が作られても意味(心)を伝える表意文字より音を伝える表音文字しか持たなかった原住民達にはデガナウィーダ達が考える深い愛(=Zion)の意味が込められた平和憲法や民主主義精神がほとんど通じずそれほど浸透しなかったことと、フランスが派遣していたイエズス会(軍事企業)を通じて動物の毛皮やビーバーの肛門辺りにある器官から採れる海狸香(=Castoreum)または麝香(=Musk)と呼ばれる香水が火薬の原料になることからこのビーバー(武器)取引で儲かったアルゴンキアン語族を始めとした北方の原住民達はキリスト(人殺しの十字架)教に改宗し、白人達との武器取引が主業になっていったため、そうした武器商人となった北方の原住民達からデガナウィーダ達が築いたミシシッピ文明(ホープウェル遺産)地域に住む原住民達もビーバー(武器)取引に誘われるようになり、ビーバーが戦争(人殺し)の道具にされていることも知らずあまり深く考えずに自分達が狩りで捕獲した動物や前述した冤罪で殺されたソーク族の男のようにトウモロコシなどの農作物を食料品として入植してきた白人達に売るようになった者達もいて、そこから段々、売上金の配分や狩猟の範囲、要するに仲介料だとか縄張りの食い違いで揉めるようになり、原住民同士の喧嘩にこれまた植民地の縄張り争いをしている白人達が面白がって便乗し、それぞれ異なる部族を支持して敵、味方に分かれて争い出し、さらに白人達が銃のような武器や兵器を原住民達に貸し出したことから結局、白人達の植民地(縄張り)の為に争う代理戦争の様相を見せるようになった。(The Beaver Warsまたはthe French and Iroquois Wars 1609年~1701年)これに加え、愛の意味(心)や文明(神が与えし智慧)が理解できないアルゴンキアン語族の原住民達は狩猟以外で生きていく方法が限られており、どうしても水や食料が不足しがちなことからイロクワ族を始めとした五大湖の南側に住む原住民達が灌漑技術を駆使して道路を全て運河に変え、水上交通を発達させたり、メキシコと同じく葦を利用したチナンパ(湖上に葦簀を敷く田畑。第116話『汚水』(注1)その11参照)の上に土を高く盛って土手を築き、運河の中に日本の高床式住宅やスイスの水上コテージ(第116話『汚水』(注1)その4のティグリニ族を参照)のように家や公共の建物を建て、自分達の家の敷地にある土手の地下に保管庫を掘って運河を流れる水で食料を冷蔵したり、中南米から広まった原種のテオシントに葦と色のついたパプリカを合わせて品種改良したトウモロコシと一緒にカボチャ(=Squash、英語では一般的にPumpkinとも呼ばれるが、西洋カボチャのことではなく、日本ではニホンカボチャと呼ばれる別の種類のカボチャで、学術名をCucurbita moschataと言い、元はインドや東南アジアが原産だったが、前述の通り、古代人達がインドや東南アジアから脱出して各地に散らばっていったため、現在、原種と思われるのはインドとパキスタン北東部にまたがるカシミール地方で栽培されるAl Hachiと呼ばれる品種で、標高8,000m級のカラコルム山脈を抱くこの地域はまさしく古代文明の原点とも呼べる場所なのだが、その話はもっと後でするとして夏に乾燥させたAl Hachiを冬の保存食にするのがこの地方の伝統であり、このカボチャの種を持って移住していった古代人達はそれを各地の気候に合わせて品種改良したらしく、フィリピンではCalabaza、ニュージーランドやオーストラリアではButternut pumpkin、カリブ海ではGiromon、さらに韓国ではエホバク、そして日本ではニホンカボチャと呼ばれるようになった。もちろん、南北アメリカ大陸にもこのカボチャの種は運ばれていき、品種改良も盛んに行われたため、古代から現代までいろいろな品種が栽培されて、今ではどんな種類のカボチャも原産地は大体、南北アメリカ大陸にされてしまっているが、そうなったのも第116話『汚水』(注1)その11で話した通り、中南米がちょうど緯度(太陽の当たる位置)の関係で人類を始め、ありとあらゆる植物や生物の原点であるインドや東南アジアの自然環境と同じだからで、文明(神が与えし智慧)を知る古代人達は同じ環境の土地を目指して移住していったため狩猟民族の倭人(人でなし)やコーカソイド(白人種)とは違って南回りになったのだが、その後、南下した倭人(人でなし)やコーカソイド(白人種)が文明(神が与えし智慧)のほんのさわりを知っただけで得意がってそれを武器や兵器を造る為に悪用したことからせっかく移住して何も無かった所から地道にコツコツ積み重ねて努力し、築き上げてきた豊かな自然環境がまたもや武器や兵器を振り回す連中の都合によって壊される結果になり、争いを避けて再び北上していった古代人達の子孫である北米の原住民達はその自然環境に合わせて品種改良し、農作物を作らざるを得なくなった。だから、南北アメリカ大陸では様々な品種のカボチャが作られることになり、西洋カボチャまたは栗カボチャと呼ばれる甘みの強いカボチャもイロクワ族を始めとした北米の原住民達がサツマイモとカボチャを合わせて品種改良したもので、現代の日本の食卓に上るのはこの栗カボチャ(学術名はCucurbita maxima)が多く、単にカボチャと言うと、この栗カボチャを指すようになったが、元々は日本でも沖縄や九州などの温暖な土地でニホンカボチャは古代から栽培されていて、栗カボチャと比べて種よりも果肉が多く、甘味や濃くもあって美味しいカボチャだったのだが、その地域を占領した大倭朝廷(現、皇室)率いる倭人(人でなし)達の破壊活動で住めなくなった古代の大和民族は中南米のマヤ文明やオルメカ文明の難民達と同じように北上していき、結局、移住先となった本州の気温や気候が違うことからニホンカボチャを栽培できなくなった。そのため、日本ではカボチャを作ることもなくなっていったのだが、モンゴル帝国を中心にどこの国でも戦争(人殺し)ばかりしていた中世期は北半球全体の気温が上昇して現代のような温暖化が起きていたため(The Medieval Warm Period(MWP)中世の温暖期。第116話『汚水』(注1)その3参照)、長雨や干ばつによる不作が続き、農業環境は最悪だったものの、“偶然”、本州でもカボチャを栽培できる気温になった。そこで戦国時代だった1541年、全国的な大雨と洪水、バッタの大量発生から不作となり、天文の飢饉が起こったその年、相模国(現、神奈川県)の第三代領主となった北条氏康は亡き父、氏綱の訓戒だった「大将によらず諸将までも義を専らに守るべし(身分によらず正義は必ず守れ。)天運尽き果て滅亡致すとも(たとえ滅亡する運命にあったとしても)義理違へまじきと心得なば末世に後ろ指をささる恥辱はあるまじく候。(人としての正義と道理を守っていれば後世において他人から後ろ指を指されるような恥辱を受けることは決してない。)」、「侍中より地下人、百姓等に至るまで、何れも不便に存せらるべく候。(誰であれ人を慈しみ、大事にせよ。)全て人に捨りたる者はこれなく候。(誰であれ、見棄てていいはずはない。)」(『北条氏綱公御書置』1541年5月21日の遺言書を参照)との言葉に従って飢えと貧困に苦しむ領民を救おうと減税や免税を行って税制を見直し、亡き氏綱の代から力を入れていた中国の明王朝との明貿易の伝手を頼ってクメール王朝(=The Khmer Empire、世界遺産に登録されているアンコール・ワットなどの寺院遺跡で知られるAD9世紀~AD15世紀まで続いた東南アジアのカンボジアにあった王朝の一つで、アンコール王朝(=the Angkorian Empire)とも呼ばれる。元はインドネシアのジャワ島の出身だった武器商人で傭兵のジャヤヴァルマン2世(=Jayavarman II、サンスクリット語でJaya「勝利」、varman「身にまとう、盾や武器を持つ者」という意味で、クメール語での呼び名はジェホイアキム2世(=Jehoiachin II)、「エホバ神によって王に据えられた者の二世」という意味である。どちらも自分で付けたあだ名らしく、本名ははっきりしないが、第116話『汚水』(注1)その3で話したイスラム教を興したムハンマドのようにかつては少年兵だったようで、現在のカンボジア北西のプノン・クーレン国立公園にあった要塞にたまたま派遣され、そこで古代のゾロアスター(暴力&核兵器礼賛)教にまつわる宗教をいろいろ習い覚えたらしく、その中から特に仏教とユダヤ教を信仰したことで自身の名をサンスクリット語でジャヤヴァルマン2世、クメール語でジェホイアキム2世と改名した。なお、クメール語のジェホイアキムとは旧約聖書に出てくるBC7世紀頃のユダ国王だったジェホイアキム王を真似たもので、実際にはユダヤ教というよりもエジプトの宗教だったエホバ教、現代ではエホバの証人の名で知られる旧約聖書から兵器開発できる手掛かりを見つけ出そうとするオカルト(超自然思想)宗教にユダヤ教徒のエリアキム王が改宗して名前をジェホイアキム王に変えたことから(ユダ国王の顛末につきましては別作品である『不正アクセスによりわたしの作品を妨害する方々へ』にてご確認ください。)、正確に言うとエホバ教に帰依した元ユダヤ教教徒の古代のユダヤ人王ジェホイアキムに倣って、AD7世紀にカンボジアを支配下に収めた真臘王朝のクメール人王がジェホイアキム1世と名乗ったため、そのクメール人王の子孫(二世)であると勝手に言い出し、自身の王権の正当性を主張していたようなので、ジェホイアキム“2世”という名前になっている。)という男が建てた軍事商社で、モンゴル帝国よりも少し前に古代の宗教をいろいろ集めて研究し、そこから武器や兵器を開発して中国を始めとした海外の王朝(政府)に輸出して稼いでいた軍事国家であり、植物を使った兵器でその名が知れ渡るようになったことから今でも世界遺産に登録されているのはそれが理由である。だが、これまでどの軍事国家もそうだったようにいかに莫大な税金を投入して軍事研究施設として寺院もたくさん建て、研究者や技術者も大勢、雇って軍需産業を奨励し、そうして兵器開発の為に国力の全てを注げば注ぐほど、国力そのものである国民(労働者)は人体実験や徴兵の為に死んでいき、国土(産業基盤)もまた、兵器実験や戦争(人殺し)によって破壊され尽くす一方になり、どの国家(王朝)も遅かれ早かれ必ず滅亡する。だから、クメール王朝(アンコール王朝)もその例に漏れず13世紀末ぐらいから財政も破綻して兵器開発力も劣化し、新しい兵器が作れなくなって財政の立て直しもままならなくなったため王座(経営権)を巡って内紛が頻発するようになり、最盛期の頃は賢王だったインドラヴァルマン1世(=Indravarman I、サンスクリット語でIndriya「周囲から刺激を受ける者、知覚に優れた者」という意味で、クメール語での呼び名は名声王1世(=Honor I)。後には自分でヴァルマン「盾や武器を持つ者」の名前を棄てて「自分は中国から来た塵に過ぎない者、労働者の為の王(経営者)であり、クメール王=軍事商社の社長は表看板でしかない。」と言っていたほど真臘王朝の正統な後継者とされていた王女インドラデヴィとの結婚を機に戦争(人殺し)を止めて軍需産業から平和産業に事業転換し、兵器ではなく、国民が安心して食べられる米作りを始めとした“本物の”農産物を作る企業に生まれ変わった。そのため、新たな田畑の開墾や農業用水を確保する為の大規模な灌漑事業も展開し、安定した収穫量を得る為に気象や気候を観測する天文観測所として寺院を建築するなど、クメール王朝(アンコール王朝)の農産物が国内はもとより海外にも輸出されてアンコール文明と称えられるほどその名がとどろくようになったのもひとえにこの名声王1世の功績(労働)によるものである。)が平和な食品産業への事業転換を図ったことから食糧難に苦しむ国々への輸出が増大して東南アジアでも有数の農業大国(食品輸出企業)に成長し、その名声も遠い海の向こうの日本にまで届くようにもなっていたが、その後は再び食品を用いた兵器製造に戻ったため味や栄養の劣化で人気が低迷して輸出量が減り、国内でも生物(細菌)兵器の人体実験を行っていたことで伝染病や中毒事件などが多発して農民の数が減って収穫量も下がり出し、さらに自国の最新兵器を披露しようと戦争(人殺し)も度々、起していたことから長雨や洪水などの異常気象も招くようにもなって一つの国(会社組織)として維持できなくなり、結局、内紛からそれぞれの王侯貴族(経営陣)が領土権を主張して分割統治(子会社化)するようになり、それも隣国のタイにあったアユタヤ王朝のような海外の王朝(政府)にそれぞれの小国(子会社)が属国(植民地国)として併合されるようにもなっていった。)で栽培されていたというカンボジニア産のカボチャの種を仕入れ、少しでも作物の収穫を上げて天文の飢饉を凌ごうと北条氏康は尽力したようだが、確かに気温は戦争(人殺し)で使われる火薬のせいで上昇していたものの、その一方で火山に火薬を仕掛けて噴火させ、火砕流を起こすことも兵器にしていたため(第107話『革命(2)』(注1)及び第116話『汚水』(注1)その3参照)、地殻下で常に地熱活動(第94話『水源(2)』参照)を行っている地球のマントルに関わる火山を弄ってしまったことから今度は地中の熱循環を狂わせることになり、噴火の衝撃で地殻や土壌に潜む地下水などの水分が流れて滲み出し、大地を冷却しながらその水分が地上の大気に取り込まれて水蒸気化し、空へ舞い上がると次は大雨や洪水、霜や大雪となって大地に降り注ぐことになる。しかも、それだけでなく、武器や兵器の火薬に加えて火山ガスからも二酸化硫黄(SO₂)が発生するためそれが大気に混じると人や動物はもちろん、植物の呼吸も妨げる亜硫酸ガスとなり、雨になればこれも武器や兵器の火薬から生じる二酸化窒素(NO₂)も化合して植物を枯らす酸性雨となる。(第97話『不浄(1)』の酸性雨、及び第116話『汚水』(注1)その3~その4の硝酸塩、硝酸性窒素、または硝石、さらに亜硫酸ガスを参照)だから、いかに氏康の治める相模国(現、神奈川県)の気温が温暖化でカボチャの栽培に適した気温になっていたとしても、田畑の土壌はそれとは逆に冷え切っていたため種を撒いても芽が出ず、何とか芽が出ても亜硫酸ガスや酸性雨で枯れてしまう。そのため、せっかく氏康が仕入れたカボチャの種は実らなかったのだが、それでもカボチャ以外にもいろいろ食料や物資を輸入する交易路を整えていたことが幸いし、自国の領民達はもとより、お互い敵として戦闘してきた近隣の武田氏が治める甲斐国(現、山梨県)の領民達にも災害支援としてそれらの食料や物資を配ったことからその氏康の報徳政策(第107話『革命(2)』(注2)その3の報徳思想を参照)に感激した武田晴信(後の信玄)は飢饉の最中であってもなお、戦争(人殺し)を続けようとする父親を追放して政権転覆を図り、氏康と和睦して甲斐国と相模国で同盟を結ぶようにもなった。(甲相同盟 1544年)これが後に長期的な利益を考えて敵、味方に関係なく苦境にある他人を助けるとの意味の諺である「敵に塩を送る」のいわれとなった。しかし、カボチャにしても、「敵に塩を送る」の故事にしても、現代の常識ではどちらも北条氏康の名前は出てこない。それもそのはずで、氏康が飢饉などの災害復興政策として減税のみならず免税まで行ったことを現政権である日本政府(皇室&自民党軍事政権)はあまり大衆に知られたくない上、その当時、大倭朝廷(現、皇室)とその配下の室町幕府が飢饉で苦しむ国民に行っていた復興政策というのが念仏などのお経を唱えて托鉢修行(第116話『汚水』(注1)その3参照)を装った僧侶達が京都の街を練り歩き、餓死した死体から着物や金目の物を盗み取ってはそれを自分達で山分けしたり、気が向いた時だけ非人施行(施し)と称して大衆に下げ渡すだけで、それ以外はもっぱら祈祷会を開いたり、写経を奉納するといった茶番劇を演じる以外は何もしていなかったからで(醍醐寺の僧侶、厳助が1567年まで執筆した『厳助往年記』、室町幕府の管領(将軍の補佐役。現代で言う副首相)の細川晴元が旧暦1540年5月12日に北野経王堂で行った施餓鬼会、後奈良天皇による1540年6月に全国寺社仏閣に奉納した『般若心経』写経の奥書(後書き)を参照)、むろん、中世も現代も変わりなく何が何でも自分達の軍資金(兵器開発費)の源泉である徴税をあきらめる気は更々なく、それどころか自分達の行う兵器実験や戦争(人殺し)が原因でそうした冷害や洪水などの異常気象を始め、飢饉などの災害が起きていることに薄々、気づいていながら現代でもなお、戦争(人殺し)や軍需産業を止める気もないためいつまでも国民と同じように大倭朝廷(現、皇室)も飢饉で苦しんでいる被災者のように美化する訳で、北条氏康の善政を美談として取り上げてしまったら大倭朝廷(現、皇室)の悪政がたちまち誰の目にも丸分かりになってしまう。さらにそうした事情に加え、当初、大倭朝廷(現、皇室)などのゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達は北条氏康が仕入れたカボチャを無害な食品と思わず、兵器を輸入したと思い込んでいたこともあって軍事機密としてしばらく隠して自分達も栽培し、食品から兵器にすり替えた事情もあった。(第116話『汚水』(注1)その11のジカリを参照)そのため、いつ、どういった経緯でカボチャの種が日本に渡ってきたのかその歴史を誤魔化そうといろいろ改ざんしたらしく、「敵に塩を送る」はそんな史実は一切、無いのに大倭朝廷(現、皇室)の軍事拠点である越後国(現、新潟県)を治めていた武将の上杉謙信がなぜか塩を始めとした食料や物資を甲斐国(現、山梨県)の領民達に送ったことにされていたり、カボチャも農政学者だった佐藤信淵が江戸時代後期の1829年に書いたとされる『草木六部耕種法』では「天文十一年(1541年)、波繭杜瓦爾人初めて豊後国(現、大分県)に来航し、南瓜の種子と共に国主、大友宗鱗に献ぜり。」となっている一方、京都大学農学博士の青葉高の『日本の野菜 青葉高著作選Ⅰ』(1988年発刊)では「わが国への渡来は天文10年(1541)頃といわれる。江戸時代後期の農政学者佐藤信淵の著した『草木六部耕種法』によると、天文10年(1541)にポルトガル船が豊後(大分県)に漂着し、同17年(1548年)藩主、大友宗麟の許可を得て貿易を始めたが、この際カボチャを献じたのがわが国のカボチャの最初としている。そしてこれはシャム(タイ)の東のカンボチャ国で産したものであったのでカボチャと呼んだ。」と書かれてあり、渡来は1541年だが、1548年から大友宗麟の許可を得て輸入され始めたと別の年代が書き加えられていて、この1548年から推考すると仏教だけでなく、キリスト(人殺しの十字架)教にも帰依したキリシタン大名の大友義鎮(法名は宗麟、洗礼名はドン・フランシスコ)が豊後国(現、大分県)藩主になったのは家督相続争いで実父と義弟を殺害した1550年(二階崩れの変)からなので、その2年前の1548年ではまだ家督を巡って争っている最中のため交易の許可を与える権限があったとは思われず、1541年でも大友義鎮(宗麟)はまだ元服(成人式)が終わったばかりの11歳の子供なのだからもっと何もできない。しかも、渡来してきてポルトガル商人とカボチャを取引するまでに7年もの長い空白期間ができていることへの説明が青葉高の著書には全く書かれていない。それとは別に2020年8月18日にネットに掲載された日刊キリスト新聞によると1541年8月18日(旧暦7月27日)はカボチャが日本に伝来した日となっており、どの文献も1541年だけは一致しているようなので、カボチャが日本に伝来した年はやはり天文10年(1541年)に間違いないようである。そして、日刊キリスト新聞が報じている旧暦1541年7月27日とは『北条氏綱公御書置』を遺した北条氏綱が7月19日に死去し、北条氏康が相模国(現、神奈川県)の第3代藩主に就いた日でもある。こうした事実から古代は別として有史以来、日本でニホンカボチャが栽培され始めたのは九州地方ではなく、関東地方が始まりであり、そのため、カボチャを別名、南瓜と呼ぶのも最初に日本に来たカンボジア産のカボチャは現代の西洋カボチャ(栗カボチャ)のように丸い形ではなく、ウリやひょうたんのような細長い形をしていたからで、その他、関東では唐瓜、唐茄子とカボチャを呼ぶのも北条氏が明貿易をする為に唐人町と呼ばれる中国人商人達が住む為の居留地をわざわざ城下に設けていたからで、その唐人町から運ばれてくる瓜やナスに似た作物だったから唐瓜、唐茄子と呼ぶようにもなった。ちなみに、しつこく何度も日本政府(皇室&自民党軍事政権)が今もプロパガンダ(大衆洗脳宣教)し続けるポルトガル人によるカボチャ伝来説は、ポルトガル人達が日本を初めて訪れたのはポルトガル人の軍人で現在のインドネシアのモルッカ諸島の管理役人だったアントニオ・ガルバーノが書いた『Tratado dos Descobrimentos, antigos e modernos(邦題は『新旧世界発見記』1563年発刊)』によると、ポルトガル人のアントニオ・モッタ、フランシスコ・ゼイモトとアントニオ・ペショトの3人がタイにて停泊中のポルトガル商船から脱走して中国の寧波に向かう途中、嵐に遭って日本に漂着したのは1542年になっており、日本では薩摩藩(現、鹿児島県)の家臣だった種子島久時が大竜寺の禅僧の南浦文之(または文之玄昌)に編纂させた歴史書『鉄炮記』(1625年発刊)では天文12年(1543年)8月25日に上述したポルトガル人の孟太(モッタ)と牟良叔舎(フランシスコ)が鉄砲と一緒に種子島に漂着したとの記述があり、日本とポルトガルの時差による暦の数え方の違いはさておき、どちらもカボチャが伝来したとする1541年から後の年なのだから日本政府(皇室&自民党軍事政権)が大衆に教える歴史は全く矛盾している。つまり、日本政府(皇室&自民党軍事政権)が繰り返しお経のように唱えて大衆に言い聞かせたいのは1541年から知られているカボチャという作物は関東で栽培されていたニホンカボチャではなく、ポルトガル人が九州に持ち込んだ西洋カボチャ(栗カボチャ)が本物のカボチャと言いたいわけで、こうして無害な品種を兵器になる有害な品種にすり替えたためニホンカボチャが今ではほとんど出回らないのもそのせいではあるが、もう一つ、別の理由はニホンカボチャは兵器にするには全く向かず、栽培もかなり難しいからである。と言うのも、ニホンカボチャは元々、無害なだけでなく栄養満点になるよう栽培される“食品用の”作物なので、気温や土壌の温度管理に細かく気を配ることはもちろん、食べる人にとって有害かつ不味いと思われやすい苦味(窒素)や酸っぱさ(硫黄)を除きながら作られる。要するに、冶金(製錬&精錬)と同じように不純物を取り除こうというわけで、それを徹底して行う為には当然、武器や兵器の火薬に必ず含まれる窒素(N)や硫黄(S)は空気や土壌を汚染することから田畑やその周辺では一切、使用厳禁になる。そうは言っても、苦味(窒素)や酸っぱさ(硫黄)が味覚の中に含まれるように空気そのものにも窒素(N)や硫黄(S)は最初から含まれているのだからそれらの要素が必ずしも植物その他の生物にとって有害とは限らず、窒素(N)は遺伝子のDNA(デオキシリボ核酸)やタンパク質(プロテイン)を形成するアミノ酸にも含まれる重要な要素であり、硫黄(S)も身体に入った毒素を速やかに分解して排出するよう酵素に働きかける要素(薬物代謝または解毒代謝)なので、どちらも人間を含めて植物その他、地球上のあらゆる生物にとって必要不可欠な要素ではあるのだが、灰汁抜きと同じように植物や人間が摂取するにはある手順(過程)を踏まなくてはならない。それは空気や水に含まれて土壌に入った窒素(N)や硫黄(S)は必ず微生物によって分解してもらう必要があり、その手順(過程)を踏まずに植物や人間が窒素(N)や硫黄(S)を摂取した場合、有害になる。つまり、人間その他の生物が普段、目にすることもなければ気にもかけない小さくて弱そうな微生物から神様はまず、栄養分としてこれらの要素を与え、微生物達が食べてから植物や人間が摂取できるようになるのであって、この地球上の食物連鎖の掟を守らなければ人間その他の生物が生きていく為の必要不可欠な要素が逆に死をもたらす。ところが、兵器を造りたがる者にとってはこの死をもたらす要素の方が好ましいのだから当然、この手順(過程)を抜かそうとする。それが第116話『汚水』(注1)その4の中でロジー族の村人達が石膏を作る際に生じる二酸化硫黄(亜硫酸ガス)を自分や周辺に住む他の人達の害にならないよういろいろな手順(工程)でもって取り除こうとするのに対し、逆にそれを残して兵器(公害)にしようとカソリック(キリスト教伝統派)の修道士達が「無駄な労力や経費がかかる。」とか「早く収穫が上がらず利益にならない。」などと、いろいろ屁理屈をつけてはその手順(工程)を手抜きさせようとする訳で、これに加えて兵器開発者達は植物の成長を促す為とか収穫量を上げる為の肥料(栄養)と偽ってあえて有害となる窒素(N)や硫黄(S)を混ぜることもある。(硫酸アンモニウムまたは硫安、硫酸カリウムまたは硫酸加里など)さらには兵器の試作品である自動車(第116話『汚水』(注1)その9のGMを参照)から出る排気ガスに、兵器を造る際に工場から排出される煙や工業排水、むろん、実戦で使われる武器や兵器からも有害な窒素(N)や硫黄(S)が周囲を汚染していくのだからありとあらゆる環境が窒素(N)や硫黄(S)だらけになる。そうなると微生物にも処理しきれない上、兵器実験や戦争(人殺し)で微生物そのものが死滅すれば有害物質だけが過剰に地球上で浮遊及び蓄積し続けるようになるため第107話『革命(2)』(注2)その1で話した通り、異常気象や不作、飢饉となって大勢の人々を襲うことになるわけで、わざわざ武器や兵器を使って戦争(人殺し)し合うまでもなく、一般庶民も王侯貴族もその身分や肩書きに関係なく、誰もこの地球で生きていけなくなる。しかも、第二次世界大戦以降は第116話『汚水』(注1)その8で少しだけ話した核兵器の後遺症である異常に電解された土壌が世界各地を覆っている状態でもあるため大昔よりも現代の農業環境の方がずっと深刻な状況と言える。ともかく、ニホンカボチャはそうした有害となる窒素(N)や硫黄(S)を徹底して除いていかなければ実がならない作物であり、たとえ実がついたとしてもカボチャ本来の甘みはほとんどなく、美味しくない。だから、クメール王朝(アンコール王朝)の名声王1世は戦争(人殺し)も軍需産業も全て止め、農業環境を一から改良し直したため原種に近いカボチャを作れるようになったのであって、農業を行う為の自然環境が整っていなければニホンカボチャはまず、作れない品種だった。しかし、大倭朝廷(現、皇室)とその臣下である兵器開発研究者達は北条氏康が仕入れたニホンカボチャを兵器と思い込んだまま未だに勘違いしているため自分達で試行錯誤して作り変えたらしく、今では“菊座南瓜”や“鶴首カボチャ”、“黒皮カボチャ”といった商品名で売られていたり、高級料亭などでも供されるらしいが、窒素(N)と硫黄(S)を無理やり含ませて兵器になるよう作り変えたためほとんど甘みがなくて不味い上、すぐに腐る。だから、手間暇かけて作った割に売り物にならず、兵器としても役に立たないため栽培する農家は少なく、滅多に食べられない希少なカボチャとの売り文句だけは大仰だが、成分を見ても西洋カボチャ(栗カボチャ)と同じく硫酸カリウムが肥料になっているのでビタミンEが約4割、カリウムが約2割と多く、次に窒素(N)が構成する葉酸が約3割、野菜に含まれる食物繊維が2割、そして最後にニホンカボチャの特質であり、血液の流れや凝固、骨などを丈夫にするビタミンKが約1割強となっている。このビタミンK以外にニホンカボチャを食べる利点は今のところ何も無く、その他の栄養素は過剰に摂取すれば害になるだけなので、まぁ、希少な野菜らしいので過剰に摂取することもないだろうが、あまりお勧めしない。一方、西洋カボチャ(栗カボチャ)も元はニホンカボチャのようにインドや東南アジア、中央アジアの戦争(人殺し)を逃れてアメリカ大陸にたどり着いた古代人達の子孫であり、その後も再び戦争(人殺し)によってマヤ文明やオルメカ文明を壊されて北上し、北米に移住しながらそれでもなお、争い続けることへの疑問や虚しさを覚えるようになったデガナウィーダ達、イロクワ族などの原住民達が平和憲法を制定してカンボジアの名声王1世のように戦争(人殺し)も軍需産業も一切、止め、荒廃していた自然環境を一から建て直してカボチャの原種にサツマイモを合わせ、あくまで“食品用に”品種改良した作物だったのだが、なぜ、農業環境を元に戻したはずなのに原種ではなく、品種改良したカボチャを栽培することになったのかと言うと、イロクワ族がいくら環境を改善しても近隣の都市国家が戦争(人殺し)や軍需産業をずっと続けていたからだった。それが第116話『汚水』(注1)その11で話したマヤ文明やオルメカ文明を壊していったシシメカ族(チチメカ族)であり、特にこのシシメカ族(チチメカ族)がアステカ帝国を興してからは花戦争(大衆を弾圧及び生贄にする為のヤラセ戦争のこと。第116話『汚水』(注1)その11参照)の最中に現代では“トランス・メキシコ火山帯”(=The Trans-Mexican Volcanic Belt、地元ではスペイン語でSierra Nevada(雪山山脈)とも呼ばれるメキシコ南部にある火山地帯のことで、太平洋上にもある火山島を省略して太平洋側から順にコリマ山、パリクティン山、トルカ山、ポポカテペトル山、イスタクシウアトル山、マリンツイン山、コフレ・デ・ペローテ山、ネグラ山、そして北米にある火山の中で最高峰の標高5,636mのオリサバ山が代表的な火山であり、標高約2,800mのパリクティン山を除けば大体、標高4,000m~5,000m級の高い山々のため代表例として挙げているが、その他にもメキシコには数多くの火山があり、その中で集中して多い場所が太平洋からメキシコ湾にかけて並んで連なっているこのトランス・メキシコ火山帯である。トルカ山、コフレ・デ・ペローテ、ネグラ山以外は活火山もしくは休眠火山で、特にコリマ山は今でも頻繁に噴火し、直近が2017年1月18日で上空4,000mまで噴煙が上がったらしく、さらに人的被害があったのは公式記録によると1913年1月18日に火砕流で8人が死亡している。その他、コリマ山はほぼ10年周期で噴火しているそうなので、幸い、死傷者がいなかったか、あるいは被害をあまり調査していないかは定かではないが、それでも2005年5月24日に起きた噴火では3,000mまで噴煙が上がって200km先にまでそのキノコ雲(火災積乱雲)が拡がり、さらに火砕流も溶岩を飛び散らせながら4km~5kmほど流れてきたとのことなので、相当な量の火山灰や火山ガスが周辺にまき散らされたものと思われるが、確かに火砕流による被害もさることながら、そもそも火山噴火とは地球の深部(核)から様々な原子(物質の粒子)を持ったマントル(=Mantle、放射熱を発する鉱石で“かんらん石”、または宝石のように輝く物は“ペリドット”と呼ばれる岩石が多く含まれた地球内部で燃えたぎっている地層のことだが、岩石と言っても第94話『水源(2)』でも説明した通り、地殻に近い部分で水や空気によって冷えて固まり、岩石になるので地球の深部(核)まで岩石層とは限らず、そこまで人間が到達して調べることは到底、不可能なので、マントルとは地殻に近い部分、火山噴火によって分かっている部分だけの地層を指す。だから、Mantleという言葉も実は地層を意味して名づけられた用語ではなく、旧約聖書の列王記に出てくる預言者エリヤ、本作品でも度々、名前が出てきた人物だが、ユダヤ教の中で最も有名な兵器開発技術者で、このエリヤがどうやら火山の仕組みをよく知っていたらしく、自分の着ている外套の繊維を使って爆弾にし(第116話『汚水』(注1)その11のポリフェノールを参照)、それで大地溝帯の一部であるヨルダン川を割ってマグマを噴出させ、地面を盛り上げたことから(2列王記2章13節及び第94話『水源(2)』参照)、ユダヤ人移民の息子でアメリカの地震研究者だったヒューゴー・ベニオフが前々からアメリカの原住民達の創世記、つまり、地球の誕生についての古来からの伝承とユダヤ教の兵書にされている旧約聖書の創世記の共通点に気づき、地球の陸地(岩盤)を神のごとく自在に沈ませたり、盛り上げる爆弾を作ろうと研究していたこともあって上述のエリヤの話に基づき、実際に火山を爆破させて地震計で震度を測ったところ、火山から離れるにつれて地下の浅い所よりも深い所の方が揺れの大きいことが分かり、それによって地面(岩盤)が本当にずれて沈んでいることが証明されたためその地面(岩盤)が沈んだ場所、地球の大陸(岩盤)を自由自在に割って破壊できるぐらい強力な爆弾が作れる鍵になる場所との意味からエリヤの外套にちなんでヘブライ語でMantleと名づけた。ちなみに、日本でも似たような研究を初代気象庁長官の和達清夫が1930年頃からしていたらしく、1940年にベニオフが発表したアメリカ大陸や南太平洋の島々を支える陸地(岩盤)がずれて沈み込む海底火山地帯と日本の小笠原諸島や南西諸島にある似たような大地が割れて沈む海底火山地帯とを併せて和達-ベニホフ帯(=Wadati-Benioff zone)とも呼ぶ。なお、この陸(岩盤)が沈み込む仕組みについては再度、改めてお話ししていこうと思う。しかし、そうやって火山を故意に噴火させてまで実験を繰り返しても爆弾開発は元より、なぜ、地球の陸地(岩盤)がわざわざ沈むようにできているのか全く解明できなかったらしく、太平洋戦争のどさくさに紛れて噴火実験を行って沖縄地方気象台の職員達を70人ほど死亡させ、戦後、その供養に建てた慰霊碑にも「夏草の原耳散るべき花も那く(雑草が生い茂る戦地に眠る源氏(兵士)達も成果(花)らしい成果が上がらず那ぞ(どうして)上手くいかないのか訳が分からず泣いている)」と和達本人が句碑を刻ませたほど地球(岩盤)を自在に操る兵器開発に失敗したようで、それから60年以上も経った2021年8月13日にも小笠原諸島の海底にある福徳岡ノ場火山を故意に噴火させて新しい島を人為的に造ったようだが、これまでにも1904年、1914年、1986年の3回ほど噴火実験を繰り返して新島を造ってはすぐに消滅させてきたらしいのでこれまでの成果からして今回も再び消滅して失敗することは目に見えており、この実験で得たものと言えば軽石が周辺海域に飛び散って海面を覆い尽くし、それがさらに漂流して漁船などが操業できなくなっていて、ふるさと納税(第116話『汚水』(注1)その6参照)のような寄付金(特別税)を集めて被害に遭った漁業関係者などの生活支援をする羽目になっただけで新島以外に得た利益は何も無く、異常気象による不作や漁獲高の減少が続き、食品価格も軒並み高騰して食糧危機が忍び寄る不安になっている昨今、こんな失敗続きの兵器実験を繰り返しては新しい領土や火山噴火に使う兵器を売り物にしようと相変わらず日本政府(皇室&自民党軍事政権)は軍需産業に執着して国力を注ぎ続けているらしく、2022年の政府予算案でも防衛費は5兆4,005億円と過去最高を更新している。このように、マントルとは表向きの学術用語では地層のことだが、実際には鉄やマグネシウムといった金属原子を多く含んだケイ酸塩岩石、つまり、第116話『汚水』(注1)その6で陶磁器が原子爆弾(核兵器)の仕組みと同じと説明したと思うが、その陶磁器の原料である胎土の塊がこのケイ酸塩岩石なのでマントルは原子爆弾(核兵器)の材料を指した言葉である。)が太陽の光や電磁波によって引き寄せられながら地熱活動の為にピストン運動(第116話『汚水』(注1)その11のスチームコンデンサーを参照)をしている途中でそれとは別に人為的に原子爆弾(核兵器)で爆破した際に生じる光や電磁波、氷河期の崩壊時のような膨大な量の水圧がかかるといった温度や圧力の変化でマグマとなって噴出するのだから、いわば天然の原子爆弾(核兵器)のようなものなので、そこを故意に爆発させてしまうと第116話『汚水』(注1)その8で原爆投下時に放射能(電気を放つ能力)を持ったガラスその他の不純物が混じった土砂が広島や長崎に降り注いだと話した通り、それと全く同じ火山ガラスや様々な金属原子が混じった放射性の火山灰が辺り一面を覆い尽くし、その上、太陽の光や電磁波で宝石のような明るい黄緑色に変化する窒素(N)や硫黄(S)を含んだペリドット(かんらん岩)がマントルには多いためそれが噴火(爆破)によって燃えれば二酸化炭素はもちろん、一酸化炭素や亜硫酸ガス(二酸化硫黄)、窒素ガス(一酸化窒素及び二酸化窒素などの窒素酸化物。化学式はNOx)、水が混じると硫化水素(硫黄+水素)、他にもフッ化水素や塩化水素、メタンといった様々な毒ガスが空気に混じって周辺を襲う。何より、火山ガスの怖さは卵が腐ったようなきつい臭いのする硫化水素で呼吸困難になり、中毒死する事例がよく挙げられるが、1986年には火山ガスに含まれた大量の二酸化炭素を吸ってアフリカのカメルーンにあるニオス湖で3千頭以上の牛と一緒に1,746名もの尊い生命が犠牲になっており、空気より少し軽くて人の口や鼻の辺りに漂いがちな無色無臭の一酸化炭素も危険に気づき難くて中毒死しやすく、第116話『汚水』(注1)その4の中で話した亜硫酸ガス(二酸化硫黄)も石膏やワインに少量、含まれているだけでもどれほど人体に有害かは説明した通りである。また、窒素ガス(窒素酸化物)は他の気体と同じく呼吸困難になる他、神経にも作用して血管を拡張させ、特に脳出血やくも膜下出血などの脳血管障害を起しやすくする。そのため、鹿児島県にある桜島は大倭朝廷(現、皇室)の縄文時代からの軍事拠点であることから(第116話『汚水』(注1)その3の鬼ヶ島を参照)氷河期が崩壊した時を除けば大倭朝廷(現、皇室)が葦原中津国(現、日本)に来てから故意に噴火させたと思われるのは地層で見る限りだと6300年前と4200年前(上野原遺跡地層断面模式図を参照)、有史以来で最古は708年、外国人である大倭朝廷(現、皇室)が古代からずっと日本の地理を調査させて改訂し続けた『薩藩地理拾遺集』にその記録が残っているそうで、日本政府(皇室&自民党軍事政権)の直属機関である気象庁によるとそれからは716年、717年、764年と立て続けに起きており、この他にも伝承や平安時代に編纂された『続日本紀』(第116話『汚水』(注1)その7参照)によれば718年、765年、766年にも噴火が起きていたとされており、その異常な頻度の噴火(爆破実験)は現代に至ってもまだ続いていて、大正時代の1914年1月12日にマグニチュード7.1の大地震と共に死傷者170名、全壊家屋2,140戸、農作物の大損失に加え、有害な火山灰が仙台にも届いたと言われる大正大噴火が起きてからは毎年のように噴火(爆破実験)が繰り返され、直近は2020年(令和2年)6月4日で噴煙が上空5,000mにも達し、火山灰は鹿児島市、姶良市、霧島市、湧水町及び宮崎県と熊本県の一部にも降ってきたそうで(気象庁参照)これだけ頻繁に噴火させていれば当然、放射能(電磁波を放つ能力)を持った火山ガラスの影響で田畑の土壌が砂漠(電解されて保水力を失った砂)化して農業ができなくなり、限られた作物の中で育ったというのが桜島大根と桜島小ミカンで、この桜島大根について鹿児島大学農学部の講師である加治屋勝子氏と准教授の南雄二氏、半導体レーザーなどの光電子部品を専門に2002年に自社で製造した20インチ光電子増倍管を第116話『汚水』(注1)その8で話した核兵器に使う中性子線を検出する為の機器であるカミオカンデに取り付けさせたことで小柴昌俊がニュートリノ(中性微子)を発見してノーベル賞受賞に導いたとしてその社名が知られるようになり、2022年現在、光電子増倍管(核兵器部品)の世界市場の9割を占めるという静岡県浜松市にある浜松ホトニクス株式会社の研究員の數村公子氏らと組んで研究した結果、桜島大根に含まれているトリゴネリンという成分が血管機能を改善し、血管そのものも強くしなやかに伸び縮みさせることを発見したとしてアメリカ化学会(=The American Chemical Society、略してACS。1774年にユニテリアン派(第116話『汚水』(注1)その10参照)をイギリスに初めて創設した司祭で、同じ年に世界で初めて酸素(O₂)や窒素酸化物(NOx)といった気体を分離して発見したとされるイギリス人化学者のジョゼフ・プリーストリーの功績を記念し、彼が渡米後に住んでいたペンシルバニア州ノーサンバーランド市の家に酸素(O₂)の発見から100年後に集まったアメリカの化学者達が今後も化学工業に関連した情報交換ができるようにとの主旨から1876年に設立した学術団体だが、ユニテリアン派がどういう宗派かは以前、話した通り、イギリス人司祭のプリーストリーはただ、古代文明の中でも特に鉄鋼や原子爆弾(核兵器)についての知識や技術を伝承されていそうなユダヤ人などの欧米白人種以外の他の人種をキリスト(人殺しの十字架)教に改宗させた後、彼らの知識や技術を盗用してその情報を欧米人達に回していただけなので、プリーストリー自身は全く酸素(O₂)その他の気体を分離も発見もしていない。
【参考サイト】
~【今日は何の日】1541年8月18日(天文10年7月27日) 日本にカボチャ伝来
日刊キリスト新聞より↓
https://christianpress.jp/n200818/
オイル・デリック(日本語では油田用ボーリングマシン)↓
https://en.wikipedia.org/wiki/Derrick#/media/File:Derrick.JPG
港湾などで見かけるデリック↓
https://seaportmodelworks.com/product/h129-ho-73-9-stiff-leg-derrick-barge-kit-l-10-1-8-w-3-9-16/
(ミニチュア見本)
建築用のデリック↓
https://en.wikipedia.org/wiki/Derrick#/media/File:Two_Guy_Derricks_at_a_Granite_Quarry.jpg
英語でのボーリングマシン↓
https://en.wikipedia.org/wiki/Boring_(earth)#/media/File:Boring_Machine_1911_Illustration.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Boring_(manufacturing)#/media/File:Fotothek_df_n-18_0000142_Maschinenbauer.jpg