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第百十六話 汚水 後書き(注1)その11

今回のテーマ曲

『El cóndor pasa(邦題は『コンドルが飛んでいく』)』


1913年に南米のペルーの民族音楽家だったダニエル・アラミア・ロブレスが作詞作曲した“サルスエラ”(=Zarzuela、古スペイン語でsarza「水源、生命の源、元気の素」と、zarza「いばらの道、涙を飲んで塩辛い人生、苦労が多い土地」の意味を併せ、さらに接尾語の-uela「~っぽい」を付けて、「スペイン人や欧米人達に自分達の土地を占領されてこき使われ、涙と苦労にまみれる者達が元気になるよういろんな国の民族音楽を合わせた歌や踊り」という意味の音楽ジャンルの一つで、ペルーに限らず、中米のキューバにあるサルサ(=Salsa)もこのサルスエラと同じ音楽ジャンルである。楽器も貧しい自分達の身近にある物を使い、スペイン人や欧米人達(特権階級)が聞くオペラと、自分達の民族音楽を混ぜて作るため「オペラっぽい」という意味もある。)の名曲である。


元々、ロブレスは音楽家ではなく、欧米人達に(なら)って兵器開発の為に医学を学ぼうとする学生だったのだが、他の学生達と一緒に出かけた研究旅行でアマゾンのジャングルに入り、“偶然”、そこで出会ったのがカソリック(キリスト教伝統派)の伝道に来ていた宣教師のガブリエル・サラだった。

サラはキリスト(人殺しの十字架)教の宣教師ではあるものの、原住民を改宗させる為に彼らの気持ちを和ませるよう歌や踊りを採り入れたミサ(集会)などの音楽療法にも似た(メンタル)精神(スピリチュアル)を癒す活動も行っていたことから、ロブレスは初めて自分達の利益の為なら戦争(人殺し)を仕掛けてでも他国を占領したがる欧米人達の本音と、それとは逆に自分達の思想の根源にあるキリスト(人殺しの十字架)教に原住民達を従わせるため彼らに優しく接しようとする欧米人達の建前も同時に垣間見ることになり、まさしく“ダニエル”(=Daniel、ヘブライ語で「神こそわたしの裁判官」という意味)・ロブレスは聖書に出てくる“ガブリエル”(=Gabriel、ヘブライ語で「神はわたしの武力(暴力)であり、軍神である」と言う意味)・サラに出会ったことで(ダニエル記9章20節~27節参照)自分がこれまで学んできた医学の真実を知り、以後、医学(生物(細菌)兵器学)を棄てるようになった。


それからはアマゾン各地やボリビア、エクアドルにも出かけて民族音楽を研究し、1910年に見つけたのが「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の1オクターブ(音階)の中からファとシの音を抜いて作曲される“ペンタトニックスケール”(=Pentatonic scale、五音音階、もしくはヨナ抜き長音階ともいう。)と呼ばれる古代から世界中の民族音楽に使われてきた音階(音の高さ)だった。日本でもこのペンタトニックスケール(五音音階)で作られた曲は数知れず、琴でよく弾かれる『さくらさくら』(作曲者は不明、作曲年は幕末とされる。)が代表的な音楽で、近年でも『北風小僧の寒太郎』(作詞が山川啓介(やまかわ けいすけ)(本名は井出隆夫(いで たかお)で、第93話~第94話『水源』のテーマ曲に紹介した『Mr.ブルー ~私の地球~』も作詞した。)、作曲は福田和禾子(ふくだ わかこ)。1974年発表)や『にんじゃりばんばん』(作詞、作曲は中田ヤスタカ氏、2013年発表)、『恋』(作詞、作曲は星野源(ほしの げん)氏、2016年発表)など、J-popと呼ばれる日本の歌謡曲のジャンルではこの五音音階を基調(ベース)にした曲が多く、また、 第116話『汚水』(注1)その1で話したスコットランドのダムフリース村で歌われてきた『蛍の光オールド・ラング・サイン』も五音音階に基づいたスコットランドでは古くから伝わる民族曲であり、後から歌詞だけ付けて軍歌にされた民謡である。

では、どうして軍歌や民謡、歌謡曲にこの五音音階がよく使われるのかと言うと、人類が誕生して以来、慣れ親しんできた音階(音の高さ)がこの五音音階だからで、聞き慣れた音を聞くと人は無意識に反応しやすくなるため軍歌や歌謡曲などを使って大衆(兵士)に命令したり、誘導しやすく、士気を高める(興奮させる、怒らせる)際にはもってこいの音楽になるからである。

それに気づいたロブレスがこの五音音階に基づいて作詞作曲したのがこの『El(エル) cóndor(コンドル) pasa(パァサ)(邦題は『コンドルが飛んでいく』)』であり、彼としては欧米の音楽よりも低く評価され、誰からも顧みられない民族音楽に光を当てそこから独自の反戦歌を作ったつもりだったが、親しみやすい音階(音の高さ)は受け入れられても歌詞の内容が反戦的かつ反欧米的にも聞こえるため、アメリカ政府を始めとした欧米政府に気兼ねするペルー政府はロブレスの歌詞がそのまま公表されることを恐れて歌詞を変えるよう命じ、妥協して書き換えたのが最初のスペイン語でのロブレスの歌詞である。

その後、いろんな音楽家達がこれまた元の歌詞と異なる歌詞をつけて演奏するようになり、1963年からはアルゼンチン人のホルヘ・ミルチベルク氏が剽窃(ひょうせつ)(手を加えて盗用すること)して反戦歌だったロブレスの曲を勝手に「大地の女神は自由の為に死ぬことを教えた」と軍歌に書き換え、ロス・インカスというバンドグループを結成して自分が作詞作曲したと嘘をつき、世界中に触れまわるようになった。

そして、このロス・インカスが演奏するロブレスの曲を聞いたアメリカの歌手グループのサイモン&ガーファンクルがミルチベルク氏から曲を買い取って再び新たな歌詞を付け、1970年に発表したのが日本を含め世界中で流行するようになった『コンドルが飛んでいく(原題は『El Cóndor Pasa (If I Could)』)』である。


では、ダニエル・アラミア・ロブレスによって書かれたスペイン語のオリジナルの歌詞と共にオペラ風に作曲されている原曲と併せてお楽しみください。

(ちなみに歌っているのは有名なスペイン人オペラ歌手のプラシド・ドミンゴ氏です。)

https://youtu.be/MbD9XqwjvIw

地球の自然(神の庭)が存分にお楽しみいただける動画です


https://youtu.be/YSY3zPluWCk

アンデス山脈に残されている遺跡その他、アルパカなどが映っている動画です。


~ダニエル・アラミア・ロブレス版『コンドルが飛んでいく』~


♪El cóndor de los Andes despertó con la luz de un feliz amanecer.

アンデス山脈のコンドルが幸せな夜明けの光で目を覚ました。


Sus alas lentamente desplegó y bajó al río azul para beber.

翼をゆっくり広げて青く美しい川の水を飲みに降りてくる。


Tras él la Tierra se cubrió de verdor, de amor y paz.

その翼の向こうで大地は緑豊かな自然と共に愛と平和に満ち満ちている。


Tras él la rama floreció y el sol brotó en el trigal en el trigal.

その翼に続いて小枝が芽吹き、田畑の稲が太陽の光を浴びて黄金に輝く。


El cóndor de los Andes descendió al llegar un feliz amanecer.

アンデス山脈のコンドルは幸せな日の出と共に降り立つ。


El cielo, al ver su marcha sollozó y volcó su llanto gris cuando se fue.

その翼が飛び立った時、空におわす神はコンドルの孤独な旅を見て

一人ぼっちで流離(さすら)うコンドルの寂しい灰色の涙を喜びの涙に変える。


Tras él la Tierra se cubrió de verdor, de amor y paz.

その翼の向こうで大地は緑豊かな自然と共に愛と平和に満ち満ちている。


Tras él la rama floreció y el sol brotó en el trigal en el trigal.

その翼に続いて小枝が芽吹き、田畑の稲が太陽の光を浴びて黄金に輝く。



https://youtu.be/uJiT9eG2m7Q

サイモン&ガーファンクル版の『コンドルが飛んでいく』

日本語訳付きです。

つまり、この3本目が世に出してはいけない作品だったから消えた訳で、2本目までは誰なのかが分からないが、3本目にははっきりと分かるように映っていたということになる。こうして、キネトスコープ(のぞきからくり)に続いてキネトグラフも日本人技師達が開発したにもかかわらず、アメリカの欧米白人種が発明した物ということになった。)もにわか仕込みで覚えた電気の技術を使って自動式に変えてみせたが、ゼネラルエレクトリック社にいくら岩垂(いわだれ)が自分達、日本人にも特許を取得させてほしいと掛け合ってみても欧米人達はのらりくらりと言葉を濁し、言い逃れを繰り返すだけで状況は何も変わらなかった。ちなみに、キネトスコープ(のぞきからくり)やキネトグラフに使われている映写用及び撮影用のフィルムも実は日本人技師達によって製造されていた物である。なぜなら、世界で初めてロールフィルム(巻き取り式フィルム)を発売するイーストマン・コダック社(=Eastman Kodak company)ができたのは1888年、まさしくキネトスコープが開発された同じ年であり、名前もイーストマンとは「東洋人」、Kodak(コダック)は創業者のジョージ・イーストマンが母親のマリアと一緒にアナグラム(=Anagram、文字を入れ替えて別の意味にする言葉遊びのこと。例えば、英語のListen(リッスン)「聴く」の文字を入れ替えるとSilent(サイレント)「静かに」と違う意味になるように、日本語でも「あいうえお」の50音文字を「いろはにほへと ちりぬるを~」と入れ替えると「色は匂へど 散りぬるを」という全く違う意味になる。)から考えた名前らしいので、Kodakの文字を入れ替えるとDokka、正しく書くとDokkerで「貿易船に積み荷を載せる者」、またはDocker「刈ったり、短く揃えた動物の尻尾のような髪型の者」と言う意味で、特に後者は日本人男性の丁髷(ちょんまげ)が動物の尻尾(しっぽ)のように見えたからそう呼んで名付けたらしかった。この創業者のジョージ・イーストマンという男もエジソンと同じくその生い立ちがかなり怪しくて、イーストマンという名前自体、上述した通り、仮名である。元は母親のマリアの旧姓であるKilbourn(キルバーン)が本名だろうが、このKilbournもイギリスのロンドン北西部のKilburn地区という地名であり、昔の綴り(スペル)で書くとKilbourn、Kill「殺す」とBournはロンドンから1時間ほど北上した所にあるサウスケンブリッジシャー州の別の地名のことで、イギリス国教会が小学校や解剖医の為の学校、不妊治療施設、第二次世界大戦中は爆破実験場も置いていた地区だったので、Kilbourn(またはKilburn)はその支部みたいなものであり、1130年頃からはベネディクト会の尼僧を集めた修道院が建てられて第116話『汚水』(注1)その1で話したヴァルブルガのような売春をしながら生物(細菌)兵器の開発を行う尼僧、つまり、女傭兵の養成施設ができ、BournもBurn「火あぶりにする」に換えて現在のKilburn(尼僧を火あぶりなどの拷問にかけたり、自爆させて人体実験する為の)地区となった。だから、この地名が旧姓というイーストマン(キルバーン)の母親はイギリス人の尼僧=女傭兵もしくは売春婦ということになる。そのため、イーストマンは売春により予期せず生まれてきた子で父親が誰なのか分からないらしく、公式には父親の名前はジョージ・ワシントン・イーストマンとなっているが、どうやらアメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンの名前に東洋人(イーストマン)という言葉をくっつけただけの偽名のようだった。しかも、その怪しい生い立ちに加え、彼の母親が女傭兵なのだから当然、兵器開発や政府の陰謀に関わって生きていくしかなく、学校もまともに行っていない、と言うより、子供らしく親に可愛がられ、安心して学校に行き、将来を夢見て自立して生きていく為の教育の機会など与えられるはずもなかった。そういう児童虐待が当たり前のキリスト(人殺しの十字架)教社会では彼が世間知らずで一人で生きていけない自立できない人間であればあるほど、無知蒙昧(むちもうまい)であれほばあるほど、アメリカやイギリス政府(王室)にとっては自分達が裏でやっている犯罪や悪事の数々に一切、疑惑も反発も抱かず、口出しすることもできないのだからこれほど扱いやすい人物はいない。だからこそ、彼にコダック社のお飾り社長になる白羽の矢が立った訳で、一方、肝心のコダック製品は第116話『汚水』(注1)その8で話した榎本武揚(えのもと たけあき)殖産興業(しょくさんこうぎょう)(欧米の軍需産業をそのまま日本に移植して増殖させる政策)の一環として創設した日本寫眞會(にほんしゃしんかい)というカメラ同好会が主導し、会長(代表取締役)が榎本、副会長(専務取締相談役)に福沢諭吉の友人で東京帝国大学(現、東京大学)の理科大学長及び総長、京都帝国大学(現、京都大学)の総長でもあった菊池大麓(きくち だいろく)、日本の古美術品を漁ってそこから軍事知識や技術を盗用しようと東京美術学校(現、東京藝術大学)の創設者である岡倉天心(おかくら てんしん)(本名、覚三(かくぞう))が明治政府に推挙し、お雇い外国人(明治政府が税金で雇った外国人の国家経営相談役)として東洋美術史家を装うアメリカ人スパイのアーネスト・フェノロサと一緒に来日した元医者のウィリアム・ビゲロー、書記役(名ばかり専務)がスコットランドの刑務所総監の息子で当時、イギリス政府(王室)が日本の水道敷設の技術を盗用させる為に派遣したにわか水道技師のウィリアム・バートン(なお、イギリスの水道敷設に関する話は後ほど詳しく本文にてお話する予定です。)と、現在の京都市左京区の一条寺境内に建てられた詩仙堂(しせんどう)という山荘に江戸初期から大倭朝廷(現、皇室)の手先として暗躍し、徳川家康に牢人に降格された(第116話『汚水』(注1)その6参照)石川丈山(いしかわ じょうざん)の子孫である石川巌(いしかわ いわお)、その他の役員には浮世絵の手法からコロタイプ印刷(=Collotype、ガラス板に(にかわ)(=gelatin(ゼラチン)、人間の皮膚などを形成しているタンパク質の一種であるコラーゲンを焼いて()がしたもの、つまり動物の皮膚を焼いて皮をはがした物が(にかわ)(ゼラチン)である。例えば、日焼け後に()けた皮膚を観察してみると網目状になっていることが見えると思うが、この網目状の(にかわ)(ゼラチン)が写真では漫画の背景やグラデーション(色のぼかし)などによく使われるスクリーントーンの役目を果たすようになっている。)と白黒の陰影がつけられる塩化銀(第116話『汚水』(注1)その10参照)、黄色の顔料(化学名は重クロム酸カリウム、火薬の酸化剤)を混ぜた感光剤を塗って乾燥させると(にかわ)(動物の皮膚)が(ちぢ)れてガラス板に貼りつく。そこへ現像(画像が浮かび上がるよう化学処理)した原板(オリジナル)となる写真のネガ(=Photo(フォト)graphic(グラフィック) Negative(ネガティブ) sheet(シート)、感光剤(塩化銀)を塗った紙もしくはガラス板、現代ではプラスチックフィルムをカメラ(撮影機器)に設置し、外の景色や人物などを撮影すると、太陽光線が景色や人物に跳ね返って鏡のように姿形が反転し、色の明暗も逆転した画像がその紙またはガラス板、プラスチックフィルムに焼き付けられる原板のこと。)を貼って紫外線(またはブラックライト。色を黒ずませるエネルギーは強いが、目に見えない光線)を当てると、浮世絵の木版と似た硬化した(にかわ)(ゼラチン)のスクリーントーンとなるのでそれを使ってインク(顔料)を()り込み、別の紙などに印刷することをコロタイプ印刷と呼ぶ。浮世絵とこのコロタイプ技術の違いは単に彫った木の凹凸版を使って印刷するか、接着剤のような(にかわ)(ゼラチン)の凹凸版を使うかの違いだけで、顔料その他の化学処理に大した違いはない。むしろ、江戸初期から産業革命により日本の庶民の間で流行していた浮世絵の方が“印刷物”(=Printing)としては欧米の写真技術より遥かに進んでいたためフルカラー(全色)印刷はもちろん、グラデーション(色のぼかし)なども自由自在で、金粉や銀粉を使った装飾加工も古代から螺鈿(らでん)蒔絵(まきえ)の技術により得意としてきたことから、絵具(顔料または火薬)を研究し続けてきた欧米人達の目に留まることになり、日本から密輸される浮世絵や陶磁器を通じて欧米人達は自分達の写真や印刷技術を発展させてきたのだから、この17世紀から19世紀までの日本の浮世絵の技術が21世紀今日までの世界の写真や印刷技術の基礎を築いたと言っても過言ではない。なお、彼ら欧米人達が今もなお、写真や映像の画質にこだわるのは、“病気治療の為に”太陽光線を研究していたニールス・フィンセン医師(第115話『生命』及び後書き(注1)参照)や自然の海や生物の営みから雷(電磁波)の要素を導き出した湯川の中間子論(第116話『汚水』(注1)その8参照)が発表されるまでは、太陽光線の反射により得られた写真や映像の画質(化学薬品または火薬の反応)から爆発エネルギーが高まる要素を欧米人達は探して研究してきたからで、化学薬品(火薬)より太陽光線や雷などの電磁波そのものを研究するようになった結果、2021年から建築中のハイパーカミオカンデ(第116話『汚水』(注1)その8参照)には核兵器の爆発力を高める要素である超微弱なニュートリノ(中性微子)が捉えられるよう4万個もの超高感度光センサーが取り付けられることとなった。)と写真技術を合わせて写真館を開いた小川一真(おがわ いっしん)、徳川幕府の老中でありながら大倭朝廷(現、皇室)に寝返った阿部忠秋(第116話『汚水』(注1)その6参照)の子孫である阿部正弘に仕える福山藩の家老の父を持ち、現在の東京都中央区銀座6丁目に江木写真店を開いていた江木松四郎(えぎ まつしろう)、経理担当は2021年も現存している写真映像用品を扱う株式会社浅沼商会(創業が1871年(明治4年)で、1881年(明治14年)からは宮内庁御用達の写真資材専門商社である。2021年時点の従業員数は67名、売上高は47億円とホームページには公表されているが、2020年の官報によると売上高は不明で2020年の純利益が5億2千万円、なぜか2021年の純利益は倍以上の13億7,700万円となっている。)の創業者である浅沼藤吉(あさぬま とうきち)、そして会員(従業員)には日本陸軍で地理や地形の測量を行っていた現在の国土地理院の前身である陸地測量部の測量官だった小倉倹司(おぐら けんじ)、同じく陸軍に勤めた後、浅沼商会から仕入れた資材を使った幻灯機(第104話『蒙昧』(注3)参照)を製造して国営的に宣伝販売していた中島待乳(なかじま まつち)(本名は精一(せいいち))、海軍が行う水雷の爆破演習などを撮影する政府公認の写真家で1898年(明治31年)には東京市会議員になった江崎礼二(えざき れいじ)、大阪の酒問屋(火薬製造業者。第116話『汚水』(注1)その7の竹鶴酒造株式会社を参照)の放蕩(ほうとう)息子で父親の縁故(コネ)から軍需産業の一つである写真やカメラ(映像機器)を勉強し出し、プロの写真家と言ってもほとんど皇室関連(税金)からの発注しかなく、晩年は写真の仕事で食べていけなくなり、芸人となって落ちぶれることになる鹿島清兵衛(かじま せいべい)など、在日外国人24人、日本人技師32人の計56人でフィルムや映像機器の製造を行うこととなった。もちろん、それまで金属板やガラス板が主流だった写真フィルムがカメラ(映像機器)に収まるよう紙やプラスチックのロール(巻き取り)式になったのは何もダーウィンの叔父でイギリスの陶磁器メーカーであるウェッジウッド家の5番目の息子のトーマス・ウェッジウッドが世界で初めて(?)(かみ)に感光剤を塗って人の影を映したからでも、白熱電球を実用化したジョゼフ・スワンが1864年に炭に(にかわ)(ゼラチン)を混ぜて紙に塗り、絵や写真を太陽光線に当てて焼き付けるカーボン印刷(=Carbon printing)や感光剤となる硝酸銀(=Silver nitrate、第116話『汚水』(注1)その3のサバッサ(硝酸塩)やヨモギに尿を掛けて作られる硝石(硝酸カリウム)、第116話『汚水』(注1)その5のラント(硝酸カリウム)などに純銀を溶かして蒸発させ、乾燥させるとガラス状の結晶となる劇物。)に海水(化学名は臭化物イオン=Bromide ion)を混ぜるとできる臭化銀(=Silver Bromide)の溶液に木綿(もめん)を浸したニトロセルロース(=Nitrocellulose、硝化綿または綿火薬。英語でも別名はGuncotton(ガンコットン)またはFlash(フラッシュ)cotton(コットン)とも呼ぶ火薬である。)を紙に貼って同じく絵や写真を太陽光線で焼き付けるブロマイド印刷(=Bromide papers、英語でブロマイドと言うと上述の通り、硝化綿を貼った紙のことだが、日本語ではブロマイドと言うと、主に役者やアイドル、有名人などの写真のことになる。そうなったのも、東京都台東区浅草にあるマルベル堂という写真販売店がこのブロマイド印刷による映画スターなどの写真を“プ”ロマイドという商品名で1921年(大正10年)から販売したからで、マルベル堂の創業者である三ツ澤実四郎(みつざわ みつしろう)は平安時代から大倭朝廷(現、皇室)に仕えていた武将の源満快(みなもとのみつよし)の子孫らしく、もちろん、大倭朝廷(現、皇室)お抱えの企業であるため一見、個人が起業して小さな町の写真屋さんから有名俳優やアイドル、歌手などの写真を独占的に販売して巨利を得、レストランも経営して東芝の社員食堂にも参入するぐらい中堅企業に出世したように見えるだろうが、(まぎ)れもなく国営企業である。ちなみに店舗名のマルベルは、三ツ澤実四郎の兄が経営していた三ツ澤洋食器が販売する皿に刻まれてあったベルマークに由来するそうだが、そもそもベルマークと言えば1957年(昭和33年)に福島県の小学校教師だった渡辺ユキが朝日新聞社に「僻地(へきち)の学校の施設を充実してほしい」と訴え、朝日新聞社が1960年(昭和35年)から学校のPTA(=Parent(ペアレント) Teacher(ティーチャー) Associ(アソシ)ation(エーション)、学校の教師と保護者が協力して学校行事や各家庭の不用品の売買、地域警護を行うNPO(非営利)団体のこと。)に呼びかけて協賛企業から商品を購入し、その商品の包装紙(パッケージ)についているベルマークを集めてベルマーク教育助成財団に送れば、そのマークの点数と引き換えに僻地などの学校へ備品や支援金を送るという仕組みのベルマーク運動がよく知られているが、この運動自体、一見、民営の新聞社の呼びかけに応えた協賛企業が社会に貢献する為に始めた慈善活動のように思えるが、実際は学校に通う生徒の保護者達にPTA(教育団体)と日本政府(皇室&自民党軍事政権)が上から圧力をかけて無理やり自分達が推す企業の商品を買わせる為のキャンペーン(宣伝活動)であり、三ツ澤洋食器の皿にベルマークがついていたのもこのキャンペーン(宣伝活動)に便乗していたからで、皿を切り取ってまでベルマークは送れないが、何となくそれを買えば社会に貢献している気になって買う人も出てくる、そういう人間本来の慈悲心につけ込んだ販売方法である。)を開発できるようになったからでもなく、元より日本では古来から炭で絵や文字を書き、釉薬(絵具、火薬または化学薬品)を使った陶磁器はもちろん、欧米が19世紀の写真技法からグラデーション(色のぼかし)印刷ができるようになったのに対し、その100年前の18世紀からグラデーション(色のぼかし)印刷である歌川国虎(うたがわ くにとら)の『近江八景(おうみはっけい) 三井晩鐘(みいのばんしょう)』や歌川広重(うたがわ ひろしげ)の『名所江戸百景』(1856年発表)に見られるぼかし()りの浮世絵があったり、シリカ(化学名、二酸化ケイ素。第97話『不浄(1)』&第116話『汚水』(注1)その6の胎土を参照のこと。)と同じケイ酸塩の一種である雲母(うんも)(=Micas(マイカ)、ラテン語でMicare、インド・ヨーロッパ祖語で*meyk-「きらめく、輝く、脈打つ」という意味の、鉄、ケイ素、アルミニウム、リチウム、チタン、マグネシウム、カリウム、ナトリウム、カルシウム、フッ素などが主成分である水晶に似た鉱石のこと。電気を通しにくくて熱にも強く、穴の多い多孔質でもあることから軽くて水や光、土中の栄養分を吸収してそれらを保ちながらキラキラと輝かせる性質を持っているため、別名“きらら”、“きら”とも呼ばれて農業や工業においてよく使われる鉱石である。そのため、熱に強くて電気を通しにくい絶縁体と呼ばれる性質を持っていることから雲母の鉱石を薄く()がして電気を通す金属に金箔(きんぱく)のように貼り付けて電気を放散させない蓄電池として使うマイカコンデンサー(=Mica(マイカ) Capacitor(キャパシター)、元々はドイツ系スウェーデン人の物理学者だったヨハン・ウィルケが布で蝋板(ろうばん)または現代ではプラスチックのような電気を通さない板を(こす)って静電気を起こし、そこへ電気を通す金属板を当てると電流が流れて金属板に電気が蓄積され、その金属板を電気を通す人の手ではがしても静電気は残ったままになることを説明しようとして作った電気盆(=Electrophorus、または起電盆。)のことを指してそれを自分が発明したと吹聴していた自称、科学者のアレッサンドロ・ボルタが電気を凝縮して蓄積するとの意味から英語でcondenser(コンデンサー)と呼んでいたのだが、最初にその電気盆を発明したウィルケがそれを作る以前に第90話『分かれ道(2)』(注1)で話したヘロンの蒸気機関から熱や空気、電気の関係を調べていて蒸気機関の一部であるSteam(スチーム) condenser(コンデンサー)(蒸気凝縮器または復水器。注射器のように筒型のピストンが取り付けられたシリンダー管または容器内に蒸気熱を注入するとそのシリンダー管や容器内の空気が膨張してピストンが押し上げられたり、逆に蒸気熱が冷えるとピストンが下がる仕組みが蒸気機関だが、ヘロンの蒸気機関の構造モデルである“アイオロスの球”と同じように蒸気熱をシリンダー管または容器から逃して別の容器に集め、水に戻す装置を蒸気凝縮器または復水器と呼ぶ。こうして蒸気を逃して水に戻し、今度はその冷えた空気を再び元のシリンダー管または容器内に注入して膨張させた空気を冷やして圧力を下げればピストンが速く動くようになる。そのため、ウィルケは蒸気熱と冷やした空気を交互に注入してピストンが上がったり、下がったり(押したり、引いたり)を繰り返す装置と、そこから逃した蒸気を集めて冷やす為の蒸気凝縮器(復水器)を分け、その先に滑車を取り付けてそのピストン(反復)運動によってその滑車が回るようにした。それが今では1776年にスコットランド出身のイギリスの実業家だったジェームズ・ワットが発明した蒸気機関(現代のレシプロエンジンの原型。第105話『欺瞞』(注5)参照)とされているが、実際に発明したのはウィルケである。なぜなら、ウィルケを幼少期から面倒を見ていたのがドイツのロストック大学(=Universität Rostock、University of Rostock、ローマ教皇マルティヌス5世により1419年に建てられたヨーロッパ北部では最古、ドイツでは3番目に古い公立大学である。元はローマ教皇が建てたためカソリック(キリスト教伝統派)だったが、マルチン・ルターの宗教改革の波に乗って1542年からプロテスタント(キリスト教新興派)を教義とするようになった。1919年にはアインシュタインと一緒に自然界には実在しない黒体(=Black body)と呼ばれる雷なども含めてあらゆる光(電磁波)を吸収し、それを熱放射、つまり爆発力に換えられる物体=最強の兵器が存在するとして量子論(=Quantum Mechanics、量子力学とも呼ぶ。原子爆弾のエネルギーを始め、自然界で起きる様々な事象を科学者や教師などが説明できない際に用いる出任せの理論のこと。グラフや数式、統計数、いろいろな専門用語などで説明されるが、上述した黒体のように全く自然界には実在しない物体についてあれこれ科学者や学者同士で論じているだけで、自然科学の知識や技術には何ら影響しない疑似科学である。ドイツのハノーファー選帝侯で後にイギリス王にもなるジョージ2世によって建てられたゲッティンゲン大学(=Georg-August-Universität Göttingen、the University of Göttingen、1734年創立。ドイツ政界で環境政策を唱えて2021年には3番目の政党に大きく躍進した野党の同盟90/緑の党(=Büdis 90/Die Grünen)の学術拠点になっていたり、1837年には童話作家で有名なヤーコプとヴィルヘルム・グリム兄弟を始め7人の大学教授が王権支配を強化しようとした国王に抗議して大学を解雇させられたり、国外退去処分にされたゲッティンゲン7教授事件でもよく知られる公立大学だが、そうした環境活動や社会改革運動を起こすことで大衆の味方を装っているだけの見せかけの教育機関である。そのため、ゲッティンゲン7教授事件はその運動に共感して抗議した一般市民が逮捕され、始めに抗議した教授達はいずれも後で復職したり、別の職位を与えられていることからも分かる通り、王権支配を強化する為の自作自演の抗議事件だった。)の神学論者(言い訳術。第116話『汚水』(注1)その4参照)を代々、務めてきた家系の出である自称、物理学者のマックス・プランクが知識欲に燃えて王侯貴族(が操作する学界の)支配から脱却し、民主主義に進もうとする大衆の向上心をそれとなく阻害して振り回そうと故意に複雑怪奇な説明を唱えて大衆を煙に巻き、自然科学を正しく学ばせないようにしたり、自分達の間違いや矛盾を指摘されないよう、また、自分達、王侯貴族などの特権階級が裏で行っている大衆を虐殺する為の兵器開発を大衆に気づかせない為に上述した黒体のような似非(エセ)科学論を唱えるようになり、21世紀の今日までプロパガンダ(大衆洗脳宣教)を行う上で学者、科学者、専門家といった大衆に信用されやすい肩書を与える為に設けられたオカルト(反自然(神)主義)学問でもある。しかし、嘘をつき続けると段々、嘘をついた本人も嘘と真実の区別がつかなくなるように21世紀の今でも量子論は自然科学に重要な学問と本気で信じている学者は多いが、何度も言う通り、量子論の重要モデルである黒体はこの地球上にはどこにも存在しない。つまり、幽霊や霊魂、化け物などのオカルト(超自然)物体を論じているのがこの量子論である。)を提唱してノーベル物理学賞を受賞したマックス・プランクに名誉博士号を授与したのもこのロストック大学である。)の数学者でロシア帝国皇帝のエカチェリーナ2世の皇太子の家庭教師でもあったフランツ・エピナスだったため、彼がウィルケの考案した電気盆や蒸気凝縮器(復水器)をそのまま盗んではキャヴェンディッシュ侯爵(第115話『生命』(注1)のキャヴェンディッシュ研究所を参照)を始めイギリスの科学者や武器商人などに売っていたため、スコットランドのダムフリース村(第116話『汚水』(注1)その1参照)と同じグラスゴー市から東へ車で15分ほどの所にあるMuirhead村という忍者村の女傭兵だった母親とグリーノックというグラスゴー市から西へ車で約30分の港町の助役をしていた父親の息子というだけでグラスゴー大学に雇われていたジェームズ・ワットはそのウィルケが考案した発明品の特許登録者として登録されただけで、ワット自身は何ら考案も発明もしていない。だから、ワット以外にウィルケの発明品を買ったイギリス人達の間で特許を巡る争いが頻発するようになり、結局、和解金などを払って買い取っていき、最終的にワットの勝訴としたため2021年現在まで蒸気凝縮器(復水器)が付いた蒸気機関、つまり、レシプロエンジンの原型を発明したのはジェームズ・ワットということになった。一方、ウィルケも図らずもイギリスの産業革命の象徴である蒸気機関に貢献したことからウィルケ自身は一度もイギリスという国と関わり合いがあったわけでもないのに、なぜか1789年にイギリスの王立協会(ロイヤルソサイエティ)フェロー(第103話『略奪』(注4)参照)に選ばれている。)を先に作っていて、蒸気凝縮器(復水器)の方をスウェーデン語でKonden(コンデン)sator(サトル)、電気盆をKapaci(キャパシ)tans(タンス)とウィルケは区別して呼んだことから蒸気凝縮器(復水器)を自分達が発明したと言っていたイギリス人達も同じように区別して呼ぶようになった。だから、日本語でのコンデンサは英語ではCapacitor(キャパシター)と言い換えられている。それゆえ、マイカコンデンサとは、ウィルケの電気盆を模して電気を通しにくい蝋版(ろうばん)の代わりにマイカ(雲母(うんも))という鉱石を使って金属板を挟んだ蓄電池であり、現代でも精密電子機器などでよく用いられている。)を始め、マイカ(雲母)を粉砕して紙のようなテープやシートに加工し直した集成マイカと呼ばれる物が高電圧コイルの絶縁体(熱や電気を遮断する素材)として使われていたり、キラキラと輝く性質からパール(真珠)のような光沢を肌に与える化粧品として、また、自動車や建材の塗料になったり、水や肥料を吸収してしばらく穴に貯めておける性質からバーミキュライトと呼ばれる土壌を改良する土としても農業や園芸でよく用いられている。その他、その高い断熱性や遮音性を活かした使い捨てカイロや消火剤、建築用の断熱材や遮音材にもこのマイカ(雲母)は重宝されている。)に(にかわ)や絵具(顔料)を一緒に使った雲母摺(きらず)りという手法で東洲斎(とうしゅうさい)写楽( しゃらく)の『三代目大谷鬼次(おおたに おにじ)江戸兵衛(えどべえ)』(1794年発表)の背景が黒く塗られていたり、喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)の『難波屋おきた』(1793年頃発表)ではキラキラとした白い光沢の背景になっていたり、その他、豊原国周(とよはら くにちか)の『市川団十郎演芸百番 局岩藤(つぼねいわふじ)』(1898年発表)は人物のつけている(かんざし)や帯の色柄に光沢を持たせて立体感を演出したりと、太陽光線(紫外線)で絵具(顔料)の色が()せて変色や退色することも、(にかわ)(ゼラチン)が太陽光線(紫外線)によって硬化して絵具(顔料)がにじまないよう保護することも、また、マイカ(雲母)が太陽光線(紫外線)を吸収して紙に塗った絵具(顔料)の色=光または電気を放散しにくくして色褪せ(退色)を防ぐこともよく分かっていたからこそ、その知識に合わせた印刷技術が発達し、加えて古代からタパ(=Tapa cloth、主にタヒチ島を含んだフランス領ポリネシア(またはソシエテ諸島)、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツなどを含んだメラネシア地域、マーシャル諸島、マリアナ諸島を含んだミクロネシア地域で今も作られている樹皮でできた布のこと。別名、樹皮布(じゅひふ)(=Barkcloth(バーククロス))とも言い、日本では木綿(ゆふ)という名で正倉院に保管されている他、アイヌ民族が着ていたアットゥシと呼ばれる民族衣装もこのタパ(樹皮布)であり、さらに東南アジアや南米、ロシア、中国南部でも似たようなタパ(樹皮布)がBC6000年~BC4000年頃から作られていたと見られていて、世界人類がその当時、着ていた衣服はこのタパ(樹皮布)と言っていいほどかなり流行していた布地だが、作り方はほぼ和紙を作る手順と同じで、材料はクワ科のカジノキ、パンノキ、イチジクといった木の樹皮を()いて内側の柔らかい白い部分だけを水に一日か二日ほど浸けてもっと柔らかくし、こん棒で叩いて紙のように薄く伸ばしてから樹脂糊(現代で言うプラスチック接着剤)でくっつけてサイズを広げ、日干しして乾かした後、手書きで絵柄を描いたり、模様が彫られた木版の上に置いて草木の樹液や果汁、顔料(絵具)などで染色しながら絵柄を印刷して衣装を作るという技術で、聖書の中でアダムとイブがソテツの赤い実(毒の果実。第116話『汚水』(注1)その3参照)を食べたせいでその副作用から自分達が裸だとの幻覚を見て慌ててイチジクの葉を縫って衣服を作ったとの記述があるが(創世記2章7節参照)、これをローマ教皇率いるカソリック(キリスト教伝統派)が勝手に解釈し、1563年からマサッチオ(本名はトマソ・カッサーイ)の描いた『楽園追放』(1425年頃発表)を始め、イタリアにあった裸体像や裸体画の性器にイチジクの葉を描き足すよう命じた“イチジクの葉運動”と呼ばれる検閲(けんえつ)が行われてからというものの、聖書に出てくるイチジクの葉とは何ら加工もせずそのまま性器に着ける衣装と勘違いされてしまっているが、実際はそうではなく、タパ(樹皮布)のように植物繊維(=Cellulose(セルロース) fibers(ファイバーズ)、化学名をセルロースと言い、冷水、熱水、化学薬品でもなかなか溶けない物質で、桑の葉を食べる(かいこ)が絹糸(植物繊維)を出すのはそうそう消化されないからである。)を使った製布や製紙技術による服をアダム(男)とイブ(女)は既に着ていたのであって、その技術がなければ現代の私達が木材や草、竹、(わら)などからパルプ(=Pulp)と呼ばれる食物繊維を採って紙を作ることもなかっただろう。だから、日本で和紙が誕生したのもよく教科書で宣教されるような、AD1世紀頃に中国の後漢王朝に仕えていた蔡倫(さい りん)という官僚がその当時、“中国では高価だった紙”を安く作ろうと樹皮や捨てられていた麻の屑、破れた魚の網から再生紙を作ることを思いついたから製紙技術が生まれた訳ではなく、元から技術があったからそれを再活用しただけで、決して中国が製紙技術の発祥ではない。その証拠にアマテ(=āmatl、amate、ナワトル語で「イチジクの木で作る紙」という意味。)と呼ばれる蔡倫の生きていたAD73年頃の物と思われる紙の遺物が中米のメキシコにある蒸留酒のテキーラで有名なハリスコ州マグダレーナ市郊外の地下墓の中からヒスイの付いた投げ(やり)の際に手指を保護する道具や陶磁器、頭蓋骨などと一緒に見つかっていて(Huitzilapa site in The Teuchitlán culture)、また、アマテ紙は今でも山間部に住むオトミ族という部族がメキシコの伝統工芸として生産している。そのため、中国から伝承されたというより日本でも古代から既に製紙技術は定着していて、そこから樹木もクワ科のヒメコウゾとカジノキを交配した(こうぞ)という新しい品種の樹木を生み出し、さらに糸のように細く割いたその(こうぞ)の樹皮をメキシコのアマテ紙のようにそのまま叩いて使うのではなく、トロロアオイ(または花オクラ)の根から出る粘液の(のり)も加えてそれを水に浸けて(すだれ)()くい、均等に広げることで和紙と呼ばれる日本にしかない独自の技術に磨き上げたのであって、中国には漉いて紙を作る技術はなかった。ただし、後年、日本の製紙技術を真似た中国が宣紙(せんし)と呼ばれる手漉きの紙をAD6世紀頃から作り始めたようだが、日本の和紙と違って質が粗くて字を書くと(にじ)みやすく紙も破れやすいため、細かい文字を書く手紙には使えなかったことから現代では画仙紙(がせんし)という名でどちらかと言うと大きめの字を書く書道用の紙としてよく使われている。このように、タパ(樹皮布)も製紙技術も古代から世界中で共有していた技術であり、それを個々が知恵を絞って努力や工夫を重ね、進化、発展させてきたからこそ多種多様な技術が生まれ、世界人類はその多種多様な技術の恩恵を受けてさらに躍進、繁栄できたのであって、単に特許という悪法を振りかざして誰にも真の技術を見せない、知らせない、教えないままその利益を自分だけ独占しようと専売にするだけだったら世界人類はこれほどまでに進化も繁栄もしてこなかっただろう。だから、日本の和紙は古代から連綿と日本人が受け継いできた文明(神の智慧)によって創られた技術とも言える。だが、かつては世界中に伝播(でんぱ)していたはずのタパ(樹皮布)の技術がなぜか今ではアジアの一部分しか残されないのも、本作品で何度も伝えてきた通り、戦争(人殺し)によって人と人との繋がりが途切れるからで、長い年月を積み重ねて人が人に善意でもって教える絆から生まれ、大勢の人々に繁栄をもたらす技術も戦争(人殺し)によって一瞬で消える。実際、メキシコのアマテ紙もかつては誰もが作っていた日用品に過ぎなかったのに、12世紀か13世紀頃に書かれた物と思われる『the Códice Maya de México(邦題だと『メキシコのマヤ写本』)』でも宗教儀式と称した拷問や処刑が記されている通り、宗教を隠れ蓑にして人々に戦争(人殺し)をそそのかすシャーマン(霊媒師)達が「アマテ紙には魔力がある」とか「神聖な儀式(兵器実験)の時以外は使ってはならない」などと脅してアマテ紙を日本の鍋島焼のような絵具(火薬)の付いた兵器に作り変えたり(第116話『汚水』(注1)その6参照)、あるいは神殿や教会への寄付と言って軍資金を募る宣教本にする為にアマテ紙の製造及び販売を独占するようになったため、シャーマン(霊媒師)達の嘘によって軍事機密にされたアマテ紙はいつしか限られた人々の間でしかその製紙技術が伝われなくなり、16世紀に戦利品を求めて南米に上陸したスペイン人達がアステカ帝国を滅ぼして占領するようになると(the Spanish-Aztec War 1519年~1521年)、アマテ紙を使った兵器に苦戦したスペイン人達はアマテ紙の製造を禁じるようになった。こうして、かつては人々に豊かさをもたらしたアマテ紙の製紙産業は途絶え、その技術はその紙を悪用して兵器にしていたシャーマン(霊媒師)達の間だけで伝承することとなり、結局、その間違った技術を再び悪用しようと第116話『汚水』(注1)その3で話したナグ・ハマディ文書に群がる考古学者達のようにメキシコのフリーメイソンのメンバーで英米がスペイン勢を駆逐する為に仕掛けたヤラセのメキシコ独立戦争(1810年~1821年)で英米のスパイとして暗躍し、その後、英雄とされて第2代メキシコ大統領となったテロリスト指導者のヴィンセンテ・ゲレーロにちなんで名づけられたゲレーロ州(=Guerrero、Estado Libre y Soberano de Guerrero、BC2500年頃から興ったメキシコ湾岸で栄えたオルメカ文明(=The Olmecs、オルメカとは、ナワトル語で ōlli「(パラゴムノキの木から採れる)乳液」とmēcatl 「その地に住む人々」を併せた造語で、「ゴムの樹木から乳液を採取し、それを加工販売して暮らす地域の人々」という意味である。)を受け継いだ地域で、ゴムの乳液以外に織物、陶磁器、籠編みの技術もあった他、品種改良される前のトウモロコシの原種であるテオシントと呼ばれる作物も栽培していたらしく、そうした産業で栄えていたようだが、その繁栄が多くの人々を魅了し、交易を求めたり、移住してくる人々も増える一方、それを妬んで横盗りしようという邪な考えを持つ者達も呼び寄せてしまい、12世紀頃からシシメカ族(=the Chichimecas、一般的にはスペイン語読みでチチメカ族と呼ばれているが、第102話『腐敗』(注2)で説明した通り、スペイン人達がメキシコを占領する前はChichiを“シシ”と発音していたようなので、本作品ではシシメカ族と表記させていただくが、メキシコの南東部やメキシコ湾とカリブ海の間に突き出たユカタン半島にあるグアテマラやその隣のイギリス領ベリーズの地域で古代から中世まで栄えたマヤ文明(=The Maya civilization、BC2600年頃からスペイン帝国によって滅ぼされる1697年まで中南米で続いた古代文明の一つである。上述したオルメカ文明とそれほど変わらない時期から隣り合って発祥した文明であり、オルメカ文明とは産業形態が違うだけでマヤ文明はどちらと言うと海の利点を生かした塩作りや漁業、船舶、海洋貿易、冶金(製錬&精錬)といった産業に秀で、オルメカ文明は上述した森林の利点を生かした産業に勤しんでいただけでどちらもお互い仲良く平和に栄えていたのだが、海洋貿易をしていたマヤ文明はオルメカ文明より人が集まりやすく、人類の文明の発祥地であるインダス文明(第114話『細胞』(注2)のウォレス線を参照)が度重なる戦争(人殺し)により滅亡したことでその難民達が次第にインド、東南アジアからオセアニア(=Oceania、太平洋上の島々を総称した名称で、特に上述したオーストラリアやニュージーランドを含むポリネシア地域、パプアニューギニア、フィジーなどのメラネシア地域やパラオ共和国などを含んだミクロネシア地域を一括して呼ぶ際の言葉である。広義には太平上にある全ての島々のことなのでフィリピン、台湾、アメリカ領ハワイ州、アメリカのアラスカ半島からロシアのカムチャッカ半島まで伸びるアリューシャン列島、インドネシア、イースター島、ガラパゴス諸島、そしてもちろん、この日本列島も含まれる。)、この南米にも移住していったことからそうした人の交流に加え、インダス文明の知識や技術も南米に根強く浸透していった。そのため、少なくとも直近で13世紀までアメリカの原住民とイースター島(=Easter Island、ポリネシア語ではRapa(ラパ) Nui(ヌイ)「大陸」、さらに(さかのぼ)った最初の島名はTe pito o te kainga a Hau Maka「ハウ・マカが与えたささやかな土地」という意味で、Hau(ハウ) Maka(マカ)とはHauを正しく書くとHaua「神」、Makaはサンスクリット語のMahaが転じて日本語でも使われる摩訶(まか)不思議の魔訶のことで「偉大な、人知を超えた」という意味なのでこの二語を併せて「大神、天地を統べる神」、つまり、日本で言えば天照大神(あまてらすおおみかみ)と同じく、イースター島とは「天地を統べる大いなる神が与えたささやかな土地」が本当の島の名前である。元々は戦争難民達が平和に暮らす為にこの島を開拓したらしいが、後から第116話『汚水』(注1)その3で話したアッシリア人が信仰するゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の神であるWinged(ウィングド) Genie(ジーニー)「翼を持った軍神、戦闘機が造れる賢人」に似た鳥人間、つまり、戦闘機に乗った者達が島を襲って占領し、その占領者達がRanginui「神の手で土から作られて空を飛ぶ者」とPapatūānuku「神の手で砂から作られた泳ぎ上手な者」、それぞれ略してランギとパパという名の夫婦で、彼らはイースター島以外にハワイやニュージーランドなどのポリネシア一帯を牛耳ったことからそれ以降、イースター島はRangi(ランギ)Papa(パパ)Nui(ヌイ)「土」=Rapa Nui「ラ・パ夫妻の土地」と呼ばれるようになった。その後、1722年4月5日にオランダがこの島を占領したことからその日が偶然、イースター(=Easter、Resurrection Sunday、ナザレのイエスが十字架刑に架けられた金曜日から三日後の日曜日に奇跡的に生きていたことが分かったためその日をキリスト(人殺しの十字架)教がイエスの復活記念日として祝祭を催すようになったのがこのイースターの起源と一般的には思われがちだが、元々、イエスの頃にもあったペサハ(過ぎ越しの祭り)のように古代から春分(夜の長い冬の季節が終わり、昼と夜の長さが同じになる日)を祝う行事やお祭りは世界中で行われており、農業や漁業のような人々の生命を支える食料を生産する産業はその日を境に毎年、始められるためサンスクリット語のUsurā「夜明け、日の光が昇る時節」から英語のEast「東、日が昇る土地」になった通り、イースターとは元々、この春分祭のことである。しかし、East「東」と-er「~する者」が合わさってEaster=「夜明けの光を告げる者」となったのは、春分の日を決めていたのは神殿(天体観測所)で太陽や月、地球などの天体の動きを観察して(カレンダー)を作っていた僧侶や占星術師達だったからで、その話は後で説明するとして毎年、彼らが自分達の作った(こよみ)を発行してそれを自分達の国に住む人々に知らせて産業が成り立つようになっていたのだが、アッシリア帝国時代からその役目を第92話『ロゴス(言葉)(2)』(注7)で説明した女神ナンナ(アッカド語ではSin、英語のSin「罪、罪悪」の語源である。)という巫女の一族が軍事力(暴力)で神殿(政府)を占領して奪ったことから、以来、イースターとは天文学で計測した暦を発表する行事だったのが軍事力(暴力)で国権を掌握したこの女神(巫女)ナンナ、古英語ではĒastreやEostreと呼ばれる個人を崇める為だけの宗教儀式に変わっていった。そのため、ゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の流れを汲んだキリスト(人殺しの十字架)教も昔の宣伝手法を真似て春分祭をナザレのイエス個人を崇拝する、ひいてはローマ教皇を頂点としたカソリック(キリスト教軍事総合商社)自体を崇拝する宗教儀式に変えたことで、イースターは特に欧米各地で習慣づけられるようになった。)の祝祭日だったため、Rapa Nui島は欧米人達によって勝手にイースター島に改められた。以降、船舶技術にかけては欧米でもオランダと肩を並べていたスペイン帝国が同じ血筋のフランスのブルボン王朝の後押しもあってオランダを退けてイースター島を占拠し出し、13世紀頃からイースター島の実質的な支配者だった中米のシシメカ族(またはチチメカ族)とその子孫のアステカ帝国が国教にしていたマナ教(=Mana、第116話『汚水』(注1)その3において聖書に出てくる()をすりつぶしたイースト菌(酵母菌)から作ったパンをマンナと呼ぶ話をしたが、このマンナが転じて英語のMan「人間」となったように中米で信仰されていたマナ教とは聖書のモーゼという“人間”を崇拝するユダヤ教のことである。第13話『迷い』でも話した通り、当時、強大な世界帝国だったエジプトのファラオ(王)と対峙して約61万人以上ものヘブライ民族(古代ユダヤ人)を引き連れ、見事、亡命してイスラエル国の基礎を築いた奴隷のモーゼの話は日本も含めて世界中に知れ渡っており、中米にも伝わっていたことからそのモーゼに起きた奇跡話に自分達の祖先を重ね合わせ、心霊現象や魔術といったオカルト(反自然(神))思想を混ぜたシシメカ族(チチメカ族)独自の宗教がこのマナ教である。しかし、宗派名が13世紀からマナ教に変えられただけでインダス文明の頃から伝承されてきたゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の教え(思想)に何ら変わりはなく、インダス文明や中東のメソポタミア文明で培われてきた自然科学の知識や技術を悪用した軍事知識や技術を大衆に教育して軍需産業を行う為の国教であり、死んだ兵士やかつての支配者の先祖霊を崇める点も同じで、生前の彼らの姿を模した石像や木像を建てることがこのマナ教の特徴である。つまり、現代の日本で言えば靖国神社で戦死者を祀ったり、木で彫った仏像を飾ったり、道端に石仏を置いて信仰する習慣などもアステカ帝国のマナ教と全く同じ主旨の国教と言える。ただし、中南米は日本とは違って気候や緯度(地球上での太陽の当たる位置)といった自然条件が中東とよく似ているため、ゾロアスター(拝火)教やユダヤ教の軍事科学の知識や技術を再現しやすかったことからアッシリア帝国時代のバベルの塔(現、ウルのジグラット。第92話『ロゴス(言葉)(2)』(注7)参照)を模したエル・タヒンの階段式ピラミッド(=Pyramid of the Niches at El Tajìn、現在のメキシコ湾西岸のベラクルス州で1785年に発見された高さ約20m(ビルの約6階~7階ぐらい)のピラミッド神殿で、エル・タヒンとは「雷もしくは稲光の神」を意味し、ピラミッドの壁には1年365日分の(くぼ)みが設けられていることからまさしくアッシリアのジグラット神殿と同じく天体観測を行うことで雷を呼んで戦闘機を操り、空爆を行う為のバベルの塔(誘雷塔)を再現しようとして建てたものと思われる。建立時期はその地域が栄えたAD10世紀前後と見られているが、正確な時期は不明でもアッシリア帝国が滅んだ同じ頃に太陽の位置が11日分ほど後退したため(第116話『汚水』(注1)その3参照)ピラミッドの壁の窪みも365日分にしている訳で、アッシリア帝国が滅んだBC7世紀以降に建てられたことだけは間違いない。そのため、いくら似たようなバベルの塔(誘雷塔)を建てたところでアッシリア帝国のゾロアスター教(軍事科学)は太陽が後退する以前の知識や技術なのでもはや天文学として使い物にならず、再現の為に年月や費用を賭けても決して成功することはないのだが、21世紀の現代に至るまで様々な国家(王朝)が莫大な借金を抱えて財政破綻しながらそれでもなお、しつこく国民を犠牲にしてでも人体実験を繰り返し、兵器開発の為に軍事費を注ぎ続けて滅亡していったように、このエル・タヒン(現、メキシコ湾西岸)も似たような末路をたどったらしく、結局、宗派の名前は違えど同じゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教系列のマナ教を信じるシシメカ族(チチメカ族)の開発した火薬兵器によって滅ぼされた。なお、エル・タヒンで信仰されていた宗派名はケツァールコアトル教(=Quetzalcōātl、Quetzal(ケツァール)とは東南アジアやアフリカ、中南米などの熱帯に生息するキヌバネドリ科の一種で、体長は35cmほどだが、光沢のある緑や金色、青、紺色など光の当たり具合では七色にも見えるその長い羽を伸ばすとその3倍の120cmにもなるメキシコ南部からパナマでしか見られない鳥のことで、中国では『詩経』(第116話『汚水』(注1)その6参照)や儒学の教科書である『論語』などで紹介され、日本では金閣寺の屋根に飾られ、2021年現在の一万円札の裏に印刷されている伝説の鳥である鳳凰(ほうおう)のモデルであり、欧米ではフェニックス(=Phoenix、不死鳥または火の鳥)とも呼ばれる幻の鳥のことでもある。伝説や幻の鳥と言われるぐらい滅多に見かけない貴重な鳥のため原産地の中南米でも高位の僧侶か王しかその羽を身に着けることは許されなかったらしく、このケツァールにナワトル語でcōātl(コアトル)「蛇」が語尾につけられていることからも分かる通り、蛇毒を操って鳥の羽を付けたまさしくWinged Genie「翼のある軍神、戦闘機を造る学者」のことなのだから、ゾロアスター(戦争&原子爆弾礼賛)教の一派なことは明らかである。その他、マヤ文明ではこのケツァールコアトル教はククルカン教(=K’uk’ulkan、マヤ語でK’uk’「ケツァールの羽」、サンスクリット語のKulu「徴税する者」もしくはマヤ語ではKul「王座に座る者」、kanは「蛇、虫」なので、ケツァールコアトル教と同じ意味になり、「翼(戦闘機)を持って蛇毒や病原菌(虫)を操り、徴税する王、学者、軍神」なので、やはりゾロアスター(戦争&原子爆弾礼賛)教の一派である。)に名前を変えられていて、メキシコ湾西岸のエル・タヒンと同じ時期にこのククルカン教もメキシコ湾沿いにあった都市国家チチェン・インツァ(現、メキシコのユカタン州)内で流行していたらしいので、どうやらメキシコはこのAD10世紀前後を境に群雄割拠の戦国時代に突入していたようで12世紀の日本や17世紀のイギリスでいろいろな宗教団体を創設してはその団体を通じて徴兵や寄付金を集めてお互い軍拡を競い合い、国権を軍事力(暴力)で奪い合ったようにメキシコも似たような宗教団体を作ってはそれぞれ都市国家同士が戦争(人殺し)し合い、結局、その戦争(人殺し)と軍拡が原因で長期間に渡る干ばつや水不足を招くことになり(The Medieval Warm Period(MWP)中世の温暖期。第116話『汚水』(注1)その3参照)、かつてはヘブライ語のmáyim「大量の水、絶え間なく与えられる水」から自分達の民族をマヤ民族=恵まれた水資源を持つ民族と称し、後世おいてはマヤ文明と名付けられるほど、川らしい川もなく海に囲まれた真水の乏しいユカタン半島でも地面を掘ってツノート(=tzonot、スペイン語ではCenote(セノーテ)、貯水池、貯水洞窟。第98話『不浄(2)』のシンクホールを参照)を何千か所も造り、雨季には大量の水を貯めてそこから運河や掘、水路を広げ、田畑や井戸を潤しながら放射線状に設けられた水路を所狭しと走るカヌーが食料や物資を運ぶという利便性に優れた水上交通もその都市機能を支えてきた水資源を失ったことから普通に暮らすこともままならなくなって新たな水資源を求めて誰もが移住するようになり、マヤパン(=Mayapan、現在のユカタン州の州都であるメリダ市から南東へ車で30分ほど行ったところにあるマヤ語で「マヤの旗」という意味の都市遺跡である。)の街を最後にユカタン半島を離れて北上していき、マヤ文明の都市国家群も滅んでいくこととなった。)の他、チチェン・インツァのククルカン神殿(=the Temple of Kukulcán、スペイン語ではEl Castillo「城塞」とも呼ばれる高さ約30m、ツノート(貯水池)の真上に建てられている階段式ピラミッドである。AD7世紀頃から築かれ始め、11世紀頃まで増改築が重ねられた。)、アステカ帝国時代のアカティトラン神殿(=Acatitlan、17世紀にスペイン人達が占領して洪水対策の為に干拓(かんたく)を行うまで2021年時点の人口が約2,191万人のメキシコ市がすっぽり入るどころかその約4倍の面積があったテスココ湖のほとりの(あし)の茂み(第98話『不浄(2)』の“神の庭”を参照)に建てられたナワトル語でAcatitlan(アカティトラン)「葦の茂みの土地」という名の、現在のメキシコ市の中心部であるソカロ広場から車で北上して約30分足らずの所にある階段式ピラミッド。)やテンプロ・マヨール(=ナワトル語はHuēyteocalli「大きな神の家、大ピラミッド神殿」、スペイン語ではTemplo Mayor「主神殿」と呼ばれ、スペイン人達が自分達の国教であるカソリック(キリスト教伝統派)を強制的にメキシコで教育しようと現在のソカロ広場にあるメキシコ・シティ・メトロポリタン大聖堂の建立以前の1521年に破壊した階段式ピラミッドで、1933年以降、発掘調査が行われてピラミッドの一部などが発見された。アステカ帝国の首都であるテノシュティトラン(現、メキシコ市)の建設と同じ1325年頃から建築され、当初は人類が文明(神の智慧)を与えられて以降、今日まで行ってきた農業や漁業を始めとした様々な産業で使う暦を作る為にピラミッドの階段から見える太陽の位置や四方の側面に当たる光の角度で時間や月日を決める天文観測所として建てられたのと同時に、相変わらずゾロアスター(戦争&原子爆弾礼賛)教のバベルの塔(誘雷塔)を再現する為の兵器開発施設でもあったのでケツァールコアトル神(軍神)とマヤ文明の頃からテノシュティトラン(現、メキシコ市)を含めたメキシコ中央部一帯で土着信仰になっていたトラロック神(=Tlāloc、ナワトル語で「雨や雷の神、地下への道を知る者、死神、農業の神、洞窟で暮らす仙人」と様々な意味があるが、これらの意味から分かる通り、第116話『汚水』(注1)その3で話した兵器開発を行うキリスト教の修道士(モンク)やヒンズー教の仙人(リシ)と同じ兵器開発者のことで、元は恐らくトラロックという名前の教祖が興した別のゾロアスター教系のカルト宗教のようである。)を合祀していたらしいが、途中からテノシュティトラン(現、メキシコ市)周辺に移住してきてそれまで部族間同士の合議で政治を行ってきた地域を武力(暴力)で脅し取ったシシメカ族(チチメカ族)の血を引き、テノシュティトラン(現、メキシコ市)の4代目の部族代表(トラトアニ)からアステカ帝国の初代王になったイツコアトルの時代から自身の祖父であるオポシュトリ・イスタワツィのオポシュトリ(=Ōpōchtli、スペイン語読みではオポチトリ)という名と、腹違いの兄で二代目の部族代表として大衆からの人気が高かったウィツリウィトル(=Huitzilihuitl)のウィツリを勝手に併せ、ウィツロポシュトリ神(=Huitzil-Ōpōchtli、子音と母音をつなげて読むため、ウィツ“ロ”ポシュトリ、スペイン語読みの場合はウィツロポチトリと言い、太陽神、シウコアトル(=Xiuhcoatl)と呼ばれるトルコ石またはヒスイで造られた蛇型の投げ矢や投槍器、つまり、現代で言うミサイルを操る軍神でもあり、また、兵器開発用の生贄を解剖して心臓をえぐり取り、人体実験を行っていたことでもよく知られる、いわば、神や宗教儀式を装って大衆に神という名の威信から畏怖の念を抱かせ、戦争(人殺し)や暴政を正当化する為にでっち上げたキャラクター神またはアイドル(偶像神)である。)という、生まれた時から父親を始め周囲から常に後継者としてもてはやされてきた異母兄のウィツリウィトルに劣等感を抱き続けていたイツコアトルがその異母兄の息子や孫をも謀殺して王位を密かに簒奪(さんだつ)したことから後々、その王位継承について大衆から不信や疑念、反発などを招かないよう先祖霊を強く敬って家族や血筋を大切にする敬虔で家族思いの王と印象付ける為にイツコアトル王自身が創設したカルト宗教を祀るようになったらしく、イツコアトル王が即位した1427年以降、テンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)の上に設けられた二つの神社はトラロック神はそのままでも、主神はケツァールコアトル神からウィツロポシュトリ神(ウィツロポチトリ神)になり替わった。その後、日本の大倭朝廷(現、皇室)のように断絶した家系図を書き換えた跡や都合の悪い歴史書を抹消しようと焚書も行って自身の王権を固めようとしたようだが、後継者に指名されてイツコアトル王に謀殺されたウィツリウィトルの息子や孫以外の子供達がイツコアトル王の犯行に気づき、仇討ちしたためわずか13年ほど王座に座っただけでイツコアトル王は60歳で暗殺された。以来、アステカ帝国はひたすら腹違いの兄弟間での骨肉の争いを繰り返し、度重なる戦争(人殺し)や軍事費の増大による重税や徴兵の負担、兵器開発の為に繰り返される地震・噴火・洪水のような災害(爆破実験)の度に起きる農作物の不作やそれに伴う飢饉、生贄(人体実験)といった血みどろの恐怖政治を敷いたため一般国民からの不平や不満、反発が抑えきれなくなり、これも皇政復古の為に欧米軍を招いた日本の大倭朝廷(現、皇室)と同じくアステカ帝国のイツコアトル王から数えて7代目のモクテスマ2世がスペイン軍に加勢してもらって武力(暴力)で周辺諸国をねじ伏せ、再び自身の王権を強化しようと戦争(the Spanish-Aztec War 1519年~1521年)を行ったが、結局、それまでアステカ帝国の暴政に疲弊しきっていた大衆にしてみれば外国であってもスペインの方がまだ、救い主に見えたのか、モクテスマ2世を真似てスペイン軍と結託した兵士(大衆)や周辺諸国から寝返られ、テンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)でモクテスマ2世に味方する側近達は虐殺され(the Alvarado Massacre 1520年5月22日)、その事件から一か月後、彼自身もスペインと大衆の両方から見限られて殺された。それからまもなくしてモクテスマ2世を裏切った弟のクイトラワク王も自国民共々、スペイン軍が撒いた生物(細菌)兵器である天然痘(第97話『不浄(1)』(注1)参照)によって大量に虐殺され、アステカ帝国はスペインの完全な占領下に入ってしばらく傀儡君主が4~5代、続いたが、そのほとんどが君主となって5~6年ほどで他界し、1565年からは血統で選んできた君主制が廃止されて事実上、アステカ帝国は滅亡した。その間、テンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)はゾロアスター(戦争&原子爆弾礼賛)教に狂信する王や学者が新しい兵器を繰り出す度にその王や学者を軍神(救世主)としてそれまで祀ってきたが、今度は天然痘という新たな生物(細菌)兵器を持ち込んだスペイン帝国に畏怖の念を抱き、スペインが軍神と崇めるナザレのイエスとカソリック(キリスト教伝統派)の教会(兵器開発施設)を建てるべくテンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)を破壊した。しかし、皮肉なことにスペインが2千年間、誤って祀ってきたナザレのイエスは軍神(救世主)でも何でもなく、古代からアステカ帝国に至るまで中南米で培われてきた軍事科学の知識や技術の方がカソリック(キリスト教伝統派)よりもずっと進んでいたため、第116話『汚水』(注1)その10で話した通り、アステカ帝国の末裔らしきエジソンをアメリカ及びイギリス政府(王室)が引き取ってその頭脳や学習過程を観察し続け、世界最強の兵器が造れる文明(神の智慧)の手がかりを見つけ出そうとしたように、一度は破壊して全否定したテンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)も再び20世紀からわざわざ国家(政府)プロジェクトとして税金を賭けて掘り返し、どんな兵器をアステカ帝国が造っていたのかを調べ直すことになったのだが、シシメカ族(チチメカ族)がテノシュティトランを武力(暴力)で制圧して以降、上述したアカティトラン神殿(葦の茂みの間の神殿)のようにテスココ湖周辺に群生して洪水を防ぐダムとして機能していただけでなく、チナンパ(=スペイン語ではChinampa、ナワトル語はシナミトル(=chināmitl)で、元はサンスクリット語でchinna「引き裂く、壊す」という言葉にナワトル語のmītl「投げ矢」を併せた造語で、葦を矢のように割いて作った日本にもある葦簀(よしず)のことである。葦簀(よしず)は現代の日本で見かけるとすれば海水浴場の売店になっている海の家に立てかけてある(すだれ)に似たアコーディオンカーテン(間仕切り)のことであり、日よけの他に古代ではこのシナミトル(スペイン語読みではチナミトル、葦簀(よしず))をテスココ湖や川辺の湿地帯に敷いて泥を盛り、稲や種、中でもメキシコ中南部やグアテマラが原産であるチアシード(=Chia seed)を植えて田畑にしていた。そのため、シナミトル(またはチナミトル)はナワトル語の別の言葉で“チ”ヤマ“トル”(=chiyamatl、「水の上のチアシード」との意味。)の韻を踏んでいる、あるいはダジャレになっている言葉でもある。これにさらにスペイン語のpaís「国、土地」が加わったことで、現代ではChinampa(チナンパ)「葦簀を水の上に敷いて田畑にした土地」と呼ばれるようになった。もちろん、日本にも葦簀があるのだからメキシコだけでなく、古代ではこの葦簀を使って耕す農法が世界の常識だったため、『古事記』や『日本書紀』に出てくる倭国ではない、“日本”の古い呼び名が“葦原中津国(あしはらのなかつこく)”(=天(神のおわす宇宙)と黄泉(よみ)の国(兵器を造る為に尿の溜め池(第116話『汚水』(注1)その8の鮫の尿素を参照)を設けている国)の間にある海の中の地上の楽園)になっていたり、聖書の中で葦が群生している湿地帯を“神の庭”と呼んだり、また、

― 焦土と化した砂地にはため池が戻り、

  乾いて砂漠化した土地には泉や水が湧き出てくる。

  死体が積み重ねられ、

  その死肉を貪り、金品をはぎ取ろうとする

  ジャッカル達がかつてたむろっていた場所にも

  豊かな草や葦、パピルスが生い茂ることだろう。


 そして、急速に発展していく道がそこに現れる。

 その道こそ“聖なる道”と呼ばれることだろう。

 それはその正しい道を歩く者達の為だけに築かれる。

 心卑しき者はその道に従って生涯を送ることはなく、

 意地悪く愚かな者は決してその道を歩むことはない。

                (イザヤ35章7節~8節)

という聖句が謳われるのも、地球のどこでも葦が利用されていたからで、中国をかつては支那(しな)、英語でChina(チャイナ)と呼ぶのもメキシコのシナミトル(=chināmitl、またはチナミトル)と同じく、上述したサンスクリット語のchinna「引き裂く、壊す」が語源だったからである。それぐらい葦という植物が人類にもたらした恩恵は計り知れず、第116話『汚水』(注1)その5でイギリスのエセックス州ブレントゥリーにあるブラックウォーター川についても話した通り、アングロ・サクソン民族が移住してくる前はブラックウォーター(黒い水)が本当に流れていたのも川辺に生えている葦からタンニンを含んだ黒い汁が出るからで、その黒い水が害虫を駆除してくれたり、動物の皮からタンパク質を除去して革になるようなめしてくれたり(皮が腐敗しないよう洗浄し、柔らかくすること。)、また、日の光を浴びると海水などの塩水を分離して塩の結晶を沈殿させ、これまた葦に含まれたブドウ糖が溶けたまろやかな淡水を蒸発させやすいことから葦簀を田畑や井戸、貯水池に敷くのも塩害を防いで良質な水を保水する為で、もちろん、この原理に基づいて日本でも海の家に葦簀を立てかけ、それに海水を撒くのは葦簀から蒸発した水が家の中に流れ込んで天然の冷房機になるからで、加えて、自然に群生している葦から空へと舞い上がる水蒸気によりその土地に雨も降りやすくなるため水資源に困ることもなくなる。また、この原理を逆に応用して茅葺(かやぶき)屋根に葦を使うのは雪を早く蒸発させて積もりにくくする為で、その他にも葦はインクや染料になったり、葦舟と呼ばれる小舟を造ることもでき、さらには1913年にペルーの民族曲を基に作詞作曲された歌劇の一部で、歌詞の内容がアメリカ政府によって乱掘され、酷使されるペルーの鉱山とその鉱夫達の悲惨な現状を歌った為に度々、歌詞が紛失し、1970年にユダヤ系アメリカ人の二人組歌手(デュオグループ)、サイモン&ガーファンクルによって第116話『汚水』(注1)その8の前書きで話した『Shvayg mayn harts(本心は何も語るな)』のように再び歌詞が書き換えられた『El Cóndor Pasa(邦題は『コンドルは飛んでいく』)で使われたペルーの伝統楽器であるケーナ(=Quena、縦笛)やパンパイプ(=Panpipes、ボリビアとペルーの公用語であるアイマラ語ではSiku、長さ(音)の違う縦笛を束にして吹く楽器のこと。)も今では木やプラスチックで作られるが、元々は葦で作られていた。だから、葦ほど多種多様な産業(経済)に関わって莫大な利益を生み出し、役立つ植物は他になかったのだが、その利益を独り占めしようとする強欲な者達にとってはその利益を永続的に継承させて自分達の子々孫々まで繁栄するよう大切に保護し、慈しむどころか、自分達だけの一時的な利益を確保する為の単なる乱獲の対象でしかない。それゆえ、葦はいつしかお互い利益を奪い合うことしか頭にない者達の手によって兵器に作り変えられ、中国では葦の根を乾燥させて粉にした蘆根(ろこん)(化学名はガロタンニン)と呼ばれる漢方薬が量によっては腎臓や肝臓を傷めて中毒死することから生物(細菌)兵器に用いられ、また、燃やした葦の灰(化学名はピロガロール、または焦性(しょうせい)没食子酸(ぼっしょくしさん))は空気中の酸素を急速に吸収して現代でもロケットや魚雷の推進剤に利用される過酸化水素を生成するためこれに古代では火薬の主原料だったトルコ石(リン酸塩鉱物)やヒスイ(ケイ酸塩鉱物)の粉を混ぜ合わせると上述したシウコアトル(蛇型ミサイル)のような次々と火の粉が拡がって現代で例を挙げるなら2015年6月27日に台湾のテーマパークに設けられたステージからイベント参加者に向けてポップコーンになる品種を使ったのか様々な色のコーンスターチ(トウモロコシの粉)を振りかけていて着火し、辺り一面を火の海にして525人が負傷、15人が焼死した八仙水上(はっせんすいじょう)楽園爆発事件や2017年12月1日に富士山でも爆風が観測できたほどの衝撃だったという静岡県富士市の荒川化学工業の富士工場で起きた印刷インク用の樹脂原料が引火して爆発し、派遣社員2人が死亡、他社の運送会社の社員まで巻き込んで13人に重軽傷を負わせ、なぜか会社責任者は誰も起訴されなかったという事件の時と同じ粉塵爆発を起こさせる強力な火薬兵器も作れることからそこら中の葦が切り倒されて行き、特に中国は自分達のかつての国名だった“支那”=葦のようにお互い支え合って生きる国という意味をすっかり忘れてしまうぐらい葦を伐採していった。もちろん、日本も同じく倭国によって侵略され、似たような火薬兵器によって国土の大半を焼失させられて沈下し、本来ならば中国や朝鮮半島、ロシアとも繋がっていたユーラシア大陸の一部だったのだが、それが今のような地球の果ての海上にポツンと浮かぶ孤島になってしまっただけでなく、第96話『合金(2)』から第99話『人災』にかけて話した通り、物づくりの中でも合金の知識と技術を覚えた青銅器時代の世界人類はそれを悪用したことでほぼ滅亡してしまった。それでもわずかに生き残った人達がおぼろげでも先祖からの言い伝えと神から与えられる明日への希望=死なずに今、生きている自分の能力を頼りにかつての繁栄を取り戻そうと何とかお互い力を合わせて復興してきたのだが、それをまた、滅びた過去や復興の苦労を知らない世代が再び武器や兵器でもって争い、その戦いに勝利すれば利益を独占できると妄想し、これまたゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教を引っ張り出してきて武器や兵器を造り出す。そのため、上述でメキシコのハリスコ州マグダレーナ市の地下墓からAD1世紀の物と見られるヒスイの付いた投げ槍用の手指を保護する道具が見つかったと話したが、それが日本では“勾玉(まがたま)(または曲玉)”と呼ばれるもので、2022年現在、皇室が保管する神器の一つである“八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)”(八尺瓊(やさかに)とは紀元前の中国で使われていた長さの単位で大体140cmぐらいの爆弾((たま))のことで、2022年現在、日本最大の花火玉の大きさが4尺(120cm)らしいので、それより一回り大きい爆弾である。)もその一つだが、元々、勾玉(曲玉)は単なる装飾品ではなく、トルコ石やヒスイの火薬を使った矢や槍を投げる際の滑り止めや何度も投げていて指が(こす)れて傷つくのを防ぐ為の道具であり、現代で例えれば銃器に付いている引き金のような物だった。だから、どの武器や兵器にも装着できるよう糸を通す穴が開けられていて、さらにそれをすぐに使えるよう装飾品のように自分の首に巻いていたのだが、その勾玉(曲玉)らしき遺物がBC3000年~BC2000年頃の集落だった三内丸山(さんないまるやま)遺跡(第95話『合金(1)』(注1)参照)で見つかる一方、それから千年近くほとんど遺物が見つからず、その後、AD1世紀頃の弥生時代から急に勾玉(曲玉)の話や遺物が増えて多数、古墳から出土し、倭人(人でなし)達が最初に大倭朝廷(現、皇室)を開いた沖縄ではノロと呼ばれる琉球王朝から直々に任命される巫女(第13話『迷い』のユタと呼ばれる巫女は民間業者で、ノロは公営の巫女)が祭礼に勾玉(曲玉)を使ったり、同じく大倭朝廷(現、皇室)の軍事拠点である新潟県糸魚川市(いといがわし)(第116話『汚水』(注1)その6参照)が今はほとんどその面影はないが、かつてはヒスイの一大産地だったらしく、そこから推測するに、初めは狩猟に使われていただけだった勾玉(曲玉)が武器や兵器の部品として使われるようになり、葦と共にヒスイも軍拡の為に採り尽くされて日本全土を火の海にした後、滅亡して人がいなくなり、それから千年後の弥生時代から再び大倭朝廷(現、皇室)がやってきて、生き残った大和民族がようやく苦労して復興させた“日本国”(旧、葦原中津国)を再び武力(暴力)で支配しようと勾玉(曲玉)を作り出したため、出土する勾玉(曲玉)の年代に大きな開きができた訳で、その他にも農業が主要産業な上、非武装国でもあった日本国(旧、葦原中津国)の中心地だった大和地方(現、近畿)では縄文時代にヒスイを利用した痕跡がほとんど見つからないのもそうした理由からだった。だから、日本と同じようにメキシコも一度は戦争(人殺し)によって葦原がなぎ倒されて跡形もなくなったのだが、戦火や殺戮を逃れて戦争難民達が離散していったAD900年頃、テスココ湖のほとりの現在はソチミルコ(=Xochimilco)と呼ばれる地域で葦原を蘇らせた人物が現れた。あまり詳しくは伝えられていないが、名前をAcatonallo(アカトナロ)(古ナワトル語でAcatl(アカトル)「葦、もしくはマヤ文明で使われていた13星座暦であるトナルポワリ(=Tonalpohualli、ナワトル語でTonallo「日、兆し、魂、太陽の暖かさ(気温)」とpohualli「観測された」の二語を併せた太陽や月ではなく、星座を基にして作られた(カレンダー)のことで、現代で星占いによく使われる12星座と同じものである。星座による暦は太陽や月による暦と同じように元々、世界中で作られていたのだが、何度も話すようで恐縮だが、アッシリア帝国時代に太陽の位置が今より11日分ほど後退したことから(第116話『汚水』(注1)その3参照)それまでの北極星の位置がりゅう座からこぐま座に変わったことで全く使えなくなった。そのため、現代の日本でおなじみの中東のバビロニアで作られた12星座で説明するなら、おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、うお座の順番で太陽はこれらの星々にかぶさる形で一緒に動いていたが(黄道)、太陽の位置がずれたため途中、へびつかい座が入ることとなり、13星座になってしまう。しかし、アッシリア帝国時代の僧侶や占星術師達はどこかの国の役人達に似て日々の業務を怠り、まともに観測していなかったため太陽がずれたことも、また、通常、動かない位置にあるはずの北極星が変わったこともしばらく気づかなかった。しかも、それに気づいてからもしつこく伝統にこだわり、12星座暦を固持し続けたため、今のような天文学とは全く関係ないオカルト(反自然(神))的な暦になってしまったが、本来なら天体の動きと一致するよう自然科学に基づいて作られ、人々の日常生活や産業に役立つ暦のはずだった。ところが、アッシリアが滅んだ後もその国教だったゾロアスター(戦争&原子爆弾礼賛)教に狂信する世界中の王侯貴族(政府関係者)や僧侶、学者達が北極星を昔のりゅう座のままで計測する12星座暦こそアッシリア帝国で研究されていた軍事知識や技術を解明できるものと思い込み、今の黄道に合うようへびつかい座を入れて暦を作るようになった。そのメキシコ版がこのトナルポワリである。)で13番目の葦座」と、上述のTonallo「日、兆し、魂、太陽の暖かさ(気温)」を併せて「葦の心が分かる人」という、本名なのか、それとも後で付けられた尊称かはよく分からないが、この当時では珍しい女性の地域代表者(トラトアニ)だった。上述の通り、シシメカ族(チチメカ族)が侵略してきてアステカ帝国が興る前はマヤ文明も日本(旧、葦原中津国)と同じく民主制の都市国家が多く、同じ血筋の氏族同士が話し合って代表者を選出する形式だったためこのアカトナロという女性もそうした民主制によって選ばれたらしく、彼女が代表者に選ばれた理由こそ葦原の再生と共にチナンパ(葦簀を塩湖の上に張って干拓する農法)も復活させたからで、“ソチミルコ”(=Xochimilco、ナワトル語でxochitl(ソチトル)「花」、milli(ミリ)「耕作地」またはmilpa(ミルパ)「トウモロコシ畑」に、場所を表す接尾語の-coが付いて「良く耕されたトウモロコシ畑の中に花園がある土地」という意味。)との名にふさわしい豊かで美しいトウモロコシ畑の田園地帯を作り上げたらしく、主食であるトウモロコシの他に玉ねぎやいくつかの種類の唐辛子、カカオ豆なども栽培して現代のメキシコでもよく飲まれているアトーレ(=atole、トウモロコシの実を草木灰などで灰汁(あく)抜きして(第116話『汚水』(注1)その5の栃の実を参照)製粉した“マサ”(=Masa)と呼ばれるトウモロコシの粉を一定の温度のお湯で煮てから飲む日本で言えば葛湯(くずゆ)、中東ではサーラブ(第87話『母の願い(1)』参照)のような飲み物で、マサは現代のメキシコ料理によく出てくる薄いパン生地のトルティーヤの材料でもある。現代で食べられているトウモロコシは上述のオルメカ文明やマヤ文明の初期に栽培されていたテオシントと呼ばれるトウモロコシの原種と葦、さらに色とりどりのパプリカを合わせて品種改良されたものなので、葦の実の特徴である(ひげ)と無数にできる実の粒の遺伝を受け継いで大量に粒が収穫できる一方、葦のタンニン成分がタンパク質を除去してしまうため加水しても粘り気(麩質(ふしつ)またはグルテン)が出ない。しかも、収穫後、カビ菌(病原菌)などが付着するとパプリカの遺伝である黄色の色素とカビ菌(病原菌)が結びついて猛毒となり(第116話『汚水』(注1)その5及びその9のレッドチェダーやすっぽんとヒユなどを参照)、ウィートラコッシュ(カビさせて発酵したトウモロコシ。第102話『腐敗』(注2)参照)のように手間暇かけて特異な作物を作るのでもなければ知らずにカビ菌(病原菌)が付いたままのトウモロコシを食べてしまうと、“ペラグラ”(=Pellagra)と呼ばれる日の光を浴びただけで皮膚炎を起こし、第116話『汚水』(注1)その3で話した稲こうじ菌や麦角菌を知らずに食べて手足が黒ずんで壊死したり、下痢や腹痛、肝臓や腎臓なども傷め、最後は脳神経が侵されて錯乱状態に陥り、死亡するカビ病(マイコトキシン)と同じ症状を発症する。そのため、メキシコでは古代から灰汁抜きをしてからトウモロコシを食べたり、製粉するのが常識だったのだが、一方的に武力(暴力)を振るって食料を強奪しに来るだけの欧米人達にそんな良識を教える気にもならなければ、その機会さえなかったことから18世紀以降、トウモロコシを自国で栽培するようになった欧米人達の間でこのペラグラ(カビ病)が流行るようになり、1880年代までにイタリアは10万人以上が発症し、さらにアメリカでは1902年~1940年の約40年間で300万人以上が罹患してそのうち10万人が死亡するというコレラ並みの死亡率となった。それでもなお、研究は未だに進まず、ペラグラ(カビ病)の原因はナイアシンという化学名がつけられたビタミンB3などの欠乏症、いわゆる栄養失調症と結論付けられているそうで、日本政府が脚気(かっけ)を白米ばかり食べてビタミンB1が欠乏したせいで起きる栄養失調症と説明するのとよく似て(第116話『汚水』(注1)その5参照)、アメリカ大陸の原住民達が行っていた灰汁抜きについてはようやく分かったようだが、カビ菌が原因であることをアメリカ政府を始めとした欧米各国政府は知ってか知らずか、21世紀の今ですらペラグラ(カビ病)は撲滅に至っていない。ともかく、この灰汁抜き(下処理)でカビ菌(病原菌)はもちろん、タンニン成分(苦味)もなくなってトウモロコシ独自の甘みを作っているデンプンまたは多糖だけのトウモロコシの実の粒が残ることとなり、これを()いて粉にしたものがマサで、さらにこのマサをお湯でゆっくり溶かしていくと日本の葛湯とそっくりな飲み物になる。これがアトーレである。なお、今ではアフリカのガーナやブラジル、東南アジアに産地が移ってしまっているが、16世紀までチョコレートの原料であるカカオ豆を作っていたのはメキシコを始めとした中米だけだったので、発酵させたカカオ豆を焙煎(ばいせん)して作るココアもマサと一緒に混ぜてアトーレを作ることも多く、アトーレと言うと本当はこのココア粉も入った飲み物のことだったのだが、シシメカ族(チチメカ族)を中心としたアステカ帝国が武力(暴力)でもって侵略を繰り返し、支配地域を広げるようになるとこのカカオ豆に含まれているポリフェノール(=polyphenol、植物全般に含まれている香りや苦味、色素を形成している成分の一つで、植物の細胞を電気バリヤーのように電気を帯びた結晶の膜が何重にも結合して守っている構造であることから英語でPoly「重なり合った、重結合した」と名づけられており、電磁波で香りや苦味、色素を出して害虫や病原菌から植物の細胞を守ったり、植物が吸い上げた栄養を燃やしてエネルギー(活力)に換えたり、他の成分と結合させて植物の成長を促進するなど、いわば、植物の生活を助ける仲介役を担っている。その後に付けられたPhenol「フェノール酸、石炭酸」とはドイツの詩人でフリーメイソン(イギリスの軍事結社)のスパイだったゲーテ(第115話『生命』(注1)参照)が同じくドイツ人化学者のフリードリープ・ルンゲにコーヒー豆の爆弾を作って欲しいと依頼し、その研究過程でコールタール(石炭などを燃やした後にできる粘着性の黒い物質。第95話『合金(1)』(注1)参照)から抽出した物で、コールタールの成分であるフェノール酸(石炭酸)とコーヒー豆に含まれる成分が似ていたことからコーヒーポリフェノールとも呼ばれるようになったのだが、コーヒー豆に含まれる成分は火薬として役に立たず、結局、兵器開発に失敗したルンゲは58歳で20年間以上、勤めてきた会社を解雇されて無年金で社宅からも追い出されたらしく、後年、彼の研究が引き継がれてからコーヒー豆以外にもいろいろな植物に同じ成分が含まれていてそれが毛細血管を拡張して胸の痛みを和らげる狭心症の薬やわずかな衝撃で爆発するような爆弾が作れるニトログリセリンになることが分かったため、ルンゲに対するゲーテなどの軍需企業の経営者達の手酷い仕打ちを密かに非難する研究者達が一応、その本音を上役に知られてルンゲと同じ仕打ちに遭わないよう保身も図り、“そっと”ルンゲの功績を称える形でポリフェノールと言う言葉が後世にも残されることとなった。だから、ポリフェノールは植物に含まれて確かにその植物を守り、助ける役目を果たしているが、それはあくまで植物自身が持つ防御機能なのでその植物を食べる側の人間その他の生物は植物の外敵になる。つまり、現代のメディアや医学情報で謳われるようなポリフェノールを常習的かつ多量に摂取することでシワやたるみ、老化を防いだり、癌や脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病、痴呆症、アトピー性皮膚炎、ストレスなどを改善したり、予防することはなく、単に毒素を多く摂り続けることにしかならない。だが、少量であればその毒素によって身体が温まったり、病原菌を取り除いて栄養分を分解し、エネルギー(活力)に換えてくれたり、多少は老化も防いでくれるため(第116話『汚水』(注1)その9の生理活性物質を参照)全く食べてはいけない不要な成分ではないのだが、それを過剰に摂取させようとするのは無論、兵器になるからで、フランスのボルドー地域にあるブドウ農家の息子として育ち、カナダのモントリオール大学のハンガリー人教授でアメリカのロックフェラー財団の支援を受けてジョン・ホプキンス大学(第116話『汚水』(注1)その5参照)にもいた医学博士のハンス・セリエから糖尿病や心筋梗塞、ワインに含まれるポリフェノールについて学んだ後、ボルドー大学の医学教授となったセルジュ・ルノーが1991年にアメリカの最大手放送局であるCBS(第107話『革命(2)』(注2)その2のウェスティングハウス・エレクトリックを参照)の看板長寿ニュース番組である『60 Minutes』の中で「フランス人は一日3杯はワインを飲んでいるので脂肪の多い食事をしていてもワインに含まれるポリフェノールの抗酸化作用で似たような食生活をしているアメリカ人と比べて心筋梗塞になる確率が低い。これをわたしはフレンチ・パラドックス(フランス人の矛盾)と呼んでいる。」と言い出したことから肥満による様々な病気への不安を抱えるアメリカの一般大衆の間で一大ワインブームが起きることとなった。しかし、ワインを毎日、飲んでいるというフランス人が誰も心筋梗塞で死んでいないわけでもなく、まして病気になる原因はワインを飲む、飲まないよりも肥満になるまで食べないと十分な栄養が摂れず、満足感も味わえないような脂肪の多い食品しか食べられないことであって、本来ならアメリカ政府を始めとした欧米政府が国民の生命や健康を考えて正しい栄養学に基づいた食品衛生管理をしていれば、過剰にワインを飲んでアルコール中毒になることも、誰も痛くて苦しい病気にもならず、法外な値段の医療や医薬品を買う必要もなくなる上に愛する家族や友人、恋人を短命で死なせてしまうこともなくなるだろうが、いかんせん、アメリカ及びイギリス政府(王室)を始めとした欧米政府(王室)はどこもゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の流れを汲むキリスト(人殺しの十字架)教を国教と仰ぎ、それに基づいて自分達の地位や身分、財産を築いてきた以上、たとえどんなに矛盾していようと、脂肪で量や品質、新鮮さをかさ増しした栄養価の低い食品を大衆に高値で売って太らせ、病気にかかりやすくさせ(第116話『汚水』(注1)その5の遺伝子組み換え食品を参照)、加えて、上述のワインや健康食品、補助剤(サプリメント)のようにでたらめな医療情報を巷に出回らせて毒のある食品=生物(細菌)兵器を病気予防と偽り、食品以上に高い値がつけられるよう課税もしながら法外な値段で売って軍資金を集め、そこから自分達の地位や身分、財産を維持する為だけに核兵器を始めとした新しい兵器を開発し、そして戦争(人殺し)する。その結果、大衆が病気になったり、戦死して税収も兵士もどんどん減って経済(国富)が先細りし、財政破綻するだけになったとしても、たとえ罠にはめた大衆と同じく自分達も病気を予防できない栄養価値の低い粗末な食品やまともに治療できない医療や医薬品しか手に入れられなくなり、自分達にとって誰か大切な人はもちろん、自分達自身の生命すら失くす羽目になったとしてもゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教に狂信する彼ら王侯貴族(政府関係者)や役人、軍需企業経営者や医者、学者にはその馬鹿げた矛盾がどうしても“分からない”。だから、ポリフェノールの抗酸化作用により病気や老化が予防できると唱える一方、2014年に北海道のオホーツクにある公共牧場でドングリのポリフェノールを過剰摂取した食品用の牛達が15頭も集団中毒死したとの報道のついでに人間の中毒事件も既に起きているとの怖い話がさらっと伝えられるパラドックス(矛盾)が起きていてもそれをおかしいとも異常だとも思わなくなる。それが2022年現在、欧米諸国だけでなく、日本も含め世界中で認識されているポリフェノールに関する医療情報の実態である。)が爆薬になることを知ったアステカ帝国がカカオ豆を独占し出したことから価値がどんどん吊り上げられて日本のお米のようにカカオ豆そのものがお金として扱われるようになり、税にもなって、年貢(税金)が払えなければ現代で臓器を売ったり、医薬品の臨床試験に参加してその報酬から税金その他の生活費を支払うのと同じように死ぬと分かっていても兵器の為の実験台として生贄になることを神殿(役所)に申し出て自分自身はもとより、家族の生命をも捧げるようになった。そのため、高値になったココア粉入りのアトーレはいつしか庶民の手に入らなくなっていき、アステカ帝国にとっては爆薬の材料でしかないカカオ豆はその威力を高める為に唐辛子の他にリキュールやブランデーなどの強い蒸留酒(第116話『汚水』(注1)その7参照)も加えられた誰も飲めそうにない飲み物となって、アステカ帝国からスペインに権力が移ってからはそのアトーレもどきはスペイン語でChampu(チャンプ)rrado(ラード)「混ぜ酒、混ぜ物」と呼ばれるようになった。そして、このチャンプラードが日本でいろいろなお酒を混ぜ合わせたり、食材を混ぜ合わせた料理のことを“ちゃんぽん”と呼ぶようになった語源である。チャンプラードと同じく、ちゃんぽんも火薬を暗に指す言葉なので日本では大倭朝廷(現、皇室)の軍事拠点である長崎県などの九州地方の他、沖縄では苦味(ククルビタシン)の多いゴーヤ(苦瓜)を混ぜたゴーヤ“チャンプルー”、灰汁(はいじる)の浸透圧作用(第116話『汚水』(注1)その8の浸透圧調整を参照)を利用して苦味(タンニン)を消し、安全な食品にする灰汁(あく)抜きから中国や韓国では苦味のない小麦粉にわざとかん水(灰汁と同じアルカリ塩水溶液)を加えて黄色く“発色”させるラーメンを使った燜麺(もんめん)(海鮮煮込み麺)が作られたのも、一般には食品としか思われていないが、実際は兵器(爆薬)になるからである。ちなみに、日本で市販されているカップ麺の汁やドレッシング、ゴマダレなどのとろみをつける為に使われたり、コンビニ弁当のトンカツをふっくらサクサクに見えるようにしたり、スナック菓子やパン、ケーキを膨らましたり、「(抗酸化作用で)中性脂肪を減らします」や「健康増進」を謳った機能性食品や特定保健用飲料などに含まれているコーンスターチ(トウモロコシ粉。その他の表示名は加工デンプン、デキストリンなど。)は、アトーレの素であるマサとは違って灰汁抜きはしていないので当然、昔の化学名がタンニン、今はフェルラ酸と呼ばれるポリフェノール(ニトログリセリンになる物質)の一種が含まれている。だから、カップ麺やスナック菓子の食べ過ぎが良くないと言われるようになったのはそうした理由らしく、トウモロコシをそのまま()でて食べる時も灰汁抜きできるよう塩を入れてから茹でることをお忘れなく。また、ココアやチョコレートの原料であるカカオ豆も古代からメキシコやベネズエラで栽培されてきたクリオロ種(=Criollo)は渋みや苦味がなく、香りも良い良質な豆で、病原菌と共に人も殺せるポリフェノールの量も他の品種と比べて少ないのだが、火薬の成分は多ければ多いほどいいという訳ではなく、わずかな衝撃でも爆発するニトログリセリン(爆薬)は微妙なさじ加減が必要となるためこのクリオロ種は兵器開発者達にとっても大事な品種でもあるのだが、ポリフェノールの量が少ないと逆に病原菌がつきやすくて栽培が難しいため、高度な技術を持った限られた農家でしか作れないことから現在、市場に出回るのが10%程度の高価な物になっており、クリオロ種からポリフェノールの含有量が高くなるよう作り変えたフォラステロ種(=Forastero)の方が大規模農場で育てやすかったことから現在、市場の80%を占めてガーナを始めとした西アフリカや東南アジアで栽培され、世界に輸出されるようになっていて、それだけ売れるようになれば当然、その利益を巡って争奪戦が起きることになり、産地がガーナやコートジボワール、ナイジェリアといった西アフリカに移って以降、カカオ豆の利益を独占したい欧米人達と栽培する西アフリカ諸国とが小競り合いをするようになった。そのため、価格を吊り上げようとする西アフリカ諸国政府に対抗して欧米政府が別の勢力をけしかけて内戦に持ち込み、政府転覆(クーデター)によって価格上昇は阻止できても、今度は内戦でまともな農業ができなくなり、カカオ豆の収穫量が落ち込んで価格が跳ね上がるといった不安定な価格情勢となった。しかも、その小競り合いに便乗して政府関係者同士の動向を見てカカオ豆の価格を予想する賭け(先物取引)まで行われ出したことから、カカオ豆の価格が実際の流通とは関係なく賭け(先物取引)の投機熱で勝手に乱高下することになり、安定した利益がもらえないことを恐れて誰もが少しでも目の前にある利益を多く奪おうと欲張り出したため、利益配分の中で末端にされる農民にそのしわ寄せが行くようになった。つまり、アステカ帝国時代と同じく、現代も軍拡の為にカカオ豆の価格が吊り上げられて西アフリカ諸国の一般農民達が貧困にあえぐことになり、労働者を無理やり大規模農場に引っ張ってきて無賃(タダ)同然で働かせ、利益を増やそうと大人はもちろん、子供まで近隣から誘拐し、強制労働させるといった中世とまるで変わらない農奴制を敷くようにもなった。(第87話『母の願い(1)』(注1)及び第107話 『革命(2)』(注2)その1参照)そうして、賭け(先物取引)による価格に関係なく兵器用のカカオ豆は確保しておこうと西アフリカ諸国のカカオ豆農場での強制労働を非難するBBC(イギリス公共放送)の報道を白々しく議会で取り上げたアメリカ政府は児童労働や人身売買しないで済む値段にまで上げられるよう“努力する”との口先だけの条件で2001年にハーキン・エンゲル議定書、またの名をココア議定書とも呼ばれる法案に西アフリカ諸国や国連の国際労働機関(=International Labour Organization、略してILO)、ハーシーやネスレ、マースといった欧米の大手チョコレート製造企業の他に、国際ココア推進団体(=International Cocoa Initiative )だの、国際熱帯農業研究所(=International Institute of Tropical Agriculture)などといった、いつものごとく“国際”の文字が冠された長ったらしくて大層な名前の“非営利団体(NPO)”まで引っ張りこんで調印させ、2005年までに児童労働を撲滅するとの努力目標まで掲げて300万米ドル(日本円で約3億6,459万円)の税予算をもらって改善に乗り出したが、結局、何ら改善せず、2008年、2015年、2020年とズルズルと目標期限を延ばしながらついでに税予算も上げていき、要するにこれもいつもと変わらず実体のない非営利団体(NPO)に税金だけ落とさせて何の仕事もせずに自分達だけで遊興や私用に使い込んでいるらしく(第116話『汚水』(注1)その8の石油食料交換プログラムを参照)、この法案の目標を本気で信じて欧米のみならず、日本の明治製菓や森永製菓も含めたチョコレート製造企業にカカオ豆の安定供給を約束した西アフリカ諸国の一般農民だけが馬鹿を見ることになり、先行きは不透明なままいつかは賃金を上げてくれるかもと期待する日本の非正規雇用者と同じく必死に働いて供給しても報われず、彼らの利益はいつまで経っても貶められ続け、そうこうしているうちに軍拡による地球の砂漠化(第116話『汚水』(注1)その8参照)が進んで緯度(太陽の当たる位置)が20度以内の赤道付近、強い風にさらされず、多雨で湿潤な地域でしか育たない、しかも、どの品種でも必ず病原菌や害虫がつかないよう枝や雑草をこまめに払って世話しなければならない繊細なカカオ豆の環境が悪化し、収穫量が減っていくようになった。その上、無賃(タダ)同然でこき使う為だけに連れてきた農奴に高度な農法を教えることもないため技能のある農民達が老いたり、戦死や病死すればその技能は受け継がれなくなる。結局、カカオ豆がなくなることを恐れた欧米政府はいつものごとく伝家の宝刀(秘密兵器)である遺伝子組み換えを使ってカカオ豆の収穫を増やしたのだが、もちろんそれはあくまで火薬の材料でしかないので食品としての栄養価値などまるでなく、もはや人間が食べる物ではない。その上、カカオ豆どころかそれ以外の農作物にも影響が出るほど水不足(砂漠化)がかなり深刻になってきており、栄養価値のない食品まがいの生物(細菌)兵器を食べて病死するか、はたまた、軍拡を推進して兵器(火薬)を確保し、戦争(人殺し)や爆破実験を続けながら地球環境を破壊して餓死(栄養失調死)するか、そのどちらであっても青銅器時代と変わらず軍拡の為に皆、何もかも失って不幸になり、そのうち死んでいなくなる。そこに勝者など誰もおらず、ただ死体と瓦礫の山と何も無い荒れ地が残されるだけで、それがインダス文明を始め、中東、エジプト、中国、中南米と世界各地に遺されてきた荒野(砂漠)の中の都市遺跡だった。(第97話『不浄(1)』~第98話『不浄(2)』参照)しかし、2022年の目下のところ、世界中の誰もがこの軍拡を止める気は更々ないようで、地球環境は“目に見えて”悪化の一途を辿っているのだが、それでもなお、その事実を無視したいらしく、カカオ豆に限って言えば、2021年7月から日本では農家が放棄した耕作地とバイオマス発電(第116話『汚水』(注1)その7参照)の排熱を利用し、国内でカカオ豆の栽培を行う「カカオの森づくり」という産業計画案が東京大学と石川県加賀市、神戸市にある大手通信販売会社で2013年に下請け88社に自ら発注しながら後で商品をキャンセルして8,600万円の支払いも拒否したとして行政勧告を受けたという株式会社フェリシモと、大阪に本社を置き、戦国時代の武将である毛利元就(もうり もとなり)の子孫の家老だった厚狭毛利家(あさもうりけ)にこれまた仕えていた家臣の家に生まれ、大阪砲兵工廠(こうしょう)薬莢(やっきょう)工具工場長もしていたという山田晃(やまだ あきら)が創設したダイキン工業株式会社(2021年時点の売上高は約2兆4,934億円、従業員数は84,870人)の子会社である株式会社DK-Powerの共同により進められているらしく、ただでさえ利益が薄くて後継者が育たず食料自給率も4割を切り、耕作地も放棄されている日本の農業で、カカオ豆のようなもっと利益が薄い、しかも、病原菌や害虫がつかないよう大きな樹木を切り倒したり、周辺を焼き払ってから栽培する農法が主流の焼き畑農業を行って、ついでにバイオマス発電(第116話『汚水』(注1)その7参照)と併せて国土の7割を占めている森林、中でも兵器用に植えられた人工林ではない人と国土を守ってきた天然の森林を伐採していけば、森の木から蒸発した水分が豊かな水資源や温暖湿潤の気候を作ってきたのにその自然が失われることになり、日本の砂漠化(水不足)はいっそう進むことになる。そんな失敗することが最初から目に見えて分かりそうな産業計画案を日本政府(皇室&自民党政権)を始め、産業界も学界も従来通りの軍需産業と自分達の地位や身分、財産を維持する為だけに推し進めたいらしく、かつて神の庭と呼ばれて豊かに繁栄していた中東のソドムやゴモラ(第98話『不浄(2)』参照)、甘くて美味しい上に栄養価も高いココア入りのアトーレが誰でも飲み放題だった中米のオルメカ文明やマヤ文明、そして同じく美しい森と豊かな水に恵まれ、美味しくて栄養ある米や作物を大量に収穫していた葦原中津国(あしはらのなかつこく)(海に浮かぶ楽園)の日本、世界中のどの国もかつては葦(自然)がたわわに実って誰も貧しくなく豊かに繁栄していたのに、一部の強欲な者達がその利益を独り占めしようと神が創りし生命を軽んじ、葦(自然)を容赦なく伐採して兵器に変え、武力(暴力)でもって争い、殺し、壊していった為に結局、何もかも失って誰もいなくなり、地上を荒れ果てさせただけで終わったように、日本政府(皇室&自民党政権)も国民を道連れに再びその亡国の道を辿ろうとしているようである。だから、市販のチョコレートは少量でも一応、兵器(火薬)なので調理する為にレンジで温めたりすれば爆発することがあるのでレンジでは温めないようご注意いただきたい。)と呼ばれるココア入りのトウモロコシ茶もソチミルコの女性代表者となったアカトナロが考案したそうで、おかげでソチミルコはテスココ湖の周辺でもかなり裕福な地域になった。もちろん、どこかが裕福になればそれ以外の地域もその真似をして裕福になりたがるのでソチミルコと友好的な同盟関係を結ぼうとする町や村、地域が広がり、アカトナロ率いるソチミルコを中心にして現在のメキシコ市の南端にあるサン・アンドレス・ミスキックやトラウアク、アステカ帝国ができるまでは古くからある都市国家の一つだったプエブロ・クルウアカンなど、今ならソチミルコから車で約2時間弱で行ける範囲の町や村、地域がソチミルコと協力関係を築くようになり、たちまち広い領土や大勢の領民ができたような都市共同体にまで成長した。ところが、そのソチミルコの大躍進を妬み、相変わらず武力(暴力)でその富を独占しようとその間違った考えを改めない、成長しないゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達も引き寄せてしまったことから、都市共同体の中に再び商人や僧侶、宣教師、大道芸人などを装った宗教団体(軍事企業。第116話『汚水』(注1)その3参照)が入り込むようになった。要は“神”というその御名を(かた)ればいつの間にか人(傭兵)と寄付金(軍資金)が集まって来るのはどこの世界も同じなので、上述の通り、ケツァールコアトル(またはククルカン)教を始め、いろいろな宗教団体がオルメカ文明やマヤ文明で乱立した為に最初は異なる宗教を信じる者同士のちょっとした言い争いが、いつしか大きな戦争(人殺し)へと発展する。それを見越して裕福な都市国家(共同社会)の乗っ取りを企む強欲な連中はいろいろな名前の宗教団体(軍事企業)を創設する訳で、そうして乗っ取った都市国家の富はもちろん、水や食料その他の資源も喰い尽くして結局、次々と都市国家(共同社会)を潰していっただけでマヤ文明もオルメカ文明もそうやって消えていったのだが、厄介なのは当初から慈善団体を装う宗教団体(軍事企業)はたとえ大きな戦争(人殺し)や犯罪を行っていても、慈善という本来、人が持つ優しさや人情を売りにしていることと“神”という御名が人の心に限りない畏怖を抱かせてしまうため、その宗教団体が自分達の土地に長く定着すればするほどいかにその団体が数知れず過ちを犯し、悪政や戦争(人殺し)の元凶になっていたとしても長年の癖や悪習からその犯罪をうやむやにして宗教団体の存続を許してしまう。そのため、ソチミルコが築かれる以前にオルメカ文明が栄えた現在のゲレーロ州のすぐ真上にあるモレロス州ソチカルコ(=Xochicalco、ナワトル語でxochitl「花」にcalli「家、部屋またはトナルポワリ(13星座暦)で3番目の家座」と、場所を表す接尾語の-coから「家を花で飾る土地」という意味)も、その地名の通り、家を花で飾る余裕があるぐらい農業が盛んな上に工業や商業にも優れ、現代まで彼らが敷設していた排水管や大きな球場が3つも残されているほど清潔で快適(第116話『汚水』参照)、それでいて遊び心もある豊かに繁栄していた都市国家だったのだが、それを狙ってケツァールコアトル教(ククルカン教)を始めとしたゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教系の宗教団体が入り込んできてしまったせいで過去の戦争(人殺し)の顛末(てんまつ)を知らない若い世代を中心にあっという間にオカルト(超自然(神)主義)思想が広まるようになり、農業その他の産業で使う(カレンダー)を作ったり、気候を始めとした自然環境を観測する為に設けられた階段式ピラミッド(天文観測所)も彼ら宗教団体に乗っ取られ、聞けば聞くほど支離滅裂で馬鹿げたオカルト(超常現象)思想を唱える彼らゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の宗教儀式(兵器開発実験)の為の施設にされてしまい、再び戦争(人殺し)が起きてソチカルコは滅茶苦茶に壊されてしまった。そうして戦火から逃れてメキシコ高原を北上していった戦争難民のオルメカ・シカランカ族(=The Olmec-Xicallanca、ナワトル語でOlmec(オルメク)「オルメカ文明の子孫」とXicalli(シカリ)「ひょうたん」、古スペイン語のlança(ランサ)「投げ槍」という言葉を併せて「オルメカ文明の子孫とひょうたんを使って投槍の兵器を作るシシメカ族(チチメカ族)の子孫」という意味で、第116話『汚水』(注1)その4の中でチュートン人やアンブロン人、アングロ・サクソン民族がお互い嫌々ながら北欧で一緒に住んでいた状況とそっくりだったのがこのオルメカ人とシシメカ族(チチメカ族)であり、お互い親戚でも何でもなかったのだが、狩猟民族だったシシメカ族(チチメカ族)がオルメカ人達の居住区に入り込んで暮らすようになったためそういう部族構成になった。だから、Xicalliも本当はウリ科のひょうたんのことではなく、ひょうたんのような固くて丸い手の平サイズの実がなるノウセンカズラ科の学術名がクレスケンティア・アラタ(=Crescentia alata)という全く別の品種のことであり、メキシコから南下した所にある中米のエルサルバドルやその隣のホンジュラス、そのまた隣のニカラグアでは“ジカロの実(=La semilla de jícaro)”という名で今でも飲まれているカルシウムとプロテインがたっぷり入った甘いジュースのことだったのだが、それをゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教系のユダヤ教に基づくマナ教やその名前を変えただけのケツァールコアトル教(ククルカン教)を信仰するシシメカ族(チチメカ族)はXicalli(ジカリ)をウリ科のひょうたんに替えてしまった。なぜなら、ひょうたんは古代から兵器として世界中で栽培されてきた植物だったからで、ゴーヤチャンプルーのゴーヤに含まれているククルビタシンという成分がひょうたんにも多く含まれており、上述の通り、古代ではひょうたんの種から油(グリセリン)も採ってチャンプラード(混合火薬)として爆薬に使ったり、あるいは軟膏薬として矢尻や刀剣の刃先、槍にも塗って刺したり、切った相手の傷口からそのククルビタシン成分が浸透して致命傷になるよう武器にしていた。と言うのも、ククルビタシンは軽傷の火傷(やけど)やリウマチなどの関節炎の他、食物アレルギーとも呼ばれるアトピー性皮膚炎(=Atopic dermatitis、1933年にアメリカ皮膚学協会(=The American Dermatological Association、1876年創設)のメンバーで後に会長にもなる皮膚科の医師だったフレッド・ワイズと、同じくアメリカ人の皮膚科の医者で免疫学や遺伝学などをスイスで学んだ後、アレルギー(炎症)の原因と疑われる物質を皮膚に貼り付けて様子を観察するパッチテストやステロイド系の軟膏薬を最初に皮膚炎の患者に塗ったとされるマリオン・ザルツバーガーが古ギリシャ語のAtópos(アトポス)「特定できない、異世界または魔界の」という言葉にdermatitis(ダーマタイティス)「皮膚炎」を併せて作った造語で、「魔法やオカルト(超常現象)思想が許される魔界で作られた原因不明の皮膚炎」とのふざけた病名の通り、1930年代から若返りの薬としてアメリカのオーガノン社(=Organon & Co、1923年設立。2020年時点の売上高は65億米ドル(日本円で約6,940億円)、従業員数は約9千人。)やドイツのシアリング社(現、バイエル社)、スイスのチバ社(現、ノバルティス社)といった欧米の大手製薬企業内で盛んに研究されていたテストステロン(筋肉増強剤)などのステロイド系軟膏薬を販売する為にでっち上げられた詐病である。だから、アトピー性皮膚炎患者が増え出したのはステロイド系軟膏薬が欧米の製薬企業で作られるようになった1950年代からであり、その前はもちろん、病名どころか患者自体がいなかった訳で、なぜ、患者が存在しなかったかと言えば、アレルギー(炎症)を起こすパッチテストをしなければ誰も発症しないからである。つまり、一般に説明されるような“患者個人の遺伝や体質に問題があって”アレルギー(炎症)が起きているわけではなく、医療検査と偽ったアレルギー(炎症)が起きる薬剤、例えば、誰でも皮膚がかぶれたり、赤くなったりする(うるし)のような毒素のある物質を皮膚に貼るからで、アトピー性皮膚炎とは主にステロイド系軟膏薬によって起きる“薬害”である。なぜなら、アトピー性皮膚炎の重篤な症状とされるアナフィラキシーショック(化学薬品臓器過剰反応。第116話『汚水』(注1)その4のワインを参照)は元々、何らかの“毒素”を排出する為に体温(血圧)が一旦、高まってかゆみや湿疹などが出るようになり、呼吸もゼーゼー、ヒューヒューといった息切れや咳を伴った呼吸困難になった後、それでも毒素が排出できなければ今度は逆に体温(血圧)が急に下がって死に至るものなので、血圧を下げる為の降圧剤にもなるステロイドを使ったら治療どころか、逆にアナフィラキシーショック死を促すことになる。しかし、そうした重篤な症状になるまでに何らかの毒素に身体が反応して出てきた湿疹やかゆみなどのアレルギー(炎症)を止めようとこのステロイド系軟膏薬を使っていると、血圧を下げることでその不快な症状が一時的に収まるためまるで治ったかのような錯覚を覚える。これがアトピー性皮膚炎の魔法であり、21世紀の現在も原因が明らかにされない理由である。だから、ステロイド系軟膏薬を使い続ければ使い続けるほど、薬そのものが毒素となってアレルギー(炎症)症状がいつまでも続くことになり、そのうち薬への耐性が無くなればそのままアナフィラキシーショック(化学薬品過剰反応)で死ぬことになる。しかも、最初に湿疹やかゆみなどのアレルギー(炎症)反応が出て病院でパッチテストを受けることになった原因、つまり、何を食べたのか?とか、何が皮膚に触れたのか?など、最初の毒素(原因)が何だったのかを患者から丁寧に聞いて調べないままパッチテストに塗られた化学物質(毒素)を患者に貼ってそのテストでアレルギー(炎症)反応が出ればその化学名を診断結果として伝えるだけなので、患者本人はかゆみや湿疹を出して体内に毒素があることを知らせくれた自分自身の正常な免疫反応の方をパッチテストの化学物質(毒素)よりも疑うことになり、本当の原因(毒素)を知らないまま何らかの有害物質が入った食品や化粧品などはそのアレルギー(炎症)反応を示した人の生活圏内だけでなく、それらが販売されている国や地域に放置されることになる。その上、医者から処方されたステロイド系軟膏薬を使い続けてアナフィラキシーショックで死ぬことになっても、誰もその薬が死因とは思わず、まして死亡診断書を書く医者もまた、パッチテストの化学物質(毒素)を死因とするだけなのでアトピー性皮膚炎の本当の原因は誰にも分からなくなる。そのため、いつまで経っても根治できない難病になっている訳で、何度も言うようだが、アトピー性皮膚炎の患者とされる人の免疫機能に問題があるのではなく、むしろ、体内の毒素をすぐに検知してアレルギー(炎症)反応を出す方が健康で正常な免疫機能であって、逆に毒素に対して何も感知せず鈍くなっている方こそ病気にかかりやすい免疫機能なので正常な免疫機能を持つ人達のアレルギー(炎症)反応を基に彼らの身体に合わない毒素は決して入れない食品その他の化学製品を作っていけばわたし達、全人類にとっての良品になるだろうが、現状、軍拡を国家産業の柱にしている世界各国政府とその配下の産業界は安全で健康な良品よりも病気にかかりやすくなるような生命に危険を及ぼす有害な粗悪品を良品と偽って大量に売り、病気にしてからさらに医薬品を売りたいらしいのでこの現状を打破していこうとの気概を持った企業が現れない限り、アトピー性皮膚炎と診断された患者達の受難はまだまだ続きそうである。ちなみに、アトピー性皮膚炎の原因(毒素)の一つとしてよく例に挙げられる小麦粉は人類が誕生して以降、1万年近くあらゆる国々の祖先達が食べてきた食品であり、その祖先の血と遺伝を受け継いできたわたし達、人類が遺伝や体質の差で小麦粉を毒素として感知し、アレルギー(炎症)を起こすぐらい身体が小麦粉を受け付けないなどと説明していること自体、言っている事が無茶苦茶で論理的に破綻しているとしか言いようがないのだが、小麦粉が槍玉に挙げられるようになったのも20世紀からのことで、元は第二次世界大戦時の食糧危機(第107話『革命(2)』(注2)その2の口減らしを参照)、つまり、農作物が核兵器による凶作や戦争(人殺し)による農民不足&田畑の荒廃で収穫できなくなった時期でもなお、兵器の開発研究を続けていたオランダの小児科医(実際は子供を人体実験台に使う兵器開発者)のウィレム・ディケが飢えを凌ぐ為に近所で捕獲した黒歌鳥(くろうたどり)(=Blackbird、ヨーロッパなどのユーラシア大陸に生息している黒いツグミのことで、スウェーデンの国鳥であり、どこにでもいてよく鳴く鳥なのでイギリスでも童謡やロック歌手グループだったビートルズの歌にもされているが、日本では生息しておらず、口をつぐんで鳴かない鳥とされるツグミの一種にされている。)の特にその(はらわた)を食べていた子供達が戦後、小麦が食べられるようになった途端、血糖値が急激に上がって脱水症状に陥り、神経や内臓機能が働かなくなる糖尿病ケトアシドーシス、いわゆる糖尿病の急性合併症で死亡したのを見て、これをセリアック病(=Coeliac disease、AD2世紀頃のカッパドキア(現、トルコ東部)に住んでいたアレタエウスという偽医者が開発した“Koiliakós”という生物(細菌)兵器を解明しようとギリシャ語で書かれた彼の本を翻訳したことから転じた言葉で、古ギリシャ語でKoilía「腹部、腸」とスラブ祖語のkós「黒歌鳥」を合わせて「黒歌鳥の腸病」が本当の意味だが、軍事機密であるためこれをラテン語のCoeliacusに換えてから英語ではさらに縮めてCoeliac disease「腹部の病気」となった。)と名付けて兵器として密かに販売するようになったことが発端であり、問題は小麦粉ではなくて最初に黒歌鳥の腸を食べていたからで、鳥類は他の動物よりもとびきり高い血糖値を持った生き物のためそれを食べ続けた人間の方も血糖値が上がることになり、そこへ血糖値を高めてエネルギー(活動)源になる小麦粉を食べてしまったことから急性の糖尿病になっただけなので、水分を吸って粘りや弾力を与える小麦粉に含まれる麩質、またはグルテンと呼ばれるタンパク質のせいではない。しかし、このセリアック病(兵器)の人体実験中、死んでしまった子供達の遺族に対してディケが言い訳した死因が小麦粉に含まれるこのグルテン(麩質)が体内の水分を吸って腹痛や嘔吐などのアレルギー(炎症)を起こしたからと言い出したため、それ以降、小麦粉がまるで有害な食品の象徴のように責められることになった。こうして、現代では食物アレルギー(=Food Allergy)と呼んで小麦粉を始め、卵、牛乳、大豆、ピーナッツ(落花生)、カニやエビなどが原因(毒素)としてよく挙げられるが、上述のコーンスターチ(加工デンプン、デキストリンなど)で話した通り、(いつでも軍事転用できるように)わざと下処理せずに毒素を残していたり、毒素を入れて加工してから食品にしているため、たとえ商品の包装紙(パッケージ)には単に「小麦粉」としか書かれていなくても一体、何が入れられているのか一般消費者にはよく分からない。そのため、こうした毒素に敏感な優れた免疫特性を持ったアトピー性皮膚炎と診断される人達が犠牲になる訳で、神様が創ってくれた人間を含めた生物の遺伝に問題など何もなく、単に食べ物となる植物や動物を神様から与えられた人間側が無知だったり、雑に扱ったり、手抜きしたり、故意に悪用しようとするから食品に問題が起きるのであって、いい加減、人間の遺伝には優劣があると唱えた優生学(第115話『生命』及び後書き(注1)参照)の考えから脱却してお互い安心して食べられる美味しくて栄養ある食品を作っていけるよう軍需(食品)産業は有害無益ということにそろそろ気づいて欲しいものである。)などの皮膚疾患の為の塗り薬などによく使われているステロイドの一種であり、ステロイドは1983年に顔に塗るよう医者から処方されたステロイド系軟膏薬が原因で皮膚だけでなく、目も患って白内障になったとして裁判を起こした江崎ひろ子氏が『顔つぶれても輝いて―ステロイド軟膏禍訴訟6年の記録』(1988年発刊)を出版したり、1992年に当時、テレビの報道番組として人気が高かった『ニュースステーション』でステロイド系軟膏薬による被害が取り上げられるなど“薬害(毒素)があるという事実”が既に明らかになっている化学物質であり、残念ながら被害の実態はステロイド系軟膏薬だけでなく、あらゆる食品その他の化学製品の成分に兵器用の毒素が含まれていることを知られたくない日本政府(皇室&自民党政権)が医者や学者、一般人が書いたとするブログや本などのメディアを使ってステロイド系軟膏薬についての嘘と事実を織り交ぜさせ、どのくらい被害者がいて、どういう被害状況なのかをうやむやにしてしまっているため2022年現在も“被害者数は”明らかにされていないが、それでも皮膚が赤黒く()けてきたり、日の光を浴びるとさらに悪化して熱を帯びるようになり、視神経を始め脳神経なども侵されて麻痺が起きるなどの被害報告がいろいろ上がっており、そのステロイドと同じ種類の化学物質がひょうたんやゴーヤなどに含まれるこのククルビタシンだった。だから、古代でもひょうたんが別名、“ソドムのブドウ(=vine of Sodom)”と呼ばれるのは兵器の製造中に爆発火災で消えた軍需産業都市のソドム(第98話『不浄(2)』参照)でも当然、作られていたからであり、現代の日本でも2013年7月2日に大阪府茨木市(いばらきし)にある市立彩都西(さいとにし)小学校にて理科の教師が学校で栽培していたひょうたんを4年生の児童に食べさせて嘔吐や腹痛、下痢を催させ、うち一人は重篤な脱水症状にまでなったという集団食中毒事件が起きていて、体調不良を訴えた児童からの報告で異変に気づいた学校長がひょうたんに毒があることをその教師に話したそうだが、それでもその教師は別の生徒にもひょうたんの味見を勧め続けたらしく、被害に遭った生徒達は全員、救急搬送される事態となった。ちなみに、なぜその小学校で毒性のあるひょうたんが栽培されていて、教師もしつこく児童に食べさせたのかと言うと、茨木市は東京都立川市(たちかわし)にある東京賢治シュタイナー学校(東京都の小学校教員で1980年に学校で飼っていた鶏を殺して食べる授業を行い、映画『ブタがいた教室』(2008年公開)のモデルにもなった鳥山敏子(とりやま としこ)が1994年に開いた民間学校で、学校名になっている賢治とは岩手県立花巻農業高等学校の教師で詩人兼小説家だった宮沢賢治(みやざわ けんじ)から採ったものであり、シュタイナーはドイツ西部にあるヴァルドルフ(=Waldorf、フランクフルト市からは車で約1時間半足らず、ハイデルベルグ市からは15分程度、南に下った所にある小さな町で、アメリカの最高級ホテルとされるウォルドルフ・アストリア・ホテル(=The Waldorf Astoria New York)の名前にされている町である。町名のヴァルドルフとはドイツ語のWald「森」と英語のwald「力ずくで支配する、強要的な命令を下す」の二重の意味が含まれており、dorfは英語で書くとdwarf(ドワーフ)、北欧神話に出てくる小人、もしくは冶金(製錬&精錬)を始め様々な金属加工を行う職工のことで、そこからWaldorfは「武力(暴力)でもって支配し、命令する王侯貴族の為に兵器を造るドワーフ(職工)達の森」が本来の意味になっている。では、なぜ、このドワーフ(職工)という言葉が出てくるのかと言うと、ヴァルドルフの近隣にあるハイデルベルグ市が元々、北欧神話の主神であり、戦争と死の神とも呼ばれるオーディン神(=現代英語ではOdin、古英語はWōden、英語のwar「戦争」の語源である。)を祀っていたハイリゲンベルグ山(=Heiligenberg、標高440mほどの小高い丘とも言える山で、ドイツ語でHeiligen「祀って崇める」とberg「山、丘」でHeiligenberg「神聖な山」と呼ばれ、欧米白人種の祖先であるアングロ・サクソン民族、つまり、第116話『汚水』(注1)その4に出てきたキンブリ人(テロリスト)やセムノン人(呪術師)達が武器や兵器を造る為に鉱業や冶金(製錬&精錬)の成功を祈ってこの山に聖堂を建てていた。)があるからで、オーディン神とはイギリスの陸軍軍人で作家のジョン・トールキンが本を書いて映画化もされた『The Lord(ロード) of(オブ) the Rings(ザ リングス)(邦題は『指輪物語』1954年~1955年発刊)』や『The Hobbit(邦題は『ホビットの冒険』1937年発刊)』などの異世界小説に出てくる白い髭にとんがり帽子を被った魔法使いのことである。もちろん、その魔法使いと一緒に本や映画で描かれているドワーフ(職工)達こそアングロ・サクソン民族のことであり、ヴァルドルフは彼らアングロ・サクソン民族の故郷とも言える町である。)という名前を冠したヴァルドルフ学校を開いた自称、教育家のルドルフ・シュタイナーにちなんでいて、一見、何の繋がりもなさそうに見える宮沢賢治とルドルフ・シュタイナーだが、どちらも古代のオカルト(超常現象)宗教を信仰していた疑似科学教育者であり、言うまでもなく、二人とも兵器開発研究家でもある。元々、家族が信仰していたのは浄土真宗だったという宮沢賢治は、町議会議員で教育費を貸し付ける育英会の理事も務めていた父親の影響から兵器の開発研究に取り組むようになり、本場のインドや中国ではなく、浄土真宗のような日本で創設された仏教を学んでも理想とするような最強の兵器は造れないと考えたらしく、日本で最古の仏教書とされる『法華義疏(ほっけぎしょ)』(第110話『灌漑』(注2)参照)を始めとした法華経の研究にのめりこむようになり、天皇を教主にして祀る法華経系の宗教団体である国柱会(第107話『革命(2)』(注2)その3参照)にも入信していた。一方、ドイツのシュタイナーも王侯貴族のご機嫌を伺って何とか駅長として働いていた父親の強い要望とドイツが鉄血政策(第107話 『革命(2)』参照)を始めて軍拡を推進し出した風潮もあって軍事科学を勉強する学校へと進み、当時、古代の兵器を研究して近代的軍事教育を導入した人物として名高かったゲーテ(第115話『生命』(注1)参照)を引き合いにして論文を書く欧米人達が多かったことから、彼についての論文で注目を浴びるようになったシュタイナーも古代の、特にアングロ・サクソン民族の兵器について調べるようになった。しかし、シュタイナーが研究するキンブリ人(テロリスト)やセムノン人(呪術師)達のようなアングロ・サクソン民族は自然科学に秀でるどころか、オーディン神を祀っていた通り、魔法やオカルト(超常現象)、妖精の存在も本気で信じていた非文明民族なので、彼らを研究したところでまともな自然科学の知識や技術など見つかるはずもないのだが、アッシリアやバビロニアの兵器を未だに探し続けるゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達にも似て、一度、その血生臭い邪教の道にのめり込んでしまうと惰性に流されてそうそうそこからは抜け出せなくなる。まして、家族を始め、世間も武力(暴力)や戦争(人殺し)をやんやと(はや)し立て奨励するのだから自分でも見知らぬ他人を大勢、殺す為に生涯を費やして兵器を研究し続けることがおかしいとも、間違っているとも思わなくなる。そうして、ひたすら兵器(他人を殺す道具)を作る為だけに寝て起きて働き、お金を稼ぎ、それを兵器の研究費に使い果たして、さらに他人や自分の身体を使って兵器の実験を行い、健康を害して結局、宮沢賢治もルドルフ・シュタイナーも自分を人体実験に使ったことで死ぬことになった。そんな邪教をいくら続けても意味はないのにわざわざ後世の子孫にも古代のオカルト(反自然(神)主義)思想に基づいた軍事科学教育を行って兵器開発者になってもらおうと2022年の今も続けているのがシュタイナーが始めたヴァルドルフ学校と鳥山敏子が開いた東京賢治シュタイナー学校で、鳥山がまだ世間をよく知らず何にでも興味を持って知りたがり、刺激も受けやすい感受性の強い時期の子供達に残酷にも家畜を屠殺させてそれを食べるよう教師の立場を使ってそれとなく強要したのはイェーナ大学でゲーテを始めとしたドイツの学者達が行っていたおぞましい解剖実験を参考にしたもので(第115話『生命』(注1)のGDNÄを参照)、決して生命の大切さや思いやりを教えて食物の意味を知らせる為の授業ではない。あくまで動物の中でも自分よりも弱い小動物を殺すことから始めて残酷な情景に慣れさせ、人を殺すことも動物の屠殺と同じとの誤った認識を持たせて犯罪への後ろめたさや罪悪感を(にぶ)らせる為の授業である。なお、ドイツのヴァルドルフ学校は1919年の創設以来、2021年時点で全世界75か国以上、幼稚園も含めヴァルドルフ学校及びシュナイダー教育を行っている学校は計3,166校にも上るそうで、いかに世界の学校が殺人を奨励しているかがこの数字でお分かりいただけるかと思う。)の創設者だった鳥山敏子の実弟である竹下和男(たけした かずお)氏が香川県の綾川町立滝宮小学校の校長を務めていた際、自身の雇った栄養士が作る給食をまずそうに食べたり、食べ残す子供達が多かったことから(たとえ兵器用に毒素の入れられた軍需食品が苦くて不味(まず)かろうとも)“食べられるだけでも幸せ”と我慢して根性で思い込めという、いわゆる太平洋戦争時の「ぜいたくは敵だ」思想、または現実は明らかに無理があって間違っているのに気持ちの持ち方で現実が変わる、良くなると信じる根性論や精神論から提唱した、親が手伝わずに子供自身が料理の献立から買い出し、調理や片付けまでを一人で行うシュナイダー教育に基づいた“弁当の日”という行事を採り入れたり、それにまつわる市民学習会や講演会を開いたりするなど、かなりシュナイダー教育による食育推進活動に力を入れているらしく、軍国主義的な市政の教育方針から猛毒を持つひょうたんが学校で栽培され、校長も教師もひょうたんに毒性があると知りつつ学校や教師の言う事に従わざるを得ない社会的立場の弱い子供達につけ入ってわざとひょうたんの毒を味見させて人体実験を行ったようである。このように、古代から現代までひょうたんは世界中でよく武器や兵器に使われてきたため、メキシコで文明(神が与えし智慧)によってオルメカ人達が繁栄させてきたソチカルコを(うらや)み、その繁栄を奪おうと乗っ取りを企む軍国主義一辺倒のシシメカ族(チチメカ族)はオルメカ人達がXicalli(ジカリ)と呼んでいたひょうたんに似た果実を自分達が信仰していたマナ教(メキシコ版ユダヤ教)の教義に基づいてイエスの頃にユダヤ教宗派で政党の一つだったシカリ党(短剣でもって反対派を襲撃するテロリスト政党。第30話『12人の弟子』参照)に倣い、最初はノウセンカズラ科の学術名がクレスケンティア・クジェート(=Crescentia cujete)、一般にはカラバシュ(=Calabash)、日本語ではヒョウタンノキ、フクベノキと呼ばれるククルビタシン成分が少量だけの、上述したステロイドと同じく体温(血圧)を下げる果実の性質を利用し、中に入れた飲み物を冷やして持ち運びに便利な水筒にしたり、調理中に使っていても熱くなりにくく、調理しやすいスプーンやカップといった調理器具にする為に栽培していた品種を食品に混ぜて販売し、ククルビタシン(毒素)への耐性が徐々に消費者に備わるようにした後、同じ商品名で品種をノウセンカズラ科からウリ科のひょうたんに変えて売るようになった。なお、同じ犯罪手口で日本で販売されているのがユウガオで、商品名がカンピョウ(干瓢)、おでんの具である餅巾着やロールキャベツ、正月のおせち料理によく入れられている昆布巻きを縛る際に使われているあの紐のような食材で、時折、ククルビタシン(毒素)の含有量が多かった為に食中毒事件が起こるのはユウガオとひょうたんが同じ品種だからである。こうして、オルメカ人達が安心、安全を標語(モットー)にして築いていたソチカルコの中に毒素を垂らしこんで宗教団体(軍事結社)を広め、武力(暴力)を使って平和主義者のオルメカ人達を脅して傷つけ、殺していったことからソチカルコで暮らしていたオルメカ人とシシメカ族(チチメカ族)が同じ民族と思われて、オルメカ・シカランカ族と呼ばれるようになった。)の生き残りだったのが、中南米史の中でも奇跡とされる女性代表者のアカトナロだった。それゆえ、シシメカ族(チチメカ族)がもたらした軍拡と戦争(人殺し)によって滅亡に追いやられたソチカルコの繁栄を再び取り戻そうとオルメカ文明を受け継ぐ人達と一緒に力を合わせ、チナンパ(湖上に葦簀を張った田畑)による農業を始め、アトーレ(ココア入りトウモロコシ茶)などの食品産業を始めとした平和産業をいろいろ創出して富を増やし、AD919年に再建された都市国家がソチミルコである。)が戦後の荒廃から立ち直って復興しようと、同郷の仲間達が建てたソチミルコの発展ぶりを聞き及んで復興の支援や姉妹都市として提携を申し出てきたのをアカトナロを始めソチミルコの人達は断る訳にもいかず、同郷のよしみで許してしまった。しかし、生き残った人々の中には相変わらず自分達が軍拡や戦争(人殺し)をしたせいで皆が死んで不幸になり、都市国家が潰れたとの反省もなければ、自覚すらないシシメカ族(チチメカ族)もまだ、いたことからアカトナロ達、戦争(人殺し)の血と涙を見てきて復興の苦労を積み重ねてきた世代が年老いていなくなると、1世紀も経たないうちにまた、宗教団体(軍事結社)が幅を利かすようになった。そして、再び戦争難民しかいなかった民主的な都市国家になぜか神に選ばれた高貴な(?)血筋という輩が出没するようになり、いつしか王様だの、貴族だの、大臣だのと地位や肩書、称号などが作られるようになって身分制が敷かれ、周辺地域から自分達の都市国家を防衛する為に必要な軍事費の為として税額もどんどん上げられるようになっていった。そうして、軍備を整え出した都市国家は当然、似たような軍備を持った別の国家から挑戦状を受けることとなり、お互いご自慢の武力(暴力)や軍備の腕試しをしようと示し合わせてまた、戦争(人殺し)を始め出す。そこで自分の武力(暴力)や軍備では敵わないと分かると今度は別の軍備を持った国家に援軍を頼めるよう軍事同盟を結ぶようになる。こうなると連鎖的に戦争(人殺し)の輪が拡がっていくだけでどこの国家もひたすら破壊され尽くすだけになり、機能しなくなる。その結果、かつては周辺地域と友好的な平和同盟を結んで都市共同体として田畑を中心に産業基盤や人口を増やして大きく発展していたソチミルコは再び戦争(人殺し)によって労働者も産業基盤も破壊されて縮小していき、貧しくなった。しかも、戦争(人殺し)に巻き込まれて死んでいく労働者達が培ってきたオルメカ文明の知識や技術もそこで一緒に途絶えていくためソチミルコの発展を支えてきた産業技術力も劣化していくようになった。それでも、一部がそうして戦争(人殺し)や軍拡の為の爆破実験で破壊されてもその他の町や村が消えるわけではなく、いつもと変わりなくちゃんと機能しているように見えるのだから、自分達の都市国家(共同社会)がまたもや潰れていっているとは夢にも思わない。だが、壊して傷つけることは誰でも簡単にできても、人や物を一から築いて大切に慈しみ、育てて成長させていくことはかなり難しい。まして、現代でも上述したカカオ豆のように古代からメキシコで栽培されてきたクリオロ種は世界の市場で10%しか出回らないぐらいそう簡単に作れる品種ではないのだからそれが標準で当たり前に作っていたソチミルコの農民達がいかに高度な技能を持っていたかは現代の農業技術が証明している。とは言え、誰かができれば自分もやればできるはずと思うのが人間ならば誰しも持つ“意欲”なのでそう思うのは決して間違ってはいないのだが、そもそも地道に根気強く“愛情を持って”何かを創ろうというわけではなく、それとは逆に何かや誰かを傷つけ、破壊しようとする悪意を持つ者がいくら見た目や知識だけを真似たところでその悪意が自ずと作った商品や育てた人材に反映されて“表現”されてしまうため高度な良品や技能ある優秀な人材など生まれるはずもない。だから、ゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教にすっかり心奪われたソチミルコのオルメカ・シカランカ族(オルメカ人とシシメカ(チチメカ)族の子孫)はまさか自分達が祖先から受け継いできたオルメカ文明の知識や技術を劣化させているとは思いも寄らず、自分達も頑張ればいつかは祖先のようなかつての繁栄を取り戻せるものと思い込み、せっせと軍拡に励みながら従来通りの伝統産業を維持していたつもりだったのだが、その伝統産業も年を経るにつれてどんどん衰退していくようになった。そうして、年々、不穏になっていく周辺諸国の紛争に巻き込まれ、自分達も争いに加わるようになり、シシメカ族(チチメカ族)の中でも最も残酷非情で火矢や火槍を使った戦争(人殺し)を好むことからメシカ族(=Mēxihcah、ナワトル語のMextli(メクストリ)「雲、煙」と、ラテン語のSica(シーカ)をナワトル語の綴り(スペル)に変えてxicah「短剣」、「火矢や火槍で煙を起こして動物だけでなく、人もいぶり出して短剣で狩る狩猟民族」という意味で、なぜ、ここでラテン語が出てくるのかと言うと、Xicalli「ひょうたん」で説明した通り、マナ教(メキシコ版ユダヤ教)からローマ時代のユダヤ教宗派だったシカリ党(第30話『12人の弟子』参照)の犯罪手口を倣っていたのが別名、メシカ族と呼ばれたシシメカ族(チチメカ族)だったからで、現在、国名にされているメキシコ(=Mexico)とはこのメシカ族にちなんだものである。)とも呼ばれる南のソチミルコからテスココ湖を挟んで反対側の北部にあるテノシュティトランに住むシシメカ族(チチメカ族)にソチミルコはついに制圧されることとなった。そして、このテノシュティトランとソチミルコの都市共同体の地域が合併したことで生まれたのがアステカ帝国である。実はこのソチミルコとの合併がなかったらシシメカ族(チチメカ族)はアステカ帝国を築くことはできなかった。なぜなら、元々、狩猟民族であるシシメカ族(チチメカ族)はチナンパ(湖上に葦簀を張る農法)を始めとした農業はもちろんのこと、国や都市を築く上で最も重要なインフラ(社会設備)である“真水”を確保できる技能がなかったからである。そのため、マヤ民族(恵まれた水資源を持つ民族)と呼ばれていた人達の住む都市国家を水や食料を求めてシシメカ族(チチメカ族)が乗っ取っては次々と軍拡や戦争(人殺し)でその国が持つ水資源や田畑などの産業基盤を潰していき、さらに干ばつや異常気象も起きて水不足になり、暮らせなくなった戦争難民達が北上して他所(よそ)を開拓し、水資源を確保するとそこをまた、水や食料を奪いにシシメカ族(チチメカ族)が襲いに来るといった悪循環を繰り返してきたわけで、ソチカルコから逃げてきた難民達が苦労して開拓したソチミルコに再び宗教団体(軍事結社)がはびこるようになったのも、シシメカ族(チチメカ族)がソチミルコの水資源を独占しようと狙っていたからである。しかし、北と南というだけでどちらもテスココ湖周辺に都市を築いて住んでいたわけで、大した自然環境の違いはなかったのだが、どうして彼らの間に差ができたのかと言えば、アカトナロがテスココ湖周辺の葦原を上手く利用してチナンパ(湖上に葦簀を張る農法)を開発したことにより塩湖であるだけでなく、葦のタンニン成分を含んだ黒い水が拡がるテスココ湖の塩と水を分離する方法を編み出したからで、この真水の確保がソチミルコの富の源泉になったことは言うまでもない。しかし、これを再びシシメカ族(チチメカ族)が狙ってソチミルコに宗教団体(軍事結社)を創り出し、軍拡を促すようになったせいでこの真水が軍需産業の排水で汚染されていくようになった。その最たる例がスペイン語のチナンパの語源となったチアシードである。日本でも欧米のスタイルのいい女優や有名人の写真とカロリーが低いのに栄養価が高くて“太らないスーパーフード”なる宣伝文句に釣られて流行しているそうだが、あの黒ゴマのような微粒は実は兵器としてアステカ帝国で広く栽培されていたものだった。それをスペイン人達が同じく兵器として用いるようになったことから学術名をサルビア・ヒスパニカ(=Salvia hispanica、「スペインのサルビア」という意味で、日本で言えば紫蘇(しそ)のことである。この他にチアシードと似たような植物はセージ、ラベンダー、ミント、バジル、ローズマリー、マジョラム、タイム、オレガノ、レモンバームなどがあり、これらは薬草(ハーブ)としてお茶や料理などに入れられることが多いが、香りも強いことから香油としてもよく用いられている。)と言い、元はほんの香り付けで料理に入れる香油だったが、アステカ帝国時代には爆薬の原料や生物(細菌)兵器として量産されるようになった。だが、チアシードなどのシソ科の植物にはシュウ酸と呼ばれる成分が多く含まれており、シュウ酸は人間の骨格を作るカルシウム塩(石灰)などの塩とよく結びついてシュウ酸カルシウムに変化し、血液中に結石を作って腎臓や膀胱、尿道、尿管などに溜まってはしばしば激痛をもたらしたり、シュウ酸カルシウムの量が多ければ火傷(やけど)のような炎症やむくみを起こして呼吸困難になり、窒息死する毒にもなる。そのため、古代では塩水にチアシードを入れて加熱し、灰汁(あく)抜きしてから調理に使っていたのだが、アステカ帝国時代では灰汁抜きなどの下処理を省くのはもとより、爆薬用に量産するためアカトナロの時代はトウモロコシが主に植えられていたチナンパ(葦簀を張った田畑)がアステカ帝国ではチアシードに換えられてしまった。そして、これがテスココ湖の塩分を含んだ水ともよく結びついてしまうためシュウ酸カルシウムの水が流されることになった。つまり、公害の発生である。(第97話『不浄(1)』参照)そして、この公害が多かった地域がメキシコの南東部にある2020年時点の人口が5,543,828人、その住民のほとんどが農民なのになぜか自分で作った作物が食べられないのか栄養失調や食品に付いた寄生虫、病原菌による病気に罹る者が多く、カソリック(キリスト教伝統派)などの宗教の他には教育らしい教育を受けさせてもらえない貧しい州とされるチアパス州(=Estado Libre y Soberano de Chiapas、the Free and Sovereign State of Chiapas、ナワトル語で「チアシードの水が流れる土地」もしくは「チアシードの排水を飲んだ鳥の死体が多い土地」という意味で、正式名称はスペイン王領自治州チアパス。なぜ、今もスペイン王室の領土なのかと言うと、メキシコはアメリカのようにそれぞれの州によって独自の憲法や法律を持つ連邦共和国、もしくは合衆国なので独立している州もあれば、チアパスのように未だ王領のままの州もあるからである。)であり、2022年現在はチアシードよりもコーヒー豆やカカオ豆の栽培が主流になっているが、スペイン王家の存続の為に兵器用の作物を作る土地であることは変わりないため、時たま、病原菌などの生物(細菌)兵器が撒かれて人体実験も行われ、教育も受けさせてもらえず住民である農民達は中世と同じく貧しい生活を強いられている。しかも、チアシードは田畑からの排水でテスココ湖の水を汚染するだけでなく、栽培中にチアシードのシュウ酸が気化して空気中に混じり、農耕している農民達の体内に少しずつ摂りこまれてしまうため、体内に結石ができて病死させてしまうこともある。いうなれば、労働災害まで引き起こす。(第116話『汚水』(注1)その5の南蛮吹きによる鉱害を参照)このチアシードからシュウ酸が気化することを知ってか知らずか、1977年からアメリカのJoseph Enterprises, Incという会社がメキシコの別の王領自治州であるオアハカ州や現在は中国も生産地にして売り出したのが動物の形を模した植木鉢を使ってチアシードを室内で育てる“チア・ペット”という名の観葉植物で、2019年もクリスマスのプレゼントとして1,500万個も売り上げている人気商品である。もちろん、日本でも植木鉢は付いてこないが、“チアシードスプラウト”という商品名で種が売られており、注意書き通りの栽培方法に従うなら乾燥すると枯れるらしいので一日一回は水やりが必要だそうで、そうなると当然、毎日、チアシードから出るシュウ酸を吸い続けることになる。まぁ、発芽するだけの短い期間を鑑賞して楽しむだけならそれほど深刻な被害にならないかもしれないが、それでもチアシードの栽培を趣味にしたり、毎日、灰汁抜きしていないチアシードを食べ続ければ重篤な被害に遭うかもしれないので良識ある読者の皆さんはくれぐれもご注意願いたい。実際、2014年に全米16州、計31人がチアシードの粉を食べて立て続けに気分が悪くなり、救急搬送されたそうで、この時はサルモネラ菌による食中毒とされて死者はいなかったが、漏れ聞くところでは嘘か誠か、これもアメリカでチアシードを食べて窒息死した人の話や消化器学会でチアシードが原因の喘息やアレルギー(炎症)、喉に食べ物が詰まるなどの窒息の症例が紹介されていたり、さらにカナダでもアメリカと似たような食中毒が63件も起こっているそうなので、アメリカ政府が原因とするサルモネラ菌は下痢や腹痛、脱水の症状はあっても窒息はまず見られないので、万一、チアシードを食べてアレルギー(炎症)や呼吸困難の症状が出てきたらシュウ酸による被害と見て間違いなさそうである。なので、しつこく申し上げてお節介かもしれないが、読者の皆さんには何卒、ご注意いただきたい。このように、せっかくアカトナロ達、戦争難民達が「人を殺すな」との神の教えに従って平和に安全に築き上げ、美しかったソチミルコのチナンパ(湖上に葦簀を張った田畑)はあっという間に軍拡と戦争(人殺し)の為に汚染だらけの軍需産業の田畑にされてしまい、病人と貧民が増える一方になった。それでも、自分達の失策や過ちを一切、認めないのがゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達なので当初はソチミルコの農民達の技術を使って広大なチナンパ(湖上に葦簀を張った田畑)を基礎としたテスココ湖に浮かぶ都市、現代で例えるならイタリアのヴェネツィアに似た水上都市、テノシュティトランを建ててその壮麗さに大威張(おおいば)りだったが、アステカ帝国の初代王だったイツコアトル王が即位して、ソチミルコがアステカ帝国に併合されてからわずか半世紀で首都のテノシュティトランはもう水不足と異常気象で崩れ始めた。元々、地球上の緯度(太陽の当たる位置)の関係で乾燥しやすい気候の上、それまでの歴史の間に何度も軍拡と戦争(人殺し)を繰り返し、自分達が砂漠化を促進してきたのだからソチミルコの建設によって一瞬、戻りかけていた自然環境も壊されてしまえば、テノシュティトランの都市機能が水不足で崩壊することはもはや時間の問題だった。それでも、チナンパ(湖上に葦簀を張った田畑)が基礎として組まれて建てられているのだから水不足になるはずはなかったのだが、相変わらず軍拡と戦争(人殺し)は続けていたため上述のように真水は汚染されて飲めなくなる。しかも、共に戦ってきた味方の貴族や家臣達はもちろん、抱えている大勢の兵士達を養っていける税収や貢納金を増やす為に再び戦争(人殺し)して他の都市国家を従属させていっても、敗戦した都市国家の住民達は自分達の国だけでなく、家や仕事まで失った以上、どこにも行き場はなく、少しでも仕事や食料にありつけそうな戦勝国であるアステカ帝国の首都に戦争難民として押し寄せてくる。そうなると、テノシュティトランは飽和(パンク)状態になった。そうして、飲み水や生活用水、農業用水を巡って(いさか)いがしょっちゅう起きるようになり、誰もが見た目は壮麗であっても実際は貧民や無一文の戦争難民、病人ばかりが溢れかえる首都テノシュティトランの現実に幻滅し、自分のイライラや鬱憤を誰かに八つ当たりして晴らそうといった殺伐とした気持ちを抱くようになる。その結果、テノシュティトランは貧民や難民、病人に加えて犯罪者まで増やすことになった。そこで、年々、不平や不満が募る一方だった水不足を解消しようと、イツコアトル王の孫でアステカ帝国の4代目の王になったアウィツォトルがまず、片っ端から水資源のありそうなミシュテカ(=Mixtecah、ナワトル語で「火を起こして雨雲を呼ぼうとする者達の土地」または「ミシュコアトル神(=Mixcōhuātl、戦争(人殺し)と狩猟を司り、弓の紐に矢を巻いて火打石を付けた矢尻で木片を(こす)って摩擦熱で火を起こす弓切りを中南米で最初に発明したと言われる。)を祀る者達の土地」という意味。)を始めとした西部母(シエラ マードレ)山脈地域( オクシデンタル)(=The Sierra Madre Occidental、アメリカのアラスカ州からカリフォルニア州のシエラネバダ山脈、ロッキー山脈の一部を通って、主にメキシコ西部の太平洋沿いにある北米(ノース アメリカン)大山脈( コーディレラ)(=The North American Cordillera、全長約6,400km)の中核を成す全長約1,500kmの山脈のこと。)を襲って領土範囲を拡げ、そこから水資源を引っ張ってきたり、山に段々畑などを作って首都に集まってきた貧民や難民達をそこに住まわせて働かせるなど2代目王のモクテスマ1世の頃に行われた政策に倣っていろいろ対策を講じてみたのだが、公害をもたらす軍需産業の地域を拡げたからと言って所詮、汚染を広めるだけなので水不足が解消されるわけはなく、かえって支配下に置いた領土で新たな貧民や難民、病人や犯罪者が増えることになった。そして、この時、アウィツォトル王によって征服された都市国家の一つが上述したチアシード栽培の排水で汚染地域となったチアパス州だった。しかも、そうやって領土を広げる為に戦争(人殺し)を繰り返したことで葦やその他の森林を伐採し、鉱石も大量に採掘して冶金(製錬&精錬)に明け暮れ、軍備をどんどん増強したことからかつての祖先達が気象(大気の状態や変化)をこじらせて気候(大気の循環)に温暖化や砂漠化を招いたあの亡国の道を彼らもまた、辿り始めた。結局、大気の水分を吸って気象を調節してくれる葦や森林を伐採したことで逆に田畑を潤すと同時に雨も降りやすくして真水が確保できるよう水分を蒸発させやすい葦を使ったチナンパ(湖上に葦簀を張った農法)が仇となり、それを基礎に置いて築いたテノシュティトランは度々、洪水に襲われるようになった。ところが、戦争(人殺し)と宗教以外は無知なアウィツォトル王のようなアステカ帝国のシシメカ族(チチメカ族)に解決策はなくても、少なくとも水や食料が無かった頃から水資源を確保してソチミルコを発展させてきたアカトナロ達の子孫であり、実際にテノシュティトランを建設したはずのソチミルコの農民達ならば水不足はもちろん、洪水も何とか解決できそうなものなのだが、アステカ帝国に占領されて以降、気温の目安となる繊細で高度な技術を要する農作物から誰でも簡単に栽培できて、しかも大量に収穫できる兵器用の農作物に切り替えられたため、それまで階段式ピラミッドを建てて毎日、毎月、毎年、緻密に気温や気象、気候の変化に気を配り、農耕していたソチミルコの農民達ですら仕事の基本である気温や気象の変化が読めなくなっていた上、自分達が毎日、耕しているチナンパ(湖上に葦簀を張った田畑)の特質も分からなくなっていて、洪水などの異常気象どころか、水不足を解消する案すら浮かばなくなっていた。そうなると、もはや誰にもどうすることもできなくなり、事態はどんどん悪化していく。そうして、2代目のモクテスマ1世の時にも度々、発生していた長雨や霜などの冷害、それとは逆に雨が降らない干ばつ、さらには生物を取り巻く環境も狂ってきてバッタが大発生するなど、どこかで聞いたような展開だが(出エジプト記10章12節~15節及び第116話『汚水』(注1)その7のサントリーホールディングス株式会社のバイオエタノールを参照)、そうした自然災害(天災)というよりも軍拡による公害が緻密で繊細かつ絶妙な均衡(バランス)の上に成り立っていた神が創りし自然の調和を乱し、とうとう地球環境にまで影響するようになった。しかし、軍事と宗教以外に教育されたことがないアウィツォトル王にこの異常気象や気候変動を止める術などあるはずもなく、彼に唯一、できることと言えば、ひたすら先代の王達が過去に行ってきた政策を踏襲するだけだった。だから、子供の頃から貴族や僧侶(教師)などの周囲の大人達から偉大な王の模範として見習うべきと教えられてきたモクテスマ1世が行ったようにアウィツォトル王も水不足を解消するため水道を無理に引っ張ってきてまたもや洪水で(あふ)れさせ、まともな排水設備も整備していないせいで大勢の死者を出す羽目になり、その洪水を止めようと莫大な税金を賭けてダム建設も行ったが、それも失敗し、その度に「洪水や干ばつといった異常気象は神のお怒り=天災なのだから神への供物として人の魂を神殿に捧げなければならない。」などと、オカルト(反自然(神)主義)宗教にありがちな屁理屈を持ち出してくる僧侶や家臣達の言葉に従ってこれもモクテスマ1世が行った通り、“花戦争”(=xōchi(ソチ)yāōyōtl(ヤオヨトル)、ソチミルコの語源であるxochitl「花」とyāōyōtl「戦争」から直訳すると「花戦争」だが、本当はyāōtl「敵」に-yōtl「~らしい、みたいな」という接尾語がつけられた造語なので、「ソチミルコの民のように王政に反対して反骨心や民主主義を主張したがる民衆を神殿に捧げる為の戦争」が裏の意味であり、それを隠語として含ませた言葉が“花戦争”である。元々はイツコアトル王を初代王に祭り上げ、その後、アウィツォトル王の時代まで宰相や大神官を務めていたトラカエレルという男が2代目王だったモクテスマ1世の時に起きた飢饉や洪水といった異常気象を神の怒りだとしてこれを鎮めるには「王政に反対する大衆を生贄として神殿に捧げて政権転覆(クーデター)されないよう弾圧しなければならない。」と言い出し、ソチミルコの占領から20年後の1450年~1454年にかけて行われたのが最初の花戦争で、以後、飢饉(食料不足)や災害などで財政破綻する度に毎回、この花戦争(人口削減政策)が行われるようになり、アステカ帝国の滅亡まで恒例行事として続けられることとなった。なお、首都テノシュティトランに設けられたテンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)に当初、祀られていた主神のケツァールコアトル神を自分達、シシメカ族(チチメカ族)の先祖の名前からでっち上げたウィツロポシュトリ神にすり替えたのがこのトラカエレルで、なぜ、彼がそんなすり替えを行ったかと言えば、ある意味、復讐だったからである。実は、ウィツロポシュトリ神の語源となったイツコアトル王の異母兄であるウィツリウィトルはトラカエレルの実父で、本来ならば彼がアステカ帝国の初代王となる王位継承者なのだが、その彼があえて自分の父親を暗殺して王位に就いた叔父のイツコアトル王に仕えるようになったのかと言うと、蛇を崇めるゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者である彼は誰よりも蛇のごとくねちっこくて狡猾だったからで、王位に就けば当然、兄弟や親族間の権力&相続争いに巻き込まれることから無欲を装って表向きは王に忠実な宰相、軍事参謀、神官に徹し、裏では助言だとか密告、帝王教育だと言ってはそれとなく毒を含んだ言葉をイツコアトル王の子孫達、つまり、代々の王族に流してお互い疑心暗鬼にさせ、家族間で内輪揉めするよう操作し、影の支配者としてアステカ帝国に君臨したかったからである。だからこそ自分の祖父と父親の名前を神に祭り上げた訳で、トラカエレルがアステカ帝国の憲法からあらゆる政策、軍略、宗教教義に至るまで細かく決めていた実質的な王であり、独裁者だった。その影の支配者、独裁者のトラカエレルが指導して行った軍拡や失策から水不足や洪水などの災害、飢饉(食糧難)が起きていることにソチミルコの住民の中には気づいていた人達もいたようで、彼らはアステカ帝国の政治を批判するアマテ紙のビラやパンフレットを巷に撒いて抗議活動を行ったことからこれに憤ったトラカエレルは早速、彼らを弾圧しようとマヤ文明の頃に先祖のシシメカ族(チチメカ族)が宗教行事のように行っていた“星戦争”(=Star wars(スターウォーズ)、AD6世紀~8世紀頃のマヤ文明時代に都市国家間での話し合いによって時期を決めて恒例行事のように行われていた戦争(人殺し)のことで、言わば、現代で国連での協議によって地域紛争や代理戦争が行われるようなものである。“星戦争(スターウォーズ)”と呼ばれるのはアメリカの考古学者でマヤ文明の碑文から兵器開発の手がかりを探す学者達の集まりであるパレンケ円卓会議(=Mesa Redonda de Palenque)で名を挙げたリンダ・シーリーが名づけたもので、彼女の碑文解読によると金星の満ち欠けに合わせて大半の戦争(人殺し)が行われており、碑文に星の文字も刻まれていたことから星戦争(スターウォーズ)と呼ぶようになった。また、稲や種を植える春の時期や秋の収穫期には全く戦争(人殺し)は行われておらず、逆に雨が降りにくい乾季の11月から1月にかけては戦争(人殺し)が度々、行われていたことからしても、農耕期間中はお互い戦争(人殺し)しない決まりになっていたようで、どうやらお互い収穫量の結果や気候の予測をしながら時期を合わせ、飢饉(食糧難)になった都市国家に戦争(人殺し)を仕掛けてはその人口を減らすように調節していたらしく、一旦、休戦協定を結んで記念碑を建てても各都市国家の食糧事情が悪ければその記念碑を打ち壊して再び戦争(人殺し)を行い、事前の協議で決定している破壊活動である程度、人や建物を壊しても完全に都市機能を破壊してしまうわけではなく、それでも生き残った難民達はしばらく別の都市国家に移って食糧事情や経済が回復したら元の都市国家に戻ってくるようで、世界遺産に登録されているグアテマラのティカル遺跡(=Tikal)の歴史に断続的な空白期間があるのもそうした理由らしかった。また、食糧や経済の事情だけでなく、各都市国家の統治者に問題があったり、ふさわしくないと協議で判断された場合も星戦争が行われ、その統治者は兵士(民衆)達と一緒に拷問されたり、処刑されることもあったらしく、これも何だか現代の国際情勢や国連のやり口とよく似て、アフガニスタンを掌握してアメリカのニューヨーク市を襲ったオサマ・ビン・ラディンをアメリカ政府がパキスタン政府と連携して処刑したり、アメリカ政府の大統領とイギリス政府(王室)の首相がイラクのサダム・フセイン大統領にクウェート侵攻を行わせた後、フセイン大統領に対する民衆からの支持がなくなると、これまたアメリカ政府が指揮する国連軍がフセイン大統領を処刑するなど(第116話『汚水』(注1)その8参照)、どうもマヤ文明時代に行われていた星戦争に似通った点が多い気がするが、それもそのはずで、この星戦争にまつわるマヤ文明の歴史やマヤ文明の天文学が書かれた『The Dresden(ドレスデン) Codex(コーデックス)(邦題は『ドレスデン絵文書』で、ドイツのドレスデン市にあるザクセン州立ドレスデン工科大学図書館(=Saxon State and University Library Dresden)に保管されている高さ約20cm、長さ約3.7mの蛇腹(じゃばら)に折られた絵巻物であり、16世紀にスペインが中南米を侵略して以降、欧米諸国で売買されてドイツ人の手に渡ったらしく、11世紀から12世紀頃に書かれた物とされているが、現地の言葉を知らない中世の欧米人達が研究してもなかなか解明が進まず、また、20世紀になってもイギリス王立外科医師会(=The Royal College of Surgeons of England)の外科医の息子で、黒い帽子に赤い軍服が特徴のイギリス王室の近衛兵隊であるコールドストリームガーズ(=The Coldstream Guards)に所属していた考古学者のジョン・エリック・シドニー・トンプソンがこのドレスデン絵文書を始めとしたマヤ文明の研究を独裁的に取り仕切っていたため身分制社会の弊害から彼の気に入らない学説や研究者達は受け入れられず、そのせいで研究も進まなかったことからドレスデン絵文書も忘れ去られ、さらに第二次世界大戦時の爆撃により図書館の地下倉庫が水浸しになったせいでページの所々が損傷して読めなくなったのだが、それでもリンダ・シーリーのような元は学者でも何でもなかった絵を学んだだけの“一般人が自由な発想の下”、次々とマヤ文明の研究に参入するようになってからはドレスデン絵文書の解読は大幅に進展することとなった。)』が解読されるようになったのが1973年からであり、欧米人達が目指してきたゾロアスター(原子爆弾&戦争礼賛)教の最強兵器を開発できる手がかりとして政府(王室)関係者を中心に欧米人達の間でマヤ文明が流行するようになり、その流行を基に作られた米映画が1977年に公開されるようになった『スターウォーズ』シリーズである。だから、それ以後、マヤ文明の流行と共に『スターウォーズ』の映画を見て育った世代はそこから伝えられる社会制度や政治手法、戦術、軍略などにかなりの影響を受けるだけでなく、ゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の流れを汲むマヤ文明のケツァールコアトル教と欧米のキリスト教との間に共通する考えがあれば、ゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教こそ正しい神の教えと信じる者達にとってはマヤ文明の考えや知識も迷わずそのまま受け入れるため、自ずとマヤ文明の社会制度や政治手法、戦術、軍略などを真似るようになる。それゆえ、延々と中世の軍拡と戦争(人殺し)、失策と公害が21世紀になった現代でも繰り返される訳で、滅亡したマヤ文明の間違った天文知識や失策を学んだところでそれを真似ているだけなら結果は当然、失敗に終わるのだが、その現実から目を背け、オカルト(超自然(神)現象)をこよなく信じる彼らゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達は時が経てば研究が進んで自分達が神(自然)を超えられる時がきっと来ると思い込んでいるためいつまでも現実の結果を振り返って失敗を反省したり、改めるつもりもないようで、それでも結局、マヤ文明の研究にしても“偶然”、リンダ・シーリーなどが研究に参画していなかったらドレスデン絵文書も忘れられたままでマヤ文明の天文知識や歴史も分からなかったわけで、その“偶然”が決して人間の知恵や力では生み出せないものである以上、どう頑張っても神(自然)を超えられる時など来るはずがないことをそのうち彼らも思い知ることだろう。)から思いついた花戦争を提案し、首都のテノシュティトランと同じように飢饉(食糧難)や災害などの問題が山積して頭を抱え、財政破綻している別の都市国家を誘って共謀し、戦争(人殺し)を装って兵士同士が戦う振りをしている隙にお互いの都市国家に住む民衆、特に政治的なビラやパンフレットを撒いたアステカ帝国に批判的と思われる人物を中心に女子供も関係なく一人残らず捕虜にして他の民衆への見せしめとして火あぶりにしたり、生贄として解剖したり、人体実験に使うことはもちろん、神殿の壁に生き埋めにするなど非道の限りを尽くして弾圧した。そして、この花戦争を始める際に戦闘開始の合図として行われたのが“焚書”である。(第100話『智慧(1)』(注3)参照)要は、アマテ紙に書かれた自分達にとって都合の悪い批判ビラやパンフレット、財政記録や事実が書かれた巻物もこの花戦争(人口削減政策)で犠牲となる民衆と一緒に燃やしてしまおうと考えて指示したのがトラカエレルで、以後、焚書も花戦争(人口削減政策)と一緒に儀式として定着し、アステカ帝国の滅亡まで続けられることとなった。しかし、トラカエレルを始め、アステカ帝国の王侯貴族達がどれだけ必死に不都合な事実を隠そうと焚書したとしても、焚書や花戦争(人口削減政策)を指示して行ったとの“命令や執行記録”は残される上に彼らの失策によって必ずその政権も国家も滅んでいくのだから結局、彼らの悪事や犯罪は神が見続けてきた人類史から消えることは決してないのだが、神をも超えられると信じる彼らゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教の狂信者達は“自分達が気がついた範囲だけの”都合の悪い記録(歴史)を消しておけばいつまでも隠し通せると思い込んでいるようで、彼らの気づかなった記録や予測できない未来において彼らが犯してきた悪事や犯罪の数々が暴かれ、どれほど侮蔑され、批判や非難の的になるのか想像すらできなかったのだろう。だから、現代でアステカ帝国とは大勢の人達を宗教儀式の生贄として殺しただけの野蛮で血生臭い、人肉をも喰らう非文明な(知能の低い人でなしの)国との印象(イメージ)しか喧伝(けんでん)されず、メキシコを発展途上国に数える人が多いのもアステカ帝国が行ってきた生贄儀式の印象が頭から離れないからである。)と呼ばれる儀式戦争も行ったが、人を殺したからと言って洪水や干ばつ、飢饉(食糧難)や財政破綻が解決するわけはなく、余計に問題を増やしてこじらせただけで結局、アウィツォトル王の失策の数々に愛想をつかし、自分達の失敗や責任は棚に上げて彼を批判や悪口の槍玉に挙げるようになった他の王族や家臣達が密かに彼を暗殺し、病死だとか事故死とか適当に言い訳しながら発表して次の王位に就けたのがスペインにアステカ帝国を占領されて大衆から石や槍を投げられ、撲殺されることになるモクテスマ2世だった。それゆえ、アウィツォトル王の名前は当初、ナワトル語でAhuitzotl「オオカワウソ」、あのイタチ科の小さくて可愛いサイズのカワウソではなくて、現在はアマゾン川などの南米でしか見ることができない体長1.7mほどの絶滅危惧種のカワウソのことで、時には集団で小型のワニや大蛇(アナコンダ)を襲って食べる獰猛な肉食動物であることからそうした戦闘能力を期待して付けられていた名前だったが、後に他の王侯貴族や家臣達の悪口の対象にされて嫌われ者になってからはatl(アトル)「水」とhuitzotl(ウィツォトル)「キノボリヤマアラシ」で「水の中のヤマアラシ」、中南米に生息するアメリカヤマアラシは新大陸ヤマアラシとも呼ばれ、主に樹木の上で生活し、体長が86cmからわずか30cmほどしかない種類もいて、その中でキノボリヤマアラシは体長30cmほどの小さい種類のアメリカヤマアラシである。なぜ、“山荒し(ヤマアラシ)”と呼ぶのかと言うと、長い尻尾(しっぽ)を使って器用に木に登ると樹皮や木の実などを食い尽くしてしまう草食動物だからで、しばしば人間の食糧となる農作物も荒らす害獣でもある。また、ハリネズミに似て全身が(とげ)または針状の毛に覆われており、外敵が来るとその毛を逆立てて攻撃することからそのキノボリヤマアラシとアウィツォトル王の姿を重ね合わせ、「洪水や飢饉(食糧不足)を招いてはた迷惑な害獣」との悪い意味でのあだ名がこっそりつけられて彼は周囲から笑い者にされるようになった。しかも、花戦争(人口削減政策)を頻繁に行うようになってからはかなりの数の民衆を生贄にしたらしく、その数は2万人から8万人とはっきりしないが、2015年に発掘されたテンプロ・マヨール(大ピラミッド神殿)の遺跡から650人以上もの頭蓋骨や骨の破片が埋められているのが見つかっており、その中に女性や子供も含まれていたことからその残虐極まりない暴挙も相まって周囲だけでなく、大衆の間でも密かに彼を化け物扱いするようになったらしく、アウィツォトルという名の、長い尻尾の先に付いた手で湖の底に通行人を引きずり込んで食い殺す犬かキノボリヤマアラシに似た妖怪の都市伝説まで作られて嫌われていたようで(スペイン人修道士のベルナルディーノ・デ・サアグンが書いた『La Historia General de las Cosas de Nueva España(邦題は『ヌエバ・エスパーニャ概史』執筆期間は1545年~1590年)』の中の『the Florentine(フロレンタイン) Codex(コーデックス)(邦題は『フィレンツェ絵文書』1793年発刊)』11巻を参照)、現代でもその妖怪のアウィツォトルの方がアウィツォトル王自身よりもよく知られている。しかし、アウィツォトル王一人が妖怪だったわけではなく、彼を嫌って笑い者にしていた彼の兄弟や親戚などの王侯貴族とその家臣達も花戦争(人口削減政策)に賛同して一緒に大衆を殺していた恐ろしい残虐非道な妖怪達だったわけで、さらにそんな妖怪達を大勢、自分達の国家にのさばらせて自分と家族の生命と財産を喰い荒らされる結果を招いたのも大衆自身がケツァールコアトル教やマナ教といったゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教に惑わされ、軍拡や戦争(人殺し)しない良心(神の声)に沿った生き方や考え方を否定し、目の前にぶら下げられた金の為にあの美しかったチナンパ(湖上に葦簀を張った田畑)を軍需産業の巣窟に変えてしまったからで、わざわざ神が与えし楽園を血みどろの争奪戦をしなければ生き残れない地獄にしてしまったのはそのゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教を信じ続ける自分達自身の責任なのに、それを何でも神様のせいにして飢饉(食糧難)も洪水も干ばつも天災だとか自然災害、さらには自分達自身の失敗や不幸すら運命だとか、神様が決めた生まれや身分のせいだとか言って周りの自然や現実、自分自身を振り返り、失敗した原因や自分自身が悪かった部分を改めようとしないのだから、いつまで経っても世の中が“良い方向へ”変わらないのは当然かもしれない。ともかく、こうしてチナンパ(湖上に葦簀を張った農法)はかつては豊かな水資源と食料、人口を増やして都市や国家を発展させていく富の源泉になっていたが、宗教と軍需産業がそれを乗っ取った為に逆に洪水(災害)と公害(病気)、飢饉(食糧難)を呼ぶだけの時代遅れの農法となった。)と呼ばれる田畑に敷く葦簀にもなる葦原を兵器を作る為にことごとく伐採していったため大気やテスココ湖の水を調節してくれていた自然(神)がなくなったことで洪水が頻繁に起こり、テノシュティトランの都市機能が度々、破壊されることになったことからこれをアステカ帝国を創設したシシメカ族(チチメカ族)も何とか洪水を止めようとしたものの、結局、止められず、その後、アステカ帝国を乗っ取ったスペインがテノシュティトランの洪水対策を引き継いだのだが、第116話『汚水』で話した通り、19世紀まで上水と下水の区別もつかなかったスペイン人などの欧米人達に治水や灌漑(かんがい)の文明(神の与えし智慧)が至る所に詰められているテノシュティトランの緻密な構造など分かるはずもなく、その上、アステカ帝国との付き合いで学んだ彼らの政治(大衆管理)や花戦争(人口削減政策)にスペインも倣って洪水や飢饉(食糧不足)が起きる度に天然痘などの生物(細菌)兵器を撒いたためテノシュティトランを建設して維持、管理してきた原住民を減らしてしまい、逆に現地の事情を知らないアフリカの黒人やカリブ海その他の太平洋諸島からの原住民、北米のインディアン、東南アジアやスペインが植民地にしているあらゆる土地の奴隷達、そして、スペイン本国からキリスト(人殺しの十字架)教の教育を受けただけで新大陸を開拓してみせると意気込むスペイン人移民に、スペインに反発心を抱く原住民をなだめ、キリスト(人殺しの十字架)教に改宗させてスペイン王室を始めとした欧米の王侯貴族を神の子と仰ぐよう教え込むことで自身の布教区や教会での地位を高めたいだけの宣教師達、これらの労働者の構成からしてもはやテノシュティトランでの治水や灌漑(かんがい)事業はもちろん、彼らをまとめるだけでも難しいことは明らかだが、これに加えて後ほど詳しく説明するが、北半球にあるバルト海に浸食され、海抜より低い土地ゆえ常に塩害や洪水と格闘してきた国とも言えるが、アステカ帝国と同じくキリスト(人殺しの十字架)教と軍拡に勤しんで自然(神の庭)はもとより、カナンヌファトゥン族などの古代の原住民達が遺してくれた文明(神が与えし智慧)をすっかり忘れて破壊し尽くし(第116話『汚水』(注1)その2参照)、古代ローマの治水や灌漑(かんがい)方法で止まったままの中世暗黒時代のオランダ人技師達、さらにはその古代ローマ時代の治水や灌漑(かんがい)方法さえ覚えておらず、19世紀でもまだ汚水に取り囲まれた生活しかしていなかったイギリス人技師達まで投入してテノシュティトランの洪水対策に当たらせてしまったことから、またもや周辺の木を伐採して堤防を造ったり、洪水の流れを変えようとトンネルを掘るなど余計に自然(神の庭)を壊してしまったため以前にも増して洪水や干ばつ、飢饉(食糧難)が酷くなった。挙句の果てにオランダ人の技師達が提案した“デサグエ”(=Desagüe)という干拓などのテスココ湖の水そのものを抜水する欧米の気候に合わせた洪水対策を赤道付近の乾燥しやすいメキシコにも当てはめ、そのまま行ってしまったことからアステカ帝国時代でも社会問題だった水不足がいっそう深刻化することになった。そして、植民地(外国)の洪水対策どころか、自分達が暮らす本国の水質管理すらままならないイギリス人技師のウィートマン・ピアソンという、後に初代カウドレー子爵とも呼ばれる男を当時、アメリカとイギリス政府(王室)から支援を受けてメキシコの第29代大統領となったホセ・ポルフィリオ・ディアス・モリが近代化=欧米化を名目にして招いたためこのピアソンがオランダのデサグエ(干拓)方式に加えて石油採掘まで始めたことで、今度は石油採掘による水質汚染まで引き起こすこととなった。


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