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第百十六話 汚水 後書き(注1)その7

Listen to me, my people;

hear me, my nation:


わたしの言葉を聞くがいい、わたしと同じ人類よ

さぁ、我が国よ、聞くがいい


The law will go out from me;

my justice will become a light to the nations.


正しい法はわたしの言葉からもたらされる。

神がわたしに教えてくれた正義こそが世界中の国々への理知の光となる。


My righteousness draws near speedily,

my salvation is on the way,

and my arm will bring justice to the nations.


わたしの言葉が正しいことはすぐに分かる。

神がわたしを救ってくださる日も間近い。

そして、わたしの存在は世界中の国々に正義と平等をもたらす。


The islands will look to me

and wait in hope for my arm.


世界中の島々よ、大陸よ、

神が生きて存在していることを見るがいい。

そして、神が遣わしたわたしの言葉に希望を持て。


Lift up your eyes to the heavens,

look at the earth beneath;


その目を天上に、宇宙に向けて

その下の自分の足元にある地上を、地球を見てみるがいい。


the heavens will vanish like smoke,

the earth will wear out like a garment

and its inhabitants die like flies.


天上は、宇宙は煙のごとく、ガス(気体)となって消える。

地球はまるでちぎれた布地のごとく擦り切れてしまう。

そして、そこに住む者達はただのハエのごとく死ぬ。


But my salvation will last forever,

my righteousness will never fail.


だが、神がわたしに与えてくれた救いの手段は永遠に受け継がれる。

神がわたしに教えてくれた正義は決して消えず、間違いはない。


“Hear me, you who know what is right,

you people who have taken my instruction to heart:


わたしの言葉を聞くがいい、

何が正しいか、間違っているかが分かる人達よ、

わたしの言っている話に教訓を覚える人達よ。


Do not fear the reproach of mere mortals

or be terrified by their insults.


世間の人々の心無い中傷や罵倒を恐れるな。

彼らはどうせ、死ぬ。

ただの消えゆく塵でしかない。


For the moth will eat them up like a garment;

the worm will devour them like wool.


地球を壊していく彼らの自業自得により

まるで端切れのように彼らは蛾に喰いつくされ

虫の大群が彼らを襲い掛かり、綿のように彼らを貪り尽くす。


But my righteousness will last forever,

my salvation through all generations.”


だが、神がわたしに教えてくれた正義と平等は永遠に遺される。

神がわたしに与える救いの手段は地上の子孫達に永遠に受け継がれる。



“I, even I, am he who comforts you.

Who are you that you fear mere mortals,


神(正義、公平、慈悲、真実)、

神(正義、公平、慈悲、真実)こそ

あなた方、人間を癒し、慰める唯一の存在である。


なのに、なぜ、神(正義、公平、慈悲、真実)以外の

悪事と犯罪しかしない動物を恐れる?


human beings who are but grass,


地上にいる人間という名の動物など所詮、雑草に過ぎない。


that you forget the Lord your Maker,

who stretches out the heavens

and who lays the foundations of the earth,


この地球と宇宙を創って整えた創造主を忘れた雑草など

すぐに消える。

主は、神はこの天上に、この宇宙にその手を伸ばし、

すべてを編み出し、この地球の要素を整えてくださった

偉大なお方である。

それに逆らう雑草などすぐに跡形もなく塵となる。



that you live in constant terror every day

because of the wrath of the oppressor,

who is bent on destruction?


日々の恐怖に震えておびえて生きる者達よ、

圧制者の怒りとご機嫌をうかがうことに終始する者達よ

そいつにどれほどの力があるんだ?

そいつに何ができる?


For where is the wrath of the oppressor?


どこに支配者の天誅(てんちゅう)とやらが下るんだ?


The cowering prisoners will soon be set free;

they will not die in their dungeon,

nor will they lack bread.


神(正義、公平、慈悲、真実)に従う者ならば

たとえ、恐怖の(かせ)を負わされ、打ち震え泣いていたとしても

すぐにそこから自由になる。


神(正義、公平、慈悲、真実)を信じる人々は

闇に葬られ、地下に繋がれたまま死ぬことは決してない。

彼らは飢えることもなければ、貧しくもならない。

そして、その魂も永遠に消えない。


For I am the Lord your God,

who stirs up the sea so that its waves roar—

the Lord Almighty is his name.

I have put my words in your mouth

and covered you with the shadow of my hand—

I who set the heavens in place,

who laid the foundations of the earth,

and who say to Zion, ‘You are my people.’”


なぜなら、神(正義、公平、慈悲、真実)は

この宇宙と地球のあらゆる自然を司るお方だから。

全知全能の主こそ、神の御名である。


その神がわたしの口に言葉をくれた。

その全知全能の主がわたしをその手に隠し、わたしを守ってくれた。


そして、神はジオン(愛の心を求める者)にこう言ってくれる。

『お前はわたしが生んだ神の子の一人である。』

           (イザヤ51章4節~16節)






その中でなぜか今もなお、日本政府から江戸の三大火災とわざわざ取り上げて教えられるのが1657年3月2日~3日の明暦(めいれき)の大火、1772年4月1日~3日の明和の大火、そして1806年4月22日の文化の大火で、3件共、確かに甚大な被害ではあるものの、これ以外に被害の大きかった火災は他にもあるのだが、なぜ、この3件が強調して取り上げられるのかと言うと、明暦の大火は前回、倒幕と共に幕府の老中(ろうじゅう)である阿部忠秋(あべただあき)松平信綱(まつだいらのぶつな)の両名も始末しようとして失敗したことから再度、二人に脅しを掛ける為に後水尾(ごみのお)天皇が起こさせたもので、元々、大倭朝廷(現、皇室)と結託して謀反(国家反逆)を企んできた弱みがある以上、それを大倭朝廷(現、皇室)に握られている二人にとって今更、完全に幕府(江戸政権)側につくことはできず、結局、阿部は現在の東京都豊島区巣鴨にある本妙寺(ほんみょうじ)が明暦の大火の火元になったことで、そこが自分の屋敷の近所だったことから後水尾天皇の暗黙の脅しに気づき、以来、恐れをなして火事の翌年から毎年、15俵(現在の価値に換算すると大体、150万円)を本妙寺を通じて大倭朝廷(現、皇室)に寄進(寄付)するようになり、倒幕後も彼の子孫達は同じ寄付を1923年(大正12年)の関東大震災(第115話『生命』(注1)参照)まで、もっと正確に言うなら、幼い頃より原子爆弾を開発するため漢学を始めとした中国の文献を読み漁り、考古学の発掘調査に明け暮れ、さらにその研究開発費の寄付も先祖代々、強要された後、そうして開発された原子爆弾により焦土と化した国土とその犠牲となった10万人以上の一般国民の無残な死体の山を目にしたことで、これまで大倭朝廷(現、皇室)存続の為に費やしてきた自分の生涯と犯した過ちに対する激しい後悔と虚しさから忠秋(ただあき)の末裔である阿部正効(あべまさこと)が寄付を止めるまで266年間、続けることとなった。また、松平も阿部と同じく、後水尾天皇の命を受けた現在の東京都江東区白河にある霊厳寺(れいがんじ)が本妙寺からの火事を避け、助けを求めて逃げ込んできた1万人近くの国民を再び火を付けて焼き殺しただけでなく、隅田川に向かって殺到する2万人以上の国民を囚人を脱獄させない為との詭弁で通用門を閉ざしてこれまた、見殺しにする凄惨な殺害現場を目の当たりにさせられた挙句、翌日、現在の東京都台東区上野公園内の護国院(ごこくいん)からほど近い自分の屋敷と江戸城との間にあった大番衆与力(おおばんしゅうよりき)(現代で言えば警視庁機動隊幹部)の宿舎から再び火の手が上がり、文京区の半分以上を焼き尽くした他、千代田区と中央区の全域である22㎢以上が焼失したのだからこれを見て震えないはずがない。そのため、松平も慌てて大倭朝廷(現、皇室)に再度、忠節を誓い、火災直後でまだ、被害状況も確定していない間から被災者への配給と偽って幕府(徳川政権)の許可なく米蔵(こめぐら)(国庫)を開けさせ、米(税金)をばら撒くことで幕府(徳川政権)の財政悪化=軍資金の枯渇を狙った他、参勤交代制(第116話『汚水』(注1)その5参照)も停止して大倭朝廷(現、皇室)の臣下達が自領内でゆっくり倒幕の準備ができるよう軍拡を促す始末だった。そうして大倭朝廷(現、皇室)の無言の脅しと要求に振り回され続けた松平信綱は用済みになると暗殺され、以後、これも阿部の子孫と同じく松平の子孫も似たような末路を辿り、1921年(大正10年)に理化学研究所所長となった物理学者の大河内正敏(おおこうちまさとし)は婿養子とは言え、松平家の家督を継いだ信綱の末裔で、幼い頃は学習院初等科で大正天皇のお付き(ご学友)をしていたらしく、上述の阿部正効のように兵器の研究開発をする為だけに勉強させられて東京大学の教授から工学博士になった後、貴族院議員選挙に出馬してもちろん当選し、大臣に次ぐ海軍省の政務次官になったそうで、まさに「末は博士か大臣か」の(ことわざ)よろしく順調に出世して理化学研究所所長になった後は明暦の大火と同じ関東大震災を起こす為の原子爆弾の開発を推し進め、その為に重税で日々の暮らしもままならず、身売りや小作人(農奴)にまで落ちぶれ、一家心中や子殺し(堕胎)する国民が後を絶たないのにそれでもなお、兵器を造る為にさらに国民の血税を注ぎ込み、世間は金融恐慌が吹き荒れる最中(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)、そんな国情など気にもしない大河内は原子爆弾の部品となるピストンリング(爆弾内部の密閉率を高め、圧縮した放射能(ウランガス)の爆発力を高める装置)を開発したことで現在の株式会社リケンを1927年(昭和2年)に設立し、日産コンツェルンのような民営を装った国策財閥グループである理研コンツェルンを形成した。以降はお定まりのごとく、日産コンツェルンと共に赤字に次ぐ赤字で太平洋戦争に突入し、戦後処理として大倭朝廷(現、皇室)の代わりに軍需産業及び原爆製造計画の責任を被らされた大河内はA級戦犯に指名されて刑務所行きとなった。そうしてA級戦犯ながら大倭朝廷(現、皇室)の罪を被ったからか戦争裁判では処刑されず、公職追放処分で済み、1951年(昭和26年)には日米安保条約(正式名称は『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』で、ポツダム宣言(第104話『蒙昧(もうまい)』(注2)参照)に規定されている武器や兵器、軍隊を日本国内から排除することにより米軍その他の旧連合軍(現、国際連合)の軍隊は即時、撤退すると定めた条項を抹消させ、逆に日本国内に米軍基地の駐留を約束した条約のこと。1960年(昭和35年)に米軍兵士の犯罪捜査や裁判権を日本政府(皇室&自民党軍事政権)が放棄して米軍に(ゆだ)ね、事実上、治外法権を約束した日米地位協定を付け足したことから同条約が改定されたこととなったため、最初の同条約は旧日米安保条約とも呼ばれる。)が整って9月8日に署名する運びとなったためその一か月前の広島原爆投下記念日である8月6日に大河内の追放処分は解かれたものの、既に大倭朝廷(現、皇室)からは用済みとなっている上、戦前から付き合いのあった後に首相となる田中角栄と東京電力株式会社(1883年(明治16年)に大倭朝廷(現、皇室)御用達の鉄砲商人の大倉喜八郎(おおくらきはちろう)と実家が養蚕(第116話『汚水』(注1)その3参照)と藍玉(あいだま)(染料用または薬剤と偽った藍の葉の生物(細菌)兵器)を製造販売する兵器メーカーを営み、自身は大蔵省(現、財務省及び金融庁)の官僚出身だった渋沢栄一(しぶさわえいいち)が設立した東京電燈(でんとう)株式会社を、これまた軍事専門家の福沢諭吉(ふくざわゆきち)を支持して慶應技術大学(福沢諭吉が1858年にイギリスの学校を参考に欧米の軍事科学(西洋兵学)を教える為に開いた私塾を起源とする大学である。)で兵器研究をしていた松永安左エ門(まつながやすざえもん)左衛門(さえもん)とは大倭朝廷(現、皇室)の家臣で退役軍人のこと。)が引き継ぎ、1951年(昭和26年)にGHQ(連合国軍総司令部)に頼み込んで原子力発電所(核兵器施設)の建設ができるよう取り計らってもらい、東京電力株式会社を設立した。2020年時点の従業員数は約37,891人、売上高は約5兆8,668億円、2021年時点も売上高は減少し続けており、30億円の赤字で、1千兆円を超す日本政府の巨額の赤字の名義を一部、移し、さらに税金を大っぴらに横流しさせる口実の為に起こした東日本大震災の原発事故(第116話『汚水』(注1)その4参照)による損害賠償金との名目で東京電力株式会社が肩代わりした借金総額は2021年時点は9兆7,047億円、ところが、既にその金額を超える9兆7,338億円の税金が政府補償及び原子力損害賠償交付金とやらの名目で流されており、今期もまた赤字の会社からわたし達、国民が納税した税金が返済される保証は何もない。なお、2016年に日本政府の赤字を引き継いで自社を民間に切り売りすることでしのごうと、電気料金(税金)をオークション(落札)形式の闇税制(第116話『汚水』(注1)その3のモンゴル帝国での専売制を参照のこと。)に切り替えれるよう電気事業法を一部、改正したため(電気事業法法律第47号)、東京電力ホールディングス株式会社に改称している。)が主導して再び原子力発電所(核兵器施設)の建設に動き出したことを知った大河内は、自分こそ原子爆弾開発の第一人者との自負があったため公職追放を解かれた今こそ再起が図れるものと思っていたようだが、戦後すぐに世間から遠ざかって70歳を超えた大河内にもはやかつてのような権勢はなく、下克上(下の身分の者が上の者を倒すこと。)を狙う田中達、新しい原発(核兵器)推進派に(うと)まれる結果となり、あえなく田中の指示により暗殺された。そして、大河内も290年前に大倭朝廷(現、皇室)に暗殺された先祖である松平信綱が埋葬されている埼玉県さいたま市にある平林寺(へいりんじ)の墓地に同じく埋められている。なお、その後も大倭朝廷(現、皇室)から用済みとされた臣民(奴隷)を暗殺する歴史は止まず、大河内の孫で1954年(昭和29年)に公開された水爆実験から生まれたとされる怪獣が都心を破壊し、その怪獣を阻止するといった口実でその当時の最新兵器を紹介した映画『ゴジラ』の最初のヒロイン役を演じた女優の河内(こうち)(旧姓は大河内)桃子(ももこ)は、1997年(平成9年)に37年間、続けていたキリスト教の宣教の為のラジオ番組『心のともしび』からの降板を願い出たため逆恨みされ、断ってから間もなくして体調不良を訴えて倒れ、日本赤十字医療センター病院(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)に運ばれた末、亡くなる直前には『心のともしび』の番組を創設した宗教法人カトリックの()牧者(ぼくしゃ)の会(=Good Shepherd Movement,1952年に日本が原子力発電所(核兵器施設)計画を始めた同じ年に京都市中京区にあるカトリック河原町(かわらまち)教会にて創設された宗教法人で、もちろん、カトリック(軍事総合商社)が抱える警備子会社であるが、直接、管理指揮しているのはアメリカのメリノール宣教会(=Maryknoll、Maryとはナザレのイエスの母マリアのことで、Knollは英語で「泣きわめく、葬式で号泣する」という意味なので、メリノール宣教会とは「処刑されたイエスの死を嘆き悲しむ母マリアのように標的者(ターゲット)を自分達の手で処刑した後、嘆き悲しむ振りをしてあげましょう」が本当の意味になる。1911年にニューヨーク州内に設立して以降、500近くの組織がメリノール宣教会に所属しており、主に本国のアメリカ、東アジア、中国、日本、アフリカ、南アメリカなどへ宣教師(暗殺者またはテロリスト)を派遣することが主な活動になっている。日本では1933年(昭和8年)から横浜に支部を置き、その後、大倭朝廷(現、皇室)の直轄下にある滋賀県から本格的に布教(傭兵勧誘及び寄付金集め)を始めた。)なので、カトリックの善き牧者の会は名前こそ違うものの、メリノール宣教会と全く同じ組織である。なお、日本でカトリックの善き牧者の会以外にメリノール宣教会に所属している組織はレデンプトール会(=the Congregation of the Most Holy Redeemer、1732年にイタリア南部にあるアマルフィ海岸から約2kmのスカーラ市に設立された男子修道会(傭兵訓練所)で、レデンプトール(=Redemptor)とはラテン語で「神(王室)への罪を贖わせる手伝いを行う」という意味になり、要するに王族や皇族の命に背いて裏切った標的者(ターゲット)を暗殺(処刑)してその罪を償わせるのがレデンプトール会の真の活動目的である。日本では戦後、東京と鹿児島を拠点にしていたが、その後、統合し、2021年現在、東京都渋谷区代々木にある東京準管区本部のみとなっている。)と2020年に解散した(?)と内閣府に申請している臨床パストラル教育研究センターという名のNPO(非営利団体)で、死を迎える病人のスピリチュアルケアを行うことが目的の団体らしく、団体の代表者となっているのはレデンプトール会の司祭である。)から派遣された牧師でレデンプトール会に所属する幹部でもある近藤雅広(こんどうまさひろ)という男が洗礼を行っていたらしく、37年間も布教番組の司会を務めながら洗礼を受けて信者になろうとしなかった河内桃子が今更、死ぬ直前にキリスト(人殺しの十字架)教に入信したがるとは到底、思えないので明らかに殺してでも無理やり入信を迫ったとしか考えられない。こうして、松平信綱から336年後の子孫である河内桃子も大倭朝廷(現、皇室)に散々、こき使われた挙句、暗殺(処刑)されているように、日本政府が今なお、三大火災の一つに1657年の明暦の大火を挙げるのは阿部忠秋と松平信綱の一族を味方につけたことで倒幕及び大政奉還(皇政復古)が成し遂げられたからである。しかし、それでも明暦の大火から1867年の大政奉還まで210年以上も倒幕に時間がかかったのはそれぐらい武断政治(武力(暴力)を断ち切って国民の生命と財産を守る政治)を行なった徳川家康から家光までの江戸幕府(徳川政権)の防衛力が高かったからで、 第116話『汚水』(注1)その1で話したロンドン大火災は世界三大火災の一つに数えられるが、この時の火災の延焼面積は約1.764㎢でありながらそれを消火するのに発生した1666年9月2日から6日まで5日間もかかっているのに対し、日本の明暦の大火の延焼面積は上述の通り、その13倍の約22㎢以上も延焼しているのにたった2日間でこれを鎮火している。それも江戸幕府(徳川政権)が行なわせていた灌漑(かんがい)(水を引き込む)事業で江戸城下に水路を張り巡らせていたからで、本来ならば通用門を閉ざすような倭人(人でなし)の役人がいなければ川に殺到した国民が死なずに済んだのだが、国民を傷つけ、殺すことしか考えない大倭朝廷(現、皇室)の言うことなら何でも従う役人達は指示された通り、隅田川への道を塞いだ為に2万人以上の国民が亡くなった。その反省を踏まえて徳川政権は幕府直轄で武家を中心とした定火消(じょうびけ)し(消防隊)を設置し、火元になりやすい(謀反(むほん)を起こしそうな)大名屋敷や旗本屋敷、寺社仏閣の一部を郊外に移して逃げ場になるような空き地も所々(ところどころ)に設け、瓦ぶき屋根や土蔵造りなどの耐火建築も奨励するようになったのだが、常設の定火消し(消防隊)というのは軍隊を設置するのと同じなので、それまで徳川政権としては火消しの制度を一時的に設けても常設しようとは考えていなかったのだが、家光の死後は大倭朝廷(現、皇室)に味方する者達が幕府内に増えてきたこともあって、結局、この常設された定火消し(消防隊)制度が次に大火災を生む原因となった。なぜなら、第107話『革命(2)』(注2)その3で話した赤穂事件を起こすきっかけとなった赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は火消し大名だったことから大倭朝廷(現、皇室)に命じられて1698年10月9日に勅額(ちょくがく)火事(東山(ひがしやま)天皇が書いた勅額(中国の皇帝や天皇などが寺院に渡す国家(政府)からの保護を証明する額縁のこと。)が届いたその日のうちに起きた火事だったため、勅額火事と呼ばれる。)を起こしており、この時、3千人の国民を焼死させると共に焼失した大名達の屋敷の中に偶然、吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷もあったことから火事が起きた原因を知っている吉良から強請(ゆすり)や脅迫を受けるようになって揉めるようになり、江戸城で浅野が吉良を斬り殺そうとしたのが赤穂事件の発端である。つまり、最も不審がられず放火した後、火元にいても火を消す為に迅速に駆け付けたとの言い訳が通用するのは火消し大名や定火消し(消防隊)といった肩書がある者なのだから、そんな肩書と共に捜査及び逮捕拘留などの警察権や裁判といった司法権まで付けて武器も携帯できる者を常設すれば当然、放火はやり放題になる。それゆえ、上述した火災件数が倍毎に増えていく訳で、1772年4月1日に起きた明和の大火も付け火によるものだったのだが、犯人は直接、火を付けた住所不定の元僧侶だけではなく、実はその犯人を捕まえた火付盗賊(ひつけとうぞく)改方頭(あらためがたかしら)(現代で例えるなら警視庁刑事部捜査一課長。)の長谷川宣雄(はせがわのぶお)も共謀して行った犯行だった。そして、父親は養蚕(生物(細菌)兵器)と関わりの深い錦糸問屋の番頭、母親は(かざり)職人(または飾職人とも書く。金属を加工してかんざしや煙管(きせる)、金づち、武器の部品などを作る職人のこと。)の娘で、自身は東京都の職員で市役所に勤めていた時代小説家の池波正太郎(いけなみしょうたろう)が書いた『鬼平(おにへい)犯科帳』(1967年発刊)の主人公、長谷川平蔵(はせがわへいぞう)のモデルとなっているのがこの長谷川“平蔵”宣雄である。そう言うと、この小説の愛好者(ファン)の方々などからは長谷川平蔵のモデルは宣雄の息子の長谷川“平蔵”宣以(のぶため)だとのご指摘を受けるかもしれないが、正確に言うと、モデルになっているのは長谷川平蔵親子であって、どちらか一方だけではない。なぜなら、父親の宣雄が火付盗賊改方頭になっていなければ信以(のぶため)も同じ役職に就くことはなく、現代において小説を始め、ドラマや映画で彼の名前が世に知られることもなかったからである。つまり、この父親の宣雄が大倭朝廷(現、皇室)の為に火付け=放火テロを実行したからこそ彼の犯行を称え、現代もなお、小説やドラマ、映画といったマスメディア(大衆洗脳宣伝媒体)を使って彼ら親子を美化し、犯罪者とは程遠い善人に仕立ててその犯行に勘づかれないようにしたのがその『鬼平犯科帳』というフィクション(虚構)の歴史小説だった。では、どうして明和の大火が起きてから250年近く経った今でも彼らの犯行を隠し続けることになったのかと言うと、タリースティック(国庫の財政記録を記した木板)を火事のどさくさに紛れて燃やしたイギリス王室(政府)(第116話『汚水』(注1)その1参照)と同じく、大倭朝廷(現、皇室)も自分達が裏で密かに集めていた軍資金を含めた財政の全貌が明らかになる書類一式を幕府(徳川政権)の目には触れさせないよう、また、後世において国民が皇族に不信や不満を抱かないよう燃やしてしまったからである。そして、その書類一式を保管していたのが8代将軍だった徳川吉宗(とくがわよしむね)と共に大倭朝廷(現、皇室)に有利になるよう上米制(あげまいのせい)(税金を別途、寄付すれば参勤交代制が緩和される制度。第116話『汚水』(注1)その5参照)や改鋳(貨幣の金属を減らして貨幣量を増やすこと。つまり、悪貨を増やす経済政策。第116話『汚水』(注1)その5参照)などの、いわゆる享保(きょうほう)の改革の陣頭指揮を執った父の跡を継いで老中として大倭朝廷(現、皇室)御用達の商人達から賄賂をもらい、公共事業(税金の仕事)を回す重商主義政策を行ったことで知られる田沼意次(たぬまおきつぐ)と、その田沼の経済政策が失敗したことで次に政権を握ってそれまで以上の倹約を国民に強き、不測の事態(自分達が起こしているテロや兵器実験による飢饉や災害)に備える為の備蓄米と偽っていっそう年貢高(税額)を上げる寛政(かんせい)の改革を行ったことで有名な老中の松平定信(まつだいらさだのぶ)で、彼ら二人以外にも幕閣には大勢、賄賂の受け渡しをしていた大名達もいたため、江戸城周辺にある彼らの武家屋敷を一気に焼失させて証拠隠滅を謀ったのが明和の大火だった。この明和の大火で亡くなった国民の数は1万4,700人、行方不明者は4千人、当時の世相を描いた随筆家の神沢杜口(かんざわとこう)が著書の『翁草(おきなぐさ)』(1784年発刊)の中で火事が起きた明和9年(1772年)の元号を皮肉って「“めいわ九”(=迷惑)な年」と言ったように、まさに大倭朝廷(現、皇室)の都合で虐殺され、家や仕事、財産を失い、路頭に迷わされた国民にしてみれば本当に大迷惑で、いい加減にしてもらいたいのだが、日本の神(支配者)を気取る大倭朝廷(現、皇室)はそんな国民の声よりも自分達の間の権力闘争と財政難を何とか(しの)ぐことしか頭にないため朝廷内で最も金遣いが荒そうな桃園(ももぞの)天皇とその側近を排除し(宝暦事件 1756年~1762年)、桃園天皇達に税金が流れるよう経理を誤魔化してきた口向役人(くちむきやくにん)(朝廷内の帳簿管理などの経理や総務の実務を行なう職員)達も一掃して新たな天皇として擁立した光格(こうかく)天皇の下、大倭朝廷(現、皇室)の財政を建て直すため、解雇(リストラ)する予定の口向役人達の不正を幕府にわざと通報する直前に(安永の御所騒動 1773年~1774年)自分達に不都合な書類は先に焼却しておこうと江戸城下に火を放ち、いつもの復興政策で強制的に国民に物を買わせ、儲けようとしたようだが、長年、コツコツと緻密に築いてきた産業基盤や個々の労働者を一度、傷つけ、失ってしまうと、それを元に戻そうとするのは死者を蘇らせるのと同じく不可能なので、儲かるどころか、よりいっそう深刻な不況を招くことになる。そのため、大倭朝廷(現、皇室)の傀儡(かいらい)となった幕府(江戸政権)はどんどん衰退していったのだが、この頃はまだ、大倭朝廷(現、皇室)も幕府(江戸政権)以外に財源がなかったことと、『禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)』が彼らを規制していたことから一緒に共倒れしていくだけだった。しかし、その後、イギリス王室(政府)に借金して大政奉還(皇政復古)したことにより日本全土と日本国民を欧米諸国にむざむざと明け渡し、現在の1千兆円を超す財政破綻を生む結果にも繋がっていくのだが、それは後でゆっくり語るとして、ともかく日本政府が江戸の三大火災の一つにこの明和の大火を挙げるのは財政と人事の刷新を図って大倭朝廷(現、皇室)を存続できた記念日にしているからである。また、火付盗賊(ひつけとうぞく)改方頭(あらためがたかしら)を味方につけたことも理由の一つで、長谷川親子は二代に渡って自作自演の放火&逮捕劇を演じ、大倭朝廷(現、皇室)の上納金の為に贈収賄を始めとしたあらゆる犯罪を犯したが、結局、他のスパイや白水真人(軍資金を貢ぐだけの家臣)達と同様、大倭朝廷(現、皇室)から用済みとされた途端、知りすぎて口を割りそうな者は始末するとの闇社会の掟(法律)に従い、親子共、50代で殺された。その後、この定火消し(消防隊)を装った放火犯(テロリスト)達は、火消し大名や火付盗賊改方頭といった武士(軍人公務員)から町火消(まちびけ)しと呼ばれる町人、つまり、一般人にもその肩書が与えられて火元の範囲や手口も拡大されてますます悪質になっていき、件数もさらに倍増することとなった。ちなみに、明和の大火の火元となった現在の東京都目黒区行人坂(ぎょうにんざか)大圓寺(だいえんじ)(または大円寺)には火事で焼け出された商家の娘が避難先で出会った寺小姓(てらこしょう)に恋をし、もう一度、火事になればその寺小姓に会えると思って放火して捕まり、火炙(ひあぶ)りの刑で死ぬという悲恋の物語で有名な八百屋お七にちなんだ地蔵が置かれていて、同じ行人坂にはお七の井戸、文京区白山にある円乗寺(えんじょうじ)にもお七の墓まで作られているそうだが、八百屋お七なる人物が知られるようになったのは『天和笑委集(てんなしょういしゅう)』(1684年に発刊)という1682年~1683年に起きた放火事件について詳しく記された本が出版されたからだが、その題名にある通り、“笑委集”とは現代風に言えばジョーク集で、冗談話である。要は、実際の放火犯達が火災現場で見聞きした様子を大倭朝廷(現、皇室)に報告すると共に、自分達の犯行が露見しないよう妄想ででっち上げた一般人にその罪を(なす)り付け、世間に実話として広めて自分達、大倭朝廷(現、皇室)の仲間内では笑い話の題材(ネタ)としてまとめた本がその『天和笑委集』で、『鬼平犯科帳』と同じく実在しない事件や美談、犯罪者の弁解話などを本や芝居、歌舞伎や映画にして何度も同じ話を繰り返し、大衆の目や頭に叩き込むことが彼らの常習的なプロパガンダ(大衆洗脳宣教)方法なので、八百屋お七なる人物はどこにも存在せず、お七の地蔵も井戸もお墓も大倭朝廷(現、皇室)が軍資金を集める為に設置しているものである。その証拠に、江戸三大火事として最初に挙げられている明暦の大火は別名、振袖(ふりそで)火事と呼ばれており、なぜ、振袖なのかと言うと、商家の娘が寺小姓に一目ぼれして恋(わずら)いで病死し、葬儀の際に棺桶に掛けた振袖がなぜか古着屋に売られて別の娘の元へ持ち込まれ、それを身に着けた娘も病死し、何度も不幸を呼ぶ振袖だから供養しようと寺の僧侶達が振袖を焼き払おうとするとそれが舞い上がって明暦の大火になったという、子供騙しでも首をかしげたくなるような低劣な作り話だが、物語の舞台となっているのは毎度、呪いや供養、出会いの場といったキャッチフレーズで信者や観光客を呼び込もうとし、それでいて火事の出火元になるのはいつも寺なのだから八百屋のお七の話と振袖火事の話の出所(でどころ)がどこなのかはもうお分かりいただけたかと思う。だから、その八百屋お七の恋した寺小姓が西運(さいうん)という僧侶になった後、諸国を渡り歩いてお七の話を広め、地蔵や石仏などを自分の寺で造るようになったというのもその西運こそ実際の放火犯だったからで、この男の口の上手さと作り話に乗せられてそれを真に受け、浄財とやらの寄進をする人達が後を絶たなかったらしく、その結果、何十万人もの国民を焼死させた凶悪テロ犯罪者達を放置し、また、何度も同じテロを続けさせることとなった。そして、三大火事の最後に挙げられている1806年4月22日の文化の大火はその一月(ひとつき)前の3月15日に幕府(徳川政権)から出された薪水給与令(しんすいきゅうよれい)(日本近海を航行する外国船が水や食料、燃料を求めてきたら争わずにそれらを差し出し、日本に上陸させない制度のこと。鎖国制度を存続させて特に欧米諸国との武器取引を含めた交易関係を結ばない政策である。第107話『革命(2)』(注2)その3参照)に抗議する形で明和の大火の陰謀で即位した光格天皇が起こした火事であり、この頃には欧米諸国との武器密輸が盛んだったことから頻繁に海外から密輸してきた兵器実験を繰り返していたため地震や火山噴火、凶作、飢饉、洪水なども頻繁に起きていて、国民の暮らしはますます荒廃していき、それに対して幕府(徳川政権)の無策ぶりを非難し、いかにも貧困に(あえ)いでいる国民の暮らしを思いやって救ってあげようといった振りだけする朝廷(現、皇室)が『禁中並公家諸法度』に反して政治に介入し、160年以上も前に徳川家光が考え出した救小屋(すくいごや)(食事や仕事の提供を行う避難所)の設置や救米銭(すくいまいせん)(支援金)を求めるなど、一時的に税金をばら撒いて人気取りを行い、復権を狙ったもので、また、長崎のオランダ商館に出向いてまで蘭学(オランダを中心とした欧米の軍事科学について研究する学問のこと。)に入れ込んでいた薩摩藩藩主の島津重豪(しまづしげひで)が軍医で兵器研究家だったフィリップ・シーボルトを始めとした欧米人達から教わった方法を真似て原子爆弾の仕組みを解明する兵器実験に成功したため、東京都港区芝公園内にある増上寺(ぞうじょうじ)の五重塔が落雷で焼失し、増上寺の近所にあった薩摩藩の上屋敷も一緒に燃えることとなった。しかし、出火原因はもとより、出火元が幕府(徳川政権)に知られてはまずいのでわざわざ増上寺から南へ向かって40分ほど歩いたところにあった材木座(木材集積場のこと。)に上述の町火消し(民間消防隊)を装った放火犯を派遣し、出火元を偽装しようと燃えやすい材木に火を放たせた。そうして起きたこの文化の大火で亡くなった国民は1,200人余り、延焼した町は木挽(こびき)町、数寄屋橋(すきやばし)、京橋、日本橋といった530町にも及び、12万6千戸の家屋が焼失して再び大勢の国民が路頭に迷うことになった。だが、そんな国民の窮乏や大切な家族や恋人、友人知人を失くした悲痛な叫びは今もなお、日本政府(皇室&自民党軍事政権)には届かないため彼らは単に原子爆弾の開発における第一歩になった記念日としてその文化の大火を江戸三大火災の最後の一つに挙げている。なお、文化の大火を別名、丙寅(ひのえとら)の大火と呼ぶのは、古代中国の天文学に従うなら1806年が丙寅の年となり、火事の起こった旧暦の3月4日はこれまた古代中国の占星術に従うなら凶会日(くえにち)と呼ばれる一家一門を亡ぼす滅亡の日である一方、神吉日(かみよしにち)という祖先を祀ったり、神事や祭礼を行うには絶好の日となっており、さらに(ひのえ)は「火の()」とも書き、(とら)という漢字は家の中で矢をまっすぐに射る姿から作られた文字なので、つまり、日本国の長男で神の子孫を名乗る大倭朝廷(現、皇室)が徳川家を亡ぼして倒幕を果たす儀式を行う為に家(増上寺)の中で矢(原子爆弾=火矢)をまっすぐに徳川家に向けて射る日だったから丙寅の大火と呼んでいて、最初から兵器実験を行なう日にちを占星術で慎重に選んでから行なっていたことがまざまざと分かる記念日名になっている。)で破壊された町や村々、贔屓にしている個人の家や屋敷、商家、工場などの復興支援をする際にも尾張藩の木材を大量に融通させていったため、異常な災害頻度に木々の成長が間に合わずどんどん木材が減っていくようになった。そして、天然資源が枯渇するようになれば無論、それを売って食べている尾張藩の国庫も枯渇していく。しかし、白水真人(軍資金を貢ぐだけの家臣)となった尾張藩藩主の徳川光友にはそれを止める(すべ)はなく、ひたすら木材を伐採し続けて大倭朝廷(現、皇室)に催促されるまま売って上納金を納めるか、神社仏閣(軍事施設)の造営にほとんど無料で木材を提供するしかなかった。ところが、この窮乏する尾張藩に意外な救世主が現れた。それが光友の長男で後に尾張藩3代目藩主となる綱誠(つなのぶ)が10番目に迎えた側室の(ふく)(未亡人になってからは本寿院(ほんじゅいん))という女性だった。綱誠(つなのぶ)の側室は全部で17人、なぜ、そんなに多くの妻を綱誠(つなのぶ)が娶ったのかと言えば、正室に迎えた新君(にいぎみ)がかつて豊臣秀吉の猶子(ゆうし)として関白職を約束されていたにも関わらずそれを反故(ほご)にされて大倭朝廷(現、皇室)に告げ口し、豊臣一門を破滅に追い込んだ八条宮(はちじょうのみや)智仁親王(としひとしんのう)(第116話『汚水』(注1)その5参照)の血を引く娘で、本人も非常に嫉妬深く大倭朝廷(現、皇室)から放たれた刺客でもあったため、そうそう気を許せる相手ではなく、また、徳川家の子孫は誰彼となく大倭朝廷(現、皇室)からその生命を狙われていたため、家門や自分の子孫を存続させていくには一人でも多く跡継ぎとなる子供を産んでもらうしかないため必然的に多くの女性と結婚し、子供も40人近く生まれたのだが、それでもそのほとんどが夭折(ようせつ)した。その中で新君(にいぎみ)がまだ存命中で(後に彼女の実家を継いだ養子の広幡豊忠(ひろはたとよただ)と財産相続の件で揉めて殺されるが)正室として尾張藩に君臨していた頃、彼女の手にかかってことごとく綱誠(つなのぶ)の後継者となる子供達が幼子のまま死んでいく最中、唯一、庶民の出ながら公家出の新君(にいぎみ)から我が子を守っていたのが(ふく)だった。絶世の美女の上に頭も良く、目上の武将でも臆するところがない飾り気のない女性で、新君(にいぎみ)にしてみれば最も嫉妬と憎悪をたぎらせていじめやすい相手である一方、その新君(にいぎみ)から尾張徳川家を守り抜きたい夫の綱誠(つなのぶ)にとって新君(にいぎみ)から受ける心ない嫌みや皮肉、虐めにも耐え抜き、毅然と我が子と尾張徳川家の盾になろうとしてくれている(ふく)と彼女の生んだ藪太郎(やぶたろう)(後に尾張藩4代目藩主となる吉通(よしみち))は彼女の優しさと忍耐強さ、頭脳の明晰さを受け継いで後継者となるまさに期待の星だった。その側室の福が尾張藩の救世主となったのは彼女が元々、材木問屋の娘だったからである。公家や武将では分からない実際の労働現場を見て育った福からすれば、尾張藩の経営では今後、主要な稼ぎ所となっている材木業が立ち行かないことが見て取れた。そこで早速、夫の綱誠(つなのぶ)を通じて彼女が実家で学んだ材木の知識や技術を尾張藩に伝えていったのだが、それが尾張藩の武将達にとっては今まで聞いたこともないような革新的な改善策だった。なぜなら、木を育てるにはなるべく鳥を殺すなというものだったからである。そもそも、大倭朝廷(現、皇室)を始めとした日本の武将は鷹狩りなどの狩猟を生業(なりわい)にしていた者が多く、その狩猟範囲を広げていく為に武力(暴力)で縄張り争いをするようになったので、“鳥を殺すな”は「狩猟をするな、武士を止めろ」と言われたぐらい衝撃的なことだった。しかも、森林を育てるという発想自体、山や森が勝手に存在しているとしか思っていない武将達にとって皆目、見当もつかず、誰もが目を丸くした。だが、木は人間や他の動物と同じ生き物なので病気もすれば、老いて死ぬこともある。だからこそ、その病気を防ぎ、良質の木材になるよう大きく育てるには木に巣食う害虫から木々を守っていくしかない。その害虫を食べてくれるのが鳥だった。要するに、自然の食物連鎖をなるべく壊さないでその生命を上手く活用しながら山や森を再生させようというのが福の考えた改善案だった。もちろん、当初は綱誠(つなのぶ)が直接、福の話を聞いてそれを指示するのだから尾張藩の家臣達は主君の光友の跡継ぎである綱誠(つなのぶ)が考えたものと思って黙って従う。その結果、福の考えた巣山(鳥の巣を守る山)制度は尾張藩独自の森林保護政策として定着するようになった。次に福が提案したのは木をやたらと伐採するなというものだった。これもそれぞれの木が持つ性質や特徴を考えず木は皆、同じと考えて好き放題に伐採していけばそれぞれの木の性質や特徴で支え合って成長している山や森の環境が壊れていく。人間社会と同じだった。だから、「“木一本、人間の首一つ”と思って大事に扱うべきだ」と説いて他の樹木より成長が早く量産しやすい針葉樹であるヒノキ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ、サワラの木曽五木(ごぼく)と呼ばれる種類の木は尾張藩が財源の為に管理し、それ以外の木は今まで通り、領民達に自由に使わせることにした。いわゆる留山(とめやま)留木(とめき)(または停止木(ちょうじぼく))というもので、福の改善策の意味が全く分かっていない明治以降の日本政府(皇室&自民党軍事政権)は木曽五木は高級な木材だから領民達に使わせないようそれらの木が植えられている山への立ち入りや伐採を禁じ、その掟を破った者は斬り殺されたから“木一本(を伐採したら)、首一つ(が飛ばされる)”と言っているようだが、そうではなく、すぐに大きくならない他の木々を守る為に伐採する木の種類を限定しただけで、領民達に使わせない為ではない。つまり、留木とは「伐採を保留すべき木の為に5種類の木の方を先に伐採しましょう」という意味である。それを誤解した日本政府(皇室&自民党軍事政権)は自分達が古来から生物(細菌)兵器として使っている香木の一つであるヒノキ(漢字は“檜”が一般的だが、古来においては“火の木”とも書き、木を持って()う=知らない者同士が出会い、材木で造られた武器や兵器を使って戦うとの意味から檜と書かれるようになった。軽くて加工がしやすい上、強度や耐久性もあるヒノキは要塞を築くにはうってつけの素材で、しかも、第116話『汚水』(注1)その5で香木から生じるカンファー(カンフル)や丁子油(ちょうじゆ)の話をした通り、ヒノキにも毒素があるため香りを発するのだが、少量ならば皮膚や脳を刺激し、炎症を抑えたり、リラックス効果があるものの、大量に吸いすぎると害になる。そのため、ヒノキを使った風呂場で入浴するだけの短時間なら頭がすっきりして癒され、リラックスできるかもしれないが、ヒノキ材に囲まれた部屋で長時間、過ごしていると頭痛や吐き気、めまい、目やのどの痛み、息苦しくなるといったシックハウス症候群にかかることがある。ヒノキ自身も害虫から身を守る為に免疫(自己防衛力)として毒素を持っているからで、それを大倭朝廷(現、皇室)は悪用して生物(細菌)兵器にして高値で売買しているから“高級”木材と呼んでいるだけで、本来は大量生産しやすい、つまり、安値で売買できる素材だった。だから、伊勢神宮を始めとした神社仏閣(軍事施設)の造営の度に大量発注してくる大倭朝廷(現、皇室)の無理難題にも対応できていた訳で、今でも全国に産地があって生産しやすいことから有名産地を偽って高値で売買しようとする産地偽装が問題となっている。また、木材の毒素は上述したアスナロ(またはヒバ)や台湾ヒノキなどにもヒノキチオールと呼ばれる毒素が含まれていて、毒なのでシロアリやゴキブリなどの害虫を寄せ付けない為の建材として使うにはいいかもしれないが、使い方によっては住む人の健康状態に関わるため家を建てるなどを検討されている方々はどうかその点をよくお考えいただきたい。なお、建材以外で最近はこのヒノキチオールを使った薬剤や化粧品などが市販されているらしいが、毎日、口に入れたり、皮膚に塗るような食品、薬剤、化粧品に毒のある成分を含有(がんゆう)すること自体、論外なので、どうか読者の皆さんはくれぐれも生命に関わる危険な成分が入っていないかどうか食品、薬品、化粧品類を購入する際は成分表にご注意いただきたい。)がその木曽五木に含まれていたこともあって、現代でも尾張藩は厳罰でもって木曽五木が植えられている山への入山や伐採を禁じたと教えているのだが、木曽五木などの針葉樹の多くは高温多湿を嫌い、日当たりのいい場所でしか育たないため林業を行う上である程度、伐採が必要になる。それを伐採してはいけないと今も日本政府(皇室&自民党軍事政権)が教えるのは一般大衆以上に木々の性質や特徴を知らないのか、それとも故意に国民の健康を損なわせる為にそうしたトンデモ歴史や科学説を唱えるのか(トンデモ歴史の例としては、林野庁の中部森林管理局のサイトでは尾張藩が巣山制度を設けるのは1615年、留山は1665年としているが、日本で初めて林業教育を始めたとする木曽山林学校が前身である木曽山林資料館では巣山制度は1618年、留山制度は1664年、綱誠(つなのぶ)の男系子孫が途絶えて以降、尾張徳川家の末裔を名乗る養子で2.26事件にも関与し、軍拡を支援するため何かと政財界を騒がせていた19代目の尾張徳川家当主の徳川義親(とくがわよしちか)が建てた東京都豊島区目白にある公益社団法人徳川黎明(れいめい)会所属の徳川林政史研究所によれば巣山制度の年代は不明だが、留山制度は1645年(寛永21年)となっていてどれも年代がバラバラである。ところが、尾張2代目藩主の光友が尾張藩の家督を継いだのが1650年、元の名前だった光義を棄てて光友に改称し、白水真人(軍資金を貢ぐだけの家臣)として大倭朝廷(現、皇室)に改めて忠誠を誓ったのが1672年からなのでそれまでは資金繰りに余裕がなければ白水真人(貢ぐ君)になろうとは考えないだろうし、わざわざ巣山や留山といった山林経営の制度改革に乗り出し、財政再建を行う必要もなかったはずである。)、あるいは「木曽路はすべて山の中である。(芥川龍之介が1922年に発表した小説『藪の中』を真似て様々な人々の証言が食い違って真相がうやむやになるとの意味から“山の中”。)」で始まる木曽郡馬籠(まごめ)(現、岐阜県中津川市馬籠)出身のファンタジー(妄想)小説作家で日本ペンクラブ(外務省文化事業部の課長だった柳澤健(やなぎさわたけし)が「国境のない普遍的文学価値の共有」、「平和への希求と憎しみの除去」、「ペンは国内および諸国間において、思想の伝達を妨げてはならず、全世界において可能な限り、表現の自由に対するあらゆる形態の抑圧に反対し、平時における専制的な検閲にも反対する。ペンはより高度に組織化された政治・経済の秩序へ向かう為に、世界が必要な進歩を成し遂げるには(立法・司法を含む)政府、行政、諸機関への自由な批判が不可欠であると信じ、また、自由には自分の我欲(エゴ)や保身を抑制しなければならない時もあるため、政治的・個人的な目的の為に欺瞞(ぎまん)に満ちた出版、意図的な虚偽、事実の歪曲を行なうといった、表現の自由の悪用に反対することを誓う。」といった国際P.E.Nクラブ(=PEN International、第107話『革命(2)』(注2)その2でイギリスが南アフリカを侵略した際に劣悪な強制収容所を建てたキッチナー子爵の話をしたと思うが、このキッチナー子爵の支援により第一次世界大戦時に仕事を求める女性の募兵制(志願兵制度)を設立した作家のキャサリン・スコットと、キングストン・アポン・テームズ王領に住む資産家の息子で『The Forsyte(フォーサイト) Saga(サガ)(邦題だと『フォーサイト一族物語』1906年~1921年発刊)』でノーベル賞を受賞したジョン・ゴールズワージィーが第一次世界大戦終結後の1921年に創設した作家や創作者を装うスパイ達が軍事情報を交換し合う国際スパイ交流団体である。なお、団体名のPENとはPoet(ポエット)(詩人)、Playwright(プレイライト)(劇作家)の頭文字のP、Essayists(エッセイスト)(随筆家または評論家)、Editors(エディターズ)(編集者)の頭文字のE、そしてNovelist(ノベリスト)(小説家)の頭文字のNということだそうで、思い入れもないせいか、世界各国の名だたる創作者達が集う団体にしては味もそっけもない団体名になっている。)の“憲章(約束)”を表向きに掲げて、それとは真逆に日本国内で軍拡を推し進めるため第二次世界大戦の準備を始めたドイツのナチス党が国際連盟を脱退して間もない1か月後の1935年11月26日に結成された日本のスパイ交流団体である。一応、世間には反皇室、反政府、反権力団体ということになっているため、日本ペンクラブが言う“思想、良心の自由”や“国家機密法(正しくは「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」で、通称、スパイ防止法案。外務省職員を始めとした公務員の守秘義務を定め、日本政府(皇室&自民党軍事政権)にとって都合の悪い機密事項や文書などを漏洩、紛失した場合、日本政府(皇室&自民党軍事政権)がこの公務員(国民)を死刑または無期懲役にできるとした事実上の報復、仕返し法案である。要は上述した8世紀から伝わる「見猿、言わ猿、聞か猿、振り返え猿」との犯罪者同士が交わす闇社会特有の脅しの掟を1972年に沖縄返還に関する日米政府の密約を外務省の女性職員と性交渉(セックス)して聞き出し、特ダネ記事にしたとされる毎日新聞記者の西山太吉(にしやまたきち)を例に挙げて当時の首相だった佐藤栄作(さとうえいさく)が提案したもので、毎日新聞社自体、関東大震災の際にデマ記事を出回らせて朝鮮人を始めとした一般市民の虐殺を扇動していた日本政府(皇室&自民党軍事政権)御用達の新聞社(第115話『生命』(注1)参照)である上、記者の西山も山口県下関市の地元では名の知れた青果業を営む有力者の息子だそうで、加えて兵学を学ぶ私塾が始まりの慶應技術大学卒というのだから漏洩事件そのものが何だかヤラセ臭い。しかし、当時はまだ、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、戦時中の飢えや窮乏、苦痛と虚しさを心底、嫌う日本国民が多かったからこそ日本はもちろん、世界の平和と繁栄を願うその良識ある世論が一時はこの国家機密法案を廃案させたが、軍需産業頼みの日本経済がバブル(見せかけの景気)の崩壊と共に破綻に向かうにつれ、人々の暮らしも心もどんどん荒廃していき、生活苦からその場凌ぎの日々の稼ぎに心奪われ、おかしいなとは思ってもその日々の稼ぎを失いたくないばかりに上司や経営者、日本政府(皇室&自民党軍事政権)の不正や間違い、理不尽にも目や耳を(ふさ)ぎ、皆が得する公益より誰かを犠牲にしてでも自分だけが得られる私益を優先するようになり、そうして明治以降、自分達の数々の失策と愚行で日本の国土も国民も根こそぎ欧米諸国に奪い盗られているのにその彼らから下げ渡されるわずかなおこぼれに尻尾を振る日本政府(皇室&自民党軍事政権)は、欧米諸国に言われるがまま9.11の官製テロ事件を引き金にアフガニスタン侵攻を後方支援する為に再び自衛隊法を改正し(2001年10月1日改定の第59条及び第96条の2「防衛機密規定」参照)、さらに2003年にはその闇の掟の対象を一般市民にまで広げる個人情報保護関連五法が成立して、その他にも「特定秘密の保護に関する法律」(通称、特定秘密保護法。2013年12月13日制定。)や「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(略称は通信傍受法。1999年8月18日制定)、「不正アクセス行為の禁止等に関する法律」(略称は不正アクセス禁止法。1999年8月13日制定。)等々、もはや国民の誰も知らないような法律が次々と制定され、まるで2千年前のイスラエルでユダヤ教の僧侶や教師達が「戒律、戒律」と叫んで大衆を厳しく取り締まっていたあの頃(第42話『神聖』及び第74話『法の行方(2)』参照)と変わらない、その国(土地)に住む全員の自由と平和と繁栄の未来を志したローマ法の理念(目的)が理解できず自分達、強盗、強姦、人殺しを好き放題にできる野蛮で非文明な掟をNovel(ノベル)(新しい法律)と言ってローマ法の中に紛れ込ませ、すり替えた東ローマ帝国(第116話『汚水』(注1)その4参照)にも似て、古代からの既得権益にしがみつく日本政府(皇室&自民党軍事政権)は自分達、仲間内からの裏切りや漏洩、うっかり流出などを叩き合う為に無関係な国民まで巻き込んでいろいろ法律を制定することに必死だが、それだけたくさんの法律で縛ってもお互い元々、利害関係で結びついているだけで“信頼関係=信じ合う心”が無いせいか、内部情報の漏洩事件や流出騒ぎは防げていない。)のような表現の自由や国民の知る権利を妨害する法律には反対する”、また、“いかなる国の核兵器と核実験も容認しない”、“生命と人権、言論・表現の自由を守る為に活動する”といった基本理念は建前であって、実際にはその理念に(かな)ったそれらしいペンの動き=創作物は何一つない。)の初代会長の島崎藤村(しまざきとうそん)が書いた『夜明け前』(1929年~1935年発刊)の主人公のモデルとされる島崎の実の父で、馬籠の庄屋(村長)だった島崎正樹(しまざきまさき)が尾張藩の財源である木曽山林の所有権を狙って大倭朝廷(現、皇室)の倒幕に賛同し、幕府(徳川政権)の行政を妨害しようと度々、地震や放火といった官製テロに加担し、それこそ島崎の一族全員が大倭朝廷(現、皇室)の手先となって大政奉還(皇政復古)後もフリーメイソンのメンバーだったモーツァルト一家のように(第116話『汚水』(注1)その1参照)妻や娘、嫁(島崎藤村の名目上の妻。藤村自身は隠れ同性愛者だったのでそれを偽装する為に度々、政略結婚を行なった。)や孫娘(藤村の姪の島崎こま子)まで軍資金や人脈作りの為に売春を行い、父親が分からず生まれた子供達は全員、生物(細菌)兵器の人体実験に使って虐待死させ、さらに父親の正樹が大倭朝廷(現、皇室)の手先になったせいで“親譲りの憂鬱(ゆううつ)”と藤村が愚痴るほど藤村も含めた正樹自身の子供達も同じく生物(細菌)兵器となる新薬などの実験台にして、そうまでしてようやく手に入れた木曽山林も綺麗事を並べては人を騙す嘘だけは達者だが、それ以外はこれと言って才覚がないぐうたらな正樹は経営に失敗して破綻させてしまい、結局、大倭朝廷(現、皇室)が正樹や島崎一族から木曽山林の経営権を召し上げて御料林(ごりょうりん)(皇室の私有財産とする山林)にしたため木曽山林は国有林になったのだが、根っからの山師(やまし)(武器や兵器を造る為に鉱山を探したり、採掘を行う者や兵器となる毒のある樹木を探したり、伐採する者、賭博(ギャンブル)や投機的な事業を行って軍資金を作ろうとする者などは当然、犯罪者が多いため、そこから山師は「詐欺師」を意味するようになった。)だった正樹がどこまで尾張藩の行なっていた経営方法を知っていてそれを自分達に正直に話したのかが正樹と同じく国家経営に一度も成功したことがなく、まして山林の知識や技術はもちろん、実際に現場で働いたことすらない大倭朝廷(現、皇室)とその家臣達に分かるはずもなく、いろいろ木曽山林の関係者を集めて話を照らし合わせてみたものの、“山(藪)の中”となってしまい、以来、正樹の言った通り、尾張藩は木曽五木を村人達に切らせないようにしていたという話を日本政府(皇室&自民党軍事政権)はそのまま信じてしまったのか、その真意については読者の皆さんのご判断に任せるが、いずれにせよ、そのせいで日本の森林の約2割は発がん性や毒性が報告されているセドロールが主成分の杉の木とヒノキが人為的に植えられてほぼ伐採されないまま毎年、杉の木やヒノキが原因とされる花粉症の患者数が国民の2割を超えているらしく、さらにそれを治療する為に医者や医薬品に頼り、薬害や医療過誤に遭って新たな病気や障害を負わされる人もいる他、広葉樹と違って実がならない杉の木やヒノキのせいで山にいる熊や猿などの野生動物達が飢えることになり、里に下りてきて田畑を食い散らかし、それで人と争うことになって人に襲い掛かり、人に重傷を負わすこともある。さらに「入るな、切るな」とする国有林が日本の国土の3割も占める中、2020年4月1日から改正した「国有林野の管理経営に関する法律」が施行され、落札した業者が50年間、指定された同じ場所で自由に伐採できるとした樹木採取権制度や、国有林以外の民有林についても都道府県が指定した業者に所有者の許可なく伐採ができるとした「森林経営管理法」(2019年4月1日制定)が定められてこれまでの姿勢とは逆に伐採する姿勢を見せ始めたが、ほぼ誰も口出しができないような独立採算制の林野庁は1997年(平成9年)から『林業白書』(林業に関する年次報告書のこと。)で輸入木材や木材以外の建築資材の価格競争に敗れ、林業に携わる労働者の高齢化や“きつい(Kitsui)危険(Kiken)給料(Kyuryo)が安い”のいわゆる3K職業ゆえに若者達から嫌われて労働者も不足し、林野庁自体が既に3兆8千億円の借金を抱えて破綻していることを認めていて、その借金の一部である2兆8千億円も国民には黙って他の借金に混ぜ込む一般会計に繰り入れ、残りの1兆円の借金だけを国民には見せる形に粉飾したのだが、それでも借金は止められず、2020年時点の借金額は約1兆1,866億円で、どこからか税金を投入して穴埋めしてもこの結果である。そんな赤字体質の林野庁が指揮を執って彼らの指定する民間業者に伐採させ、新規事業を行っても失敗するのは目に見えていて、それでなくても管理の悪い国有林が毎年のように土砂崩れを起こして多くの国民を殺傷している上に、新しく制定された法律も相変わらず林野庁が決めた場所でしか伐採できず、彼らの指定業者が伐採し尽くして禿山(はげやま)になったら林野庁が税金で植林すると言っていて、1千兆円超の借金を抱えて国民の医療費や福祉に使う税金すらもケチって節約を唱えている日本政府(皇室&自民党軍事政権)がわざわざ木一本の為に税金を使って植えてくれるはずもないだろうから単なる口約束に過ぎない。だから、これまでと違って山林を伐採しようとするのも、その1千兆円超の借金がもはや軍需産業だけでは到底、返済できず、残された資産と言えば水や木といった天然資源しかないため、それを取り立てにやって来る欧米諸国の出資する業者に切り売りするしかなく、“山ガール”だの何だのとマスメディアを通して山林に興味や関心を持たせ、全く林業に素人な上に男性より安い賃金でこき使える女性労働者達も一緒にかき集め、農奴のような彼らに安く伐採させて採算を採ろうという魂胆らしく、第103話『略奪』でも話した通り、広大なアメリカの森林資源も枯渇させたぐらい強欲な欧米人達がまさか日本の森林だけは守ってくれる保証は何もないため日本から森林が消えるのも時間の問題で、そんな自国の資源を枯渇させるだけの政策を指をくわえて見ているしかできないなんて国民からすればたまったものではない。ともかく、尾張藩の側室である福が考えた留木(とめき)(または停止木(ちょうじぼく))と留山制度は木曽五木を切るなと言ったわけではないことを再度、ここで申し上げておく。しかし、この福が提案した改善策が見事に成功したことからその後、彼女はもっと過酷な運命を背負わされていくことになった。なぜなら、財政難に陥っていた尾張藩が正反対にかなり裕福になってしまったことで大倭朝廷(現、皇室)はもちろん、幕府(徳川政権)からも嫉妬と羨望、欲望の渦が尾張藩へと押し寄せるようになってしまったからである。何せ、当時、尾張藩の石高(こくだか)(税収)は表高(おもてだか)(幕府による推定税収。第107話『革命(2)』(注2)その3参照)では62万石(現代の価値にすると約341億円)だが、内高(うちだか)(実際の税収)はその倍近くまで膨れ上がったらしく、巣山(鳥の巣を守って卵をふ化させる活動)や留木(成長の早い針葉樹を伐採し、成長が遅く木の実などがなる広葉樹は保護する活動)などの一連の森林保護政策で動植物の食物連鎖が戻ったことから自然の循環(サイクル)が元に戻って気温や湿度も安定し(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)、その相乗効果により田畑の質や収穫率も以前とは比べ物にならないぐらいかなり良くなった。そうなれば当然、その成功にあやかってその知識や技術、政策(方法)を真似て自分も同じく成功して富を得ようという者も出てくるわけだが、そもそも一体、何の為にそれを行なうのか?という政治(法律)や政策(実行方法)の根源的な意味(心)を理解していない、もしくは元々、政治理念(国や地域、企業や団体などの共同社会を築いた目的とその将来についての目標)を持っていない者がいくら見た目や形を真似したところで迷走するだけに終わる。だから、古代においてヨセフが築いたピラミッド(食糧備蓄倉庫)を真似て自分達もピラミッドを建設し、結局、失敗したエジプトの神官達(第101話『智慧(2)』参照)と同じように、大倭朝廷(現、皇室)の推薦で家光の側室となった(たま)(家光の死後は桂昌院(けいしょういん)と改称。)を母に持ち、大倭朝廷(現、皇室)というより何かと母親の言いなりになりがちな5代将軍、徳川綱吉(とくがわつなよし)も幕府の財政悪化で上納金の不足を理由に暗殺をほのめかす大倭朝廷(現、皇室)に(おび)え、当て布した古着を新品と偽って他人に贈るぐらいケチ(誉め言葉で言えば倹約家)な母親の玉に従って(こしら)え馬(たてがみや尻尾、腹の筋を切って見た目をよくさせた馬)や犬や猫の飼育といった“贅沢”を慎むよう国民の暮らしにまでケチをつけて倹約令を敷き、その一方で「個々の家庭が単に愛護したいからとの勝手な都合で犬や猫をつないで自由に歩かせないのはかわいそうだから地域ぐるみで飼育して動物達を解放してあげましょう。」との無茶苦茶な詭弁を言って家族のように飼っていた犬や猫を国民から無理やり取り上げ、それを幕府直轄の犬小屋(現代の保健所)に収容した後、犬や猫を食材にしている中国や朝鮮半島に輸出する、いわゆる『生類憐(しょうるいあわれ)みの令』(1682年~1709年までその都度、発布)及び動物密輸で稼ごうとしていたのだが、収容する動物の数が増えるにつれて収容期間の餌代や医療費、世話代などの経費(コスト)の方が上回るようになり、さらに広大な犬小屋(保健所)の建設費も(かさ)んで国策として行った動物密輸事業は既に経営難に陥っていた。そんな最中、財政再建に成功した尾張藩の噂を聞きつけた綱吉は早速、巣山(鳥の巣の卵を守る活動)と「木一本、首一つ」という仁政(恵み深く思いやりある政治。第116話『汚水』(注1)その5参照)を大義名分(世間向けの理由)にして鷹狩りを廃止し、今度は鷲や鷹などの猛禽類を中心に日本の珍獣を集めて海外に販売する希少動物(レアアニマル)の密輸を始めることにしたのだが(山丹(さんたん)交易。現在のロシア東部と北朝鮮の間にある中国の黒龍江(アムール川)省に住むタタール人(旧アッシリア人)達と北海道に住む大倭朝廷(現、皇室)の親戚であるアイヌ民族(第116話『汚水』(注1)その3参照)が交渉して北海道の松前藩、ひいては大倭朝廷(現、皇室)と武器密輸を行っていた交易ルートのこと。交易に使われた商品は主に毛皮、鷲の羽、米、酒、刀剣や鉄砲などを含む鉄製品で、綱吉が将軍だった1680年代から松前藩は旗本(将軍家直属の家臣)待遇となり、山丹交易が盛んになった。その後、1695年に松前藩が管理するヒノキの山が火事になり、復興の為と偽って伐採したヒノキやエゾマツを江戸や大阪に販売するルートが確立し、その材木の販売ルートを通じて武器や兵器、動物を密輸する山丹交易流通ルートが構築されていくようにもなった。)、その際、3代目藩主になったばかりの綱誠(つなのぶ)に悪化する一方の幕府(徳川政権)の財政と景気対策の助言を乞うと同時に、大倭朝廷(現、皇室)からの催促(強請(ゆすり))について愚痴をこぼした。この愚痴を長年、白水真人(軍資金を貢ぐだけの家臣)となった父親、光友の苦労を傍で見続けてきた綱誠(つなのぶ)は同情して真に受けてしまった。そのため、綱誠(つなのぶ)も徳川家康が目指した大倭朝廷(現、皇室)の支配と呪縛から脱却しようと、父親の光友が大倭朝廷(現、皇室)に尾張藩の税収を横流しできるよう密かに誤魔化してきた『尾張国風土記(ふどき)』(風土記(ふどき)とは地方の地形、産物、資源、動植物、住民の様子など、地方情勢について記した公的文書で、地方税収の基礎的データでもある。古くは713年頃から「郡内に生ずる所の銀、銅、彩色(鉱石または陶磁器に塗られる釉薬の種類)、草木、禽獣(きんじゅう)、魚、虫等の物、つぶさに色目に(ろく)し(つぶさに分類して記録し)、および土地の沃瘠(よくせき)(土地が肥沃か()せているか)、山、川、原野の名号(めいごう)(名前)の所由(ゆえん)(由来)、また古老相伝(ころうあいつた)ふる(老人達から伝承される)旧聞異事(きゅうぶんいじ)(伝説や民話など)は史籍(歴史書)に載せて言上(ごんじょう)(報告)せよ。」との命令が大倭朝廷(現、皇室)からあったそうで(朝鮮半島にあった百済国の第14代目国王だった近仇首王(きんきゅうしゅおう)の子孫で公家の菅野真道(すがののまみち)桓武(かんむ)天皇からの編纂命令に従い、他の公家達と一緒に797年に書き上げた日本の歴史書である『続日本紀(しょくにほんぎ)』を参照)、日本の地で生まれ育った“原住民ではないため”日本の地形や産物などが分からず、税金や戦利品となる目ぼしい金品や農作物などを大倭朝廷(現、皇室)が調べさせた報告書が風土記の起こりである。『尾張国風土記』は綱誠(つなのぶ)が編纂し始める1698年までは上述の8世紀頃に書かれたとされる『古風土記』と、報告のあった山や川、原野(郷)の名前を載せた大倭朝廷(現、皇室)御愛用の兵書&百科事典である『倭名(わみょう)類聚抄(るいじゅしょう)』(第116話『汚水』(注1)その5参照)が尾張藩内の税収の基礎データとなっていたが、綱誠(つなのぶ)は地名や物産などを正しく書き改め、税金を横流ししやすいよう曖昧なままだったり、名前などを偽って書いていた公的文書を訂正した。そのため、綱誠(つなのぶ)以降の『尾張国風土記』と『倭名(わみょう)類聚抄(るいじゅしょう)』の地名が一致しない矛盾が生じている。しかし、編纂の途中で綱誠(つなのぶ)が死去したため『尾張国風土記』も未完になってしまい、さらに綱誠(つなのぶ)が訂正したと思われる箇所がなぜか削除されたり、省略されて現在に至っている。)を編集しようとしたところ、藩主が光友だった頃から天守閣の鍵を管理する御天守鍵奉行の朝日重章(あさひしげあき)という男が大倭朝廷(現、皇室)のスパイだったため、綱誠(つなのぶ)が古来からの悪習である大倭朝廷(現、皇室)の公金横領を糾弾しようとする動きは監視されていたらしく、蛇イチゴ(=Raspberry、一般的に分けるとラズベリー(木イチゴ)の一種だが、木ではなく、草に成る果実なので別名、草イチゴとも言う。なぜ、蛇イチゴという名前になっているのかいうと、実そのものに毒がある訳ではなく、実を発酵させてお酒に作り替える時に生成されるメタノール(またはメチルアルコール)が猛毒であり、火薬にもなる危険物だからで、「トリスを飲んでHawaii(ハワイ)へ行こう!」とのキャッチコピーを書いて現在のサントリーホールディングス株式会社(両替商の息子だった鳥井信治郎(とりいしんじろう)が現在は接着剤の会社として知られているが、アサヒ印ビール(現、アサヒビール株式会社の旧商品)などのアルコール飲料も製造していたコニシ株式会社に就職して酒造や薬品の製造方法を学び、洋酒に見せかけた火薬や生物(細菌)兵器を製造する会社を始めたのが現在のサントリーホールディングス株式会社の前身である。その後、1733年以降、江戸で毎年、開催されるようになった隅田川花火大会に合わせてお酒の火薬を造るようになった広島県竹原市にある竹鶴酒造株式会社の息子で現在のニッカウヰスキー株式会社(アサヒ財閥グループの子会社)の創業者である竹鶴政孝(たけつるまさたか)がスコッチウィスキー(=Scotch Whisky、5世紀のローマ時代に元アイルランドの海賊でキリスト教司教のパトリキウス、本名をMagunos(マグノス) Succetus(スクセトゥス)と言い、古英語でMagu「召使い」、Nose「ブーブー鼻をならす」、Succe「液体」、Tus「染料」との意味から「皮なめし用の蟻酸(ぎさん)の液体を使って豚の飼育を行なう召使い」という意味の名前で、蟻酸とは皮をなめす際に染料を染みやすくしたり、牧草や干し草といった家畜の餌に混ぜて腐りにくくさせるなど、(あり)(はち)が持つ毒針を発酵させてそこから出たガス(気体)を集めて冷やし、液体にした防腐剤もしくは抗菌剤のことで、これをパトリキウス(Magunos(マグノス) Succetus(スクセトゥス))は大麦を始めとした穀物酒を造る際に混ぜ合わせ、メタノール(メチルアルコール)濃度が濃い、いわゆるアルコール度数の高い強いお酒に作り替えた。それが後に火炎瓶、または第107話『革命』(2)』(注2)その2で話した冬戦争において「飢えて死にそうなフィンランド国民の為にパンを投下してやっている」と言って焼夷弾によるフィンランド人達への無差別攻撃を茶化したソ連のモロトフ外相にお見舞いする意味で名づけた爆弾のモロトフ・カクテルを作る原材料となった“Whisky(ウィスキー)”(語源は古北欧語でVisk「干し草の束」と英語のWhisk「かき混ぜる、泡だて器」、末尾の-y「~ような、~といった性質を持つ」から「干し草を混ぜたようなもの」という意味。)の誕生である。また、凝縮されたメタノール(メチルアルコール)≒蟻酸は誤って飲んだ人の体質によるかもしれないが、小さじ1杯(10ml)程度で失明し、大さじ1杯(30ml)からコップ半分(100ml)ぐらいで中毒死する猛毒でもあるため生物(細菌)兵器にもなる。そのため、各地を渡り歩いて自作の兵器を宣伝販売するキリスト(人殺しの十字架)教の宣教師(第116話『汚水』(注1)その3参照)となったパトリキウスはこのウィスキーをアイルランドだけでなく、ブリテン島にも持ち込み、宣伝販売するようになった。その後、ウィスキーはキリスト教の修道士達の間で教え広められ、スコットランドでは15世紀から国家(王室)が使う兵器として採用されるようになり、Aqua(アクア) Vitae(ヴィータ)(ラテン語で「生命(ヴィータ)(アクア)」との意味で、聖書においてナザレのイエスが言った「自分が人に与えようとしているのはその人の喉が二度と渇かないようにする永遠の生命の水である。」(ヨハネ4章13節及び第27話 『サマリアの奇跡』参照)という言葉を彼の奇跡の生還劇にあやかって元弟子のゼベダイ兄弟などが自分達の霊感商法の宣伝に使ったため(ヨハネの黙示録21章6節参照)、そこから“生命の水(アクア ヴィータ)”は武器や兵器、心霊商品の商品名になっていった。)という名前で1494年にはスコットランド王のジェームズ4世が硝石や硫黄、炭を混ぜて泥炭(でいたん)を作る際に使う火薬の材料として1,500本ほど購入している。なお、この泥炭を使ってウィスキーを醸造する方法がスコッチ・ウィスキー(スコットランド産のウィスキー)の特徴であり、(あり)も泥炭に混ぜて発酵させ、それをウィスキーの原料である大麦の種子を乾燥させる際に燃料にして蟻酸(ぎさん)(メタノールまたはメチルアルコールの成分)の気体を種子に浸み込ませ、それをウィスキーにすればスモーキーフレーバー(煙臭)と呼ばれる独特の香りを放って火薬や毒薬の主材となる。ちなみに、スコッチ・ウィスキーとは別にバーボンと呼ばれるウィスキーがあるが、こちらはアメリカのケンタッキー州バーボン郡でトウモロコシから作られたウィスキー(兵器)との意味からバーボン・ウィスキーと呼ぶ。)の本場であるスコットランドでその製造方法を学んできたことから彼を新たな火薬の開発指導者として招聘(しょうへい)し、古代から原子爆弾が使われて宇治川、木津川、桂川を合流させ、淀川と水無瀬(みなせ)川(水無瀬とは古語で「地下に水が流れ込み、表面に見える“水”が“無”くなって“瀬”(水深が浅く、流れの速い川)になった川」という意味。)を造ったと考えられた土地で奈良県にある東大寺が荘園(所領)にしてきた大阪府三島郡島本町に日本初のウィスキーを製造する為の蒸留所(山崎蒸留所)を関東大震災が起きた翌月の1923年(大正12年)10月に建設し、後鳥羽(ごとば)上皇を始め、藤原定家(ふじわらのていか)楠木正成(くすのきまさしげ)といった大倭朝廷(現、皇室)の兵器開発者達が挑んできた“最強かつ安全な”原子爆弾の開発に着手するようになった。2020年時点の従業員数は40,044人、売上高は“酒税”(第116話『汚水』(注1)その3で話した専売制の一つで、大倭朝廷(現、皇室)が鎌倉幕府を倒そうとしていた14世紀にその軍事施設となる京都市東山区の新日吉神宮(いまひえじんぐう)の改築費用のため酒屋(兵器製造業者)が醸造の際に使う壺に対して臨時に課税した壺銭(つぼせん)(または酒壺銭(さかつぼせん))と呼ばれる制度が酒税の始まりとされていて、大倭朝廷(現、皇室)の血統をすり替えて(第116話『汚水』(注1)その3参照)その威光をかさに着た室町幕府は定期的に課税するようになり、当初は酒の醸造を民間業者である酒屋に委託していた寺院に対する課税だったが、酒造りを請け負う酒屋が増えるようになると逆に寺院が大倭朝廷(現、皇室)の税額に割り増しして酒屋に課税するようになり、戦国時代でも織田信長などはそうした税制を続けるようになった。ただし、江戸幕府(徳川政権)が酒税を採用するようになったのは5代将軍の綱吉からで、それまでは兵器となる酒造り自体をなくすため酒屋を新しく始めようとする者を制限する酒株(さけかぶ)制度という免許制にしていただけだったが、大倭朝廷(現、皇室)に貢ぐ為に税収を上げることしか頭にない綱吉は酒屋の存在を容認する形で売価に5割の課税を行うと共にこの酒株制度の規制を緩和してしまった。さすがに5割もの酒税は法外だったためすぐに税額は下げられたが、それでも高い税金でも払いさえすれば誰でも酒屋になることができ、かつ、毒を含んだお酒でも知らなければ誰でも買えるようになっていったため酒の価格が高騰しても買う人が出てきて、酒屋(兵器製造業者)も徐々に増えるようになっていった。その後、大倭朝廷(現、皇室)が復権した明治時代からは当然、軍事費調達の為に酒税は定期的な課税制度とみなされて税額は引き上げられていき、酒屋の方もその高い酒税から逃れる為と言って昨今は麦芽の量を減らした発泡酒や麦芽自体、使わない上に焼酎などの別のアルコール飲料を混ぜて造る第3のビールといった、政府の許可はあっても密造酒と何ら変わらない何が原材料に入っているかも定かでない、そんな怪しいお酒があちこちに出回るようになったが、それでも酒税は相変わらず引き上げられるそうで、2020年からはそうした発泡酒や第3のビールといった変造して人気が出てきたお酒の税額を徐々に上げ、逆にこれまでの製法で造られているビールの税額を引き下げて同じ一律の税額に、また、ワインなどの果実酒の税額を引き上げ、飲む人が減ってきている清酒の税額を引き下げてこれまた同じ税額に、そして、チューハイなどのリキュール(蒸留酒)類も今後、税額が引き上げられる予定である。)を入れて2兆3,676億円で、減り続ける酒税の税収と共に爆破実験や軍拡に起因した異常気象の影響を受けた森林火災や干ばつ、冷害、バッタなどの害虫の大発生、加えて農業労働者の高齢化や後継者不足といった様々な要因から世界中の食糧が減りつつある中、ガソリン(石油)に代わって軍備に投入する燃料や爆薬としてバイオエタノール(=Bioethanol、主にトウモロコシやサトウキビを発酵させてエタノール(またはエチルアルコール)、つまり、おアルコールにした燃料や火薬のことだが、“エ”タノール+“メ”タノール+水を混ぜた液体がおアルコールなので、多少、アルコール度数を低めて毒性を薄めることはできても“エ”タノールと“メ”タノールを完全に切り離すことはできないことと(共沸)、工業用途としては“エ”タノールよりも“メ”タノールの方が幅広く使われているため、名前だけは“エ”タノールだが、中身はメタノール(が多い)エタノールの燃料や火薬のことである。和製英語ではバイオマスエタノール(=Biomass ehanol)とも言い、Biomass(バイオマス)とはBio(バイオ)(生物資源)とMass(マス)(大量)の二語を併せ、いかにも立派そうな環境用語に聞こえるかもしれないが、実際は食品の廃棄物や動植物の死骸、家畜の糞尿、レジ袋やペットボトルなどのプラスチック類、紙屑、下水道の汚泥、木材のおがくず、稲のわらやもみ殻といった、いわゆる“生ゴミ”のことであり、その他、上述したトウモロコシやサトウキビのような農作物もバイオマスに含まれることがあるが、遺伝子組み換え技術(第114話『細胞』(注1)参照)を使って無理やり収穫が増えるよう主に家畜の飼料用として作られた農作物なので、人間が食べられない、栄養が摂れない、場合によっては害になるといった、おおよそ食糧とは呼べない物を指しており、こうした生ゴミを発酵させてメタノール(メチルアルコール)にした燃料や火薬のことを英語ではバイオエタノール、和製英語ではバイオマスエタノールと呼んでいる。また、自動車や船、建設機械などに使われている軽油(ディーゼルエンジン用燃料)の代わりにオリーブ油や菜種油、牛脂、天ぷらした後の廃油などを使ってベトベトしないよう脂質を抽出した後、メタノール(メチルアルコール)にしたものをバイオディーゼル燃料(=Biodiesel Fuel、略してBDF)と呼ぶ。これに加えて、2000年頃から大阪にある近畿大学でバイオコークスと呼ばれる植物で作るコークスもできたそうだが、こちらは名前だけがカタカナになっているだけで原料としては木材、竹、茶葉、コーヒー豆などが使われているらしく、従来の木材や竹を蒸して作る木炭や竹炭とさほど変わらない、強いて言うなら木材や竹のおがくず、お茶やコーヒーの出し殻などのゴミを圧縮して炭にしたものがバイオコークスらしいので、ゴミを使う点でバイオエタノールやバイオディーゼルと同じ種類と言える。そのため、これらをまとめてバイオ燃料(=Biofuel)と呼ぶこともある。ただし、どれも環境を汚染する排気ガスが出ない燃料(エネルギー)というのが謳い文句らしいが、ゴミを燃やそうと、木炭や竹炭を燃やそうとどれも二酸化炭素を始めとした排気ガスは当然、排出されるため、何を根拠に環境を汚染しないと言っているのか分からない。しかも、ウィスキーの製法で説明した通り、蟻酸(ぎさん)(メタノールまたはメチルアルコールの成分)は有毒なので排気ガスが充満した場合、環境はもちろん、人体にもどのような害を及ぼすのかが定かではない。にもかかわらず、第105話『欺瞞』(注2)で話した中東戦争でのスエズ運河の争奪戦や1970年代に起きたオイル・ショック(=Oil Shock、前述した中東戦争の最中の1973年と、その後、イギリス及びフランスから密かな支援を受けたルーホッラ・ホメイニ師によって起こされた1978年~1979年のイラン革命の影響で石油の供給が止まり、価格が急騰した事件のことである。表向きはどうであれ、中東戦争もイラン革命も欧米諸国と真っ向から対立し、その支配から脱却しようとして起きたものではなかったが、それでもその過程で作られたOPEC(石油輸出機構。第105話『欺瞞』(注2)参照)という組織にかこつけて石油がもたらすお金(利権)を狙いだした中東諸国によって石油の供給や価格が操作され、石油製品に頼って暮らす国に住む人々の生活と懐事情(経済)を混乱させることとなった。もちろん、日本もその一国であり、石油で発電しているため省エネと称した電気の節約や石油と直接、関係がなかったのになぜか当時の通産大臣だった中曽根康弘(なかそねやすひろ)が紙類の節約を大衆に呼びかけたためトイレットペーパーや洗剤などの買い占め騒動などが起きた。要は、当時、中東戦争を行っていた英米政府に軍需物資や軍資金を送って尻尾(しっぽ)を振り、自分への政界における支持を取り付けようと大衆から無理やりトイレットペーパーのような物資やそれを余計に買わせる費用を奪い盗っていたからで、中曽根康弘の政治的利益の為だけに起こされた買い占め騒動だったと言える。もちろん、その国権を悪用した買い占め操作は2019年から始まったコロナ(偽伝染病)騒ぎでも用いられ、この時もトイレットペーパーとマスクの供給が止まったため異常な高値で売買されることとなった。)による教訓から、石油に依存する軍事体制がいかに(もろ)いものかを思い知った欧米諸国は新たな燃料(エネルギー)を求めて模索し続け、第一次世界大戦の頃によく使われていたオイルシェール(=Oil Shale、珪藻やプランクトンの死骸から出る油脂を含んだ鉱石のこと。日本語では油母頁岩(ゆぼけつがん)油頁岩(ゆけつがん)油質頁岩(ゆしつけつがん)とも呼ぶが、常に一定量の油脂を含んでいるわけではないためオイルシェールという種類の鉱石ではなく、単に油脂を含んだ泥が固まってできた岩という意味で、これを通常、450度~500度ぐらいで加熱して分解し、石油やガスに作り替えて使う鉱物である。)やシェールガス(=Shale gas、上述のオイルシェールが地層になっている部分を掘削し、既に地層の中で圧縮されてガス(気体)になっているもののことを言い、それをそのまま輸送管(パイプ)を使って運ぶか、冷やして液体にして使う天然ガスである。2000年代に膨大な量の水圧を使って2000m~3000mの地層を縦にも横にも掘削できる水圧破砕法(すいあつはさいほう)(=Hydraulic FracturingまたはHydrofracking)が開発されたためシェールガスが埋まっていると思われる地層を掘りやすくなり、シェールガスブームやシェールガス革命と叫ぶマスコミを通じて盛んに宣伝されるようになったが、掘削する際に膨大な量の水資源が必要な上に掘削中に地下水を汚染し、さらに地層を崩すので地震を起こしやすく(第97話『不浄(1)』参照)、国策でシェールガス産業を始めたアメリカや中国で頻繁に地震が起きるようにもなった。)といった、これまで何度も経営に失敗し、既に商品にするには経費(コスト)が掛かりすぎて採算が合わないと分かっているはずの代替燃料にまで手を出して石油への依存体質を変えようとしたようだが、それも再び失敗し、今度は第一次世界大戦から中世の暗黒時代にまで(さかのぼ)る材木や農作物を使ったエネルギー(燃料)政策に立ち戻るようで(第103話『略奪』参照)、もはや何度、挑戦してもバイオエタノールを始めとしたバイオ燃料(エネルギー)政策が失敗することは過去の歴史を見れば明らかなのだが、常に「見猿、言わ猿、聞か猿、振りかえ猿」を唱え、ゾロアスター(暴力&戦争礼賛)教に狂信する彼らにはその歴史的事実が見えないらしく、また、そんな彼らに国権を委ねたまま政治(法律)や政策(手段)に口を挟まないことが美徳と勘違いして黙って言いなりになっている大衆も自分が知らない、分からない事にはすぐに目や耳を(ふさ)ぐため、たとえ人間の食べる食糧よりもバイオ燃料用のトウモロコシやサトウキビの生産が優先されてそのせいで穀物価格が跳ね上がり、食糧用の穀物が不足し、国連が自らイエメン、コンゴ、アフガニスタン、ベネズエラ、エチオピア、ナイジェリア、ハイチ、スーダン、南スーダン、シリアの10か国をわざわざ名指しして1億3,500万人~2億5千万人の自分達と同じ“人類”である一般国民が飢餓状態に陥ると宣言していても他人の不幸だから自分には関係ないと見過ごせるらしく、また、常々、先進国を自称するイギリス政府(王室)が自国の貧困家庭や学校給食に食べ物を買うお金を恵んでほしいとユニセフ(国連児童基金)に申請するぐらい無為無策の政治家ばかりでもはや国家(政府)として機能していなくてもそれも「いつもの事、よくある事だから」と無視できるらしく、さらに1965年(昭和40年)に75%だった日本の食糧自給率は2021年時点で既に4割を切っていて、その上、2007年からアメリカがバイオ燃料政策を国策として発表したことを受け(the Energy Independence and Security Act of 2007)、穀物価格が上昇してパンやカップ麺、砂糖やチョコレートなどの菓子類、清涼飲料、醤油、味噌、豆腐、人間の食料になるよう上質の餌を食べて加工される家畜の肉やソーセージ、乳製品、卵、マヨネーズ、食用油と、ほとんどの食品が値上げしたり、材料の量や種類を減らすなど、自分達の日々の食生活を直撃するようになっていってもまだ危機感が湧かないようで、1千兆円超もの財政赤字を抱えて日本経済と円の価値や信用が下がり続ける一方で世界中の食糧が減って食糧価格が高騰していく中、日本国民全員の食糧を調達できるかどうかの瀬戸際に立たされていても日本の大衆の多くはバイオ燃料の為とも気づかず、日本政府(皇室&自民党軍事政権)が唱える「地球に優しいエコ活動の為」との言葉を信じてペットボトルを始めとしたゴミをせっせと仕分けし、レジ袋も購入して、日本の国土から森林が消えてなくなるまで木々を伐採し続けるだろう山ガール達も応援しながら日本政府(皇室&自民党軍事政権)と共に一億総玉砕(ぎょくさい)を誇らしげに唱えていたあの頃と変わらず、心中する覚悟でいるようである。)と呼ばれる代替燃料が欧米諸国で流行していることからそれに沿って事業を展開してきたサントリーホールディングス株式会社も実際のところ、グループ全体の業績も酒類部門も共に2020年は下がっているのだが、2021年現在だけで22兆5千億米ドル(日本円にして約2,453兆円)の債務残高を抱え、その借金に毎年1兆米ドル(日本円で約109兆円)の赤字を上乗せしながらそれでもなお、国家税収約3兆4千億米ドル(日本円で約371兆円)のうちその約20%の7,500億米ドル(日本円で約82兆円)を軍事費に回すアメリカ政府が強力に推し進めるエネルギー(燃料)政策ということもあって、たとえアメリカ政府から指示されるがままバーボン・ウィスキーを造り続けてきたケンタッキー州バーボン郡が今、人口19,360人、そのうち90%以上が白人住民なのに14%は貧困以下の暮らしをしていて、さらに一人当たりの収入が2019年では18,335米ドル(日本円で約200万円)しかなく、明らかに貧困状態にあるのだが、それでもアメリカ政府に従っていれば業績は上がり続け、会社も安泰と信じられるのか、サントリーホールディングス株式会社は今後も増収増益が見込めるものと強気の姿勢を見せている。)の商品であるトリスウィスキーとハワイ旅行を併せた懸賞キャンペーンを行っていた随筆家(エッセイスト)山口瞳(やまぐちひとみ)の著書『江分利(エブリ)(マン)氏の優雅な生活』(1961年~1962年発刊)で主人公の江分利氏がまだ貧しかった戦後の闇市場で飲んでいた“カストリ”や“バクダン”と呼ばれる密造酒がまさしく蛇イチゴ(草イチゴ)から作る果実酒と同じメタノール(メチルアルコール)≒蟻酸が多く含まれた毒酒であり、これを飲んで失明したり、死亡した人も多かったことから“目散るアルコール”や“爆弾”とも呼ばれるようになった。ちなみに、カストリとは(かす)取り焼酎という酒粕(さけかす)を蒸留(加熱して気体(ガス)になったものを冷やして液体にすること。)して造ったお酒にちなんだ呼び名であり、単に酒粕を蒸留しただけのお酒なら毒にはならないのだが、酒粕の匂いに釣られてお酒に飛び込んでくるショウジョウバエが人間のようにお酒を飲むと体内でこれを消化分解して蟻酸(ぎさん)を生成する。つまり、酔っぱらう。このショウジョウバエを混入させた粕取り焼酎が毒酒となるため“カストリ”という呼び名もつけられるようになった。蛇イチゴも元々、イチゴを始め果実や野菜にはペクチンと呼ばれるジャムやゼリーの素になる粘り気のある繊維質が含まれていて、このペクチンが醸造されてお酒になると蟻酸(メタノールまたはメチルアルコールの成分)を生成するのだが、微量なため酔っぱらうだけで、失明したり、死亡するような猛毒にはならない。しかし、第116話『汚水』(注1)その5に出てきたAD1世紀の中国で興された新王朝に恨みを抱く酒屋の老母が結成させた農民反乱軍の中に劉盆子(りゅうぼんし)という男がいて、この男がウィスキーを造ったパトリキウスと同様、軍で使う牛の世話をしていたことから蟻酸の作り方をよく心得ており、(あり)という名前であっても(あり)ではなく、ゴキブリと同じ種族の木に巣食うシロアリを蛇イチゴ(または草イチゴ)に入れて発酵させ、果実酒に醸造し、それをさらに蒸留して強いお酒になるよう作り替えた蒸留酒、英語で言うならブランデー(=Brandy、語源は西ゲルマン祖語でBrandaz「炎、火付け役」に-y「~ような、~といった性質を持つ」から「炎の持つ液体」という意味で、肉などを調理する際に香りづけの為にブランデーを入れてアルコールを飛ばすフランベ(=Flambé、ラテン語のFlamma「火、炎」と、サンスクリット語のBhrāja「火、輝き」の二語を併せて「炎で輝かせる」という意味で、元はと言えば、伝統的なクリスマスの晩餐(ばんさん)を通して過去、現在、未来の精霊(スピリット)が見せる自分の姿と貧しい庶民の暮らしの中に温かな幸せがあることを守銭奴の男に(さと)す話を描いたイギリスの風刺作家チャールズ・ディケンズの代表作である『Christmas Carol(邦題は『クリスマス・キャロル』1843年発刊)』にも出てきた通り、イギリスの伝統料理の一つであるクリスマス・プディングに使われていた調理法であり、ディケンズを始めイギリスの一般庶民は未だに気づいていないだろうが、はっきり言って食べた人を病気にして殺す為の兵器である。ウィスキーと同様、蒸留酒は既に毒薬として中世の王侯貴族やキリスト(人殺しの十字架)教の修道士達の間ではよく知られていて、ウィスキーやブランデーは火を付けて燃やしても水分は減るだろうが、アルコール成分は飛ばない。そのため、メタノール(蟻酸)がたっぷりのお酒に漬けられたドライフルーツの蒸しケーキ=クリスマス・プディングが炎に包まれて燃えたとしてもメタノール(蟻酸)は残るため食べた人は失明するか、死亡する。もちろん、軍事機密なので中世の頃まではそれほどアルコールが強くて高級な(?)お酒を使って庶民がクリスマス料理を作る機会などなかっただろうが、第115話『生命』(注1)で話した解剖実験が流行し、巷が革命を起こす庶民が増えてイギリス王室(政府)も財政赤字で王政が揺るぎ出した19世紀半ばに、父親がサフォーク州のセント・ピーターズ醸造所というビール会社を経営していてお酒に詳しい作家のイライザ・アクトンが『Modern Cookery for Private Families reduced to a System of Easy Practice(邦題にすると『手抜きして簡単な方法で作る一般家庭の為の近代的調理法』1845年発刊)』という本を出版し、突然、庶民に向けてクリスマス・プディングの調理法を紹介し始めた。さらに、フランス革命時にイギリスに亡命してきて、フリーメイソンの有力メンバーだったアーチボルト・ケネディ・エイルサ侯爵の紹介で紳士クラブ(貴族や国会議員達が集う社交場のこと。第114話『細胞』(注2)参照)であるリフォームクラブ(2021年現在も営業中。)のコック長になったフランス人のアレクシス・ソイエーという男がこれまた、『The Gastronomic Regenerator:A Simplified and Entirely New System of Cookery, with Nearly Two thousand Practical Receipts Suited to the Income of All Classes(邦題にすると『炎の美食料理研究家:どんな収入の家庭でも作れる2千種類近くの実用的な家庭料理を簡単かつ最新式の調理法でお教えします』1846年発刊)との料理本の中でラム酒を使ってオムレツを作る方法を紹介し、貴族や国会議員のような上流階級の為に料理を作っているフランス人のコック長が書いた料理本ということもあって一気に庶民の間でブランデーやウィスキー、ラム酒を使って調理する方法が広まっていった。そのため、フランベは現在、フランス料理を始めとした西洋料理においては欠かせない調理法になっているが、正直に申し上げておくと、香りづけと言ってもお酒臭いだけで食材がおいしくなるわけではない。そして、アルコールの強いお酒を使うことは幼児はもとより、未成年者が食べて安全とも言い切れない調理法であることも一言、申し添えておく。また、フランベは炎が強いので火事になりやすく、飛び火して火傷を負うこともあるため、そうした事故の面からしても決してお勧めできる調理法ではない。)という調理法でも使われるように、ブランデーは火薬にも毒薬にもなる生物(細菌)兵器である。

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