表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
127/148

第百十六話 汚水 後書き(注1)その6

今回のテーマソング↓

https://youtu.be/qrrjITelsXA


https://www.cda.pl/video/5897956a


Under Pressure/Rhythm Nation from Happy Feet 2


~独裁政権の支配下にある人々へ~


「もっと強く地団駄を踏むんだ」

「そんなことしたって無駄だよ、もっと強い権力がないと」

「つべこべ言わず、ちゃんとやるべきことはやれや、大口叩くだけのビッグボス!」


♪ナンナナナ、ナンナナナ

ナンナナナ、ナンナナナ

ナンナナナ


プレッシャーっ!!(専制と隷従、圧迫と偏狭)


それはわたしに襲い掛かり、

押しつぶそうとするプレッシャー(心理的抑圧)

あなたに()し掛かる重圧も同じ


誰も頼んじゃいないのに

誰もそうしてくれとも言っていないのに

勝手に独裁政府が課す税金や法律、命令


そんなプレッシャー(支配者達の圧迫)の下にわたし達は今、いる。


それは国を燃やし尽くし、

家族を離散させ、

道を歩く多くの人々に襲い掛かる


ンババ、Dデー(戦闘開始)、ンババ、Dデー(戦闘開始)と叫ぶ

そう、そこのあんた、Dictator(専制君主)、Dictator(独裁者、暴君)さん



今こそこの世界の人達が目にするだろう

そして、今まさに気づくことになるだろう

恐怖政治


わたし達のすぐ隣にいる

悪いことなど何もしていないごく普通の人達が今、叫んでいる。


『もう、わたしをその恐怖政治から、

プレッシャー(専制と隷従、圧迫と偏狭)から

解放してくれっ!!!』


未来が来ることを祈るんだ

わたしのこの叫び声をもっと広く響かせてくれ!


明日を幸せにできることを願うんだ

だから、この声を人々の心にもっと届けてくれ!



「聞こえるか?

もう一度、やってくれ。」

「何をやれって?」

「ほら、これだよ。すごいっ!」

「何、これ?」

「さぁ、まったく分かんない。」

「で、これで何になるの?」

「多分、これをしたらこれまでの苦しみから解放されて

自分が生まれてきたことがうれしくなるんだと思うよ。」

「え?何だって?」

「だから、これをしたら幸せになるってこと!」



だから、どうしてか、誰か言ってくれ

なぜ、ダメなのか、なぜ、わたし達にできないのか教えてよ


「何してるんだ?」

「時には過去を振り返らないと未来には進めないんだ。」



なぜ、いけない?

どうして、できない?

なぜ、あきらめる?

なぜ、ダメなんだ?


もう一度、やってみたらいいじゃないか


なぜ、わたし達にできないって決めつけるんだ?



どうして、あなた方は自分と同じ人類に手を差し伸ばさないんだ?

どうしてあなた方は周りにいる苦しんでいる人や困っている人達に手を貸さないんだ?

なぜ、他人を傷つけ、苦しめ、いじめることばかり考えるんだ?

税金と時間と労力をかけ、どうして国を、世界を、地球を貧しくさせるんだ?


もっと愛を、情けを、慈悲の心を分け合ったらどうなんだ?

なぜ、他人の苦しみや悲しみに目を向けてやらないんだ?

どうして、お互いを労り合わないんだ?

なぜ、自分のことしか考えられないんだ?

なぜ、人を傷つけ、殺すことにそれほど執着するんだ?



なぜ、もっと、もっと、もっと愛の心が持てないんだ?



だって、愛(神)はありふれた古臭い言葉かもしれないが


愛(神)だけが闇の世界の隅っこにいる苦しみ、悲しんでいる人達を

救うただ一つの方法なんだ。


愛(神)こそがわたし達の悪習や間違いや過ちを改めさせ、

わたし達の世界を明るく照らし、幸せや繫栄を約束してくれる

唯一の存在なんだ。

だから、これがわたし達にできる最後のダンス(もがき)だ。

これだけが地球を救う最後に残された希望のダンス(地団駄)なんだ。




だから、もう一度、神様、わたし達を信じてくれ。


どうか、わたし達にもう一度、チャンスをくれないか?


もう一度、あなたが教えてくれた愛の心を取り戻してみせるから


あなたがせっかくわたし達の為に創ってくれたのに

わたし達が荒廃させてしまったこの地球をもう一度、元のように

緑豊かに、

人々も動物も植物も増やして

繁栄させてみせるから


だから、もう一度だけ、最後のチャンスをくれないか?


これこそわたし達、神の子の本当の姿なんだ


さぁ、地球に住むわたし達、“人類”の仲間達、

一緒に力を合わせて元の繁栄を取り戻そうじゃないか!




しかし、この数字の魔法に魅入られて踊らされる人達が大倭朝廷(現、皇室)の見えない武力(暴力)に(おび)えると同時に、金や銀などの悪貨を無理やり増やして両替商(金融業)を始めた住友政友(すみともまさとも)蘇我理右衛門(そがりえもん)宗岡(むねおか)佐渡弥右衛門(さどやえもん))の操業する住友財閥に次第に引き寄せられていったことで、たくさんの悪貨でもって実体経済が買い占められて乗っ取られ、本当に価値のある必要な物やサービス、そして“実際に額に汗して働き”、それらを丹精込めて作ってきた一人一人の一般国民(労働者達)について思いやることも、考えることもしなくなっていった。それでも、彼らの数字の魔法は所詮、まやかしなので長くは持たず上に書いた通り、失敗と借金だけが膨らんでいくのだが、問題はその被害が彼らだけでなく、彼らと関わりのない実際に実体経済を動かしている一般国民にまで及ぶ。そのため、実体経済を超えた金や銀、銅銭などが市中に出回ったことで物価が上がったり、下がったりして経済が混乱し、その都度、調整する必要に迫られ、また、貨幣の金属量を国家(国民)に黙って変えて貨幣を造る改鋳(かいちゅう)贋金(にせがね)といった犯罪も増えていったことから住友財閥ができた江戸初期から既にそうした取り締まりが強化されることとなり、これも一般国民の(あずか)り知らないところで徳川軍事政権と大倭朝廷(現、皇室)との秘めやかな攻防戦が展開され、京銭(きょうせん)(または中国の南京(なんきん)で出回っていた悪銭を真似して鋳造したため、南京銭(なんきんせん)とも呼ぶ。)という悪銭が大倭朝廷(現、皇室)の資金源の一つなっている現在の滋賀県大津市坂本にある日吉大社(ひよしたいしゃ)の周辺から市中へ大量に流出されるのを食い止めようとそうした悪銭を幕府が数年かけて買い取っていたのだが、それも追い付かなくなったためとうとう幕府(徳川軍事政権)が寛永通宝(かんえいつうほう)という独自の通貨を発行し、銭座(ぜにざ)と呼ばれる、今で言う日本銀行を始めとした国営銀行を創設することにした(1636年6月)。その結果、京銭による軍資金で武器密輸や兵器製造を行っていた大倭朝廷(現、皇室)とその配下の大名達の資金繰りが難しくなり、その幕府(徳川軍事政権)の反撃を止められないことに腹を立て、天子(神の子)を名乗る大倭朝廷(現、皇室)は“天罰として”蘇我理右衛門(宗岡佐渡弥右衛門)を暗殺した(1636年6月29日)。その後も復権を目論む大倭朝廷(現、皇室)と徳川軍事政権との間で似たような冷戦が繰り広げられ、豊臣家が滅亡した大阪の陣の翌年には「もはや大倭朝廷(現、皇室)では仁政(恵み深く思いやりある政治)など絶対に無理だ。」との意思を示し、天皇や公家達を国政から退(しりぞ)かせ、違反した場合の罰則も設けた事実上の天皇制廃止法である『禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)』(1615年9月9日制定)を定めた徳川家康に碁盤(ごばん)将棋盤(しょうぎばん)の材木に使われる一方、アクが強くて燃やした木の煙で蚊を駆除できるカヤの実から絞った油で(たい)を揚げ、その上にアリシン(第116話『汚水』(注1)その2参照)を含ませるよう生ですりおろしたニラを添えた鯛の天ぷらでもって中毒死させることに成功したが、蘇我(宗岡佐渡)の悪銭攻撃の失敗に続き、キリスト教の宣教師や信者を通じて長年、行ってきた大倭朝廷(現、皇室)の家業である武器密輸も3代目将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)が厳しく取り締まりだし、その上、参勤交代制度のような法制度も敷かれて身動きが取れなくなった大倭朝廷(現、皇室)はキリスト教の信者(傭兵)達を扇動して暴動を起こさせたり(島原の乱 1637年)、1640年には現在の北海道函館市(はこだてし)から車で1時間ほど北上した所にある駒ヶ岳を噴火させて(第107話『革命(2)』(注1)&(注2)その3参照)火山灰による被害で青森県周辺の田畑を枯れさせて凶作に陥らせ、冷害や長雨の異常気象まで起こした挙句、牛疫(ぎゅうえき)(家畜を殺す細菌)までばら撒いて食糧を枯渇させ、全国規模の寛永(かんえい)の大飢饉(1640年~1643年)を起こして大衆の幕府への支持や信頼を失墜させると同時に、その混乱に乗じて土地(軍資金)や人(兵力)を奪い取って政権転覆(クーデター)を図ろうとしたが、家光が仕切る幕府の方も飢饉で食糧の為に子供や自分の身を売ったり、生活の基盤である田畑を借金の担保にしたせいで盗られて生活できなくなった大衆を救おうと乗り出し、救小屋(すくいごや)(食事や宿泊所の提供、仕事の斡旋(あっせん)を行う災害救援施設)の設置や田畑(雇用)を奪われて否応なしに無賃(タダ)または低賃金で奉公(労働)させられ、貧困状態に置かれる農奴にまで農民達(一般国民)の身分が貶められないよう半永久的な田畑の売買を禁じた『田畑永代(でんぱたえいたい)売買禁止令(ばいばいきんしれい)』(第107話『革命(2)』(注2)その3参照)を発布するなど、大倭朝廷(現、皇室)による陰湿な嫌がらせから大衆を守る為の法律をいろいろと制定したため“その法律の壁に阻まれて”ますます倒幕が難しくなっていった。しかし、いかに家康から孫の家光まで軍縮や天皇制の廃止を目指すといっても徳川幕府はあくまで軍事政権である以上、武士(兵士)や軍備を全く持たないというわけにはいかず、さらに征夷大将軍という職位も実情は国家元首であっても、それは大倭朝廷(現、皇室)から与えられている“官職”であり、大倭朝廷(現、皇室)を頂点とした社会制度の中の“位階”もしくは“階級”なので、その大倭朝廷(現、皇室)を全く廃止してしまったら、徳川将軍家の政治的な立場や権力の意味はなくなる。その矛盾を抱えて悩むようになった徳川家光は幼い頃から絶え間なく大倭朝廷(現、皇室)によって送られてくる刺客達との攻防戦に疲れ果てていたことと、自分の死後も我が子や孫の代までひたすら無益で(むな)しい、無意味な争いを延々と続けさせたくもなかったため、大倭朝廷(現、皇室)の廃止よりも結局、彼らとの融和を図るようになった。しかし、一旦、振り下ろされた法律(言葉)の(やいば)で世間体はもとより、天(神)の御前(みまえ)でも平気で自分は天子(神の子)と言えるぐらい庶民感覚からは想像もできない桁外(けたはず)れに高いプライド(慢心)まで傷つけられた大倭朝廷(現、皇室)が徳川家から受けてきた屈辱を忘れて和解するつもりなどあるはずはなく、家光の実の妹の和子(まさこ)を中宮(皇后)に迎え入れていたこともあって、彼女が仲裁する形で伊万里焼(いまりやき)の茶碗や皿といった贈物をして家光への態度を少しは和らげたかのように装った。ところが、その和子(まさこ)の贈った茶碗や皿こそ家光を暗殺する為の道具であり、16世紀以降、密輸を偽装してくれるだけでなく、上述したエクスカリバー(陶磁器とホウ砂でできた剣)を再現する頑強な鉄剣や鉄を使った兵器を開発する上での合金の研究や爆弾を始めとした火薬の調合に必要だったことから、陶磁器や絵画などの美術品の為と偽った釉薬(ゆうやく)や絵具、つまり黒色火薬や白色火薬を超える新しい種類の火薬が世界中で交易されるようになり、日本も17世紀から主に朝鮮半島の職人達の指導の下、現在の佐賀県有田町で作られていた有田焼(ありたやき)、もしくはこの頃は有田焼とは呼ばず有田町の伊万里港から出荷されていたことにちなんで伊万里焼と呼ばれていた陶磁器が今、海外から引き合いが来て売れているとの噂(その噂を流したのは大倭朝廷(現、皇室)だろうが)からその話題の人気商品を家光に献上したといった(てい)を装い、伊万里焼(有田焼)の中でも特に白磁(はくじ)か、または鼠色(ねずみいろ)の皿や茶碗の上に“呉須(ごす)”と呼ばれる色鮮やかなコバルトブルー(瑠璃色)の釉薬でもって草花や模様が描かれた絵付け(染付(そめつけ))の作品で知られる鍋島焼(なべしまやき)(元々、龍造寺家(りゅうぞうじけ)が藩主だった佐賀藩を龍造寺家の家老で養子でもあった鍋島直茂(なべしまなおしげ)がクジラの生肉に猫の糞便に含まれるトキソプラズマ原虫を忍ばせ、それを君主の龍造寺(りゅうぞうじ)政家(まさいえ)高房(たかふさ)親子に食べさせて病死させ、家督を乗っ取ることに成功したため、以来、佐賀藩の藩主となった鍋島家は兵器の開発に藩を挙げて取り組むようになり、開発された兵器の一つがこの鍋島焼と呼ばれる陶磁器を装った爆薬である。なお、この鍋島家の犯行に気づいた龍造寺家の子孫が再び猫の糞便を使って鍋島家に復讐しようと毒を盛ったせいで藩内の家臣が突然、発狂し、その発狂した家臣によって奥女中が惨殺されるといった不可解な事件が重なったことから、怪談として語られるようになったのが鍋島の化け猫騒動で、現代でも未だ誠しやかにこうした怪談が巷を賑わせているが、第116話『汚水』(注1)その4で兵器開発している鉱山や神社内に一般人を立ち入らせないよう飛銚子(とびぢょうし)なる怪談を広めたと話した通り、怪談の出所(でどころ)は大抵、大倭朝廷(現、皇室)が大衆を怖がらせて心霊現象を信じ込ませ、それとなく宗教施設に誘ってお布施(ふせ)や拝観料などから軍資金を集めているだけなので、良識ある読者の皆さんは化け猫や幽霊といったオカルト(自然(神)を否定する)説にまんまと化かされて彼らにお布施や拝観料などの軍資金を渡し、無用な軍拡を続けさせないようご注意いただきたい。その証拠に、佐賀県白石町福田にある秀林寺(しゅうりんじ)境内(けいだい)には今も猫塚と呼ばれる鍋島の化け猫の(たた)りを鎮める為の(ほこら)なるものが建てられているが、その祠を建てたというのがこれまた、化け猫の正体=藩内に毒をばら撒いていた犯人が藩主の側室(愛人)を装った龍造寺家のスパイと見破ってこれを成敗し、鍋島家を救ったとされる家臣の千布(ちぶ)本右衛門(もとえもん)の一族で、実はこの千布一族も元の先祖は熊代(くましろ)(後に神代(くましろ)と改名)勝利(かつとし)という、武内宿禰(たけうちのすくね)(第110話『灌漑(かんがい)』(注2)参照)の末裔を名乗る太子講(または太子衆。大倭朝廷(現、皇室)が宣教用にでっち上げた架空の教祖である聖徳太子(しょうとくたいし)を信仰する宗派。第116話『汚水』(注1)その5参照)の信者だったらしく、さらに龍造寺家とは長年の宿敵の間柄で、その宿敵を倒そうと鍋島家と養子縁組した後、龍造寺家の家臣となって結託した鍋島直茂と共に上述のトキソプラズマ症に龍造寺親子をかからせ、それに成功すると味方の鍋島直茂も裏切って天然痘(第97話『不浄(1)』(注1)参照)でもって殺害し、以後、鍋島家を表舞台の藩主に据えて忠臣を装いながら実質、佐賀藩を仕切っていたようで、その千布一族が後に「先祖の千布本右衛門(ちぶもとえもん)が化け猫を成敗した(たた)りで男子に恵まれず家系が断絶しかかったが、猫の掛け軸を寺に納めて祠を築き、供養したらすぐに男子が生まれて家系が存続した。」などと言って寺や猫塚の宣伝をするのも、また、化け猫騒動を題材(ネタ)に歌舞伎や芝居、本、テレビや映画で21世紀の今も延々と大衆を怖がらせようとするのも、鍋島焼を始めとした兵器製造が彼ら一族とその家計を支えてきた家業だからで、その研究開発費(軍資金)を集める為に建てられているのがその猫塚なる祠である。そのため、わたし達、日本国民が大倭朝廷(現、皇室)とその臣下である日本政府(自民党政権)の行為によって再び戦争(人殺し)の惨禍に巻き込まれないよう、わたし達一人一人が専制と隷従、圧迫と偏狭に苦しめられ、恐怖と貧困の身分に(おとし)められないよう、わたし達、一般国民の生命と財産を守っていく為にもこうしたオカルト(自然(神)を否定する)説に耳を貸さないで欲しいと心から願って止まない。)と、さらにその呉須(瑠璃色の釉薬)の他に赤(鉄錆(てつさ)び色の釉薬)や金メッキといった豪華絢爛(ごうかけんらん)な絵柄まで加わった柿右衛門様式(かきえもんようしき)酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)という男が考案した陶磁器のことで、鍋島焼(または有田焼)の基本色となっている呉須は酸化コバルトを主成分とする釉薬(陶磁器に塗る絵具のこと。)だが、表向きは陶芸師、実際は佐賀藩(または鍋島藩)お抱えの火薬調合師、現代で例えれば原子物理学者だった柿右衛門はこれに鉄紛を配合し(錆釉(さびゆう))、それがかなりの威力を持つ爆薬だったことから以後、柿右衛門様式や鍋島焼(有田焼)は世界の兵器市場における一大ブランドとなった。そして、この柿右衛門様式を真似た陶磁器がドイツのマイセン(かま)、オランダのデルフト窯、フランスのシャンティイ窯、イギリスのチェルシー窯とダービー窯で、第115話『生命』(注1)ではお話できなかった進化論のダーウィンと優生学のガルトンの親戚筋に当たる陶磁器メーカーのウェッジウッド家がなぜ、兵器開発に関係するかお分かりいただけたかと思うが、では、どうしてあんな草花や動物、男女の密会風景(デートシーン)、可愛い天使といった一見、何の変哲もない絵が描かれただけの皿や茶碗が爆薬になるのかと言うと、第116話『汚水』(注1)その4の中でアッシジのフランチェスコが火薬の配合に失敗して死んだ話をしたと思うが、火薬は単に混ぜれば予想通りの爆薬になるわけではなく、配合した量によってその威力が変わるため、それを器に塗る釉薬(鉱石を冶金(やきん)(製錬&精錬)して作った絵具、または化学薬品。)で表現(指示)したのが陶磁器だからである。そして、陶磁器の言葉にある“磁器”とは、電磁波や磁石のことであり、それぞれ混ぜ合わされた粘土や釉薬が磁石となって引き合ったり、くっつき合ってできている器なので、いうなれば、陶磁器は“合金”である。そのため、陶磁器を指ではじくとキンといったような金属音がするのも合金だからで、エクスカリバー(魔剣)の語源になぜ、陶磁器が絡んでくるのか現代用語で言うと、セラミックコーティング、つまり、陶磁器の釉薬で包まれた鉄剣だからである。しかし、何度も言うようだが、爆薬にしても、エクスカリバー(魔剣)のような頑強で、それでいてしなやかで軽く、錆びにくい上に摩耗もしにくく、様々な用途で使える理想の合金を造るにしても、その成分の配合がかなり難しく、現代でも依然、失敗に次ぐ失敗を重ねているのだが、その理由も兵器というのは基本、失敗から生まれる物だからである。要は“正しくて良い”物ではないから爆発したり、人を傷つけ、殺せるわけで、正しくて良い物は人を傷つけ、殺さないので兵器にならないというか、むしろ、なれないのである。それゆえ、ロジー族が作っていた石膏も正しい作り方をすれば兵器にならないのと同じで、正しい作り方を故意に変えて失敗しないと兵器としては使い物にならず、前述した通り、カソリック(キリスト教軍事総合商社)がロジー族のやっていた製法を「邪道」、「無駄」と(ののし)って変えさせた結果が偽石膏=白色火薬になったように、そもそも正しくて良い物を作ったこともなければ、作ろうと考えたことすらない兵器開発研究者達がどう頑張っても“正しくて良い”物は作れないため、確かに彼らが作る物は破壊力や殺傷力はあるものの、ひたすら劣悪で、粗雑(そざつ)で、未熟な物にしか仕上がらず、結局、失敗する。その失敗作品の数々が兵器だった。その中で究極の失敗作として、つまり、兵器として生み出されたのがその鍋島焼であり、柿右衛門様式で、それが後の原子爆弾または核兵器の原理となるものでもあった。というのも、上述したように陶磁器は電磁波や磁石の原理(基本法則)から作られており、原子爆弾(核兵器)も同じくそれらの原理(基本法則)に基づく物だからである。しかし、第116話『汚水』(注1)その3でゾロアスター教の語源を説明する際、アスターとはインダス文明の頃に使われていた原子爆弾の呼び名であると話したと思うが、少なくともアスター(正しくはアストラ)が開発された当初は兵器だったわけではなく、むしろ、人を傷つけずにお互いが生活する上でどうしても必要だったから作られたのだが、その話はもっと後でするとして、ともかく鍋島焼や柿右衛門様式がなぜ、爆薬になるのか簡単に説明すると、陶磁器に塗られているそれぞれの釉薬(化学薬品)同士が引き合って磁石になるからで、それはまさしく電池またはバッテリーの仕組みと同じだからである。つまり、ほぼ磁力を発しない胎土(たいど)(土器や陶磁器の原材料となる土のこと。粘土を始め、陶土(とうど)磁土(じど)といった種類に分けられているが、どれでも主成分は第97話『不浄(1)』で話した乾燥剤のシリカゲルや半導体部品のシリコンウェハーの原料のシリカであり、陶土と磁土はアルミニウムの量が多少、違うだけである。)の上に呉須と呼ばれる強い磁力を発する酸化コバルトの釉薬を塗り、それを焼いて錆びさせた(酸化)後、さらにその上に磁力を加えられるとそれに引かれて磁気(=電気)を発するアルミニウムやカルシウム、ナトリウムが含まれた石灰や草木灰、カオリン石や長石の粉などを混ぜ合わせた透明釉(とうめいゆう)を上塗りしてまた焼くので、酸化コバルトを正極(+)材にしてアルミニウムやカルシウム、ナトリウムなどを負極(-)材にした電池の構造であり、陶磁器はこうして磁力あるいは電磁波の働きによって釉薬の色や絵が器にくっつくようになっている。そのため、実際に陶磁器を兵器転用したのが第二次世界大戦中に日本海軍が製造した四式(よんしき)陶製(とうせい)手榴弾(しゅりゅうだん)であり、兵器に作り変えなくてもその威力は馬鹿にできず、2016年12月22日に新潟県糸魚川市(いといがわし)で起きた糸魚川市大規模火災(または糸魚川市駅北大火)が鎮火までに約30時間もかかり、その被害も糸魚川駅から日本海沿岸まで約4万㎡(東京ドーム1個分ぐらい)にも及んで焼失家屋が147棟、幸い、死者は出なかったものの、それでも被害に遭った人が「まるで空襲のよう」と語った通り、火災の原因はラーメン店の店主が調理中にガスコンロの火をつけっぱなしにして外出した(?)という何とも不可解極まりない火の不始末だけでなく、その火元の向かい側にあった骨董屋や徒歩2分ほど先にもある陶磁器販売店の商品が火に油を注ぐ形で爆発を起こしたもので、これに加えて火災現場となった糸魚川駅近辺は元々、立山(たてやま)飛騨(ひだ)山脈、白馬岳(しろうまだけ)などの日本アルプスの(ふもと)にあり、第94話『水源(2)』で話したアフリカから中東にかけて地球の地盤の割れ目となっている大地溝帯と同じく日本列島のフォッサマグナ(=Fossa Magna、ラテン語で「大地溝帯」という意味で、明治政府(現、皇室&自民党軍事政権)の招へいで現在の東京大学の前身である東京開成(かいせい)学校の地質学と採鉱学の補助教員として当時、小学校教員の月給が8円~9円程度に対し、その450倍の3,600円(現在の価値にすると約9千万円)にて雇われたドイツ人のハイリッヒ・ナウマンが名づけたものだが、博士号を持つというナウマンの経歴はドイツのマイセン出身だけでそれ以外の学校名や博士論文などは一切、確認できなかったので恐らくマイセン窯で働く20歳そこそこの無学な鉱夫を欧米“列強(?)”諸国側が教師として推薦してきたため、その軍事力(暴力)に怯えた明治政府(現、皇室&自民党軍事政権)が似たような名前のドイツのライプツィヒ大学の地質学教授だったフリードリヒ・ナウマンとつい、間違えて破格の税金でもって雇い入れたものと思われる。そのため、その無学ゆえの隠しきれない礼儀知らずで傍若無人な言動により白昼堂々、乱闘事件を起こしたり、雇われの身ながら講演会で日本人の無知や無能ぶりを嘲笑するなど、自分の無知蒙昧さえ自覚できないほど手の施しようのない人物だったらしく、それが明治時代から現在まで日本の最高学府(?)として日本政府が掲げる東京大学の学術レベルを形成した教師の一人でもあった。なお、ナウマンゾウと呼ばれるゾウの化石はこのハイリッヒ・ナウマン東京大学教授の名前から付けられたものだが、化石自体は既に江戸時代から発見されていて海外交易の取引品目の一つでもあったため、ナウマン自身によって発見されたわけではないのだが、実績らしい実績のないナウマン東京大学教授を無理やり持ち上げ、3,600円(現在の9千万円)の税金を払う価値があるよう虚飾する為にわざわざ名づけて大々的に宣伝したものと思われる。)の西端を成す糸魚川静岡構造線(略して糸静線)と呼ばれる大断層線にも位置するため、谷間(地盤の割れ目)を吹き抜ける南風が強く、古代からこの風を利用して“てつはう”(第116話『汚水』(注1)その3参照)や“火牛の計(かぎゅうのけい)”(牛の角に見立てた松明(たいまつ)を二本、頭に付けさせて自爆兵士達に突撃させる戦法のこと。日本で初めてこの戦法を使ったのは現在の富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠(くりからとうげ)で寝静まっていた平氏の軍に夜襲をかけた源頼朝の従弟(いとこ)木曽義仲(きそよしなか)(または源義仲(みなもとのよしなか))(倶利伽羅峠の戦い1183年)で、さらにそれを真似たのが1938年(昭和13年)に岡山県津山市で30人を殺傷した犯人で、この時は頭に懐中電灯を差して夜間での無差別殺人を行ったのだが、そもそも日本政府によって市中に撒かれていた結核菌(第102話『腐敗』(注3)参照)を患った為に兵役を免除されたという犯人が懐中電灯を2本も頭に差す特異な戦法を知っていた事自体、奇妙な偶然であり、古来からこの戦法を伝承して駆使してきた大倭朝廷(現、皇室)と日本政府の指示により犯人がこうした戦法や兵器などの研究を家で行い、実際にその人体実験として試したのが津山30人殺しの真相だったと思われる。)などの火薬攻撃を僧兵達が行ってきたことからこの谷間を吹き抜ける風のことを“蓮華(れんげ)おろし”や“寺紋風(じもんかぜ)”とも呼んでいて、これまで糸魚川市では被災した建物が百軒を超すような大火事が江戸中期の1777年から上述した2016年も含めて少なくとも13回、平均して13年に一度の割合で頻繁に起きており、夜間の災害に備えて夜、ご飯を炊くのが習わしだそうで、それらの事実から2016年の大火事も高齢化や過疎化が進んだ糸魚川駅商店街の町おこしの一環として行われた官製談合ならぬ“官製テロ”だったらしく、第99話『人災』(注1)でも新潟水俣病により列島改造論を掲げた当時の首相の田中角栄が下流域の住民達を立ち退かせ、空港や自衛隊の基地などを拡張したように、新潟県糸魚川市では13年毎にこうした大火事をわざと起こしては復興と偽った市街地の改造を行うのが常習となっており、そのため、他地域では必ず個人負担が求められるがれきの処理費用や避難住宅の家賃、災害支援金も無関係な国民の血税で(まかな)うと日本政府が勝手に決めているようで、さらに糸魚川駅周辺の商工業者達の資金だけでは叶わなかった雁木造(がんぎづく)り(各商店のひさしを伸ばしてアーケードにする建築様式のこと。)も含めた5年間に渡る『糸魚川駅北復興まちづくり計画』も当然、国税と保険金目当てに町ぐるみで起こしたテロとも知らず同情して被災者を助けようとする国民が負担することになっていて、これも日本政府によって起こされた1995年の阪神淡路大震災でプレハブの倉庫のような狭い仮設住宅に住むことを余儀なくされ、倒壊した家のローンを抱えながら仕事も失い、10年以上も貧困に苦しむことになった多くの被災者家族や日本政府の勝手な都合で毎年のように減額されるなけなしの年金から復興住宅の家賃を払って生活している高齢者達を入居期限を理由に追い出すなど、それまで散々、税金を巻き上げておきながら日本国憲法に定められた福利を多くの国民に与えず情け容赦ない対応しかしないのに対し、古代から大倭朝廷(現、皇室)の軍事拠点となっている地域の住民にはたとえ自作自演の災害であっても手厚い税支援をするようで、しかも、こうした官製テロを平均して13年に一度の割合で繰り返しながら“結果”、糸魚川市の市街地は過疎化や高齢化で(さび)れていく一方なのだから、もはやこんな官製テロ復興サイクル政策を何度、行おうと無駄な税金を垂れ流すだけなのだが、火災のみならず糸魚川静岡構造線(糸静線)の断層線を利用した(第116話『汚水』(注1)その4参照)地震被災を装った詐取もこの辺りでは古くから地場産業になっており、その手口は現在の糸魚川市市振(いちぶり)から青海駅(おうみえき)までの親不知(おやしらず)子不知(こしらず)と呼ばれる全長約15kmの断崖絶壁の海岸を通る旧街道で横行していたらしく、この辺りを親不知子不知と呼ぶようになった所以(ゆえん)というのも平清盛の娘で安徳天皇(第116話『汚水』(注1)その3参照)を生んだ高倉天皇の中宮(皇妃)の平徳子(たいらのりこ)(出家後は建礼門院(けんれいもんいん))が「親知らず 子はこの浦の波枕(なみまくら) 越路(こしじ)(いそ)の泡と消えゆく(実の親が誰かも知らず我が子はこの日本海の波を枕にしながら幼くして死者の世界へ泡のごとく消えていった。)」との和歌を()み、自分の出世の為に同じ血筋の平氏一門を裏切り、中宮(皇妃)である自分を強姦して妊娠させた挙句、そうして生まれてきた安徳天皇も血も涙もなく壇ノ浦の戦いに巻き込んで、同じ血筋を持つ者同士、お互い支え合って生きてきた一族郎党を自らの手で抹殺しながらそれでも出世が(あきら)められず、自分の所領に住む神社の神人(しんじん)(神主や神社職員)や寺院の僧兵達に命じて地震を起こさせ、「天災(?)に遭わないよう賽銭をし、お(ふだ)を買ってからここを通りなさい。」と言っては落石や津波の起こりやすい海岸沿いの街道を通る人達から金を脅し取り、そうして稼いだ金を後白河法皇を始めとした大倭朝廷(現、皇室)への賄賂や軍資金に使っていた平頼盛(たいらのよりもり)を皮肉ったからで、その和歌が詠まれた頃に頼盛が東北地方の行政を監督する陸奥按察使(むつあぜち)の官職をもらったことから頼盛による犯行と(おぼ)しき地震が現在の親不知駅周辺でも多発し、その実態を知る者達の口から噂が広まっていつしかその周辺は親不知(おやしらず)と名づけられるようになり、それと同時にそれまで親や先祖が犯してきた手口とも知らず似たような犯行を繰り返す地域を子不知(こしらず)とも呼ぶようになった。こうして、古来より大倭朝廷(現、皇室)は火薬その他の兵器を使って天災=自然災害を装った人災を操作し、大衆を恐れおののかせてからその攻撃の手を緩め、自らの神通力で鎮圧して見せたと偽って天子=神の子孫を(かた)るようになったのだが、それは何も大倭朝廷(現、皇室)に限ったことではなく、密教、仏教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教、その他、世界中のどんな宗教でも元々、同じゾロアスター(原子爆弾&戦争礼賛)教から派生した教義(教育)であり、どの国(王朝)もそれを国教に定めて信仰してきた以上、どの国(王朝)もその教えに従った犯行を重ねることで王権神授説を唱えてきたのだから、もはやどれも使い古された手口でしかないのだが、もっと言えば、現代に至ってもなお、日本政府(皇室&自民党軍事政権)も含め世界中のどの国(王室)も最初にゾロアスター(原子爆弾&戦争礼賛)教を教え広めたアッシリア帝国の軍事知識や技術を再現する為にあらゆる人や物を犠牲にして研究開発に取り組み、「現代科学は古代とは比べようもなく発展した」とか「現代人は古代人より進化している」などと常に自慢気に豪語しているが、そもそも“再現(=Recreate)”とは過去の知識や技術を表現しようとすることなのだから退化しているのであって進化したわけではない。つまり、似たような同じ兵器を作って、同じような犯行を重ね、戦争(人殺し)を繰り返してもちっとも進歩も発展もしておらず、結果も昔と変わらずアッシリア帝国と同じ衰亡を繰り返すだけなのだが、当の首謀者達は親や先祖が犯してきた過ちはもちろん、自分達が過去に犯した失敗すら振り返らないのでひたすら亡国の道をたどることに専念する。そして、その古代に(すた)れた失敗作品=兵器を再び作ることに専念してできた爆薬(原子爆弾)が江戸時代の初めでは鍋島焼(有田焼)や柿右衛門様式の陶磁器であり、現代では携帯電話、パソコン、電気自動車などに使われ、充電できるリチウムイオン電池(またはリチウムイオン二次電池)、もしくは電卓、時計、電子手帳などに使われて充電できないリチウム電池(リチウム一次電池)に見た目だけが変えられただけなのだが、どうして後者のように似たような電池が次々、作られるのかと言うと、兵器(失敗作品)は元から危険になるよう作るため物として不安定で扱いづらく、分量や製法の加減が難しいからである。何せ、撃つ前から暴発してしまう銃では使い物にならないのと同じで、まさしく敵に対しては強力な“(ほこ)”となり、自分の身体は最大限に守ってくれる“(たて)”、いわゆる“矛盾”を極めようとするのが兵器開発なので電池の中に配合される成分や量も取っ替え引っ替えしないと予測不能な事故や事態が起きやすくなる。そのため、極端な例を挙げるなら、前述した明治時代の征露丸は服用したらすぐに脚気(かっけ)の症状が現れるが、現在の正露丸(第116話『汚水』(注1)その5参照)だと即座に症状は出ないようになっている。それを現代の科学者やマスコミは「科学技術が進歩した(?)」と言っているのだが、中身は依然、危険物(兵器)に変わりはないのだから当然、事故がしょっちゅう起き、そうした事故や災害によって多くの人が傷つけられ、死んでしまう。それでも、大倭朝廷(現、皇室)を始めその臣下である軍事企業の技術者達は自分達こそ科学の知識や技術を発展させ、日本の国富を増やす能力があると信じ込んでいるのだから事実誤認も(はなは)だしいのだが、上述の通り、自分達に都合の悪い過ちや失敗、批判や非難は一切、「見猿、言わ猿、聞か猿、振り返え猿」(8世紀頃に密教(ゾロアスター教日本版)を通じて儒教の経典である『論語』の中の「礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、 礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざれば行うなかれ」との一説が伝わり、以後、日光東照宮の“三猿”のようにそのモチーフ(根本思想)を表した彫刻や装飾品、絵画などが作られるようになった。なお、三猿(=Three mystic apes)は日本だけでなく、第二次世界大戦中にアメリカで原子爆弾を開発するマンハッタン計画(第111話『歴史書』参照)に参加する関係者に「原子爆弾を研究開発するアメリカ合衆国エネルギー省(=The United States Department of Energy、略はDOE)の施設内で見たこと、聞いたことは絶対に外に漏らすな」との機密漏洩を警告するポスターにも使われていて、元の『論語』にある「礼にあらざれば」とは「密教(ゾロアスター教)の教え=守秘義務に背くことであれば」という意味なので、三猿は決して「善を見て、善を言い、善を聞いて、善を行う」という意味ではない。つまり、日光東照宮の三猿も軍事機密を外に漏らすなという闇社会の掟を表した彫刻である。また、日光東照宮は「関東八州の鎮守神(ちんじゅがみ)氏神(うじがみ))として自分を(まつ)れ」との徳川家康の遺言により建てられたのではなく、その遺言自体、黒衣の宰相と呼ばれる大倭朝廷(現、皇室)お抱えの家庭教師だった円照(えんしょう)本光国師(ほんこうこくし)(一般的には以心崇伝(いしんすうでん)または金地院(こんちいん)崇伝(すうでん)で知られる。)の書いた『本光国師(ほんこうこくし)日記』(1610年~1633年まで著者が執筆し、6代将軍の徳川家宣(とくがわいえのぶ)に仕えていた朱子学者の新井白石(あらいはくせき)によって1713年に発刊された。)に勝手に記されていただけなので家康本人の“遺言”ではないのだが、大倭朝廷(現、皇室)にケチをつけ、軍縮を迫る小癪(こしゃく)な家康を暗殺できた記念に大倭朝廷(現、皇室)が新たな軍事施設として1616年~1645年までの30年近く税金を使って豪奢な神殿に仕立てたのが日光東照宮である。)なので、その姿勢は古代からの邪教を守ろうと日光東照宮に三猿を掲げるぐらいだから江戸時代から変わらず、そのため鍋島焼(有田焼)も柿右衛門様式も当初は革新的な新兵器として世界から注目され、人気を博したようだが、すぐに想定外の事故が多発して使い物にならなくなり、1世紀も経たないうちに人気(取引数)は低迷し、事故を恐れて作風(火薬の分量や製造方法)も定型(マニュアル)化していき、柿右衛門様式に至っては定型(マニュアル)化された技術すらまともに継承できなくなったらしく、1685年には鍋島藩(佐賀藩)から直接、製造中止を求められる事態にもなったのだが、その現状もやはり三猿の教えに従って無視し、結局、鍋島藩(佐賀藩)による地域再生計画(または地方創生とも呼ぶ。現代では2014年に発足した安倍晋三氏(第116話『汚水』(注1)その3参照)が首相を務めた安倍内閣の経済政策の一つとして有名で、無知蒙昧な一般国民に分かりやすいよう配慮したつもりなのか横文字名でローカル・アベノミクスとも呼ぶ。もっと簡単に言えば、村おこしである。元は2005年に小泉純一郎氏が首相を務めた際に行われた構造改革の一つに制定された地域再生法に基づき、国や地方自治体だけでなく、個人、民間企業、NPOのような組織団体からも仕事が減った過疎化地域に雇用や人口を増やすアイデアを募集し、それが日本政府(皇室&自民党軍事政権)に認められたらそのアイデアを実現させる為に税金で支援をするという仕組みである。要はそれまで規制されていた税金の横流しをする相手や場所を広げるためヤラセで村おこしアイデアコンテストを開き、それに入賞すれば税金で賞金がもらえるとの法律で、もちろん、ヤラセなので全国どこでも村おこしができ、誰でもアイデアを出して応募できるわけではなく、日本政府(皇室&自民党軍事政権)に認められた地域に限られており、入賞者や村おこしのアイデアも最初から決められている。そのため、もはやどう悪足掻きしても倒産は免れ得ない地方の零細企業や商店であっても日本政府(皇室&自民党軍事政権)に認められるなら前述した既に倒産している富山県の株式会社老子(おいご)製作所(第116話『汚水』(注1)その5参照)でも操業が続けられる通り、税支援が受けられるようになっていて、その結果、小泉内閣で作られた国の借金だけでも283兆2,257億円(2001年~2006年の財務省統計参照)、さらに安倍内閣では国税以外にふるさと納税と呼ばれる地方の特産品や珍味などが後でもらえるとの誇大広告や詐欺広告を見せてから一般国民に地方の企業や商店に寄付させる制度まで設けて税支援を続けたが、それでも景気は上がらず国の借金は膨らみ続け、小泉氏が退陣した2006年時点の借金額は879兆3,685億円、2021年時点の借金額は前話の通り、1,216兆4,634億円、減るどころか逆に増えている。つまり、日本政府(皇室&自民党軍事政権)が推す企業や商店に税金をたくさん注いで支援しても全く無意味だったという“結果”なのだが、その悲惨な結果を誤魔化す為に今もなお、せっせとコロナウィルス(偽伝染病)騒ぎやオリンピック競技に(うつつ)(正気)を抜かしているのだから日本という国(共同社会)が死にかかっていることはもはや誰にも否定できないだろう。)の一環だったのか、時折、公共事業を一部、回してもらって食いつなぎ、それでも途中、何度も中絶しながら柿右衛門様式は現代まで細々と続けられることとなった。なお、1643年に柿右衛門を名乗り始めた酒井田喜三右衛門(さかいだきざえもん)からおよそ371年の時を経て2014年からは酒井田(ひろし)氏が15代目の柿右衛門である。)などの大倭朝廷(現、皇室)から密命を受けた佐賀藩(鍋島藩)が怨念を込めて造った陶磁器が年末のお歳暮として約2千個も将軍である家光の元に届けられたのだが、その多数の器に上塗りされていた透明釉の中に水銀が混入されていたため陶磁器が持つ磁石(電磁波)の働きから自ずと発熱して水銀が揮発(蒸発)してしまい、そうとも気づかない家光は日頃、絵を描くのが好きで家臣達にも自作の絵を贈るぐらい大の美術愛好家だったことも災いし、一品一品、丁寧に陶磁器の絵を眺めていたせいで水銀中毒にかかってしまい、年明けから頭痛に悩まされてまっすぐに歩けなくなり、しばらく陶磁器から離れて安静にしたことで一時は回復するかに見えたが、少し気分が良くなった4月に気分転換にと再度、手にした陶磁器が原因で48歳の若さで生命を落とすこととなった。こうして、大倭朝廷(現、皇室)にとっては目の上のたん(こぶ)だった家光を暗殺できたものの、徳川家康から家光までの3代に渡って成し遂げられた“武断政治”(“武力(暴力)を法律でもって断ち切ること”で大倭朝廷(現、皇室)の息がかかった武将(大名)達が政治に関与したり、勝手気ままに権力を振り回して法律を曲解させないよう取り締まりを強化し、武士=軍人政治家=武力(暴力)でもって一般庶民から税金を脅し盗るヤクザ家業を廃業させるべく藩の取り潰し(改易(かいえき))や左遷(転封(てんぽう)または国替え)、減俸降格処分(減封(げんぽう))などを行った。それにより取り潰された藩の数は131家に及び、徳川家の親戚筋であろうと法律の公平性を保つため断固とした処分が下されることとなった。しかし、そうした藩(軍需企業)の取り潰しで失業しても依然、社会制度の中で大倭朝廷(現、皇室)が存続する限り、軍資金(税金)が大倭朝廷(現、皇室)から牢人(ろうにん)(失業した武士)達の手に渡ってしまうため完全な失業(廃業)には至らず、時代の変化についていけないまま現状に固執し続けてこれまで通り、武士(軍人公務員)を続けようと別の藩への士官(転職)を希望したり、逆に戦国時代の野武士のように極道者(ダークヒーロー)を気取る素浪人(すろうにん)(住所不定無職の浮浪者、現代用語で言えばニート)になったりして大倭朝廷(現、皇室)に命じられた時だけ仕事(忠臣や恩義)のつもりで幕府(徳川政権)の行う政治への妨害や嫌がらせとなる暴動やテロ、暗殺などを請け負う裏稼業に携わる者も出るようになった。だが、そうなったとしても幕府(徳川政権)側は決して牢人(失業した武士)達を見棄てたわけではなく、新たな時代の幕開けを告げると共に武力(暴力)に頼るヤクザ家業を改めさせ、他の職業に目を向けさせ、もっと自由に、もっと豊かに、もっと楽しく、“誰もが安心して生きていけるよう”促しただけであって、その為に犯罪の取り締まりを強化し、彼らの再就職先を増やそうとまず、日々の(かて)であり、病気を予防して妊娠率を高め、幸福感や満足感、活力の源となる食料品の充実を図るため農業や漁業のできる場所を増やすよう干拓(かんたく)事業(海の潮を読んで堤防を築いてから海水を除き、埋め立てを行ってそのまま塩田や干潟(ひがた)にしたり、あるいは灌漑(かんがい)(水の流れを変えて川や水路、港湾などを整備すること。第110話『灌漑』参照)を行って埋め立てた土地に浸み込んでいる海水の塩分を洗い流し、米を始めとした農作物が栽培できる土壌に変えて新しい田畑の面積を増やすこと。なお、塩田や干潟(河口域などにある泥地)については後ほど、詳しく本作品にて紹介する予定だが、第110話『灌漑』でも日本の湾はほとんど人が造ったものと話したと思うが、同じく砂浜や干潟(河口域などの泥地)も地球という宇宙の星自身がものすごい時間(歴史)をかけて創ってくれた訳ではない。人間が地球で生きる為には必要だったから造ったのであって、これも文明(神が与えてくれた智慧)によってできたものである。そのため、干潟が河口域や湾奥(わんおう)の、あまり海水が入ってこない場所で見られるのは灌漑(水を引き込むこと。)により干拓地の塩分を流すだけでなく、山から流れ下って来る肥沃な土砂や泥を新しい土地に流し込む為で、それをあえて田畑に作り替えず逆に適度に海水も引き込み、山の肥沃な土壌と海の栄養塩、そして潮によってもたらされる新しい酸素を供給させ、干潟を住処(すみか)とするカニやシャコ、アサリやヨコエビ、クルマエビ、海苔といった魚介類や海藻類を始め、それらを狙ってやって来る水鳥なども食料として捕獲できるようにもなっている。また、干潟に住むバクテリアが川に流される生活排水をある程度、分解除去してくれるため、海が赤潮(プランクトンの異常発生)に汚染されて魚介類や海藻類が減少したり、死に絶えるなどの環境汚染が防げる他、砂浜や干潟が津波や高波を緩和してくれるため直接、人の住む町や村が襲われることがなくなり、防波堤の役目も果たしてくれている。しかし、そうした利点の多い砂浜や干潟の造り方はもちろん、その価値すらも理解できない明治政府(現、皇室&自民党軍事政権)が復権し、軍需産業を主体とする工業化が推進されるようになると干潟は単なる役に立たない泥地(でいち)と思われて埋め立てられ、そこに軍需工場が建ち並ぶようになり、兵器に使う危険で有毒な工場排水が流されることにより第99話『人災 』(注1)の水俣病などの公害が発生して次世代を(にな)うはずだった子供達が巻き添えになって死傷することとなった。そして、現在、漁獲量や魚介類の種類の大幅な減少で干潟の価値が見直されるようになってきたものの、それでも依然、軍需産業を国家産業の柱にする政策に変わりがない以上、日本政府(皇室&自民党軍事政権)はもとより、国連が旗を振る干潟や湿地、森林湿地、オアシスやワジ(季節川。第94話『水源(2)』参照)などの保護を(うた)った1971年のラムサール条約(=The Ramsar Convention on Wetlands of International Importance Especially as Waterfowl Habitat、正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」1971年にイランのラムサール市で締結した為にその名を採ってラムサール条約と呼ばれる。そもそもなぜ、特に環境対策に詳しい訳でもないラムサール市がこんな条約を決める場所に選ばれたのかと言うと、1950年代から軍縮を願ったアメリカのアイゼンハワー大統領(第116話『汚水』(注1)その3参照)が軍需産業(兵器)を人を殺す物から逆に安全に利用できる物へと転換させようとして提唱した「平和の為の原子力利用(=Atoms(アトムズ) for(フォー) Peace(ビース))」演説を曲解し、電気のない地域に電気を導入させるとの名目の下、アイゼンハワーの軍縮に反発心を抱くアメリカ政府やイギリス政府(王室)が協力してイランでの核開発計画を推し進めたため、核燃料を始めとした放射性廃棄物、いわゆる核のゴミをイラン政府は一般国民には黙ってラムサール市の干潟に埋めてきたのだが、次第に放射線の量が半端ないものとなってきて世界でも噂が広まり、水や土壌も汚染されて地域住民の健康被害が拡大したことでもはや温泉による自然放射線との言い訳にも限界が出てきたことからラムサール市と同じ問題を抱える各国政府(王室)が集まって一般国民に対する隠ぺい方法について話し合ったのがこのラムサール条約である。つまり、英語のWaterfowl(ウォーターファウル) Habitat(ハビタット)というのは日本語では水鳥と訳されているが、実際はWaterfowl(ウォーターファウル)を平たく言い換えるとアヒルやガチョウ、白鳥などのカモ科の鳥を指す言葉なので、日本語でも「カモがネギを背負(しょ)って来る」との(ことわざ)にもある通り、水鳥の中でもカモは捕まえやすく、江戸時代から水鳥の狩猟が職業の人達の間では「カモ猟なら楽に儲かる」との意味からそうした諺ができたように、英語でも“カモ科のアヒルやガチョウ、白鳥”は「間抜け」を意味するため、Waterfowl(ウォーターファウル) Habitat(ハビタット)の本当の意味は「間抜けな地域住民または大衆」である。だから、日本でも愛知県名古屋市の藤前(ふじまえ)干潟が2002年にラムサール条約に登録されたのもそこに長年、地域住民には言わずに核のゴミを埋めてきたからで、1984年から名古屋市が藤前干潟をゴミの最終処分場に指定して以来、愛知県内のガン患者の数は2017年には2.6倍、心疾患は1.4倍、脳血管疾患は0.7倍にも膨れ上がり(2018年に愛知県作成の『第3期愛知県がん対策推進計画』参照)、その中で男性は肺がんでの死亡率が最も高く、女性は大腸がんによる死亡が多いそうで、全国でも同じような傾向にあるものの、それでも愛知県の女性は大腸がんや胃がんの死亡の割合が全国より大きいらしく、しかも、愛知県は全国有数の農業地域でもあることから地元産の農作物を県民に消費するよう推奨しているため当然、放射能汚染された食品を食べたり、トヨタ自動車株式会社を始めとした核兵器の部品生産などで男性の多くは直接、被爆し、肺がんを発症していることは藤前干潟にゴミが埋められ始めた時期とも一致することからラムサール条約が決して人を含め多くの生物が“共存共栄できる環境を保護すること”を目的に締結された条約でないことは明らかである。)もプロパガンダ(大衆洗脳宣教)を目的としたパフォーマンスに過ぎず、彼らが推進し続ける軍拡によって地球全体の環境が今まさに脅かされ、死にかかっている。)などの環境整備を行うと共に、少しでも労働の負担を減らして楽に働けるよう農工具を始めとした作業道具の改善も試みた。そのため、様々な道具の原材料となる金属や木材の加工を行なおうと鉱山や森林開発にも力を入れ、冶金(やきん)(製錬&精錬)や鋳造、木材の伐採(ばっさい)や材木加工を行う職人達も呼び込んで同じ仕事を請け負う商店(企業)や工場もどんどん作らせていった。要するに、19世紀のイギリスの産業革命より200年以上も早く行われた日本の産業革命である。そうしてその産業革命を全国に広める為に主要な幹線道路である東海道(現、三重県から茨城県までの太平洋沿岸の道路)、日光街道(現、東京都中央区日本橋から日光東照宮のある栃木県日光市までの道路)、中山道(なかせんどう)(現、日本橋から群馬県、長野県、岐阜県を通って京都市の鴨川に掛かる三条大橋までの道路)、奥州(おうしゅう)街道(現、江戸城または日本橋から日光街道を通って福島県白河市までの道路)、甲州(こうしゅう)街道(現、江戸城または日本橋から長野県諏訪郡(すわぐん)下諏訪町しもすわまちまでの道路)の五街道(ごかいどう)の幅を広げ、約4km毎に一里塚(いちりづか)を置き、事故や犯罪、武器の不法所持を取り締まる為の関所(現代で言う交番)や宿場街(ホテルがい)、第91話『ロゴス(言葉)(1)』にて話した替え馬や給水所となる宅配所(チャアパ・カーネー)と同じく駅伝制を敷いて、飛脚(ひきゃく)と呼ばれる郵便制度も設け、さらに貨物の荷崩れを防ぐと共に歩行者の足にも配慮して平坦な道路にすることはもちろん、歩行者の熱中症を防ぐ為に日差しが直接、当たらないよう道路の脇に並木まで植えて整備した。また、各地の港湾も干拓事業(新田開発を兼ねた埋め立て工事)や灌漑(河川の流れを変える工事)と併せて以前より大きく広げるよう整備し、そこから城下に向かって河川や運河を張り巡らせることで道路での輸送以外に水上交通を使って人や物の運搬ができるようにした。なお、現代の日本政府のプロパガンダ(大衆洗脳宣教)による教科書や学術資料では度々、現在の山形県の酒田港から津軽海峡を渡って太平洋沿岸から江戸に向かう東回り航路と、同じく酒田港から日本海沿岸を航行して瀬戸内海から大阪に向かう西回り航路を伊勢国(現、三重県)出身の河村瑞賢(かわむらずいけん)という男が整備したとしつこく何度も宣教されるが、河村瑞賢は元は南北朝時代に後醍醐(ごだいご)天皇(第116話『汚水』(注1)その3参照)の家臣で公家の北畠(きたばたけ)氏にこれまた仕えていた家来の末裔らしいので、まさに大倭朝廷(現、皇室)のスパイであることは間違いなく、彼が整備したと21世紀の現在も自慢するその二つの航路も元々、徳川政権が指示したものではなく、自分達が豊臣秀頼を焚き付けて起こした大坂の陣(第116話『汚水』(注1)その5参照)に必要な兵站活動を行う際に使っていた航路であり、江戸時代以降も徳川政権の景気対策に便乗して大倭朝廷(現、皇室)に味方し、年貢米(税金)の横流しや製造または輸入した武器の密輸を行う各藩(現代でいう都道府県などの地方自治体)の港を経由して京都御所に直結する大阪や江戸にいる自分達の味方の諸藩にそれらの貨物を集約させる航路に決めていただけなので、徳川政権としては特に法律(国家命令)として航路を決めていた訳ではなく、自由競争の市場経済において自分達の懐事情により最短かつ最安値、しかも最小の労力で済む航路を一般国民が自由に選択すれば良く、また、船舶会社もそうした一般国民の需要(選択肢)に基づいた船を走らせるサービスを自由に行なえばいい訳なので、そこに政府(徳川政権)がいちいち介入して口出しする必要もない。政府(徳川政権)としては公平な市場競争のルール(法律)を大衆に守らせればいいだけで、後は豊かになりたいと願う大衆が勝手に市場を盛り上げ、勝手に景気を上げてくれる。だからこそ、一般国民の誰もが使う道路や港湾を安全かつ便利になるよう整備はしても政府(徳川政権)がいちいち自由市場経済に介入して税金を無駄遣いするつもりは更々なく、特に航路らしい航路を政府(徳川政権)が決めていた訳ではないのだが、唯一、政府(徳川政権)が頻繁に船を走らせていたのは大阪と江戸の間の南海路(なんかいろ)菱垣廻船(ひがきかいせん)という材木を竹籠のように菱形(ひしがた)に組んで船体を強化し、座礁(ざしょう)難破(なんぱ)に耐えられる大型の定期船を行き交わせていただけで、これも大都市の住民がよく使う木綿(もめん)や油、酒、酢、しょうゆといった日用品が不足しないよう補充すると同時に、大倭朝廷(現、皇室)が倒幕を狙って頻繁に起こす放火や地震、洪水、津波、火山噴火、上述した牛疫(ぎゅうえき)などの伝染病といった様々なテロ災害に備える為の防災用品を備蓄する為で、年貢米(税金)の横流しと同様、大倭朝廷(現、皇室)とその臣下達がいい加減、軍拡や復権を(あきら)めれていればもっと年貢(税金)は減らせて一般国民はより安全にもっと豊かに暮らしていけたのだろうが、徳川家光が悩んだ通り、幕府はあくまで軍事政権だった為に大倭朝廷(現、皇室)を真っ向から否定することはできず、一般国民の知らない闇社会で無駄な攻防戦(税金の垂れ流し)を続けるしかなかったのだが、それでも徳川政権による日本の産業革命は19世紀のイギリス政府(王室)によるものとは比べ物にならないぐらい一般庶民に安全と衛生と豊かさをもたらし、第116話『汚水』(注1)その1で触れた通り、1万軒以上の学校が立ち並んで民衆の識字率が7割を超える教育レベルにも達し、さらに一般庶民が旅行や外食したり、遊興や娯楽に自分が働いて得たお金を使えるぐらいだったのだから、生き延びる為に汚泥の中で金目の物を探していた19世紀のイギリスの一般庶民の暮らし(第116話『汚水』参照)とは雲泥(うんでい)の差であることは言うまでもないだろうが、この他にも徳川政権がもたらした功績は後ほど再び語るとして、ともかく武力(暴力)を断ち切って平和な産業を促進した政治=武断政治は(まぎ)れもなく成功した。なお、補足だが、学校などで菱垣廻船と並んで紹介される樽廻船(たるかいせん)も、徳川政権が航行させていた船ではなく、第116話『汚水』(注1)その3で蚕の作り方を話したように大倭朝廷(現、皇室)が清酒、つまり日本酒を樽に詰めてアルコール中毒を始めとした病気に一般大衆をかからせる為に生物(細菌)兵器を運ぶ密輸に使っていた船のことであり、菱垣廻船が強化された船体を持つ頑丈な船に対し、樽廻船は弁才船と呼ばれる仏教やヒンズー教に出てくる水や話術、芸事、売春婦の女神である弁才天(べんざいてん)(=Saraswati、サンスクリット語ではSarasvaī。漢字は弁財天とも書くが、弁天と略して呼ぶことが多く、神社に白蛇と一緒に祀られている以外、埼玉県川越市にある弁天横丁がかつて花街(はなまち)(売春宿が多い通りのこと。)だったように、弁財天はお酒(もしくは麻薬)を注いで売春を請け負っていた巫女や尼僧のことであり、ゾロアスター教でもアナーヒター(=Anahia)と名前を変えて出てくるが、その他にも別名、イシュタルとも呼ばれており、イシュタルとは第111話『歴史書』で話した青銅器時代に自分を振った男を恨んで天の牡牛(シュメール文明時代の原子爆弾名)を送ったあの女神イシュタルのことで、彼女についてはまた後で話そうと思う。)にちなんで名付けられた旧式(戦国時代から安土桃山時代の頃の)船を使っていて運賃はかなり安いが、その分、船体が弱いので危険が多く、事故や盗難に遭った際に乗客や積載した貨物に対する補償もなかったのだが、徳川政権の代々の将軍が大倭朝廷(現、皇室)と妥協していくにつれ、弱体化するようになると、積み荷の横流しや大倭朝廷(現、皇室)のスパイが自然災害を装って船舶に火薬などを仕掛ける海難偽旗(にせはた)テロなどの犯罪が多発するようになり、それを取り締まって強く処罰するはずの政府(徳川政権)が大倭朝廷(現、皇室)に気兼ねして不正を見逃すようになったためそれまで安全だった菱垣廻船が逆に海難偽旗テロで何度も難破するようになり、価格競争にも負けて樽廻船(弁才船)が菱垣廻船を(しの)いで酒以外の人や物を積むようになって大型化していき、そうして増えた荷重に耐えられるよう多少、()()ぎで補強したようだが、それでも元々、大型用の船ではなかった為に安定性に欠き、右へ左へ横揺れしやすく、積み荷が崩れて傷つきやすいばかりか座礁も難破もしやすい上、乗客はもちろん、船を操縦する船員達も船酔いで体調不良にもなりやすくなったのだが、それでもそんな不具合など全く考慮することなく、それどころか、江戸中期になると単に船の速度を上げたい為だけに帆布(はんぷ)がムシロから木綿に換えられたため、それまでムシロの隙間で緩めていた強風を隙間のない厚みのある木綿がそのまま受けて(かじ)が利きにくくなり、余計に海難事故を増やす結果となった。また、江戸時代と言うと、徳川家の代々の将軍が中東のハーレム(=harem、トルコ語で「(けが)したり、犯してはならない女性達の神聖な場所」という意味で、第92話『ロゴス(言葉)(2)』や第100話『智慧 (1)』(注1)でも説明した通り、元々、結婚制度は世界中どこでも、男性であれ、女性であれ、多数の人と結婚できる多重婚制度だったので、一つの家族が大所帯になりやすく、必然的に女性達が育児をする為に屋敷の奥で生活するようになった。しかし、これも第92話『ロゴス(言葉)(2)』(注5)で話したが、多重婚によってお互いの田畑や土地の相続権争いが拡大して戦争(人殺し)になるため次第に女性達の多重婚を禁じる法律を敷くようになり、さらにゾロアスター(戦争礼賛)教の影響により女性を戦利品として見る考えが加わってからはその戦利品である女性達をたくさん囲う=所有することが男性のステータス(社会的地位)を表すようになった。)のように正妻はもとより、たくさんの側室(愛人)を囲っていた大奥の印象が本やテレビ、映画のプロパガンダ(大衆洗脳宣教)の影響でかなり強いが、これも徳川家が率先して大奥を法律(国家命令)として制度化したわけではなく、元々は政府官邸(江戸城)に勤める女性公務員(女中)達が住み込みで働いていた為に彼女達に悪戯(いたずら)したり、強姦しようとする不心得な男性公務員(武士)達の魔の手から守ろうとして男子禁制にしたのであって、女性公務員(女中)達が将軍様以外の子供を妊娠しないよう四六時中、見張られていたわけではない。なぜなら、徳川家康自身が自分の血筋についてこだわっていなかったからで、日本の国土そのものをそこに住んで働く全員の物と考えず、自分達、一家族のみの物と考えるのは大倭朝廷(現、皇室)だけなので、その私有財産を自分の血筋に相続させようとすれば我が子でない赤の他人には渡したくない気持ちになるだろうが、家康自身は大倭朝廷(現、皇室)の考えとは真逆だったので、能力さえあれば我が子でも養子でもどっちでもよかったのだが、将軍(国家元首)を務めるには大倭朝廷(現、皇室)がしつこく送って来る刺客や臣下達との絶え間ない命懸けの(むな)しい攻防戦を強いられるためそんな過酷な使命を他人の子供に継承させる訳にもいかない。それゆえ、我が子に自分の平和への思いを伝えて幼い頃から教育し、日本を武力(暴力)のない社会=天下泰平(てんかたいへい)を維持できるよう将軍(国家元首)職を家族経営にしたのだが、ご承知の通り、将軍または征夷大将軍は大倭朝廷(現、皇室)から与えられる官職なので、使える国権に限りがある。そのため、都度(つど)、大倭朝廷(現、皇室)との融和や妥協を図る為に使われた手段というのが結婚だった。戦国時代でもお互い武力衝突を避ける為に政略結婚を頻繁にしていたように、江戸時代でもその風習は続けられていたため家光の代になると大倭朝廷(現、皇室)はスパイとして送っていた家光の乳母である春日局(かすがのつぼね)を通して側室(愛人)を家光に置くよう勧めてきた。もちろん、幼い頃から何度も春日局に暗殺されかかってきた家光としては彼女が信用できなかったので側室(愛人)を勧められても結婚(性的交渉)を拒んできたのだが、自分の微妙な政治的立場を思うと無下(むげ)に断り切れなくなり、結局、必要に応じて妥協し、春日局を始めとする大倭朝廷(現、皇室)が薦めてくる側室(愛人)と結婚(性的交渉)するようになった。そうして家光と結婚した側室(愛人)達が子供を産むようになると当然、母親である彼女達は大倭朝廷(現、皇室)寄りの考えを我が子に吹き込むため、失政を大目に見る家族経営の甘さも手伝って代々の将軍(国家元首)職はいつしか大倭朝廷(現、皇室)側の家臣達に操られるだけの名ばかり君主職となっていき、弱体化する幕府(徳川政権)に頼りなさを覚えるようになった大名(官僚)達からも段々、見放されるようになって、結局、再び、古代からひたすら武力(暴力)と戦争(人殺し)を呪文として唱え続ける大倭朝廷(現、皇室)に政権転覆(クーデター)されることとなった。)により戦国時代を始め、それまでの大倭朝廷(現、皇室)の顔色やご機嫌を窺う鬱屈(うっくつ)した政治とまるで違う自由で闊達(かったつ)な、未来への希望に満ちた江戸社会の雰囲気に触れたしまったのと、何より法律で武力(暴力)や犯罪への取り締まりが強化されて安堵感が高まったことからもはや戦国時代に後戻りして出世や生き残る為に周囲の敵を始終、気にしながら貧乏侍(びんぼうざむらい)を続けていくことに疑問を持つ者達が次第に大倭朝廷(現、皇室)側からも出るようになり、1651年に兵法の第一人者と名高かった軍学者の由井正雪(ゆいしょうせつ)を中心に彼を師と仰いで付き従う牢人(失業した武士)達を焚き付けさせ、幕府内にも家光の元側近だった中根正盛(なかねまさもり)老中(ろうじゅう)(現代で言う大臣)の松平信綱(まつだいらのぶつな)阿部忠秋(あべただあき)、さらに家康の10番目の子で紀州藩藩主だった徳川頼宜(とくがわよりのぶ)まで密かに動員して謀反(むほん)政権転覆(クーデター))を起こしたが(慶安の変)、末端と思って冷遇していた牢人の一人が大倭朝廷(現、皇室)の表沙汰にできない陰謀を逆手に取って犯罪の通報に対する褒賞や罪の自白及び自首への恩赦(おんしゃ)を目当てに大倭朝廷(現、皇室)のスパイである松平信綱の屋敷に堂々と出頭して自首してきたため、表向きは家光と一緒に武断政治を推し進めてきた老中(大臣)の松平としては自ら罪を認めて自首してきた人物を審議しない訳にはいかず、拍子抜けするぐらいあっさり謀反(政府転覆(クーデター))計画が露見し、彼らの陰謀はものの見事に破綻した。それでも(あきら)めの悪い大倭朝廷(現、皇室)は再度、似たような手を使って謀反(政権転覆(クーデター))を起こし、今度は幕府(徳川政権)側に寝返った老中(大臣)の松平や阿部達も一緒に始末しようとしたが(承応(じょうおう)の変 1652年)、それがかえって彼らの大倭朝廷(現、皇室)への警戒心を高めさせてしまい、味方だったはずの幕府内の老中(大臣)達が徳川政権の武断政治下で作られた法律=『禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)』を盾にして大倭朝廷(現、皇室)を脅すようになった。こうして、幕府内の重臣達もまた、自分達の都合が悪くなったり、ご機嫌を損ねられると怒って毎度、謀殺してこようとする大倭朝廷(現、皇室)から身を守る為に法律に基づいた別の政治聖域を作るようになり、矛盾するようだが、既に法律=『禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)』でもって大倭朝廷(現、皇室)から守られているのにさらに自分達の身辺警護をしてくれる私兵を飼おうと、徳川家康以降、牢人(失業した武士)達を武力(暴力)一辺倒のヤクザ家業から足を洗わせ、稼ぎのいい安定した職業に転職させる為に作った法律をいじくり出し、家系が途絶えかかった諸藩や武家の養子縁組を促進して無理やり藩(倒産しそうな企業)や武家(暴力団)を存続させ、牢人(失業した武士)達を減らすことにした(末期養子(まつごようし)及び文治政治(ぶんちせいじ))。つまり、現代で例えるなら、上述した糸魚川駅周辺の資金繰りに悩む商工業者達を自民党が税金でもって無理やり存続させ、その恩義を売ってから時折、必要な時に暴動やテロを行なってもらう傭兵にするようなもので、その為に税金で特別な復興支援ができるよう法律を変えたのと一緒で、家光の死後にわずか11歳の家綱(いえつな)を将軍(国家元首)に就任させた幕府の重臣達も現代の自民党の政治家達と同じ行動を執ったのだが、そうやって武力(暴力)を職にする牢人(傭兵)達を大倭朝廷(現、皇室)の暗殺から自分達の身辺を守る為の“矛”にする一方、表向きは法律=『禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)』を“盾”にして自分達の地位や身分を二重に守り固めようとするその彼らの“矛盾”が大倭朝廷(現、皇室)を再び招き寄せてしまう軍拡への道であり、戦国時代からと言うよりも古代の弥生時代から延々と繰り返してきた戦争(人殺し)と財政破綻と生活環境を破壊するだけの道とも知らず、上辺(うわべ)は武断政治が成し遂げた平和と豊かな産業創出、美しく清潔な自然環境(神の庭)の恩恵に浴しながら大倭朝廷(現、皇室)が幕府の財政危機に乗じて復権してくる明治時代までのしばらくは、本音と建前を使い分ける二枚舌の幕閣(ばっかく)(政治家)達が大倭朝廷(現、皇室)と水面下での小競(こぜ)り合いを続けることになった。しかし、二度の謀反(政権転覆(クーデター))計画が失敗に終わり、幕閣(政治家)達に国権を横盗りされたのがよほど悔しかったのか、大倭朝廷(現、皇室)はなぜかその腹立ちを身内の蘇我理右衛門(宗岡弥右衛門)が暗殺されてからもせっせと大倭朝廷(現、皇室)に尽くして軍資金を提供してきた住友政友に向け、報奨金目当てに牢人(失業した武士)達が自首したのは住友が与える餌(軍資金)では牢人(傭兵)達を満足させられなかったからというこじつけとも言える理由により大倭朝廷(現、皇室)に八つ当たりされた住友政友も結局、蘇我(宗岡佐渡)と同じく、二度目の謀反(国家転覆)が世間に向けて公表されるひと月前に大倭朝廷(現、皇室)から天誅(てんちゅう)を下された(1652年9月17日)。それでも涅槃宗(ねはんしゅう)を国教にしてくれて(第116話『汚水』(注1)その5参照)住友家=住友財閥が存続できたからか、政友の死後も幾度となく自分達の先祖が大倭朝廷(現、皇室)から天誅(暗殺)を下されていても住友家(住友財閥)は天皇(神の子孫を詐称して国家神道と呼ばれるカルト宗教に日本に住む一般市民を強制入信させる教祖)に忠節を誓う白水真人(大倭朝廷(現、皇室)の為に軍資金を貢ぐだけの家臣)であり続け、21世紀の今も政友がその白水真人(軍資金を貢ぐだけの忠臣)として商家(軍需企業)の心得を記した『文殊院(もんじゅいん)旨意書(しいがき)』(政友が出家した時の法名が文殊院(もんじゅいん)空禅(くうぜん)であり、1647年に隠棲(引退)して以降、『文殊院遺誡(いかい)』も併せて「相場よりも安い品物が持ち込まれたら(軍事機密を盗む為に仕入れ業者を装って社内に入り込もうとする同業者が持ってきた)盗品と思って警戒せよ。」や「(自分が暗殺されない為には)誰であろうと宿泊させたり、物を預かってはならない。」、「(なるべく外部への情報漏れを防ぐ為に)他人の仲介や保証をしてはならない。」、「(たとえ誰かに悪事がばれたとして)その者がどのように言ってこようと言い争わず(その悪事から話を()らす為に)何度もいろいろな話でもって説明すること。」といった内容の、住友政友と蘇我理右衛門(宗岡弥右衛門)がそれまで何度か謀反(国家反逆罪)で逮捕されかかってもどうにか幕府や世間の目をかいくぐって逃げおおせてこれたその逃亡犯としての心得または訓戒を自分が暗殺される1652年まで政友自身が家族や奉公人(従業員)達に宛てて本や手紙などで書き送り、自分以外の家族や奉公人(従業員)から住友家の謀反(国家反逆罪)が発覚することを恐れてその訓戒を守るよう言い残したため、以来、その訓戒が受け継がれ、1952年には住友財閥グループがそれを『泉屋叢考(いずみやそうこう)(現代語にすると「泉屋文集」という意味)』にまとめて発刊した。)を住友家の家法として、また、住友財閥グループ全体の社訓として定めている。)という大倭朝廷(現、皇室)が帰依(きえ)する宗教(軍事企業)を開いた住友政友の名前から“友”の文字を採り、尾張藩2代目藩主となった徳川光義は父の名を棄て光友と改め、暗殺された父親の二の舞を踏まないよう、以後、住友に倣って白水真人(軍資金を貢ぐだけの家臣)として大倭朝廷(現、皇室)に命じられるまま尾張藩内を経営するようになったのだが、第116話『汚水』(注1)その3から何度も申し上げるようで大変、失礼かと思うものの、事実を記す上で必要なので書かせていただくなら大倭朝廷(現、皇室)の倭人(人でなし)というのは本当に頭が“悪い”ので、政治であれ、企業経営であれ、どんな仕事を彼らに任せても人を傷つけ、壊す軍需産業には力を注いでも、その他は大勢を振り回して内部を引っ掻き回し、あらゆる産業を破綻させることしかできないため大倭朝廷(現、皇室)の言いなりになった光友(光義)の経営する尾張藩は大倭朝廷(現、皇室)に貢ぐ上納金の負担に加えてどんどん財政難になっていった。中でも軍事施設や城塞を建造していくには木材は世界中どこだろうと欠かすことのできない大切な資源なので(第103話『略奪』&第116話『汚水』(注1)その2参照)、現在の長野県と一部、岐阜県にも渡って広がる木曽山脈(中央アルプス)の木曽谷(きそだに)全域を領有していた尾張藩も林業や木材加工業を主な藩の財源にしていたのだが、これを大倭朝廷(現、皇室)は無理強いして安く買い叩き、自分達の軍事施設である神社仏閣の造営はもとより、倒幕と同時に大衆の気持ちを再び、自分達、大倭朝廷(現、皇室)に向けさせる為に起こす数々のテロ災害(地震や火山噴火、津波、疫病なども多いが、江戸時代に大倭朝廷(現、皇室)が頻繁に行わせていたテロは放火が最も多く、その数は1,798回にも上ると成城(せいじょう)大学(元は子供の頃から皇室に仕える少年達を教育する為に全寮制で設立された小学校や中学校だったが、1913年(大正2年)に現在の京都大学の大学総長だった澤柳政太郎(さわやなぎまさたろう)が文部省(現在の文科省)からの肝煎(きもい)りで雇われて兵器の研究開発をしていた7人の特に理工学部の教授達を罷免(ひめん)して大学の刷新を図ろうとした澤柳事件を起こし、文部省(文科省)と京都大学の法学教授達に京都大学を追い出されたため1917年(大正6年)から成城学校(現在の成城大学)の校長に就任し、京都大学でできなかった澤柳が目指す教育改革をこの学校で行うこととなった。そのため、成城学校(成城大学)の名前にされている、紀元前の中国で政治や世情についていろんな職業の人達が詩にして歌ったものを集めた『詩経』(BC11世紀~BC7世紀頃発刊)の中の“哲夫成城(てっぷせいじょう)”(日本語に訳すと、哲夫とは「道理をわきまえ、見識に優れた人」、成城は「城(国家)を形作る」との意味なので、「道理をわきまえて見識に優れた人は城(国家)を形成して富ませ、大きくしていく。」という意味になる。)の一説を澤柳は特に強調し、“今後、未来に向けて国家(共同社会)を成り立たせていく”人材に子供達を育てようと成城学園初等学校を設立した他、読み書き雁行(がんこう)の法則(または読み先習(せんしゅう)の法則)という、国語の読み書きを教える際、わざわざ子供用にひらがなやカタカナに書き換えた教科書で教えるのではなく、最初からルビが打たれた漢字の教科書を渡してまず、漢字の読み方を教えてからその後に書き方を習うとずっと早く漢字が書けるようになるとした澤柳独自の教育法を編み出し、それを徹底させていった。その方法により、それまで意味も分からず形だけを真似て何度も書く練習をさせられていた子供達が漢字の意味(心)を知ることでどうしてそのような形で書かれるのか?といった漢字の成り立ちが理解できるようになり、この頃の小学1年生は50字程度の漢字しか書けなかったのに対し、澤柳の指導法を受けた同い歳の生徒達は書ける漢字が平均200字、読める漢字も平均500字にまで増えたそうで、また、教える方の教師達も負担の少ない指導法なので澤柳の教育法は文部省(文科省)が日本国民の学力向上を目指しているのなら大いに推奨すべきところなのだが、アメリカやイギリス政府(王室)が子供達に苦痛を与えないとのモンテッソーリの教育方針を口では褒めても結局は冷ややかな目を向けたように(第116話『汚水』(注1)その5参照)、日本政府(皇室&自民党軍事政権)もまた、自分達以外の誰か、特に大衆の知能を上げて自分達より賢くなってもらい、自分達の政治や経済のやり方に口を出してもらいたいとも、まして、自分達を押しのけてもっと出世してもらおうとか、豊かになってもらおうという気も更々、ないため、むろん、澤柳が日本に住む全ての子供達の将来を思って考え出した“正しい教育法”も全国に広めるつもりはなく、彼の指導法を否定する実験などを行っていろいろケチをつけたため、澤柳の教育法は全国の小学校で採用されることはなかった。しかし、そんな文部省(文科省)の、というより、相変わらずの大倭朝廷(現、皇室)の嫌がらせや妨害にも関わらず、澤柳の行った教育改革はかなりの成果を挙げ、それまでは大倭朝廷(現、皇室)の御所(女房)言葉に特有な、一つの言葉をいろいろと言い換えて(自分達の悪事や正体がバレないように)話を曖昧(あいまい)にして分かりにくくする傾向が強く、ひらがなやカタカナも、例えば「え」と「ゑ」、「エ」と「ヱ」など、同じ意味(心)の言葉を何種類にもして書き分けなければならず、それをまだ小学生の子供達に教えていたのだが、澤柳はこれを改めさせ、それでもしばらくは妨害にあって採用されなかったが、戦後、日本国憲法が樹立して一応、表向きだけでも大倭朝廷(現、皇室)が国家元首職に就けなくなってからは現代の統一されたひらがなやカタカタが指導されるようになった。それぐらい澤柳の教育改革は文部省(文科省)を始め日本政府(皇室&自民党軍事政権)のみならず、何世代(なんせだい)(のち)の日本国民にも衝撃と影響を与えるものだったため、彼の指導を直接、受けた生徒達にはそれまで「世の中は絶対に変えられない」や「お上(皇室&政府)のやる政策に口は出せない」といった無力感や絶対身分制を黙って受け入れてきた考えを根底から(くつがえ)されたようなもので、それが当時、一般国民が政治の主導権(国権)を握って世の中をもっと自由に豊かにしていこうとする大正デモクラシー運動の原動力となった。そのため、澤柳が教えた生徒の一人が作った成城学園の校歌も彼の影響を強く受けていて、「都のどよみ よそにして 友とえらびしこの自然 なれの黙示を胸にして内なるものを培わん いざやいざ 秋の芙蓉のにおうごと時空の上にそそり立つ 真理こそは一筋に 我がとこしへの命なれ いのちなれ(世論など気にせず、学友と共に自分達が選んだのは道理(理性)をわきまえて見識を磨けと教えるこの学校。教師のあなたが暗黙に教える心(師弟愛)を胸にして自分の心(日本に住む全ての国民を愛する心=愛国心)を(つちか)おう。次々と華々しく湧き(いで)ては(しぼ)んで消えていく偽善者や扇動家の嘘臭さがあちこち匂ってもそれらの歴史や伝統、悪習だらけの世情を超越してわたしは自律を志す。真理こそ唯一、わたしの永遠の心、生命そのものとなり、(たましい)(悪鬼に対して善(神)を()う心)となれ。)」と謳っている通り、天皇が現人神(あらひとがみ)と崇められて江戸時代以前よりも絶対天皇制(独裁制)を敷く大日本帝国憲法下にありながら成城学園は“デモクラシー”(=Democracy、語源は古代ギリシャ語のdêmos「人々」とkrátos「権力、掟」を併せて「一般国民が国政を主導し、自由で公正な経済競争の下、お互い国富を増やしてその利益を分け合い、我欲(エゴ)を優先せず戦争(人殺し)し合わない社会を正しいと考えること。)を子供達に教える学校だったのだが、徳川政権と同じで澤柳自身も大倭朝廷(現、皇室)の官職である文部省(文科省)の官僚出身だったことと、何より「日本に住む国民は全員、臣民(天皇の奴隷)である」とし、臣民(天皇の奴隷)の義務として日本政府(皇室&自民党軍事政権)が求める納税、教育、徴兵に応じなければならないと定めた『大日本帝国憲法』(1889年2月11日制定)が前提の社会でデモクラシー(民主平等平和主義)の意味(心)など伝わるはずもなく、大正天皇が天皇の座を巡って暗殺された後、昭和天皇が就任すると間もなく、財政破綻とイギリス政府(王室)への上納金の資金繰りに困った日本(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)は世界大戦(人殺し)に参戦せざるを得なくなり、“ファシズム”(=Fascism、語源はラテン語でFas(ファス)「神聖な掟(法律)」とSexus(セクスス)「切り裂く」を併せて「掟(法律)でもって処刑する」という意味で、元々はトロイア戦争後、ヨーロッパ各地にできたポリス(都市国家)としてローマが誕生した際(第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)、近隣に住んでいたラテン人達(=The Latins、ラテン語のtlātus「生み出す」、「苦痛に耐える」、「伝承される」いった様々な意味から、ラテン人とは「天から与えられた労苦に耐え忍び、後世に行き渡る何かを生み出す人々」という意味で、ローマができるずっと前から現在のイタリア全土に住んでいた原住民だったが、トロイア戦争に巻込まれたせいで人口が減り、現在のローマ市から南東に向かって車で40分ぐらいのアルバーノ湖周辺のみが居住地となった。)は既に議会を作ってお互いFas(ファス)「神の御前(=空気の中)で発言」して掟(法律)を定めていた中で、特にそうした掟(法律)をよく理解している人達のことを彼らが斧や鎌で枝を刈り取って生活資源に使っていたことにちなんで“役立つ人”との意味を込め、“枝”(エレミア23章5節&第10話『師弟(4)』参照)と呼んでいたのだが、それをローマ人やその他の周辺部族も真似するようになり、以来、斧(戦争で使う武器)の()をたくさんの枝(慈悲と公平な心を持ち、真実と正義の掟(法律)でもって裁ける人達)で巻いたFasces(ファスケス)を国権の象徴にするようになった。ところが、ローマが自分達の都市国家の建国を記念してお祭りを主催した際、これまた近隣に住んでいたサビニ人達(=The Sabines、ラテン語で「自分勝手な人々、自分に都合のいい掟(法律)を作る者達」という意味で、サビニ人とは元はトロイア戦争の原因を作ったスパルタ(第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)からイタリアに移住して別の都市国家を築いていた部族である。)がローマと同盟を結びながら密かに乗っ取りを企み、彼らの評判を(おとし)めて自分達の領土にしてしまおうとローマ人になりすまし、また、金品や職位と引き換えにその陰謀に加わったローマ人達もいて、お祭り見物に来ていただけのラテン人達まで巻き込み、未婚の女性達を片っ端から強姦していった。そうして、被害者を装ったサビニ人達がローマ人達に宣戦布告し、戦争(人殺し)になったのだが、負けが込んできたところでなぜか被害に遭っていない既婚のサビニ人女性がその戦争(人殺し)の仲介に入り、「もはや犯されてしまった純潔は元に戻らないのだからこれ以上、血を流し合わずお互いもう一度、同盟を結び直しましょう。」などと勝手な終戦協定(法律)を持ち出してきた。もちろん、本当の被害者はサビニ人達だけでなく、ラテン人やローマ人の女性達も同じ被害者なのだが、その被害者の彼女達が味わった恐怖や苦痛、要求を全く無視してその場限りの平和条約(法律)でもって実際に強姦罪を行った者達の捜査や処罰をうやむやにし、仲介に入ったサビニ人女性が被害者の代表のように振舞ってローマの土地権利を賠償(強姦被害の慰謝料)として差し出すよう求めてきた。そして、強姦が行われてすぐに戦争(人殺し)が始まったことで犯罪現場が荒らされて捜査することも難しくなり、ローマの初代王のロムルスはその平和協定(法律)を言い出したサビニ王の娘のヘルシラと結婚し、平和条約(法律)を受け入れてしまった。こうして、かつてスパルタのヘレナがトロイアのパリス王子と重婚したことによりお互い土地の支配権を主張し合ってトロイア戦争が起きたようにロムルスもサビニのヘルシラと重婚したことでサビニ人達と共同でローマを支配することになり、むざむざFasces(ファスケス)(国権)まで渡してしまい、いろいろ揉め事や問題を起こしては自分達の要求をごり押ししてくるトラブルメーカーのサビニ人達を同国人として扱うようになった。その結果、Fasces(ファスケス)(国権)の意味を勘違いしているサビニ人達はローマ国内はもとより、ローマと同盟を組んでいるラテン人達の都市国家(共同社会)でも我が物顔でFasces(ファスケス)(国権)を振り回し、自分達の都合のいいように掟(法律)も捻じ曲げて勝手な事を言い、悪事や犯罪も行い出したため、どうにもその理不尽に耐えかねてとうとうラテン人達は公式に代表者をローマに派遣してロムルスに国家元首としての調査と処分を下すよう迫った。そのため、自分達の言い訳がもはや通らなくなってきたことに気づいたサビニ人達と彼らに味方して自分達の都市国家(共同社会)を裏切ったローマ人達は最初に戦争(人殺し)の原因となった強姦を含め、それまでの悪事や犯罪が公にされることを恐れてラテン人達の代表者らの口を封じようと殺害しようとしたところそれが逆に発覚し、追い詰められた彼らはそれまでの犯罪責任を全て自分達の代表者であるサビニ王のティトゥス・タティウスに押し付け、犯罪の調査も済んでいない間に勝手に処刑した。さらにラテン人達の被害の聞き取り調査にローマから派遣された者も同じく自分達の手で処刑し、自分達が犯した犯罪の全貌が知られないよう口を割りそうな共犯者を次々と粛清していった。こうして、Fasces(ファスケス)(国権)の当初の意味は「正義の掟(法律)を知る者達が団結して斧(暴力&戦争)の力を防ぐ」だけだったのが、サビニ人達がこれに「群衆が掟(法律)を変えて処刑や私刑(リンチ)を行う」を付け加えたことで二通りの意味を持つようになった。その後、この二つの意味のどちらを信じるかでFasces(ファスケス)(国権)の意味は変わることになり、1915年にイギリス戦争省(=The War Office、現在のイギリス国防省(=The Ministry of Defence )の前身)から週給100ポンド(現在の日本円で約160万円)で雇われていた新聞記者のベニト・ムッソリーニがアンサルド社(=Gio. Ansaldo & C.、13世紀からイタリアのジェノバ共和国で戦艦の製造などを一手に引き受け、ジェノバ共和国の貴族として君臨してきたロメリーニ家がイギリス政府(王室)及び海軍と手を組み、初代のアンサルド・ロメリーニにちなんでアンサルド社と名付け、民間企業を装いながら実際はイタリアの税金を横流しして建てた国営軍需企業である。そのため、創業者とされるジョバンニ・アンサルドなる人物は世間向けの社長役を引き受けただけで経営には一切、関与しておらず、イギリスは反抗的な態度が目につくロシアを抑える為のクリミア戦争の準備として、イタリアはヨーロッパ各地で起きていた革命の波(第106話 ~第107話『革命』(1)と(2)を参照)に乗って王権を倒そうとするイタリア国民を抑えつける為のイタリア統一戦争の準備として、1853年に同社を設立することとなった。当初は鉄道のレールを補修する会社を装っていたが、すぐさま本性を現して軍艦の製造を始めるようになり、クリミア戦争が終わる頃には用済みとなったアンサルド社は倒産して社長役のジョバンニ・アンサルドも死んだことにしたのか、それとも本当に殺されたのか1859年には死亡したとされている。その後、アンサルド社はイタリア政府(王室)が度々、操作して社長役を引き受けてくれる誰かに引き渡し、2021年時点で社長役を務めるのは、中国の上海(しゃんはい)電機が40%の株を引き受けているイタリア公営のアンサルド・エネルギア社(=Ansaldo Energia S.p.A.、社名の後にエネルギアがつけられただけで1853年から続いているアンサルド社である。2020年時点の従業員数は約4,500人、売上高約10億8,900万ユーロ(日本円で約1,350億円。)と日本の日立製作所(第59代宇多天皇の末裔の佐々木高綱(ささきたかつな)を先祖とする久原房之助(くはらふさのすけ)とその叔父で明治政府に武器や兵器、軍需物資を売っていた藤田組(現、DOWA(ドーワ)ホールディングス株式会社。戦後の社名は同和鉱業株式会社。藤田財閥とも呼ばれていた。)を経営する藤田伝三郎(ふじたでんざぶろう)と共に明治政府(現、皇室&自民党軍事政権)の支援の下、何も知らない一般国民の税金と労働力を流用して現在の日立製作所、日立造船、日産自動車、日本鉱業といった一見、人畜無害な商品の製造販売を装った軍需産業の前身となる企業をいろいろと設立し、それらをまとめて統率する日産コンツェルンと呼ばれる財閥も一緒に形成した際、藤田組で原子爆弾の研究に取り組んでいた栃木県出身(第116話『汚水』(注1)その5参照)の小平浪平(おだいらなみへい)が核ミサイルの部品となる5馬力誘導電動機、いわゆる電気モーターを1910年(明治43年)に発明したことから小平を気に入り、彼を傀儡(かいらい)の社長役に抜擢したのが株式会社日立製作所の始まりである。つまり、アンサルド社と同じく、株式会社日立製作所は民間企業を装っているだけで紛れもなく国策会社である。その後、大倭朝廷(現、皇室)から仰せつかって日産コンツェルンの総帥役(そうすいやく)である久原は政治家として政界に進出し、その政治資金も日立製作所を始めとした日産コンツェルンが供出することで久原が日本の政財界を牛耳ることになり、また、大倭朝廷(現、皇室)が行う軍拡推進の恐怖政治に批判的な目を向ける人達の口を封じようと画策した2.26事件(第107話『革命(2)』(注2)その3で話した軍縮派の岡田啓介(おかだけいすけ)首相を始め、大倭朝廷(現、皇室)に逆恨みされてデスノート(呪い殺そうとする相手の名前を書くノート)に名前を書かれた人達を暗殺するため久原を中心とした大倭朝廷(現、皇室)の臣下達から軍資金をもらった陸軍の将校達が1936年(昭和11年)2月26日に岡田首相の屋敷などを襲撃したテロ事件である。)のようなテロ攻撃や太平洋戦争を起こす為に陸軍大臣だった東条英機(とうじょうひでき)を首相にすべく結成した大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という政党の立ち上げにも日産コンツェルンを通じて流用した税金を軍資金として注ぎ込み、日本を太平洋戦争へと誘導していった。そのため、日立製作所に限ったことではないが、日産コンツェルンを形成するどの企業も設立当初から民間企業の基本理念である販売利益を上げて一般の株主や従業員達にそれを還元し、彼らの生活を安定させて潤すことで消費を促進して日本経済を繁栄させることを目的としておらず、あくまで税金を流用して武器や兵器、軍事施設の開発を行い、それを大倭朝廷(現、皇室)の復権と倒幕に協力してくれたイギリス政府(王室)を始めとする欧米諸国に安く提供することが使命(目的)なので、そうした企業群が日本経済の中核を成してしまえば当然、日本経済は立ち行かなくなる。その結果、借金に次ぐ借金で財政が破綻し(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)、日本全土と国民までおまけに付けて欧米諸国に売り払う為に太平洋戦争を起こしたのだが、戦後もその姿勢は変わっておらず、前述した通り、日本が2021年現在、1千兆円を超す莫大な借金を抱えるようになったのもこうした実体のないペーパーカンパニー(幽霊会社)ばかりが大企業として君臨しながら経営難になる度に公的資金(税金)を流用してきたからで、日産コンツェルンの総帥役の久原は何を勘違いしたのか「一代で巨万の富を築いた自分は超人」と思っていたらしく、実際は巨万の税金を明治政府(現、皇室&自民党軍事政権)が法律を改変して久原の懐に流れ込ませ、それを久原がくすねていただけで、彼自身の経営能力では財を成すどころか逆に減らす一方だったのだが、それは久原だけでなく他の経営者達も同じで、2009年には国内最大規模の7,873億円の巨額の赤字を日立製作所は出してしまい、それをまた税金で穴埋めして従業員や下請け業者といった何も知らず働いて会社を支えてくれていた人達を切り捨てることで会社の規模を縮小しながら2021年現在に至るのだが、今期決算によると過去最高の48%増の売上高を上げて増収したらしいが、それは前回、話したトヨタ自動車と同じく、経済成長もしていないのに防衛費だけが毎年、増額されて5兆円超もの税金がコロナウィルス(偽伝染病)騒ぎにかこつけ、日本政府(皇室&自民党軍事政権)御用達の企業群に垂れ流されているからで、それだけ税金を注ぎ込んでいても収益は下がり続け、今期は前年より半分以下の収益率となっている。2021年時点の売上高は1兆6,782億円、従業員数は350,864人。なお、日立製作所がアンサルド社の社長役をイタリア政府(王室)から仰せつかった経緯は、日露戦争の際にアンサルド社が製造した日進(にっしん)春日(かすが)という戦艦を買っていたからで、今更、何度も書く必要もないだろうが、要は欧米諸国からそうした兵器や戦艦、戦闘機などを購入することで大倭朝廷(現、皇室)が倒幕して復権する際に作った借金(第108話『人間の掟』参照)を彼らに代わってわたし達、一般国民が働いて稼いだ税金でもって返済するようになっており、それが2021年現在もまだ続いているため、日立製作所の子会社である現地法人の日立レール(=Hitachi Rail S.p.A.)と日立レールSTS(=Hitachi Rail STS)がその返済窓口となっている。)が名目上、アンサルド社の所有者ということにして今のところ落ち着いているが、中国も日本も不景気の真っただ中にあり、イタリア本国もまた、2021年時点で約2兆7千億ユーロ(日本円で約310兆円)の借金を抱えて財政難にあるそうなので、今後、アンサルド社の社運は本国はもとより、この二国の行く末にも大きく依存している。)を始めとしたイタリア政府(王室)所有の軍事企業からもスポンサー料をもらい、第一次世界大戦が勃発した1914年に創設された『Il Popolo d'Italia(邦題にすると『イタリア人民新聞』)』の社説の中で、「鉄の武器を持つ者こそ今の惨めな貧乏暮らしから抜け出すことができ、その手にパン(食糧と富)を得ることができる」といった、ムッソリーニと同じくイギリスのスパイとしてフランスの二月革命を扇動したオーギュスト・ブランキ(第113話『内部者』(注1)参照)と同じ言葉を使い、“Fascio(ファッショ)d'Azione(ダジョーネ) Rivolu(リボル)zionaria(ツォナリア)(日本語にすると「革命行動の為の国権を伴った斧」で、ローマ時代のラテン語のFasces(ファスケス)を現代のイタリア語のFascio(ファッショ)に言い換えたものである。)と呼ばれる社会運動を展開してイタリアの大衆にイギリス側に味方して第一次世界大戦に参戦し、その戦争特需によって軍事企業から高い賃金の仕事(雇用)を得ようと訴えた。このムッソリーニがイギリス政府(王室)と軍事企業から支援されて軍拡と戦争(人殺し)を宣伝した新聞記事により、Fasces(ファスケス)(国権)は「正義の掟(法律)を知る者達が団結して斧(暴力&戦争)の力を防ぐ」という意味がなくなって、当初とは真逆の「群衆が団結して掟(法律)を変え、武器や兵器を生産して戦争(人殺し)する」という意味だけになった。以来、欧米諸国からの思想は何でも真似して受け入れてきた日本でもFasces(ファスケス)(国権または国家)主義=Facism(ファシズム)とは、「国民全員が団結して軍拡や軍事企業を支持し、武器や兵器を生産してその生命と財産を天皇(独裁者)と日本政府に捧げ、それに反した言論や行動を取る者をお互い監視したり、取り締まって同じ行動を取るよう強要し合う国家(共同社会)を目指す。」という意味になった。)思想を唱える日本政府(皇室&自民党軍事政権)と考えが合わない澤柳はしょう紅熱(化膿レンサ球菌と呼ばれる腐った寒天(海藻のゼリー)にできやすい病原菌を口にして感染することで高熱を発し、のどの痛みや全身に赤い発疹ができるなどして多臓器不全や呼吸困難などで死に至る病気のこと。)でもって暗殺され、その澤柳の持つ国家(共同社会)を改善していける高度な思考力を神器のごとく自分達も持とうとしたのか、解剖された澤柳の脳は現在、東京大学医学部が保管している。以後、成城学園は澤柳が志した“哲夫成城(てっぷせいじょう)”(道理をわきまえ、見識に優れて国家(共同社会)を富ませ、形成できる人材に子供達を教育する)という精神を忘れるようになり、今では日本政府(皇室&自民党軍事政権)の為にプロパガンダ(大衆洗脳宣教)活動する芸能人やタレント、政治家などを養成する学校となっている。2021年時点の成城学園初等科では生徒数646人、教師数48人、入学金30万円、父母の会費や教材費、寄付金などを除いた年間学費99万円。同じく2021年時点での成城大学の生徒数は3,015人、教員数は153人、入学金20万円、教材費を除いた年間学費は約135万円。)の名誉教授で江戸時代の歴史に詳しかった歴史学者の吉原健一郎(よしはらけんいちろう)の試算によればそれぐらい放火が起こされていたそうで、しかもおかしなことに徳川政権が成立して以降、最初の百年間で269回、次の百年間では541回、倒幕されるまでの67年間は986回と、きっちり倍毎に増えていっているのだから恒例行事のように定期的に放火していたことは明らかで、こうした大倭朝廷(現、皇室)による幕府への嫌がらせや自分達が贔屓(ひいき)している商家(軍需企業)や大工(建築業者)に復興事業(公共事業)を請け負わせることを目論んで常習的にテロ火災を起こし、それに巻き込まれて焼死したり、家や仕事、財産はもとより、家族や友人、知人、恋人など誰か大切な人や物を失った国民の数は数え切れない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4d1e2c1dadd7523bbbb500d239efa851eed04b65

“池袋暴走”飯塚幸三被告に禁錮7年

文春オンライン Yahoo News引用

>禁錮刑は主として政治犯を想定した刑罰で、

>一方で刑法では懲役刑よりも軽い刑罰と位置づけられ、

>収監されても刑務作業に従事する義務はない。


一般国民なら即、逮捕、即、懲役刑の実刑判決。

でも、国家命令で犯した犯罪だから、禁錮刑(外出禁止令)のみ。


古代や中世と変わらない。

身分が高けりゃ、外出禁止で済む。

身分が低けりゃ、牢獄に繋がれる。


身分の違い、生まれの違いで差別される。

それが民主国家を唱える2021年の日本の本当の姿。


その殺されたと叫ぶ遺族とやらも、本当は日本政府(皇室&自民党軍事政権)に

飼われて被害者を自作自演しているスパイなんじゃないのか?

https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000040782941/


自分の子供が、たった3歳の幼子が殺されてても

殺した犯人への量刑が禁錮刑(外出禁止令)で納得するような、

血も涙もない嘘つきなんじゃないのか?↓

https://www.j-cast.com/2021/09/02419531.html?p=all

>松永さんは、禁錮5年という量刑について「大きな不満は、私自身今のところ感じていない」という。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ