第百十六話 汚水 後書き(注1)その5
『日本国憲法 前文』1946 年 11 月 3 日 公布 1947 年 5 月 3 日 施行
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
“政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し”、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法はかかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅(注訳:天皇が公に発表する文書)を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した”。
われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
“日本国民”は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを
誓ふ。
第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
― The Queen of the South will rise at the judgment
with this generation and condemn it;
for she came from the ends of the earth to listen to
Solomon’s wisdom,
and now something greater than Solomon is here.
『南の女王がこの世の裁きの為に立ち上がる。
そして、今の世代に対してはっきり言い渡すだろう。
彼女は地球の端からソロモン王の知恵を聞くためにわざわざやって来た。
そして、今こそそのソロモン王よりもずっと偉大な智慧がここにある。』
(マタイ12章42節及び第37話『襲来(2)』)
今回のテーマソング↓
https://youtu.be/om4BpwI8s-Q
『キミが生きている間は大丈夫(なわけないだろ!ボケ)』by あべ りょう
彼としては絶好の儲け話になると思ったからこそ絶対にこの機会を逃したくなかったのだろう。他の二人はともかく、初めて文明(神の智慧)から造られたラシュカ製品の剣を見たリチャード1世からすれば、それはまさしく伝説のエクスカリバー(=Excalibur、AD5世紀~6世紀頃にブリテン島に侵略してきたアングロ・サクソン民族を撃退したアーサー王の伝説に出てくる魔法の剣の名前で、元々は古くからブリテン島(現、イギリス)で伝承されてきた古ウェールズ語の民話をAD12世紀に歴史作家のジェフレイ・ガイマールが古フランス語に訳して『L'Estoire des Engleis(邦題では『アングル人の歴史』1130年代頃に発刊)という本の中で紹介し、そこから剣の名前がExcalibor「陶磁器とホウ砂から造られた剣」と呼ばれるようになった。なお、この魔法の剣の話に聖杯(=the Holy GrailまたはHoly Chalice)の話まで加わり、『Perceval, the Story of the Grail(邦題は『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』、1180年代から1191年までフランスのシャンパーニュ地方の吟遊詩人クレティアン・ド・トロワが書いた未完の物語詩)』や『Joseph d'Arimathie(邦題だと『ヨセフ・アリマシア』、タイトル通り、本作品では第44話『サンヘドリンの二人』に出てくるユダヤ商人、ヨセフ・アリマシアのことで、最後の晩餐に出席したアリマシアがイエスの処刑時にその晩餐で使っていた杯でイエスの血を受け、その杯が後世のアーサー王に渡って魔力を授かるようになったというあくまでフィクション(嘘)の話が描かれている。作者はフランスのブルゴーニュ地方の詩人ロベール・ド・ボロンで、1190年~1191年に発刊。)』など、現代で盛んに売られる“ファンタジー(幻想)”小説なるものが生まれるようになったのも、エクスカリバーのカリがフランス語でCalice「陶磁器、杯」、Grailも古フランス語では「陶磁器」を意味し、バーまたはボーとは現代英語でBorax「ホウ砂」との言葉がある通り、陶磁器に塗る釉薬のことで、さらにエクスはラテン語のEx「抽出する、取り出す」という言葉から、これらを併せたエクスカリバー(魔剣)とは古代においてコップやお茶碗、お皿といった陶磁器を造る際に生まれた剣と考えられて名付けられており、上述の二冊の聖杯物語が出版された年代と作者の出身地からして、イギリスのリチャード1世やフランスのフィリップ2世がフリードリヒ2世と一緒にちょうど十字軍遠征に出かけた頃に出版されており、しかも、イギリスの古民話をフランスで出版していることからも分かる通り、ラシュカ製品を手にした彼らが自分達の先祖や地元で伝え聞いた話を思い出し、ラシュカ製品と同等、またはそれ以上の伝説の鉄剣を造ろうと、そうした本を出版して世間に広く喧伝して回りながら伝説の魔剣の製造方法を知る人物を見つけ出そうとしたようだった。以来、幻想小説とはこれと同じ狙いから出版されていて、1993年にアメリカのニューヨーク市にあった二棟の世界貿易センタービル(=the World Trade Center、アメリカの国立銀行であるチェース銀行(2000年にJ.P.モルガン商会と合併。J.Pモルガン商会とは第107話『革命(2)』(注2)その1に出てきたモルガン商会のこと。)の会長兼最高責任者(CEO)だったデービッド・ロックフェラーが中心となって発案し、日系2世のミノル・ヤマサキが構造設計を行い、1968年~1973年まで建設を行って2001年9月11日の同時多発テロにより破壊されたビルのことである。見た目はオフィスや小売店、レストランなどが併設された商業施設ビルと一般には思われるかもしれないが、実際は元から破壊する、もしくは強度を確認する為に建設した軍事用の爆破実験塔であり、この後書きの冒頭で話したイギリスのビッグ・ベンと目的は同じで、言わば現代の“バベルの塔”である。なぜなら、二棟のビルでノース・タワーと呼ばれた1棟の屋上には誘雷針(表向きは通信用の電波塔になっているらしいが、どちらでも電気を呼ぶ構造物に変わりはない。)が付けられているのに対し、もう一棟のサウス・タワーの方にはそれがなく、爆破する際にこの違いを検証できると共に、さらにこの二棟のビルそのものがチューブ構造(=Tube structural system)と呼ばれる、カーボンナノチューブ(またはナノマテリアル。第116話『汚水』(注1)その4参照)そのものになっており、要するに新しい鉄鋼素材の開発や逆にそれを破壊できるようなエネルギーを試算する為に建てられたビルだったからである。そのため、人がそこで快適に働いたり、暮らせるよう設計されたビルではないため、窓枠の幅がたったの45cmという、人間一人の身体が入るか入らないかの細長い窓しかなく、外からビルの外壁を眺めても窓らしい窓が見当たらない非人間的な設計になっていて、また、(自分達がしょっちゅう起こしている)地震のような地底からの爆破に極限まで耐えられる耐震(わざと横揺れさせる)設計にもしているため、建設前から将校養成コース(=The Reserve Officers' Training Corps、略してROTC)や州兵組織(=the National Guard)を大学構内に設置しているコロラド州立大学と、ハーシェル式望遠鏡を導入したイギリス国王ジョージ3世(第112話『女傑』(注1)参照)が天文学や地磁気に関連した新たな産業開発を行う為に設立したキュー天文台(=the Kew Observatoryまたはthe King’s Observatory。1769年設立)の跡地を受けて1900年に創られたイギリス最大かつ全産業における材料工学(=Materials Science)と計測基準を決めているイギリス国立物理学研究所(=The National Physical Laboratory、略してNPL)、この米英の国立の専門機関がわざわざ風洞(=Wind Tunnel、風の流れや強さで人や物体にどのような影響があるかを観測する)実験まで行い、当初から人の健康や動きやすさ、暮らしやすさ、快適さに気を配ったり、考慮することなく、あくまでそのビル内で生活する人がどうにかめまいや体調不良にぎりぎり耐えられるぐらいの極限値での構造にもなっている。ならば、建築におけるチューブ構造自体に問題があるのかというと、決してそうではなく、元々、このチューブ構造を発明したのはバングラデッシュ移民のファズラー・ラーマン・カーンなのだが、彼は「技術者は自分の知識や技術に溺れて自惚れてはいけない。この世の全ての生命について考えられるようにならなければならない。生命とは芸術であり、ドラマであり、音楽でもあり、何より大事なのは人間(の生命)だ。」と常々、言っていたほど、人間の健康(生命)を重視して暮らしやすさや快適さ、生きる上での喜びを追及してきた建築家であり、また、彼の生い立ちからしてもインド科学技術大学シブプール校(=Indian Institute of Engineering Science and Technology, Shibpur、1880年創立。2014年にはインド政府からINI(国家重要機関)と認定されている大学。)を経て、バングラデッシュで土木技術にかけては最古の公立大学であるバングラデッシュ工科大学(=Bangladesh University of Engineering and Technology、1876年創立。)で土木工学の学位を受けた後、地元にあった竹林からチューブ構造を思いついて発表したことでアメリカのフルブライト奨学金(=The Fulbright Program、アメリカの国会議員だったジェームズ・フルブライトが第二次世界大戦が終わった翌年の1946年に更なる戦争を起こす火種を探すことと、原子爆弾を中心とした新たな兵器開発及びアメリカ国内の軍需産業の利益拡大の為に、主に海外からの学生達を集めて彼らの知識(彼らの出身国の内情)や技術を安く買い取る、または盗用することを目的にアメリカ国内への留学費用を支援する案をアメリカ議会に提出して設けられた制度である。そのため、奨学金の財源はアメリカが第二次世界大戦時に戦利品として占領した土地をそれぞれの占領国に売却して充てることになっており、いうならば留学生は誰一人、アメリカ国民の税金で支援されているわけではなく、アメリカの軍事力(暴力)によって占領された国々が自分達の国土を買い戻す際に払う戦争賠償金(被占領国民の税金)から留学費用が賄われており、留学生達は単にアメリカ国民の雇用先である軍需産業や軍隊を支えていく為に日夜、勉強に励んだ末、その知識や技術を無料で差し出さなければならず、さらにその知識や技術をアメリカ政府とそれを操っているイギリス政府(王室)、そして両政府がこれまでけん引してきた国際連合(旧国際連盟。第115話『生命』(注1)参照)が悪用することで他国に軍事介入できる大義名分(理由)をでっち上げたり、欧米諸国も含めた世界中の一般国民の生命と財産を蹂躙する為の核兵器を始めとした新たな兵器開発ができる仕組みになっている。だから、フルブライト自身、国際連盟(現、国際連合)を提唱したウッドロウ・ウィルソンを敬愛しており、第115話『生命』(注1)で話した通り、国際連盟(現、国際連合)は軍拡する上での知識や技術、資金面で難があった欧米諸国が“連携して軍拡できるようにする為の国際機関”であり、その趣旨を十分、理解した上で賛同しているフルブライトが平和的な意図から奨学金制度を言い出したとは考えにくく、しかも、彼は自他共に認めるイギリス王室(政府)贔屓(=Anglophile)でもあることから、まさか自分達が占領した国の人間の知識や技術を自分達の自腹を切ってまで高めてやり、その国の産業を発展させて国富を増やさせ、自分達とも対等の立場の民主主義国家にして自治独立させてやろうなどという、そんな博愛精神(または第107話『革命(2)』(注2)その3の中で話した二宮金次郎の報徳思想)はもとより、イギリス王室(政府)を今日に至るまで支えてきた共有財産(=Commonwealth、第116話『汚水』(注1)その1参照)をみすみす失わせるような真似をするはずもない。それゆえ、このフルブライト奨学金をもらった留学生はその後、39人が国家元首となり、69人がノーベル賞を受賞(ノーベル賞の真実については第103話『内部者』参照のこと。)、さらに88人がピューリッツアー賞(=The Pulitzer Prize、1917年にハンガリー移民でユダヤ人のヨセフ・ピューリッツアーにちなんで名付けられ、新聞、雑誌、本はもちろんのこと、歌や芝居といったマスメディア(大衆洗脳広告)の中でその年、最もアメリカ国民を魅了し、扇動させたとする創作物をその創作者が払う75ドル(日本円で約8200円)の参加費用と引き換えに競わせて最後に審査員達が選別して与える賞のこと。元は新聞社の社主だったピューリッツアーの遺志を継いで創設されたという話になっているが、実際にこの賞を創設したのは常に彼の意見や考えとは対立していた編集長のフランク・コッブなので、たとえ賞を創設する資金に彼の遺産が使われていたとしてもピューリッツアーが生前、志していた「社会的不正義を暴く」などという基準で選ばれているわけではなく、あくまでアメリカ国民が最も扇動されたかどうかで選ばれており、別にその内容が虚偽であってもどうでもよく、また、真の創設者のコッブがフルブライトと同じく、大衆の味方の振りをして裏ではその大衆を騙して戦争(人殺し)をさせるウッドロウ・ウィルソンを猛烈に支持していた御用編集者だったので、政治家達にとっても最も都合のいい創作物を選ぶようにもなっている。)に選ばれていて、これだけ見てもアメリカ政府(及びイギリス王室(政府))がいかにこの奨学金を通じて各国の留学生達に「学費の工面をしてやった」という恩義(と言うよりも脅し)を売り、それに義理(と言うより恐れ)を感じた留学生達が自国に戻ってからアメリカやイギリスの為に働かないはずはなく、彼らを通じて政治や教育、マスメディア(大衆洗脳宣伝)が操作されるようになることは言うまでもない。なお、このフルブライト奨学金をもらった有名人というと、日本人初の国連難民高等弁務官だった緒方貞子、国連事務次長を務めた明石康氏、夫婦で紅斑という皮膚に赤い痣を発症させてアレルギーを重篤にさせる新兵器を開発した免疫学者の石坂公成・照子夫妻、東京大学原子核研究所助教授や高エネルギー物理学実験施設施設長などを務めて核兵器開発に取り組み、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊、ウミホタルの発光から核兵器の爆発エネルギーを引き出す研究(光と核兵器の関係は第115話『生命』(注1)参照)をしてノーベル化学賞を受賞した下村脩、米兵達の事件を追う報道記者として『テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~』や元同僚で1995年の阪神淡路大震災の“発生直後に誰よりも早く”テレビで速報を伝えた三上智恵氏と共同制作した『沖縄スパイ戦史』などを手がけた大矢英代氏、幼少期から人の死についてばかりを考え続け、「進化論的に言えば、天照大神は一番サルに近いということか」などと神様にすら傲岸不遜で心無い発言をしていたのに人の病んだ心理を分析して改善したり、予防するという日本臨床心理士資格認定協会を設立した他、幹部予備自衛官(衛生職)の任用資格をも整備した心理学者の河合隼雄、「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」との原子力平和利用3原則(または原子力基本法第2条)を1955年に後の総理大臣となる中曽根康弘が中心となって自民党&社会党の共同で制定し、最高法規の日本国憲法で非武装が原則となっているはずの日本で好き放題に核兵器の研究開発ができるようその悪法をさらに弁護する日本学術会議の為に税予算の資金繰りを行う独立行政法人日本学術振興会(1972年に昭和天皇からの下賜金で設立。)で委員を務めていた会計学者の佐藤倫正、長髪でパイプ煙草を好み、人の感情を逆なでするような発言や相手を故意に挑発する話し方をしてテレビやラジオの討論番組で大衆の注目を集め、さりげなく元総理大臣の中曽根康弘や元東京都知事の石原慎太郎氏といった政治家達との交遊を紹介してその人となりを持ち上げて選挙宣伝したり、雑誌記事から盗用した文章を著書に書いて記者会見で謝罪したことでも有名になった政治評論家の竹村健一、零戦の与圧服(気圧の低い場所で着る加圧服)から宇宙戦争や科学技術を題材にしたアニメ作品を思いついたという富野由悠季氏が原作を書き、学生時代は学生運動(=反戦運動と偽ったテロ活動)で過激派のリーダーを務め、『天の血脈』(2012年発刊)や『ヤマトタケル』(2012年発刊)といった皇族についての漫画を描いたことでも知られる安彦良和氏がデザインし、株式会社サンライズ(元医者で漫画家の手塚治虫の事務所から独立したアニメ制作会社。1972年設立。2021年時点、従業員数293名、純利益については一般にはよく知られていない官報によると37億6800万円らしいが、実際のところは不明。)が制作して1979年から放映されたアニメ『機動戦士ガンダム』で図案化されて紹介されたモビルスーツやモビルアーマーのようなロボット兵器に使われる自動制御装置を研究し、現在の計測自動制御学会(=The Society of Instrument and Control Engineers、略してSICE。自動制御懇話会から自動制御研究会に名を改め、1961年に日本計測学会と合併して現在の名称となった。なお、1992年にこのSICEの会長を務めたのが2019年4月19日に東京都豊島区東池袋4丁目で3歳の幼女とその母親を自動車でひき殺し、9人を負傷させた犯人の飯塚幸三氏で、あれほどの大事故を起こしながらなぜ、彼が未だ逮捕拘留されないのかと言うと、近年、高齢者の運転による自動車事故が多発していると巷で報道される通り、まさしくそのマスメディア(大衆洗脳広告)の報道を裏付ける為に故意に大事故を起こし、日本政府とトヨタ自動車株式会社(元は生物(細菌)兵器の養蚕を行っていた豊田佐吉が世間への目くらましの為に自動の機織機を開発したことから、その軍需産業を受け継いだ二代目の豊田喜一郎と、キリスト教徒で後に大同メタル工業株式会社(1939年に設立した滑り軸受という機械部品の最大手メーカー)の創業者でもある川越庸一と一緒に1933年に始めた表向きは自動車製造を装った軍需部品開発企業である。というのも、1922年までに父である佐吉が興した自動織機の会社は大儲けしており、息子の喜一郎と娘婿の利三郎がその当時、裕福でないと叶わなかったヨーロッパへの海外視察に出向いているばかりか、終戦後は愛知県名古屋市にあった南山農園という農業ができる別荘を所有しながらなぜか食糧確保の為にわざわざドジョウやウズラの飼養を行っていたというのだから兵器開発をしていたことは隠しようがない。なぜなら、ドジョウは水質が汚染されたり、ストレスを感じると免疫が落ちてエロモナス属菌という皮膚に赤い斑点ができたり、鱗が逆立ったり、体表に穴が開いたりといった感染症にかかることがあり、内臓にその毒を溜めやすいため、頭と内臓を取ってネギ(第116話『汚水』(注1)その2参照)やごぼう、卵などを入れて煮る柳川鍋にして日本では食べることが多く、あまり知られていないが、殺菌しないまま人間が食べたり、調理中に怪我して傷口から病原菌が入ったりするとコレラ菌や赤痢菌と似たような急性の食中毒を起こすことがあり、重篤の場合は敗血症や髄膜炎、心内膜炎といった激痛やけいれんなどを伴った死に至る病気を起こすこともあるかなり強烈な生物(細菌)兵器にすることができる。なお、エロモナス感染症はドジョウ以外に川魚などの淡水魚やカキ、カエル、蛇もかかることがあるため、これらを調理する際には鱗の状態や目や口先の充血などをよく確認し、頭と内臓は必ず取って塩水でよく洗ってから調理することをお勧めする。また、ウズラも古代から鉛中毒になることは既によく知られていて、旧約聖書の中でも飢餓で食糧を漁っていたヘブライ人(古代ユダヤ人)達が鉛中毒により方向感覚を失い、弱っているウズラを知らずに大量に捕獲して食べた途端、急性の鉛中毒にかかって死んだ話が描かれており(民数記11章31節-35節)、現代でも狩猟が行われる時期になると地面に落ちていた鉛の銃弾を木の実と間違えて飲み込み、鉛中毒を発症したウズラをこれまた人間が捕獲して食べて鉛中毒になることが多く、急性の腎不全や身体の痛み、多機能不全などにより死に至ることがある。そのため、日本でも『倭名類聚抄』という平安時代に勤子内親王が編纂させた兵器の辞書にもウズラの調理法が紹介されていて、明治時代からウズラの量産が行われるようになり、太平洋戦争で一時、減産されたものの、1965年には約200万羽に達して1970年代からは愛知県が全国の65%の生産を占めるほどウズラの飼養に力を入れてきたらしく、この事実からしても豊田喜一郎がなぜ、ウズラを戦後すぐに飼養していたかその理由はお分かりいただけたかと思う。その後、1937年から愛知県西加茂郡挙母町(拳母とは中国語で「戦を起こす種」という意味。)に本社を構え、日本国憲法の公布(文化の日)と明治天皇の誕生日である11月3日に本社工場を竣工して、1958年に中国軍が完全撤退して終結した朝鮮戦争に貢献したことを称え、トヨタ自動車の本社がある拳母市が豊田市に改称されることとなった。2021年時点、トヨタグループ全体の従業員数359,542人、売上高27兆2145億円。コロナウィルス(偽伝染病)騒ぎにより自動車を買うどころか持っている自動車を維持することすら難しい状況で急激に落ち込む世界中の一般国民の懐事情とは対照的にトヨタ自動車株式会社が今期、純利益10.3%増となった理由も上述の事実からうなずける。)を始めとした大手自動車企業が現在、量産に力を入れている自動制御装置が付けられた電気自動車の販促キャンペーン(宣伝活動)の一環として行った無差別テロだったからである。それゆえ、飯塚幸三氏が罪もない幼子を巻き込んだテロを起こしながら開き直って無罪を主張するのも、四日市ぜんそくが起きた四日市市の当時、市長だった九鬼喜久男が「経済発展の為の代償(犠牲)だから仕方ない」と言った(第99話『人災』(注1)参照)のと同じで、お国(皇室&自民党政権)の為に犯した罪であり、所詮、天皇の臣民である一般国民が大勢、犠牲になろうとも赦されるといった驕りがあるからで、もちろん、電気自動車を通じて今後も兵器の部品をアメリカやイギリスその他の世界中の軍需産業に売りたいトヨタ自動車株式会社を始めとした日本の大手自動車会社が彼の犯罪にとやかく文句をつけるはずもない。だから、裁判で飯塚氏が自動車の故障が事故原因と言い出しても自社製品に対する自信や愛着心すら湧かないのかトヨタ自動車株式会社側から自社製品を擁護する向きがほとんどないのもそうした事情が背景にあるからだろうとしか言いようがない。)の前身である自動制御懇話会を1947年に設立した高橋安人、人の免疫力をいかに破壊するかの研究に明け暮れ、免疫グロブリン、または血清と呼ばれる血液の中にある異物を排除する為のタンパク質と脂質からなる成分の仕組み(=抗体)について着目し、この中で脂質(一般的に言うと脂肪)が増大するとペニシリン・ショック(第116話『汚水』(注1)その1参照)と同じように少量であれば正常に働く免疫機能が逆に過剰に反応して様々な感染症や病気(例、がん、エボラ出血熱、エイズ、花粉症など。)を引き起こすことが分かり、この仕組みを悪用して大衆の多くが知らずにその体内に脂肪を蓄積させるような遺伝子組み換え食品(第114話『細胞』(注1)参照)や医薬品を生産させる論文を書いてノーベル生理学・医学賞を受賞した他、女性というだけで自身が勤めるマサチューセッツ工科大学(=Massachusetts Institute of Technology、略してMIT。イギリス王のウィリアム3世と女王のメアリー2世が創設したウィリアム・アンド・メアリー大学(=The College of William & Mary、1693年に設立されたアメリカでハーバード大学に次いで2番目に古い公立大学。)とバージニア大学(=The University of Virginia、1819年に第3代アメリカ大統領で「アメリカ独立宣言」(=The United States Declaration of Independence、1776年7月4日にイギリスから独立すると宣言した公文書。)の起草者でもあるトマス・ジェファーソンによって建てられた公立大学で、数々の法律家や政治家、大統領を輩出した他、前述のウィルソンも卒業生の一人である。また、多くの秘密結社を大学構内に設置していることでも知られ、2017年にはThe Unite the Right rallyと呼ばれる白人至上主義者を中心とした極右集団が松明やナチスの旗、銃などを持ち込む物騒な集会を開き、3人が死亡、33人が負傷した事件でも州警察が武力鎮圧に来ることを事前に知っていた学長自らが学生達に前もって集会に参加しないよう知らせて回るという暴力沙汰になる集会を陰ながら支援する大学でもある。)で教官をしていたウィリアム・ロジャースが1861年に建てた私立大学で、これまでハーバード大学より倍以上の81名のノーベル賞受賞者を輩出し、農学、軍事、工学を教える高等教育機関としてアメリカ政府から国有地が与えられている他、日本の大手建設会社である竹中工務店(戦国時代の武将、織田信長の元家臣で神社仏閣の造営に携わった竹中正高が1610年に創業した建設会社。)の14代目会長の孫である槇文彦氏が2010年に構内の拡張計画に携わった大学でもある。2019年時点、学生数11,520人、年間基本学費約53,790米ドル(日本円にして約590万円)、寮費及び食費約16,390米ドル(日本円で約180万円)、教材費約2,980米ドル(日本円で約33万円))の教官職を辞退するよう強要するメールを書いて女性研究者を排除しようとしたパワハラ行為から逆に自分が大学を辞めさせられた利根川進氏、第48代~51代まで総理大臣だった吉田茂が創設した吉田自由党の総務などを務めた国会議員の苫米地英俊を祖父に持ち、アメリカのカーネギーメロン大学とジョージ・メイソン大学、早稲田大学、中国南開大学、ロシア国立極東連邦大学と数々の客員教授で、ドクター苫米地ワークスと株式会社サイゾー、コグニティブリサーチラボ株式会社の代表取締役(CEO)でもあり、「俺の魂はスサノオノミコト」、「35歳で海を漂流してるときに神通力に気付いた」など数々の奇怪な発言をしながら1993年に自身が吸引する麻薬を部下に買いに行かせて有罪となった角川春樹氏が経営する大手出版社の角川春樹事務所の顧問も務め、公益社団法人日本ジャーナリスト協会の会長兼理事長でもあり、さらに天台宗(ゾロアスター教日本版。第116話 『汚水』(注1)その3参照)ハワイ別院国際部長やら聖マウリツィオ・ラザロ騎士団(=The Order of Saints Maurice and Lazarus、元は前述した聖ヨハネ騎士団と同じで、東方正教会やイスラム教国が占めるエルサレムでヨーロッパには無い新しい生物(細菌)兵器の開発や仕入れを行うため当時のローマ教皇だったグレゴリウス7世が病院を装った養護施設を1073年に建てたことに始まる聖ラザロ騎士団と、十字軍遠征時にエルサレムに樹立したエルサレム王国の末裔であるキプロス公国(現、イギリス領キプロス共和国及びトルコ領北キプロス共和国、国連管轄のグリーンライン(停戦ライン)で構成されている地中海に浮かんだトルコの目の前にあるキプロス島)の王女アンヌ・ド・リュジニャンと後のイタリア王国の王族となるサヴォイア家のルドヴィーゴが1434年に婚姻したことにより結成された聖マウリツィオ騎士団が、それぞれ伝説として伝え聞いてきた聖槍(=The Holy Lanceまたはthe Lance of Longinus、十字架刑に掛けられたナザレのイエスの死亡確認を行うためローマ兵の一人が脇腹を刺した際に使われた槍のこと。別名、ロンギヌスの槍と呼ばれていることからまさしくナザレのイエスの処刑に立ち会って彼の脇腹を刺したというローマ兵はあのガイウス・カシウス・ロンギヌスであることは間違いないようである。新約聖書ヨハネ19章33節‐37節及び第116話『汚水』(注1)その4参照)を新兵器として共同開発しようと当時、ローマ教皇になったばかりのグレゴリウス13世がマルチン・ルターの立ち上げたプロテスタント(キリスト教新興派)に対抗すべく1572年に聖ラザロ騎士団と聖マウリツィオ騎士団を合併させたことに始まる騎士団である。しかしながら、エクスカリバー(魔剣)と同じで共同開発に取り組んでも聖槍とやらの鉄鋼素材の開発は全く進まず、何度か建て直しを図って独自に研究開発を行おうとしたようだが、19世紀になる頃にはもはや独自の兵器開発はあきらめ、フランス革命から以降の市民革命の余波で(第106話『革命(1)』参照)サヴォイア王室そのものの存続が危うくなったことから、ゲリラ的に内側から自由や民主主義(王族や特権階級がいない社会)を求める一般市民の勢力を削ぐため、イギリス王室御用達の軍事秘密結社であるフリーメイソンはもちろん、大英博物館第6代館長のアントニオ・パニッツィなどが所属していたイタリアの秘密結社のカルボナリ(=The Carbonari、現代でカルボナーラと呼ばれる卵とチーズと黒コショウ、豚肉を混ぜたパスタ料理が残されているように、語源はチュートン人と一緒に住んでいたアンブロン人(食糧&食品加工業者)達がローマに移住してから(第116話『汚水』(注1)その4参照)考えたレシピ(調理法)の名前なのだが、チュートン人(金属加工業者)達の造るバーナー(スコットランドではバグパイプと呼ぶ小型火炎放射器)を調理をする際、火を点けるのに使っていたためイタリアではバーナー(点火装置)のこともカルボナーラと呼ぶようになり、そこからそのバーナー(火炎放射器)を悪用してテロ活動をする組織の名前として使うようになった。ナポレオン戦争(第103話『略奪』(注3)参照)直後の1800年頃から結成され、民衆を暴動や戦争(人殺し)に駆り立てて組織自体も衰退させ、そうして1848年になるまでに衰退して大衆に飽きられるようになると今度はジョービネ・イタリア党(=La Giovine Italia、日本語にすると「青年イタリア党」)という新たな組織を立ち上げてカルボナリの残党に運営させ、次の世代を暴動や戦争(人殺し)に誘導してイタリア国内の世論と政治を操作できるようにしていった。その後、このカルボナリからジョービネ・イタリア(青年イタリア)党の流れを汲んで創設されたのが2021年の現在も中道左派の政党としてイタリア政界に存続しているイタリア共和党(=Partito Repubblicano Italiano、1895年創設)である。)にも加入していた「イタリアと南米の二国を救った英雄」、「イタリア統一戦争(1848年~1871年)でイタリア王国を築いた祖国の父」として今も1861年に統一したイタリア王国初代王であるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と並んでイタリア国民に称えられるイギリス王室(政府)の傭兵だったジュゼッペ・ガリバルディのように、アメリカ政府やイギリス王室(政府)と内通しながら平気で自国を売り飛ばし、千人隊(=La Spedizione dei Mille、イタリア統一戦争の際に結成された無賃で自分の生命を差し出すことを厭わない殉教(犠牲死)精神に満ち溢れた一般市民による私設軍隊または義勇軍のこと。ガリヴァルディが一般人を装って南米の精肉会社の倉庫で潜伏していた際、そこの作業員達が着ていた赤シャツを(屠殺される家畜に一般市民をなぞらえて)千人隊の制服にしたため別名、赤シャツ隊とも呼ばれる。)を設けて大衆を暴動や戦争(人殺し)に誘導するなど、もっぱらサヴォイア王室を軍事面や資金面で擁護してくれる人物ならば誰だろうと勲章を授与することが主な役目となり、第二次世界大戦が終わった1946年から表向きは封建国家(王族と特権階級が支配する国)のイタリア王国という看板を下ろしてイタリア共和国(一応、一般国民が政治を主導するはずの国)に移行したため今では単に秘密結社(反社会勢力)の功労者に対して勲章を授与するだけの騎士団になっている。)の大十字騎士勲章を与えられ、サヴォイア王家騎士団日本代表まで務め、まるで優生学を創設したイギリス貴族のガルトン(第115話『生命』(注1)参照)を思い起こさせるほど肩書や勲章だらけで一体、何の仕事をして生きている人なのか皆目、見当がつかないが、唯一、1990年代半ばから総務省や通産省などの税予算を使って「日本の健全な発展の為にP2P(=Peer to Peer、略してP2P。コンピューター通信の方式(構造)の一種で、サーバー(情報販売者または親機)と通信することでそれぞれのクライアント(客または子機)が情報を得るこれまでの方式とは違い、ピア(=Peer、英語で「仲間、同類」)と呼ばれる、サーバー(親機)とクライアント(子機)の両方の機能を併せ持つコンピューター同士が通信することでサーバー(情報販売者または親機)に接続しなくても情報が得られる方式のこと。元はアメリカのノースイースタン大学(=Northeastern University、第115話『生命』 (注1)で話したロッチデール先駆者協同組合と同じ年の1844年にイギリスの仕立て職人だったジョージ・ウィリアムスが仕事のない貧しい若者達を誘いこんでスパイやテロ活動をさせる為に養成するYMCA(=Young Men's Christian Association、頭文字を取ってYMCA。日本語だと「若者達のキリスト教信者協会」)を立ち上げ、その支部を世界各地に置いたことからアメリカのボストン市にもYMCAの支部が建てられることとなり、そのYMCAボストン支部が経理や外国語、地理、電気工学、生理学(生体実験をする医学)、音楽や文筆術といった科目コースの他、カメラ愛好会なども併設して1896年に貧民向けに開いた夜間学校が始まりである。そのため、当初から社会で産業を発展させたり、役立つ人材を育成する為に教育しているのではなく、安い給料でスパイやテロ活動をしてくれる傭兵にする為の兵士訓練所なので、今も学校で勉強させるよりもコーププログラム(=Cooperative Education Programs)と呼ばれるアメリカ合衆国議会やホワイトハウス(大統領官邸)などの政府系機関や企業に研修と称して一定期間、派遣し、低賃金で働かせる教育課程(?)なるものを古くから設置している大学でもある。なお、このコーププログラム(日本ではコープ教育とも言う。)は京都の立命館大学や京都産業大学、大日本帝国陸軍の上等兵で元東京都知事の石原慎太郎氏とも親交が深かった片柳鴻が設立した片柳学園などの日本の学校でも既に導入されているようである。)の学生だったショーン・ファニング氏と16歳の時に企業のパソコンをクラッキング(=Cracking、他人のパソコンに不正にアクセスしてパソコンの機能そのものを破壊すること。)して有罪となったショーン・パーカー氏がNapsterという音楽ファイルを共有できるソフト(=Application Software、パソコンに搭載されている基本機能に書き加える形で新たな機能を付加してくれるパソコンへの指示書のこと。)を巷に出回らせ、一般的な手段では手に入りにくい古い楽曲や未発売の歌などが個人のパソコンで保存できるだけでなく、友達同士で交換し合えるサービスを始めたため著作権法違反で訴えられた事件が発端となってP2Pというコンピューターの新しい方式(構造)の名前が知られるようになったのだが、問題はその方式(構造)自体ではなく、一体、どこからそんな入手困難だったり、未発売の音楽ファイルを手に入れたかであって、所有者の許可なく盗用するなどの不正な手段を使って手に入れたことは明らかなのだが、その点は何も触れられず、ファニング氏とパーカー氏の会社が倒産してうやむやになった。ところが、これとよく似た盗作ファイル共有ソフトが徐々に世界中で出回るようになり、日本でこのP2P方式を使って開発されたのが、「備前(岡山県)の龍穴」という呼び名と共に日光一文字の刀剣を奉納した日光二荒山神社(第116話『汚水』(注1)その4参照)や幕末期には「ええじゃないか」の歌声や踊りに釣られた大衆をわざと暴動に巻き込んで1868年の戊辰(戊辰とは古代中国での科学や暦に使われた言葉の一つで、戊とは「土の兄」とも書き、つまり、旧約聖書の中の農耕を営んでいた兄カイン(第116話『汚水』(注1)その4参照)のことで「長男だから土地を相続する権利がある」と主張することを意味し、辰とは「龍」とも書いて「蛇(ゾロアスター教信者)の王者」のことであり、辰は新暦で5月を表す。)の年に始められた皇室(皇政)復古の為の戊辰戦争という名のヤラセ戦争を演じる舞台に使われた宇都宮城(宇都宮城の戦い 1868年5月11日及び15日)など、数多くの大倭朝廷(現、皇室)を擁護する為の兵器開発研究施設や城塞が隣接し、養蚕の目的を隠す製糸工場を建てて富国強兵政策を後援した富岡製糸工場のある群馬県と負けず劣らず太平洋戦争の頃には武器や兵器を生産する軍需工場が立ち並び、それらの機械工場や車両生産がそのまま21世紀の今も北関東工業地域の一角を成す自動車産業や食品工場、機械工業などに受け継がれて、手間暇を惜しまず木炭の灰汁に漬けて灰汁抜きしない限り、重曹(化学名、炭酸水素ナトリウム、第116話『汚水』(注1)その3参照)や苛性ソーダ(化学名、水酸化ナトリウム。劇薬に指定されている毒物で、元は13世紀に勃興した中東のイスラム教国であるイエメン(現、イエメン共和国)で3代目の王だったアシュラフ・ウマール2世が編纂させた『Al-mukhtara` fi funun min al-suna`(邦題だと『軍需産業技術における特選集』1295年発刊)』の中でその製造方法が初めて紹介された爆薬の一種。)を使って漬けると生物(細菌)兵器になってしまう栃の実(英語ではhorse-chestnut、conker、フランス語ではMarronnierと呼ぶ。)を地域でこぞって生産していたことから“栃木”と名付けられるようになった栃木県が創設した県立栃木高等学校に在学中、コンピューター犯罪を捜査する警視庁特別捜査官や自衛隊の技術曹(技能兵)になる為の応募資格として必ず求められる第一種情報処理技術者試験に合格し、茨城大学工学部で博士となった後、現在の日本原子力研究開発機構に就職しながらすぐに退職して福岡岡県にあったエクス・ツールス株式会社というソフトウェア販売会社に転職し、その会社もすぐに倒産しそうと分かったのか再び転職して2002年の1月には東京大学大学院の特任助手となった金子勇が、同年の5月に日本で最大規模と宣伝しているインターネットへの書き込みが匿名でできる電子掲示板『2ちゃんねる』(現『5ちゃんねる』。先祖は岡山県から北海道に派遣された屯田兵(武装農民)で、父親は税務署署員という安定した(税金の)給料がもらえる職にありながらなぜか生活保護受給者の多い地域で育ったという西村博之氏(通称、ひろゆき)が「ハッキング(情報窃盗術)から今晩のおかずまで」のキャッチフレーズの下、1999年に開設したインターネットサイト。匿名で何でも書き込めて世間に広く宣伝できるようになっているため、書き込みの多くが大抵、大衆を扇情しやすい事件や出来事が話題になり、これまで書き込まれた中で有名になったのが中学生時代からいじめを受けて自殺未遂までしていた少年が寂しさから友達を求めて『2ちゃんねる』に書き込みを行っていたところ、さらにそこでもいじめを受けることになり、心無い言葉に挑発されて刃渡り約40cmという家庭で使われる包丁よりも倍以上の長さの大きな包丁を、料理の知識や経験もなさそうな、ましてこの当時はまだ、ネットショッピングなども普及していなかったので17歳の少年が一般の販売店で難なく手に入れられる代物とはどうにも思えないが、とにかくその包丁を持って佐賀県から福岡県に向かう高速バスを乗っ取り、女性客1人を殺害、2人の乗客を負傷させた西鉄バスジャック事件で、この事件をきっかけに『2ちゃんねる』の利用者が急増した他、学習院卒で前述した兵器会社の高田商会(第116話『汚水』(注1)その4参照)の元社員だった廣田精一が電気自動車開発の為に創設した東京電機大学(明治40年(1907年)に東京帝国大学工科大学(現、東京大学工学系研究科)を卒業した廣田精一と後輩の扇本眞吉が夜間学校から始めた私立大学で、廣田の兄で工学者の廣田理太郎と共に高田商会でイギリスから兵器や機械を買い付けることが主な仕事だったことと、ドイツのシーメンス株式会社(=Siemens AG、軍隊で電気工学を学んだエルンスト・ジーメンスがイギリスと取引したことをきっかけに1847年にドイツのベルリン市に会社を設立し、現在はミュンヘン市に拠点を置く情報通信、交通、防衛、家電製品などを扱う軍需企業である。2020年時点の従業員数は24万5千人、売上高約553億ユーロ(日本円で約6兆7千億円))でも一時期、働いていたため、その流れで電気自動車の研究開発に取り組むようになり、大正天皇に献納された電気自動車の管理も廣田精一が任されるぐらい日本の電気自動車の草分け的存在であり、上述の東京電機大学以外に現在の神戸大学工学部や理工学の専門書や雑誌『OHM』を出版するオーム社も廣田達は設立していて、東京の秋葉原にある電気街は元々、東京電機大学の(兵器開発やスパイ活動を行う)学生達の為に第二次世界大戦後の1949年から設けられた商店街である。)にも通っていた片山祐輔氏が『2ちゃんねる』の掲示板に匿名で皇族を始めとした有名人への殺害予告や日本航空の航空機を爆破するといった内容の脅迫メールなどを第三者のIPアドレス(=Internet Protocol address、パソコンの電話番号のこと。)を通じて自動転送するサイトのURL(=Uniform Resource Locator、インターネットサイトの住所。Web Addressとも呼ぶ。)を貼り付け、『2ちゃんねる』の利用者がそのURLの仕掛けに気づかず片山氏の作った転送サイトをクリックして開くと、その利用者自身のパソコンから勝手に殺害や爆破を予告するメールが転送されてしまうといった近年、情報漏洩や不正送金、パソコンや携帯電話における作業妨害など、数多くの犯罪被害を生んでいるネット犯罪の先駆けのようなパソコン遠隔操作事件(2012年)でもやはり『2ちゃんねる』が犯罪の温床になったようで、元から「ハッキング(情報窃盗術)から~」のキャッチフレーズ通り、泥棒の方法を教える為のサイトであると堂々と世間に公言していらっしゃる以上、まぎれもなく違法な闇サイトなのだが、なぜ、そんな違法な闇サイトを警察が取り締まらないのかと言うと、そもそも『2ちゃんねる』を有名にした西鉄バスジャック事件も、片山氏が起こしたパソコン遠隔操作事件も、どちらも日本政府(皇室&自民党政権)が指示して大手企業はもちろん、司法や警察、その他の団体や個人なども加担し、それこそ国を挙げて犯した“公的犯罪”だったからである。というのも、西鉄バスジャック事件の犠牲者となった塚本達子はモンテッソーリ教育(=The Montessori method of education、第115話『生命』(注1)で話した親のいない孤児や学校に行けない貧しい家庭の子供などの身体(生命)を使って兵器用の医薬品や解剖実験などを行うため、優生学やIQ(知能)テスト、精神病法や白痴法などの法整備もされるようになった同じ頃の1907年にイタリアのローマ・ラ・サピエンツァ大学(=The Sapienza University of Rome、1303年にローマ教皇ボニファティウス8世によって設立されたキリスト教系総合大学)を卒業した元医者を自称するマリア・モンテッソーリが始めた疑似科学的教育法である。元々、これを提唱したモンテッソーリ自身、カソリック(キリスト教伝統派)の司祭をしていた親戚の影響を強く受けた母親から半ば強制的に勉強させられてきたことで、その母親から受ける心理的な圧力を避けようとテストの点数を誤魔化す為に覚えてしまったカンニング(答案窃盗術)がどうしても止められず、大学卒業までカンニング(答案窃盗)をし続け、学歴を詐称してきたのだが、大学の医療助手をしていた際に恋愛して未婚のままで子供を産んだことにより母子家庭となった彼女が生活費を稼ぐ手段として始めたのが彼女の持論によるモンテッソーリ教育に基づく幼児教室だった。そのため、彼女のトラウマ(=Psychological trauma、トラウマとはギリシャ語で「深い損傷」という意味で、戦争(人殺し)や体罰のような暴力を体験した人がその時に感じた恐怖心を思い出すきっかけとなる物や出来事のこと。)となっているテストや成績表は一切、省かれ、子供におもちゃや教材は与えても子供の将来に必要な知識や技術、躾け(人が社会の中で平和に安全に生きる為の作法または掟。)などは一切、教えず、それぞれの子供がいろいろな大人から教えられる知識や技術を通じてどう自分自身や社会について考え、理解し、試行錯誤していくのか、その成長過程(知識や理解の進み具合)を評価(確認)しないのがモンテッソーリ教育の特徴であり、はっきり言えばただの育児放棄なのだが、親になるまで自分では何も学ばず自分の体裁だけを取り繕う為のカンニング(答案窃盗)をし続けてきた彼女にしてみれば、親として、大人として子供に教えられるような知識や技術が何も無いのだから彼女が唯一、子供にしてやれる親らしい事と言えば、自分が味わった苦痛を子供に与えないことぐらいだったのだろうが、彼女もまた、何の知識も技術もないまま大人になって仕事らしい仕事もできず生活に困り、こんな詐欺まがいの育児商売をしなければならなくなったのだから、彼女の育児法に従って多くの子供達を第二、第三のモンテッソーリ(無知蒙昧な大人)に育ててしまう方がよっぽど残酷だと思うのだが、時節柄、彼女の育児法は兵器開発の為の人体実験対象者や自分達に従いやすい大衆を増やしたい政府(王室)や政治家にとっては都合が良かったため、IQ(知能)テストで精神障害児(今風に言い換えれば発達障害児)と判定された子供達を中心に幼児教室が開かれるようになり、イタリア国内はもちろん、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、スウェーデン、スイス、ノルウェー、デンマーク、ベルギー、ロシア、セルビア、メキシコ、アルゼンチン、中国、インド、韓国、日本、シリア、オーストラリア、ニュージーランドと世界中に彼女の教室を真似た幼児教室や教育法が本や雑誌、講演会などで宣伝されて広められるようになった。しかし、彼女としては元から戦争(人殺し)を支持して政府(王室)に従いやすい人間を育てようとしていたわけではなく、学業はもちろん、人や世間に対しても無知だった彼女が恋愛相手として選んだ男が無責任でいい加減だったことと、一応、世間一般の人達より医学に接する機会が多かった割には妊娠や出産、育児やその後の生活(人生)についても深く考えてこなかったことから母子家庭となり、経済的に切羽詰まった状況から教育詐欺をするようになっただけだったので、我が子を含めて子供達に苦痛を与えたくないという彼女の思いに嘘はなかった。だからこそ、家庭や学校での体罰が当然とされたこの時代に彼女の教育法は多くの人達、特に子供達からは絶大な人気を集めたのだが、一方でそれを手放しで歓迎できないのがナザレのイエスが十字架刑に掛けられた場面を何度も強調し、苦痛に耐え忍び、殉教(犠牲死)することが天国(神の国)への道であり、殉教(犠牲死)こそこの世に生まれてきた中で最大のご褒美と子供の頃から叩き込み、理不尽極まりない徴税や徴兵に大衆を死ぬまで我慢させたいのがキリスト教教育の真の目的なので、本当に体罰の苦痛から子供達(大衆)を解放してしまったら体罰を味わってトラウマ(恐怖心)を一生、抱えることになったモンテッソーリのように自分達が振るう鞭や軍事力(暴力)を見せただけですぐに震えあがってくれて大人や権威者の言うことなら何でも素直に聞く子供達(大衆)に育て、その一生を呪縛し続けることができなくなる。そのため、当初はモンテッソーリの教育法に歓迎ムードだったアメリカ政府とそれを裏で操るイギリス政府(王室)はすぐさまその手の平を返し、外国人移民が多くてすぐに世界各国に噂が広まるアメリカのジョン・ホプキンス大学(=The Johns Hopkins University、首都ワシントンからニューヨークに向かって大西洋沿いに車で1時間ちょっと走った所にあるメリーランド州ボルチモア市にある私立大学で、1876年に実業家のジョン・ホプキンスの個人遺産により創設されたとされているが、実際はアメリカ合衆国政府及びイギリス王室(政府)直属の生物(細菌)兵器開発所である。だから、アメリカが世界経済の中心だったわけでもないこの当時に個人の遺産では到底、考えられない700万ドル(現在の金額で大体、日本円で160億円)もの莫大な金額が寄付されたことになっており、今もこの金額を超えた寄付がされたことはアメリカ史上、一度もない。また、世界最古の公衆衛生大学院(The Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health、1916年創設)なるものも建てられているそうで、19世紀まで上下水道を分けて使う概念もなく、蛆や虱が湧く病室のベッドを床虱取り係が廻ってそれらの虫を取っていた(第116話『汚水』(注1)その1参照)という欧米人達の、特に英米人達の劣悪な衛生観念で一体、どんな公衆衛生の教育ができたのか甚だ疑問だが、ともかく世界で最も早くこの公衆衛生大学院が建てられていたというだけで現代でさえもこのジョン・ホプキンス大学が世界における公衆衛生学での指導的な立場にあるらしく、そのため、今まさにパンデミック(伝染病の世界拡散)中と噂されているコロナウィルス(妄想細菌兵器)の情報発信源になっており、医療とは全く関係がなさそうなこの大学のシステム科学工学センターのローレン・ガードナー氏の率いるCOVID-19ダッシュボードチームが中心となり、インターネットを通じて集められた世界の医療情報を瞬時にまとめ、さらにこのチームの中国人留学生がその統計データを世界地図に載せるソフトでもって『COVID-19 Map』(コロナウィルス感染マップ)を作成し、そうして世界の感染数を毎日、インターネットで公開しているそうで、その感染マップの情報を元に世界中のマスコミが各国の一般国民にお知らせする仕組みになっており、2020年時点で世界人口が約77億人と言われている全人類の感染状況や健康状態をどうやって医学用語も知らなさそうな彼らアメリカの学生達に分かるのか?とか、そもそも世界のインターネットの普及率もまだ65%ぐらいなのにそれでどんな医療情報がインターネットで毎日、得られるのか?とか、電話や電気が通っていない国や地域の感染状況などはどうやって調べているのか?とか、いろいろ突っ込みたい部分は多々あるが、それはさておき、この大学がこうやって世界に向けていろんな情報を発信するのも、マスメディア(大衆洗脳宣教)やらプロパガンダ、疑似科学教育と、複雑な時事用語を使って説明したところで分かりにくくなるだけなのではっきり言ってしまえば、見栄を張って嘘をつき続けること(『虚栄の市』及び第104話『蒙昧』参照)こそ、アメリカという国とそれを共有財産(植民地)にしてきたイギリス王室(政府)が21世紀の今日まで存続して来られた富と権威を創り出す最強の武器であり、まさしく他人(大衆)を押しのけ、蹴倒し、抹殺してでも自分達は生き残っていける食糧(富)を確保する為の手段だったからである。だから、このジョン・ホプキンス大学こそアメリカそのもの、ジョン・ホプキンス大学の成り立ちこそ、アメリカの歴史と言っても過言ではない。では、政府直属の学校ならどうして公立大学にせず、ジョン・ホプキンスという個人の名前で建てられた私立学校なのかと言うと、アメリカはあくまで表向きには民主主義(王族や特権階級を設けず、大衆が政治や経済を主導する)国家だからである。その証拠にハーバード大学やMIT、そしてこのジョン・ホプキンス大学など、アメリカの上位とされる大学はどの大学も私立で、しかも学費や寮費などもこれまで説明してきたが、一般国民の経済事情からしてどこも通学できる金額ではないのだから、元から一般国民を教育する為に開かれている学校ではない。そして、今や世界の基軸通貨国であり、誰もがその国威にひれ伏すとされるアメリカがなぜ、イギリス王室(政府)の非公式な共有財産(植民地)なのかと言うと、アメリカはイギリスから独立など全くしていないからである。ならば、1776年に第3代アメリカ大統領のトマス・ジェファーソン達によって起草された「アメリカ独立宣言」(=The United States Declaration of Independence)は一体、何の為にあるんだ?と読者の方々はもとより、アメリカ国民の皆さんもいきり立つかもしれないが、あの独立宣言がなければイギリス王室(政府)はアメリカという土地を植民地(共有財産)にすることができなかったからである。つまり、本国のイギリスとは全く異なる他の国にしなければならない理由が別にあった。というのも、アメリカはこの後書きの冒頭である第116話『汚水』(注1)その1でも話した通り、原住民であるポウハタン族が持っていたトウモロコシを始めとする農業(食糧生産)の知識や技術を奪い、それをアフリカなどの他所の国(土地)から連れてきた大多数の主に黒人奴隷達に伝承し、彼ら奴隷達が労働し、生産してくれた食糧や物資の上で成り立ってきた国家(共同社会)なので、その奴隷達がいなくなってしまったらアメリカという国は消滅する。ところが、その国家(共同社会)の原動力である奴隷達を所有できなくなるある事件がアメリカ独立宣言が出される少し前に起きた。それが本国のイギリスで起きたサマセット裁判(Somerset v Stewart 1772年)で、後にアメリカ史において決して欠かすことができない南北戦争や奴隷解放宣言にも繋がる一大訴訟だった。元はジェームズ・サマセットという仮名(英語名)を付けられた本名の分からない黒人奴隷がアメリカで売買され、イギリスに連れてこられたことに端を発した裁判だった。彼を買ったのはチャールズ・スチュアートというイギリスの税関職員だった男で、副業で奴隷売買を行っていたのだが、奴隷を高値で転売する為にいろいろと教育し、身なりも良くさせ、その上で別のイギリス領の土地(国)に売り飛ばしていた。ところが、そういう奴隷貿易がスチュアートのような白人の一般市民に浸透するようになったことで安い労働力になるはずだった奴隷の値段がどんどん釣り上げられることになった。しかも、高値で売る為にわざわざ教育してしまうと奴隷達の方も知恵がついて逃げ出すことになる。そして、案の定、サマセットもイギリスに着いた途端、スチュアートの家から逃げ出し、結局、捕まってしまったのだが、この時、彼が自分の逃亡を助けて欲しいと頼んだ相手が悪かった。その相手というのがもちろん、キリスト(人殺しの十字架)教の教徒達だった。サマセットもキリスト(人殺しの十字架)教の表向きの偽善を教え込まれていたことからつい、その偽善を信じてしまい、きっと自分を哀れに思って助けてくれるかもしれないと一縷の希望を託したのだろうが、元よりキリスト(人殺しの十字架)教にそんな“人情”(=Mercy、ホセア6章6節またはマタイ9章13節)などあるはずもない。彼らキリスト(人殺しの十字架)教の信者は寄付金(軍資金)と信者(兵士)を集めることが仕事なのだから彼らの懐に自ら飛び込んできた金目になる獲物(黒人奴隷)を逃すはずはなかった。そのため、サマセットを横盗りして寄付金(軍資金)に換え、自分達のノルマ(獲得金額。第65話『背任』参照)を達成しようとサマセットに洗礼儀式を施した名付け親(第91話『ロゴス(言葉)(1)』(注1)参照)を理由に、最初にサマセットを買ったスチュアートの拘束権の無効(=Habeas corpus、たとえ、犯罪容疑者や戦争捕虜であろうとも、何人も法的根拠もなく逮捕、拘禁することはできないという12世紀頃に提唱され始めたイギリスの法律の一つで、王様の都合によりその内容をコロコロと変更されながら1640年に正式に書面化されたが、その後も何度となく書き換えられて1976年にも変更されている。なお、日本では大日本帝国憲法第23条、日本国憲法第34条及び人身保護法の原案にされている法律がこのHabeas corpusである。)を言い出し、裁判所に提訴した。なお、ここで再度、誤解のないように申し上げるが、欧米白人種、特に英米人達はこの裁判を奴隷解放の為だとか、人権を擁護しようとキリスト教徒のイギリス人(白人)達が立ち上がったのだとか言い出すかもしれないが、元よりそんな高尚な動機(理由)で提訴されたわけではない。争点はこのサマセットという黒人奴隷を誰が拘束したり、所有していいかであって、彼の“人権(=Human Rights)”など最初から一言たりとも言及されたことはなく、奴隷売買が正しいかどうかも争われていない。つまり、彼を私有財産の一つと見て、その“物”が一体、どこの誰のものなのかについて争われた裁判なので、決して人権を擁護しようとか、黒人を始めとしたイギリス王室(政府)に不当に戦争(人殺し)を仕掛けられた上、国土(平和に住んでいた家や田畑、職場)を占領されて追い出され、個人の意思を無視され、拉致、拘束、監禁、誘拐、拷問、強姦、処刑といった数々の虐待を受けながらその人生を弄ばれ、好き勝手に売買されてきた欧米白人種ではない外国人達を奴隷の身分から解放し、人として尊重され、自由に幸せに生きていけるようにする為に起こされた裁判でもない。だから、人権を守る上で最も基本的な項目の一つである彼の本名が問われることは一度もなかったし、裁判後も彼の人生がどうなったか誰も知らない。ただ、この裁判で出された判決は“イギリス国内では”奴隷という財物を持ってはいけないということだけだった。それも40年も前の、「アフリカから連れて来られた黒人奴隷達がいくら自分達は洗礼してキリスト教徒になったから自由にして欲しいと言ってきたとしても、彼らはキリスト教徒(人殺しの子孫であるアングロ・サクソン民族が他民族を襲撃する為に創った宗教の信者)には決してなれないし、また、キリスト教徒の奴隷などイギリス領土内では存在しない。よって、イギリス国内に連れて来られた黒人奴隷達は全員、元の土地(国)に返すべきでその場所でだけ奴隷として扱うべきである。」(The Yorke–Talbot slavery opinion 1729年)という、キリスト教(アングロ・サクソン民族が経営する軍事企業)の信者(従業員)を装い、黒人奴隷達が他宗教(他民族が経営する軍事企業)のスパイとしてイギリス国内で活動することを恐れ、安易に移民を連れて来ないよう奴隷売買業者に警告として出された別の裁判の判例を持ち出して、サマセットのような外国に住む一般市民を勝手に売買して小銭を稼いでいたイギリスの一般市民であるスチュアートから法律を武器にその所有権を無料で奪い取り、それをそのまま自分達、イギリス王室(政府)を始めとした特権階級が経営するイギリス国外にある半官半民会社(例、The Sierra Leone Company 1790年設立)へ転売しただけで、サマセットやその他の黒人奴隷達を解放して自分達、イギリス人(白人)と“同じ権利”を与えるという判決でも何でもなかったのだが、スチュアートの所有権を無理やり無効にしようとして出してしまったこの判例のせいでイギリス国内はもちろん、アメリカを始めとしたイギリス領を冠する全ての国々に激震が走ることになった。つまり、「イギリス国内では奴隷を所有してはいけない」と法律で定められた以上、イギリス領であるアメリカは奴隷を労働力に使ってはいけないことになる。そこでイギリス領内では次々といろんな手段でもって黒人奴隷達を奴隷と思われない職位や扱いにしたり、国外に転売したりして奴隷の存在を誤魔化そうとした(the abolitionist movement、奴隷制廃止運動)のだが、アメリカはローマ時代と同じような大規模農場などで大量生産させた食糧や物資を本国であるイギリスへ安く輸出する為に開拓された植民地だったので、無賃で働かせる黒人奴隷達の身分や賃金を上げたり、扱いを良くしたり、国外に転売できるはずもなく、切羽詰まって考え出された結果があの『アメリカ独立宣言』だった。要は、イギリスとは全く別の国になってしまえば今まで通り、黒人や外国人達を奴隷のまま無賃でこき使える、そういう意図でしかなかった。もちろん、イギリス王室(政府)の方もアメリカの独立に異論などあるはずもないのだが、現代でもEU(欧州連合)の離脱で揉めた時と同じように(第116話『汚水』(注1)その4参照)、イギリス王室(政府)内でもアメリカの税金で生活している貴族政治家達もいるためその既得権益を手放すまいと反対する者も出てくる。また、この当時、アメリカはイギリスだけが植民地にしていたわけではなく、フランスやスペインなど他の国々も分割して占領していたためこの際、そうした国々の軍隊も一緒に追い出してしまおうと画策されたのがアメリカ独立戦争(=The American Revolutionary War、1775年~1783年)だった。この国際情勢にまんまと騙されたのが当時、即位して間もない弱冠20歳のフランス国王ルイ16世で、彼としてはアメリカが本気で独立したがっていると思い込み、フランスの占領地域をもっと広げようとアメリカの一般市民に味方する振りをして参戦してきたのだが、イギリスもアメリカもそれを見越してフランスやスペインを誘ってきたのであって、それでなくても父親の代から戦費の増大で財政に行き詰っていたルイ16世はこの独立戦争に参戦したことでもっと追い詰められていき、イギリスが負け戦を演じてアメリカは国際的に独立が認められ、戦勝者のルイ16世は戦争賠償金が稼げると期待していたものの(the Treaties of Versailles 1783年)、大した領土拡大には至らず、結局、他国の独立を手助けしたつもりが逆に自国民のフランス王室(政府)からの独立を助ける形になり、38歳となったルイ16世はフランスの乗っ取りを企むイギリス王室(政府)にそそのかされて自国を売ったフランス人スパイ達と物価の高騰で生活(食糧)に困窮し、生きる術を失った大衆が扇動するフランス革命により妻子と共に処刑されることとなった。(第107話『革命(2)』参照)こうして、アメリカは表向きにはイギリスとは全く別の国として独立することになったのだが、政治や経済、海外事情を知る機会に恵まれていたルイ16世でさえ見誤ったように、アメリカに住む一般市民がその独立宣言の裏の意味まで知るはずはなく、まして、21世紀の今でもアメリカ国民のほとんどがイギリスの徴税から自由になる為に独立戦争で戦ったと信じているぐらいなのだから、当然、この時の戦勝を自分達、一般市民が血を流したおかげで自由と平等を勝ち取れたと勘違いした人達が多く、フランス革命時の「大衆の結集した暴動(暴力)こそ王権をも超える最強の武器になる」と考える多数決絶対思想(=The tyranny of the majority、日本語では「数の暴力」とも呼ぶ。最も早くこの言葉を使ったのは第2代アメリカ大統領だったジョン・アダムスで、国会で王族や貴族階級から選出された議員と一般市民から選出された議員が一緒に政策を審議し、決議を出す場合、圧倒的多数の一般市民の要望が有利となって政策に反映されやすくなり、少数の王族や貴族階級には不利になることから国会を一つの議会(一院制)にまとめずに二つに分けるべき(二院制)との意見を書いた際に出てきた言葉で、明らかに寡頭政治(=Oligarchy、少数の人々の意見や考え、利益の方を重視して、大多数の意見や考え、利益は無視または軽視して政策を決める政治体制のこと。)を勧めているのだが、そんな悪政を進言するのもアダムスの先祖が元々、イギリスの南西部にあるサマセット州(=Somerset、正しくは古英語でSumorsǣteと書き、「シュメール文明時代のセトの子孫」という意味で、シュメール文明については第92話『ロゴス(言葉)(2)』(注5)などでハムラビ法典やバベルの塔の話も交えて説明したが、中東のメソポタミア文明のことであり、セトとは、聖書の中で兄カインが弟アベルを殺した後にアダムとイブの間に生まれた息子の名前で(創世記5章3節参照)、Sǣteは古北欧語では「干し草を作る」という意味もあるため、兄カインが焼き畑農業を行い、弟アベルが牧畜を営んでいたことから二人の技術を併せて農業をしながら家畜の餌となる干し草を編み出したのがこのセトであり、中東から戦火を逃れて彼の子孫が移住した先がサマセット州だったので以後、そう呼ばれるようになった。干し草を始め、現在、世界のチーズ市場でモッツアレラの次に消費されていると言われるチェダーチーズやイギリスで唯一、自然に湧いて出てくる(?)サマセット州のバースの温泉も地熱の仕組みと露天掘り(第94話『水源(2)』参照)を利用したセトの子孫達が造ったものであり、彼らが遺してくれた文明(神の智慧)が今もイギリス国民はもちろん、アメリカ国民の経済(生活)を支えていることは言うまでもない。しかし、そんな功績を遺してくれた彼らを殺してまでそのサマセット州から追い出したのも現在、イギリス人を名乗っているアングロ・サクソン民族であり、彼らが侵略してその地域を乗っ取った為にチェダーチーズは本来は口の中でとろけるような甘さを持った保存チーズだったのだが、彼らはそれをわざと腐らせて日本の仏教で伝えられる醍醐味(=毒素。第116話『汚水』(注1)その3参照)を持った生物(細菌)兵器に作り変えてしまい、それをさらに毎日、食べさせて徐々に毒を盛ることで一般国民に薬を売りつけたり、病院に行かざるを得ない重い病気にかからせるよう新たな製法に変えたのが、先祖はイギリス皇太子のお世話係で国会議員でもあったらしいジョセフ・ハーディングという男で、19世紀からは彼の製法に従って五味相生の譬に出てくる醍醐味(究極の毒素またはアフラトキシン)の一歩手前の、辛味の強い熟酥となったチェダーチーズの乾物が市販されるようになり、これに紅の木と呼ばれる南米の原住民達が口紅やボディペインティング(全身装飾)に使っていた実からカロテノイド(またはカルチノイドやアナトー色素とも呼ぶ。)という海で大量の魚介類を一挙に死なせてしまう赤潮と同じ成分の色素を取り出し、それをわざわざ毎日、食べるチーズに塗りつけたレッド・チェダー(血糊のチェダーチーズ)まで売るようになった。なお、チェダーとは古英語でCeodor「胃袋」から名付けられたもので、チェダーチーズは仔牛や子羊、子ヤギの胃袋にあるレンネット(凝乳酵素)と呼ばれるたんぱく質(栄養)を分解する酵素(第114話『細胞』参照)を使って作られており、本来は新陳代謝を促し、人の身体にたんぱく質(栄養)を与える為に作られたもので決して毒入り食品ではない。しかし、それを生物(細菌)兵器に作り変え、チェダーチーズを始めとした有害な農作物を大量生産する為に彼らはセトの子孫や他の地域で捕虜にした原住民を奴隷にしたのだが、その際、彼らが定めた掟が現在、ケンブリッジ大学のコーパスクリスティカレッジ(=“Corpus” Christi College、前述のHabeas “corpus”(人身保護法)の通り、コーパスは法律や法則のことで、キリスト教における法律や兵器開発の為の製造方法(法則)などを集めるケンブリッジ大学内にある上位成績者のみが在籍できる学校である。1352年設立。)に所蔵されている『Laws of Ine』(邦題にすると『イネ王憲法』695年9月6日制定。)で、この掟の中で現在の人身保護法と同じ内容が記されている他、大規模農場で農奴を使って働かせること(第87話『母の願い(1)』(注2)参照及び第107話『革命(2)』(注2)その1参照)や王命による徴兵を拒否した場合の罰金、原住民や農奴の(生命の)価値は支配者である自分達、イギリス人の半分として損害賠償額も減額するよう定められており、また、農奴と自分達、支配階級の住む場所などを分けることも指示されていて、この掟がイギリスとアメリカ憲法の基礎になっているだけでなく、1994年まで続いた南アフリカのアパルトヘイトや1964年までアメリカが廃止しなかったジム・クロウ法などの、いわゆる人種分離政策の元凶であることは間違いないようである。)という、働いて食糧(富)を得ようとする者を徹底して蔑み、劣悪な生活環境に置くことで心理的に抑圧して奴隷にし、逆に周囲に武力(暴力)を振るって怖がらせ、働かずして自分の欲しい武器や食糧(富)を手に入れられる者こそ上流階級(川上の住民)だと教えるような地域で生まれ育った後、今度はロンドンから北東に向かって車で約1時間の所にあるエセックス州ブレントゥリー(=Braintree、今は「知恵者達の一門」という意味の名前に変えられているが、正しくはBrank-tryで「拷問裁判または私刑を行う場所」が本当の意味である。その真の地名にある通り、21世紀の今も聖職(?)貴族議員としてイギリス国会の貴族院(日本で言う参議院)で政治や法律について審議を行い、ロンドンのセント・ポール大聖堂(第116話『汚水』(注1)その1参照)を拠点にして兵器開発研究所やその軍需工場、傭兵(信者)などの管理監督を行ってきた、イギリス国教会の階級においては初めてキリスト教をイギリスにもたらしたカンタベリー大主教、イギリス北部を管轄するヨーク大主教に続いて3番目に高位のロンドン大主教が10世紀頃からこのブランクトリィー(ブレントゥリー)の管理を任されるようになり、ブラックウォーター川(=River Blackwater、元は南米のアマゾン川と同じような森の中にある湿地や沼地を通る一見、汚水にしか見えない、深くて真っ黒い、あるいは泥のような川のことで、魚介類やある種の動物達にとっては栄養満点な川であり、ホワイトウォーターと呼ばれる見た目は綺麗に見える川でよくまとわりつかれて難儀する蚊やダニなどの害虫が少なく、また、皮なめしに使うタンニンなども豊富に含まれるため、人が住んで生活する上での利用価値は高い川だったのだが、イギリス人には汚い川としか思われなかったので彼らが占領するようになってからは軍需工場の工業排水を流したり、そこで働く奴隷達の生活排水や糞尿などが混じったまさしく“どす黒い川”となった。)を挟んでイギリス国教会(イギリス王室御用達軍事総合商社)から派遣された修道士達が管理するボッキング地区(=Bocking、古代アイルランド語でBocは「自分を牛だと思って弱い者いじめをする雄ヤギ(日本語風に言うと「自分を“馬”だと思っていじめをする“鹿”)」、または古英語ではBōcは「本」という意味なので、これらの意味を併せて「角(武器)を使おうとしない優しい羊達を角(武器)と聖書でもって虐める牛を気取ったヤギ達の地区」となり、つまり、「キリスト(人殺しの十字架)教の奴隷監督官達が支配する貧民街」を意味する。なお、-ingは現代英語では「~しているところ」とか「~すること」といった動詞に引っ付く言葉としか教えられないが、古代や中世英語では-ingは「~にちなむ場所」とか「起こり」、「ルーツ(始祖)」などの意味も含まれる。)も併せ、14世紀頃からは黒色火薬の威力を高めるためウール(紡績)や洗濯工場で使っていたラント(=Lant)と呼ばれる尿に偽石膏を混ぜて発酵させることで得られる硝酸カリウム(=硝石。第116話『汚水』(注1)その3の硝安爆薬を参照。)の生産に力を入れるようになり、その後、16世紀頃から始まった大航海時代によりヨーロッパ(キリスト教徒達)がようやく地球にある“自然界(神の庭)”の見聞を広げた結果、もはやカソリック(キリスト教伝統派)が主導する自然科学(軍事知識と技術)では新大陸のアメリカを始め、滅亡したとは言え、黒色火薬や黒死病(ペスト菌)をヨーロッパにもたらした中国、朝鮮半島、日本を含めたアジアのモンゴル帝国、そして中東のイスラム教と比べても“相当、遅れている”ことはどうにも否めなかったためヨーロッパ各地でカソリック(キリスト教伝統派)主導からの脱却を唱えるマルチン・ルターを始めとしたプロテスタント(キリスト教新興派)運動が起こり、その流れで内戦となったオランダから戦火を避けて移住してきたフランドル人達(=The FlemishまたはFlemings。オランダ語ではVlamingen。ラテン語のFlō「火を吹く、爆弾を作る」と、中世英語のFlo「ミサイル式の火矢または爆弾」の意味を含め、上述した-ing「ルーツ(~にちなむ人々)」の意味も併せて「ミサイル式の爆弾を作っていた先祖の子孫かもしれない人々」という意味になり、オランダ語も同じくVlam「炎」、in「中に」、gen「人」でVlam-in-gen「炎の知識や技術を受け継いでいるかもしれない人」という意味なので、どちらもフランドル人とは「爆弾の作り方を伝承されてきた“かもしれない”人々」という意味なのだが、なぜ、“かもしれない”と仮定的な言い方になっているかと言うと、彼らの住んでいた地域とは第116話『汚水』(注1)その2で話したオランダの別名であるフランダース(水浸しの土地に丸太を組んで住む国)であり、ここには水耕栽培(または球根栽培)をしていた原住民のカナンヌファトゥン族(ネギ栽培の達人)が住んでいたり、その後は第107話『革命(2)』(注1)で話した百年戦争を引き起こした張本人であり、ジャンヌ・ダルクをイギリスに引き渡した挙句、彼女が教えた製造方法でモンス・メグを始めとした大砲や銃器を造ってそれをヨーロッパ各国に販売して稼いでいたフィリップ・ル・ボンがブルゴーニュ公国として組み入れていた地域でもあって、ジャンヌ・ダルクに火矢や火薬の作り方を間接的に伝えることになったアレマニ族の子孫や彼らの知識と技術を理解できたユダヤ人達も長年、暮らしており、一体、誰が正しい自然科学(神の智慧)の知識や技術を伝承されているかが分からないからである。そのため、現在、この地域はベルギーと呼ばれる国になっているが、元は法律書や法令集を出版する学陽書房の出身で、さらに日本に渡来して以降、大倭朝廷に仕えて税金の管理をしていた鷹の羽を家紋にする高橋家(または財務省と金融庁の前身である大蔵省の省庁名にされていた大蔵家)の子孫である高橋茂人氏が創設した瑞鷹エンタープライズの子会社であるズイヨー映像で社長を務めていた本橋浩一が学陽書房での法知識を盾に当時、アニメ制作の下請けをさせていた手塚治虫の経営する虫プロダクションの作品を横盗りして設立された日本アニメーション株式会社(本橋浩一が手塚治虫のマネージャーをしていた西崎義展(本名、西崎弘文)と結託して1975年に建てたアニメ制作会社で、カルピスやハウス食品などの食品メーカーが協賛し、フジテレビで放映されていた『アルプスの少女ハイジ』や『あらいぐまラスカル』などのアニメシリーズ『世界名作劇場』が代表作である。同じくフジテレビで1990年から現在も放映されているアニメ『ちびまる子ちゃん』も日本アニメーション株式会社による制作だが、この漫画の作者であるさくらももこがちょうど日本のアニメ制作企業の収益が大幅に下がりだした2007年頃から乳がんを患い始め、2018年に死去した時期と同じ頃、本橋浩一も2010年に煙草に含まれる鉛などの中毒からか骨髄異形成症候群という体内で正常な血が造れなくなる白血病に似た日本ではかなり稀な病気にかかって急死している。なお、本橋と一緒に虫プロダクションを乗っ取った西崎義展(西崎弘文)も父方の祖父が現在の明治薬科大学の前身である東京女子薬学専門学校の校長をしていて、母方の祖父も海軍のスパイだった上に日本基督教団にも関係しており、しかも1907年(明治40年)にイギリスの技術を取り入れて創業され、非武装が原則の日本国憲法下にありながら堂々とそれに違反して現在も戦車や戦艦、大砲などの武器を造り続けている三井財閥グループの一つである株式会社日本製鋼所の役員まで務めており、彼らの血を受け継いだ西崎も当然、大倭朝廷(現、皇室)にその一生(生命)を捧げるスパイになるよう育てられてきたため、一時は1974年から日本テレビ(または読売テレビ)で放映されたアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーとして注目され、豪邸や大型クルーザーを購入して華やかそうに見える生活を送っていたようだが、元々、経営能力もないのに無理に事業を興して借金を重ね、結局、破産し、生活に困っていたのか監獄で生活できるよう覚せい剤と銃刀所持法違反でわざわざ警察に逮捕してもらい、10年近くも服役した挙句、その服役途中から足の麻痺で車椅子生活をするようになっていたのに、自身が監督した2009年に公開されたアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の興行が大失敗に終わったことで翌年の2010年、資産は全て売り払われているはずの破産した彼の会社の名義になったままのクルーザーから、しかも、自衛隊基地や宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設が立ち並ぶ東京都小笠原諸島の父島に車椅子を使うほど足が悪いはずの75歳の西崎がなぜか遊泳を目的にその島に出かけいき、皮肉にも「YAMATO」と名付けられたその船からその時、9人もの友人が同船しながら、さらに本人は浮力があるはずのウェットスーツまで着用していたにもかかわらず転落して溺死し、通報で駆け付けた海上保安庁の隊員はそのまま事故死として処理している。)が19世紀にフリーメイソンのメンバーでアイルランド人作家のオスカー・ワイルドが書いた『A Dog of Flanders(邦題は『フランダースの犬』で、世間向きにはウィーダをペンネームにしているマリー・ルイーズ・ラメーが作者になっているが、彼女はその頃、ロンドンの5つ星ホテルであるランハムホテル(=Langham Hotel, London、1865年創業)の総支配人に抜擢されたアメリカの南北戦争では北軍の将校をしていたジェームズ・サンダーソンの愛人だったというだけで、イギリスの王族や国家元首も泊まる超高級ホテルの総支配人にホテル経営などしたこともないようなアメリカの一士官が就任すること自体、おかしな話なのだが、要は現代のジョン・ホプキンス大学のようにこのホテルを情報発信基地としてサンダーソンの愛人だったラメーを女流作家に仕立て、ワイルドを始めとした様々な作家や詩人、報道記者達に代筆させ、他にも大衆向けに小説や雑誌、ニュース、チラシなども制作させ、イギリス政府(王室)が陰で画策する戦争(人殺し)の為の募兵や募金活動を行っていた。そのため、『フランダースの犬』のような子供向けのキリスト教の宣教本を出版するだけでなく、ウィーダの名前でイギリスとフランスが占領していた北アフリカのアルジェリア(一般的な歴史ではフランス領アルジェリアなのにイギリスが占領していたと書いた理由は第113話『内部者』(注1)を参照のこと。)に駐屯するフランス外人部隊やアフリカ人部隊(=The Army of Africa、イギリスとフランスが82万5千人もの原住民を殺戮してアルジェリアを奪った年の1830年から一部、権限を譲渡して引き続き傀儡政権を樹立する為に起こしたアルジェリア戦争が終結する1962年まで結成されていたアラブ人やベルベル人などの主に北アフリカの原住民だった人々が“志願して”入隊した軍のこと。)への入隊を誘うような『Under Two Flags(邦題だと『イギリス国旗とフランス国旗の下に』1867年発刊)』というプロパガンダ(大衆洗脳募兵)本まで出している。なお、ラメーのペンネームと偽っているウィーダとはドイツ語とフランス語が達者だったワイルドが英語ではなく、フランス語でWildeを発音した時の言葉をそのままペンネームにしたもので、ラメーが子供時代に本名のルイーズを発音した際、訛ったとする幼児語から名付けられたものではない。その証拠にワイルドが代筆した『フランダースの犬』とほとんど同じ内容で書かれているのが『The Happy Prince and Other Tales(5編からなる短編集となっており、日本では『幸福な王子』の名で知られている。1888年発刊)』で、主人公の少年と飼い犬がイエスの処刑の絵を眺めながら一緒に殉教(犠牲死)するのが『フランダースの犬』、王子の偶像とツバメがこれも一緒に殉教(犠牲死)するのが『幸福な王子』と、二冊とも最後に殉教(犠牲死)が描かれている。なぜなら、これこそワイルドと彼の兄ウィリーの末路であり、彼らの両親がどちらもかなり偏った思考を持った軍国主義者だったことから幼い頃よりお国(王室)を守る為に兵器の研究開発に勤しみ、その一生を王族やその血を受け継ぐ貴族階級に捧げて殉教(犠牲死)することが彼らの使命と教え込まれていたため、ワイルドの両親がアイルランドの地元では耳鼻科や眼科の名医ともてはやされる一方で、治療と偽ってクロロホルム(吸入麻酔薬)を女性患者達に嗅がせて意識を失わせた状態でキリスト(人殺しの十字架)教の信者(傭兵)達に輪姦させ、売買春の斡旋を行ったり、患者達を豪華客船でエジプトやエルサレムへの巡礼旅行に連れていくと言って「十字軍号」と名付けられたその船で彼らを殺害し、人体実験用に解剖して彼らの目玉を取り出すなど、『幸福な王子』に書かれている内容と同じ拷問行為に耽っているところを傍で見ていても何とも思わず育っており、彼ら兄弟もまた、両親と同じようにフリーメイソン(軍事結社)に入会したり、雑誌記者になったりしてそれこそ“お国(王室)の為に”と身を粉にして王室や政府に褒めてもらえるような本や雑誌記事を書こうと大衆に向けてプロパガンダ(大衆洗脳宣教)しながら募兵や募金活動に励んでいたのだが、第116話『汚水』(注1)その3でもなぜ、キリスト教の修道士にしても仏教の修行僧にしても乞食(托鉢)修行をするのか話した通り、兵器の研究開発を行うには現代まで少なくとも1万年以上に渡って世界中の何百、何千もの国家(王朝)が滅亡してきたぐらい天文学的な費用がかさむため、彼らがフリーメイソンのような軍事結社を通じて会費(軍資金)をいくら納めたところで足りるはずがなく、「もっと、もっと」と上から強請られて必死に稼いでも焼け石に水ですぐに消えてなくなり、そのうち、兄のウィリーは自分の所属する軍事結社から当初は「Blue Blood(日本語に直訳すると「青い血」だが、イギリス人にとっては「混血ではないゲルマン狩猟民族(西ゴート族)を始祖とする白人の武者」という意味で、19世紀初頭にスペインに関する本をイギリス人達が訳していた際、スペインの王族や貴族達が白い肌に血管が青く浮き出る様を白人種の証拠に挙げていたことから(どんな人種でも血管は青く浮き出ると思うが)この言葉を見つけて以降、“生粋の白人種”だとか“高貴な生まれ”、“優れた白人勇者”という意味で使われるようになった。)などと呼ばれてもてはやされ、弟のワイルドの方は「Grey Crow(日本語に直訳すると「灰色の烏」だが、イギリス人には「大衆の味方か、お国(王室)の味方かがはっきりしない混血児の考えを持つセムノン人(呪術師。第116話『汚水』(注1)その4参照)という意味になる。)と呼ばれて兄より下に見られていたのに、前述の『幸福な王子』や『The Picture of Dorian Gray(『ドリアン・グレイの肖像』という邦題で日本では知られているが、ドリアンとはセムノン人の説明と一緒に第116話『汚水』(注1)その4で話したドリア人(海の精霊ドリアと触角を持ったウミウシを信仰する子孫)を意味し、グレイは上述のオスカー・ワイルドのことであり、肖像は人物画ではなく、爆弾その他の兵器の図案を指していて、要するにこの小説全体が軍事組織内で交わされる暗号文になっている。1890年発刊)が次々と大衆受けするようになると、立場や稼ぎが弟と逆転し、まるで西崎義展(西崎弘文)のように兄のウィリーも借金を重ね、言い知れぬ憂さや将来への不安を晴らす為に酒や麻薬に溺れるようになった。それでも一時、弟のワイルドが成功したからと言って元々、大衆が楽しんだり、喜ぶよう小説を書いていたわけではなく、王室を始めとした特権階級の為に書いているだけなのでいくら大衆には「人気沸騰中」とか「爆発的なヒット」、政府御用達の新聞や雑誌からは逆に「退廃的、不道徳」と大衆の反感をそそるよう宣伝文句を煽ったところでその演出に飽きられたら誰も見向きもしなくなる。そのため、暗殺や拷問をちらつかして脅してくる軍事組織からの上納金の催促に困り果てた弟のワイルドも兄と同じように借金漬けになり、切羽詰まって両親が裏でやっていたような男色専門の売買春の斡旋に手を染めてしまい、それを当時、上納金の徴収にかこつけ、ワイルドに金を集っていたスコットランド貴族の放蕩息子であるアルフレッド・ダグラスに弱味として握られ、つけ込まれるようになった。ダグラス家と言えばスコットランドでも指折りのイギリス王室にも負けず劣らずの家柄で、フランスやスウェーデン王室とも関係があり、21世紀の今もなお、貴族商売(税金集り)を続けている家系でもある。しかも、代々、自殺者や狂人を大勢、輩出するほど精神的におかしな人達ばかりが家族や親戚にいる変わった血統であり、ワイルドに金を集っていたアルフレッドも知能のレベルがかなり低かった。それでも一応、クイーンズベリー侯爵位という高位の貴族のご子息様なのでワイルドが奨学金で通っていたオックスフォード大学にも在籍していたのだが、当然、学位など取得できるはずもなく中退していた。それでも自分は頭がいいと思いたかったのか、ワイルドにしつこくまとわりついては彼の執筆業に自分も関わろうとし、フランス語が達者だったワイルドが『Salomé(邦題は『サロメ』で、聖書ではマタイ14章及びマルコ6章14節‐29節、本作品では第19話『狂宴』と第20話『生贄』に出てきたサロメのことだが、もちろん、ワイルドとしてはそのサロメについて話しているのではなく、フランス人スパイ達に向けて武器取引についての指令書もしくは暗号文を書き送ったものである。1891年発刊)という戯曲(芝居の脚本)をフランス語で書いた際も、もちろん、英語ができる原作者のワイルドを差し置き、自ら英訳し、勝手に英語版の『サロメ』を出版して巷の不評を買い、ワイルドの仕事の邪魔しかできなかったのだが、彼の人気が陰りだすと彼の裏家業である男色の売買春の斡旋をネタにして醜聞で大衆の気を引くことを思いついた。いわゆる、下ネタ、猥談、ワイドショーネタである。そのため、ダグラスは早速、自分の父親でボクシング競技でグローブを着用するといったクイーンズベリー・ルール(実際にルールを作ったのはアマチュアアスレチッククラブという西ウェールズの地主だったジョン・チャバースが建てたスポーツクラブでボクシングを楽しんでいた地元民達だったが)の名でも知られる9代目クイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスとも示し合わせ、金に困っていたワイルドをけしかけてわいせつ罪を理由にしたヤラセの裁判劇を始め出した。ワイルドとしては借金だらけで首が回らず、二進も三進も行かなくなっていたことからその話につい、乗ってしまい、どうにか生活ができるならとコーリングカード(日本で言う内容証明郵便)を送ってきたダグラスの父親に対して逆に提訴して徹底抗戦する構えを見せ、結局、裁判となってワイルドの斡旋で売春をしていた男がダグラス(貴族)側に味方し、証言したことでワイルドは敗訴して監獄行きとなった。こうして、ワイルド兄弟はお国(王室と政府)の旗振りで推し進められる軍拡を後方支援するため兄のウィリーが借金とアルコール(麻薬)漬けにされて46歳の若さで亡くなると、その後を追うかのように弟のオスカー・ワイルドも貴族のダグラスに操られるまま監獄に入って半年も経たないうちに毒を盛られて髄膜炎(脳やせき髄を覆っている髄膜に炎症が起きる病気で、主に細菌やウィルスに感染してかかり、頭痛や発熱、音や光を嫌がりだし、脳やせき髄はもちろん、皮膚などにも火傷の症状を起こして死亡に至る感染症のこと。)を患うようになり、自身がそれまでに書いた小説や戯曲の著作権をダグラス(貴族)達に売り払った後、生活に貧窮したまま、ワイルドから買春を世話してもらっていてダグラス(貴族)達にわずかな金で著作権を売り渡すよう病気で意識が混濁している彼に強要したロビー・ロスが呼んだカソリック(軍事総合商社)の司祭によって髄膜炎が悪化するようオリーブ油を飲まされ、文字通り、煉獄の火(ゾロアスター(拝火)教の兵器がもたらす地獄の炎。第116話『汚水』(注1)その3参照)に包まれながら2歳上の兄が逝った翌年、46歳でこの世を去った。このように『フランダースの犬』はあくまで軍備拡大したいお国(王室と政府)の為に自ら率先してその生命を差し出し、殉教(犠牲死)してくれる子供や若者を募る為にワイルド兄弟の生涯を手本にするよう暗示がかけられる幻想小説であり、それゆえ、フランドル人画家のペトロ・ルーベンスが描いたイエスを十字架に掛ける絵と死亡してから降ろす絵がお話に出てくる訳で、そもそもキリスト(人殺しの十字架)教の信者達が信じて止まない処刑されたイエスとはナザレのイエスではないのだが、その話はまた後で説明するとして、ともかく『フランダースの犬』は決して優しい少年と賢い犬の悲しくも美しい子供向けのおとぎ話などとそんな単純な話でないことを、本の内容次第で戦争(人殺し)と兵器開発の為に誰かをその奴隷(犠牲)にしてその人の一生を台無しにしてしまえるぐらい本は人の人生を左右できる力を持つということを、読者の皆さんにはよく覚えておいていただきたい。1872年発刊)』を題材にして1975年から世界名作劇場シリーズの第一作目としてフジテレビで放映されたアニメ『フランダースの犬』が日本の子供達の間で大人気になったことを受け、トヨタ自動車株式会社がこのアニメにちなみ、かつてはフランドル(英語読みでフランダース)と呼ばれていたベルギーのアントワープの教会の広場にこのアニメに影響されてキリスト(人殺しの十字架)教の信者(兵士)になったという50歳のウェブデザイナーに碑文を依頼し、わざわざ4万ユーロ(日本円で約500万円)も出して、アメリカで9.11同時多発テロ事件が起きた年から構想し、2003年に『フランダースの犬』の石碑を贈呈したのも、トヨタ自動車株式会社を始めとした日本の軍需企業(武器商人達)がベルギー(旧、フランドル)に手掛かりが残されているだろう爆弾その他の兵器の製造方法を調べる為であり、中でも要塞を建築する際の鉄骨や鉄筋、大砲の筒、戦車や戦艦、ロケットやミサイルなどの構造に使われる鉄鋼素材になったり、大容量の電磁波を送るレーザー兵器や原子炉(核兵器)の炉心(制御棒)を構成する素材、もしくは天然ダイヤモンドよりも硬度を持たせて掘削できる工業用のカッターやドリルにするなど、ありとあらゆる用途に使えるカーボンナノチューブ(またはナノマテリアル。化学用語の元素名で言えば炭素。例、木炭、石炭燃料、ダイヤモンド、二酸化炭素など。)の秘法(製造方法)を探りたかったからで、その為にわざわざ石碑に英語とオランダ語で「symbols of true and eternal friendship,loyalty and devotion(真実と永遠なる友情、忠誠、献身の証として)」、日本語は「この物語は悲しみの奥底から見出す事の出来る本当の希望と友情であり、永遠に語り継がれる私達の宝物なのです。」と刻んでベルギー政府(王室)とそれを裏で操るイギリス王室(政府)(第107話『革命(2)』参照)に尻尾を振り、忠節を誓って賄賂まで贈るぐらい世界中から地球規模の富が創り出せる土地とフランドル(現、ベルギー)は長年、見られており、これまでにも「我こそはカーボンナノチューブの謎と秘法を解き明かして見せる」と名乗りを挙げて研究開発に取り組んできた国や企業、研究者は大勢、いたのだが、日本も同じくこれに挑んで失敗に失敗を重ね、ついに資金も底を尽き、やむなく撤退したようで、現在は中国では宝石店で知られる周大生(=Zhou Dasheng、企業名の周とはBC11世紀頃の中国にあったとされる周王朝のことで、大生とは孔子が創設した儒教で使われる経典の一つである『易経』(自然科学書)の中に記された「天地の“大”德は“生”と曰ふ。(天地がもたらす大いなる宝は科学技術から生まれる)」という文の略語である。つまり、「中国の周王朝の流れを汲む子孫とその配下の自然科学の知識と技術で宇宙と地球の大いなる富が生まれる」という意味になる。2019年時点での中国全土での店舗数が3,457店、系列店舗が3,161店、従業員数約3千人、売上高約572億2600万元(日本円で約9,184億円))という宝石販売企業がトヨタ自動車株式会社の石碑を自分達の石像に置き換え、引き続き、文明(神の智慧)による利器(宝物)を得ようと頑張っているようだが、そもそも本作品で何度も説明してきた通り、元々、インダス文明のウーツ鋼にしても、日本のたたら製鉄にしても、チュートン人達の冶金術(製錬&精錬)で造っていた鉄剣にしても、既に正しい文明(神の智慧)を知る人達から本物を見せられ、その知識や技術も懇切丁寧に教えられていたのに、その時にその真心が理解できなかった阿修羅(人でなし、またはアッシリア人。第116話『汚水』(注1)その3参照)の子孫がいくら頑張っても“分かる”はずはなく、百歩、譲ってその謎や秘法が分かったところで彼らが望む兵器を手に入れても阿修羅の語源となったゾロアスター(暴力&原子爆弾礼賛)教を信仰し、世界帝国となったアッシリア帝国も、そのアッシリア帝国に兵器の製造方法を伝えたインダス文明も、どちらも文明(神の智慧)を兵器に悪用した結果、滅んだのに、そんな亡国の元凶である兵器が地球規模の富になると21世紀の今もなお、信じ続ける方がどうかしているのだが、ゾロアスター(暴力&原子爆弾礼賛)教の地獄を味わい尽くした芥川龍之介(第115話『生命』(注1)参照)が書き残した『蜘蛛の糸』(1918年発刊)でも、一本の糸(兵器開発の手掛かり)を求めて地獄(借金と戦争(人殺し))に堕ちた人々がその競争地獄からの救いや富を求めて我先にその糸をつかもうとお互いを蹴倒し、抹殺しあいながら結局、また、地獄へと堕ちていくのと同じで、彼らにいくら道理や良心(理性)を説いたところで聞く耳を持つはずがなく、人類がこの地球上に誕生して以来、少なくとも1万年以上、そうやって同じ失敗を延々と繰り返していてもまだ、飽き足らず自分達の無力さや愚鈍さに気づかないのだから、救いようがないとはこの事かもしれない。それどころか、一瞬で太陽の位置を動かしてアッシリア帝国軍を壊滅させ、梅雨でもって神風を起こし、モンゴル帝国軍を叩き潰した神様(自然)の力(第116話『汚水』(注1)その3参照)をも天に向かって、公然と、畏れもなく、平気で侮れるのだから開いた口が塞がらない。とにかく、そんな事情からフランドル(現、ベルギー)に代々、住んできた人達は欧米人を始め、世界中の人達から重用されるようになった。)をブランクトリィー(ブレントゥリー)に迎え入れてラント(爆薬用の硝石)の威力が増大するよう改良研究に励み、19世紀までウール(紡績)工場が盛んだったが、19世紀初頭から日本との密貿易(1824年 大津浜事件。第107話『革命(2)』(注2)その3参照)で養蚕(生物(細菌)兵器)とそれに伴う絹織物工場がウール(紡績)工場に置き換わり、Warner & Sonsという絹織物専門企業も1895年にロンドンから越してきて、エリザベス女王が着る戴冠式の衣装を制作するなどイギリス王室が直接、指定する企業がブランクトリィー(ブレントゥリー)を支配するようになった。しかし、その日本との武器密輸で明らかになったのは自分達が血を流してまでカソリック(キリスト教伝統派)からプロテスタント(キリスト教新興派)に切り替え、15世紀にアメリカ大陸を見つけてから300年以上かけて改革してきたはずの自分達、欧米の自然科学(軍事知識と技術)がアジアの片隅にあるだけの小国の日本より“遥かに遅れていた”という事実であり、焦ったイギリス政府(王室)は自分達の国力やその価値を全く分かっていない大倭朝廷(現、皇室)とその配下で長年、倒幕を試んでは何度も失敗してきた薩長土肥(現、九州地方及び山口県、高知県)の武将達を丸め込み、開国と明治政府(現、皇室及び自民党政権)の樹立を焚き付けながら今後、日本を含めたアジアを自分達の支配下に置くため再び自然科学(軍事知識と技術)の刷新を図り出した。その政府方針により1883年に「工業所有権の保護に関するパリ条約」という、水や穀物を含めたありとあらゆる商工業製品に関する特許や実用新案などを欧米諸国で申請し合ってその生産販売によって生まれる利益を保護し合う条約が結ばれたことで今後、日本や中国、その他のアジアで見つかった軍事知識や技術はもちろん、それ以外の農作物や資源なども何らかの施設や工法などを付加することでそのまま一緒に盗用できるよう“特許”(=Patent、ある人が発明したアイデアや創作物について国(王室&政府)に申請(報告)することでその申請者(報告者)に対してそのアイデアや創作物の使用及び販売などを独占する権利を与えること。つまり、それを考案したり、創作した本人でなくてもアイデアや製造方法を知っていれば誰でも申請(報告)することができるため“合法的に”盗用できるようになっている。元はBC6世紀頃の古代ギリシャで食器製品の品質向上を目的に競技会を開き、その優勝賞品として良質な製品を考えたり、創作した人に対して一定期間、独占販売する権利を与えただけで“盗用を合法化させる”つもりはなかったのだが、13世紀に上述したフランドル地域(現、ベルギー)を巡ってフランス王室やイギリス王室、またフランドルを武力制圧して実効支配するようになったフランドル伯爵、さらに組合を結成することで自治独立を主張するフランドルの織物商人(武器商人)達を中心とした住民組合がお互い戦争(人殺し)し合ってその地域を占有しようとしていた際、財政悪化で軍資金の目途が立たなくなったイギリス王室(政府)が戦火でやむなく逃げてきたフランドルの織物商人(武器商人)やその職人達の身柄そのものを確保し、「彼らの知識や技術は実質、自分達、イギリス王室(政府)の所有である」と書いたPatent letters(ラテン語のPateō「拡大する」と古フランス語のPatente「公開する」を併せて「私がそれを私有地や私有物にする権利を持っています。」との趣旨が書かれた手紙のこと。)を発行してフランドル人達の保護を理由に領土権を主張したことから、以降、Patentは私有権の主張を意味するようになった。しかし、ブリテン島に逃げてきたフランドル人達(軍事知識と技術を持つ人達)を巡って今度はイギリスとスコットランドが彼ら(が生み出す利益)を取り合うようになったため、再び「彼ら(が生み出す利益)をお互いに分け合ってそれぞれの領土に住まわせます。」という趣旨のPatent letters(独占権申立書)を書いたことから私有権に加えて利益の分配も意味するようになった。(The Treaty of Edinburgh–Northampton 1328年)しかし、そうして取り合いの対象にされた当のフランドル人達自身が今度はイギリス王室(政府)に対して自分達の取り分を言い出したため、彼らにもその分け前を分配せざるを得なくなり、再びPatent letters(独占権申立書)でもって彼らの取り分も書くようになった。(the grant of 1331 to John Kempe and his company by Edward III’s England 1331年)こうして、今のような法律にされただけで、特許は国家(王室&政府)と申立人(知識や技術を国家に報告する者)がその利益(税金)を分け合うだけの制度であり、実際に考案して創作した本人でなくてもそれを「自分の物です」と主張して世間に押し通せるなら横盗りして占有しても構わない悪法である。)という法制度をアジアに宣教し、それぞれの国で培われてきた宝物=文明(神の智慧)を無料同然で自分達の住む欧米諸国に持ってこれるようにもなったことから、ブランクトリィ(ブレントゥリー)で小さな金物店を買っていたクリトル・ウィンドウズ有限会社(=Crittall Windows Ltd.、現在はブランクトリィ(ブレントゥリー)から東南に30分ほど車で下った所にあるエセックス州ウィッタム(=Witham、古サクソン語のWithar「反対側、反する」と、ゲルマン祖語の*immi または現代英語のam「存在する、住む」という言葉を併せてWith-am「(ブラックウォーター川の)反対に住んでいる者達」という意味の人口わずか2万5千人ほどの小さな町だが、元はテンプル騎士団(第116話『汚水』(注1)その4参照)が管理していた場所なので町全体が軍事要塞基地である。そのため、町を流れる川の名前がブレイン川(=River Brain、英語で「頭脳ある者達の川」という意味。)であるのもこの町で長年、兵器の開発研究が行われてきたからで、川の流れが速くて白い波が目立ち、見た目は美しいことから川を分類する際、かつてはホワイトウォーターとも呼ばれていたその名の通り、表向きはどうあれ、今でも欧米白人種の軍国主義者の方々が支配する町であり、それゆえ、川の名前がブレイン川(頭脳ある者達の川)となっていて、上流から流れてWhet Mead特別保護区(英語でWhetは「刃物などを研ぐ、強く刺激する」、Meadは「発酵させた蜂蜜酒」。元はアンブロン人(食品加工業者)達が発明した甘露酒を指していたが(第116話『汚水』(注1)その4参照)、キリスト(人殺しの十字架)教のイギリス人達はそれを生物(細菌)兵器に変えたため、Whet Meadとは「毒入りの蜂蜜酒」のことを言う。)に棲みついている森ネズミやヨーロッパヒメトガリネズミなどの黒死病(ペスト菌)を運んでいた(第102話『腐敗』参照)げっ歯類が数多く潜む草原を通り、下流に広がるブラックウォーター川と合流するようになっている様子からも、知能の高い麗しき上流階級が下流に住む大勢の無知な労働者達に楽に死ねる水を恵んでやっているという彼らの皮肉が窺えるようなこの町一番の観光スポットでもある。)という小さな町に拠点を移しているが、イギリスの国会議事堂であるウェストミンスター宮殿やロンドン塔、タイタニック号(第105話『欺瞞』(注5)参照)といった数々の公共建築物で使われる鉄枠の窓の製造を装った軍事要塞の建築会社である。創業したのは1849年と言っているが、上述した「工業所有権の保護に関するパリ条約」が締結した次の年からブランクトリィー(ブレントゥリー)で金物屋を装って活動し始め、その後、1889年から実際に軍事要塞の建築会社として操業するようになった。そのため、1889年が正しい創業年になるのだが、なぜ、その年かはこれから説明するので少々、お待ちください。なお、創業130年以上でアメリカに支社まで持ち、世界中の有名な公共施設に窓枠を納めてきた会社で、しかも、ISO(工業製品の国際規格。第105話『欺瞞』(注4)参照)も取っていらっしゃるそうだが、2010年時点で従業員数約200人の有限会社のせいか、決算報告が公表されておらず、ISO9001を取得した割に火花の飛び散る現場で素肌の見える半袖シャツを着用し、現場の何人かは手袋もせず素手で作業しておられるようで、日本の作業現場では事細かく規則が決められ、服装や作業手順も厳しく指導された上でISOが取得できるとされているのに、こんな危険で劣悪な工場で国際的な品質が生み出せるとは到底、思えないので、どうやらクリトル・ウインドウズ有限会社がペーパーカンパニー(実体のない幽霊会社。第116話『汚水』(注1)その1参照)であることは間違いないようである。)という鉄鋼を扱う要塞建築企業がパリ条約が成立した翌年の1884年から金物屋を装って本格的に動き始め、ちょうどその頃、徳川御三家(徳川将軍家を補佐する親戚筋で、尾張藩(現、愛知県)、紀州藩(現、和歌山県と三重県南部)、水戸藩(現、茨城県)の三家のこと。)の筆頭格である尾張藩(徳川幕府を開いた徳川家康と現在、京都府八幡市にある浄土宗(第116話『汚水』(注1)その3参照)を宗派とする正法寺の養女で大倭朝廷のスパイだった亀という側室(愛人)の間にできた徳川家の9番目の息子である徳川義直が初代藩主であり、実の母でありながら大倭朝廷の密命を受けていたお亀の方は我が子をも手に掛けるかなり冷酷非情な女だったため、幼少の頃より母親を中心とした徳川家の家臣を装う大倭朝廷のスパイ達に生命を狙われ、あらゆる手段を講じてその刺客の魔の手から逃れようとしたのだが、結局、初代藩主の義直は徳川将軍家の懐柔を命じられていたお亀の方がその密命に失敗し、国中の大名達の軍資金を削減させる参勤交代制度(1634年に3代将軍の徳川家光が武将達向けの法律である『武家諸法度』を改定し、まず、各大名の家族は全員、江戸に定住させると定め、さらにその翌年、それまで任意だった江戸城(本社)への出仕(出社)が一年毎(江戸に近い関東地域の大名は半年毎)に義務化されてその出仕期間中は自分の領地に戻れなくなった。この改定で大名達は倒幕できる軍資金が貯まらなくなるばかりか、軍事演習も兼ねていたため自分が保持する軍備を将軍家はもとより、出仕(出社)の際に道で出会う一般大衆に向けて披露しなければならず、見栄を張りたがる大名達の気持ちを逆手に取って彼らの軍備状況をある程度、把握できるようになった。こうして幕府側から否応なしに軍縮を迫られた大倭朝廷を始めとする反幕心を持った大名達はそれまでの武力(暴力)を急激に潜めざるを得なくなったのだが、その一方で軍事演習に使われる軍備は引き続き、許されていたため幕府の政治や財政状況が悪化し始めると、消えかかっていた軍備の種火に再び反幕心を持つ武将達の息が吹きかけられることとなり、参勤交代制度も8代将軍の徳川吉宗の頃になると上米(税金)を別途、納入することで出仕期間を減らす規制緩和が行われるようになり、幕末期には一年毎の江戸城(本社)への出仕(出社)が3年毎に変えられたが、出仕(出社)自体を嫌がる大名達も徐々に増えていったことから江戸幕府が大倭朝廷に政権を譲渡した大政奉還(皇政復古)と共に参勤交代制度も廃止となった。)が義務化された年に暗殺されたことでホッとしたのも束の間、伊勢神宮などの神社仏閣を通して貢納する大倭朝廷への上納金が滞っていたことを逆恨みされ、一般人を装った大倭朝廷のスパイ達が突如として「今の世の中に嫌気が差しているそこのあなた、さぁ、伊勢神宮(天皇の御所)へ参拝しに行こう!」とのプロパガンダ(大衆洗脳宣教)で農民や奉公人(会社員)などを誘って巡礼の旅をさせるお蔭参り(または抜け参り)と呼ばれる大名達への強請キャンペーン(宣伝活動)を展開し、そのお蔭参りにかこつけた刺客に愛知県の師崎港などで獲れるナマコの中でも特に赤潮や海水温の変化でホロツリン(またはサポニン)という魚毒の量を増やしやすく、蕁麻疹や筋肉けいれん、麻痺などの症状を起こさせるアカマナコ(マナマコ)の腸を使った“このわた”(=ナマ“コの腸”)を献上されてあえなく病死した。これにより義直の長男で家督を継いだ光義は主君である3代将軍の徳川家光の“光”と父の義直の“義”を採って光義とそれまで名乗っていたが、1672年に後の赤穂浪士事件(第107話『革命(2)』(注2)その3参照)でも真似された仇討ちを理由に大名屋敷にゲリラ襲撃する浄瑠璃坂の仇討事件が起こったことで、自分も父親と同じように神社仏閣(大倭朝廷)に寄進(上納金)を怠ったら殺されると危惧した光義は自分の元の名を捨て、大倭朝廷の御用商人で涅槃宗(5世紀に中国にあった涅槃宗ではなく、16世紀に武将の豊臣秀吉が富国強兵政策(ヤラセ戦争による特需景気を狙った経済政策)の一環として行った朝鮮半島への侵略戦争(文禄の役 1592年)に乗じ、兵器の製造販売を行おうと、現在の奈良県大和郡山市出身の中西重次という武士の子が独学で兵器開発に挑み、『涅槃経』という経典の中の「悉有仏性(全ての人が死んで成仏する)」と、『法華経』の中で唱えられる「一乗思想(この兵器だけで全ての人を殺せる)」から涅槃宗(「この世の大衆を全員、あの世の極楽浄土へと送って差し上げます」教)というカルト宗教(軍事企業)を創設した。その後、このカルト宗教(軍事企業)に大倭朝廷の第107代天皇である後陽成天皇が帰依したため、朝廷(現、皇室)御用達の宗派になった。しかし、機密管理がずさんだった大倭朝廷の公家達が懇意にしていた女官達に書き送った書状の中にその涅槃宗の軍事機密を漏らしてしまったことが発覚し(猪熊事件 1609年)、焦った大倭朝廷は幕府への謀反の疑いを払拭しようと事件を起こした公家達の厳罰を求め、知らぬ存ぜぬを通してやり過ごそうとしたのだが、幕府はこれを看過せず、後陽成天皇は事実上、失脚し、当時、父親である後陽成天皇に皇位継承権を奪われて焼け落ちた京都の仁和寺で貧乏住職にさせられていた覚深入道親王が幕府側に味方して父親を暗殺し、結局、大倭朝廷の倒幕計画はそのままうやむやとなった。それでも、事件の発端である涅槃宗は当然、処罰されることになり、後陽成天皇が死んですぐに邪宗を広めたとの国家反逆罪で僧侶達が捕縛され、厳しい刑罰に処せられるはずだったのだが、いかに江戸幕府が軍縮を進めて文民統制(産業や教育を発展させ、良識ある大衆の支持賛同により政治を行うこと。)を目指していたにせよ、武家政府(軍事政権)に変わりはないため、幕府(政府)内には当然、尾張藩のお亀の方のような大倭朝廷のスパイや軍事上の戦略や兵器のアドバイスを行う軍事参謀である天台宗(ゾロアスター教日本版)の天海という僧侶がいたり、また、大倭朝廷との交渉役を担っていた京都所司代(現代で言う皇宮警察の警視正のこと。)の板倉勝重のような大倭朝廷には気に入られていても一度、口を開いたら誰が何と言おうと自分の説を曲げず、道理や人情はもちろん、世の中の常識すらも持ち合わせていない倭人(人でなし)の権化みたいな役人もうじゃうじゃいるため、彼らの取りなしにより宗祖の中西重次(法名、空源)が暗殺された以外、涅槃宗の僧侶達は全員、お咎めなしになった。そして、この時、天台宗(ゾロアスター教日本版)の僧侶の天海によって保護され、赦免となった涅槃宗の僧侶と言うのが21世紀の今も日本で存続している住友財閥グループの始祖の住友政友(法名は空禅)である。そのため、大倭朝廷と江戸幕府の公認宗教である天台宗(ゾロアスター教日本版)に涅槃宗は組み入れられる形になり、そのまま涅槃宗は国教(皇室と政府が信仰する宗教)となった。そうして、この涅槃宗の僧侶の住友政友が還俗(僧侶から一般人になること。)して1630年から始めたのが室町時代に堺の武器商人の万代家から伝えられてきた反魂丹という薬剤(生物(細菌)兵器)の製造販売であり、元はインダス文明の頃に現在のインドネシアのスマトラ島やボルネオ島で栽培されていたクスノキやラベンダーなどの香りのある樹木や花の種から植物油を絞って香油や香辛料に作り替えていたのだが、その絞る際の圧力と温度で白い結晶が生じることがある。それがカンファー、またの名をカンフルとも言い、血圧が急激に低下して死にかけている人への強心剤として、あるいは活力を失った景気を復活させる刺激策を指す言葉として使われるカンフル剤のことであり、植物の毒素の一つである。もちろん、少量ならば血圧を上げる効果があるため緊急時の強心剤として使えるし、毒なのでゴキブリやネズミ除けにもなり、日本では“樟脳”と呼んで衣装ダンスなどに入れて今も使われているが、量を超して口にすれば当然、生命に関わる。それに気づいた蛇毒を崇めるゾロアスター(暴力礼賛)教の信者達はわざとカンファー(またはカンフル)が生じやすい竜脳樹(口から戦火を放って人々を焼き殺す蛇の王様の“竜”がその高度な頭“脳”でもって開発した“樹”の略語。)を栽培してその木でもって直接、兵器を造っていたのだが、インダス文明が滅亡して以降、その竜脳樹の栽培方法が分からなくなったため、品種の減った竜脳樹から得られる毒素を竜脳(化学用語はボルネオールまたはボルネオ樟脳とも言う。)と呼んで中東や中国では高値で売買していた。しかし、12世紀に樟から抽出すれば竜脳と同じカンファー(またはカンフル)が得られることが中国で分かり、竜脳と偽った樟脳が生物(細菌)兵器として中国から販売されるようになった。それ以降、日本でも竜脳と偽った樟脳を製造しだし、住友政友も大倭朝廷から教えられた樟脳(カンファーまたはカンフル)を含ませた反魂丹なる医薬品を巷で売り出すようになった。そして、その反魂丹を宣伝する為に使った手が富山藩(現、富山県)の二代目藩主の前田正甫と、三春藩(現、福島県田村郡三春町)の3代目藩主である秋田輝季が江戸城で演じた腹痛事件(1690年)であり、テレビドラマの時代劇で腹痛や気絶を起こして倒れている人に持っている印籠(印鑑や薬、お菓子などを入れる小さい携帯箱のこと。家紋入りの印籠であればそれを見せるだけで身分証明書にもなるため、よく時代劇で印籠を懐から出した主人公が言う「この紋所が目に入らぬか?」とは「この印籠の家紋を見れば私がどれほど高い身分かは分かるはずだろう。」との皮肉である。)から丸薬を取り出して倒れている人に飲ませ、瞬く間に治してしまうという、あの逸話を最初に演じたのがこの二人で、以後、江戸城でのこの宣伝劇をきっかけにして富山藩は住友から卸売りされる反魂丹(樟脳入りの強心剤)を常備薬と偽って一般市民に販売するようになり、巷で見かける「富山の置き薬」とはこうして始まったものだった。そのため、その反魂丹で薬害に遭った人達が世間に被害を訴えた歌が「越中富山の反魂丹、はなくそ丸めて萬金丹、それを呑む奴あんぽんたん」で、萬金丹も三重県伊勢市で現在も販売されている漢方薬だが、もちろん、こちらも室町時代に伊勢神宮の警護を司っている金剛證寺で禅僧(第116話『汚水』(注1)その3参照)に教えられた尾張国(現、愛知県)の武将の野間宗祐が作った腹痛薬らしいので、反魂丹と同じく生物(細菌)兵器である。ちなみに、この野間宗佑は日本では大手出版社で知られる講談社の創業者である野間清治の先祖であり、野間家は元は尾張国野間荘を本拠にしていた清和源氏(第56代清和天皇の子孫)で、室町時代の足利将軍家から戦国時代には有力武将の織田信長に仕え、徳川家が将軍家となった江戸時代には医者に転向している。だから、住友財閥&講談社、どちらも21世紀の今も存続している以上、その家系を支えてきた家宝である薬剤(兵器)も当然、廃れるはずはなく、同じ成分(毒素)で表向き名前と販売者だけを変えて市販されており、反魂丹が『救心』と『仁丹』で、萬金丹が『正露丸』である。『救心』は成分表の通り、龍脳2.7mgを含んだ強心剤で、富山藩で剣術の指導役をしていた武家の出である堀正由が1913年(大正2年)に堀家伝来の薬から作ったとされ、『仁丹』はd-ボルネオールの量がどのくらいかは分からない清涼剤(口の中をさっぱりさせる薬(?))で、広島県にある沼名前神社の宮司の息子だった森下博が富山県から仕入れた薬剤を扱う薬局を大阪で始め、軍隊に召集された際に仁丹(丸薬)を思いついたそうで、なぜ、血が舞い飛ぶ戦場の中で口臭を消して口の中をさっぱりさせる薬を作ろうと森下博が思い立ったのかは謎である。他方、ブナの木を使って燻製をした際に樹液として抽出される淡黄色の精油(医薬用語は木クレオソート、または薬品の品質規格書である『日本薬局方』(1886年発刊)の略語の日局をつけて日局クレオソート)400mgを主成分とするのが『正露丸』、対してクローブ(丁子)の木から抽出した淡黄色の丁子油(化学用語はオイゲノールで、木クレオソートと同じ種類の有機化合物)を固めて粉末にして丸めたのが萬金丹で、8世紀の奈良時代に大倭朝廷に招かれた中国の仏僧、鑑真(第110話『灌漑』(注2)参照)が初めて丁子油を日本に伝えたとされ、日本だけでなく世界中で今も歯痛を止める薬として使われているが、実際はゴキブリですら嗅いだだけで近寄らない毒薬であり、動物の薬殺にも使われるほど既に危険なことは分かっているのだが、なぜかその詳細は明らかにされていない。だから、あの独特の臭いを嫌がって日本帝国陸軍医学校で『正露丸(本当の名前は“征”露丸で、日露戦争の時にロシアを征伐する薬という意味で名付けられた。)』が開発された当初は日本兵の多くが服用を断ったのだが、明治天皇のご命令だからと無理やり飲ませた結果、25万人もの兵士達が脚気(足にしびれやむくみなどを起こした後、心臓機能を低下させて死に至らせる病気のこと。)の症状を起こして倒れ、そのうち27,800人が亡くなっており、この惨状に明治政府(現、皇室及び自民党政権)の頃はもちろん、現在の日本政府ですら日露戦争時に脚気に倒れた日本兵は軍隊の厚遇により白米中心の美食ばかりを振舞われてビタミンB1が欠乏していたからと説明しているが、お米はそもそも米糠と呼ばれる米粒を覆っている皮にビタミンB1が多く含まれており、たとえ皮を除いた精白米であっても米をとぐ時に出る白いとぎ汁は米糠である。だから、米を洗い過ぎるか、無洗米でもない限り、白米ばかり食べていたからと言ってビタミンB1が不足するはずはなく、まして白米中心の美食ばかりを食べていたら病気になると普段から医者やマスコミからなじられっぱなしの現代の日本人が日露戦争の時のような数万人もの死者を出す脚気の流行に襲われた話などついぞ聞いたこともないため日本政府による医学的説明は全く矛盾している。このように、住友財閥は設立当初から製薬(漢方薬)会社を装った生物(細菌)兵器企業として創業し、その後、住友政友の姉と結婚していた蘇我理右衛門なる男が金属加工をしていたことから製薬(毒薬製造)企業から今度は鉄や銅、金、銀などを採掘する鉱業を含めた兵器生産を行う製鋼業と、採掘した金、銀、銅を貨幣に鋳造して売買し、その差額や手数料で儲ける両替商(金融業)を始めるようになった。本当かどうかは別として、この蘇我理右衛門は廃絶していた大倭朝廷を再びカルト宗教として興し、架空の教祖である聖徳太子を看板に街角で宣教して信者を得たあの蘇我氏(第110話『灌漑』(注2)参照)の末裔だそうで、自分達で撒いた天然痘のパンデミック(伝染病の大拡散)でほぼ子孫は途絶えたはずなのだが、聖徳太子を信仰する太子講(または太子衆)という宗派がまだ残っていたらしく、彼らの中から蘇我氏の子孫を名乗る者達も多くいて、その一人が佐渡奉行(今で例えれば佐渡県知事)の大久保長安に仕えていた宗岡佐渡弥右衛門という男で、一般人からすれば子孫なら堂々と蘇我を名乗ればいいじゃないかと思うだろうが、中国王朝の風習を真似て大倭朝廷には高貴(?)な先祖の名前=忌み名(または諱)は使わないという妙な伝統があるそうなので宗岡佐渡という変名を使っていたのだが、第116話『汚水』(注1)その3でも話した通り、佐渡島は鬼ヶ島と呼ばれて古代から大倭朝廷の軍事基地になっており、そこに佐渡奉行として新しく赴任してきた大久保の指示に従う地元民などいるはずもなく、仕方なく堺で鍛冶職人達から冶金(製錬&製錬)を習って兵器製造の修行を積み、一族が鎌倉時代より大倭朝廷の許可をもらって京都市街の土地を売買する不動産業を営んでいた(京都の東寺が所蔵していた平安時代から江戸初期までの文書を集めた東寺百合文書から1256年に発刊の『宗岡尼田地売券』と『後家比丘尼嫡男国貞田地売券』を参照)ことから、現在の京都市下京区にある五條天神宮の近くの土地をもらい受けて泉屋という金属加工を行う鍛冶屋を開いていた宗岡弥右衛門に依頼し、佐渡金山の現場監督に抜擢したのだが、ご多分に漏れず、神社仏閣はもとより、日本にある宗教団体はどんな小さな宗派でも必ず兵器の研究開発費として大倭朝廷に上納金(軍資金)を差し出す決まりとなっているため、宗岡佐渡を始め太子講(太子衆)の地元民が運営している佐渡金山も上納金(軍資金)のやり繰りの為に横流しや横領をするのが当たり前になっており、それを黙認することこそ天皇と大倭朝廷への忠誠(?)だと信じられていることもあって、誰も不正を糺そうとはしなかったのだが、新任の大久保は野心の強い男だったことであえてその不正を追及して徳川将軍家に自己アピール(宣伝)をしようとしたところ、逆にその出世欲を餌にされて大倭朝廷に飼われてしまった。つまり、金山での不正を大久保に見逃してもらう代わりに大倭朝廷が江戸幕府内のあらゆるコネを使って大久保を出世させるというもので、確かに異例な早さで出世はできたものの、そこから大久保も上納金(軍資金)のやり繰りをする大倭朝廷の臣民(奴隷)となったため、以来、帳簿の誤魔化し作業に終始するようになり、大久保も資金繰りの悪化で大倭朝廷に見放され、結局、暗殺されることとなった。しかし、その大久保の死後、帳簿の実態が明るみとなり、徳川将軍家は事態を重く見て大久保家を断絶させ、不正に関与した者も含めて厳罰に処した。(大久保長安事件 1613年)これに驚いた宗岡佐渡は自分の身の安全を図ろうと急ぎ佐渡島から京都に舞い戻り、変名だった宗岡佐渡を捨て蘇我を名乗るようになった。あれほど忌み名(諱)やしきたりがどうのとあれこれうるさくこだわる割に都合が悪くなった途端、そんな忌み名(諱)もしきたりもすぐに捨て去れるものらしく、だったら、いつまでもそんな下らないしきたりや決まりにこだわらなければいいじゃないかと思うのだが、善悪本末転倒している彼らに何が大切で、何が無意味かの価値判断はできないのだから今更、説いても無駄なので置いておくとして、ともかくその国家横領罪で幕府に追われる逃亡犯となった宗岡佐渡弥右衛門がその居所を幕府に突き止められないよう名前を変えたのが“蘇我”“理”右衛門である。こうして、戦国時代の荒廃と辛酸を嘗め尽くしてきた徳川家康が悲願にしてきた天下泰平&文民統制(武力(暴力)ではなく、国民の理性と協調、そして産業力で国家を安定化させること。)を目指す江戸幕府を再び転覆させ、軍拡を国家産業の柱にして戦争(人殺し)と経済不況を繰り返し、日本国を荒廃させてきただけの大倭朝廷を奈良時代や平安時代と同じように復権させようと、僧職を辞めて反魂丹(毒)を売る薬種問屋と『往生要集』(1630年発刊)という経本で涅槃宗をプロパガンダ(大衆洗脳教育)する教育出版業も始めた住友政友と共に幕府の捜査の目をかいくぐりながら堺と佐渡で会得した冶金術(製錬&精錬)を基に蘇我理右衛門(宗岡弥右衛門)が始めたのが鉄剣などの製鋼の他に、南蛮吹きと呼ばれる金や銀の精錬法だった。南蛮吹きという名の通り、南蛮=外国人から教わった方法という意味で、蘇我(宗岡佐渡)にこの方法を教えたのは第116話『汚水』(注1)その4以降、長々、話してきたあのチュートン人の血を引くジョアン・ちゅうぞう・ロドリゲスだった。なぜ、真ん中の名前をカタカナにせず平仮名にしたのかと言うと、本人が自分の呼び名に通事(現代語では通訳)を連呼していたことから付いた名前で、本名ではないからである。そして、その彼の訛った言葉が現在、日本語として定着している“鋳造”の語源である。そう言うと、現代の日本人には奇妙に聞こえるかもしれないが、実はこの頃の日本はまだ、それほど貨幣を必要としていない時代だった。なぜなら、お金は基本、第106話『革命(1)』でも説明した通り、物(またはサービス)と物(またはサービス)を交換する為の借用書のようなもので、それが石や貝、紙、現代のような電子機器に浮かぶ数字だけであっても何でもよく、お互いに欲しい物やサービスの交換ができればいいだけなので、日本の場合、それが貨幣や紙幣ではなく、お米だった。つまり、一般市民の間で貨幣はあまり必要なく、戦争(人殺し)の為の軍資金や賄賂、贅沢品の購入などに大金が必要となる皇族や貴族、武将達だけが金や銀などの貨幣を使っていた。それを一般にも普及させて物とサービスの交換ができなくなるまで過剰な貨幣=悪貨を住友財閥に造らせるきっかけを作ったのが、このロドリゲスだった。とは言え、当初、このロドリゲスに悪事をそそのかす意図は全くなかった。彼としては故郷だったポルトガルのヴィセウ地方(=Viseu district、Viseuとは古代においてイベリア半島で話されていたルシタニア語のVissaîegoborを略した言葉で、Visserが「ネジ、スクリュー」、Aîeが「~にするつもり、~を予定にしている」で、Goborが「飲み込む、吸い込む」という言葉からViss‐aîe‐gobor「ネジを作る為(石灰に鉛を)吸い込ませる工業を行っている土地」という意味で、チュートン人達が安住の地を求めて流浪の旅をしていた際、ヒスパニア(現、スペイン)でグラディウス(ヒスパニアの剣)を造った話やその後、ローマからスペイン北部までの土地をもらって住むようになったという話もしたと思うが、そうした先祖達がスペインからポルトガルに再び移り住んだり、また、ポルトガルは7世紀に中東のアラブ人や北アフリカのベルベル人などで編成されたイスラム教国に占領されたこともあり、さらに12世紀からはロジー族やフランドル人達を抱えるブルゴーニュ公国の出身であるキリスト教系のボルゴーニャ王朝がイベリア半島に返り咲いたため、支配者や王朝が使用する兵器を造る為にセルビアへ強制移住させられたチュートン人達と同じように(第116話『汚水』(注1)その4参照)このイベリア半島に連れて来られたフランドル人やロジー族の子孫達もいて、まさにポルトガルやスペインは古代からの文明(神の智慧)がひっそりと息づいていた土地だった。そんなポルトガルで生まれたロドリゲスは農業と鍛冶屋を営みながら日用品だけでなく、海外からの注文にも応えて武器も製造する家の息子だったのだが、海外からの問い合わせや情報に触れるうち家業を継ぐのが嫌になったらしく、10代で船乗りになるため家出し、日本に来た時もまだ15歳の子供だった。)を思い出し、ちょうど同じ年頃の、堺の鉄砲や刀剣を造る鍛冶職人(以前は自分で冶金(製錬&精錬)も行っていたが、戦国時代に大量生産が必要となると、分業するようになり、既に精錬された金属の塊を使って叩いて鍛える職人を指す。刀剣を造る職人を刀鍛冶、農業の道具を造る職人を野鍛冶とも呼んだ。)や鋳物師(自分で冶金(製錬&精錬)から行って金属を溶解し、鋳型に流し込んで武器や仏像、鐘、農耕具、鍋、釜に至る様々な金属加工を行う職人のこと。)達から兵器の造り方を習いに来ていた蘇我(宗岡佐渡)と親しくなり、お互い身の上話をしているうち、自分の生まれ故郷や家業についての話をしただけだった。しかし、日本語もたどたどしい外国人の子供であることに加え、彼の話を聞いている蘇我(宗岡佐渡)の方もロドリゲスより年下のまだ8歳か9歳の子供なので海外の鍛冶場など想像もできないし、まして石灰石の窯炉も見たことはない。そこで、なかなか蘇我(宗岡佐渡)に伝わらないことにもどかしさを覚えたロドリゲスは自分が父親から習った冶金術(製錬&精錬)を伝える為に言葉ではなく、目の前にあった囲炉裏を使って銀鉱石とは別に除かれてあった方鉛鉱(鉛の鉱石の一種)の欠片をそこに入れ、融点が約328度の火に溶けやすい鉛が囲炉裏の灰に溶ける様子やそこから鉛よりも融点が約962度と高く、溶けにくい銀だけが残ることを実演して見せた。第95話『合金(1)』の中で銅鉱石には微量だが金や銀などが含まれている話をしたと思うが、黄銅鉱と同じく方鉛鉱にも銀が少量、含まれている。そのため、一見、白銀に輝くこの鉱石に惑わされた素人は銀鉱石だと思うだろうが、銀鉱石はほぼ黒いので選鉱(鉱石を種類別に分けること。)の段階で別に除かれていた。それをわざわざ使って銀の粒子が浮き出てくることを知った蘇我(宗岡佐渡)少年がその化学実験に驚いてロドリゲスを崇めたとしても不思議はない。ヨーロッパとは違い、それほど貨幣を中心とした社会ではなかった日本では銀鉱石以外の鉱石を使って貨幣を造る必要がなかったのだから、まさか種類の違う鉱石からも金や銀が産出するなど思いもよらなかった。ただし、ここで誤解がないよう言わせていただくなら、蘇我(宗岡佐渡)少年を始め古来より大倭朝廷に仕えて冶金(製錬&精錬)を行ってきた倭人(人でなし)の武器職人達は1590年に京都で蘇我(宗岡佐渡)少年が始めた南蛮吹き(貴金属が少ない鉱石から木炭灰を使って貴金属を抽出する方法)や1533年に博多の豪商、神屋寿禎が中国や朝鮮から招いた職人達に石見銀山で行わせた合吹(貴金属の多い鉱石に鉛を加えてから木炭灰を使って純度の高い貴金属を抽出する方法)から木炭灰による金や銀を抽出する“灰吹き法”が初めて日本に導入されたと説明するかもしれないが、それは彼らが日本の原住民である大和民族の行っていた“たたら製鉄”(第116話『汚水』(注1)その4参照)を理解できなかったからで、どの土地(国)でも地球に変わりがない以上、神様(自然)は誰に対しても惜しみなく、人類がこの地上でつつがなく生きていけるよう文明(神の智慧)と愛(神)の心を“分け与えた”はずなのだが、その神様の心(愛)がどうにも理解できず、それにあえて逆らい、自分達の強欲さから他人が丹精込めて創った物を奪い取り、それを兵器に作り替え、それで何度も失敗して痛い目に遭いながらなお、自分達で考えたでたらめだらけのやり方を正しいとして押し通してきた結果、弥生時代に大和民族によって既に行われていた灰吹き法の意味(価値)が16世紀まで分からなかっただけなので、決して日本人(大和民族)の知能が劣っていたとか、科学が遅れていたとかいうわけではないことをここで読者の方々にはくれぐれも誤解がないよう申し添えておく。それゆえ、現代に至ってもまだ、自分達の邪教=他人を殺したり、犠牲にして自分だけが生き残ろう、得をしようとするその“間違った考え”を改めず3千億円もの税金をかけて戦闘機を造り、機体に穴や亀裂が入る鋼板の脆さを露呈して古代のカーボンナノチューブ(またはカーボンナノマテリアル)の製法を知ろうとベルギー(旧、フランドル)にまで出かけ、“なぜ、自分達の頭脳や技術では正しい物が造れないのか”を調べているのだが、それぐらい自分達の知能や技術が実際は古代と比べて遥かに“劣っている”ことを決して認めようとしないからこそ、日本の歴史の不都合な部分を削除したり、書き換えもすれば、成功もしていない自分達の業績もやたらと過大評価して宣伝するわけで、そんな間違った邪教を幼い頃から大倭朝廷に仕える親や周囲の大人達に叩き込まれてきた蘇我(宗岡佐渡)少年が自分の進むべき道(進路)を誤るのも仕方ないことなのかもしれないが、それでもその他人や自分自身(の生命)さえも代償にして得た結果はあまりにも悲惨なものだった。ほんの雑談からロドリゲスが実演して見せた南蛮吹きに感動した蘇我(宗岡佐渡)少年はロドリゲスが本国のポルトガルから派遣されてきたイエズス会(第103話『略奪』(注1)参照)の宣教師達に見出され、その語学力を買われて堺から九州に移った後もその実験を一人で何度か繰り返し、南蛮吹きでもっと金や銀の量が増えて軍資金が稼げると確信し、それを親や周囲の大人達に話したところ、彼はわずか19歳で一軒の店を任せられるまでに出世した。その店というのが上述した五條天神宮の近所にあった泉屋で、屋号(店名)の“泉”とはAD1世紀に約15年間だけ新という王朝が興った際に造られた貨泉と呼ばれる貨幣にちなんで名付けられたもので、第116話『汚水』(注1)その3で大倭朝廷の先祖が中国や北朝鮮から南下してきた濊と貊という遊牧騎馬民族だったことを話したと思うが、彼らが日本に渡来してきた際、身に着けていたお金というのがこの貨泉だった。そのため、倭人(人でなし)達が九州から東へと向かって日本を侵略する際(神武東征)、中国から武器や兵器を調達する為に必要だった貨泉が九州から近畿に至るまであちこち179枚ほど出土しており、以来、大倭朝廷内ではその貨泉のことを“白水真人”(泉を別々に書くと白と水になり、真人は中国の道教に基づく占星術書の『讖緯』(AD1世紀頃発刊)の中で宇宙の最高神としている天皇大帝=北極星または北斗七星に仕える高級官僚を指す言葉で、現代で例えるなら、よく占星術師やオカルト宗教家が自分の書いた占い本や予言書の中で勝手にでっち上げて語る架空の天界(宇宙)の話に出てくる役職名らしく、この『讖緯』を利用して中国で王莽という男が新王朝を興したことから、これを真似て大倭朝廷を再びカルト宗教団体として復活させた継体天皇(第110話『灌漑』(注2)参照)とその一族がこの真人を自分達の宗教団体の役職として使っていたこともあり、太子講(または太子衆)の信者達は大倭朝廷に仕える高級官僚という意味でこの真人を伝承してきたようで、また、新王朝を倒して漢王朝を復権させ、後漢王朝を開いた光武帝が白水郷の出身だったことも併せてその白水という名にも縁起を担ぎ、白水真人とは「大倭朝廷が復権して再び日本を支配できるようたくさんの軍資金を集められる者こそ、真の忠臣。」という意味である。)と呼んで軍資金の隠語として使っていたらしく、現代において住友財閥の社長会のことを白水会と呼ぶのもこの白水真人(大倭朝廷の為に軍資金を稼ぐ忠臣)が語源だからである。そうして、蘇我(宗岡佐渡)少年は親や大倭朝廷のコネを使って小さいながら泉屋という製鋼会社(鍛冶屋)の社長に収まったのだが、そこからが彼が予想もしなかった転落人生の始まりだった。何せ、その出世と引き換えに大倭朝廷から課せられた使命はただ一つ、大倭朝廷が復権して日本を支配できるようひたすら軍資金を貢ぎ続けることなのだから、彼が方鉛鉱を使った南蛮吹き(貴金属が少ない鉱石から木炭灰で貴金属を抽出する方法)を知ってそれを自分の製鋼会社(鍛冶屋)の従業員(奉公人)達に強要しないはずはない。しかし、8歳か9歳で覚えたその技術はあまりにも稚拙な上、雑で、しかも、危険だった。上述でトヨタ自動車株式会社の豊田喜一郎が鉛中毒になったウズラを生物(細菌)兵器にした話をしたが、兵器になるような急性の鉛中毒にかかるにはこうした食物連鎖で毒性が異常に高められたものを食するか、あるいは何らかの事故や災害、戦争などで大量の鉛を吸う場合に限られており、基本、鉛は人間の血液中にも少量、含まれていて尿や便などで排泄しているため滅多なことでは鉛中毒になることはないのだが、鉛はどちらかと言うと排泄しにくく、体内に蓄積されやすいため毎日、鉛を吸い続けていれば排泄が追い付かず慢性の鉛中毒を発症する。しかし、雑談程度に話した外国人のロドリゲスがそんな危険を教えられるはずもなく、まして、彼の故郷でごく普通に窯炉と共に建てられている煙突を蘇我(宗岡佐渡)少年は知らなければ、鉛であれ、石膏であれ、鉱石を焼いた後になぜ、ロジー族やチュートン人達、さらに遡るなら、青銅器時代の人達がそれを石灰岩が溶けた塩水に漬けていたのか(第98話『不浄(2)』及び第116話『汚水』(注1)その4参照)その理由も知らない。元より、人を傷つけない、人の生命を大切にして守るということを親や周りの大人達から教わってこず、逆に「他人を傷つけ、その生命を殺して奪ってでも我欲を貫け」と教わってきた蘇我(宗岡佐渡)少年にたとえその知識や技術に込められた深い意味(心)や理由を懇々と教え諭したとしても彼はきっと理解できなかっただろう。だから、19歳になったばかりの蘇我(宗岡佐渡)少年が若手社長として経営する製鋼会社(鍛冶屋)で働いていた従業員(奉公人)達が労働災害で慢性の鉛中毒にかかり、次々と倒れて亡くなっていったのも、また、彼が南蛮吹きを大倭朝廷に仕える周りの大人達にも伝えたことにより他の鉱山で働く鉱夫達も泉屋で働いていた奉公人(従業員)達と同様、鉛中毒や塵肺(粉塵などで肺が侵される病気のこと。第97話『不浄(1)』参照)などで30歳までに寿命(生命)が尽きてしまうほど過酷な労働を強いられるようになったのも、彼の稚拙で、未熟で、安易な考えによってもたらされた結果とは全く気付いていなかった。何より、彼にとって大事なのは大倭朝廷の為に、天皇が日本を支配できるようにする為により多くの兵士を集め、武器や兵器が造れるよう軍資金を稼ぐことだけなのだから、多少、奉公人(従業員)が減ったとしても大して気にも留めず、また、別の奉公人(従業員)を雇えばいいとしか思っていなかった。こうして、それほど貨幣が必要ではなかった日本で金や銀を無理やり大量生産する為に蘇我(宗岡佐渡)が南蛮吹きを広めてしまったことでそれまで日本にはなかった鉛による鉱害が発生するようになった。その上、実際に市中で売買される物やサービスの量を超えて貨幣を鋳造してしまうと、多くの貨幣を持った者がより高い金を払ってでも欲しい物やサービスを買おうとするようになり、いつしか物価が吊り上げられて少ない貨幣しか持っていない者は買える物やサービスがなくなるばかりか、不況や凶作で食糧や物資そのものが減ったり、戦争(人殺し)の為に大量の食糧や物資を買い占めたり、あるいはそれらを生産していた労働者が徴兵されていなくなったりすれば、第107話『革命(2)』(注2)その2で話したような第一次世界大戦後のドイツで起きたリヤカー一杯に積んだ札束でもパン一斤が買えないほど深刻な物価高騰すら起きかねない。そんな経済の混乱と貧困、そして戦争(人殺し)を21世紀の現代まで続かせることになる悪貨経済(=Inflation)を日本に広めたのもこの蘇我理右衛門(宗岡佐渡弥右衛門)だった。しかし、もちろん、本人にその自覚はなく、それどころかもっと軍資金を稼いで大倭朝廷(現、皇室)を復権させることこそ日本の為と信じて止まない太子講(または太子衆)の狂信者なので、涅槃宗の住友政友と知り合うようになってからは兵器開発にも励みだし、キリスト教やイスラム教がバベルの塔を模して塔や楼閣、ドームを建て、装飾と偽っては各建物の頂上に槍のような金属でできた頂華(=Finial)や鐘、十字架などを誘雷針として付け加え、電磁波による爆破やその威力に耐えうる要塞構造について研究していたように日本でも五重塔や三重塔を始め、塔の頂上に取り付けた頂華を相輪と呼んで世界と同じく電気や磁力を使った兵器や要塞の開発に長年、取り組んでいたのだが、蘇我(宗岡佐渡)もこれにのめり込み、その研究課題に選んだのが釣り鐘(または梵鐘)だった。そして、その研究開発の過程で彼が造った釣り鐘(梵鐘)が日本を二分する大事件の口火となった。それが世にいう方広寺鐘銘事件である(1614年)。事件の発端は武将の豊臣秀吉の亡き後、その息子の秀頼が亡父の供養の為と偽って再建させた大仏の銅像と釣り鐘(梵鐘)のうち、釣り鐘(梵鐘)に刻まれた銘文が徳川家康の逆鱗に触れたからで、大倭朝廷(現、皇室)が復権してからの日本政府の教科書ではこの家康が怒った銘文は「国家安康」「君臣豊楽」の二文で、家康の名前が分断されて書かれ、さらに豊臣の名前が再び君主になって栄えるといったような意味になっているからと説明されるがそれは真っ赤な大嘘である。原因はその二文ではなく、前文に刻まれてあった「外施仁政 前征夷大将軍従一位右僕射源朝臣家康公」で、銘文全体の意味を表す題名であり、日本語に訳すと「恵み深く思いやりある政治など全くしていなかった“前”征夷大将軍(中略)の家康公」との題名になっており、つまり、家康が既に死んでいる、または将軍を辞めさせられたという設定で“前”を付け、「外施仁政」で「お前(家康)が目指そうとする政治は大倭朝廷(現、皇室)のお考えに沿わず、間違っている。」という徳川家康(の政治)に対する批判文だったからである。これを直接、刻んだのはもちろん、蘇我(宗岡佐渡)だが、刻ませたのは豊臣秀頼だった。そして、それが家康の目には自分への悪口というより、自分が目指す大倭朝廷(現、皇室)の支配からの脱却に対する反対表明と映った。元々、秀頼の亡父である豊臣秀吉(旧名は木下藤吉郎)は現在の日本政府が教科書などでプロパガンダ(大衆洗脳宣教)するような百姓の出でもなければ足軽(歩兵)の子でもなく、母親の仲(後の大政所)は安徳天皇の外祖父だった平清盛の一門である平家の末裔で、かつては伊勢国鈴鹿郡関谷(現、三重県鈴鹿郡関町)を拠点にしていた関兼貞(または関兼員)の娘だったそうなので、いわば、皇族である。その皇女か、公家の姫様とも呼ぶべき仲(通称、大政所)をどうして現在の日本政府が一介の庶民だったと教えるのかと言うと、大衆に豊臣秀吉という男に親しみを持たせて大倭朝廷(現、皇室)が統治する日本では庶民の努力と能力次第で出世ができるとの幻想を大衆に抱かせる宣伝目的もあるだろうが、何より彼女が尾張(現、愛知県)で鍛冶屋(金属加工業)を営んでいた大和民族の子孫である弥五郎と結婚していたからで、弥五郎とは「生命が弥く栄える」を短く縮めた弥生という言葉がある通り、そこから弥の一字を採った後に五番目の男子という意味の五郎をつけた典型的な大和民族の名前である。その弥五郎が大倭朝廷の親戚である仲と結婚することになったのも彼が“日本人”の先祖である大和民族から伝承されてきた冶金術(製錬&精錬)を知っていたからで、お姫様の仲は当初、庶民の弥五郎との結婚を嫌がったのだが、父親から彼の技術を盗んでくるよう命じられていたため渋々、嫁いでいき、その弥五郎との間に生まれたのが後の豊臣秀吉、元の名前が木下藤吉郎だった。これも若い読者の方々には奇妙に思えるかもしれないが、庶民である弥五郎には元々、苗字(姓)がなかった。生き残る為に戦争(人殺し)し合う大倭朝廷では戦火で一族が離散した後、その子孫同士が再度、落ち合う為には暗号として苗字(姓)が必要なのかもしれないが、平和な土地(国家)を前提に生きている大和民族(日本人)に家系とか一族の苗字(姓)はあまり必要ない。だから、木下藤吉郎の木下は秀吉が最初に大倭朝廷からもらった苗字(姓)で、本人が名前として使っている藤吉郎もあだ名であり、藤吉はキク科のモミジガサという山草を母親の仲(大政所)から教わった御所(女房)言葉で言い換えた時の別称である。モミジガサ(藤吉)は今でも山菜として若葉や若芽がよく採取されて食べられているが、その葉の形が猛毒のトリカブトの葉ともよく似ていて(葉に毛がある方がモミジガサで、毛のない方がトリカブト)、同じ場所に生えていることもあり、モミジガサ(藤吉)と間違えて食べて中毒死する人もいるらしく、これを悪用してモミジガサ(藤吉)と偽ったトリカブトを新しい生物(細菌)兵器として大倭朝廷に献上したのが藤吉郎(秀吉)だった。その時の褒美として木下の苗字(姓)をもらったのだが、以来、父親の名前もただの弥五郎では平家の末裔として大倭朝廷内では格好がつかないため、勝手に弥五郎を弥右衛門(右衛門とは宮廷の門番をする兵士のこと。)にして木下弥右衛門が自分の父親だと言うようにもなった。それでも母親の仲(大政所)は当初から身分の低い弥五郎との結婚を嫌がっていたため何度か父親に頼み込んで離縁を願い出たのだが、仲(大政所)の父である関兼貞は室町時代から続く刀匠でもあったため、どうしても弥五郎の鋳造した物でないと思うような刀剣には仕上げられないからと言って仲(大政所)を婚家に返していたが、とうとう我慢できなくなったのか、弥五郎が造った物をそっくり盗んで子供達と一緒に夜逃げした。それ以来、彼女は夫の弥五郎(弥右衛門)が死んだことにして子供達にもそう言い聞かせ、実家に戻っていたのだが、弥五郎の方も父親がいない状態では子供達があまりにも不憫と思い、勝手な彼女の振る舞いに我慢して自分の方から折れて頭を下げ、彼女に家に戻ってくるよう頼んだため再びよりを戻したが、やはり無理だったようで結局、そのまま離婚した。なお、彼女がこの時、再婚した相手を竹阿弥という別人だと今ではよく伝えられているが、竹阿弥とは仲(大政所)が弥五郎を揶揄して子供達の前で呼んでいた蔑称で、平家の姫君である自分を室町時代に出版された幻想小説である『竹取物語』(1570年発刊)に出てくる月の国から来たお姫様になぞらえ、鍛冶(金属加工)で使う竹炭を作る為に山へ竹採りに出かける弥五郎をお姫様を養育する竹取の翁に見立て、さらに大人しくて優しい弥五郎を「不甲斐ない、男らしさに欠ける、格好悪い」と馬鹿にして所詮、大倭朝廷や武家といった上流階級に殺されるだけの庶民は阿弥陀仏=死人だからという意味から名づけたのが竹阿弥で、4人もの子供のいる母親がいつまでも身分の高い金持ちの公家(貴族)や皇子様を夢見て待ち続ける姿も見苦しいと思うが、それほど木下藤吉郎(豊臣秀吉)の家庭は崩壊しており、母親である仲(大政所)の性格がかなり歪んでいた。その仲(大政所)に長男として期待されてべったり過保護に育てられるのだから藤吉郎(秀吉)の性格が歪むのも当然で、『太閤記』(1626年発刊)を始め、後世の小説やテレビドラマ、映画などで愛嬌が良くて人たらしの人気者といったプロパガンダ(大衆洗脳宣教)がしょっちゅうされているが、イエズス会の宣教師だったルイス・フロイスが日本での滞在中に書いた『Historia de Iapam(邦題は『日本史』著者が書き上げたのは1595年だが、発刊されたのは1742年。)』では「ずる賢く、意地悪で、嘘つきな上、それを恥に思わず逆に自慢し、人から受けた恩は当然と思って人を顎で使い、誰に対しても汝とか彼奴呼ばわりして人を敬うことを知らず、自分よりも優秀だったり、功績を挙げた人に対してすぐに嫉妬して最大の恥辱を与えて追放したり、殺すなど到底、君主になる器量とは程遠く、あまりに傲慢だったため誰からも嫌われて彼に憎悪や恨みを抱かない者はほとんどいなかった。しかも、かなりの女好きの強姦魔で、家臣の女房や娘、親戚はもちろん、諸国を訪れる度にそこの領民の娘達も武力(暴力)や国権でもって脅し、無理やり親から引き離してまで女達をかき集め、自分の性欲を満たすよう強要した。」と、もはや人情の欠片すらも持ち合わせていない極悪非道の鬼畜か、凶悪犯罪者だったようで、日本を占領しに来た武器商人集団のイエズス会としては正確に敵情視察をする必要があり、また、ヨーロッパと武器取引がしたい大倭朝廷(現、皇室)から丁重にもてなされていたキリスト教(軍事総合商社)の宣教師であるフロイスが取引先の社員である秀吉に対し、お世辞さえ言えないぐらいなのだからフロイスによる豊臣秀吉についての評価に嘘はない。しかし、このフロイスが書いた本が秀吉の目にも触れることとなり、自分に対する批判に激怒すると同時に、それ以上に外国から来たキリスト教(軍事総合商社)の宣教師(傭兵)の肩は持っても長年、忠義を尽くしてきた自分に味方し、全く弁護も反論もしてくれない大倭朝廷(現、皇室)に秀吉は次第に不安を抱くようになった。つまり、かつて室町幕府(第116話『汚水』(注1)その3参照)と共に潰れかかっていた大倭朝廷(現、皇室)を秀吉の元上司(主君)だった織田信長が多額の寄付をして復興させ、それによって天皇に即位できた正親町天皇が自分の息子である誠仁親王と天皇の座を巡って争うようになり、結局、正親町天皇が策を弄して自分を廃そうとした織田信長と息子の誠仁親王を暗殺し、信長に代わって表向きの国家元首として自分を担ぎ出したように、自分も信長の時と同様、大倭朝廷(現、皇室)に暗殺されるのではないかと秀吉は恐れ始めた。それ以降、秀吉は次第に大倭朝廷(現、皇室)を政治や国権に関わらせないよう猶子(政略的な養子縁組)にしていた正親町天皇の孫の八条宮智仁親王に約束した関白(天皇を補佐して国政を行う官職で事実上の国家元首。)の継承権を自分の生まれたばかりの子供に継がせることにし、また、大倭朝廷(現、皇室)が外国軍と結託して自分以上の武力(暴力)を持たないようフランシスコ会(カソリック(キリスト教伝統派)系の軍事貿易商社。第116話『汚水』(注1)その3参照)が派遣した密輸船を拿捕し、国内で活動していたフランシスコ会の宣教師や信者達も一緒に処刑して弾圧した。(1596年のサン=フェリペ号事件と1597年の日本二十六聖人(?)の殉教事件)一方、大倭朝廷(現、皇室)も秀吉が予測した通り、特需景気を呼び込む為に自分達の遠い親戚が住む朝鮮半島へヤラセ戦争(文禄・慶長の役 1592年~1593年)までお膳立てしてやったのに、全く景気を回復させなかったばかりか、あろうことか天皇を始め、自分達、身分の高い公家達が仕切る大倭朝廷(現、皇室)をも支配できるといい気になり始めた豊臣秀吉に愛想を尽かしていたため、八条宮智仁親王の関白継承が破棄された時点でそれまでの秀吉への態度を一変させ、彼の一族を抹殺すべく既に動いていた。そこで、秀吉の次に関白職に就いていた養子の豊臣秀次のあらぬ醜聞を巷で触れ回り、秀吉というよりも大倭朝廷(現、皇室)に対する謀反=国家反逆罪の疑いがあるとして厳しく問い詰めるよう家長である秀吉に迫った。そのため、いろいろ疑いを払拭しようと秀吉は手を尽くしたのだが、結局、朝敵とされた秀次は妻子共々、無実の罪で処刑された。こうして、秀吉と大倭朝廷(現、皇室)は一般国民の気づかないところでずっと血みどろの冷戦を繰り広げていたのだが、元より天子(神の子)を詐称する天皇と大倭朝廷(現、皇室)のおぞましい実態を全く知らず、しかも21世紀の今でも国家神道を何ら疑問も抱かず無意識に信仰し続けている無邪気な一般国民が、次々と不可解な病死や残忍な処刑に見舞われている豊臣秀吉とその一族の不幸の原因によもや天子様(神の子)と崇められる天皇と大倭朝廷(現、皇室)が絡んでいようとは知る由もなく、秀吉の死後、その真実を知るのは秀吉の遺児である秀頼とその母の茶々(通称、淀殿)、秀吉の正妻の寧(通称、北政所)、そして、徳川家康を始めとした国政に携わる限られた武将達だけで、その他は標的に毒を盛ったり、罠を仕掛ける大倭朝廷(現、皇室)のスパイぐらいだった。そんな卑劣で陰険な、女子供も関係なく時には罪もない赤ん坊まで巻き添えにして暗殺し、正々堂々と戦わないくせに武士と変わらず武力(暴力)を国権の頼みとしている大倭朝廷(現、皇室)の汚いやり口にほとほと嫌気が差していた家康は秀頼に自分の孫娘を嫁がせ、戦争(人殺し)を実体験した世代としてその無益さと何より秀頼の父とその一族を暗殺し、彼の家を没落させてしまった仇とすべき張本人は大倭朝廷(現、皇室)なのだから今後、この大倭朝廷(現、皇室)を廃止させる為にお互い協力していこうと次の若い世代である秀頼にその思いを切々と説いて聞かせたのだが、何分、彼は気弱な性格の上、幼い頃から自身も天然痘(第97話『不浄(1)』(注1)参照)などの生物(細菌)兵器を送られて暗殺されかかっていて、大倭朝廷(現、皇室)がどんな手段を使って襲ってくるのか皆目、見当がつかずひたすら恐怖に怯えていたのと、さらに彼の周りにいる母親の茶々(淀殿)や乳母、侍女達もまた、厄介だった。国政の事などまるで知らず、知ろうともしないのにやたらと口を出してきてひたすら身分を上げること、出世すること、軍資金を稼ぐことが正義であり、勝者だと信じて止まず、母親の茶々(淀殿)に至っては自分も戦火から逃れ、実の父も母も戦争(人殺し)で亡くしているのにイエズス会のザビエル(第103話『略奪』(注1)参照)と同様、かえって大倭朝廷(現、皇室)にすり寄って自身の地位や財産の安泰を図ろうとし、まるでかつて虐められていた被害者がなぜか逆にその虐めをしている張本人達に救いを求めてすり寄るかのごとく、息子の秀頼にも大倭朝廷(現、皇室)には決して逆らうなと教えるのだから秀頼の方も幼い頃から言い聞かされてきた親の言う事に逆らえない。こうして、豊臣秀頼は密かに大倭朝廷(現、皇室)と通じ、天皇制の廃止を志す徳川家康と彼が打ち立てた江戸幕府を打倒すべくその軍備として蘇我(宗岡佐渡)に大仏の銅像と釣り鐘(梵鐘)を鋳造させ、家康の持つ軍備に勝る武器や兵器、城塞の開発に勤しんでいた。しかし、その釣り鐘(梵鐘)が家康に見つかる前から既に正親町天皇が誠仁親王を殺した後に即位した後陽成天皇が自ら墓穴を掘って涅槃宗との軍事機密文書を露呈させ、さらに佐渡金山その他の鉱山での帳簿の改ざんから相当な額の横領や横流しも発覚して密かに軍資金集めが行われていたことも明らかになり、そこへこの釣り鐘(梵鐘)の銘文まで見つかったのだから大倭朝廷(現、皇室)と豊臣秀頼が政府転覆計画を練って密かに戦争準備を進めていたことはもはや否定しようがなく、家康が激怒するのも当然で、あれほど何度も言い聞かせ、大倭朝廷(現、皇室)から身を守る為に必要だからと言った秀頼の言葉を信じて大仏と釣り鐘(梵鐘)を再度、造ることを許可したのに、その自分の信頼を裏切った秀頼を家康は見限った。そして、その反撃の一つに家康が言い出したのが銘文に刻まれた「外施仁政」にある“仁”の文字だった。以前、蘇我理右衛門が忌み名(諱)の蘇我を避けて宗岡を名乗っていたように、大倭朝廷(現、皇室)では身分の低い大衆がみだりに身分の高い皇族や公家の名前を口にしないよう皇族の本名にある文字は使わない決まり(しきたり)になっている。だから、むろん、大倭朝廷(現、皇室)の臣下である豊臣秀頼が天皇の忌み名(諱)を使うことは許されず、後陽成天皇の忌み名(諱)は和仁(1598年からは周仁)なので本名に“仁”の文字が入っており、また、釣り鐘(梵鐘)に「欽惟 豊国神君」(日本語にすると「国を富ませる神の子として日本に君臨する天皇様、どうかお考えください。」)との銘文まである以上、明らかに天皇への直訴状なのだから忌み名(諱)=天皇の本名の文字を使ったことは大倭朝廷(現、皇室)への不敬罪となる。そんな下らない決まり(しきたり)にいつまでもこだわり、大衆を悲惨な戦争(人殺し)に巻き込んで、飢餓や貧困、病気ばかりを蔓延させ、国家(共同社会)を荒廃させてきた大倭朝廷(現、皇室)への痛烈な嫌味として家康が突っ込んだのが「外施仁政(恵み深く思いやりある政治などしていない)」だった。その家康の嫌味に対し、涅槃宗との問題で失脚していた後陽成天皇を始め幕府に頭が上がらなくなっていた大倭朝廷(現、皇室)はいつものごとく知らぬ存ぜぬを通そうとその「外施仁政」に全く触れず、話を違う方向へずらし、どうでもいいような「国家安康」と「君臣豊楽」の二文を持ち出してあれこれと意味のない弁明を繰り返し、自分達の数々の犯罪を誤魔化そうとしたのが方広寺鐘銘事件の真相だった。その結果、朝敵として徳川家康を倒そうとしていたはずの豊臣秀頼の方が保身を図る大倭朝廷(現、皇室)から見棄てられたため逆に朝敵とみなされ、戦国時代の強姦や強盗、無差別殺人といった凶悪犯罪を取り締まらない無法状態の世の中を懐かしみ、戦争(人殺し)からどうしても脱却できない野武士や未だ武力(暴力)で政権が奪えると信じて止まず死に急ぐことが勇気と勘違いしている野蛮な武将達も集まってきたことから、自暴自棄になった秀頼は滅亡する覚悟で家康に戦争(人殺し)を仕掛け、結局、敗戦し、そして豊臣一族は滅亡した。(大坂の陣 1614年~1615年)そのため、釣り鐘(梵鐘)に銘文を刻む仕事を請け負った泉屋(兵器製鋼会社)も謀反=国家反逆罪に関わったとして取り調べの対象となったのと、蘇我(宗岡佐渡)は佐渡金山での不正の件もあったため、慌てて泉屋(兵器製鋼会社)を畳んで逃走した。それから253年後、ようやく倒幕できた大倭朝廷(現、皇室)は明治政府の名の下、富国強兵政策と銘打って軍拡するようになり、住友の名で存続させてきたあの泉屋(兵器製鋼会社)を再び釣り鐘(梵鐘)を専門にして兵器の開発研究を行う会社として復興することにした。それが2021年6月に民事再生法の適用を申請し、事実上、倒産した富山県の株式会社老子製作所で、日本国内にある釣り鐘(梵鐘)の7割を製造し、京都の西本願寺や三十三間堂、毎年、8月6日に原爆で犠牲となった20万人以上の日本国民(第111話『歴史書』参照)を追悼し、広島平和記念公園で鳴らされる「平和(?)の鐘」を造ったのもこの株式会社老子製作所だそうで、戦時中に舞鶴海軍工廠の監督工場に指定され、戦後も日本政府(皇室&自民党軍事政権)から7割もの宗教団体(税金)の仕事を回してもらい、生活保障されながら利益が上がらず倒産し、太平洋戦争で330万人以上の日本国民を犠牲にしてまで彼らが築き上げたのは25人程度の従業員しかいない零細企業と負債総額10億6千万円の“赤字だけ”だった。もちろん、元々、泉屋は住友財閥の創業者である蘇我理右衛門(宗岡佐渡弥右衛門)が興した店で、それを明治時代に老子次右衛門なる男に下げ渡しただけなので親企業である住友財閥グループは今でも健在じゃないかと読者の方々はおっしゃるかもしれないが、健在じゃないからこそ日本はイギリス(王室)の共有財産(=植民地。 第116話『汚水』(注1)その1参照)にされて何度も戦争(人殺し)を強要され(第108話『人間の掟』参照)、2021年時点の日本政府(皇室&自民党軍事政権)が作った借金とやらは国債が1074兆1596億円、短期で借り入れる政府短期証券が90兆2990億円、銀行から借りた借入金が52兆48億円で、この他にも証券名だけ変えた借金がありそうだが、上記だけでも締めて1216兆4634億円、改めて言うまでもないが“全て借金である”。この家計で日本は裕福だとか、経済大国とまだ信じられるのであればこれ以上、この作品を読んでも時間の無駄ですよとあらかじめお知らせしておくが、「これはまずい、やばい、一体、これからどうすればいいんだ?」と危機感を持ってくださった読者の皆さんには引き続き、お話させていただこうと思う。これまで話してきた通り、彼ら大倭朝廷(現、皇室)が国家の土台にしている基幹産業(=Key Industry)は兵器製造であり、戦争(人殺し)で大勢の人(労働者)を殺して減らし、自国も他国も含めて本来、産業基盤となる田畑や建物を壊し、一時的に食糧や物資などを大量生産させて大量消費するだけの特需(一時の流行のように需要が増える)経済なので見た目はかなり活発な取引がなされて一瞬、成功して裕福になったかに見えるだろうが、それは決して長くは続かない。その結果が上記の通り、明らかに財政破綻していることはもはや誰にも否定しようがないくらいの天文学的な借金額なのである。なのに、どうして日本が未だに存続できているのかと言えば、彼らの借金や失策に関わりなく、わたし達、一般国民が生きて、働き、自分達に必要な物(またはサービス)と物(またはサービス)をお互いに交換=取引し合っているからで、これこそが実体経済であって数字で表された金額だけがやたらと沸き出てくるバブル経済ではないからである。つまり、いかに多くの金額が語られようともお金そのものは実体経済=取引数とは関係がなく、たとえそれほど売れておらず(取引数もなく)人気もない、役に立たない、不要な商品や会社、人材でも高い値段をつけただけで実態とは逆にたくさん売れていて(取引数があって)人気もあり、価値ある必要な商品や会社、人材に見えてくるのだからこれこそ数字の魔法と言わずして何と言おう。
BBC(英国国営放送)が放映したクリトル・ウィンドウズ有限会社の紹介ビデオ↓
https://youtu.be/d5ChJt8P5Tg
お米に関するプロパガンダ(大衆洗脳宣教)例↓
産経新聞ニュース2016年1月10日
『玄米のとりすぎはがんになる? コメの安全性に世界が厳しい目 その真相は…』より
https://www.sankei.com/article/20160110-VJKSPI3NM5OCNGFWQFNHOSD42A/2/
>水田で栽培されるコメは、土壌から無機ヒ素を吸収し、平均的なもので1キログラム当たり0.1~0.2ミリグラムの無機ヒ素を含むとされる。つまり、コメを多く食べる人は、健康リスクとなる量の無機ヒ素にさらされているといえる。
>スウェーデン食品局は昨年、6歳未満の乳幼児にコメやコメ製品を与えないように勧告した。さらに、6歳以上の子供が食べる場合は週4回までとし、大人でも「毎日食べるべきではない」としている。
https://www.sankei.com/article/20160110-VJKSPI3NM5OCNGFWQFNHOSD42A/3/
>ただ、無機ヒ素の健康リスクを知ったからには、なるべく食事からの摂取を減らしたいと思うかもしれない。農林水産省は、コメに含まれる無機ヒ素は玄米の外側についている糠の部分に多く含まれることから、白米をよくといで食べることでコメから摂取するヒ素を減らせる可能性があるとしている。
>白米に比べて栄養面で優れているということで、最近は玄米食が人気となっているが、無機ヒ素を多く摂取することを考えれば、毎日玄米を食べるのはやめた方が無難といえそうだ。
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いい加減な情報を出回らせて納税している一般国民の生命や健康を損なわせようとする政府に
これ以上、税金を払い続けてもろくな政治や医療保障などしないということを
本作品を通じてご理解ください。
そして、わたし達、一般国民の生命と財産を守れるのはわたし達、一人一人の一般国民自身だということも
ぜひともご理解ください。