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第百十六話 汚水 後書き(注1)その4

今話のイメージソングです。↓


https://youtu.be/0lyKboAb5Wc

『To be Human(人間になるとは)』by Sia

from “Wonder(ワンダー womanウーマン”(変わった女)より


物にあふれて豊かに見えながら、

情け容赦ないこの空の下で

わたしはずっと自由にもっと高く飛ぼうと頑張ってきた。

真横であなた方も

わたしと同じようにそれぞれの人生を歩んできたことも

わたしは知っている。


あなた方こそ、わたしが切に願っていることなんだ。


わたしのこの絶え間なく続く話の先は

わたしの胸に不安と苦痛しか思い起こさせない。


確かに今は難しいと思うだろうが、

でも、時と共にこの話はあなた方にとって役に立つようになる。



だから、人間になるっていうことは

神を、神が創ってくれたこの世の全てを愛するってことなんだ。


確かに問題は山積みだし、あなた方の心には愛や正義なんて

もはや寝言にしか聞こえないのかもしれない。


でも、わたしはまだ、あきらめちゃいない。




愛するからこそ、人間なんだ。




たとえ、どんなにいろんな難しい問題が山ほどあったって

わたしはまだ、あきらめるわけにはいかないんだ。




人間になるってことはあらゆる生命を愛するってことなんだ。




たとえ、どんなに難しい困難が立ちはだかっても

それでも愛すること、正義を貫くこと、真実を述べることこそ

大切なんだ。

だから、わたしはまだ、あきらめない。




もはや野獣の心を持つ全ての者達がこの地上に解き放たれた。

だからってわたしは怖気おじけづくこともなければ、気にも留めない。

勝手に彼らがやりたいようにさせればいい。

彼らのやることなんてどうせ大したことはできない。

彼らはひたすら人を殺すだけ、暴力を振るうだけ、

嫌がらせや意地悪をするだけ、それ以外は何もできない。


誰もそんな彼らを気にも留めなければ

彼らを高い地位に持ち上げなければ

誰も彼らを恐れる必要もなくなるじゃないか。

彼らから傷つけられる心配をする必要もなくなるじゃないか。


だから、もう彼らなんて気にしないように手伝ってくれないだろうか?


多くの人からそしりや中傷、失望の言葉を投げつけられて

傷ついてきたこのわたしの心の傷を

誰か取り去ってくれないだろうか?


全ての人の吐く息が、

その祈りの言葉が

正義や愛や真実にあふれて

暖かい優しい言葉をわたしにかけてくれないだろうか?



ああ、だが、今、あなた方は本当に遠い場所にいる。

わたしの腕から遠く、遠く離れた場所にいる。



それでもわたしは言い続ける。

人間とは愛する為に生まれてきた生き物なんだ。

たとえ、どんなに苦しくても悲しくても

愛することを私はあきらめない。


愛すれば、人間らしい幸せな人生を送れるんだ。

どんなに望みが薄いように見えて

複雑な悩みがたくさんあったとしても

それでもあなたの周りの人や良心を大切にするってことこそ

あなたを幸せな人生へと導くんだ。


だから、わたしはこれを伝えることを

まだ、あきらめちゃいない。


だから、人間になってくれないか?

あなた方一人一人が幸せになる為に

どうか、人間らしい暖かい優しい心を持ってくれないだろうか?


その為にわたしはこれを預言するんだ。

このままじゃ、暮らしにくくなる一方じゃないのか?

生きづらくなるばっかりじゃないのか?


だから、私が言いたい要点ポイントはただ一つ、

こんな世の中を皆で変えてしまえばいいじゃないか。


なぜ、あなた方は変えられないんだろう?

今の世の中を皆で変えて何かあなた方が困るだろうか?

損をするだろうか?



人を愛して人間らしい心で生きるってことが

皆が平等に豊かに幸せになるってことが、

皆が救われる方法を探すってことが

そんなに間違っているだろうか?


たとえ、どんな困難があろうと

愛や正義や真実を守って生きていって何が悪いんだ?

だから、わたしはそれが間違っているっていう理由がない以上、

まだ、あきらめられないんだ。


どうしてもあきらめきれないんだ。


しかし、足利尊氏のような武将達がいくら軍事(暴力)政権を立ち上げようと所詮、暴力(武力)で産業が起こせる訳でも食糧生産ができる訳でもないため、いずれ財政破綻による滅亡は避けようがなく、一時は3代将軍の足利義満が鎌倉時代から密かに行われていた日元貿易(モンゴル帝国と日本の間での武器密輸のこと。日本からは金、銀、銅、水銀、硫黄(いおう)、扇、刀剣、螺鈿(らでん)蒔絵(まきえ)製品などを輸出し、逆にモンゴル帝国からは銅銭、陶磁器、お茶、書籍、書画、経典、文具、薬材、香料、胡椒(こしょう)金紗(きんしゃ)金襴(きんらん)(あや)(にしき)といった製品を輸入していた。特に日本から輸出していた水銀や硫黄は爆薬の材料であり、水銀は雷酸(らいさん)水銀、または雷汞(らいこう)と呼ばれる起爆剤に使う為のもので、八咫鏡(やたのかがみ)を造っていた神功皇后(じんぐうこうごう)額田王(ぬかたのおおきみ))達、日本の原住民である大和(やまと)民族が赤土から鏡にメッキを張る技術を持っていたと第110話『灌漑(かんがい)』(注2)で話したが、このメッキを張る技術こそ現代の学校の授業でもよく行われている銀鏡(ぎんきょう)反応であり、赤土から水銀を取り出すことができ、さらにこれに糞尿を発酵した物とお酒を加えれば結晶が生じてこの結晶が少しの摩擦や衝撃で大爆発を起こす起爆剤になる。また、硫黄も赤土から取り出して木炭と糞尿を発酵した物とを混ぜれば黒色火薬になる。どちらも古代から日本では兵器を造る為に生産していたものではなく、鏡や建物、陶磁器、漆器(しっき)などの物を美しく飾るメッキ工程を行う際に人を傷つけ、死なせる危険があるからと注意事項または失敗事例として教えていたことであり、本来は(たん)と呼ばれる美しい朱色に塗られた柱や(はり)(うるし)を塗った上に金や銀を散りばめた蒔絵(まきえ)や同じく(うるし)の上に養殖した後に余った真珠貝を載せた螺鈿(らでん)など、人の暮らしを豊かに楽しませる為の欠かせない装飾品を主に作っていただけのことだったのだが、これを知った倭人達は故意に人を殺傷する為にわざわざ「やってはいけない」と教えていた注意事項や失敗事例を悪用するようになった。ただし、その間違った教えを悪用したのは日本の倭人達だけでなく、元々、インドや中東、中国、朝鮮半島のアジア一帯でゾロアスター(拝火)教を通じて知れ渡っていたのだが、アッシリア帝国が滅亡してその軍事知識や技術が失われていったように、日本に渡来した倭人達の間でもその製造方法を知っていた者達が皆、戦争(人殺し)で死んでいなくなり、ゾロアスター(拝火)教の流れを汲む鬼道の巫女を務めていた卑弥呼(ひみこ)がいた弥生時代から幻の兵器となっていったところへ、前述の大和民族出身の神功皇后(じんぐうこうごう)額田王(ぬかたのおおきみ))が八咫鏡(やたのかがみ)を持参して嫁いできたため倭人達にとってはそれが神器となった。しかし、元から倭人達に軍拡させる気など更々、なかった神功皇后(じんぐうこうごう)額田王(ぬかたのおおきみ))が爆薬の作り方を教えるはずもなく、結局、倭人達は八咫鏡(やたのかがみ)を後生大事に保管するだけで終わったのだが、日本以外の中国では日本では産出しない硝石(しょうせき)を使って水銀((たん))と一緒に爆薬を作る方法を見つけ出したため、以後、水銀((たん))は大倭(だいわ)朝廷にとって中国に朝貢(納税)する際の重要な輸出品となり、遣唐使で火薬の作り方を学んできた空海(くうかい)の帰国後は伊勢(現、三重県)にある丹生(にう)鉱山が今では鉱山の面影はないが、和歌山県の丹生都比売(にうつひめ)神社のある高野山と共に水銀((たん))を採掘する重要拠点となった。そのため、今でも日本にある全ての神社の頂点として君臨し、皇室(政府)が保護している伊勢神宮は水銀((たん))の採掘を差配したり、売買を取り扱う公共団体または特殊会社(第107話『革命(2)』(注2)その3参照)のようなもので、皇居とは別に伊勢神宮内に八咫鏡(やたのかがみ)があったり、丹生都比売(にうつひめ)神社にも銀銅(ぎんどう)蛭巻(ひるまき)太刀拵(たちこしらえ)という銀メッキされた刀剣が国宝に指定されているのもそうした理由によるものである。一方、モンゴル帝国からの輸入品も同じく書籍や書画、経典といった類は全て兵書(軍拡教材)であって、銅銭は輸出品に対する代金、文具は戦地でも戦況報告書や指令書を書くことがあるため鎌倉時代から矢立(やたて)と呼ばれる筆や墨壺(すみつぼ)を入れた(ぼう)状の携帯用文房具があったり、そこに小刀(こがたな)鍼灸(しんきゅう)に使う針などを凶器として保管したりもするため重要な軍備の一つでもあった。それ以外のお茶、薬材、香料、胡椒(こしょう)金紗(きんしゃ)金襴(きんらん)(あや)(にしき)といった物はこれから話す黒死病(ペスト菌)を始めとした生物(細菌)兵器の為の材料となる物である。なお、陶磁器に関してはもっと後で説明するつもりなので今はご容赦願いたい。また、輸出品に武器以外の金や銀、銅といった定番の貴金属による朝貢(納税)品は別として、扇や蒔絵(まきえ)螺鈿(らでん)などの一般製品が混ぜられているのは密輸ならではの理由からで、モンゴル帝国側の一般国民にとって特に元寇(げんこう)(モンゴル帝国の日本への侵攻)後は自分達の親兄弟、友人、知人を日本に皆殺しにされた敵国であり、日本から来た船を警戒したり、襲撃することがあるためそうした一般製品を混ぜることで武器の密輸だと気づかれないようにしていた。)を引継ぎ、シルクロードを通じて(かいこ)を始めとした生物(細菌)兵器を購入するだけでなく、1245年からはフランク・モンゴル同盟(=A Franco-Mongol alliance、AD3世紀頃の更なるローマ帝国経済の悪化から現在のドイツとオランダ辺りに住んでいたゲルマン狩猟民族は中でもフランク(=Franks、ゲルマン祖語で「投げ(やり)で人を襲う野蛮人、または無法者」の意味。)と呼ばれていたならず者達がその武力(暴力)の腕を買われて次第にカソリック(キリスト教正統派)教会(軍事企業)の傭兵に雇われるようになり、各教会(軍事会社)の顧客(官僚や将軍)達を皇帝や属州総督などに出世させられるようヤラセで周辺地域を襲って食糧や金品、女達などを強姦略奪する、いわゆるテロ活動を行い、それを顧客達に鎮圧させることで戦功を挙げさせて報酬をもらっていたのだが、その報酬も財政の悪化でどんどん減らされていくようになったためモンゴル部族と同様、自分達でフランク王国(=the Kingdom of the Franks、Frankish Empire、Franciaといろいろな名前で呼ばれる。)を築き、AD5世紀から8世紀にかけてほぼ現在のフランスからスイス、オーストリア、オランダ、ベルギー全土を掌握してさらにスペインのバルセロナやアンドラ公国一帯、イタリア北部、ドイツ東部にまで勢力を拡大し、その後、部族間の仲間割れによって国土を分割しながらそれぞれの部族から輩出した武力(暴力)の強そうな封建国王(殺戮&略奪を繰り返して周辺地域を支配し、自分の仲間だけに略奪してきた戦利品や土地を分配するリーダー)が統治するようになったのだが、血脈(ちみゃく)(仏教用語で「密教及び禅宗の師から弟子達に教えを授け渡す関係」のこと、または血の繋がり、親戚関係の意味。)及び地脈(ちみゃく)(=Dragon(ドラゴン) lines(ライン)Lay(レイ) lines(ライン)、中国語では龍脈(りゅうみゃく)。旧約聖書の創世記10章25節~11章や第94話『水源(2)』で説明した通り、かつて大地溝帯が地熱活動で裂けたことから断層の存在は既に古代から知れ渡っており、本来、地脈は断層または地下に流れるマグマの通り道(火道(かどう))を意味し、文明(神の智慧)を知る人達はそれを利用して灌漑(かんがい)(水を引き入れること)や森林などの植林を行っていたのだが、ゾロアスター(拝火)教やシャーマニズム(超常現象や死んだ先祖霊を崇拝する自然(神)の掟に逆らった土着信仰)を信じる阿修羅(あしゅら)(人でなし)達はそれを自分達がでっち上げた占いやオカルト宗教、疑似科学に悪用し、「大地が裂けたり、動くのはエネルギー(気)がそこに宿っているからだ。」とか、金や銀、ダイヤモンドのような鉱物(宝石)が産出しやすいのはそうしたマグマの通り道(火道)が多いことから「エネルギー(気)が流れる龍脈の中でも最も強くそのエネルギー(気)が溜まっている場所こそ金銀財宝が埋まっている場所、つまり龍穴(りゅうけつ)であり、そこに先祖の墓を建てれば、死者の肉体を通じて子孫にそのエネルギー(気)が感応し、代々、家が栄える。」などといったトンデモ説を唱えて中東やヨーロッパではGeomancy(ジオマンシー)土占(つちうらな)い)、中国や朝鮮半島、日本では風水(ふうすい)陰陽道(おんみょうどう)としてそのトンデモ説が大衆に真面目に信じられるようになった。そのため、ヨーロッパでも地脈(龍脈)に沿って神殿や教会、聖なる泉といった宗教的な建物や場所が造られるようになり、中世はもちろん、現代でも王立写真協会(=The Royal Photographic Society of Great Britain、1853年にビクトリア女王とアルバート公の支援により設立された世界最古のカメラや写真に関する学術団体。)に表彰され、タバコの箱などに仕込んだ盗撮用のピンホールカメラや撮影の光の加減を測定する露出計を発明したことで知られるアマチュア写真家のアルフレッド・ワトキンスがLay(レイ) lines(ライン)(表向きは「放牧地」という意味のLEY(レイ) になっているが、同じ音節(シラブル)で書くとLAY(レイ) lines(死者を横たえる線))という学説(『Early British Trackways』1922年発刊)を、アイルランド貴族の血を引き、イギリス海軍に入隊後、王立チャータード・サーベイヤー協会(=The Royal Institution of Chartered Surveyors、主に植民地にした土地の測定や不動産鑑定などを行ってイギリス王室の不動産管理ができるよう1868年に設立されたイギリス王室直属の不動産鑑定団体。)のメンバーでもあった作家のジョン・ミッチェルがSt.Michael(聖ミカエル) lines(ライン)(旧約聖書のダニエル書に出てくるミカエル(ヘブライ語で「この地上の誰が神様と同じって?」の意味)という名の終末期の世界を救う天使を(まつ)る教会や修道院が建てられている線)という説を唱えて、「古代イギリスの陵墓(りょうぼ)や教会、標識などは大地のエネルギー(気)が吸い上げられるよう直線上に建てられており、その線はイギリスだけでなく、フランスやイタリア、ギリシャ、イスラエルの聖地エルサレムにも通じている。」(『The View Over Atlantis』 1969年発刊)と主張し、UFO(未確認飛行物体)と同じく“地球上の謎説(なぞせつ)”(=Earth(アース) misteries(ミステリーズ))として巷で流行ることとなった。ただし、現代での流行はワトキンスもミッチェルも本気で地脈(龍脈)にオカルト的なエネルギー(気)が宿っていると信じていた訳ではなく、彼らはユダヤ人達の手を借りて核兵器(原子爆弾)がようやく開発できたことを知っていたため(第107話『革命(2)』(注2)その2参照)、自分達がでっち上げた地球上の謎(龍脈)を信じて無賃(タダ)で大地が裂けたり、動きやすくなる断層を探し出してその情報を教えてくれ、さらに自分達が出版した本まで買ってくれて軍資金まで寄付してくれるオカルト信者達をイギリス王室(政府)繁栄の為に(つの)りたかっただけで、そうして探し出してもらった断層(地脈)の上に現在、イギリスの非公式な植民地となっているフランスに建てられたのは教会や宗教施設よりもフェッセンアイム原子力発電所(=Centrale nucléaire de Fessenheim、1978年設立)を始めとした原子力発電所や核施設であり、それがどういう意図(目的)で建てられているかは第115話『生命』(注1)の世界連邦運動について説明した通りである。ちなみに日本でも風水や陰陽道(おんみょうどう)に従った地脈(龍脈)は存在し、その上に建てられているのが、古代や中世では伊勢神宮や唐招提寺(とうしょうだいじ)、日本三大龍穴とされる貴船(きふね)神社や室生(むろう)神社、日光東照宮(とうしょうぐう)または日光二荒山(にっこうふたらさん)神社(別名「備前(びぜん)(現、岡山県)の龍穴」とも呼ばれており、なぜ、栃木県日光市を備前(びぜん)(現、岡山県)と呼ぶのかというと、日光二荒山(にっこうふたらさん)神社にかつて日本刀の五大名工の一派である備前福岡一文字派(いちもんじは)による“日光一文字”と呼ばれる刀剣が奉納されていたからで、その“日光一文字”こそ、壇ノ浦の合戦で安徳(あんとく)天皇と一緒に海に沈んだ三種の神器の一つである天叢雲(あめのむらくもの)(つるぎ)草薙剣(くさなぎのつるぎ))の代わりにこしらえた偽神器であり、安徳天皇の外祖父だった平清盛の末裔(まつえい)である北条早雲(ほうじょうそううん)が平家の再興と室町幕府はもちろん、大倭朝廷を(しの)ぐ武力(暴力)の象徴として安徳天皇が持っていたとされる本物の天叢雲(あめのむらくもの)(つるぎ)草薙剣(くさなぎのつるぎ))を再現しようと日光二荒山(にっこうふたらさん)神社内で密かに造らせたものだった。というのも、大倭朝廷や北条早雲のような武将達がやたらと神器にこだわるのは第103話『略奪』でも話した通り、刀剣の素材にされている青銅器時代に造られていた鉄鋼はどれも現代でさえ造れない純度の高い驚嘆の品ばかりで、オスマン帝国がインダス文明の頃に造られていた錆びない鉄鋼であるウーツ鋼を素材にしてそれを鍛えてダマスカス鋼に替えていたように(第105話『欺瞞』(注3)参照)、日本も特に現在の岡山県に当たる備前や備中(びっちゅう)美作(みまさか)、現在の島根県である出雲(いずも)石見(いわみ)伯耆(ほうき)(現、鳥取県)、備後(びんご)(現、広島県)、そして播磨(はりま)(現、兵庫県)などの吉備国(きびのくに)(現、中国地方)を発祥とする“たたら製鉄”(英語でTiara(ティアラ)という言葉が残されている通り、“たたら”とはサンスクリット語で() Tārā(ターラ)「高貴な星」という意味で、鉄なのに軽くて星のようにキラキラ光るヘアバンド、または(かんむり)状の髪留(かみど)めのこと。)によって生産された白鋼(しろはがね)(または玉鋼(たまはがね))と呼ばれる上質の鉄鋼を鍛えて刀剣に作り替えていたのだが、原住民である大和民族には髪留めなどの日用品の素材であってもその程度の品質が当たり前の鉄鋼が倭人(人でなし)達にはどうしても造れなかったため、その技術力を(ねた)んで相変わらず大和民族を殺したり、暴行を加えて無理やり強奪してきた数少ない白鋼(しろはがね)玉鋼(たまはがね))で造った刀剣を神器(神の持ち物)と呼んで珍重していた。しかし、その高度な製鋼技術を持つ大和民族を自分達の手でそうして迫害していったことから無論、白鋼(しろはがね)玉鋼(たまはがね))はいっそう幻の鉄鋼となっていき、結局、かつて大和民族が白鋼(しろはがね)玉鋼(たまはがね))を生産していた跡地(龍穴)に深く埋まっている鉄塊や砂鉄を掘り起こして鍛造することを“たたら製鉄”と呼ぶようになり、それらを求めて日本各地の龍脈(断層)を辿(たど)りながら見つけたのが栃木県日光市にある男体山(なんたいさん)女峰山(にょほうさん)(女体山)の二つの荒山(鉱山)だった。そこで神社を建てて修行僧(山伏(やまぶし))を雇い、庶民(一般国民)には鉄製の銚子(ちょうし)が空を飛ぶ『飛銚子(とびじょうし)』なる怪異現象があると偽って山に近寄らせないようにし、密かに白鋼(しろはがね)玉鋼(たまはがね))による刀剣を始めとした兵器の開発研究に励んでいたのだが、前述したように大倭朝廷の軍事知識や技術は次第に室町幕府内の武将達にも伝わるようになり、室町幕府がその後、衰退してくると、その研究費に事欠くようになった日光二荒山(にっこうふたらさん)神社(兵器開発研究所)は北条早雲のような個人の武将達の寄進(寄付金)を受けて政府系から民間軍事企業に変遷するようになった。その後、祖父が備前福岡村の出身で播磨(はりま)(兵庫県)の姫路城主である小寺(こでら)氏に仕えて代々、白鋼(しろはがね)玉鋼(たまはがね))を含め大和民族の知識や技術を研究してきた黒田孝高(くろだよしたか)(通称、黒田官兵衛(くろだかんべえ)官兵衛(かんべえ)とは宮中で天皇と皇族の護衛や雑用を務める兵衛府(ひょうえふ)(親衛隊)の役人という意味で、上述の佐々木高氏(ささきたかうじ)京極道誉(きょうごくどうよ))が従事していた検非違使(けびいし)よりも古い役職であり、仕事内容は同じなのだが、宮中での階級が佐々木高氏(京極道誉)が七位の左衛門尉(さえもんのじょう)、黒田家は元は五位以上の兵衛佐(ひょうえのすけ)で平清盛や源頼朝などと同格の貴族だったため、本人がその身分と家柄を意識して官兵衛と名乗ったことからそう呼ばれるようになった。)に北条早雲の子孫である北条氏直(ほうじょううじなお)が領土争いで時の権力者だった豊臣秀吉との争いに負け、その命乞いの仲介をしてくれたお礼として北条家の家宝である日光一文字の刀と安徳天皇が持っていた天叢雲(あめのむらくもの)(つるぎ)草薙剣(くさなぎのつるぎ))の詳細が書かれた『吾妻鏡(あづまかがみ)』(1180年頃発刊)、そして新たな龍脈(断層)や龍穴(鉱山)を探す為に必要なホラ貝(なぜ、ホラ貝が必要かは追々、説明します。)の一式を渡したため、それ以降、偽神器の日光一文字の刀は黒田家の家宝となり、1978年からは福岡藩主だった黒田家へ嫁いだ日本赤十字社総裁の閑院宮(かんいんのみや)載仁親王(ことひこしんのう)(第113話『内部者』(注1)参照)の第二王女である黒田茂子(くろだしげこ)から倭人(人でなし)達が中国に貢納する際に使用していた『漢委(かんのわの)奴国王(なのこくおう)(いん)』と呼ばれる金印と共に福岡市博物館に寄贈され、現在、“国宝(?)”に指定されて飾られている。また、北条早雲が造らせた偽神器である日光一文字を最初に奉納していたことで備前の龍穴と呼ばれることになった日光二荒山(にっこうふたらさん)神社には2019年に大倭朝廷の第126代目の天皇として徳仁(なるひと)氏が即位したことを記念し、その偽神器をさらに模した別の日光一文字が新たに奉納されている。)であり、フランスと同様、現在、地脈(龍脈)の上に建っているのはそうした神社仏閣ではなく、海底の活断層として知られる相模(さがみ)トラフの近くにあって全国のどこよりも有感地震が多い茨城県の東海(とうかい)発電所や東海第二発電所、宮城県岩沼市(いわぬまし)から福島県いわき市まで約100kmの巨大断層の上にあって2011年3月11日に東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が起き、22,199人もの死者及び行方不明者を出しただけでなく、放射性物質の流出騒ぎを起こしてあらゆる農作物や産業を壊滅させ、家や仕事を失った地域住民達を全国各地に避難させる流民にしてしまった福島第一発電所など、核兵器(原子爆弾)の開発研究所になっている。)といったゾロアスター(暴力&原子爆弾礼賛)教ならではのオカルト(反自然、反神主義)宗教思想に基づいた繋がりから何世紀を経ていてもお互い先祖からの邪教に従いやすく、意気投合しやすいことと、何よりこれまた、モンゴル部族と同様、(がく)(教育)がなかったフランク(ゲルマン狩猟民族(古代欧米白人種)の無法者達)にとって国家(社会)運営の為の法律は自分達がかつて雇われて支配されていた頃に習い覚えた『ローマ法大全』(=Corpus Iuris Civilis、衰退して分割統治されるようになったローマ帝国で最後までしぶとく15世紀まで残っていた東ローマ帝国(=the Eastern Roman Empire、またはビザンチン帝国(=The Byzantine Empire)、現在のトルコのイスタンブールはかつてビザンティウム(Byza(ヴィザ)「先見の(めい)」のある者が建てた港町)と呼ばれていたことから分割された領土を一般的にビザンチンと呼ぶようになり、また、その首都はキリスト教をローマ帝国の国教に定めたコンスタンティヌス1世にちなんでラテン語でコンスタンティノポリス、現代英語ではConstantinople「コンスタンティヌス1世の植民地」にした。)においてフランクとは別のゲルマン狩猟民族で、東ゴート族(=The Ostrogoths)出身だったユスティニアヌス1世が当時、イタリア全土一帯を支配していた東ゴート国に操られる傀儡(かいらい)の東ローマ皇帝として即位し、ナザレのイエスの言葉に兵器開発の知識や技術はないと結論づけたアリウス派やネストリウス派のキリスト教を教義とする、いわゆる東方正教会(またはギリシャ正教会、第116話『汚水』(注1)その1参照)に帰依(きえ)してその教会と教義の下で税金(軍資金)や武器密輸、国民及び移民集め(=徴兵)、そして兵器開発研究を行ってきた東ゴート国がそれまでのローマ帝国を乗っ取ってヨーロッパ全土を支配できるようAD529年~534年にかけて編纂した法律集である。そのため、ラテン語では「国民の為の法律集」という意味になるが、東ゴート族の言語であるイリュリア語では「イリュリア語民の為の(おきて)」である。つまり、ローマ法大全とはそれまでのローマ法だけを集めた本ではなく、ローマ法の他に特にユスティニアヌス1世達、東ゴート国や東方正教会などの支配階級に都合のいい掟を勝手に付け足した『Novellae Constitutiones』(英題は『Justinian's Novels(ノベルズ)』、邦題にすると『ユスティニアヌス1世の新しい法律集』で、蛇足だが、現代英語で“Novel(ノベル)”「小説」はあくまでフィクション(嘘)の話を集めた本を指すが、それは1348年から始まった黒死病(ペスト菌)の起源(散布元)がどこか特定されないようカソリック(キリスト教伝統派)教会に雇われてキリスト教の教義についてマスメディア(大衆宣教)活動をしていた作家のジョバンニ・ボッカチオが『Decameron(デカメロン)(現代風な邦題にすると『黒死病(ペスト)が拡散中なのでステイホーム期間中に10日間ぶっ通しで語ってみた僕とわたしの体験ストーリー100選』、1351年発刊)』で架空の一般庶民にカソリック(キリスト教伝統派)の教えを批判させて結局、カソリック(キリスト教伝統派)の教えに戻るべきとの刷り込み(サブリミナル)効果による宣教を意図した実話風な本を書いたことから以来、Novel(ノベル)は「新しい法」や「新しい掟」といったローマ時代のラテン語の意味は消えて「虚構(フィクション)小話(こばなし)及び説話集」という意味だけになった。なお、『デカメロン』(嘘の体験記)によるプロパガンダ(大衆洗脳宣教)手法はコロナ(架空の病原菌、第116話『汚水』(注1)その3参照)ウィルスが拡散中と言われている現代でも活かされており、2020年には17世紀にアメリカ大陸を始め、西アフリカや南米、太平洋諸島などで奴隷貿易と植民地開拓を行って投資を募っていたオランダ西インド会社(=Geoctrooieerde Westindische Compagnie、正式名は王立西インド会社、1621年設立)の傭兵訓練の為に設立されたマンハッタン・カレッジエイト・スクール(=Collegiate school in Manhattan、アメリカで最古とも言われている私立の小中高一貫男子進学校、1628年設立。2021年時点での全生徒数は650人、高校での年間学費55,900米ドル(日本円で約613万円))の生徒会と、アメリカ商工会議所が1820年に新聞や本、雑誌などの宣伝方法の研究の為に設立したフィクションセンター(=The Center for Fiction、旧名はMercantile Library Center for Fiction、直訳すると「虚構の為の商業図書施設」)、そして1911年にアメリカのユダヤ教の教師でシオニズム運動(中東植民地化運動、第107話『革命(2)』(注2)その2参照)の他に全米黒人地位向上協会(=The National Association for the Advancement of Colored People、略NAACP、1909年に黒人や有色人種の地位向上を目指すと言って一般大衆の善意につけ込み、集まってくる寄付金を公益を盾に税金免除団体として資金洗浄し、そのまま軍資金として貯め込む一方、協会の表看板を鵜呑みにして活動に共感し、協力する黒人や有色人種の一般大衆を監視監督、誘導する為に設けられたアメリカで最も古くから人権を守ってきたと主張する団体である。そのため、創設者13人のうち、黒人はたった2人で、その他は全員、欧米白人種とユダヤ人であることからも分かる通り、当初から人権侵害の被害者である黒人や有色人種を上位職に置くつもりもなければ、彼らの意見や考えを聞くつもりもなかったことは明らかである。)の創設メンバーの一人でもあったスティーブン・ワイズが建てたスティーブン・ワイズ自由(フリー)ユダヤ教会(シナゴーグ)が協賛して計画し、コロナウィルスを避けて屋内退避(ステイホーム)している学生や若者世代にいろいろな体験記や小説を寄稿してもらうThe Decameron(デカメロン) Project(プロジェクト)なる企画を立ち上げ、相変わらず寄付金集めはもちろん、一般大衆の賛同や共感を煽ってコロナ(架空の病原菌)ウィルスの真相を隠す為の“陰謀”を目下、展開中である。)というローマ法とは全く別の法律もローマ法大全には盛り込まれており、ローマ法を知らないというよりそもそも“法律とは何の為にあるのか?”という根本的な法の存在意義や価値をまるで分かっていない非文明なゲルマン狩猟民族にとっては(いち)からローマ法を学ぶより同じ部族出身で同じ言葉を話すユスティニアヌス1世達が付け加えた『新しい(?)掟』の方がずっと分かりやすいためローマ法大全を構成する4法典のうち、建国以来、それまで制定されてきたローマ法を集めた『Codex Justinianus』(邦題にすると『ローマ法ユスティニアヌス1世編纂版』)、法学者や専門家の学説を集めた『Digesta seu Pandectae』(邦題では『ローマ法のまとめ』)、弁護士や裁判官になる為の教科書である『Institutiones Justiniani』(邦題だと『ユスティニアヌス1世法教本』)といった法典でも特にゲルマン狩猟民族には理解されない、何より彼らが付け足した『新しい(?)掟』と矛盾し、それらの意図(目的)からすれば都合の悪い条項が書かれた『Codex(コーデックス) Justini(ユスティニ)anus(アヌス)』はほとんど伝われなくなった。と言うより、わざと削除されて現在、ローマ法と呼ばれて主に欧米人達の間で研究されている法律はローマ建国当初からローマ法大全の編纂までに制定されていたものとは少なくともその理念(目的)の上で似て非なるものである。)が唯一、ローマ人もゲルマン狩猟民族も関係なく、ヨーロッパに住む大衆全体に“通じて”広く行き渡った万民法だったため、自分達、フランク(無法者)を裏で雇って暴動や内戦、テロ活動をさせ、それを鎮圧及び治安維持をするとの理由で武力(暴力)行動を正当化し、自国から遠く離れた外地で武器や軍需物資を高値で売買し、植民地の開拓事業で無理やり国内産業を活性化させて財政を回してきた東ローマ帝国(または東ゴート国)が今で言う“代理戦争景気政策”(=Proxy(プロキシ) War(ウォー) Economic(エコノミック) Boom(ブーム))、明治時代では“富国強兵政策”をやりすぎて、AD526年とAD551年に東日本大震災と同等の大津波を伴ったマグニチュード7以上の大地震で数十万人もの死傷者を出し(The 526 Antioch earthquake&the 551 Beirut earthquake)、AD535年~539年には火山を噴火させてヨーロッパ大陸のみならず、中国、中央アジアも含んだ北半球一帯で真夏に雪が降る冷害や(ちり)となった火山灰が煙霧(えんむ)となって立ち込める異常気象まで起こして凶作に陥らせ(The Extreme weather events of 535–536)、挙句の果てにはモンゴル帝国が西域のタタール(旧アッシリア)人達から強奪した黒死病(ペスト菌)をヨーロッパに向けてまき始めるおよそ800年前のAD541年、東方正教会がこれまた西域と取引して買い取った黒死病(ペスト菌)がユスティニアヌス1世達の手によってばらまかれ、死体を置く場所もないくらい毎日、大勢の人が死んでいき、それでもユスティニアヌス1世達、東ローマ帝国(東ゴート族)は税金と労働(兵力)を国民から搾り取り、富と繁栄を誇って君臨したかつてのローマ帝国を再現しようと夢見ていたようだが、結局、ヤラセのテロ活動の為に雇われていたフランク(無法者)族と彼らを傭兵に斡旋(あっせん)していたカソリック(キリスト教伝統派)の方が近隣に住んでいた冶金(やきん)術(工学)やミョウバン造り(化学)に(ひい)でこの800年後に一介の農民の娘であるジャンヌ・ダルクに火薬の技術を間接的に教えることになるアレマニ族(第107話『革命(2)』(注1)参照)を自分達と同じキリスト教徒にしていったことから東ローマ帝国(東コート族)より武力(暴力)が逆転し、クーデター(政権転覆)してヨーロッパを支配し出すと万民法であるローマ法大全(東ローマ帝国法または東ゴート族法)が自ずと彼らフランク(無法者達)の憲法(建国の(いしずえ)となる法律)にもなっていった。その後、フランク(無法者)と同様に法律とは何の為に存在し、どう役に立つのかということが全く分からず、文字すらも(うと)いモンゴル部族がユダヤ教やキリスト教に帰依したことでローマ法大全がマルコ・ポーロを始めとした武器商人や宣教師達からモンゴル帝国内で教育されるようになり、ローマ化というか、東ローマ帝国(ゲルマン狩猟民族)の社会体制を取り入れ、西洋化または欧米化するようになった。こうして、共通した法律認識ができたことで外交や武器密輸においてモンゴル帝国と取引しやすくなったと踏んだヨーロッパ各国王朝(政府)御用達(ごようたし)軍事企業であるカソリック(キリスト教伝統派)は、イスラム教の台頭でシルクロード(闇市場(ブラックマーケット))での武器取引や信者減少により聖地エルサレムでの寄付金(軍資金)集めが難しくなり、オカルト商売敵(しょうばいがたき)であるイスラム教を叩き潰すのに何としてでもモンゴル帝国の黒色火薬を始めとした最新兵器やその兵力が必要だったことからモンゴル帝国に近づいて「同盟」を持ち掛けたものの、“対等の立場で”しかも“共通の目的に向かって”同一の行動を取る「同盟」という意味(心)が、血は繋がらない者同士が互いの腕を切って血を合わせたり、切った指の血で誓約書に判子(はんこ)を押し、その血判状(けっぱんじょう)を交換して義兄弟の(ちぎ)りを交わす「盟友」や采配を振ろうとする自我(エゴ)を抑え、同じ(こころざし)を達成するため能力の高い者の下について忠誠を誓う「同志」といった文化や習慣はあっても、ヤクザやマフィアと同じで利害が(から)むとすぐに相手を裏切り、殺し合うのが常の我欲(エゴ)の強いモンゴル部族にはどうにも“通じず”、戦争(人殺し)のし過ぎで財政赤字を抱え、衰退するモンゴル帝国は朝貢(高額な契約金)を迫ってくるばかりで結局、条件が整わず、フランコ(欧米白人種の無法族)・モンゴル(中国、朝鮮半島、中央アジア、中東の無法族)同盟は決裂したのだが、それでもその間、1245年から当時のローマ教皇インノケンティウス4世がフランシスコ会(=The Franciscans、表向きはシルクロード(闇市場(ブラックマーケット))の絹商人、裏では(かいこ)の武器密輸に携わり、主に中国から生物(細菌)兵器をカソリック(キリスト教軍事商社)に(おろ)す会社をイタリアのローマ市から今なら車で2時間半の所にあるアッシジ市で営んでいたベルナルドーネ家に生まれたジョバンニ・ベルナルドーネが火薬を始めとした新兵器の研究開発に目覚(めざ)ましく、勢力を広げたモンゴル帝国と取引ができるよう1209年に開いた修道会(軍事貿易商社)である。英語の社名のフランシスコは「フランク(無法)族の子孫」という意味で、修道院(会社)を立ち上げた時はヨーロッパの王族や貴族、富裕層として贅沢(ぜいたく)に暮らすようになっており、もはやあの奴隷同然で東ローマ帝国(他所(よそ)のゲルマン狩猟民族)の雇われ傭兵だった頃のフランク(無法)族の面影などすっかりなくなっていたが、もう一度、あの頃に立ち戻り、中国や中東に住む異民族の大衆に混じって宣教及び勧誘活動をしながら密輸品や密輸経路を構築するという趣旨で始められた会社であり、まず、武器を所持する異国の一般兵士を怪しまれずに抱き込むため慰安婦施設(=売春宿、第100話『智慧(1)』(注4)参照)としてクララ会(=the Poor Claresまたはthe Order of Saint Clare)と呼ばれる女子修道会を立ち上げ、そこに所属する尼僧達が貧民街からめぼしい少女や女達を誘いこんでそのまま異国の地へと売り飛ばす、いわゆる人身売買の仲介を行い、アッシジのフランチェスコと名を改めたジョバンニ・ベルナルドーネとカソリック(キリスト教軍事大手総合商社)の下請業者であるフランシスコ会(軍事貿易商社)の後方支援をするようになった。さらにフランシスコ会も組織を二つに分け、一つはこれまでの教会や修道院の運営方法と同じく、徹底して清貧と品行方正を宣伝し、内部で行われている兵器の研究開発や人体実験などが漏れることのないよう世間から完全に隔絶された施設で活動する組織(the Franciscans)と、それとは逆に全く修道士や尼僧とは関係のない一般人を(よそお)い、大衆に交じって情報収集や密輸の協力者探しなどを行う組織(The Third Order of Saint Francis)の二つの団体でもって新たな支部や信者(投資者&寄付者)、学校、病院、政治団体、都市や地域、村といった地方自治体のような管轄(かんかつ)領土もヨーロッパ全域に広げ、カソリック(キリスト教伝統派)の邪教と悪習を欧米白人種(ゲルマン狩猟民族)社会に強く根付かせていった。そのため、最盛期より財政悪化で規模も縮小されていっているようだが、2013年の教皇年鑑(日本で言えば会社四季報(しきほう)のようなもの)によると第一組織だけで支部が4,688団体、修道士数が約2万人、関係者数が2万5千人以上もいて、第二組織のクララ会や第三組織はもとより、中世から現代までに作られた関連団体の修道士や尼僧、従業員まで含めたら2020年時点で従業員数230万人を誇るアメリカの最大手スーパーのウォルマートも軽く超える数になり、それぐらいでなければ2020年時点で全世界約13億2,900万人もの信者(兵士)を抱えるカソリック(軍事総合商社)においてイエズス会(第103話『略奪』(注1)参照)他の修道会(軍事貿易商社)を抑える存在にはなれなかっただろう。そんなフランシスコ会のよく知られる宣伝方法の一つがアッシジのフランチェスコ(ジョバンニ・ベルナルドーネ)が言い出した聖痕(せいこん)(=Stigmata)である。十字架刑に掛けられたナザレのイエスが復活後、手の平に(くぎ)を打ち付けられた際の傷跡を弟子のトマスに“生き残った証拠”として見せたことから(ヨハネ20章24-31節参照)、その話を悪用したのが新約聖書の主人公として出てくるAD1世紀頃にイエスの弟子を詐称してキリスト教を宣教し出すパウロ(第112話『女傑』及びガラテア書6章17節参照)とこのアッシジのフランチェスコ(ジョバンニ・ベルナルドーネ)で、パウロの聖痕(せいこん)とやらは手ではなく目なのだが、どうしてそんな傷がついたかはもっと後で話すとして、とにかくフランチェスコ(ベルナルドーネ)の場合はイエスと同じ手の平だったため貧しくて(がく)(教育)のない一般人やオカルト(反自然、反神主義)主義者達には疑われることもなく未だに信じられているようだが、今更、言うまでもなく、嘘である。嘘と言うか、聖痕(せいこん)(聖なる傷跡)でも何でもない、単に自分が仕入れた火薬を不注意で爆発させて怪我しただけであって、それ以外にも家業である生物(細菌)兵器の扱い方も悪かったらしく第115話『生命』(注1)で話した賀川豊彦とその妻ハルが市中に撒いていたトラコーマ(伝染性角結膜炎)も患っていたそうで、結局、イエスとは違ってアッシジのフランチェスコは生き残ることなく、1226年10月3日(一般的な(こよみ)の上ではこの日は土曜日になるが、カソリック(キリスト教伝統派)で使う教会暦ではその前日の金曜日の日没からが一日の始まりとなり、正確な死亡日は10月2日の金曜日の夕方になる。そのため、カソリック(キリスト教軍事総合商社)は朝の光から活動し始める訳ではなく、夜の闇を始まりとしており、晩課(ばんか)と呼ばれる夜のお祈りがその日の最初の儀式になる。)、AD530年からベネディクト修道院(第116話『汚水』(注1)その1参照)で定められてカソリック(キリスト教伝統派)でも金曜日の晩課の恒例である旧約聖書の詩編144番、「我が(とりで)の岩である主(王)を称えよ。我が手を戦争(大量虐殺)の為に、我が指を戦闘(暴力)の為に鍛えた主(王)を。」という“人としての掟”に逆らったユダヤ教徒達によって作られた詩句を唱えながら文字通り、兵器造りの際に負った手の怪我とトラコーマ(伝染性角結膜炎)によりひたすら戦争(人殺し)の方法だけを考え続けた45年の生涯に幕を閉じた。それでも、殉教(犠牲死)がキリスト教の基盤であり、それを最上の教えにしているカソリック(キリスト教伝統派)からすればアッシジのフランチェスコの事故死(または労働災害死)は彼に続いて次の殉教者(犠牲者)となる信者(兵士)を生む美談(好例)になるため(たた)えない手はなく、これ以降、彼が負った傷を聖痕(せいこん)と呼んでやたらと持ち上げ、(兵器開発などで負った)似たような傷跡を“神の奇跡による聖痕(せいこん)”と(あお)って宣教するようにもなった。その他、フランシスコ会特有と言えば、修道服が黒ではなくて灰色で、なぜ、その色なのかと言うと、自分達が標的(ターゲット)にしている外国はもちろん、自国の大衆を調べて報告することがフランシスコ会の主な役目であり、その敵情視察を意味して狼煙(のろし)(=Smoke(スモーク) signal(シグナル)、火や煙で遠方の味方に敵の動向を知らせる最古の軍事通信手段)が象徴(シンボル)となっているからである。その後、火薬がヨーロッパに輸入されてからは狼煙(のろし)よりも敵の位置や攻撃範囲などを知らせる為の発煙弾(=Smoke grenade)や味方の軍隊の動きが敵に知られないよう煙幕(えんまく)を張る発煙筒(=Smoke bomb)、また、建物や機械の空気漏れを煙で確認したり、有毒ガスを密かに流して暗殺する為のスモークテスト(=Smoke testing)といった煙や有毒ガスを使う兵器がフランシスコ会とカソリック(軍事総合商社)の象徴(シンボル)となっていったため、煙を表す灰色の修道服を着る以外でコンクラーベ(=Papal conclave、英語ではCardinal(カーディナル)、日本語では枢機卿(すうききょう)と呼ばれるカソリック(キリスト教伝統派)の上位の僧侶達が投票でローマ教皇を選出する儀式のこと。Cardinal(カーディナル)はローマ時代に信仰されていたCardea(カルデア)という扉の蝶番(ちょうつがい)を守る女神にちなんでおり、ローマ時代はその女神を(まつ)った神殿の僧侶達が占いで田畑や市街地に適した土地を調査させ、開墾(かいこん)や建設などを指示していた。また、ローマ軍が侵攻する際、陣営に造られる四方の門を意味するCardo(カルド)からも来ていて、このようにCardinal(カーディナル)とはローマ時代の宗教や慣習の名残から生まれた職名である。一方、日本語の枢機卿(すうききょう)とは、扉に凸部(とつぶ)を付け、(さん)凹部(おうぶ)を設けて扉を開閉させる蝶番(ちょうつがい)に似た“(くるる)”と、石や病原菌を持った動物の死骸などを投げ込んで攻撃する石弓(いしゆみ)の引き金を意味する“機”の二語を併せて「(とりで)の扉を開いて侵略する卿(大臣)」という意味の造語である。)においても秘密選挙の投票所になっているバチカン市国のシスティーナ礼拝堂の煙突から黒い煙が出た場合はローマ教皇未決を示し、白い煙の場合はローマ教皇の決定を知らせるといった煙による演出で世界に向けてローマ教皇(キリスト教の教祖)を宣伝するようになっている。また、直近、2021年4月15日に東京都新宿区下落合(しもおちあい)4丁目のマンションの地下駐車場で起きた二酸化炭素消火装置による死亡事故もフランシスコ会を象徴する事件であり、事件現場となったマンション周辺にはマリアの宣教者フランシスコ修道会が設立した聖母(せいぼ)病院があり、現場から徒歩5分ほど行けば瑠璃山(るりさん)医王寺(いおうじ)薬王院(やくおういん)と呼ばれる真言宗(密教=ゾロアスター教日本版)のお寺があって、“瑠璃(るり)”、“医王寺(いおうじ)”、“薬王院(やくおういん)”という言葉からして第116話『汚水』(注1)その3で話した“瑠璃(るり)琉璃(るり)(ラピスラズリ)”が誰の持ち物で何をする所かは想像がつくかと思うが、そこから歩いて1分ほどの所にも高田八五郎(たかたはちごろう)記念碑という小さな石碑が置かれており、それは明治時代に日清(にっしん)、日露戦争で大儲けして日本の名だたる財閥の三井物産を凌いだと言われた兵器機械商社の高田商会(たかたしょうかい)(現在は旧鴻池(こうのいけ)財閥と旧山口財閥を併せた三和(さんわ)グループの総合商社である双日(そうじつ)株式会社と、経営破綻後に新たに発足させた機械商社の株式会社高田商会)を設立した高田慎蔵(たかたしんぞう)(幼名、八五郎)の石碑であり、さらに言うなら現場から車で10分ほどの所には国立感染症研究所(旧、陸軍軍医学校。第107話『革命(2)』(注2)その3で話した柳条溝(りゅうじょうこう)(湖)事件の首謀者だった板垣征四郎(いたがきせいしろう)が発案し、兵器開発の為に人体実験を行っていたことで知られる731部隊(または満州第731部隊、正式名称は関東軍防疫給水部(ぼうえききゅうすいぶ)本部)を下部組織にして国内で生物(細菌)兵器の研究開発を行っていた。そのため、1989年7月に現在の建物を建設する際、生前にめった刺しされたり、切り刻まれたものと見られる100体もの人骨が出土し、人骨の出所を巡って国会でも取り上げられる騒ぎとなったため2001年と2011年に厚労省がヤラセの発掘調査などを行い、「昭和20年8月以前の旧陸軍軍医学校にあった標本類又は標本作成用あるいは医学教育用に集められた死体の一部である」として現在も感染症研究所内で保管されていて、人骨の身元はもちろん、死因も未だ不明である。)があって、これらの施設や石碑に取り囲まれた事件現場の地下駐車場は明らかに兵器開発を行っている研究員やスパイにとって立地(りっち)が良く、さらに3人の死傷者を出した東京池袋の立体駐車場での二酸化炭素消火装置による事故で1996年9月20日に全国消防主管部長に宛てて地下室では二酸化炭素消火器を設置しないよう通達がされており(消防予第193号、消防危第117号)、なぜ、新宿消防署が築19年以上のマンションの地下駐車場に置かれた消火設備の点検や指導をしていなかったかも問題だが、マスコミの報道もおかしなもので、消火器でも消火装置でも火事になれば誰であろうと触って使うべきものなのだが、まるで事故になった原因が無資格の工事作業員が勝手に消火設備に触ったせいだと言わんばかりの報道がされている。それも当然、事故の原因や目的を一般国民に知られない為であり、真相は?と言うと、上述した通り、現在、地球上で拡散していると言うコロナウィルスは実在しない架空の病原菌で、それを世界的な不況と食糧危機を乗り切る戦略として国連に加盟している各国政府がプロパガンダ(大衆洗脳宣伝)し、それに煽られて不安や恐怖に駆られた大衆が病院を訪れることで別の病気にかからせたり、あるいはわざと医療過誤を行って口減らし(国家人口を減らして国費や食糧を節約する政策)することが(ねら)いなため、誰にも気づかれずに病院内で大勢を暗殺できる兵器がこの二酸化炭素ガスだからである。なぜなら、現在、急ピッチで病院内に設置されていっているコロナウィルス専用の病室が陰圧室(いんあつしつ)、または陰圧(いんあつ)感染(かんせん)隔離室(かくりしつ)(=Negative(ネガティブ) pressure(プレッシャー) rooms(ルームズ))と呼ばれる通常の気圧よりも低く設定された病室で、伝染病を含んだ空気を室内に閉じ込め、それを空気清浄器などで浄化して外に放出する仕組みだそうで、そもそもコロナウィルスとは鼻、のど、肺などの呼吸器系を損傷する感染症という触れ込みなのにそんな空気圧の低い部屋に入れられたら余計、息苦しくなるだけなのだが、そんな突っ込みはさておき、その陰圧室(いんあつしつ)の気圧状態を調べる際に行われるのが前述したスモークテスト(煙やガスで空気漏れを確認する試験)である。つまり、コロナウィルスに感染していると偽って診断された人達がこの陰圧室(いんあつしつ)に隔離され、ただでさえ息苦しい隔離病室内で自分達は病気だと思い込まされて寝ていると、今度は室内の気圧を調べるからと故意に二酸化炭素ガスを流され、もちろん空気清浄機は止められていて室内に蔓延(まんえん)した二酸化炭素ガスにより中毒死させるという筋書きである。当然、死因は窒息死になるから本当は二酸化炭素ガスであってもコロナウィルスが原因と死亡診断書には書かれることになり、まさか国(政府)と医療機関が示し合わせて犯したテロとは誰も思いもよらない。そのため、現在、コロナウィルスで死者数が増えていると毎日、報道される欧米諸国ではおそらくこの手段が既に常習的に使われているようだが、日本ではまだ、陰圧室(いんあつしつ)の設置が遅れているため、とりあえず二酸化炭素ガスの殺傷程度を調べようと人体実験を行ったのが前述の地下駐車場で起きた消火装置の誤作動事件だったと思われる。なお、この話とは別に気圧についての詳しい説明は本作品でする予定である。このように、フランシスコ会は煙を象徴して主に灰色の修道服を着ることになっているが、これが16世紀に大航海時代が始まると、コロンブス達が南米からヨーロッパに持ち込んだ新種の猿が頭にこげ茶色の頭巾(ずきん)をかぶったような姿で上手に道具を使って自分が捕らえた虫を叩き潰して食べる様子がいかにも修道士(傭兵)そのものだったことから、その猿をCapuchin(カプチン) Monkey(モンキー)(英語で「頭巾(ずきん)をかぶった修道士野郎(やろう)」の意味。日本語はオマキザル。)と呼んでヨーロッパやアフリカなどに生息する猿達はApe(エイプ)(ラテン語のAbba(アッバ)「(人類の)祖先」からApe(エイプ)になった。)、南米その他の新世界(植民地)から連れてきた猿達はMonkey(モンキー)と区別し、このMonkey(モンキー)のように新世界で発見した動植物や現地人を実験台にして新たな兵器の研究開発に取り組もうとカプチン・フランシスコ修道会(=The Order of Friars Minor Capuchin、1525年創設)という新組織を立ち上げたことから、この組織のフランシスコ会修道士達は灰色ではなく“人間を名乗る方が猿の真似をして”茶色の修道服を着ることになっている。なお、カソリック(キリスト教伝統派)はフランシスコ会やベネディクト会、イエズス会といったそれぞれ会派独自の色はあっても、基本、僧服の色は全て白なのだが、それも一応、理由があって、旧約聖書のダニエル書7章9~10節に、

― 世界の玉座は定着するようになった。

  そして、人々の毎日を、その生涯を、

  あの悪毒(あくどく)て古臭い考えに呪縛されている者が君臨する。

  その者の衣服は雪のように白く、

  その頭の毛髪もまた、真綿のように白い。

  その者の玉座は業火(ごうか)のごとくめらめらと燃えたぎり、

  火の車(戦争と借金だらけ)となって全ての人や物を焼き尽くす。

  まるで火砕流(かさいりゅう)のごとく絶え間なく戦火と火の車(借金)は流れ続け、

  その者(の指示や発案)によってその地獄の火の川ができる。

  何千、何万、何億という人々がその者につき従う。

  数千年もの時が経ち、何万という人達がその者の前に立つ。

  そして、裁きが始まり、様々な本が開かれる。

という聖句があり、バビロニア帝国に(とら)われの身となりながら持って生まれた才覚により周囲の迫害を克服して国政のアドバイザー(助言者)にまで上り詰めるユダヤ人預言者のダニエルがBC553年に自分の未来に起きる“最後の審判(=The Last Judgment)”の夢を見る話で、その中の、白髪頭(しらがあたま)で白い服を着た者が玉座に座り、業火(ごうか)(地獄の火)によって全ての人や物を焼き尽くすという部分にゾロアスター(拝火)教の流れを汲むカソリック(キリスト教伝統派)は心()かれて自分達の僧服を白にするようになったからで、本当はその“白髪頭で白い服を着た者達”が神の裁きによって滅ぼされるという意味の聖句なのだが、何せ、どれほど矛盾していても間違っていても、聖書を通じて神が人に与えた掟を勝手に都合よく()じ曲げて解釈し、聖書という本自体、カソリック(キリスト教伝統派)が創ったと言わんばかりに“盗作して”(マラキ3章)販売しているぐらいなのだから、そこに書かれた言葉の意味(心)などカソリック(軍事総合商社)に忠節を誓う連中にはどうでもよく、とにかく兵器を作ることしか頭にない彼らにとって聖書に出てくる言葉は何であろうと兵器と結び付けるため、1098年、十字軍遠征用の兵器の資材を探して近場をうろついていたフランス、シャンパーニュ地方の貴族の出であるロベール・ド・モレーヌとそのお付きの修道士(護衛兵)のアルヴェリックは地元で生産されていた石膏(せっこう)(化学名、硫酸(りゅうさん)カルシウム)が白色火薬(またはギリシャ火薬(=Greek fire))の原料になることを知り、まさしくこれこそダニエル書に書かれていた白い衣服の意味(心)だと勘違いした。シャンパーニュ地方というのはあの発泡酒として有名なシャンパンを生産している土地で、その真下にはワインの生産地で名高いブルゴーニュ地方もあり、衣服というよりワインが先に頭に浮かぶかもしれないが、彼らが石膏(せっこう)(白色火薬の原料)を見つけた時はそれほどワインやシャンパンを作る為のブドウ畑が広がっていたわけではなく、むしろブドウよりライ麦畑が広がり、森林も多い土地だった。というのも、第107話『革命(2)』(注1)で話したアルザス・ロレーヌ地方にいたアレマニ族と同様、シャンパーニュ地方には元々、ロジー族(=The RugiiまたはRogi)という部族がいて、サンスクリット語のPrastha「台地」とケルト祖語(ヨーロッパ言語の祖語の一つ)のɸrossos「丘陵の森」が変化してロジーと呼ばれ、石灰岩の丘陵地帯で森林を育てながら農業を行っていた部族であり、英語の薔薇(バラ)Rose(ローズ)とライ麦のRye(ライ)、そしてライ麦から作られる黒パンとクワス(=Kvass、微炭酸のライ麦酒)が伝統食であるロシアのRussia(ロシア)の語源でもある。では、なぜ、薔薇(バラ)とライ麦がロジー族に関係するのかと言うと、さらに(さかの)れば彼らは北欧のバルト海周辺から来た移民だったらしく、寒冷地の()せた土地でも栽培できるライ麦が彼らのパン(主食)となり、野菜の代わりに薔薇(バラ)の実でビタミンを補っていたからで、雪に覆われて痩せやすい土壌も石膏(せっこう)の粉を撒いて改良していた。しかし、中世以前のローマ時代には農業以外にも鉄鋼や陶磁器、コンクリート、ガラスなども製造していたのだが、第91話『ロゴス(言葉)(1)』で説明した通り、度重なる内戦や治安の悪化で原料の輸送が途絶え、そうした工業製品がどんどん作れなくなっていき、残った産業が農業だけになってしまったのだが、それでも不足した原料をキリスト教徒化する以前のロジー族が伝承してきた知識と技術で補って細々(ほそぼそ)と工業を続けていた。その不足した原料とはサトウキビ(砂糖)のことで、“本物の”石膏(せっこう)はこれがないと作れないのだが、ローマ時代のサトウキビの生産国はインドと中東に限られていたためイスラム教の台頭で中東と交易できなくなったヨーロッパ諸国にとって中世以降、砂糖は珍品となってしまった。そのため、シャンパーニュとブルゴーニュ地方の境にあったコランという小さな村に住むロジー族の村人達は近場にある天然の石灰岩を採掘し、それを焼いて石膏(せっこう)を作る際(煆焼(かしょう))、天然の鉱石に混じった硫黄が気体(ガス)になって放出されて(第97話『不浄(1)』参照)、日本の公害病である四日市ぜんそくの原因とされた亜硫酸(ありゅうさん)ガス(二酸化硫黄)が生じるため(第99話『人災』(注1)参照)、それを取り除く為にある工夫をしていた。石灰石を焼く窯炉(ようろ)に煙突を建ててそこから煙を逃がし(排煙脱硫(はいえんだつりゅう))、さらに焼いた石灰石の中にもまだ、亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が残るためそのまま水に()けて水圧で抜く(水素化脱硫(すいそかだつりゅう))。しかし、現代のようにカルシウムだの、硫黄だのと分離&精製した単体の原料(無機(むき)物質)から化学製品にしているのではなく、様々な成分が混じった天然鉱石(有機(ゆうき)物質)にこれまた、石灰岩(炭酸塩)が溶けた硬水(こうすい)(カルシウムやマグネシウムが多い水)に浸けて処理するため、その過程で別の副産物ができてしまう。それが高度(こうど)さらし粉、現代でよく知られる名はプールの水を消毒する際に使うあのカルキである。実はカルキはある条件が加わると黒色火薬と変わらないぐらいの威力で爆発を起こす。その条件とはきちんと亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を抜かず、糞尿で作ったたい肥(有機物)が混じったまま日光に(さら)されると150℃以上でようやく発火するカルキが室温でも簡単に発火する。しかも、一度、火が着くと急速に広がって水を多少、かけたぐらいではなかなか消えない。そんな特性から古代のアッシリア帝国では焼夷(しょうい)爆弾(発火する化学薬品を詰めた爆弾のこと。現代で例に挙げれば、火炎瓶(かえんびん)やナパーム弾など。)として重宝され、白色火薬の別名がギリシャ火薬なのもBC5世紀にギリシャで火炎放射器として再現されていたからである。なお、カルキの危険性は日本でも既に認識されており、昭和40年代の公衆浴場で消毒にカルキを入れたまま硫黄泉(いおうせん)を張ったお風呂でおしっこをした人がいて、それが原因と思われる火災が数件、起きており、火災研究の実験が何度か行われている。それゆえ、ロジー族は亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を抜いてから水に浸けた石膏(せっこう)を慎重に扱い、温度や湿度(しつど)が低いサイロに一旦、貯蔵して熟成させることでそうした危険物資を除去し、無害な炭酸カルシウムにしてから田畑にまいたり、布地を白く染める顔料(がんりょう)に使っていた。ところが、材料不足で難しい状況でも人を傷つけたり、殺さないよう神(愛)が与えし文明(生きる為の智慧)からひねり出した(わざ)でロジー族が丹精を込めて作った工業製品を、カソリック(キリスト教伝統派)信徒のロベールとアルヴェリックは兵器(人殺しの道具)になるとしか見なかった。だから、彼らは早速、村人達に教わった石膏(せっこう)ならぬ白色火薬作りに励み出し、表向きは農業の肥料や白色顔料を作っているように装っているが、あくまで密輸を行う際にそれらの日用品を混ぜて目くらましする為であり、この時を境にカソリック(キリスト教伝統派)では僧服=制服(ユニフォーム)を白にするようになった。また、現代においてローマ教皇が丸くて小さい白帽を頭に(かぶ)るのも英語やイタリア語だとZucchetto(ズケット)「かぼちゃ帽」と呼んでいるそうだが、日本語ではカロッタと言い、フランス語の古い方言であるCalotta(カロッタ)が日本に伝わっている通り、元はロジー族が石膏(せっこう)を貯蔵する際に使っていた丸いドーム型の銅板(どうばん)屋根とレンガでできたサイロ(貯蔵塔)が彼らカソリック(軍事総合商社)にとっては白色火薬(ギリシャ火薬)の貯蔵塔を想像(イメージ)させたことから、以降、その白い帽子がカソリック(軍事総合商社)の、特にローマ教皇(代表取締役)のトレードマーク(商標)となった。しかし、元々は人をケガさせないようにとの善意から考え出された技術であり、カソリック(軍事総合商社)が求めている技術ではない上に、他人が傷つこうと死のうとどうだってよく、むしろ誰かを殺してでも利益を得ようとするカソリック(キリスト教伝統派)教徒の彼らにロジー族の村人達が懇切丁寧(こんせつていねい)に注意事項や事故防止策などを教えても学ぶつもりは全くないため当然、必要な作業の手が抜かれたり、おろそかにされて、正しい技術は劣化していく。加えて、戦争では大量の火薬(石膏(せっこう))が必要になることから痩せた土壌でも育つライ麦に多量の石灰(火薬)の肥料をまくことは不自然に思われるため、ライ麦畑から石灰質の土壌を好むブドウ畑へと作り変えていった(製品転換または事業転換)。こうして、中世の半ば頃にはワインやシャンパンの生産がシャンパーニュ地方やブルゴーニュ地方の特産となっていき、高級シャンパンの代名詞になっているドンペリもドム・ペリニョンというカソリック(キリスト教伝統派)の修道士によって開発されたと一般的に言われるが、実際はシャンパーニュ地方に住むロジー族の村人達が造ったものだった。(なお、ワインにまつわる真実は再度、本作品で紹介します。)しかし、村や地域全体がキリスト教徒化されて修道院が神(善意)の象徴になってくると、ロジー族が手間暇(てまひま)かけて行ってきた良心的な技術は(ないがし)ろにされ、むしろ無駄、邪道とまで(ののし)られるようにもなり、さらに火薬の為に石灰の肥料を作っているので当然、亜硫酸ガス(二酸化硫黄)やカルキ(次亜塩素酸(じあえんそさん)カルシウム)は肥料に残されたままになる。だから、今でも水が入った冷却容器(ワインクーラー)にワインやシャンパンのボトルを入れて冷やしてから飲むのは肥料からブドウに溶けた亜硫酸ガス(二酸化硫黄)やカルキ(次亜塩素酸カルシウム)を水圧で抜く為で、これも言い訳としては酸化防止用として添加したと言っているらしいが、それならば空気(酸素)に触れないようボトルに(せん)をする必要もなければ、(せん)を開けたらすぐに酸化するはずもない。要は、そうやって“カルキ(白色火薬)抜き”をしなければ亜硫酸ガス(二酸化硫黄)はもとより、カルキ(次亜塩素酸カルシウム)にも毒性があるからで、亜硫酸ガス(二酸化硫黄)は息切れや呼吸困難といった喘息(ぜんそく)の症状になったり、また、肝臓も痛めるので二日酔いや急性アルコール中毒にもなりやすく、アレルギーからアナフィラキシーショック(化学薬品臓器過剰反応)を起こして死ぬこともある。一方、カルキ(次亜塩素酸カルシウム)は殺菌消毒に使われている通り、熱や光で“酸化が進み”、自然界のあらゆる細菌や微生物もカルキ自体と一緒に酸化(細胞を過剰分裂)させて殺す。つまり、人間の身体に付着して生息している細菌や微生物、人間の身体の細胞そのものも一緒に殺せるから“殺菌”であり、巷でカルキが発がん性物質と言われる所以(ゆえん)でもある。そのため、ワインにツンとした香りがするのもカルキ臭から来るものであり、スワリングと呼ばれるワイングラスをくるくる回してから飲む作法はわざと空気にさらしてカルキの酸化を進ませ、毒素を抜く為で、(しぼ)ったブドウ汁を回しても味や香りは変わらないようにワイン(発酵させたブドウ汁)を回したからと言って味や香りが良くなるわけではない。また、熟成させたワインに高値がつき、高級ワインと世間でもてはやされるのもようやくカルキが抜けきって毒素が薄まるからだった。このように嘘に嘘を重ねながらカソリック(キリスト教伝統派)は中世初期から白色火薬の製造・販売を一手に引き受け、その結果、現在のような十億人を越す信者(兵士)を抱える大宗教団体(大手軍事総合商社)にまで成り上がったのだが、上述したように他人が苦労して考えた製造方法を適当に学んで散々、(ののし)った挙句、それをわざと誤って悪用しているため、どうしてその作業をするのか?や、それをすることで何が生まれるのか?どう作用するのか?といった根本的な仕事の意味(目的)を理解しておらず、あれほどロジー族がやってきた仕事を馬鹿にして否定し続け、それを悪意ある方法に変えさせようとしてきた以上、今更、頭を下げて教えを乞うこともできないため自分達で何とかその答えを探すしかなく、白色火薬の製造・販売と並行してその研究を続けていくことになった。だから、ロジー族が建てていたサイロ(貯蔵塔)も単に水に浸けた石膏(せっこう)(白色火薬)を保管する倉庫と思っただけで意味(目的)も分からず形だけ真似た丸い銅板(どうばん)屋根のドームや尖塔(せんとう)といった建物を自分達の教会にも建てていったのだが、第116話『汚水』(注1)その1の中でイギリスのセント・ポール大聖堂が何度か火災に遭い、その再建資金を稼ぐ為に火災保険を作った話をしたと思うが、実を言うと、この火災の原因というのがこの石膏(せっこう)(白色火薬)と丸い銅板(どうばん)屋根にあった。というのも、カルキを抜く為にワインを回して空気に触れさせ、酸化を進ませようとするのと同じで、ロジー族も単に水に浸けた石膏(せっこう)貯蔵塔(サイロ)に放っておいたのではなく、その丸い銅板(どうばん)屋根を使って火事にならないよう安全に石膏の酸化を促していたからだった。だが、その原理を解明するのにキリスト教徒達はもちろん、日本を含め世界中の科学者達が20世紀近くまでかけて研究することになるのだが、その間、間違った貯蔵方法のせいで何度か火事を出し、その度に火災原因として霊力や魔法、天罰などというオカルト(反自然、反神主義)説やトンデモ説が飛び出し、欧米の自然科学はますます低迷していった。しかし、その一方でタタール人(旧アッシリア人)を始め西域及びシルクロードで武器の密輸を行う商人達や教祖ムハンマドが伝承したインダス文明の頃の兵器開発に取り組む中東のイスラム諸国、アリウス派やネストリウス派などカソリック(キリスト教伝統派)と反目する教義を持つ東方正教会(キリスト教異端派)は、アッシリア帝国時代の焼夷爆弾(ギリシャ火薬)や空爆の為のバベルの塔(誘雷塔(ゆうらいとう))の研究をしているためカソリック(キリスト教伝統派)も十字軍遠征などにより中東や西域と接触するうち、十字架の金属が誘雷針になることや丸い銅板(どうばん)屋根にすることで暗くて涼しい貯蔵塔(サイロ)の中でも熱や光の代わりに“電気が伝わる”ことが次第に分かるようになっていった。そのため、プロテスタント(キリスト教新興派)の開祖であるマルチン・ルターがカソリック(キリスト教伝統派)内の学究姿勢や腐敗を糾弾し、「ローマ教皇(社長)からの指示や発案に頼らず自分達で聖書を解読して新しい武器や兵器を造っていこう。」と言い出したのも自分が修道士になる前に落雷を体験して雷(電気)の威力や働きが今後、兵器を作る上で重要な鍵になると気づいたからだった。それでもキリスト教という宗教ができて以来、マルチン・ルターが生きていた時代で既に千年以上も存続してきたカソリック(軍事大企業)にしてみれば、いかに周りから批判や非難をされようともその伝統(古くから受け継がれてきた思想や慣習、技術など)こそがいつまでも消えずに長く(のこ)されているから正しいのであり、今後も今まで通りのやり方を続けていれば自分達の組織が(つぶ)れるはずがないという思い込みの根拠になっているため、これまでの研究や学説を見直したり、否定することはヨーロッパ全域を君臨する宗教団体(軍事大企業)としてのプライド(自負心)や体面が許さず、とにかく現実社会(自然界)との相違や矛盾を指摘される度にその部分だけを誤魔化したり、直せばいいとの姿勢から、彼らが編み出した言い逃れ術が神学(=Theology、キリスト教を擁護(ようご)し、批判者に対して反論する弁論方法や宣教方法について研究する学問)とキリスト教哲学(=Scholasticism、別名、スコラ哲学。事前に批判や矛盾を指摘されそうな聖書の箇所などを研究する学問。なお、スコラとは英語のSchool(スクール)の語源でラテン語で「学校教育に適した」という意味。)、そして“数式もしくは公式(=Formula(フォーミュラ))”だった。中でも、この数式(公式)は曖昧(あいまい)ゆえに脈絡(みゃくらく)(物事の一貫したつながりや筋道)を誤魔化すにはうってつけだった。何せ、自分が考えて試行錯誤し、結論を出したり、発明しなくても他人が出した答えや完成させた物を測って数字にすればいいだけだし、自分が言葉で説明できない事象も数字や記号にすれば、なぜ、その数字や記号にしたのか?という根拠や理由は聞かれないのだからそれを決めた本人以外、その数式や記号の意味は分からない。例えば、第115話『生命』(注1)の中で話したアインシュタイン(ミレヴァ・マリック)が核爆弾の仕組みとして出したE=MC²も説明がなければ誰にもその意味は分からないし、人間の血統に優劣があるという優生学を提唱したガルトン(エッジワース)が指紋は個人を識別できることを証明する為に使った統計学も人の指紋と統計学の確率論に一体、何の関係があるのか誰も知らない。それほど数字や記号というのは曖昧でいい加減なものでしかないのだが、人は自分の知らない事や数字、記号などを早口でまくしたてられたり、強く断定されると、その雰囲気に押されて相手を正しい、物をよく知っている、頭がいいと錯覚してしまう。相手の言っている事を知らない、分からない自分を恥ずかしく思い、とりあえず同意したり、同調したりもする。それと同じように、最初に白色火薬(石膏)を見つけてきてシトー会(=The Cistercians)という修道会(兵器卸業者)をフランシスコ会より200年ほど前に立ち上げ、カソリック(軍事総合商社)に長年、それを(おろ)してきたロベールとアルヴェリック達も結局のところ、自分達が発明したわけではないため製造過程や貯蔵方法はもちろんのこと、材料の配合もよく分かっておらず、品質を一定に保てなかったことから兵器として役に立たなくなり、その後、火薬の調合に失敗して死んだアッシジのフランチェスコが建てたフランシスコ会に所属するイギリス出身の修道士のロジャー・ベーコンがモンゴル帝国から輸入してきた黒色火薬を自分で(はか)ったのか、硝石7:硫黄5:木炭5(実際は硝石7.5:硫黄1:木炭1.5)として自分の著書である『Opus Majus(邦題にすると『偉大なる研究報告』、1267年発刊)の中に載せたため、なぜか今では彼がヨーロッパで初めて黒色火薬を“発明した”ということになっていて、その理由がこの組成式(そせいしき)(配合割合)を書いていたからだそうである。しかも、このベーコンは火薬の組成式の他にも飛行機や蒸気船、望遠鏡などの工学製品やカレンダーや天体の大きさ、日食といった天文学、水車や蒸気船に関連する水力学、数学、言語学、医学や解剖学まで幅広く自著の中で触れており、そうした“自然科学”の知識と相反(あいはん)する魔法やら霊力といったオカルト(反自然)思想も一緒に書かれているのだから、明らかにインダス文明の頃の科学知識や技術について研究する西域や中東のイスラム教本から仕入れてそのまま盗用したのだろうが、親会社のカソリック(軍事総合商社)もまた、中東で作られた聖書を盗用して神(愛や善、正義)の教えし人の掟に逆らい、それを(けが)し、侮辱し、神の教えを守ってきた人々の生命や尊厳を踏みにじってきたのだから、まさしく盗用こそカソリックまたはキリスト教という宗教の、ひいてはそこから受け継がれてきた欧米教育の基本的な学究姿勢(知識や技術、他者の考えや意見に対する態度)とも言える。この学究姿勢がこの後、戦争(殺戮行為)による被害に加えてヨーロッパ全域はもちろん、植民地にされたアメリカも含めそこに住む人々を何世紀にも渡って飢餓や凶作の地獄へと突き落とすことになるのだが、その話は後ほど語るとして、ともかく長々と説明したが、これがカソリック(キリスト教伝統派)とその下部組織のフランシスコ会の概略であり、僧服(制服)の話のついでに付け加えておくと、キリスト教において、特にカソリックの女性信者達は教会では白いベールか帽子を(かぶ)ることが決まりになっているのだが、これもAD1世紀にナザレのイエスの偽弟子であるパウロが信徒に向けて「男は帽子のような頭を覆い隠す物を(かぶ)ってはならない。なぜなら、男は(戦闘での)神の姿と(戦いに勝利して)その栄光を示す肉体なのだから。一方、女は男の栄光(戦闘(暴力)で勝ち得た戦利品)を示す肉体である。アダムイブの肉体をもらって生まれたわけではなく、イブの方がアダムの肉体の一部をもらって生まれてきているのだ。だから、アダムイブの為に創られたのではなく、イブアダムの為に創られたのである。それゆえ、女は神の使いであるアダム達を(おそ)れ敬い、その頭を(おお)わなければならない。」(コリントへの第一の手紙10章7-10節参照)と言ったからで、キリスト教の基本教本である新約聖書にも書かれてあるのに、ローマ教皇(社長)を始めその幹部の司祭達がなぜ、自分達の組織(会社)が決めた決まりさえ守っていないのかはさておき、これ以降、女性信者は教会では白いベールか帽子を(かぶ)るようになったのだが、さらに(さかのぼ)ればこの戒律の始まりはキリスト教ではなく、アッシリア帝国時代の法律にあり、アッシリアでは既婚女性と身分の高い女性は必ず頭を覆う(かぶ)り物をする規則になっていて、逆に売春婦と奴隷女はベールをかぶっていると棒叩きにされたり、熱した石油をかけられる。また、これを通報しなかった人も一緒に拷問を受けさせられるため当然、誰もが怖がって身分の上下を徹底し、売春婦と奴隷女以外の女達は皆、ベールや帽子をかぶるようになった。これも軍事大国であり、ゾロアスター(暴力礼賛)教を信仰するアッシリア帝国ならではの悪法で、兵器開発の為に拷問して死体を増やし、解剖や人体実験ができるよういろいろ難癖をつけては社会的弱者を不当に逮捕拘束して拷問していたのだろうが、ゾロアスター(暴力礼賛)教が世代を超えて受け継がれていくうち、この悪法も一緒に伝えられていき、キリスト教(ゾロアスター教欧米版)もこの悪法(悪習)に従って宣教師であるパウロが説教したようだった。もちろん、今でも巷で見かけるイスラム教徒の女性達がヒジャブと呼ばれるベールをするのもイスラム教が始まりではなくてゾロアスター教が起源であり、イスラム教徒でなくてもイギリスのエリザベス女王を始め日本の美智子妃など王族(皇族)や貴族の称号を持つ女性達が“現代になってもまだ”公の場で必ず帽子をかぶっているのも、結婚式で花嫁が白いベールをかぶるのもゾロアスター(暴力礼賛)教の風習(文化)であり、イスラム教や中東諸国独自の風習もしくは文化ではない。それなのに、なぜかキリスト教を国教とするフランスなどの学校では校則でイスラム教徒の女性達がスカーフやベールで顔や頭を覆うことを禁じているらしく、フランスの高校を卒業したイスラム教徒で移民の女性が卒業資格証明書をもらう為にスカーフをかぶって登校すると学校は校則を理由にして追い返し、証明書が欲しければスカーフを脱ぐよう強要したそうで、欧米諸国が自分達の軍事企業の利益の為に行っているテロ戦争(人殺し)活動で自国の家や仕事を破壊されてやむなく戦火を逃れて移民となり、欧米諸国で就職して生活する為に必要な学歴証明書をその移民の子供達が取得しようとすると、今度は校則という大義名分を掲げて不当な迫害を行おうとする。これこそ立派な差別だと思うが、そんな差別が「自由、平等、博愛=Liberté, Égalité, Fraternité」を標語(モットー)とし、その標語(モットー)を象徴した国旗を掲げるフランス(キリスト教国)で堂々とまかり通っているのだから、いかにキリスト教やそれを信仰する国家(政府)が偽善であるかはお分かりいただけるかと思うが、もう一言、付け加えさせていただくなら、私的には学校に登校してくる学生さん達がどんな恰好(かっこう)をしようとファッション(装飾)を楽しむのは自由だし、個人の好みもあり、殊更(ことさら)、裸同然の恰好(かっこう)をして痴漢や強姦の犯罪をそそのかすような危険な真似は止めた方がいいとか、容姿で女の魅力や価値を量るような男は女を“物(戦利品)”としか見ておらず逆に男の魅力も価値もないからファッション(装飾)や化粧でそんな男に媚びを売らず恋愛対象から(はず)した方がいいよといったような忠告はするだろうが、画一的な制服や持ち物を学校指定の業者から強制的に買わせるのは独占禁止法に違反していると思うし、人権侵害とも言える。また、校則に違反したからと言って社会(学校)的に弱い立場の学生達につけこみ、定期的に持ち物や服装を検査し、没収し、場合によっては停学や退学といった罰則を与えるぐらいなら、いじめによる暴行や恐喝(きょうかつ)、他人の教科書や体操服などを隠匿(いんとく)するような嫌がらせ行為(学業妨害及び窃盗)、そして何より、教師自身によるのぞきや痴漢、強姦犯罪こそ強く取り締まるべきである。実際、兵庫県西宮市にあるフランシスコ会系の仁川学院(にがわがくいん)に勤める中学校教師が公園などで幼女の下着内に手を入れて痴漢行為を行い、何度か逮捕されており、既に逮捕されながらそんな性犯罪を繰り返す危険人物をなぜ、学校がそれまで懲戒解雇処分にしなかったかも不思議だが、それもそのはずで、上述した通り、キリスト教(ゾロアスター教欧米版)は強姦を戦勝のご褒美(戦利品)として信者(兵士)達に奨励しているため教団を設立したAD1世紀頃から既に性犯罪が横行していたことが新約聖書に記されており(コリントへの第一の手紙5章及び6章参照)、その伝統は未だ続いていて、アメリカだけで2004年時点、1950年から2002年までの52年間で4,392人の司祭達が10,667人もの未成年者に性的虐待を行ってきたとの調査報告が上がっており、その被害はアイルランド、オーストラリア、カナダ、ベルギー、スイス、イギリス、フィリピン、フランス、ドイツ、日本と世界中に及んでいて、それまで被害を訴えられても異動だけで厳格な処分をしてこなかったことが非難されて前教皇が退位させられ、現在のフランシスコ(イエズス会出身のジョルジュ・ベルゴグリオ。第103話『略奪』(注1)参照)がローマ教皇になったのだが、それでも被害は止むことなく、2017年時点でも2千件の訴訟を抱えていたことを(おおやけ)に認めている。しかし、あくまで世論の非難をかわす為に一部を認めただけであり、被害者の多くが既に精神的な苦痛に耐えられず自殺していたり、アルコールや麻薬に溺れて中毒死していたり、キリスト教が国教のような国で個人が告発しても信じてもらえる社会状況にないことから泣き寝入りせざるを得ず、教会に訴えてもうやむやにされることは目に見えているため、カソリック(キリスト教伝統派)を始めキリスト教という宗教団体がこれまで行ってきた虐待(虐殺)の全貌は今も明らかにされていない。)という会派の修道士で、イタリアのMagione(マジョーネ)(第116話『汚水』(注1)その3で話した通り、ギリシャ語のMageia(マゲイア)を語源にラテン語で「大量破壊兵器村」という意味。)と呼ばれる今ではローマから車で2時間半、サッカーファンの方ならご存じかと思うが(脱税で)有名なサッカーチームのペルージャ・カルチョ(旧ACペルージャ)の本拠地であるペルージャから15kmほど西にある自治村で生まれ育ち、村を創設したテンプル騎士団(=the Knights Templar、正式名はThe Poor Fellow-Soldiers of Christ and of the Temple of Solomonで白色火薬の卸業者であるシトー会が十字軍遠征で必要な火薬その他の物資を輸送する際、その警護を担う傭兵の養成を目的に1119年に設立した警備保障子会社である。英語の正式名を訳すと「キリストとソロモン王の神殿の為に集う貧しき同士の傭兵会社」で、社名の中のソロモン王とは第2話『裁判(2)』で話したエルサレム神殿を建てたユダヤの王のことであり、つまり、この名前からしても明らかな通り、傭兵(従業員)のほとんどがユダヤ人だった。キリスト教がヨーロッパを占めるようになると、ユダヤ人達はキリスト教の主神であるナザレのイエスを“殺した”という冤罪で差別され、拷問や強姦、虐殺も当然のようにキリスト教徒達から受けるため仕事はおろか住む場所すらないユダヤ人達はヨーロッパを移民として転々とせざるを得ず、自ずと経済的に貧しくなり、就職口も限られていく彼らをいかにもユダヤ民族の宗教心をくすぐる名前で釣って遠征先の中東で怪しまれずにスパイ活動ができる傭兵にさせる為に口説いていったのがこのテンプル騎士団である。貧民への慈善活動を表看板にして裏では兵器開発を推し進めるシトー会が親会社なのだから子会社のテンプル騎士団ももちろん、現代で言うところの(ブラック)企業であり、その待遇は冷酷かつ非情で、上長の指示命令もしくは戦旗が倒されない限り、最後の一人になるまで戦闘放棄が許されず、入団時に与えられる戦闘服や武器類などは給料から差し引かれる借金(レンタル)である。また、本業はスパイ活動なので結婚や恋愛もできなければ、家族、友人知人などの交流も禁じられており、入団と同時に私信(手紙)なども一切、許されなくなる。むろん、家や土地、貯金なども剥奪(はくだつ)されて、騎士団(会社)に全部、没収される。一般人のように生きる上での喜びや楽しみ、幸福を見つける為に働くのではなく、あくまで死ぬことがテンプル騎士団に入団した者にとって“最大の報酬”と言っても過言ではない。しかしながら、傭兵だけでなく、スパイ活動がしやすいよう一般市民を装う者も少なくなく、その際、彼らが世間に語る肩書というのが(闇)金融業者だった。第69話『共存』のような闇金融業をペトロ達が行ってきたことでローマ帝国時代からユダヤ人達の闇商売はヨーロッパ中に知れ渡っており、キリスト教の活動資金源としても寄付金集め(闇金融業)は欠かせないものだったことからその手腕に長けていたユダヤ人達は中世以降、現代に至るまで欧米白人種(ゲルマン狩猟民族)から重宝されることとなった。前述の全米黒人地位向上協会の創設者達にユダヤ人メンバーが含まれるのもそうした歴史的背景からである。その後、白色火薬の品質が劣化するに伴い、中国や西域から黒色火薬や生物(細菌)兵器といった彼らにとっては新兵器を手に入れたイスラム教国の反撃を受けて敗北や窮地に立たされるようになり、また、兵器開発競争に(おく)れを取った親会社のシトー会が衰退したことでイタリアの地中海湾岸沿いで武器や奴隷の海上貿易を行っていたアマルフィ共和国の商工会議所が結成した聖ヨハネ騎士団(=the Knights Hospitaller、正式名はThe Order of Knights of the Hospital of Saint John of Jerusalemで、現在の日本語による正式名称は「エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会」である。軍事“病院”(=Hospital)との名前はついているものの、第116話『汚水』(注1)その1で説明した19世紀のイギリスの病院と同じく、怪我人や病人の治療、貧民の救済を目的としているのではなく、ヨーロッパと中東との交易途上に中継基地を置き、そこに水や食料はもちろん、武器その他の兵士達が使う生活用品の他、奴隷や人体実験用の死体などありとあらゆる人や物をかき集めて各要塞に配給するため、1023年にエルサレムを当時、占領していたイスラム教国であるファーティマ朝(の法律)の裏をかいてビマリスタン(=Bimārestān、兵器の研究開発用に人体実験や拷問などを行うイスラム教国の精神病院のこと。第115話『生命』(注1)参照)として“養護施設”(=Hospice(ホスピス))を建てたことに始まるカソリック(キリスト教伝統派)系の騎士団(警備子会社)である。その後、この表看板は養護施設、もしくはエルサレムへの巡礼者の保護支援施設、実際は中継基地により第一回目の十字軍遠征が成功し、エルサレム王国(=The Kingdom of Jerusalem)が樹立できたことからローマ教皇から認可されることとなり、1113年、正式にカソリック(キリスト教伝統派)の関連警備会社となった。エルサレムの他にロードス、マルタと別の地名が付いているのはその運営実態が要塞と敵に気づかれて破壊される度にその拠点を変えてきたからである。元々、ギリシャのロードス島は紀元前から交易拠点に数えられ、古代ギリシャ時代には既に要塞都市として機能しており、島全体が軍事基地になっていて、それはイタリア南部にあるイギリス連邦国(第116話『汚水』(注1)その1参照)のマルタ島も同じなのだが、ロードスもマルタも島民それぞれの顔に「私の本職は人を殺傷する傭兵です。」などと書いている訳がないためどの人も人畜無害な一般市民に見えるかもしれないが、それは日本でヤクザの総会にでも出てきて名乗らない限り、誰がヤクザ(マフィア)で、誰が一般市民かがほぼ分からないのと同じく、21世紀の今もなお、マルタ島で存続している聖ヨハネ騎士団は中世の頃と全く変わらず、その点ではイギリスのフリーメイソンと似たような組織である。ただし、フリーメイソンと違う点を挙げれば聖ヨハネ騎士団はイタリアのバチカン市国と多少、似ていて、マルタ島という一つの国家(共同社会)にありながら領土はなくても独自の憲法を持った全く別の国家(自治社会)であり、言うなれば江戸時代の出島や外国人居留地のような治外法権組織になっていて、賄賂(わいろ)を贈ればよその国では絶対に許されないような偽造パスポートや偽造通貨、資金洗浄、犯罪者の庇護(ひご)など何でも引き受けてくれる。だから、マルタ島自体の通貨はユーロなのになぜか聖ヨハネ騎士団内ではマルタ・スクードという独自の通貨があり、人口(騎士数)が13,500人、医療などの慈善活動以外に産業らしい産業もなく、国土もない島の一組織が固定相場制の為替レートで1スクードが0.24ユーロだそうで、2021年時点、日本の円が0.01ユーロ、中国の元が0.13ユーロなのだから日本や中国よりも聖ヨハネ騎士団の通貨は価値が高いことになり、一般人がほとんど知らないマルタ・スクードに換金してしまえばどんな裏金でもお金の出所は分からなくなり、次に別の外貨に換えれば固定相場制なので為替差益も手にできる。また、通貨以外に切手も独自に発行しているため麻薬や人身売買、武器密輸、テロ組織の資金調達も切手交換によって会計監査をすり抜けてすんなり行える。そして、大した医療知識や技術を持っている訳でもないヨーロッパの片隅の島の中にある一養護施設団体が赤十字国際委員会(第107話『革命(2)』(注2)その1参照)や国連の専門機関、国連加盟国110ヶ国及びEU(欧州連合。第115話『生命』(注1)参照)と医療活動を大義名分に(うた)った外交関係にあり、その国々に在外公館まで設置しているのでそこで独自のパスポートや査証(ビザ)(身元証明書)を発給すれば、どんな凶悪犯罪者だろうとテロリストだろうと犯罪歴が抹消されてどこの国にでも逃亡できるようになる。その上、在外公館は「外交関係に関するウィーン条約」等の国際法で自国の領土内であっても警察(刑罰)権が行使できない事実上の治外法権区域となっているためどんな凶悪犯罪者でも亡命申請を理由に逃げ込めばほとんどの国の警察は逮捕も捜査もできなくなる。そのため、2010年に起きた2件の連続強姦事件の容疑によりスウェーデン警察から逮捕状が出されたウィキリークス(=Wikileaks、軍事機密や汚職に関連する匿名の情報をインターネットで報道する国際的な“非営利”団体)の創設者であるジュリアン・アサンジ氏がイギリスのロンドンにあるエクアドル大使館に駆け込んだのも、そこから車で20分ほど行った所には聖ヨハネ騎士団が運営する修道院施設(the Grand Priory of ENGLAND of the Order of MALTA)があり、国家として国際的に認められている聖ヨハネ騎士団は派遣された騎士が身一つで在外公館の役割も(にな)えるため、エクアドル大使館に出向いてさらにアサンジ氏をかくまってしまえばイギリスの法律はもちろんのこと、エクアドルの法律をもすり抜けてあらゆる国の警察(司法)から逃げられることになる。その結果、連続強姦事件は2019年に時効を迎え、捜査は打ち切りとなった。その見返りと言っては何だが、2016年に起きた不正アクセスによるパナマ文書の流出事件(第113話『内部者』(注1)参照)はハッカー(=Hacker、他人のパソコンや携帯電話などを不正操作して保存されているデータや情報を盗む“泥棒”のこと。)として20歳の頃から母国のオーストラリア警察でも悪名高く、そのハッキング(情報窃盗術)の腕を買われてウィキリークスを立ち上げるまでになったアサンジ氏が深く関わっているものと見られ、当時、EU(欧州連合)を離脱するか否かで()めていたイギリス政府(王室)が離脱反対派のキャメロン首相をスキャンダル(弱味)でもって退陣させたがっていたため(これもまさしく第113話『内部者』(注1)で話したパナマ運河疑獄事件を彷彿(ほうふつ)とさせるが)何人かをスケープゴートにして偶然の発覚を装い、世論を操作するよう依頼を受けたマルタ島の聖ヨハネ騎士団が電信(パソコン通信)での国の識別番号がないことをいいことにアサンジ氏にパナマにある法律事務所のモサック・フォンセカに不正アクセスする仕事を請け負わせ、その後、イギリスのキャメロン首相を含め世界中の特権階級が犯してきた脱税の証拠書類が流出すると今度は聖ヨハネ騎士団に所属するジャーナリストのダフネ・ガリチアを始めとした世界中のマスコミが非難の声を上げてキャメロン首相を追い落とした。そして、これ以上、世論が真相を追求しないよう殉教(犠牲死)が最大のご褒美だと教えるキリスト教の習わしにより傭兵であるダフネ・ガリチアがあえなく殺され、それに恐怖を覚えた世論は次第に口を閉ざすようになったというのが真相と思われる。だから、このガリチアの暗殺事件とパナマ文書の真相に対する情報提供を求めてアサンジ氏が2万ユーロ(日本円で約265万円)、マルタ共和国(政府)が100万ユーロ(日本円で約1億円)の報酬を世界に向けて宣伝するのも真相を隠す為の見え透いた芝居なんだろうが、しかし、そんな一時の高額な報酬に目をくらまされて既に世界中に流出している富裕層の脱税の記録をうやむやにしてしまった世論(大衆)の方もおかしなもので、日本でも270以上もの多数の大手企業(の役員達とその家族)が長年、不正に脱税してきたことが発覚しており、生活保護受給者を餓死させてでもおにぎり1個、買う生活保護費(税金)をケチり、年金(税金)も減額させ、自分で働いて支払ってきた雇用保険(税金)の失業手当さえ失業期間中に副業(アルバイト)するとすぐに取り上げ、破産しようと「納税は義務だ」と言って生活費を差し押さえてでも納税を強要し、倒産しそうになった大企業は公的資金(税金)を導入してでもその正社員の給与は保障しようとするのに対し、それ以外の派遣社員やパート、アルバイト、中小零細企業や個人商店の従業員達は給与の保障もなければ免税されるわけでもなく相変わらず納税をねだられるのに、富裕層だけは巨額な脱税を何十年と許してきたというのだからそれに全く怒りを覚えないのもどうかと思うが、ともかくこれが1023年から21世紀まで続いてきた聖ヨハネ騎士団の実体である。)のような兵站(へいたん)(軍需物資輸送)活動に融通が利く騎士団(警備子会社)や、ドイツ騎士団(=the Teutonic Order、正式名はThe Order of Brothers of the German House of Saint Mary in Jerusalemで、日本語での正式名称も「ドイツ人の聖母マリア騎士修道会」となっているが、実際はバルト海やユトランド半島に近いドイツ北部の商工会議所が中心となって結成した騎士団というだけでドイツ人にはあまり関係がなく、一般的に呼ばれるチュートン騎士団が正しい名称である。と言うのも、この騎士団に所属する騎士(傭兵)の多くが紀元前にチュートン人と呼ばれていた、ヨーロッパ南部の、イタリアと黒海のちょうど真ん中辺り、時計回りにハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、北マケドニア、コソボ、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアといった国々に取り囲まれた、現在、日本人にはあまり聞き慣れないだろうセルビア(=Serbia、スラブ祖語で「乳兄弟、または食を作って分け合うことで家族になる国」の意味。)という国名にしている人達だったからである。では、このチュートンとはどういう意味かと言うと、チューが現代英語でChew(チュウ)「噛む」やTune(チューン)「音、メロディー」、トンが同じく現代英語でTorch(トーチ)松明(たいまつ)」やTone(トーン)「トーン、調子」といった言葉が残されている通り、チューとトンの二語でスコットランドの伝統的な楽器としてよく知られるバグパイプ(=Bagpipe、吐いた息やフイゴで袋を膨らまし、その袋につけた管から空気が抜ける時の音でもって演奏する楽器のこと。)を指しており、元々、バグパイプはスコットランド人(アングロ・サクソンまたはゲルマン狩猟民族。第115話『生命』(注1)参照)によって創られた楽器ではなく、チュートン(セルビア)人達が焼き畑農業や冶金(やきん)(製鋼&精錬)の為に使っていた小型の火炎装置、いわゆるバーナー(=Burner、Blowtorch(ブロウトーチ))だった。それがどうして今ではスコットランドの伝統楽器に思われるようになったのかと言うと、チュートン人達とスコットランド人の祖先となるアングロ・サクソン民族の出身地が同じ北欧だったからで、現代英語で森林を焼いて畑にすることをSwidden(スウィドン)と呼ぶように、北欧のスウェーデン(=Sweden)とは「焼き畑農業をする国」という意味から名づけられたものである。つまり、チュートン人もアングロ・サクソン民族(またはゲルマン狩猟民族)も同じヨーロッパ北部に住んでいた民族と言おうか、部族と言うべきか、とにかくお隣さん同士だったのだが、同じ土地に住みながらそれでも名前を分けて呼び合うのは、本来、お互い親や先祖から受け継いだ仕事(産業)、職業の内容がそれぞれ違ったからだった。だから、チュートン人はバーナー(小型火炎装置)のような金属製品を造る工業に(たずさ)わる人達で、対してアングロ・サクソン民族(=the Anglo-Saxons)はゲルマン(=German)が古代英語で「原生林の中で生活する人達」という意味なので、森林で狩猟をしていた人達であり、狩猟でもアングル人(=the Angles)は虫や鳥を追って甘露(かんろ)(第116話『汚水』(注1)その3参照)を採ったり、小動物を中心に狩猟をする人達、サクソン人(=the Saxons)はライオンや熊、トラなどの大きな獲物を(ねら)って狩る人達と、現代で例えるなら一つの地域内にある会社や商店で働く人達を家族や親戚でも何でもなく、血の繋がりはなくても「魚屋さん」、「肉屋さん」、「電気屋さん」とそれぞれ職業毎に分けてから同じ職業を営む人達を一まとめにしてその職名で呼ぶようなもので、すなわち、アングロ・サクソン民族とはAngles(アングル人、甘露専門狩猟家)+O+Saxons(サクソン人、食肉専門狩猟家)=Germans(ゲルマン狩猟民族、原生林の中で狩猟をして生活している人達)となる。ただし、職名は時代や言語の流行によって、例えば、日本で一昔前は「ハウスマヌカン」と呼んでいた職業が「アパレル店員」というように呼び方が変わったり、別々の職種が合わさって全く違う名前にされることもあるため、アングロ・サクソン民族とは紀元後の呼び方であり、紀元前では彼らを“アンブロン人”(=the Ambrones、甘露屋。ギリシャ神話ではアンブロシアという食料や飲み物を司る女神または精霊として語られているが、単に甘い食べ物や飲み物を作って売っていた女性達のことで、19世紀からはアメリカ人達が発明したと言われる缶詰のみかんやチェリー、パイナップル、マシュマロ、ココナッツミルクにホイップクリームか、またはマヨネーズを混ぜ合わせた甘いフルーツ・サラダのことをアンブロシアと呼ぶようになっている。)、“セムノン人”(=the Semnones、占い師。オーストロアジア祖語(インダス文明の頃に使われていた言語)でSem「鳥」、古代英語でSem「半分」、古北欧語やドイツ語でNonne「尼僧、女呪術師」、さらにアングロ・ノルマン語(古代英語)でNones「夜9時または数字の9」といった意味を合わせて「夜9時からカラスなどの鳥を半分に切ってそれで占いや呪術を行う女呪術師または魔女」となり、第116話『汚水』(注1)その1で話したイギリスの古い民話である『祝福王ブラン』(=Brân the Blessed)または『祝福される渡り(ガラス)』のタイトルがなぜ、渡り(ガラス)なのか、また、現代のイギリスの幻想(ファンタジー)小説『ハリー・ポッター』(1997年発刊)の中で描かれる魔法学校の寮の名前がどうしてレイブンクロー(=Ravenclaw、大型カラスのカギ爪。ちなみにRaven(レイブン)は大型カラス、Crow(クロー)は小型のカラス、Claw(クロー)はカギ爪)なのかは大体、お分かりいただけたかと思うが、要するに、このセムノン人が現代のイギリス人=グレートブリテン及び北アイルランド連合王国を祖国とする人達の先祖だからで、もっと言うと、キリスト教の教会暦で一日の終わりと始まりの儀式が午後9時からということや、9日間、祈り続けるNovena(ノベナ)という祈祷儀式も元はセムノン人達の儀式だったからである。)、“キンブリ人”(=the Cimbri、Cim(キム)は元は古代英語のCyne(キーン)で今では「王」を意味するとされているが、実際はCyne(キーン)Kyne(カイン)Syne(シン)とも書き、旧約聖書において神から与えられた人の掟にあえて逆らい、今のところ、人類初(?)の殺人犯とされているカイン(第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)のことで、イギリスのロンドンから北上し、ケンブリッジを通って約2時間ちょい、第114話『細胞』(注2)で話したダーウィンの『種の起源』の真の作者であるハリエット・マーティノーの出身地ノリッジからは車で約20分の所にあるノーフォーク州Kimberley(キンバリー)という地名が今も残されている通り、Kyne(キン)「カイン」、Burh(バー)「森、(とりで)」、lēah(リー)「焼き払う」という言葉から来ており、後者だけなら一見、焼き畑農を行う農民と思われがちだが、最初にカインの文字があることから実際は「(とりで)を焼き払う人殺し達」が本当の意味であり、キンブリ人とは単なる人殺しを指していて、つまり、イギリス人はこのカイン(殺人犯)の子孫ということになる。なお、英米人達のこのルーツ(始祖)に気づき、その英米人達に操られるがまま明治政府(現、皇室及び自民党政権)を樹立して一般国民に重税を課しながらその納税している一般国民を生物(細菌)兵器などで虐殺し、しかもその罪をさらに一般国民に(なす)り付けるという明治政府(現、皇室及び自民党政権)の非道極まりない政治の有様(ありさま)を描いたのが、学習院卒のキリスト教徒でハーバード大学に留学経験も持つ小説家の有島武郎(ありしまたけお)が書いた『カインの末裔(まつえい)』(1917年発刊)で、この中で貧しい小作人(農奴)の主人公が明治政府に課せられた地租改正(ちそかいせい)(第107話『革命(2)』(注2)その3参照)により生活を追い詰められながらその貧しさと何より教育の機会が与えられず粗暴な性格に育ったがゆえに地域の人々から不当に差別され、さらに罪もない自分の赤ん坊まで“天理教(てんりきょう)”(第107話『革命(2)』(注2)その3で話した江戸後期に起こった飢饉や火山噴火、欧米からの開国を迫る攻撃など倒幕を促す動きが活発になり、1833年~1839年の6年に渡って続いた天保(てんぽう)大飢饉(だいききん)により貧窮した庶民をさらに(あお)ろうと大阪の与力(よりき)(現代で例えれば、警部)である大塩平八郎(おおしおへいはちろう)大倭(だいわ)朝廷の密命を受けて300名の手勢でもって豪商達の屋敷を大砲や火矢(ひや)で襲った大塩平八郎の乱に続く翌年の1838年、同じく大倭朝廷の密命を受けた大和国山辺郡(やまべぐん)庄屋敷村(しょやしきむら)(現、奈良県天理市三島(みしま)町)の庄屋(しょうや)(現代で例えれば、村長)の妻だった中山みきが神が憑依(ひょうい)したとする心霊現象を披露して倒幕の為の軍資金を大衆から募ることと、大和水銀鉱山(現、奈良県宇陀(うだ)菟田野(うたの))からほど近い盆地で火薬その他の兵器開発実験を江戸幕府に隠れて推し進められるようにとの目的から創設されたオカルト(反自然、反神主義)宗教である。だから、天理教で唱えられる「ぢば」とは“磁場”(電気や磁力が働く場所)、つまり、前述した地脈(断層)のことであり、探し出した磁場に「甘露台」と呼ばれる六角形の境界杭を建てているのも方位盤として使っているからで、方位を表すのに八角形ではなく六角形にしているのは島根県や京都府亀岡市にある出雲大社の神紋(しんもん)として知られる亀甲紋(きっこうもん)を象徴にしているからである。また、六角形は別名“籠目(かごめ)”、“菊籠目(きくかごめ)”とも呼ばれ、竹筒や竹炭を使って焼き畑農業を行う蛇または火を吹く龍を意味し、菊の文字があるように軍需産業でもって大衆や国家を支配したがる皇室を指している。だから、鬼ごっこをする時に歌う『かごめかごめ』とは、「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が()べった 後ろの正面だあれ?」という歌詞だが、鳥は八咫烏(やたがらす)(天皇)のことで、「いつ、倒幕するのか?」との皇軍のスパイ同士が好んで使っていた暗号または軍歌である。その『かごめかごめ』の歌と共に大衆からお供え(軍資金)を巻き上げ、採掘した水銀で火薬を生産して幕府と戦い、明治政府(現、皇室及び自民党政権)を発足させると今度は核兵器などの電磁力を利用する兵器開発に取り組むようになった。そのため、爆破実験時の爆音をごまかす為の祈祷音楽による騒音や心霊医療を装った人体実験などで地域住民から苦情が相次ぐようになり、一般国民の手前、法的な取り締まりをせざるを得なくなったことから教祖の中山を逮捕してみたり、京都の吉田神道(よしだしんどう)(室町時代に成立した大倭朝廷による神道の一派)からお墨付き(宗教認可)をもらうなど、いろいろ大衆の不信感や疑念を払拭(ふっしょく)して国家(政府)とは全く関係ない政教分離(政治組織と宗教団体との癒着がない状態)を(よそお)うとしたが、結局、115歳寿命説を唱えていた当の教祖がその歳よりも早い90歳で永眠したことからも分かる通り、霊感商法ならではの(インチキ)臭さを払拭できず世間の非難も絶えなかったことから1888年(明治21年)に国家(政府)公認の宗教法人として認可を下ろし、教団の周辺も自分達の信者だけが居住できるよう地上げなどを行って地域住民を次々と脅して追い出し、カソリック(キリスト教伝統派)のように逆に政教癒着をあからさまにするようになった。こうして、電磁力を利用した兵器開発の為に1970年からは文房具のシャープペンシルから電子計算機(パソコンの前身)に至るあらゆる軍需品を開発してきたシャープ株式会社(1912年(大正元年)に金属加工を営む早川徳次(はやかわとくじ)が東京で設立した電機メーカー。2016年に発覚した経営破綻により台湾に本拠を置く鴻海(ホンハイ)精密工業に買い取られた。2021年時点、従業員数50,478名、総売上高約2兆4,300億円。)の開発研究所を近隣に迎え、昭和29年(1954年)の自衛隊の発足と同時期に地域を天理市と改め、全国での信者数が約100万~200万人、天理市の人口約6万人に対してその4分の1を住民信者が占め、市への納税はもとより天理教を通じて寄付金(裏金洗浄金)まで送られているのに今なお、政教分離をしていると言い張り続けている宗教団体でもある。)の信者である地主に赤痢(せきり)(貧民層の子供は生まれるべきではないと考える優生思想の持ち主だった志賀潔(しがきよし)によって開発された生物(細菌)兵器。第102話『腐敗』(注3)参照)を盛られて殺され、さらに主人公とSMセックス(加虐(サド)被虐(マゾ)性愛(セックス))を楽しんでいたその地主の娘が雇い主である農場主に強姦される事件が起きてもそれもやはり主人公のせいにされてしまい、ついには唯一、持っていた家畜の馬も巧妙に仕掛けられた罠によって傷つけられて生活できなくなり、小作人を解雇させられるという現代の職場いじめやパワハラを彷彿とさせる内容で、実際、作者の有島武郎も結核菌(第102話『腐敗』(注3)参照)で自身の最愛の妻を殺されており、その非難を明治政府(現、皇室及び自民党政権)に込めて書いたのがこの『カイン(人殺し)の末裔』で、後にその創作活動がますます国家(政府)への批判に傾いたことから目障りとの理由で愛人との心中に見せかけて暗殺されている。それゆえ、現代英語のKill(キル)「殺す」は、正しく書くとKyne(カイン) lēah(リア)「カインは(アベルを焼き)殺した」を短く縮めて作った造語で、イギリスのグレートブリテン島とアイルランド島の間にあるアイリッシュ海に浮かぶ島で話されるマン島語ではlēah(リア)は「法、掟」という意味にもなるため神の法=良心に逆らい、勝手な悪意を自分の心の中で正義(神)に置き換え、さらにその悪法に従って自身を善(神)、相手を悪と見て裁き、私罰を下して人を(あや)めたカインの殺人事件からKyne lēah→Killとは「カイン(悪魔)の法」とも解釈できる。また、キリスト教のChristも正しくはKyne(カイン) Rist(リスト)と書き、Ristは北欧の言葉で「十字架」なので、キリスト教は「カイン(人殺し)の十字架教」が本当の意味になる。なお、クリスマスの綴り(スペル)がなぜ、ChristmasとX'masになるのかというと、英語でK、C、日本語では「か、き、く、け、こ」と発音する文字をギリシャ語ではCh、Xで表現するため、聖書をギリシャ語に翻訳した際、その綴り(スペル)が混ざったからで、MasはMass「ミサ、集会」という意味である。)といろいろな呼び方をしていたのだが、チュートン人が紀元前でも紀元後でも(ただし、移住した先の言葉でたまに変えられることはあったが)その呼び名が変わらなかったのに対し、アングロ・サクソン民族はアンブロン人だとか、セムノン人、キンブリ人、時にはゲルマンだけでなく“ケルト民族”(=the Celts、インド・ヨーロッパ祖語で「打つ、叩く、追い出す」の意味から「他人の家や田畑を暴力で襲って追い出し、乗っ取る者」)とか、もっと(さかのぼ)ればトロイア戦争でどさくさにまぎれてギリシャやトルコの土地を占領しに来た“ドリア人”(=the Dorian、古代ギリシャ語で「海の精霊ドリアと牛の角のような触角を持ち、ナメクジみたいな体をした海の動物、ウミウシ(学術用語でDoris(ドリス))を信仰する者」という意味。第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)、あるいは第83話『歴史の始まり』で話した“サムソン”の子孫とか、海の民と呼ばれて地中海沿岸を牛耳り、ユダヤ人達を支配して自分達に反抗的なサムソンを殺そうと陰謀を企て、女スパイのデリラを派遣した“フィリスタイン人”(=The Philistines、古代ギリシャ語でphílos「愛する」、スラブ祖語でlistiz「策略」、インド・ヨーロッパ祖語でtindaz「火を吹く鹿またはトナカイの枝角(えだづの)」といった言葉を併せてPhil(フィリ)-List(リスト)-Tine(タイン)、つまり、「トナカイの枝角を使って焼き畑農を営む一方、計略を好んでやたらと戦争(人殺し)をしたがる者」という意味。)と、それこそ何が何だか分からなくなるぐらい呼び名がコロコロと変えられるのだが、現代の日本人に一番、分かりやすそうな呼び名と言えば長髪に角のヘルメットを(かぶ)った姿でよく知られる“バイキング族”(第103話『略奪』(注3)参照)で、つまり、北欧のバイキング族もアングロ・サクソン民族でもあるのだが、なぜ、これほどまでに呼び名が変えられるのかというと、はっきり言って何を(職業に)している人達なのかが分からないからである。要は、真面目に働く気がない人達で、定職を嫌い、金や食糧に困ると周囲を暴力で襲って強奪することを生業(なりわい)にしていた人達だった。そのため、青銅器時代から彼らの海賊行為や強盗、強姦、虐殺行為を取り締まるため周辺諸国の警備や警護が強化され、それが軍隊を常備させることとなり、戦争(人殺し)も拡大するようになっていった。だから、無法者という言葉がぴったりくるのがこのアングロ・サクソン民族で、法律があっても「一人を殺せば殺人罪だが、多くを殺す戦争(殺人)は正義になる」などという功利主義を説いたイギリスの法哲学者のジェレミー・ベンサム、一人の王様(人間)の勝手都合で納税額が人によって変えられる権利の請願という法律を作ったイギリスの国会議員であるジョン・ハムデン(第116話『汚水』(注1)その1参照)など、これまで散々、説明してきた通り、正しい法の効力を無効にする詭弁(きべん)(嘘)を唱え続けるのがこのアングロ・サクソン民族の悪癖と言おうか、悪習と言うべきものなのだが、とにかくチュートン人達(金属製造業者)と一緒に住んでいた時も彼らの迷惑行為は何世紀前に(さかのぼ)ろうともちっとも変わらなかった。それでも、当初はいかにも誠実そうな振りをしてチュートン人達に近づき、狩猟だけでは食べていけないので冶金(やきん)(精錬&製鋼)の知識や技術を学んで定職に就きたいと真面目な言葉を口にするため、時が変われば人の考え方や態度も自ずと変わるかもしれないという甘い期待や自分の仕事を褒めてもらえた時のうれしさ、そして何より友好を示す相手への礼儀や人情からつい、気を許して教えてしまう。しかし、そんな殊勝(しゅしょう)な態度も最初だけで、彼らはすぐに本性を現してきて白色火薬の製法をロジー族からかすめ取ったカソリック(キリスト教伝統派)の修道士のロベールとアルヴェリックのようにやってはいけないと教えた危険行為や注意事項を悪用しだし、次にそれを武器にしてチュートン人達の集落を襲うようになった。しかも、チュートン人だけでなく、お互いの産業を併せて協力し合い、一緒に住んでいたアンブロン人達(食糧生産及び食品加工業者)の集落にも彼らアングロ・サクソン民族の先祖であるセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達が多数、(まぎ)れ込み、いつの間にか娘達と恋愛して結婚し、彼らの孫も生まれていくため、そうそう無下(むげ)に彼らを突き放すことも難しくなっていった。そうして、いつしか彼らは一緒に村落(共同社会)を構えていくようになったのだが、仲良く暮らせるのも最初だけで、彼らの過ちや間違いを注意したり、諫言(かんげん)した人への口答えや逆恨みはもちろん、場合によっては気分や感情に任せてしつこく嫌がらせしてきたり、暴力を振るってくることも多くなった。そうなると、村落(共同社会)の秩序と平和は乱れることになる。そうは言っても、長年、自分達がコツコツと築き上げてきた故郷をすぐさま捨てて出ていく人などいるはずもなく、セムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の横柄で乱暴な態度に辟易(へきえき)しながらチュートン人やアンブロン人達はできるだけ彼らと離れて暮らすようになった。ところが、そうやって離れて暮らしても、セムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達は元々、真面目に働こうとする人達ではなかったため自ずと仕事に失敗する。そうすると、彼らと離れて暮らしているチュートン人やアンブロン人達の暮らしぶりが気になるのか、時々、様子をうかがっては彼らの食糧事情や豊かで平和な暮らし向きがセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達を苛立たせることとなった。要は嫉妬である。彼らの始祖のカインもそうだったが(第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)、弟アベルの才能に嫉妬し、彼の豊かな生活をうらやみ、とうとう彼を殺してしまった。そのカインと全く同じようにセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達もチュートン人やアンブロン人達をちょっとした感情の行き違いや誤解などで怒り、嫉妬し、殺していった。そしてとうとう、セムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達はチュートン人達から教わった冶金(やきん)(製鋼&精錬)から兵器を作るようになり、それを使ってチュートン人やアンブロン人達の食糧や田畑などの土地、財産を奪うようにもなった。そうして内戦状態になったことで住んでいた土地がどんどん破壊されていき、田畑も荒れて地盤沈下も起こり、家屋なども倒壊して暮らしていけなくなり、平和な暮らしを求めるチュートン人やアンブロン人達は生まれ育った土地を捨てて移住するしかなくなった。こうして、モーゼ達、ヘブライ民族(古代ユダヤ人)がエジプトから亡命していった時と同じように彼らもまた、安住の地を求めてさ迷うこととなり、北欧から次第に南下していくようになった。ところが、彼らがそうやって南下して移住していっても自分達の知恵や技能で生きる術を学んでこなかったセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達は飢えに耐えかね、アメリカ大陸で原住民のポウハタン族から食糧を奪おうと追い回していたイギリス人達(第116話『汚水』(注1)その1参照)と同じようにチュートン人やアンブロン人達をしつこく追ってくる。そのため、あちこち親戚を頼って南下していったチュートン人とアンブロン人達は次第に共和制末期のローマの領土に近づくこととなった。だが、それは彼らを待ち受ける罠でもあった。なぜなら、彼らが移民となって南下し、ローマの役人達と接触するのを見越したセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達は先にローマの役人達に根回しし、チュートン人(金属加工業者)やアンブロン人(食糧生産者)達の知識や技能は金になり、彼らを奴隷にするには打ってつけだと触れ込んで彼らをローマの軍事力(暴力)でもって制圧する戦争(人殺し)を持ちかけたからだった。ちょうどその頃のローマは建国当初のトロイア戦争での教訓(第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)から「武装解除と未来永劫の平和維持」を掲げてヤヌス神殿(=The Temple of Janus、BC7世紀頃の二代目ローマ国王だったヌマ・ポンピリヌスがローマの憲法を収める為に建設した神殿(今でいう官庁)で、ヤヌス神とはラテン語でJam「今、これから先」とNus「過去の教訓、名残、子孫の私達」という二語を併せ、「過去の戦争への教訓を胸に二度と戦争(人殺し)しない国を創ろう」とのローマ憲法の理念を象徴し、その理念がローマ市民に分かりやすく広く浸透するよう後ろを向いた顔と前を向いた顔の二面を合わせたヤヌス神というシンボル像を創作した。そして、この平和憲法と諸外国との約束や信頼を固く守るという意味でこのヤヌス神殿の扉を固く閉じ、この扉が開いていれば逆にローマ憲法の約束は破られて戦争(人殺し)が続いていることを意味した。)を建設し、ローマを世界に名の知られる大国に押し上げたヌマ・ポンピリヌスの意思を踏みにじるかのような腐敗しきった世の中に変わっていて、ヤラセの傭兵やテロリストを雇って各地で暴れさせ、それを鎮圧するとの大義名分で戦争(人殺し)を仕掛けて占領し、その地域の非暴力な住民達を次々と奴隷にして大規模農場(ラティフンディア)で強制労働させていた。そんな最中にチュートン人とアンブロン人達は彼らの占領土内に飛び込んできたのだからローマの元老院(国会)を牛耳る政治家やその取り巻きの富裕層にとっても美味しい獲物と思われるのは必定だった。だが、そうとはまだ気づいていないチュートン人とアンブロン人達は彼らの親戚が住んでいた現在のオーストリア、第78話『マリアの献身(1)』でマリアがイエスの足にかけたナルドの香油やノリキュス鉄の話をしたあのノリキュウムに平和と安住の地を求めてやって来たのだが、ノリキュウムも既にローマの占領下にあって親戚達も肩身の狭い思いで暮らしており、彼らが移住できそうな場所はどこにもないようだった。そこで、仕方なくローマの役人達と移住させてもらえる場所についての交渉に入ったのだが、それが彼らにとって死出の旅路となった。なぜなら、彼らがどれほど友好的にローマの役人達に頼んだとしても最初からセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達と裏取引しているローマの政治家達からの指示により役人(兵士)達がその訴えをまともに聞くはずはなく、いくら「自分達は侵略者じゃない」と言い募っても押し問答が続くばかりで一向に(らち)が明かず、結局、徒労に終わる交渉に疲れ、再びチュートン人とアンブロン人達は別の場所を求めてノリキュウムから移動し始めた。その動きを見てセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達はローマから彼らを制圧する為に派遣されたグナエウス・カルボというコンスル(執政官)に近づき、賄賂も贈ってチュートン人とアンブロン人達を陥れる策を練った。そして、一旦、カルボの軍が彼らを国境まで案内すると偽り、彼らの行く手で待ち構えているセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達のいる場所へと誘導し、そこでカルボの軍隊はチュートン人やアンブロン人達を挟み撃ちにしようとした。ところが、狡猾なセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達は思った以上にローマの政治情勢に精通しており、カルボに賄賂を贈って取り入ったのも別の計略があって、彼らを実際に裏で雇って操っていたのはカルボの同僚で政敵のガイウス・マリウスだった。だから、カルボが勝利を確信して戦争(人殺し)をチュートン人やアンブロン人達に仕掛けたところ、セムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達は見事にカルボを裏切って本気でローマ軍に襲い掛かった。もちろん、そんな裏があるとは露とも知らないチュートン人とアンブロン人達は国境まで案内するといったローマ軍の方が自分達を裏切って殺そうとしてきたとしか思えず、逆にセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達が身を(てい)してローマ軍から自分達を守ってくれたようにも思えてくる。まして、その頃には彼らの娘達との間にできた孫達が成長し、自分の意見や考えを皆の前で述べるぐらいの歳にもなっていたため、もちろん、どちらも親であり、たとえセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の素行が悪くてわだかまりはあっても長年、一緒に村落(共同社会)を築いてきた以上、そうそう悪口も言えず、また、親の意見や考えは自ずと子供にも受け継がれてしまうためとうとうチュートン人やアンブロン人達の中にも武装や反撃は必要だとの意見が出るようになった。だが、それこそセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の思う壺で、元々、武装や軍事訓練など一度もしたこともないような温和なチュートン人やアンブロン人達がある日、突然、泣き叫ぶ相手を叩き殺したり、自分達の持っているチュートン(火炎装置)で焼き殺すなどできるはずもなく、戦闘になれば負けることは目に見えていた。その一方、セムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達はそれこそ毎日のように訓練を積み、人を殺すのが三度の飯より大好きと来ているのだから、農民上がりの一般市民を募兵してにわか仕立てで編成しただけのローマ軍よりも実際の武力(暴力)ははるかに上だった。しかも、チュートン(火炎装置)の威力は凄まじく、結局、意外にもあっさりとカルボが率いるローマ軍はセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達に負けてしまった。(The Battle of Noreia BC113年)そうして、敗戦したカルボがローマに逃げ帰ると、今度は政敵のマリウスの配下である若手議員のマーク・アントニーから敗戦の責任と賄賂の件を元老院(国会)で非難される羽目となり、政界から失脚したカルボは流刑が決まった途端、自殺した。なお、このカルボを糾弾した若手議員こそ後にエジプトの女王クレオパトラと恋仲になる同名のマーク・アントニーの祖父である。その後、このマリウスとセムノン人(呪術師)、キンブリ人(テロリスト)達の計略が功を奏したことで、以降、同じようにマリウス達の政敵を陥れる手段として度々、チュートン人とアンブロン人達を巻き込んだセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達、そしてローマ軍とのヤラセ戦争が引き起こされることとなった。(The Cimbrian war BC113年~BC101年)さらに、この間、カルボと同じく彼らの罠にはまって陥れられたのが、マリウスの為に次々と元老院(国会)で政敵達を糾弾するマーク・アントニーを逆に近親相姦罪で訴追した法務官のルキウス・カシウス・ロンギヌスという男で、彼もまた、チュートン人とアンブロン人達をローマの領土内から追い出す任務を元老院(国会)から指示され、現在のフランスの南西部にあるボルドーまでやって来たのだが、彼自身はチュートン人やアンブロン人達に危害を加えて追い出そうと思っていたわけではなく、公務として派遣されたから仕方なく来ただけで、元来、頭が切れて勇猛な彼はセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の攻撃を瞬く間に打ち砕き、見事に彼らを蹴散らしたのだが、運悪く彼と一緒に派遣されていたポピリウス・ラエナスという現在、イタリアのボローニャから車で約1時間ちょいの所にある人口わずか1万3千人ほどの小さな村フォルリンポーポリを造ったとしてかろうじて父親の名が残されているものの、その父親がローマ時代から随分、悪名高い貴族政治家でその息子もまた、マリウスと結託していたらしく、このラエナスがセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達の武力(暴力)ではロンギヌスには勝てないと分かるや、密かに現在のスイスのアルプス地方でローマ軍の傭兵業を生業(なりわい)にしていたティグリニ族(=the Tigurini、ラテン語で「小屋やコテージに住む者」との意味で、現代風のおしゃれなスイスのコテージではなく、湖岸などの水上に建てられた高床(たかゆか)式の掘っ立て小屋のことで、別名、棚屋(=Stilt house)、水上家屋とも呼ばれ、要は定住用に建てられた家屋ではない。漁業もできるが、もっぱら狩猟や傭兵業で家を空けることも多く、何より定住していないと言えば税金逃れもしやすくなる。そのため、ティグリニ族の多くが住んでいたスイスのレマン湖周辺には現代でも世界遺産に登録されるぐらい数多くの水上家屋が残っており、ヨーロッパの中でもスイスが突出してこのBC5千年~BC500年代にかけて建てられてきた水上家屋の遺跡が最も多い。)をフランスまで呼び寄せ、ロンギヌスが率いるローマ軍に突如、襲い掛かり、予想外の兵数を投入されたことで奮闘虚しくロンギヌスは戦死した。(The Battle of Burdigala BC107年)そして、このロンギヌスが第32話『出会い』で話したイエスの家の門を自ら叩いたローマの軍人ガイウス・カシウス・ロンギヌスの祖先である。こうして、10年以上にも及ぶローマの元老院(国会)の議員達が小競り合いをする議題の為だけにチュートン人とアンブロン人達を犠牲にしたこのヤラセ戦争が続けられ、まさに20世紀のボーア戦争(第107話『革命(2)』(注2)その2参照)や現代の難民キャンプとそのキャンプ間を安住の地を求めてさ迷い続ける戦争難民達と同じように、行く先々で戦火に巻き込まれ、怒りと憎悪に駆られて反撃しようとして戦死する者、長旅の苦労から衰弱死したり、病死していく女や子供達、そして持っていた食糧や財産もなくなっていき、経済的に追い詰められて自ら死を選ぶ者など、かつてあれほど豊かに平和に繁栄していたチュートン人やアンブロン人達の数はどんどん減っていき、逆にローマと手を組んで戦争(人殺し)で生き延びようとするセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達が増え、それと共に結婚して血縁にもなったことで日本で倭人達が大和民族を自称したのと同じようにセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の方からチュートン人やアンブロン人を名乗る者も出るようになった。とは言え、元々、チュートン人(冶金術)やアンブロン人(食糧生産及び食品加工術)の正しい知識や技術をきちんと学ばず、自ら間違いや過ちを犯して仕事に失敗し、今のような悲惨な状況を招いてしまったセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達がいくら文明(神の智慧)を持つチュートン人やアンブロン人の名前を(かた)って彼らの仕事の形だけを真似したとしても彼らが行った仕事の成果は自ずと“本物”には遠く及ばず、結局、どう悪足掻(わるあが)きしても最後は必ず失敗する。そのため、セムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達から伝わる知識や技術が稚拙(ちせつ)でしかなく、傭兵(人殺し業)以外に使い道がないと分かったマリウスを始めとしたローマの悪徳議員達はこのヤラセ戦争の議題(ネタ)にそろそろ飽きてきたこともあって、ケリをつけようとこれまでとは打って変わってその兵数を倍以上の12万人近くも投入し、一挙に自分達の陰謀を知り尽くしているセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達も自分達の政敵達と一緒にまとめて抹殺しようと企んだ。ところが、前述した通り、元々、共和制ローマは軍国主義でのし上がったのではなく、ヌマ・ポンピリヌスの平和憲法の下、農業を中心とした産業を数多く興して経済大国としてその名を世界に馳せるようになったのであって、軍隊も当初は周辺に住むゲルマン狩猟民族またはケルト民族のような野蛮な部族の集団強奪から自分達の田畑や家屋といった縄張りを守る為に編成していただけで、普段から軍隊を常備していたわけではなく、現代で例えるなら自警団とか自前で武装する私設軍隊のようなものだった。だから、数を増やしたところで普段から戦争(人殺し)を商売にしてきたセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達との武力(暴力)の差は圧倒的だった。しかも、ローマ軍にはないチュートン(火炎装置)を始めとした冶金(やきん)(製鋼&精錬)の技術で造られた軽くて機動的な鉄剣や(たて)鎖帷子(くさりかたびら)(=Chain mail、Coat of mail、鉄などの金属のリングでできた肌着式の(よろい)のこと。)まで身に着けていたのだからそうした兵器や装備からもローマ軍に勝ち目はなかった。(The Battle of Arausio BC105年)その結果、予想外の大敗を喫したローマ軍を見てマリウス達、ローマの悪徳議員達は当初、()めて(さげす)んでいたセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の持つ武力(暴力)に恐れを抱くと同時に魅れるようにもなった。そこで、マリウス達、悪徳議員達は密かにセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達を裏切りながらも逆に彼らを味方に取り込もうと大規模なローマ軍の改革案を打ち出した。いわゆる、マリウスの軍制改革(=The Marian reforms、BC107年から常備軍をローマに設置できるよう大きくは3回に渡って改変を行いながら軍拡を目指した法案である。最初はそれまで戦争(人殺し)をする毎にある程度、財産があって自分の家や田畑を守る為に参戦を希望する人達からの徴兵を止め、家や財産を持っておらず、生活費を稼ぐ手段として仕事を求める貧しい農民を中心とした常備軍(=Capite censi、ラテン語で「頭数(あたまかず)」の意味。)を設置し、1946年に日本政府及び皇室が署名し、捺印(なついん)した日本国憲法における非武装の憲法(約束)を裏切る形で1954年に自衛隊を発足させたのと同じように、国庫(税金)をその軍隊に流用できるようにした。次に12万人中、8万人のローマ兵が戦死したとされる先のセムノン人やキンブリ人達との戦いから、武具や兵器を国家(政府)が企画し、国家(政府)が指定した企業にそれらを製造させ、そうして規格化されて製造された武具や兵器を全兵士に持たせて他領土に住む武装していない一般庶民(社会的弱者)を攻撃させることにした。この時、規格化された剣がグラディウス(=Gladius Hispaniensis)、別名をヒスパニア(スペイン)の剣とも言い、なぜ、ヒスパニア(スペイン)なのかと言うと、戦争難民となって流浪するチュートン人(金属加工業者)達がヒスパニア(現、スペイン)に逃れ、そこで自分達の護身用として造った剣がセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の手から密かにローマに横流しされたためそう呼ばれるようになったからで、このヒスパニアのグラディウスこそ第103話『略奪』(注3)で説明したダマスカス鋼と全く同じ構造の剣であり、現代でも驚くほど緻密なカーボン(炭素)成分で軽くてしなやかなのに強く(耐久性)、700度を超す高温にも耐えられ(耐熱性)、しかも大量の電気を流してもショート(発火)しない導線が作れるほどの電気の通しやすさ(導電性)から、次世代素材、ナノマテリアルとも呼ばれて研究し続けられている物であり、2021年時点では発がん性のある危険物資が未だ取り除けていない物しか再現できていないようだが、チュートン人(金属加工業者)達が造っていた物は現代とは違い、全く危険物資がない物であり、それに関してはウーツ鋼もダマスカス鋼も、もっと言うと日本のたたら製鉄も全く“同じ物”なのだが、それはまた追々、説明するとして、ともかくこのグラディウス(剣)がこれ以降、ローマ軍の必須の武器となっていった。後にノリキュウム(第78話『マリアの献身(1)』参照)が鉄剣の一大生産地になっていくのもチュートン人と親戚だったノリキ人達(=the Norici、またはTaurisci。No(ノー)は古代から変わらず現代英語と同じ「無し」という意味だが、その他、Nṓはキンブリ語(中世期はオーストリア人が話し、現在はイタリア北東部で使われている方言)では「今はまだ、これから」という意味であり、rici(リキ)はゲルマン祖語で「武力、財力」との意味を併せてNorici(ノリキ)とは「武力や財力、一人の力ではなく、これからは皆の(心の)力を併せて国(共同社会)を造る国民」という意味で、また、別名のTauriはガリア語で「雄牛」、sciはラテン語で「切る」または「高い山からスキー(=ski)で下りてくる人々」なので、Taurisciは「普段はアルプスの高い山で畜産業を営み、たまにスキーで下山してくる人々」という意味の呼び名であり、彼らノリキ人達の生業が畜産業だったことからも分かる通り、彼らの始祖はカインに殺された弟のアベルである。第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)がわずかながら生き残ってノリキュウムに移民として住むようになったチュートン人達と一緒にローマ軍の鉄剣を生産する仕事で食べていくようになったからで、その後、彼らの真心=文明(神の智慧)で培ってきた本来の知識や技術が生かされず消えていくと、当然、グラディウスの品質も劣化していき、AD3世紀になる頃には正しい良品は造れなくなった。そして最後にマリウスが改変した軍制が、兵役を16年~最長25年までの終身雇用にして退役後は土地などの恩給を分け与えるというものだった。つまり、ローマ兵ならば誰でも土地がもらえることになる訳だから、ローマの市民権がない外国人のセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)のようなゲルマン狩猟民族でもローマ軍に転職すれば自ずと味方(ローマ人)と認められ、退役してローマの土地をもらえれば誰はばかることのないローマ人である。要は看板だけ軍制改革と偽った移民導入法案なのだが、それでなくてもマリウス達のような悪徳政治家達による経済政策の失策でどんどん仕事の口が減っていき、ローマ軍に志願するしか生活できない状況の最中、その仕事さえ外国人移民達と競争する羽目になるのだからローマ人達の移民に対する偏見や差別も増大する。だが、それが逆に彼らの(外国への)戦意(駆逐欲(くちくよく)または征服欲)を高め、一方、セムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達はローマに移住もできて財産ももらえるのだから喜び勇んでローマ軍に志願してくる。そうして一見、ローマ軍が提示してくる労働条件は良さそうに思えるだろうが、実際はそんな甘いものではなく、入隊後は国家(政府)から支給された武具や制服は実際には給料からその費用が分割で天引きされていく借金(レンタル)であり、むろん、食費や住居費も無料(タダ)ではない。所得税も差し引かれるし、唯一の利点と言えば、外界とは違って免税品(デューティフリー)が買えるというだけだが、その商品も国家(政府)の指定業者から仕入れた商品なので選択の自由もなければ価格も当然、上乗せされている。その他の収入というと、戦利品として自分が強奪してきた外国人奴隷を売買して得る臨時収入ぐらいだが、それも仲間同士の競争になるため場合によっては奴隷の取り合いでケンカになり、軍規を乱したと言われて体罰と共に罰金が差し引かれることもある。その上、毎日の軍事訓練に加えて重い鉄の甲冑(かっちゅう)にこれまた、鉄のヘルメットを着け、腰にグラディウス(鉄剣)を差した上、鉄の(たて)も持って、さらに食糧や水筒、調理用の鍋や皿、防寒用の外套(マント)に布団などを入れたリュックを背負い、トイレや塹壕(ざんごう)(防御用の穴または溝)を掘る為のスコップやシャベル、つるはしなども持って、役割分担でカタパルト(投石器)のような大型兵器を運ぶこともあり、身に着けている物だけでも総重量20kg~30kgは優に超えている状態で、一日平均、数十kmはそれ以外の荷物も一緒に背負って歩かなければならない。これを聞くだけでも既に地獄である。それゆえ、こうした過酷な労働環境を知らず入隊したローマ兵のことを“マリウスのロバ”と呼ぶようにもなった。もちろん、ラテン語でのロバの隠喩(いんゆ)は、鹿を指差して馬と呼ぶのと同じく「馬鹿」である。しかし、そんな過酷な仕事でも仕事の口がない以上、どうにか食べていけて無事に続けられたらいいのかもしれないが、一応、戦争(人殺し)に行く訳だから戦死や負傷をしない保障はどこにもない。十何年、勤め上げて退役できたとしてもその頃には手足がなくなっていたり、片目や全盲、そうした身体障害だけでなく、精神的にも大きな心の傷を抱えてしまう場合もあり、その健康状態で土地をもらって田畑を営み、のんびり余生を送るなど到底、考えられない。まして、軍を途中で脱走すれば軍規上、最も重い罪となり、ほぼ滅多打ちにされて死刑である。もっと言うと、上述の通り、大した給料でもないため財産ができるわけでもなく、戦争(人殺し)以外で働ける知識や技術、経験を積んだこともないまま軍を退職しても現代で退役した米兵達が路上でホームレスや物乞いになっていくのと変わらない末路を辿ることになる。そういう悲惨な未来が待ち受けていようとは露ほども考えずにセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達はチュートン人やアンブロン人達を犠牲にする戦争(人殺し)に加担し、自分達だけはローマ市民権をもらって裕福な暮らしができるものとマリウス達、ローマの悪徳政治家達の言葉に乗せられるがままローマ軍に入隊していった。要は、どんな獰猛(どうもう)で凶暴な野獣(殺し屋)だろうと一度、餌(食糧や金銭)を与えて飼い慣らせば自分で骨を折って餌を探し回るよりも極悪非道な飼い主でも餌をくれるだけマシと考えるようになり、逆にそうして痛めつけられれば痛めつけられるほど彼らのような野獣(殺し屋)は憎悪や怒り、恨みを心にたぎらせてもっと凶暴になる。まさに蛇(ゾロアスター(暴力礼賛)教の信者)の生殺(なまごろ)しとはこのことだった。しかし、誰でも年老いていけばその腕力(暴力)や気力も衰えていくわけで、結局、ローマ軍に入隊後、過酷な軍務と予想していなかった悲惨な一生に絶望した彼らセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の中には老いた身体に鞭打ちながらBC73年~BC71年に起きた、退役ローマ兵達の典型的な第二の転職先であるグラディエーター(剣闘士)養成所がローマ軍に負けず劣らず劣悪で過酷な労働環境だったことからグラディエーター(剣闘士)達を中心とするローマ軍への復讐を目的とした第三次奴隷戦争(=The Third Servile War)、またはスパルタカスの乱(=the War of Spartacus)と呼ばれる反乱に参戦し、かつての自分達と同じように無知なままローマ軍に入隊し、今はまだ戦意(人を殺す意欲)満々の若い兵士達によってあえなく鎮圧され、敵味方の区別なく5万人以上が戦死し、捕虜となった6千人も処刑された。)と呼ばれるローマ史における一大分岐点、平和憲法の下で平和と豊かさを築いてきた共和制ローマを一挙に没落させ、ガイウス・マリウスの甥であるジュリアス・シーザーが暗殺されるまでひたすら戦争(人殺し)に次ぐ戦争(人殺し)が続くローマの戦国時代を生むことになる“憲法改変と改悪”(=the Modification and Distortion of Constitution)だった。こうして、マリウスを始めとしたローマの悪徳政治家達にまんまと騙されたセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達は憲法改変が成立した暁にはローマ定住権と不動産を与えるとの餌(密約)に釣られてマリウス達に味方し、チュートン人とアンブロン人達を陥れて奴隷としてローマに売る為のヤラセ戦争から今度は彼らの元締めであるマリウスを事実上、ローマの国家代表者(元首)に後押しする選挙宣伝の為のヤラセ戦争を続けることにした。一方、彼らの犠牲となって散々、その人生を翻弄され続け、未だ安住の地が見つからないチュートン人とアンブロン人達もとうとう限界に達し、逆にローマに直接、抗議しようと行く先をローマの元老院(国会)に向けた。現代でいうデモ行進(=Protest march)である。ちょうどその頃は、ヤラセによる抗議者なのか、それとも本気で戦おうとしているのか、あるいはそのどちらも含んだものなのか、いずれにせよ、ローマの悪徳政治家やその配下の大企業役員達に不当に戦争(人殺し)を仕掛けられ、家や田畑、人や財産も占領され、人としての自分の希望は無視されたまま勝手に奴隷として売買され、劣悪な労働環境の下、大規模農場(ラティフンディア)でこき使われて体罰を始めとした虐待を受け続けてきた被占領民(奴隷)達が似たような抗議デモを始めていた。(The First Servile War BC135年~BC132年、The Second Servile War BC104年~BC100年)その流れに沿ってチュートン人やアンブロン人達も同じ抗議デモを始めたのだが、第107話『革命(2)』とその後書きの(注2)その1で革命がいかに暴動やテロ行為にすり替えられていくかを話した通り、多人数で叫んで歩く行為が途中で略奪や暴行をする集団が密かに混じってくることで予想外の戦争(人殺し)になる。たとえそれが一瞬だったとしても、法律を武器にして悪事を行うことに慣れ親しんでいる国家(政府)はそれこそ武力行使(暴力)を行える機会を虎視眈々と狙っているのだから、そんな絶好の大義名分(理由)を見逃すはずはない。だが、もはやこの時のチュートン人とアンブロン人達にはそんな見通しをする気力さえ失せていた。もう既にあきらめきって自暴自棄になっていたのである。彼らとしては最後の気力を振り絞り、せめてこれまでの口惜しさと無念さだけでも訴えたいとの思いから死を覚悟して行進していたのであって、むしろ殺された方がこの艱難辛苦(かんなんしんく)の旅から解放され、楽になるとしか思っていなかった。そのため、負けることを承知で武器を持つ者、女子供と一緒に心中する覚悟を決めた者もいて、むろん、その死の行進を喜んで後押ししようとセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達も参加してくるのだから平和的なデモ行進にならないことは必至だった。その動きを知らされたマリウスは、早速、次のコンスル(執政官)選挙の為のヤラセ戦争キャンペーン(宣伝活動)に向かった。だが、あくまでパフォーマンス(見せかけ)だけなのだから本気で戦闘するつもりもなければ、元々、自分も被占領民の子としてローマに支配され、若い頃にスキピオ・アフリカヌスという当時のローマの有力軍人に取り入って彼の愛人になり、男同士でする性交渉(セックス)が上手かったという理由だけで出世したのであって戦闘能力など皆無だった。そのため、死ぬ気で彼が駐屯する陣営に向かって抗議してきたチュートン人やアンブロン人達と対峙するなど到底、怖くてできず、「一対一で勝負しろ」と言ってきたチュートン人の一人ですら相手にできず、「死ぬ気なら勝手に首を吊れよ」と悪口だけは達者だが、結局、自分の代わりに一騎打ちを申し込んだそのチュートン人と戦ってもらう為にわざわざ戦闘経験のある職業(プロ)兵士を向かわせるという腰抜け振りだった。まして、軍制改革してまだ数年しか経っておらず、前回、大軍で襲撃しても(かな)わなかったセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達に対抗させる為に連れてきた兵数はたった4万人ほどで、いかにマリウスが最初から勝ち戦を見越していたかは明らかだった。そうして、全く正々堂々と勝負してこようとしないマリウス達、ローマ軍に(しび)れを切らし、チュートン人とアンブロン人達はマリウス達を無視する形でさらにローマの元老院(国会)に近づこうとその行進を進めた。だが、彼らがそうやって背中を向けて何もせず去っても卑劣なマリウスが率いるローマ軍は彼らの跡をつけて後ろから襲い掛かろうとその機会をうかがった。そして、運悪くアンブロン人の女性達が川で水浴びをしていた最中、それを(のぞ)いたローマ軍の兵士達は女性達を強姦しようと他の兵士も誘って襲撃しに来たことからチュートン人やアンブロン人の男達との戦闘が始まった。しかし、それこそマリウス達がずっと狙っていた戦闘開始の合図だったため、味方を装っていたセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達がついにその正体を明かし、チュートン人とアンブロン人達の陣営の内側から攻めてきた。そうするともはや誰が敵で誰が味方かも分からなくなり、チュートン人とアンブロン人の男達はなす術もなく白旗を上げるしかなかった。こうして、現在のフランス南部のマルセイユから車で約30分の所にあるエクス・アン・プロバンスでBC102年に起きた戦争(The Battle of Aquae Sextiae)は、女子供を含め10万人から20万人のチュートン人とアンブロン人達が戦死または捕虜となり、ほぼ壊滅状態となった。また、捕虜となった女性達はこの時、一縷の望みをかけてローマの宗教に帰依するから自分達を助けてほしいと嘆願したが、それも断られたことで絶望し、300人もの女性達が我が子と一緒に心中した。一方、マリウスが率いたローマ軍はセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達の暗躍により膨大なチュートン人やアンブロン人達の犠牲者数に対して1千人弱の死傷者数で収まった。と、ここまで読んでくださった読者の中にはこの結果を見て、「本当に神様はいるのか?」と少なからず不満を抱かれた方もいるだろうが、実はこの話にはまだ、続きがある。なぜなら、捕虜になっても生きている以上、まだ、望みが消えたわけではない。しかも、彼らは戦闘中にこれまで自分達がなぜ、ローマ軍にずっと追い回され、戦争(人殺し)を仕掛けられるのかようやくその本当の理由(わけ)に気がついた。自分達の親や親戚でもあるセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達が血縁の自分達を裏切ってマリウスを始めとしたローマの元老院議員達と結託していたからだった。そして、もう一つ、気づいたのはローマ軍と(やいば)を交えた際、ローマ兵達が使っていた剣がまさに自分達が造った物ということだった。これに気づいたチュートン人の代表者であるチュートボッドは捕虜としてマリウスに突き出された際、当然、彼とセムノン人(呪術師)、キンブリ人(テロリスト)達との関係や交わされた密約などを問い詰めて全て聞き出した。また、鉄剣もチュートン人達の物であることもマリウスに認めさせた。この問答によって捕虜であるはずのチュートボッドの方が戦勝者のマリウスよりもにわかに優位になった。何せ、自分の選挙キャンペーン(宣伝活動)の為にヤラセ戦争をしてきた経緯がローマに知られたらそれこそ自分が政界から追放される。しかも、自分が行った軍制改革によって国家(政府)規格の鉄剣や(よろい)、盾などの武器を支給すると言いながら現代でもそう簡単に造れない物を与えてしまった以上、今後、それが造れなければもっと困ったことになる。チュートボッドと話をしてから短時間のうちにマリウスの頭はあれこれと忙しく回り出し、結局、当初の密約相手をチュートボッドに切り替えることにした。その結果、セムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達が当てにしていた市民権(定住権)と土地は、文明(神の智慧)により培ってきた産業知識と技術力を持つチュートン人(金属加工業者)とアンブロン人(食品加工業者)達の手に渡ることとなった。むろん、マリウスが密約を反故(ほご)にしたことなど全く知らないセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達は、彼の選挙支援をする為にどうにか生き残ったチュートン人やアンブロン人達を標的にするヤラセ戦争を続けようと、今度は現在のイタリアのミラノから車で1時間ほど下った所にあるポー川に現れ、そこでチュートン人とアンブロン人達を待ちながら彼らを征伐に来た(という建前になっているはずの)マリウスが率いるローマ軍とかち合わせた。そこで、キンブリ人(テロリスト)達はマリウスに使いを出し、いつ、密約を果たしてくれるのか催促した。ところが、マリウスはそれを素気無く断ったため「話が違う!」とセムノン人(呪術師)やキンブリ人(テロリスト)達は怒り出し、再度、マリウスと話をつけようとキンブリ人(テロリスト)達の部族王であるボイオリックス他、数名がマリウスの陣営を訪れ、ヤラセ戦争の報酬について交渉しようとしたところ、そこにチュートン人の代表者であるチュートボッドが現れた。まさか自分達が殺そうとしていた男がなぜ、マリウスと手を組み、しかも自分達がもらうはずの市民権(定住権)と土地まで手に入れているのかその意味が分からずセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達はかなり困惑し、すっかり混乱状態に陥った。そうしてもはや抜き差しならない所まで来てしまった以上、マリウス達、元老院議員達を叩き潰してでも無理やり市民権(定住権)と土地を奪おうと、今度はヤラセではなく本気でローマ軍と戦争(人殺し)をすることになった。こうして、BC101年7月30日、現在のイタリアのミラノから車で約1時間の所にあるヴェルケラエ(現、ヴェルチェッリ)でセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達と、今回からはチュートン人とアンブロン人達から提供された武器や兵器、武具を身に着けたローマ軍が最終決戦に臨み、後に“Furor Teutonicus(ラテン語で「チュートン人達の怒りの炎」)”と呼ばれるチュートン(火炎放射器)を駆使した攻撃でローマ軍を圧倒的勝利へと導いた。それはまさに神の怒りの炎とも言える凄まじさで、さらに終戦直後には日本で起きた元寇(モンゴル軍の日本への侵略戦争)の時の神風(大風雨)と同じように大雨が降り注ぎ、まるでこれまで犠牲となって死んでいったチュートン人やアンブロン人達を(いた)んで神様が天からその追悼の涙を流しているかのような(むな)しい、そしてどこまでも悲しい大雨だった。その後、市民権(定住権)と土地を約束通り、もらったチュートン人とアンブロン人達は最終決戦を行ったイタリア北西部のポー川周辺からフランス南部、果てはスペイン北部に至る広い土地で田畑や工業を営んで住むようになり、自分達の間の国名として“リグリア”(=Liguria、現代英語でLeague(リーグ)「同盟、盟約」という言葉が残っている通り、古北欧語でlíða「艱難辛苦(かんなんしんく)」、ラテン語のligāre「結び合う」の意味を併せてLiguria「苦難の末に固く平和を誓い合った仲間の国(土地)」の意味。)と名乗るようになった。しかし、それはあくまでマリウスが憲法改変によって軍拡してしまった常備軍に武器や兵器、食糧その他の物資を製造して供給するという条件の下で得た一時的な平和だったので、以降、彼らの子孫は自分達が生産する武器や兵器が様々な権力者や王朝(政府)に渡る度にその人生を再び翻弄されることとなった。だから、軍国主義となったローマで実際に戦闘経験のないマリウスが軍隊を統率していくことに段々、無理が生じるようになり、また、1年任期のコンスル(執政官=国家元首職)を7度、途中5年間は連続して就任する為に行ってきた数々の汚職や千人以上にも及ぶ政敵達を次々と粛清(処刑)していくその狂気から失脚し、次に軍事力(暴力)で元老院(国会)を占領して政府転覆(クーデター)したルキウス・スッラのようなディクタトル(独裁官。第74話『法の行方(2)』参照)に権力が移っていくと、もはや戦火をかいくぐって流浪の旅を続け、ようやく定住できるまでになった祖先達の反暴力や平和への願いなど戦争(人殺し)を実際に体験したことのない子孫にはさほど理解されず、ひたすら権力者や王朝(政府)から指示されるがまま、自分達の生命と財産を脅かす為の武器や兵器を作り続けるしかなかった。そして、本来、人を殺さず、傷つけず、あらゆる生命を活かしてその子孫を繁栄させられる物作りを目指す文明(神の智慧)は、それとは真逆に、一部の人間達の我欲(エゴ)による勝手な解釈で多くの人々を殺して傷つけ、その子孫を滅亡させていく為の教えと勘違いされるようになり、本当の正しい教えは時代を経る毎にどんどん忘れ去られていった。そうして、また、あのセムノン人(呪術師)とキンブリ人(テロリスト)達の子孫であるアングロ・サクソン民族(ゲルマン狩猟民族)が台頭し、ローマ帝国の秩序と平和が乱れていくと、祖先達が戦火を逃れてさ迷うようになった頃と同じように、ローマ人となったリグリア人(チュートン人とアンブロン人達の子孫)達も再び戦争(人殺し)から身を守る為に移住していくようになった。その結果、彼らが偶然、落ち着いた先が現在のセルビアだった。ただし、彼らは祖先達とは違い、既に先祖代々、特定の権力者やローマ(政府)に武器や兵器を納めてきた老舗(しにせ)の軍需産業市民だったため、その産業知識と技術には定評があり、移住先も当初から権力者や王朝(政府)に指定され、防衛されていた。(例、AD535年にユスティニアヌス1世が建てたJustiniana Prima。現、レバネ市Štulac村)そのため、どれだけ自分達の土地周辺が戦火に巻き込まれて(すさ)もうと、彼らの住む土地はまず、安全だった。そして何より、彼ら自身は西域(第106話『汚水』(注1)その3参照)とは違い、戦争(人殺し)や軍拡を自ら率先して推進しようとして武器や兵器を造っていたわけではなく、先祖からの習らし(伝統)だったからその仕事を引き受けてきただけであって元々、チュートン人やアンブロン人達が温和だったように、子孫の彼らもまた、親や先祖から「人を傷つけてはいけません」と厳しく躾けられていた。それでも、彼らがそうして平和でいられるのはあくまで戦争(人殺し)で使う武器や兵器、食糧その他の物資を生産する為なので、彼らの顧客が敵に(ねら)われたらその戦力を()ぐ為に当然、彼らの住む土地が真っ先に狙われる。しかも、移住してくるのは自分達だけでなく、同じような軍事知識や技術を持つタタール人(旧アッシリア人)のような西域出身者達も一緒に住むようになる。そうなると、そこはもう、かつてチュートン人やアンブロン人、セムノン人やキンブリ人達が同じ地域で一緒に暮らしていた頃と変わらない状況になった。そして、それがまた先祖達と同じようにいがみ合いの(もと)になり、そこへマリウスのように直接、彼らと関係のない他国の政治や経済の争い事に巻き込んで彼らを自分達の代わりにゲーム(遊び)感覚で戦争(人殺し)させ、双方が弱った頃合いを見て自分達の支配下に置く格好のネタ(大義名分)にされてしまう。こうして、AD9世紀中頃までにセルビアは軍需産業国家として成立するようになり、また、自分達の武器や兵器を実際に使ってみてどれくらいの威力かを試す為の軍隊(自衛隊)も併せて軍産複合体国家(第105話『欺瞞』(注1)参照)へと拡張し、さらに顧客もローマ帝国からゲルマン狩猟民族の一派である東ゴート族に操られる東ローマ帝国(またはビザンチン帝国)のユスティニアヌス1世と彼が兵器開発や武器密輸の窓口にしていた東方正教会(キリスト教異端派)を主な顧客にしていたが、別のゲルマン狩猟民族の一派であるフランク王国が台頭して彼らの帰依するカソリック(キリスト教伝統派)が取引先になったことで、東ローマ帝国とフランク王国、東方正教会とカソリックという二つのゲルマン狩猟民族の国家(政府)と宗教(軍事商社)がセルビアという一つの軍産複合体国家(製造メーカー)の中で武器密輸の利権を巡って対立することとなり、元は軍事知識や技術を持つ者達を寄せ集めただけの移民国家なのになぜか突然、国王を名乗る人物が現れ、いかにも大株主で軍事総合商社である東方正教会とカソリックが自分達の息がかかった人物を傀儡国王(支社長)にしようとしているのは見え見えなのだが、ともかく当初はどちらも株主であることから曖昧な立場のリーダーを立てていたが、それも段々、難しくなり、結局、1077年にはカソリックのローマ教皇から王位を授けられたミハイロ1世が即位し、その後、1091年には東方正教会の本拠地である東ローマ帝国(またはビザンチン帝国)とセルビアを合併させて企業グループ(財閥)を形成したヴカン1世が王となって、代々、カソリックと東方正教会という主要取引先同士の貿易戦争が激化していくこととなった。そんな最中、カソリック(キリスト教伝統派)と取引してきたセルビア系列小国家(子会社)で生まれ育ったステファン・ネマニャは、激化する貿易戦争で次々と支店国家(子会社)が東方正教会(キリスト教異端派)の派閥に乗っ取られていったため父親と共に別の支店国家(子会社)に出向することになったのだが、そこがラシュカ(=Raška、現代英語でRush(ラッシュ)「急進する、突進する」やドイツ語でRasch(ラッシュ)「迅速な、早い」、スウェーデン語でRask(ラスッ)「速い、快活な」など、どれも同じ意味の言葉が残されている通り、現代で言えば支店国家(子会社)の社名またはキャッチコピーである。なお、どうでもいい話を挟むが、英語でrUsh「急進する」とrAsh「そそっかしい、発疹」では微妙に意味と綴り(スペル)が違うのでご注意ください。)という、現在のセルビアでもラシュカ郡は地名として残されているが、この当時はボスニア・ヘルツェゴビナの東部やモンテネグロ北東部も含むもう少し広い支店国家(子会社)だった。そしてそのラシュカの本社拠点となっていたのが現在、世界遺産にも登録されているスタリ・ラス(=Stari Ras、ラテン語で「ラシュカの防衛地」の意味。)と呼ばれる要塞都市で、今も山や丘陵地帯に囲まれ、人口わずか10万人ほどで、日本で例えれば東京の多摩地区の東久留米(ひがしくるめ)市や昭島(あきしま)市、京都なら亀岡(かめおか)市、大阪なら河内長野(かわちながの)市とか、岩手県なら北上(きたかみ)市、長野県であれば安曇野(あずみの)市、群馬県なら桐生(きりゅう)市、北海道なら千歳(ちとせ)市、岡山県なら津山(つやま)市、愛媛県なら新居浜(にいはま)市、福岡県であれば糸島(いとしま)市、沖縄だと宜野湾(ぎのわん)市とか浦添(うらそえ)市など、都会と言えるほど人口は多くないが、決して田舎とも呼べない規模のノヴィ・パザル市があるだけで、一見、何の変哲もない、どこにでもありそうな都市に思えるだろうが、実はこのスタリ・ラスこそチュートン人とアンブロン人達の子孫が暮らしていた街であり、なぜ、今でも世界遺産に登録されるほど重要視されているのかと言えば、彼らが先祖から伝え聞いてきた冶金(やきん)術(製鋼&精錬)でカーボンナノチューブを始めとした新しい金属を造る手掛かりが残されているからである。もちろん、前述した通り、元々、人を殺す為に造っていた訳でもない金属を人を殺す為にわざと品質を落としたり、品質よりも量産を重視して造っていく訳だから、チュートン人(金属加工業者)達がローマに納めていた武器や兵器もAD3世紀頃には手抜きした作業で劣化して造れなくなっていったのだが、それでも中にはそんな世間の風潮に反して絶えず丁寧に真心込めて物作りに励もうとする人達はいつの時代でも残されているものなので、そんな人達がたまたま住んでいたのがそのスタリ・ラスだった。そこへその時、既に50歳を超えた初老のステファンは引っ越してきてすぐ、その地域の人達が生産している武器や兵器、中でもチュートン(火炎放射器)の威力がとんでもない物だと気がついた。そこで彼はスタリ・ラスに住む人々を味方につけるため地元のアナという女性と結婚し、子供も設けて彼らの造る武器や兵器を買い占め、それらをプライベートブランド(=Private label products、自主企画商品またはPB商品とも言い、中小零細製造メーカーが生産する商品に大手企業の、どちらかと言えばスーパーや百貨店、コンビニ、専門店といった流通業者の名前を付けて販売する商品のこと。大手製造メーカーが販売しているよく知られた商品に対抗する形で安価だったり、独自の品質で売り出される物が多い。そのため、名前だけはPB商品だが、実際は大手製造メーカーが下請けの中小零細製造メーカーに生産させている場合もあり、要は既存の商品が飽きられていたり、品質に不信感や嫌悪感があったりして今までとは違う別の商品を求める消費者を(だま)して買わせる一種の宣伝トリックである。)の“ラシュカ製品”としてセルビア(大手武器製造メーカー)から売り出すことにした。そして、これがまさしくヒット商品となったためステファン・ネマニャは一挙に出世してセルビア国王(支社長)になれたのだが、この時、このラシュカ製品を見込んでたくさん買ってくれた顧客(流通業者)がカソリック派閥に属するハンガリー国王だった。むろん、ラシュカ製品に嘘はなかったので実際に戦闘で使ってみても結構な確率で勝てたことから以来、カソリック派閥の中でもハンガリー国王(流通会社社長)の売上や評判も上がり、代々のハンガリー国王とセルビア国王のステファンは旧知の仲になった。ちょうどその頃、聖ヨハネ騎士団を真似てドイツ北部の商工会議所が中心となってエルサレム王国に建てた養護施設(ホスピス)兵站(へいたん)倉庫)がイスラム教国に破壊されてエルサレムも奪われ、ローマ教皇の下、第三回目の十字軍遠征(キリスト教圏VSイスラム教圏戦争)が始められることとなった。この時、十字軍遠征を任されたのが、ドイツの神聖ローマ帝国皇帝のフリードリヒ1世、フランスのフィリップ2世、そしてイギリスのリチャード1世だった。そしてこの頃からドイツ、フランス、イギリスとヨーロッパの国々がはっきり分かれるようになったのだが、元々、ゲルマン狩猟民族からフランク族((やり)で人を襲う野蛮人、または無法者)が生まれ、そこからさらに武力(暴力)の強い者同士が奪った土地を分割して支配し、その子孫達が親戚同士で結婚してそれぞれの土地を相続しながら領有していったので、この3人も当然、親戚同士である。だが、相続問題ほどこの世で一番、厄介なものはない。地球も広義には人類の御父である神様から与えられた人類全員の相続財産だろうが、一部、強欲な人達が「自分達は神に選ばれた子孫だ」などと勝手な解釈や嘘の論理を持ち出して、どの子にも分け(へだ)てなく平等に神様が与えたはずの資産を卑劣な手段で横取りしたり、他の誰よりも多めに独占しようとしたりする。そして、ヨーロッパという土地を相続したこの3人も、先祖代々、武力(暴力)という卑劣な手段で平和に住んでいた人達を殺傷して追い出し、他の誰よりも広大な土地を所有してそれが神様から与えられた特権だと恥ずかしげもなく公言するまでになったのだが、人間の欲というのはどこまでも飽くことなく自滅するまで留まることを知らない。まして、ゾロアスター(暴力礼賛)教の教えを受け継ぐキリスト(人殺しの十字架)教の呪縛に代々、囚われてきて、その邪教の下に自分達の今の生活や地位が成り立っているのだからそこから脱却するのは無理なのかもしれないが、それでもせめて目の前にいる親戚同士だけでも仲良くすればいいものを、やはりこの3人の中でも特にイギリスのリチャード1世はそれがどうしてもできないようだった。何せ、彼の母親というのがアリエノール・ダキテーヌというフランスの国土の大半を相続し、その性格も強情な上に強欲で、女ながら武力(暴力)闘争も辞さないという日本の極道(ごくどう)の女房を地で行くような女性だったので、彼女に溺愛されて育ったリチャード1世の凶暴さや異常さはある意味、イエスの弟子のゼベダイ兄弟に通ずるものがあった。(第88話『母の願い(2)』参照)そして、そのリチャード1世が企てたことが現在のドイツである神聖ローマ帝国の乗っ取りだった。この頃、リチャード1世が所有していた土地はフランス南西部にあったアキテーヌ公領という母親から生前贈与された土地と、父親と兄が次々と死んで相続したイギリスとフランスの北西部で、現在のイギリス全土とフランスの西半分を所有していた。これだけ土地があればもう十分、金持ちじゃないかと読者の方々も思うかもしれないが、どれだけ土地が広くてもそこで食糧や物資を生産し、それらを売って稼ぐ産業がなければ第105話『欺瞞』(注1)で話したオスマン帝国と同じでまともな税収すら見込めない。しかし、リチャード1世以外、フィリップ2世とフリードリヒ1世の土地にはある強味があった。それが上述した白色火薬(偽石膏)だった。なぜなら、彼らの母親や妻となった女性達はそれぞれシャンパーニュ地方とブルゴーニュ地方を相続し、それを持参金にして嫁いできていたからである。だから、二人共、カソリック(軍事総合商社)派閥の中でも最も重用され、有力者でもあり、ローマ教皇(社長)さえ彼らには頭が上がらなかった。だが、その強味があるからと言って白色火薬(偽石膏)でも、武器や兵器の原材料である金属でも、品質が劣化したり、多くの人から飽きられたら産業として成り立たなくなる。だからこそ、誰もが品質を向上させようとしたり、飽きられないよう工夫しようとするのだが、元々、自分で働いたこともなければ、親と妻からもらった土地で食べてきた彼らにそんな努力をするという考えさえ浮かぶはずもない。それでもこの3人の中でただ一人、ドイツの神聖ローマ皇帝であるフリードリヒ1世だけはそれなりの危機感はあったようで、自分の領地を経営する上で自分の所領や外国、そこで働く人々を視察して回って勉強した結果、鉱山開発に力を入れるようになり、それまでの10倍以上に上る鉱山の数を増やしてそれなりに景気を良くしようと努力したようだが、あくまで彼の本業は戦争(人殺し)をして他人の土地を奪い続けることなので、その本業も(おこた)れない。そのため、ドイツと共に軍事上、不可欠となる庶民からの徴税と徴兵ができるカソリック(キリスト教伝統派)の総本山であるイタリアを支配しようと、戦国時代の日本の武将達が徴税や徴兵の広告塔である天皇の住む京都を目指したのと同じく彼もイタリア遠征を行って、そこでカソリック(軍事総合商社)の経営権を巡り、常にローマ教皇(財閥社長)と()めるようになった。一方、後の二人は土地を奪うことだけに専念し、フランスのフィリップ2世は資産となる土地を持つ女性達と次々と結婚や離婚を繰り返してその持参金でもって食べていこうとし、イギリスのリチャード1世は他の兄弟達を押しのけて親から相続できる土地を増やそうとしていた。そんな最中に彼ら3人は十字軍遠征(キリスト教商圏VSイスラム教商圏戦争)を任されたのだが、それぞれ性格も考え方も違う彼ら3人の付き合いにおいてどうしても仲間外れになったのがフリードリヒ1世だった。何せ、どちらかと言うと生真面目で一応、働く意欲もあればそれなりに努力しようとする彼は、(らく)して儲けることしか考えない後の二人からすれば何となく劣等感を覚えて(しゃく)に障るだけでなく、自分達の考え方そのものを否定されているような気がしてならなかったからである。そんな些細(ささい)な相手への誤解からリチャード1世とフィリップ2世はフリードリヒ1世を陥れる計画を練るようになった。そして、たまたまフィリップ2世の異母姉がリチャード1世の実兄に嫁いで死に別れた後、ハンガリー国王であるベーラ3世と再婚していたことから、彼が懇意(こんい)にしている仕入先でラシュカ製品をカソリック派閥の国々にも売り出し始めたセルビア国王のステファンとも知り合うようになった。そこで彼らはまず、フリードリヒ1世の本国の神聖ローマ帝国(現、ドイツ)の経済(軍資金)事情を探り出そうと、ベーラ3世とステファンにラシュカ製品をフリードリヒ1世に売り込んでもらうことにした。これから十字軍遠征に行くとしても中東のエルサレムまでは必ず東方正教会が支配する東ローマ帝国(またはビザンチン帝国)を通らなければならない。ならば、自分達と一緒に東ローマ帝国(またはビザンチン帝国)と戦ってそこで一度、ラシュカ製品の武器や兵器を試してみてはくれないかと持ち掛けた。もちろん、一緒に戦うとなれば敵に(まぎ)れてフリードリヒ1世を暗殺することも可能になる。しかし、フリードリヒ1世の方は自分の所領でロジー族が生産する白色火薬(偽石膏(にせせっこう))がラシュカ製品に劣るとは思わなかったので(もちろん、彼自身はそれがどういう物なのか気づいていなかったにせよ、どちらも同じ文明(神の智慧)に基づいて造られた物なので品質に違いはないのだから大した差は認められず)丁重に断ってきた。そのため、ここで彼らのフリードリヒ1世を陥れる陰謀は頓挫(とんざ)したはずだったのだが、それを再びしつこく持ち出してきて結局、実行させたのがリチャード1世だった。

今話のエンディングソング↓

https://youtu.be/om4BpwI8s-Q

『キミが生きている間は大丈夫(なわけないだろ!ボケ)』by あべ りょう


【参考】

サイロとは↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AD#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Wooden_silo.JPG


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AD#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Rokkosan_pasture11ps1920.jpg


カロッタを被ったローマ教皇↓

https://www.bbc.com/japanese/47140076


https://www.j-cast.com/2019/11/26373640.html?p=all

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