第百十六話 汚水 後書き(注1)その1
~映画『Happy feet』より~
『Boogie Wonderland』
https://youtu.be/uIzgfH55rKc
― 成功、そして栄光よ
天の光(神)が悪事に手を染める連中を何とかしてくれる。
勝利と繁栄はすぐそこに
ベイビー(未熟な人)、そんなんじゃ上手くいきっこない。
全く進歩していない、全く分かっていない
もっと知りたい、もっと分かりたい
輝かしい未来の為に学ぼうという人達の心の中に
この言葉がゆっくり沁み込んでいく
天の光(神)が悪事に手を染める者達を何とかしてくれる
多くの税金と労働を注ぎ、賭けて期待して裏切られ続けてきた
ペンギンみたいに同じ格好をしたノロノロ歩きの進歩しない人達へ
鏡に映る卑しめられ、虐げられ、打ちひしがれた姿のあなたはあなた自身に向かって言う
「どうせ、自分なんか無理だし、上手くいきっこないさ」って。
あるいは他人を蹴落とし、貶め、粋がって調子こいているあなた方は
鏡の中の自分に向かっていつもこう言うのだろうか?
「馬鹿な庶民連中が俺に、わたしに勝てる訳ないだろう」と?
そうやって信じて頼ってきた庶民の事なんてあなた方はちっとも気にも留めなかった
あなた方は歌い笑い、他人の心の傷をあっさり振り払ってきた。
どうせ、そうやって何も考えず踊っていればいい、
なんてブギ・ワンダーランド(狂ったおかしな世界)なんだろう、この現実世界は!
さぁ、好きに踊り狂え、欺瞞にまみれるこの現実世界の人々よ!
「もっと、もっと」と、他人のものを強欲にねだる人々の心に
闇の世界がひたひたと忍び寄る
だが、天の光(神)はそんな悪事に手を染める連中を見逃したりしない
たくさんの税金を賭けて戦争をしてきた女王を名乗る一人の女へ
鏡の中の自分を見てほくそ笑むあんたにこの言葉を贈ってやろう
「あんたって本当に馬鹿で成長しない女だね、
そうやっていつまでも自分だけは安泰だとでも思ってるの?」
あんたを信じてあんたを大事に扱ってくれた庶民の事なんて
あんたはちっとも気にも留めなかった
あんたは歌い笑い、多くの人々の心の傷を穢れたもののように振り払ってきた。
だから、さぁ、踊るがいい、わたしは静かにこの言葉をつぶやいてやるさ
この現実世界こそ、ブギ・ワンダーランド(頭の逝かれた嘘だらけの世界)なんだと
さぁ、踊ろうじゃないか、この言葉をつぶやきながら
この現実世界は愚鈍で分からず屋の大衆と
卑劣で残虐な血塗られた犯罪の数々に手を染めながらそれでもなお、
自分達は清く、正しく、賢く、美しいと過剰に自身を評価する人達が
多勢を占めるブギ・ワンダーランド(精神異常者だらけの世界)なんだ、と
嘘だと思うなら、これを読んでみな!
嘘だと思うなら、これを読んでみな!
だけど、この世界の愛(神)は決して消えない。
誰もが幸福(神)に愛される世界を望むことは決して間違っちゃいない。
だから、わたしはつぶやき、歌い続けるのさ
これまで死んでいったあらゆる人達の“心の歌”を
そして、嘘がつけないわたしの心はどうしてもこう言い続ける
「この世界は本当にブギ・ワンダーランド(狂った地獄)だ、
この世界こそまさしく、ブギ・ワンダーランド(間違った不幸な世界)なんだ!」と
だから、この狂った世界で踊りながらいつまでもつぶやき続けてやるさ
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「大衆の皆さん、コロナウィルスと戦いましょう」↓
https://www.youtube.com/watch?v=iqwmTKOux5c
と健気(?)に協力を大衆に訴えてらっしゃるイギリスのエリザベス女王にも
ついでに捧げておきましょう。
さぁ、歌と一緒にこれから話すことも“良く”聞いておいてくださいね
(注1)
切り裂きジャック事件(=Jack the Ripper)とは、1888年~1891年にかけてロンドンの下町にあるホワイトチャペル地区で起きた、少なくとも11件以上の未解決連続殺人事件を総称したものである。
ただし、この11件も全てが同一人物による犯行と考えられていた訳ではなく、このうちの5件(正確には4件)が被害者の喉を突いてから短時間のうちに臓器の抜き取りまで行うといった、かなり手際のよい特異的な犯行手口であることからこの犯人を主犯格とみなし、発生当初から21世紀の現代に至るまで世界中のあらゆる本や雑誌、新聞、映画やテレビ、ネットに取り上げられ、今なお、誰が犯人なのか?で人々の噂が止まない事件の一つである。
(ちなみに、つい最近も米映画の『From Hell(邦題にすると『地獄より』)』(2001年公開)や米ドラマ『Carnival Row(邦題にすると『謝肉祭地区』)』(2019年ネット配信)などで切り裂きジャック事件が題材にされている。)
しかし、どれほど凶悪な未解決事件だったとしても、世界で起きる殺人事件のほとんどはあっという間に人々から忘れ去られていくのに、なぜかこの切り裂きジャック事件だけが延々と130年以上経った今でも語り継がれるかというと、定期的にこの事件をメディアに登場させて潜在的に宣教することで(実態は犯罪ばかりで大した事もやっていないのに)国家(王室)というものがいかに複雑で、強大で、恐ろしく、逆らえない存在であるかを人々の脳裏に焼き付けると共に、虐殺(暴力)を美化して殺人やテロ行為に興味を持たせ、ひいては国家(王室)が軍事力(警察&軍隊)を持って存在する意義が持たせられるよう、そうした犯罪やテロ行為をためらいもなくやってくれ、国家(王室)が演出する壮大なる“茶番劇(役者かぶれの演技の下手な素人が見せる寸劇のこと。茶番狂言とも言う)”につきあってくれる新たな人材を教育したり、暗に募集したりするのが目的だからである。
そのため、前述の『From Hell』にしても『Carnival Row』にしても必ずと言っていいほど政府(王室)の陰謀が話の筋に盛り込まれるのはそうした刷り込み効果を狙ってのことで、決して独自に真犯人を追求しようとか、真実(正しい道理)を突き止めようとか、まして本気で政府(王室)を批判している訳でも、人々に疑念を抱かせて荒廃している社会への実情に気づかせ、社会改革への意識を高めてもらおうと思っている訳ではなく、あくまで“単なるエンターテイメント(娯楽)”として突拍子もない非現実な陰謀説を描いたり、運悪く殺されてしまった赤の他人の不幸を情け容赦なく残酷かつ屈辱的に取り上げている。
だから、たとえ貧しくても毎日を懸命に生きていただけの罪もない一般市民が“実際に”むごたらしい虐殺(暴力)の犠牲になろうとも、無能な国家(王室)によって課せられた重税や社会制度で自分も含め多くの人達が病気や貧困、障害にあえぎ、その失政に不平や不満を抱いて救いとなる方法を模索するため他の人達と一緒に問題を共有しようとしても、こうしたエンターテイメントメディアメモリー(娯楽情報記憶)がいつも脳裏のどこかに残っているとこれらの深刻な社会問題が非現実な出来事に思えてくると同時に、真面目に考えても気分が滅入るだけなので問題自体を面白おかしく茶化して何となく自分の意識をそらし、潜在的に考えないようにするようになり、誰かが国家(王室)への不満や疑念を訴えても国家(王室)が持つ社会的地位や権力、財力への嫉妬心から出た性質の悪い冗談や悪口だとしてその訴えを一蹴し、どれもこれも一括りにして封じてしまうようになる。
こうして少数の人間だけで運営されている国家(王室)が何千万、何億、何十億人といる一般市民一人一人の心の動きをマスメディア(大衆宣教媒体)を使ってまとめて誘導し、国家(王室)の不正や失政の数々から目をそらさせていることは明らかで、また、大手のテレビ番組や映画、ネットなどが創作してきた陰謀説の中で凶悪犯罪やテロ行為の首謀者とされて侮辱されているはずの国家(王室)が何ら抗議もせずメディア(大衆宣教媒体)に好き勝手に言わせているのも、これらの陰謀説が国家(王室)自身によって創作され、発信されているからである。
というのも、心にやましい事がある者ほど饒舌に事件を語り、自己正当化しようとする。
そしてその口でもって必ず自らの秘密を洩らし、墓穴を掘る。(マタイ15章)
切り裂きジャック事件も首謀者である国家(王室)が自分達の犯行をうやむやにしようと故意にメディアに事件を取り上げさせ、それを語らせていくうちに段々、真相につながる言葉を漏らしてしまっていた。
その一つが米映画『From Hell』にも出てきたフリーメイソンの関与である。
フリーメイソンについてはこれまで何度か説明してきたと思うが、前話の第115話『生命 後書き(注1)』で優生学を創設したフランシス・ガルトンがフリーメイソンのメンバーであり、貧民や精神病患者、障碍者などを対象にした生体解剖や人体実験を行おうとしてロンドンの下町に大勢のスパイ達を放っていたと話したはずだが、実は切り裂きジャック事件の真犯人もそのスパイの一人だった。
むろん、この事件の発端はイギリス王室(政府)が率先して優生学に基づいた生体解剖や人体実験を軍拡の為に推し進めていたことに他ならない。
だから、真犯人は国家(王室)の指示に従い、自分の地位や生活費を稼ぐ“仕事”として何の罪もない一般市民を殺して回っていただけなのだが、これまでのスパイ達とは違い、彼の場合、スパイなら普通、自分の犯罪や素性を隠したがるのに非常に目立ちたがり屋で自己顕示欲が強く、むしろ自分の犯罪や本性を幼子のように世間の人々から「よくやった」と褒めてもらおうとしていた。
つまり、犯罪の認識が非常に薄く、逆にそれを実行した自分を誇らしく思っていたようで、その点で精神異常者とも言えるが、国(身分制組織)の頂点に立つ王室(政府)が命じてやらせた犯罪(仕事)である以上、彼が公務員=王室の下僕として自分の犯罪を誇らしく思っていたとしても不思議はない。
この切り裂きジャック事件の真犯人の名前をエドワード・エイベリングと言った。
エドワードの父親はイギリスのプロテスタント(キリスト教新興派)の中で会衆派(=Congregationalism)と呼ばれる宗派から、さらに過激な言動で人々を惹きつけて扇動する、いわゆるデマゴーグ(大衆扇動家)の役割を担った“独立派”(=Independents)というもう一つ、別に派生した宗派の牧師であり、元々、会衆派や独立派は17世紀の清教徒革命(第114話『細胞』(注2)参照)において民兵を集めたり、その士気を鼓舞して勢力を拡大してきた宗派だったため弁舌に長けた者でなければ牧師になれず、その独立派の牧師の中でエドワードの父親は教会組合の議長やロンドンに建設された大規模な孤児収容施設の名誉役員を務めるほど相当なやり手だったらしく、当然、その雄弁さは群を抜いていた。
ただし、いかに神だの、愛だの、平和だの、善行だのと唱えるのが商売の牧師とはいえ、独立派は兵士を集めたり、士気を鼓舞する説教で信者を増大させてきた宗派なのだから、エドワードの父親も表向きは孤児達を優しく保護する牧師を装いながら裏では平気で庶民に戦争(人殺し)や暴力を行うようそれとなく教え導くといった裏表の激しい人物であり、そういう父親に育てられたエドワードはどうやら家庭内暴力を受けていたようだった。
そして、その虐待を彼の母親もまた、容認していたらしく、家庭内の序列において一番、弱い立場の子供として両親に抗えないエドワードはその鬱憤を動物に向けるようになり、高校を卒業するとユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(=University College London、略してUCL。1825年にトマス・キャンベルというホイッグ党(イギリスの二大政党の一つ。第114話『細胞』(注2)参照)から金をもらっているだけでなく、政府(王室)からも200ポンド(現代の日本円にして約234万円)の年金(税金)をもらって数々の新聞社に記事を投稿し、政府(王室)の陰の広報役を務めていた詩人の男がこれまた、『The Times』という今では欧米で知らない人はほとんどいないと思うが、1854年にクリミア戦争へ初の従軍記者を派遣してヤラセの看護師ナイチンゲールの活躍記事(第115話『生命』(注1)参照)を掲載することになる新聞に「一般市民の為の大学(?)を設立せよ」とわざわざ当時、ホイッグ党の党員で国会議員だったヘンリー・ブローアム男爵を名指しして宛てた記事を投稿し、この案に賛同したブローアムやイギリスの中央銀行であるバンク・オブ・イングランドと取引していた金融会社のモカッタ&ゴールズミッド(現スコティアバンク)の経営者で当時、在ロンドンユダヤ人協会の会長でもあったアイザック・ゴールズミッド、母親がイギリス王室の血筋を汲むスチュアート家の出身で新自由主義経済や最低賃金制を導入させた政治哲学者のジェームズ・ミル(ちなみに彼の息子は政治哲学及び経済評論家で知られるジョン・スチュアート・ミルである。)、ミルの友人で「最大多数の最大幸福(=皆(多数)が良ければ悪法も善法になる、言い換えれば一人を殺すだけなら殺人だが、皆が合意して多数を殺し合う戦争は正義になる。)」というモットーを掲げて功利(実利)主義を謳った法哲学者のジェレミー・ベンサム、タイムズの特派員を務めたことがあり、後に18世紀から王室直属機関として設立されているロンドン考古学協会(=The Society of Antiquaries of London、イギリス王室の歴史や骨とう品などについて好意的かつ嘘の評価や教育をする為の提言を行ったり、古代で使われていた武器や戦術の手がかりなどを見つけてくることが主な目的の闇学会。1707年設立。)のフェロー(会員)に選出される弁護士のヘンリー・クラブ・ロビンソン、そしてプロテスタント(新興キリスト教)系の会衆派教徒で織物産業や銃器製造で巨万の富を築き、その金でもって数々の教会や学校の建築に勤しんでいたトマス・ウィルソン(ちなみに彼の親戚は2018年に倒産しているが、アメリカ最古の銃器製造メーカーだったレミントン・アームズの創業者のエリファレット・レミントンである。)などがいろいろな人を誘って株式譲渡を条件に設立した民間大学である。また、国会議員のブローアムはこのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の他に“実用(功利主義的)知識普及協会”(=The Society for the Diffusion of Useful Knowledge、略してSDUK。現在はBloomsbury Institution。別名、Society for the Diffusion of Useful Ignorance(使える愚民を拡散する為の協会)とも呼ばれた。アメリカでも同年、古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスが創設したリュケイオン(=英語でLyceum)にちなんだライシーアム(=Lyceum)という一般大衆向けに開かれた私塾のような学校がエール大学にて鉱物学と化学を学んだジョサイア・ホルブルックによって開かれているが、こちらもブローアムが建てたSDUKを真似したものである。)という学校に行けない貧しい大衆向けに『The Penny Magazine』(1832年発刊)や『The Penny Cyclopædia』(1833年発刊)といった1ペニー(現代の日本円で大体、500円ぐらい)で買える安価な教科書や百科事典を販売する団体も1826年に設立している。しかし、そもそもこの当時、子供達の7割以上が学校に行っておらず、大人でも半分近くが文字すら読めないというイギリスの識字率の低さでどうして大学のような高等教育機関を大衆向けに設立したのかというと、猛威を振るうコレラ菌にかこつけ、イギリス政府(王室)が推し進めたがっている人体を含めた生体解剖実験を一般大衆にも認識させ、自発的な献体(死体の提供)の数を増やす為だった。要は生物(細菌)兵器や化学兵器を開発する為の生体解剖や人体実験を科学や医学の発展の為に必要だと偽って大衆に容認させ、さらには死体を手に入れる為の殺人やテロ行為の手引きなどを手伝ってくれる人物を大衆の中から発掘したかったからである。そのため、UCLの開学以来、何かと法哲学者のジェレミー・ベンサムの名前が挙がるのは、彼が自分の死後、自分の遺体をUCLで公開解剖するよう遺書を残したからであり、実際に彼の遺体は皆の前で解剖されて今も自己標本として大学構内に飾られている。ベンサムがそんな遺書を残したのは彼の弟がたまたまイギリス海軍の兵器開発エンジニアだったことからそれに貢献したい気持ちもあっただろうが、どうやら本人としてはイギリス医学が今後、発展して死人をも生き返らせることができるようになると信じていたらしく、解剖後、自分の身体をつなぎ合わせてお気に入りの服と杖を持たせ、大切に保管しておいてほしいと言い残したのもそういう理由らしかった。現代でも自分の遺体を-196℃で冷凍保存して将来の医学や科学技術で蘇生できるものと信じるトランスヒューマニスト(=Transhumanist、超人主義者。元の語源はラテン語と古フランス語を合わせたTransHumance「土地を超えて移動する」という遊牧民族を表す言葉だったが、トルコ、ギリシャ、東欧、そしてイギリスとアジア大陸からヨーロッパ大陸にかけて移動していた遊牧民族は狩猟や傭兵で生計を立てていて動物や敵兵の首を戦利品として飾ったりするだけでなく、自分や家族が死んだ場合もわざわざ首を切断して埋葬したり、あるいは入れ物に入れて保管し、死体の首に蘇りの力や何らかの魔力が備わっているという迷信を持っていたらしく、特にイギリスは『祝福王ブラン』(=Brân the Blessed)または『祝福される渡り烏』(=The blessed Crow、日本の八咫烏の話(第110話『灌漑』(注2)参照)に似てなくもないが・・・。)という“巨人王”の民話で自分の死後、首を切断してグウィンフリン(現在のロンドン塔の辺り)に置き、侵略されないようヨーロッパ大陸に顔を向けて埋葬してくれとブラン王が言い残したという話が言い伝えられていたり、鉄器時代のものと見られるものすごい数の切断された首の埋葬跡がイギリスの中西部にあるウォーセスターシャー州ブレドンヒルで見つかったりするなどかなり首にこだわった文化があったようで、そこから切断した首を冷凍保存するなどの、“人間”の現実世界を超えて存在しない疑似医学や疑似科学技術で自分達の望みがかなうと信じる幻想世界をさ迷う人々のことを意味して、Transhumanist(超人主義者)と名付けられるようになった。)と呼ばれる人達がいるが、それと同じくベンサムも自分の首は特に念入りに保管しておいて欲しいと言い残している。ちなみに、UCLはイギリスが最初に一般大衆の為に大学を設立したと言っているが、第110話『女傑』でも話した通り、日本はこの頃、既に寺子屋などの民営の学校が江戸だけでも1千軒以上、全国規模だと1万6千軒ほど存在していて、貴賤や性別を問わず教育は受けられたため、イギリスとは逆に識字率は7割を超える。それが明治に入ると途端に学校に行けなくなる貧しい子供達であふれかえることになるのだが、それもこれも明治政府(皇室)が倒幕後、イギリスの社会制度をそっくりそのまま日本に取り入れたからで、それが今では本や新聞、雑誌、テレビ、ネットなどの様々なメディアを通じ、19世紀以降、いかにも高度(?)な欧米教育や文明技術が欧米白人達の自由闊達な博愛精神や施しから日本その他のアジアにもたらされてきたと宣伝されるのだが、それも元はイギリスやその属国のアメリカなどの欧米社会では古代ギリシャ時代から嘘と虚飾を教えるのが“教育”だと勘違いされている面もあるだろうが、前述のブローアムが学校以外にフランス南東部の地中海沿いにあったカンヌという、クリミア戦争ではイギリス兵の為の野戦病院が建てられていたこともある村落の土地をコレラの感染から逃れる為に一部、買い取って別荘を建てたことでイギリス貴族や富裕層がこぞって集まるようになり、その後、イタリアに派遣されていた欧米政府のスパイであるムッソリーニが世界に向けて宣教する映画を選ぶベネツィア国際映画祭や同じくスパイのヒットラー(第107話『革命(2)』(注2)その2参照)が主催していたドイツのベルリン国際映画祭に対抗する形でフランスの国民教育省大臣でフリーメイソンのメンバーでもあったジャン・ゼイがカンヌ国際映画祭を第二次世界大戦が始まる前年の1938年に立案したことからも分かるように今日、マスコミまたはマスメディアと呼ばれる大衆向けの情報伝達媒体はほとんど欧米各国政府によって操作されているからである。)へと進学し、父親が望んでいたようなプロテスタント(新興キリスト教)系独立派の牧師にはならず、それまで家の中でこっそりとしかできなかったおぞましい動物解剖(虐待)が堂々と許される動物学科を卒業した。
もちろん、UCLで披露した彼の解剖(虐殺)の腕前は非情なスパイやテロリストを求めるイギリス政府(王室)関係者達を大いに喜ばせ、父親譲りの弁論の達者さも手伝ってか、彼は早速、ガルトンのような貴族や富裕層の子女が通う王室直属の大学であるキングス・カレッジ・ロンドン(第115話『生命』(注1)参照)で生物学などを教える講師に採用されたのだが、さすがに彼の残虐性は常軌を逸していて誰もが彼を怖がり出し、表向きは優雅さや慈愛を装う理想のスパイ像とは程遠いため「野蛮な奴」と評価を下げてしまい、結局、今回の切り裂きジャック事件の舞台となるロンドンの下町のホワイトチャペル地区という、イギリスでは観光名所として名高いロンドン塔やタワーブリッジ(ロンドン橋の下流にある二つの塔に挟まれた跳ね橋)から北東に向けて車でちょうど15分ほど走った所に建てられている“王立の”ロンドン病院(=The Royal London hospital)に左遷されることとなった。
王立ということからしてロンドン病院は、1740年に設立されて以降、貧しい庶民の救済を目的とした病院を装ってはいるものの、1724年にロイヤル・ソサイエティー(王立学会)のフェローに選出され、同年、フリーメイソンのメンバー達を統率するグランドマスターでもあった第二代リッチモンド公爵のチャールズ・レノックスが設立からすぐ後の1742年に理事長に就任していることからも分かる通り、病院とは名ばかりで、実際は兵器開発を目的に生体解剖や人体実験を行う施設であり、まさしくフリーメイソンの根城ともいえる場所だった。
だから、左遷されたとはいえ、エドワードがロンドン病院に配属されたのも当然、大衆を対象とした生体解剖や人体実験を行わせる為であり、また、彼に続いて虐殺やテロ行為を手伝ってくれる似非医者やインチキ看護師を育成させる為でもあった。
そのため、精神病院(第115話『生命』(注1)参照)における患者への対応と同じく、治療を目的とした病院ではないので一度、門をくぐったらそのまま二度と退院できないか、運良く生きていても別の病院にたらい回しされるかのどちらかだった。
だが、それはロンドン病院に限ったことではなく、イギリスにある病院(=infirmary)と名のつく病院ははなから患者を“治療”する気など更々なく、本文でも話した通り、汚臭漂うロンドン市中の環境からすれば病院の衛生環境もまともであるはずはなかった。
(ちなみに、現代英語でHospitalは患者を診察して治療する比較的、大きな病院を指し、対してinfirmaryは病人を看護する小さい病院か、ケアホーム(療養所)のような場所を意味する。なお、Clinicも小さな病院を意味するが、こちらは病気全般を診察してくれて病気でなくても地域に密着して近所の人達に予防医学についてのアドバイスなどをくれる診療所を指す。)
ロンドン病院も設立当初はinfirmaryだったが、場所を移して拡張してからはHospitalに名前を改めている。
だが、名称が変わったところでイギリスにおける医学とは病気や障害で弱っている人達を治療して「生かす」(=cure and heal as much as possible to make the sick live)という考えはなく、むしろ、ダーウィニズム(進化論)や優生学に基づいて様々な病原菌や神経ガスといった人殺しの道具でしかない兵器開発にのみ医学知識とその技術を利用し、社会の足手まといになるような弱い人間は淘汰(排除)されるべきという考えなのだから“治す”ことが基本の医学が発展する訳はない。
むろん、他の欧米諸国もイギリスの生んだダーウィズム(進化論)や優生思想を手放しで歓迎したのだから例外ではない。
だから、彼らの運営する病院のほとんどが劣悪で、不衛生で、汚かった。
何か月も取り替えていない湿気たシーツからカビやキノコが生えているのも当たり前で、病室のベッドから蛆や虱が湧き、それを専門につぶして回る床虱取り係(=Chief Bug catcher)なる職業の人が医者よりも高い給料で雇われる。
もちろん、寝たきりの病人の糞尿や嘔吐物、血液、体液、薬品類などの匂いが交じり合い、市中の上を行く独特の悪臭が鼻をつく。
そうなるともはやそこは病院どころか人間が住まう場所ではなく、家畜小屋よりもひどい有様だった。
それでも慣れとは怖いものでどこへ行ってもそんな病院しかなく、貧しい庶民からすれば無料や安い料金で病気や怪我を診てくれるとなると嫌でもそうした病院に行かざるを得ず、しかも、生命を預ける以上、自分や愛する家族を診てくれる医者や看護師に面と向かって文句や不満が言える訳はない。
何とかしてその生命を助けて欲しい、救って欲しいから下手にも出るし、医者や看護師の、患者とその家族を小ばかにしたような横柄で冷たい、素っ気ない態度にも黙って我慢する。
だが、その切なる救命への願いはいつも残酷なまでに裏切られる。
それもそのはずで彼らは最初から患者を治療しようとして病院を建てている訳ではなく、単に患者が死んでくれるのを待って生体解剖がしたいだけだった。
それでどうやって経営が成り立つのかというと、国家(王室)から認可が下りれば国民が払う税金(社会福祉費)が主な収入源になり、それ以外は何ら見返りを求めようともせず慈善家や人道家と称賛されたい奇特な富裕層からの“寄付金”(=Donation)(?)、
というのはあくまで表向きの名目で、実際は出資金を募っていた。
要は、病院にお金を投じて株式や債券を買うことは長期に渡って安定した収益が見込める“投資”(=Investment)、または短期的でも転売などで大きな見返りがもらえる“投機”(=Speculation)と考えられていて、そこに収容されている患者の快復率や衛生管理などどうでもよく、何らかの特出した医学研究や医療技術の成果などで病院名や医者の名前がメディアや市中で有名になればその評判から株価や債券価格が上がる仕組みになっていた。
まさに第114話『細胞』(注2)で話したようなGM(不妊)蚊の放出で現代の金融市場の株価や投資額が跳ね上がるのと全く同じ仕組みであり、18世紀以降の“病院”とは大抵、そういう理由で建てられていて、ロンドン病院の他に例を挙げるとすればロンドン橋から徒歩10分ほど、イギリスの金融街であるシティ・オブ・ロンドンにも程近いガイ病院(=Guy's Hospital、1741年設立)もその一つだった。
ガイ病院は、トマス・ガイという無免許の聖書の出版販売とバブル(あぶく銭)の語源となった“サウス・シー・バブル事件”(=The South Sea Bubble、18世紀にヨーロッパや欧米の植民地である北アメリカ、カリブ海周辺、インド、アフリカなどでも行われていた数々の戦争(スペイン継承戦争&スウェーデン北方同盟戦争(または大北方戦争)など)に新たな領土を求めて参戦したがるイギリス政府(王室)が軍資金を稼ぐため倒産目的でカリブ海周辺の漁業権や貿易権を独占的に与えたサウス・シー株式会社を1711年に設立し、政府(王室)公認だったことからその株を巡って人々の投機熱が公開前から煽られ、結局、破綻した事件。株式暴落後、一夜にして全財産を失った人々が続出してイギリスの景気が冷え込み、毎日のように自殺者が出るぐらい国家(王室)が謀略してきた“詐欺犯罪”の中でも忘れられない史上最悪の経済事件の一つとなった。だから、国家(王室)としては最初から一般の株購入者に利益を還元するつもりなど更々なく、王室(政府)認可のない株式会社は創らないようにとわざわざ法律で規制し(Bubble Act 1720年)、株式投資をしようとする人達の資金をサウス・シー株式会社に一極集中させて政府(王室)関係者と裏事情を知っている富裕層だけが崩壊前に内部取引して荒稼ぎできるようになっていた。その上、バブル崩壊後もサウス・シー株式会社はこの事件を後始末してイギリスの国庫を一手に預かることになるイングランド銀行(=Bank of England)やロンドン証券取引所(=London Stock Exchange)と共に金融街のシティ・オブ・ロンドンで歴代のイギリス王達を名誉理事長に据えて1世紀以上も営業し続け、1825年にまたもやイングランド銀行に端を発した株暴落が起き(The Panic of 1825)、イギリス中の銀行が破綻に追い込まれる中、サウス・シー株式会社社屋が突然、火事に遭って焼け落ち、それでもなお、再建して主に国家(王室)の隠れ借金をごまかしながら戦費を捻出し続ける役目を担っていたようだが、度重なる金融破綻や破綻した銀行に損害の補償を求めて群衆が押し掛ける取り付け騒ぎを抑えるため、ようやく中央銀行としてイングランド銀行に国家の通貨発行権を独占させて通貨の価値と物価の安定を図る1844年ピール銀行法(=The Peel Banking Act of 1844)、または1844年銀行勅許法(=The Bank Charter Act 1844)と呼ばれる法案が制定され、軍資金の調達やイギリス政府(王室)の借金を全て植民地にした他の国々の通貨に替えて肩代わりさせる、いわゆる現代で言うオフショア銀行(=Offshore bank、海外拠点の銀行、海外の法律の下で脱税、資金洗浄、贋金造り、裏帳簿管理などの経済犯罪がしやすくなり、別名、タックス・ヘイブン(租税回避地)とも呼ばれる。)やペーパー・カンパニー(=英語はShelf company(棚上げ会社)またはAged company(熟成会社)と呼ばれ、非合法な活動や脱税、裏帳簿の管理をさせる為だけに作られた実体のない会社を指し、ペーパー・カンパニーは和製英語である。国家(政府)にとって未解決な借金や裏金などを一時的に預けて棚上げさせたり、温存(熟成)させるといった意味が英語には込められている。)を創る案がイギリス政府(王室)内で浮上し、阿片戦争(1840年~1842年)を起こして1842年にはインドのボンベイを拠点に中国に支店を置くオリエンタル・バンク(=The Oriental Bank Corporation、英国東洋銀行。)を開設したことと、ちょうど薩摩藩藩主の島津斉興と土佐藩藩主の山内容堂の密命を受けて渡米していた元漁師(という触れ込みの密偵)のジョン万次郎(または中浜万次郎)が帰国し、江戸幕府の老中だった水野忠邦も失脚して倒幕しやすい環境になったことから1853年にようやくアメリカの極東小艦隊を率いたマシュー・ペリーが浦賀沖(現、神奈川県横須賀市浦賀)に来航してジョン万次郎の通訳の下、日本の開国に成功したこと(黒船来航)により日本にも“香港上海銀行”(=The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation Limited、略してHSBC。1865年に香港で開設され、日本にはその翌年の1866年に横浜に支店が置かれた。第108話『人間の掟』参照。)が置かれることになったため、サウス・シー株式会社がイギリス政府(王室)の裏帳簿(隠れ借金)を管理する意味がなくなり、日本の開国と同じ1853年、ついに万年、赤字ながら常にどす黒かった142年の社史に幕を閉じた。)で大儲けし、巷ではどケチと評判だった男がわざわざ“寄付”して建てた病院で、このガイ病院で行われていたことと言うのが、12~13世紀には既にあったとされる、これまた精神病院と同じ人体実験を行い、生物(細菌)兵器の開発を請け負ってきた武器商人や金貸し出身の歴代ロンドン市長達が支援してきた聖トマス病院(=St Thomas' Hospital、元々はカソリック系の修道僧や尼僧などが貧民の為の療養所と偽って行っていた裏稼業を15世紀に病原菌を宿した鼠を生物(細菌)兵器として販売し、巨万の富を築いて4度もロンドン市長となったリチャード・ウィティントンが引き継ぎ、彼の死後は病院での闇商売を公にされたくない人々によって一度は解体されたものの再度、建て直され、17世紀には同じくロンドン市長でイギリスの国庫を預かるバンク・オブ・イングランドの頭取、しかもフリーメイソンのマスターでもあったロバート・クレイトンが病院の理事長となってさらに再び人体実験が闇で行われることになり、19世紀になると生体解剖の流行で実験動物を怪しまれず飼育できる動物園と、実験中に悲鳴や奇声が漏れても聞こえないよう音楽堂も併設していたロイヤル・サリー・ガーデンに一時期、引っ越したが、その後、現在の場所となるウェストミンスター宮殿とビックベンの真向かいにあるランベス(=Lambeth、元は古英語のLambehithaから略して呼ばれるようになり、「屠殺される羊達が荷下ろしされる場所」という意味の地名である。12世紀からイギリス国教会の大主教であるカンタベリー大司教の管轄する土地だった。)地区に移築された。なお、(伝染病の)鼠を売って儲けたウィティントンの話は彼の死後、180年以上も経った頃になぜか綺麗に脚色されて人形劇や民話、童話になっており、当然、子供向けなので生物(細菌)兵器用の鼠とは言わず、鼠を駆除する猫を売って儲けた話にまんまとすり替えられているものの、それでもその闇商売を始めるきっかけとなったのがロンドン北部にあるハイゲートヒルという丘で仕事に挫折し、都会での成功をあきらめて故郷に帰ろうとするウィティントン少年の耳に教会の鐘の音が「逃げるな、仕事に戻れ。お前はきっと未来のロンドン市長」と鳴ったように聞こえたからというもので、この話の意味が分からない読者にはおとぎ話のように聞こえるだろうが、実はこの教会の鐘、特に鐘楼(=Bell Tower、もしくはBelfry、真上に鐘が釣り下げられている塔のこと。)とは兵器開発を示唆するものであり、なぜ鐘楼が兵器開発と関係するのかは後ほど詳しく説明するが、ともかくウィティントン本人はこれまでキリスト教会で密かに行われてきた数々の兵器開発技術を知ったから闇商売を始めるようになったというのがイギリスの古い民話である『Dick Whittington and His Cat(邦題では『ディック・ウィティントンと猫』、1604年初演)』が語る真相である。ちなみにこの劇中に出てくるハイゲートヒルには現在、ウィティントン病院と呼ばれる15世紀はハンセン病患者の療養所として、1848年からは天然痘治療のワクチン開発の為に建てられた病院と(そのワクチンを摂取していたはずの医療ジャーナリストのジャネット・パーカーは10年以上、バーミンガム病院の研究施設にしょっちゅう出入りしていたが、それまで何の症状もなかったのに1978年に突然、発症し、天然痘によって死んだことになっている。第97話『不浄(1)』(注1)参照)、“王立”彫刻家協会(=the Royal Society of Sculptors、略してRSS。1905年設立)のフェローで生体解剖を学んだ経験があり、アジアやアフリカの野生動物を狩ってそれを彫刻の題材に使ったり、その狩猟旅行の様子をテレビで紹介したことでも有名な彫刻家のジョナサン・ケンワージー氏の彫った民話にちなんだ猫の像を載せた石碑が飾られており、一方、元々、聖トマス病院として使われていた教会は現在もロンドン橋近くのサザーク(=Southwark、古英語で「南の砦」と言う意味。)地区に残っていて、19世紀からは医学生や一般庶民に向けて解剖手術の様子を披露する為の手術劇場とナイチンゲールが約45,000ポンド(現在の日本円にして約7億円)もの寄付金を集めて設立したキングス・カレッジ・ロンドンの看護学部も併設していたが(第115話『生命』(注1)参照)、ナイチンゲール看護学校は聖トマス病院と一緒に引っ越したため、今は公開解剖の歴史博物館だけになっている。)で散々、人体実験に使われてもう治らない、と言うか元から治せない患者達をガイ病院が引き取り、一旦、聖トマス病院からは“元気に退院させた”と見せかけて病院の快復率を上げながらそうやって人知れず殺されていった患者達の本当の死因が世間から追及されてイギリス(王室)の歴史と共に歩んできた聖トマス病院の実体が明るみにならないよう、ガイ病院が聖トマス病院の最終的な後始末をすることになっており、そういう意味では“病院”と呼ぶよりもむしろ“闇の墓場”と言った方がふさわしかった。
そして、そんな兵器開発の為の人体実験ばかりを行う病院群の前に建てられているのが、イギリスのランドマーク(国家の象徴)とも言える“ビッグベン”、つまり鐘楼である。
イギリスがこれほどまでに兵器開発に国力の全てを注ぐようになったのも実はこの鐘楼が原因でもあった。
“ビッグベン”(=Big Ben)は、ガイ病院や聖トマス病院が設立された18世紀にはまだ、なかったが、ある事件をきっかけに建てられたものだった。
それは、国家(王室)の裏帳簿を預かっていた前述のサウス・シー株式会社が火災で焼失する1826年までイギリスでは国家(王室)の財政記録は全てタリースティックと呼ばれる、古代ローマの遺物とも言える細長い木板(日本では聖徳太子や平安時代の男性貴族が手に持っていた木杓のこと。)に記すのが中世からの決まりになっていたのだが、時代遅れだとして紙に記録するようになり、タリースティックは徐々に使われなくなって、イギリスの国会議事堂であるウェストミンスター宮殿に保管されるだけになっていた。
ところが、フリーメイソンの永久マスターだったウィリアム4世が戴冠するとまもなく、この国家財政が記された公文書であるはずのタリースティックを国会が延期された期間に片付けるよう指示された事務員がなぜか暖炉にくべる薪にしようとしたらしく誤って(?)暖炉に投げ込んでしまい、“イギリス政府(王室)の公式発表によるなら”これが火元となってウェストミンスター宮殿が焼け落ちたことになっている。(The Burning of British Parliament 1834年10月16日)
その焼け落ちたウェストミンスター宮殿の再建に伴って1859年に一緒に建てられたのがこのビッグベンである。
(なお、おかしな偶然とは重なるものなのか、イギリス(王室)の裏帳簿を管理していたサウス・シー株式会社が燃えると、今度はイギリス(王室)の国家財政の全貌が記されたタリースティックを保管していたウェストミンスター宮殿も火事になるといったように、このウェストミンスター宮殿の火災で華々しい消防活動を行ったというのが、12世紀からスコットランドにある“王立の”エディンバラ高校(=The Royal High School (RHS) of Edinburgh、1128年創設)を卒業し、建設会社を営む父親の下で建築構造学を学んだ後、1824年6月24日と11月15日の“2度に渡って起きたエディンバラ火災”のわずかな間に作られた消防署署長に任命されたジェームズ・ブレイドウッドと言う男で、イギリスではこの男が世界で初めて地域の人々の生命と財産を守る近代的な消防署なる公的サービスを導入させたと言われているようだが(日本は既に1658年に定火消しと呼ばれる幕府直轄の消防隊が編成され、武家も町家も関係なく地域を守る為の消防屋敷も設置されていたが、一方でその役職を逆手に取って火付けを行った廉で幕府にたれ込まれ、切腹を命じられた元火消し大名で赤穂藩主の浅野内匠頭(本名、浅野長矩)もいた。第107話『革命(2)』後書き(注2)その3参照)、その優秀な消防士のはずの彼の最初の仕事となった11月の大火災の際はそれを鎮火させるのに4日もかかっており、前回の6月の火災時には旧市街にあった王立銀行の建物が焼失し、11月も再び旧市街で火事が起きて、イギリスと連合国になる前の17世紀に建てられていたスコットランドの国会議事堂周辺の建物が燃えた他、フリーメイソンのメンバーでブレイドウッドと同じエディンバラ高校(RHS)出身の建築家であるウィリアム・バーンが設計した社交場が全焼した。
その後、このブレイドウッドはスコットランドからロンドンに移り、当時、イギリスには公的サービスとしての消防署がなく、代わりに保険会社が共同で“保険に加入してくれた会社(富裕層の財産)だけ”を火災から救出できるよう設立された消防会社の現場部長に抜擢された途端、前述のウェストミンスター宮殿の火災に遭遇することになり、ここでの火災の鎮圧も結局、後世に語り継がれるほど甚大な被害で終わっている。にも関わらず、彼の消火技術は本にもなっていて現代でも活かされているらしく、さらに不思議なことにブレイドウッドは本文(第116話『汚水』)で話した切り裂きジャック事件と似たような孤児や障碍者の臓器を目的としたバークとヘアの連続殺人事件の裁判にも出廷しており、事件現場の建物の様子を詳しく説明した最初の証言者になっただけでなく、現代では彼の名前を冠したフリーメイソンのロッジ(支部会館)まで作られている。(the Braidwood Lodge No.9802)
ついでに、火災の話とは別になるが、ブレイドウッドがわざわざ法廷に出廷して証言した、16人もの罪もない一般市民を解剖実験の為に殺害し、その死体を医学校に売り払った罪で被告人となったウィリアム・バークと同じくウィリアム・ヘアも二人共、全く同じ時期にユニオン・カナル(=the Edinburgh and Glasgow Union Canal、1822年創業)という、スコットランドのファルカーク市からエディンバラ市まで主に石炭などの鉱石を運搬する国営の運河会社に勤めており、この運河を設計したのがフリーメイソンのメンバーだった建築家のトマス・テルフォードで、ユニオン・カナルの大半の株式を握って経営していた役員達というのがこれまた、17世紀から代々、フリーメイソンの名簿に名を連ね、父親はグランドマスターだった銀行家のウィリアム・フォーブス男爵や本人がグランドマスターを務めていたエディンバラ市議会議長のジョン・マージョリーバンクス男爵など、まさにフリーメイソンの巣窟とも言える会社であり、特にウィリアム・ヘアは7年間もユニオン・カナルで荒くれ者の多い炭鉱夫達を相手に会社の指示に従わせる補佐役をしていたらしく、共犯のバークに死体を大学病院に売る話や殺害するよう唆したのもヘアなのだが、犯行が一般市民に知られて通報されると当初から会社(フリーメイソン)に伝手があったヘアは司法取引(=Turn state's evidence、イギリス英語ではTurn Queen(or King)'s evidence、直訳すると「女王様(または王様)の裁判証拠となるようにする」との意味になる。裁判で自分だけ罪を軽くしてもらうため共犯者に全ての罪が擦り付けられるような証言をすること。)して裁判では無罪となり、ヘア(と司法)に裏切られたバークは騒がしくなった世間を一旦、なだめる為に公開処刑され、あの名ばかり人類学者のダーウィン(第104話『細胞』後書き(注2)参照)の師であり、先祖代々、フリーメイソンに所属し、本当の死体の販売先だったアレクサンダー・モンロー“医学博士様”がバークの死体を公開解剖してその剥がされた皮膚は本の装丁に使われ、現在、これまたフリーメイソンのメンバーで建築家であるウィリアム・プレイフェアの設計による“外科医公会堂博物館”(=Surgeons' Hall museum、戦闘時に鎧を被ると頭が蒸れることから修道士(傭兵)達の髪を剃っていただけでなく、抜歯や瀉血(剃刀やヒルなどを使って悪い血を抜くと病気が治ると信じられていた。)などの医療行為と同時に生物(細菌)兵器の開発販売を行うことで自治区(無法地帯)を築いていた理髪師(民兵)集団を1505年、当時のスコットランド王のジェームズ4世が王室(国家)のお抱えにしたことから王立エディンバラ外科医大学(=The Royal College of Surgeons of Edinburgh)が誕生することになり、兵器開発教育の一環としてそれまでに解剖や人体実験に使われてきた器具や死体の一部を加工した品物を展示する博物館も17世紀初頭から併設するようになった。19世紀になるとインドや中国、東南アジア、日本などへの侵略(植民地)政策に必要な兵器開発のため解剖実験が増大し(第115話『生命』(注1)参照)、それに伴って博物館もプレイフェアの設計によって拡張されることとなった。なお、2015年も宝くじ基金で博物館は“再び改装されている。”)にて一般公開されている。一方、司法取引で死刑判決を免れ、釈放された共犯者のヘアも一般市民からの非難や襲撃を受ける羽目になり、おちおち外を出歩けなくなったことから再び元居た会社(フリーメイソン)の伝手を頼ってスコットランドを離れようとしたようだが、捕まった途端、仲間を裏切って司法取引に応じ、自白した様子から闇社会での掟を破ってしまったようで、ダムフリース(=Dumfries、スコットランド南部とイギリスとの国境沿いにある王室お抱えの自治村。ダムフリースとは、スコットランドのガリア語では「茂みの砦」という意味だが、古英語だと「しゃべらない修道士達」という意味になる。元々、武器や兵器を製造する軍需産業を行っていた村だったが、13世紀頃から修道士達も住み着きだし、村全体が軍産複合体(傭兵と軍需産業を生業とする共同社会)となった。日本で例えるなら忍者村のような所で、徹底的に隔離されて傭兵を訓練する傭兵養成所もあったことから、現代でも学校やボーイスカウトの大会などで歌われる『Auld Lang Syne(邦題は『蛍の光』1788年作詞)』はこのダムフリースで生まれた軍歌(人殺し達の歌)である。)に追いやられた後、さっぱり行方が分からなくなった。
そして、前述の火災現場で活躍していたブレイドウッドも結局、トカゲの尻尾だったのか、それとも本人が単に細工に失敗したのか、1861年6月22日にロンドンのサザーク地区で多額の保険金が掛けられていたコットンズ・ワーフという倉庫から突然、火の手が上がり、崩れてきた建物の下敷きになって死んでいる。(The 1861 Tooley Street fire)
ちなみに、火災保険(=Fire Insurance)や家財保険(=Property insurance、またはHome insurance)といった、それまでの海上貿易保険とは違う新たな保険商品が生まれたのは、1666年9月2日~4日に渡って燃え続けたロンドン大火災の後からで、この火災によってそれまで何度か火事に遭ってはその度に再建してきたものの、十分な資金がなくて再建も中途半端なまま老朽化が著しかったセント・ポール大聖堂(=Old St Paul's Cathedral、AD604年建造)が全焼し、以前から大聖堂を解体して一から再建し直す案をイギリス王のチャールズ2世に出していたフリーメイソンのマスターであり、解剖学者だとか科学者を名乗っていたチャールズ・レンと、彼と同じ“王立の”ウェストミンスタースクール(=Westminster School、1066年創設。6世紀頃の西ローマ帝国の崩壊と共に傭兵業を商売とするキリスト教系カルト教団のベネディクト修道院がヨーロッパ各地で建てられるようになり、イギリスでも王族や騎士達が出資してこの修道僧達の運営による宗教団体を装った傭兵学校を作るようになった。ウェストミンスタースクールもそのベネディクト修道院の一つであり、その後、ヘンリー8世やエリザベス1世のチューダー王朝時代に王室直属の学校となった。元々、傭兵学校なので軍律を叩き込む為の鞭打ちや体罰は当たり前であり、そんな教育の下でお互い食べ物を分け合うといった人の愛や情けが教えられるはずもなく、現代でも中世時代からの伝統の一つとして寄宿舎の料理人が高く投げ上げるパンケーキを生徒達が“互いに相手を蹴倒し、格闘しながら奪い合う”といった催しが続けられている。)の出身者で王立医師学会(=The Royal College of Physicians、1518年設立)に所属し、自称、経済学者の賭博師だったニコラス・バーボンが手を組んで、セントポール大聖堂の再建資金の確保と復興にかこつけた地上げ(建設用地買収)を行うためロンドン大火災で家屋や財産を失った人々に自分達にお金を預けてくれたら“天災(?)”が起こった際、消防隊が駆けつけて被害を最小限に抑えると共に被った損害を補償してあげると宣伝し、保険会社を設立したことがきっかけだった。まるで犯した罪はお金で償えるとでも言って寺院や教会で売られているお布施か免罪符の宣伝文句と似てるように聞こえなくもないが、ともかく、こうして集めた保険料でバチカン市国にあるカソリック(キリスト教伝統派)のサン・ピエトロ大聖堂(1626年建造、高さ136.6m)やイスラム教徒達がエルサレムに建てた岩のドーム(692年建造、高さ20.48m)に匹敵する高さ85m、木造に鉛を被せた“ドーム型尖塔”が今も天(神)に向かってそびえ立ち、一般市民が暮らすロンドンの街を居丈高に見下ろしているセント・ポール大聖堂(1697年建造。総工費約1,096万ポンド、今の日本円にして約219億円)が建設されることとなった。
なお、前述の通り、鐘楼と同様、ドーム(=Dome)も、尖塔(=Spire、槍のように尖った形をした塔のこと。鐘楼と尖塔が一つになった塔はSteepleと呼ぶ。)も兵器開発の為の建造物であり、後にこれらの建造物が私達、日本人の運命を変えることになる。)
では、また、話をビックベン(鐘楼)に戻そう。
元々、ビックベンは時計塔としか呼ばれていなかったが、2012年に現イギリス女王であるエリザベス二世の在位60周年を記念して“エリザベス塔”に正式名称を改めた。
従って、ビッグベンは正式名称ではなく、愛称である。
では、なぜ、ビックベンと呼ぶようになったのかと言うと、これには諸説あっていろいろ議論を呼ぶのだが、元はスコットランドの伝統家屋であるBut and Benにちなんだもので、But and Benとは二間続きの平屋家屋を指しており、Butは台所や客間のある外向けの部屋、対してBenは寝室のような家主の私的な空間を意味しており、このBenを大きくしたからBig Benと呼ぶようになった。
つまり、他人にはまず見せることのないこの塔の持ち主(=王室)の内心を表しており、この塔をBig Benと呼ぶようになったのは「天(神)に盾突く肥大化した野望」という、塔の持ち主(=王室)に対する密かな皮肉を込めたからだった。
だが、そもそもなぜこんな時計塔を国会議事堂と一緒に造ったのかと言うと、別に正確な時間をイギリス国民の皆さんにお知らせしようとした訳ではなく、青銅器時代に造られたバベルの塔(第92話『ロゴス(言葉)(2)』の(注7)参照)を再現しようとしたからである。
もっと正確に言うなら、イギリスに限らず、鐘楼や尖塔、ドームといった“摩天楼”(=Skyscraper、英語を直訳すると「空をこする物体」で、日本語も「天を摩擦する楼閣」を縮めた造語である。)は今まで散々、世界中に建てられてきたが、なぜ、人類は塔という高い建物を建て、一体、“何が”あのバベルの塔を崩落させてしまったのか?という謎を探る為にわざわざ建てさせたというのがビックベンの真相である。
というのも、ウェストミンスター宮殿は18世紀以降、グランドロッジ(今でこそ呼び名はご立派だが、元々、彼らが集っていた場所は単なる居酒屋)と呼ばれるフリーメイソンの支部会館のある場所から目と鼻の先にあって、今ではウェストミンスター宮殿内にすらも支部会館(The New Welcome Lodge, No. 5139)があるほど古くからフリーメイソンの拠点となっていたからである。
フリーメイソンのロッジ(The Lodge of Edinburgh (Mary's Chapel), No.1、1599年設立。現在はスコットランドで毎年8月に行われるエディンバラ・フェスティバル・フリンジと言う世界的な芸術祭でthe Hill Street Theatreという名前で劇場としても使われている。)が最初に建てられたのはスコットランドで、イギリス女王の座を巡ってエリザベス1世にまんまと敗れたスコットランド女王のメアリーを母に持つジェームズ6世(イギリスではジェームズ1世と呼ばれる。)が、その母の遺恨とも言うべき王座への野望を叶えるべく、デンマークから嫁いできた王妃アンヌの連れてきた司祭や僧侶達から指導を受け、自身が抱えていたストーン“メイソン”(石工)達に城や城壁といった城塞(永続的な防衛拠点)を一新させたことがきっかけだった。
このジェームズ6世(または1世)というのがどうも心を病んだ精神異常者だったらしく、祖母と母譲りの陰謀好きで、しかも、自ら『Daemonologie(邦題にすると『悪魔学』)』1597年発刊)という本まで出版するほど黒魔術の大好きな悪魔崇拝者だった。
そして、そんな頭の逝かれた男に嫁いできたのがこれまた、プロテスタント(キリスト教新興派)の開祖であるマルチン・ルター(第103話『略奪』(注1)参照)が言い出した、「カソリック(伝統派)のローマ教皇に従って王権を与えてもらおうとするのではなく、自ら聖書に書かれた武器や兵器、軍事手段を解読し、天(神)から直接、王権を授かろう」との、いわゆるルター派(プロテスタント)の王権神授説に従ってクロンボー城の城塞を増強させたデンマーク王のフレデリク2世の娘で、父親に負けず劣らず母親のゾフィーもティコ・ブラーエという金(実際は金メッキ)の付け鼻で有名だったインチキ天文学者を寵愛して錬金術(疑似化学)やら黒魔術などにいたくのめり込み、貞淑な妻を装いながら実際は夫フレデリク2世から王権を奪おうとレプトスピラ菌(第102話『腐敗 』(注3)参照)に感染しているドブネズミの尿を酒好きの夫のワインにこっそり混ぜて毒殺したという本物の“魔女”だった。
だから、その娘のアンヌも当然、両親から軍事(人殺し)の技術や知識を伝授されており、ジェームズ6世が彼女を妻に迎えたのもこのデンマークで培われた生物(細菌)兵器や錬金術(化学兵器)などの軍事技術を指南してもらうことが当初からの結婚の条件だったからである。
こうした背景から“フリーメイソン”(=Freemasonry)とは、このデンマークの黒魔術を学んだスコットランド王ジェームズ6世が聖書を英訳させた後(『the King James Bible』、邦題では『ジェイムズ王訳聖書』または『欽定訳聖書』1611年発刊)、これを軍事的に解読してもはや世界の誰からも脅かされないような軍事力を持つことで“不安や恐怖から自由になれる(?)王”になろうと、石工その他の職工達に城塞や城壁を始め武器や兵器、戦術など実に様々な軍事技術を磨かせる為に結成させた軍事結社だった。(『The True Law of Free Monarchies』、邦題にすると『自由君主の真の法則』ジェームズ6世著、1598年発刊)
しかし、元よりそんな軍事(人殺し)の技術や暴力を教える為に聖書が作られた訳でも、人々から罵られ、恥辱にまみれてもなお、聖書に書かれた真実(神)への信念を貫こうとイエスが身を賭して十字架を背負って歩いた訳でもないため、むろん、ジェームズ6世やフリーメイソンのメンバー達による聖書解読は失敗に終わり、いくら血眼になって聖書を読んでもどこにそんな凄い軍事技術が書かれてあるのか全く分からないまま年月が過ぎ、結局、エリザベス1世の死後、ジェームズ6世はあれほど力を入れて磨いてきた軍事力を全く問われることなく遺産相続(=法律/言葉の約束事)で念願のイギリス王となった。
それでもジェームズ6世は、自分の心が生み出した不安や恐怖といった“妄想の魔物”に憑りつかれていたらしく、莫大な税金をかけ、多額の借金までして誰もがひれ伏すような地上最強の軍事技術なるものを手に入れようとひたすら軍備増強に心血を注ぎ、加えて、この当時はヨーロッパの王侯貴族達が武装商船(=海賊船)を派遣させて世界を股にかけ、他国の資源や金品を強奪したり、そこで平和に暮らしていた人々を無理やり強姦したり、誘拐して奴隷にして売り飛ばすといった、いわゆる大航海時代(第103話『略奪』参照)の真っ最中ということもあって、ジェームズ6世も南アフリカからインド、東南アジア、果ては日本にも触手を伸ばし、偶然、イギリス商船からオランダ商船に乗り換えて日本にたどり着き、少年の頃に習ったきりの造船技術というより、むしろ相手が外国人だろうと誰だろうと他者への礼儀と尊重(思いやり)の精神(心)を失わなかった優しい“人柄”を徳川家康にひどく気に入られて旗本侍(将軍に直接、会える家臣)にまで持ち上げられ、破格の待遇を受けていたイギリス人船乗りのウィリアム・アダムズ(日本名は三浦按針)の存在を知り、彼の仲介で日本と交易できるようイギリス商館を開いて当時の将軍である徳川秀忠から“友好の証として”南部鉄器で有名な岩手県の鉄黒漆塗甲冑を贈呈されたのだが、その軽くて機動的な上に頑丈でもある鎧(甲冑)に驚いて日本の製鋼技術や漆塗り製法を欲しがるまでは良かったものの、いつもながらの邪悪な心が祟ってか“人間らしく”仲良く平和にお付き合いしましょうといった友好の情など鼻で笑い飛ばし、早速、日本に侵攻してその技術や資源を強奪しようと企んだ。
そうして、同じイギリス人と思って日本の内部事情を教えるよう自分達のスパイになれと按針をその陰謀に誘ったところ、彼はいともあっさりとその誘いを断ってきた。
と言うのも、遠洋に出かけて以来、イギリスに残してきた妻子の事は忘れられなかったが、日本人の妻子や安定した職も得て既に日本に定着し、すっかり日本に馴染んでいて按針としてはもはやこの土地を離れる気など毛頭なく、ましてや、長年、武装商船(海賊船)で暮らしてきた按針にしてみれば日本に来るまでに水や食糧の補給がなくなればよその土地を襲って強奪し、現地人や商売敵のよその国の船員達とも絶えず諍い(人殺し)合って、自分の弟もそうした争い(人殺し)で亡くしているのにようやく戦国時代に別れを告げ、天下泰平になろうとしている江戸時代の日本に再びあの血反吐と辛酸を舐め尽くすだけの戦争(人殺し)の日々を招こうとは決して思っていなかったからだった。
だが、そんな按針の平和への思いなどお構いなしにジェームズ6世と彼の考えに賛同して従う臣下達は自分達の強欲さや身勝手さから思いついた陰謀を実行すべく、祖国(の王)を裏切った反逆者だとして彼をイギリス商館の日本支社長だったリチャード・コックスに暗殺させてしまった。
ところが、これが却って按針の人柄を通じてイギリスに親近感を抱き、交易にも乗り気になっていた江戸幕府の警戒心を一気に強めさせ、イギリスという国はたとえ祖国から遠く離れた異国の地でばったり出くわした同国人でも自分達の利害と相反すれば情け容赦なく相手を殺してしまう、そういう冷酷非情で残忍なお国柄(文化や文明度)だと江戸幕府に認知されることとなり、結局、日本を鎖国政策に踏み切らせるきっかけをも自ら作ることになった。
そのため、それまでイギリス政府(王室)が多額の税金や借金を賭けて武装商船(海賊船)を派遣し、多くの船員達(イギリス国民)の血と汗を絞らせてようやく地球の果てにある日本で開設させるに至ったイギリス商館は呆気なく倒産し、借金を増やしただけに終わり、しかも、スコットランド王とイギリス王を兼任するようになってからもジェームズ6世は相変わらず陰謀と暗殺に明け暮れる毎日で不安や恐怖に怯えて神経をすり減らした挙句、自身が創ったフリーメイソンの精神でもある陰謀と暗殺の文化がイギリスにも浸透して、自分や妻子、その側近がその王権を巡ってお互い生物(細菌)兵器で殺し合うようになり、とうとう皆、死んでいなくなった。
その後、遺されたジェームズ6世の次男であるチャールズ1世がその王位を継いだものの、それまでに費やしてきた軍事費への莫大な負債が原因でイギリスの国家財政自体が破綻し、結局、イギリスの市民革命とも言われる清教徒革命(第114話『細胞』(注2)参照)で両親とその側近達がやった犯罪や失敗も含めその全責任を背負わされたチャールズ1世もあえなくその首を刎ねられることとなった。(The execution of Charles I 1649年1月30日)
しかし、イギリスではジェームズ6世がイギリス王になって以降、『theKing James Bible(ジェームズ王訳聖書)』がそれまでの聖書に代わって教会で使われる国教(道徳教育)の教科書となり、軍事(人殺し)技術や知識を解読する為だけに誤訳された聖書の影響で暗示的に“人を欺き、傷つけ、殺すこと”が正義であり、社会的強者であると教わるため自分も含めて“人を生かして豊かに繁栄させる”考えに基づく産業技術はもちろんのこと、兵器を開発するにしてもイギリス国内で教えられる自然科学の知識や技術のほとんどが“真実(正しく良い事)は伝えない”権力者に都合の良い嘘だらけなのだから全く使い物にならず、フリーメイソン(軍事技術研究団体)自体も名ばかりになっていったのだが、清教徒革命から台頭してきた私兵を雇って革命(内戦)で荒れている国内の混乱に乗じ、国内外の土地や資源などを奪おうと狙う商人や地主達、同じく大衆を扇動して革命軍(=New model army、1645年~1660年の王政復古までの期間に結成されていた国民軍のこと。それまでのような騎士(貴族家系の子孫達)を中心に形成された王族系の軍隊ではなく、賃金や地位などの“報酬と引き換えに”自分の腕っぷし(暴力行為や謀略)を商売にする現代と同じ職業軍人達による軍隊がイギリスではこの清教徒革命が始まった17世紀から創られるようになった。ちなみに、日本では皇族や貴族の支配による平安時代が崩壊し、12世紀から鎌倉幕府が成立して以降、武力(暴力)を競って下克上(下の身分の者が上の身分の者を倒して政治権力を握ること。)を狙う戦国時代は既に始まっており、ようやくイギリスが絶対王政による国家運営に疑問を抱くようになった17世紀には日本はもはや王政どころか武力(暴力)による国家運営にも限界を感じ出し、完全とは言い難いものの、それでも日々、他人を陥れ、欺き、戦争(人殺し)することしか頭にない戦国時代からの脱却を図ろうと法制度の整備や産業の育成、学問(教育)の奨励などの文民統制(武力を持たない者が国家運営を担う)に力を入れ、“人を生かす社会”を目指す徳川幕府体制ができつつあった。その日本とは対照的にイギリスはあくまで武力(暴力)と戦争(人殺し)に勝利する者のみが神から国家権力を与えられると説くキリスト教の教義(王権神授説)に加え、ジェームズ王訳聖書の教えもあってますます軍拡競争への血の泥沼にはまり込み、その軍事費の増大で国家財政を破綻させた王政になり替わって今度はその身分に関係なく、軍資金と兵力を集められる者なら誰だろうと王権を狙えるようになった。とは言え、既に国家経済が破綻している上に莫大な軍資金をひねり出すには個人の力では無理があるため徒党を組むしかなく、そこでイギリスに誕生したのが議会(=The Parliament of England)だった。それまでの議会は王政を助ける補佐役でしかなく、最終的な意見や判断は国王が決めていてそれを法制化する手伝いをさせていただけだったが、戦争(人殺し)する度にその軍事費を税金からねん出させるには利害や権益の異なる臣下達が議論を重ねて調整し、臣下同士が合意するまでの議会の存在が重要になってくることから、17世紀になる頃には財政破綻させて有名無実化している王政よりも実質、国家財政をやり繰りしてきた議会の立場が逆転するようになった。要は、腹をすかせた社会的弱者(兵士)というのは実際に養ってくれる権力者の味方につくため、たとえ長年、権力者を名乗っていてもその人物が能無し、金無しと分かった時点で弱者(兵士)はその人物を見限り、味方になるどころか臣下のままでいようとは全く思わなくなる。フランス革命で能無し、金無しとみなされたナポレオンが大衆から見限られたのと同じく(第103話『略奪』本文、及び後書き(注3)参照)、こうしてジェームズ1世の息子のチャールズ1世は議会派(=Parliamentarians、またはRoundheads(丸刈り、円頂党)。鎧を被る際に髪を短く刈った方が便利なことと、修道僧と区別できるように頭全体を丸く刈るヘアスタイルにしたことから名付けられた。後にこの丸刈り集団は第114話『細胞』(注2)で話したホイッグ党に繋がっていく。)と呼ばれる臣下達から見限られて処刑された。かと言って、国家経済が破綻したのは何も国王一人の責任ではなく、国王に言われるがまま税金のほとんどを戦費に注ぎ込んできた臣下達も悪いのであって、今更、彼らが徒党を組んだところで“殺す、壊す、傷つける”以外で自分達の社会を“良くして豊かに発展させる”考えなどあろうはずもなく、いずれ自分の利得だけを優先しようとしてお互い争い合い、仲間割れするのが結末で、そうして国家経営に再び行き詰っても彼らが“思い付ける事”はせいぜい、元来た道を逆戻りして祖先から教えられてきた以前の社会規範(悪習)に立ち戻るか、あるいは自分達とは全く別の国家(社会)で発展していたり、成功している何らかの知識や技術、人や物、資源、土地などを盗んできてそれらをそのまま自分達の社会に取り入れるかぐらいだった。何せ、ありとあらゆる悪事や犯罪、“間違った”行動は思いつけても、そうした自分達の未熟さや失敗、間違いを心から恥じて反省し、それとは逆に“正しい”生き方や“良い”行動をするように努力するといった“改善、改革、改心”の考え(心)など微塵もないのだから、到底、進化も向上も成長も望めるはずはない。だから、いつまでも“変化することなく”同じ失敗を繰り返すだけなのだが、それ以上に彼らが悲惨なのはそんな自分達の愚かさや醜悪さ、自分達の住んでいる世界(社会)こそまさに低劣で不幸(地獄)だということをまともに振り返って考え、恥じ入ることもないため同じ失敗や間違いを繰り返していてもそれが「また、同じ失敗をした。」とか「何かおかしい。間違っているんじゃないか?」と“気づきもしなければ”、また、前と似たような苦痛や不安、恐怖に悶え、怯えながら自分達の手ではどうにも創り出せず、増やすことも拡げることもできない何らかの利益が目に入った途端、我先に飛びついて誰彼なく蹴倒し、奪い合いをしなければ生き残れないそんな自分達の世界(社会)の貧しさや無能さすらも“分からない”。そのため、誰かを殺したところで自分達の住む世界が変わる訳でも、目の前の財政赤字が消えて無くなる訳でもないのに、なぜか国王であるチャールズ1世を処刑(その存在を抹消)しさえすれば無能な人間は排除されて全ての問題が解決すると勘違いしているようだった。そうして、自分達自身の愚かさや醜悪さには全く気づくことなく、それどころか自分達は神のごとく何でもできて有能で、武力(暴力)さえあれば何でも手に入れられ、思うがままに人々も支配できると自惚れる彼らは(そのくせ「できない」、「無理だ」が彼らの口癖なのだが・・・。)早速、財政再建やら国家改造、宗教改革などと大衆に聞こえのいい美辞麗句を並べ立てて兵士や寄付金(軍資金)を募り、「我こそは新しいイギリスの指導者である。」と言ってお互い武力(暴力)を競い合う内戦を始めるようになった。つまり、日本より500年以上、遅れてイギリスは戦国時代が始まったようなものである。とは言え、日本もそうだったが、仏教や国家神道(天皇は天照大御神の子孫で、その大御神から王権を授かった神の化身であるため、天皇以外の国民は全員、天皇の臣下であるべきと伊勢神宮を中心とした日本の神社で教えられる日本での「王権神授説」のこと。天照大御神については第110話『灌漑』(注2)を参照。なお、建前上、日本は第二次世界大戦に敗戦したことになっているため1945年12月15日にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から命じられてこの国家神道は既に廃止されているはずなのだが、未だ皇室が存続し、国民が重税を払って彼らの地位や財産を守っていることからしても分かる通り、国家神道の教えは21世紀の今も日本国民の心に根強く残っているのが現状である。ちなみに日本が敗戦したことになっている理由については第107話『革命(2)』(注2)を参照のこと。)を散々、教え込まれて育った一般庶民を説得して徴兵や徴税を行うにはそれまでの宗教や社会規範から大きく逸脱した大義名分(理由)ではかなり難しい。そこで日本でも末世(この世の終わり)とか乱世と呼ばれる平安末期から日蓮宗や浄土宗、浄土真宗、禅宗など既存の仏教(宗教)から実に様々な派閥(宗派)が興り、それらの宗派を王権を狙う多くの武士や領土を持つ領主達が擁護し、僧兵などの兵力が一気に増大したようにイギリスもこの清教徒革命から前述した切り裂きジャック犯のエドワード・エイベリングの父親が牧師をしていた独立派や会衆派、バプテスト(=Baptists、洗礼派)、クエーカー(=QuakersまたはFriends、心霊会派、または友会徒)、シーカー(=Seekers、求道派。後にクエーカーと合併する。)、そして“清教徒”革命という名前に冠されているピューリタン(=Puritan、日本語では「清教徒」と訳され、16世紀にプロテスタント(キリスト教新興派)の開祖のマルチン・ルターから分離してフランス人牧師のジョン・カルヴァンが創設した宗教派閥がイギリスに波及し、イギリスではPuritanと呼ばれるようになった。広く分類するならカルヴァンの名前からカルヴァン派と呼ぶこともある。)等々、いろいろなプロテスタント(キリスト教新興派)の宗派が創られるようになった。と言うのも、元々、キリスト教自体、イエスの教えから大きく外れた弟子のペトロが独立して開いた宗教であり、彼がイエスに隠れて信徒達から寄付金を募り、こっそり裏金を貯め込んでいたことからも明らかなように、キリスト教は人々を欺いて軍資金(税金)を集める為の口実(理由)としてはうってつけの宗教であり、そういう意味では仏教もユダヤ教もイスラム教も、世界のどの宗教も変わりはないのだが、それ以上に「キリスト(救世主)であるイエスは世界の為、人々の為に自らを犠牲にし、十字架上で死んだ。」と聖書を“誤読”し、その殉教死(犠牲死)をやたらと礼賛する上、王権神授説と軍拡を強調したジェームズ王訳聖書により徹底して武力(暴力)を肯定的に教え込まれるのだからそうした洗脳教育を受けてきた17世紀のイギリス国民に向かって「お国の為に死んでくれ」と宣教して兵士(殉教者)を募集するにも最も都合のいい宗教(精神教育、道徳教育)でもあった。そのため、このピューリタン(清教徒)の宣教活動(=Propaganda、現代ラテン語のPropagare「種を撒く、拡散する」という意味に基づき、1622年にカソリック(キリスト教伝統派)の総本山であるローマ教皇庁が Congregatio de Propaganda Fide(布教聖省)という機関を、カソリック(伝統派)を非難して改革を訴え、勢力が拡大してきたプロテスタント(キリスト教新興派)に対抗して設置したことから、これを略して Propagandaと呼ぶようになり、以後、一部の集団の利害に合うように世論を操作し、誘導して宣伝することを意味するようになった。ちなみに1967年からは布教聖省は福音宣教省(Congregatio pro Gentium Evangelisatione)に名称を変えている。 Evangelisationeの意味は第103話『略奪』(注1)を参照のこと。)にまんまと担がれたイギリス国民の多くが革命軍に入隊するようになった。)という民兵を中心とした軍隊を編成していたオリバー・クロムウェルを始めとする軍閥政治家達にとってフリーメイソン(軍事技術研究団体)を味方につけることは重要かつ必須であり、(実際は何も無くても)彼らが隠し持ってるだろう秘密兵器や軍略が彼らの内戦の勝敗を左右するように思われた。
だが、何度も言うようだが、既に国家経済が破綻していてフリーメイソン(軍事技術研究)どころか、内戦を続けるにしても兵士(国民)を養っていく為の食糧や資源すらも無いのだから、お互い国内のわずかな食料や資源、土地を奪い合って急場を凌いでいるだけで、それもいつかは底を尽き、わざわざ内戦(殺し合い)をしなくても遠からず皆、飢餓で野垂れ死ぬのが目に見えていた。
そこで彼らがその急場を凌ぐ為に始めたのが海外植民地の拡大だった。
要は国内ではもはや食べていけないので、海外にあるよその国(土地)を襲撃してそこで生産されている食料や資源を強奪することで生き延びようとしたのである。
しかし、その生き残り戦術はイギリスで清教徒革命が起きる以前から既にヨーロッパ中で行われていたことで、言うなれば、現在、世界中の学校で歴史の時間に教わる大航海時代(=the Age of Discovery)とは、自分達の頭や身体を駆使して自分達が生きていく為の食糧生産や産業技術の開発ができなかった欧米白人種が海を越えてよその土地(国)からそれらを強奪しようと地球上の平和だった土地(国)を荒らして回っていたというだけで、彼ら欧米白人種が“言論の自由は許されていると豪語する”現代ですらもその凄惨な犯罪の数々は何事も起こらなかったかのようにうやむやにされ、逆にこの大航海時代を契機に彼ら欧米白人種が自分達で創り出したとする高度(?)な文明や文化をキリスト教の福音(宣教)と共にまるで神(善)の智慧や恩恵、救いを世界中の国々にもたらしたかのような印象で語られるが、そんな事実は一切、無い。
むしろ、世界に出ていろんな国の文明や文化を見て救われたのは欧米白人種の方である。
それはともかく、イギリスと言う国家(共同社会)と一緒に存亡の危機に立たされていたフリーメイソンという組織も、武力(暴力)と法律の裏をかいて国内外の土地を地上げし、成り上がってきた紳士階級出のロバートとその弟のヘンリー・リッチ兄弟(父親の代から金と武力(暴力)に物を言わせて爵位を買ってきただけなので由緒正しき血筋の方々とは言い難いが、それでも一応、二人共、“税金で養われている”伯爵という称号の貴族様である。)、父親がリッチ家から認知されなかったものの、一族としてリッチの姓をもらい、本家の爵位や武力(暴力)を借りて植民地開拓と貿易商を営み、国会議員にのし上がった商人のナサニエル・リッチ、そしてこのリッチ家の後押しを受けてイギリスの護国卿(=Lord Protector、チャールズ1世の処刑後、議会がイギリス全土の実権を持つことになり、彼ら議員達のうち、とうとうと聖書の句を暗唱してみせ、歌と芝居が上手かったことから当時、兵士達(大衆)に絶大な人気があった軍人役者のオリバー・クロムウェルが1653年、イギリスの指導者(=独裁者)として護国卿に祭り上げられた。なぜ、彼がそれほど歌や芝居が上手かったのかと言うと、キリスト教系の学校や教会というのは昔も今も変わらず讃美歌や聖歌を習うのが当たり前で、傭兵達(大衆)を一つにまとめて士気を高めるには歌や音楽は欠かせないものだったからである。だから、日本の仏教でも節(メロディー)や調子(リズム)をつけてお経を読んだり、木魚や太鼓を叩いたり、笛や鈴を鳴らすのは人々の興味や関心を引いて入信を促したり、士気を高める為で、それまでは貴族や皇族で行われていた神楽(神社で行われる歌や踊り)や声明(仏典に節をつけて僧侶が独唱すること)などの音楽や余興が、乱世と呼ばれ始めた平安末期や鎌倉時代から次第に大衆の間で広まりだし、猿楽(物まねや曲芸、世俗的な歌舞を見せる演劇)や能(猿楽から発展し、仮面をつけた役者が主に踊って脇で合唱隊が物語の筋や背景を語る芝居)、狂言(同じく猿楽から発展し、役者が歌いながら台詞を語ったり、踊る芝居)などに転じていったのもそうした演劇や音楽を巷で拡散しておけば非現実な夢物語に大衆を浸らせることができ、歌や芝居に乗せられて出世や名誉欲に掻き立てられた若者達が入隊を志願してきて募兵がしやすくなったり、莫大な戦費の課税を強いられる一般国民や入隊後、低賃金な上に常に上官の命令には絶対服従、体罰や懲罰を与えられ、結局、戦地に飛ばされて生命と財産を奪われるだけの兵隊生活に対する兵士達(大衆)の不満をそらしやすくなるからである。ちなみに、ヨーロッパで軍楽隊(=Military Band)ができるようになったのは“バロック”(=Baroque、ポルトガル語で「歪な真珠」という意味で、中国の香港とマカオの間を通り、南シナ海へと流れる珠江(英語ではPearl River)の河口付近では13世紀頃から養殖真珠が盛んに行われていて、大航海時代に中国へ渡航してきたポルトガル人達から barrocoと呼ばれたその真珠がヨーロッパで出回るようになった。以来、その不規則な形を模倣した装飾品や建物、絵画、音楽などを総称してヨーロッパではバロックと呼ぶようになった。なお、養殖真珠は青銅器時代から既に行われてきた産業技術であり、実は日本も古代から真珠を人工的に作っていたのだが、それについては後ほど、本文で詳しく触れたいと思う。)と呼ばれる17世紀頃からで、軍産複合体国家のオスマン帝国(第105話『欺瞞』(注1)がメフテル(=Mehter、オスマントルコ語で「楽士」)達を集めて中隊を組んでいたのを真似て欧米でも様々な楽器を持ち寄って大勢の楽士が一緒に演奏するというオーケストラや軍楽隊が結成されるようになった。オーストリアの作曲家として有名なウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したとされる『トルコ行進曲』(=the Turkish March、音楽用語での正式名は『ピアノソナタ第11番』で、このうちの第三楽章をモーツァルトの楽譜では『alla turca(トルコ風に)』と記されていたことから、以後、トルコ行進曲と呼ばれるようになった。1784年出版)もこのオスマン帝国の軍楽隊の音楽を真似たものと言われている。なお、余談ではあるが、モーツァルトも実はフリーメイソンのメンバーで、彼は1784年12月14日にウィーンにあったフリーメイソンの支部会館(Zur Wohltätigkeit)に入会し、その翌年にはすぐに熟練工となり、その後、マスターメイソンに昇格している。そのため、このトルコ行進曲もフリーメイソンの儀式で使われる曲として創られており、曲の特徴として音階(音の高さ)の違う三つの音を同時に演奏する三和音に加え、途中で“歪に”高い音や低い音が効果音として混ぜられている。これは元々、フリーメイソンという組織が新約聖書に出てくる星の動きを追って救世主の到来を知り、イエスが生まれた馬小屋に高価な香料や金の贈物を持って訪れたという東方からの三人の賢者(または僧侶)(マタイ2章。子供でも嘘と分かるおとぎ話だが、人殺し(戦争)の道具を作る為だけに死に物狂いでお勉強されている頭の逝かれた方々は真面目に信じていらっしゃるらしく)になぞらえて結成されており、大まかに宗教や宇宙、天文学にまつわる研究をする部門と、不老長寿の薬や死者復活、理想の子孫を繁殖する為の遺伝子操作などを研究する医療部門、そして化学兵器や生物(細菌)兵器、核兵器、銃などの製造の為に化学や工学を研究する部門とに分かれていて、さらにこれらの部門はそれぞれアプレンティス(徒弟/入会者)、フェロー(熟練工)、マスターメイソン(親方)の三階級制で成り立っていることから、この組織の重要な三本柱という意味で三和音が使われている。その調和している三和音の中になぜ、わざわざ歪な高い音や低い音を混ぜるのかと言うと、不協和音を聞かされると人間(生物)は危険や不安、恐怖、不快感などを覚えて緊張し、聞き耳を立てやすくなる。例えば、落語や芝居などでお化けや幽霊が登場する前に笛のヒューという高い音に続いてドロドロドロと低い太鼓の音を奏でられると不安や恐怖を掻き立てられるのと同じように、このトルコ行進曲もそうした演出効果を狙っており、要するにそれとなく不安や恐怖心を煽って兵士(大衆)の士気や高揚感が高まるように作られている。ただし、正確に言うとこのトルコ行進曲を作曲したのはモーツァルト自身ではない。そもそも、モーツァルトは作曲家と言うより楽器演奏者であって、本職は男娼だった。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、洗礼名をJohannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozartと言い、最初のJohannes Chrysostomusとは4世紀頃に東ローマ帝国のコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)に建てられていた初期キリスト教教会の一つである東方正教会(=The Eastern Orthodox Church、正式名は the Orthodox Catholic Church、日本ではギリシャ正教会とも言う。2020年時点で全世界約20億万人以上いるキリスト教徒のうち、約2億3千万人の教徒を持ち、キリスト教の総本山であるローマカソリック(キリスト教伝統派)を頂点にして次にプロテスタント(キリスト教新興派)、そして東欧やロシア、トルコ、ギリシャや中東などを拠点に三番目の信者数を誇るのがこの東方正教会である。)の主教を務めていた男で、口が達者で説教が上手く、金と信者を最もよく集めたことからChrysostomus(ギリシャ語で「金の口」の意味)と呼ばれていて大衆を扇動し、テロ行為を唆していたフリーメイソンの元祖のような人物の名前であり、次につけられた洗礼名のTheophilusとは清教徒革命から1世紀後、モーツァルトが生まれるほんの20年ほど前に再びフリーメイソン(=イギリスの国家財政)が潰れかかった際、イギリスの天文学者のアイザック・ニュートンと共に前述した国家経済詐欺であるサウス・シー・バブル事件を思いつき、財政危機を乗り切って18世紀にフリーメイソンの本拠として建て直されていたプレミア・グランドロッジ・オブ・イングランド(=the Premier Grand Lodge of England、1717年設立)で副グランドマスターに何度か選ばれ、兵器開発できる人物を養成する為に大衆に向けて初めて物理学や天文学、工学、時には「死とは何か?」とか「正義について話をしよう」といった、現代でもよく巷で見かける実験哲学などの科学教育の公開講座を開いたフランス系イギリス人のジョン・テオフィリュス・デザグリエの名前である。特に後者は今でも彼が副グランドマスターに選ばれた日の1725年12月27日を記念して毎年、キリスト教の聖人の祝祭を装った記念祭が行われているほどフリーメイソンのメンバー達にとっては崇敬的な人物らしく、この二人の名前を採った洗礼名からしてモーツァルトは生まれた時から既にフリーメイソンのメンバーになるよう親に決められていたと言っても過言ではない。しかも、本名のウォルフガングとはドイツ語で「狼の渡り徒弟」を意味し、アマデウスはラテン語で「神に愛される人」で、これも「神である王族に愛される牙(=武器)を持ち、キリスト教(=フリーメイソン教)を宣教して世界を渡り歩く徒弟となれ。」という、いかにもフリーメイソンになることが絶対であるかのような名前であり、もはや子供であるモーツァルト自身の意思など最初から彼の親は全く無視していたようだった。それもそのはずで、モーツァルトの父親もまた、フリーメイソンと言うか、王権神授説に基づいたキリスト教(=大衆扇動暴動教育、いわゆるテロリスト教育)の信徒(兵士)となるべくイエズス会系の学校(第103話『略奪』(注1)参照)で育っており、イギリスのフリーメイソンがヨーロッパで流行する前からモーツァルト一家は既にフリーメイソン(=軍事政権の有力者に付き従って大衆を扇動し、暴動や大量殺戮などの軍事行動を正義と教え、国家(軍事政権)存続の為に自ら殉教(犠牲死)するよう唆す“公的組織”)の為に働くことが家業のようなものだった。そのため、彼らフリーメイソンのメンバーには生まれた時からその生命はないようなものなので、たとえ我が子でも生物(細菌)兵器の人体実験台にして親の手で殺してしまっていたり、あるいはモーツァルトのように幼少期から王族や有力者達が集う宮廷などに子供達を連れ回して芸能活動をさせる一方、実際は児童売春を行わせるといった外道以下の行為がヨーロッパではごく、自然に行われていた。だから、彼が6歳頃から音楽活動を始めたのもそういう理由からで、4歳上の姉マリア・アンナ(通称ナンネル、英語で「オーラルセックスをする尼僧」の意味。彼女の洗礼名も Walburga Ignatiaで、ヴァルブルガとは8世紀に北欧及びドイツなどで売春と生物(細菌)兵器の開発に勤しんだイギリス出身のベネディクト修道院の魔女(女傭兵)の名前であり、ドイツ語で彼女の名前を冠したヴァルプルギスナハト(「ヴァルブルカの夜」の意味)、またはヘクセンナクト(「魔女の夜」の意味)と呼ばれる春の祝祭が今でもドイツや北欧などで行われており、鼠の蚤を介して感染するペスト菌(黒死病)や狂犬病、百日咳などの兵器開発に携わっていたようだが、キリスト教を信仰する一般大衆の間では逆に彼女がそれらの感染者の治癒に貢献したと信じられ、崇められている。なお、「ヴァルブルカの夜」の祝祭については2019年にアメリカとスウェーデン合作で公開されたホラー映画の『Midsommar(邦題は『ミッドサマー』)』で詳しく紹介されており、一般には娯楽として作られた残忍かつ血生臭いフィクションホラー映画と思われているだろうが、実際はほぼ実話である。また、もう一つの洗礼名のイグナティアとは16世紀にイエズス会を創設したキリスト教宣教師(傭兵)のイグナチウス・ロヨラの名前を女性形に変えたものである。第103話『略奪』(注1)参照)と共にバイオリンやピアノを貴族や王族の大人達の前で弾かされている間に彼らの身体は品定めされ、父親が仲介役となって人身売買されていた。そのため、姉弟であっても毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際にいる彼らの間に親兄弟の情が湧くはずもなく、あくまで傭兵同士が家庭内のマスターメイソン(親方)である父親から命じられた役目をそれぞれ果たそうとするだけで、まだ生理がなく妊娠する率が低い間は血筋や王権、相続争いに気を配る王族や貴族の大人達に弄ばれる売春婦として姉のマリア・アンナもモーツァルトと一緒に演奏活動をしていたが、段々、それが難しくなってくると、売春婦の役目を終えた彼女は陰で家族を支えることとなり、モーツァルトが5歳から病死するまでの30年間に作曲したとされる600以上の作品のうち、その多くは姉であるマリア・アンナが作曲して作曲者名を弟のモーツァルトにしただけのことだった。そうでなければ、そもそも一人の人間が30年間に600以上もの作品を“創作する”など到底、不可能な話で、単純に計算して年に20作品、月に1~2作品は必ず5歳から35歳まで作り続けていたことになり、いくら彼が天才だったとしても一瞬で全ての音楽が頭に浮かんできて試行錯誤もせずいきなり譜面に書き起こせたとも思えない。まして、創作活動に没頭するとなると、恋愛や結婚どころか、趣味や余興、友人との歓談、寝食すらも惜しみがちとなり、普通の生活を送ることもなかなか難しいのだが、モーツァルトは6歳から16歳頃まで演奏活動でヨーロッパ中を旅して回り、恋愛も結婚も経験して、その上、創作活動もしていたというのだから、もはや人間業ではない。ところが、そんな離れ業ができるような架空の天才を本や芝居、音楽などのメディア(大衆宣伝媒体)を通じて作り上げ、大衆に宣教するのがフリーメイソンの本業なので彼はあっという間にオーストリアはもちろん、世界に冠たる大作曲家に祭り上げられた。だが、実際のところ、彼が作曲と言おうか、作詞と言おうか、彼自身が作ったとしてもせいぜい、『Leck mich im Arsch(邦題では『俺の尻をなめろ』1799年発表。声楽曲)』ぐらいなもので、それ以外のほとんどの曲は彼が自分の代わりに作曲して楽譜も書いてくれる写譜屋(=Copyist)をわざわざ雇って書いてもらっていた。その写譜屋の一人が後にモーツァルトの妻を名乗り始めるコンスタンツェという女性なのだが、モーツァルトは幼少期から男娼だったため同性愛者で、女には全く興味がなかった。それがなぜ、彼女と結婚していたことになったのかと言うと、彼女がモーツァルトの死後、自分の愛人で既婚者のフランツ・クサーヴァー・ニーメチェック(本名はニーメチェックではなく、ドイツ語読みではドゥセック、チェコ語ではフランティシェク・クサヴェル・デュシェックで、チェコ人のピアニスト)と共謀してモーツァルトの伝記(『Leben des k.k. Kapellmeisters Wolfgang Gottlieb Mozart』1798年出版)の中でそう書いたからである。なぜなら、ニーメチェック(デュシェック)とコンスタンツェが作曲し、楽譜にした曲は一旦、モーツァルトに売り渡されていたのだが、モーツァルトの死後、コンスタンツェが彼の妻を名乗れば相続権が生じて彼の持っていた楽曲の著作権が再び自分達に戻ってくることになる。ヨーロッパで著作権(=Copyright)が盛んに言われ始めたのは大体、15世紀~16世紀頃からで、インドや東南アジア、中国、日本などでは数千年前から印鑑や縄文土器の模様(第96話『合金(2)』参照)、浮世絵制作において見られるような活版印刷技術(凸型の木片や板などに塗料を塗って押し付け、同じ絵柄や文字を印刷する技術のこと。)は既に確立していたが、ヨーロッパでは15世紀頃にドイツの硬貨鋳造屋だったヨハネス・グーテンベルグという男が活版印刷技術を“世界で初めて発明した”ことになっており、この頃から出版物の大量生産が可能となって、それに伴い、王室(政府)や教会にとって都合の悪い出版物を取り締まったり、聖書を始めとして自分達が宣教で使いたい出版物の価格操作を行うため王室(政府)や教会関係者達から著作権が主張されるようになった。要は、欲しい物があるとすぐに「自分達のものだ」と言って暴力(武力)を振るってでも無理やり奪ってしまえば何でも自分達のものになると思っているらしく、中東やインド、エジプトなどのアジアやアフリカで数万年、数千年間に渡って伝承されてきた聖書も本を正せば全く彼ら欧米白人種のものでもなければ、キリスト教徒だけのものでもないのに、なぜか今では自分達、キリスト教徒の欧米白人種こそが聖書(神の御言葉を伝えた人々の遺産)の相続人であるかのような顔をしてその著作権や解釈の正統性などを唱えているが、それと同じく絵画や音楽、小説などの文芸作品もそれらを創作した本人よりわずかな金で買い取って所有する者達の権利の方が誰よりも優先されたり、法的に守られるようになり、モーツァルトが生まれる40年以上前にイギリスで最初の著作権法(The Statute of Anne、またはthe Copyright Act 1710)が制定され、その他のヨーロッパ諸国も法的な整備こそ遅かったものの、それでもブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(=Breitkopf & Härtel、1千人の作曲家を抱え、8千作品及び1万5千件もの音楽の著作権を所有して今も現存する世界最古のドイツの音楽出版社。1719年創業。)が音楽の出版販売で利益を稼いでいたのだから、モーツァルトの死亡時には楽曲の著作権は既にヨーロッパ諸国では常識だった。そのため、実際に作曲したニーメチェック(デュシェック)とコンスタンツェがわざわざ自分達の本来の権利を取り戻す為にモーツァルトの相続人を偽証するという小細工をする羽目になったのだが、モーツァルトが楽曲を提供してもらっていたのは彼らからだけではなかったため、モーツァルトの姉のマリア・アンナもコンスタンツェ達の真似をして彼の伝記を出版し、自分が子供の頃に創った曲の著作権を主張して彼らと争うようになった。それ以降、モーツァルトの持っていた楽曲の著作権や出版販売を狙って彼の生涯を偽った伝記があちこちで書かれるようになり、現代の私達の間では1984年にチェコ人のミロス・フォアマン監督の下、ユダヤ系イギリス人で16世紀にセント・ポール大聖堂の主任司祭が創設したセント・ポールズ学校を卒業した脚本家のピーター・シェーファーが脚本を書き、同性愛者を公言している俳優のトム・ハルス氏が主演して公開された米映画『アマデウス』でのモーツァルトのイメージ(虚像)が強烈だが、あくまでモーツァルトは他人が書いた楽曲を使ってアイドル活動をし、高級男娼として当時のオーストリア皇帝のヨーゼフ二世の愛人になりたかっただけで、映画の中で描かれた宮廷音楽長のアントニオ・サリエリにその音楽的才能を嫉妬されて毒殺された訳ではない。確かにサリエリはイタリアの修道院(傭兵養成所)で音楽を学び、オーストリアの宮廷に集まってくる芸能人達のまとめ役を仰せつかっていた人物だったので、ヒット曲を1~2発飛ばしただけで調子をこいて皇帝に近づこうとするモーツァルトのようなポッと出の新人アイドルを強く戒めることはあっただろうが、モーツァルトの死因は決して毒殺ではなく、職業上の性交渉によって感染した梅毒(=Syphilis、人間を宿主にする梅毒トレポネーマと呼ばれる病原菌に感染することで発症する性病のこと。)が原因だった。梅毒は感染者の8割が男性とされ、同性愛での感染率が高く、今でも世界で10万人以上が死亡し、日本でも2018年時点で6千人以上の感染者がいるぐらい深刻な性病の一つだが、感染してもはっきりとした症状が出るまでの潜伏期間が長く、症状が出てきても股間や性器が少し腫れたり、バラ疹と呼ばれる小さな赤い発疹が手足や全身、顔に現れるが、治療しなくても一か月程度で消えるため治ったと勘違いしてそのまま放置してしまうことが今でもよくある。しかも、梅毒トレポネーマは人に感染し、病気にかからせる構造が21世紀の現在も解明されていない謎の病原菌のためペニシリン(=Penicillin、培養したアオカビを人体に侵入させて梅毒トレポネーマなどの細菌が持つ細胞壁を溶解し、増殖できないよう抑制、または死滅させる抗菌薬のこと。第101話『智慧(2)』で発酵と共に説明したローマ時代のワインやビール、中東のチーズ、日本の味噌や納豆のように古代からカビ菌を利用した食品や薬品は既に作られていたが、古代人達はあくまで自分達が生きていく為の産業技術としてカビ菌を利用していただけで、自分や誰かを殺す道具にしようとして発明した訳ではないのだが、イギリスを始めとした欧米人達は古代(聖書)において伝承されてきた神(良心)の智慧を兵器開発の為としか解釈しないため、1928年に発見されたこのペニシリン(アオカビ培養液)も医者を名乗るフリーメイソンのメンバーでスコットランド人のアクレサンダー・フレミングが病原菌に感染させるよりも腸内細菌のような人体に生息して免疫力を司り、生命維持に欠かせない善玉細菌自体を破壊すればより高い殺傷能力の兵器になるかもとの期待を込めて開発した兵器の一つだった。だから、Peniは英語で「男性器」の複数形で、Cillinはアイルランド英語で「教会の無縁墓地」を意味するため、この二語で「墓場の精液」という、いかにも兵器らしい名前のつもりでその培養液を名付けた。ところが、フレミングの期待は見事に外れ、兵器としての成果は大して上がらず、人体実験で既に何らかの病気に感染している免疫力の低い患者に投与したところ、免疫が下がるどころか逆に症状が軽快してしまった。これでは兵器にならないのでしばらく放置されていたのだが、イギリス国教会が支援して19世紀から建てられているオーストラリアの聖ペテロ学院アデレード高校(=The Anglican Church of Australia Collegiate School of Saint Peter)で化学と物理学を、アデレード大学(=The University of Adelaide、1847年創設。オーストラリアで3番目に古い大学で、オーストラリアのノーベル賞受賞者の3分の1はこの大学の出身者である。)で医学を学んだオーストラリア人のハワード・フローリーと、偽物理学者のアルベルト・アインシュタイン(第115話『生命』(注1)参照)が名誉教授として名を連ねるドイツのフンボルト大学(=Humboldt-Universität zu Berlin、英語ではHumboldt University of Berlin。1810年創設。経済学者や哲学者との触れ込みの新聞記者だったカール・マルクスも一時、在籍していた。)で化学を学び、クローン(=Clone、人間のコピー)という言葉を作ったことで知られるイギリスのトランスヒューマニスト(超人主義者)で生物学者のJ・B・S・ホールデンに招かれ、切り裂きジャック犯のエイベリングの経歴とよく似てユニバーシティ・ロンドン・カレッジの附属病院で働き、オックスフォード大学では毒蛇や細胞壁、腫瘍などを研究していたユダヤ系ドイツ人の生化学者エルンスト・チェーンがそれぞれこのペニシリンで生体実験を行っていた際、少量だと発酵の時のように病原菌が抑制されたり、発熱(発酵熱)などで死滅して免疫力が上がり、病気は改善されるのだが、大量に投与すると逆に免疫機能が過剰に反応して人体のあらゆる細菌を破壊するよう働くことが分かった。これがペニシリン・ショック、薬物アレルギー、“薬害”の誕生である。ちなみに弱毒化した薬と偽るワクチン(第102話『腐敗 』(注3)参照)も生物(細菌)兵器になるのは同じ理由からである。こうして1941年にハワード・フローリーらが渡米し、アメリカ合衆国農務省に働きかけてアメリカやカナダの製薬企業にペニシリンを大量生産させ、マスコミによる「奇跡の薬」との広告宣伝と共に大量販売し、1939年~1945年まで行われた第二次世界大戦でも味方の兵士には救命薬として使用する一方、捕虜や原住民に対しては逆に大量投与して殺戮していった。1932年~1972年に貧しい黒人住民だけを狙い、アメリカのアラバマ州で行われたタスキギー梅毒実験(the Tuskegee Study of Untreated Syphilis in the black Male)や中米のグアテマラで孤児や売春婦、囚人、精神病患者といった優生思想に基づいて選別されたと思われる人々に故意に梅毒などの性病に罹らせ、その後、ペニシリンの投与を行ったグアテマラ梅毒実験(The syphilis experiments in Guatemala、1946年~1948年)もこのペニシリンの殺戮効果を検証する為の実験だった。その結果、グアテマラの実験では1,308名の被験者のうち、ペニシリンを投与されたのは678名で、その中の83名がわずか数年の間に死亡している。(梅毒などの性病は感染してから死亡するまで少なくとも10年以上はかかる。)日本でもこのペニシリン・ショックを悪用して殺害されたのが政治主権を天皇から国民に変えようと訴えた東京大学の法哲学者の尾高朝雄で、1956年に東京都が運営する都立駒込病院内で歯の治療中に大量投与されたペニシリンによって暗殺され、日本でも1950年代のわずかな間に1,276名がペニシリン・ショック症状を発現し、うち124名が死亡していたことがその後の厚労省の公表で明らかにされた。そんな薬量の調節だけで約1割も殺傷できる恐ろしい生物(細菌)兵器が今も抗生物質(=Antibiotics)として大量に市販され、多くの患者に投与され続けているが、結果、それによって死亡してもその本当の特性が知られて生物(細菌)兵器であることがばれないよう、また、ペニシリンを始めとした抗生物質やワクチンなどの薬物を死ぬまで延々と投与し続けられるよう、「それまでに患者自身が抗生物質を乱用したからだ」とか、「ペニシリンなどの抗生物質が効かなくなる耐性菌(=Antibiotic resistance)の出現で病原菌の増殖が抑制できなくなって死んだ。」などと(そもそもペニシリン自体、扱い方で薬になっているだけで元は病原菌と“同じ”有毒なカビ菌ということを忘れているようだが)、細菌学はもちろん、医学や薬学にそれほど詳しくなく、まして愛する人を失ってかなり動揺している死亡患者の遺族にそうした口から出まかせの説明をすることで自分達、製薬企業や病院が犯した医療過誤による殺人罪をうまく言い逃れられるようにもしているようである。なお、このペニシリン(細菌兵器)を開発した功績によりアレクサンダー・フレミング、ハワード・フローリー、そしてまだ、ペニシリンの発売前なのに用意周到にそれが効かなくなる(いずれ効かなくなるような薬を売ろうとするのもどうかと思うが)耐性菌の出現までも言い出したエルンスト・チェーンらには1945年、3人共同でノーベル医学生理学賞が授与されている。その後、3人は偉大な医師、科学者と世間から称賛され、紙幣の顔にまでなっているようだが、兵器(人殺しの道具)開発で長年、細菌を培養してそれを吸い続けてきたため3人共、感染性心内膜炎(ばい菌に感染して心臓発作が起きる病気)が原因で死んだようである。)のような抗生物質で症状を一時的に和らげて他者に病原菌を移さないよう性交渉を控え、自然治癒力(免疫力)が上がるのを待つという時代でもなかったためかなり重症になるまで放置していたらしく、典型的な梅毒の症状であるバラ疹からより悪化した丘疹性梅毒疹と呼ばれる米粒からえんどう豆サイズのブツブツができるようになり、“軍隊でよく見かける”発熱症状を発したとモーツァルトの住む教区の記録には残されていて、最後はゴムのような腫瘍が膨れ上がって死んだというのだからこれも梅毒の末期症状とよく似ている。そのため、ヒット曲を連発し、フリーメイソンのマスターメイソンにまで上り詰め、18世紀最大のアイドルと大勢の人達が群がって称えたウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、男娼(芸能)活動で必要な衣装代や曲を作ってもらう為の楽譜代、フリーメイソンの会費や寄付金などで借金まみれにされた挙句、あれほど大ファンだと称えてまとわりついていた世間の人達からはもちろん、その生涯を賭けて尽くしたフリーメイソンのメンバーからも伝染することを恐れられ、忌み嫌われて、“誰からも助けてもらえることなく孤独なまま”無縁墓地にその梅毒に汚染された死体を遺棄されることとなった。このように、ずいぶんとフリーメイソンと17世紀のオリバー・クロムウェルがなぜ、イギリスという国家を代表する護国卿に選ばれたのか?との解説が長くなってしまったが、18世紀の一介の男娼でしかないモーツァルトがフリーメイソンのマスターメイソンに選ばれたのと同じようにオリバー・クロムウェルもまた、その当時の人気アイドルまたは有名芸能人だったため、国家財政がボロボロで既存の王族や貴族への不満を募らせ、お互い生き延びる為に争い合う内戦状態の最中、バラバラになった大衆の心を再び引き寄せて徴税や徴兵に賛同させる広告塔としてはうってつけの人物だったからである。だから、クロムウェルが誰よりも腕っぷしが強かった訳でも、百戦錬磨の軍歴や資金力があった訳でもなく、まして政治や経済といった国家経営能力に優れていた訳でも何でもなかった。ただ、歌と芝居がかった劇的な演説をする彼の顔と名前を大衆の多くがよく覚えていたというだけで、それ以外で一体、彼がどんな人物で、護国卿になるまでにどんな生き方をしてきたかなど誰も知らなかったし、そんな事に興味も関心もなかった。何より大衆が強烈に惹きつけられたのはそれまで自分達を虐げて重税を強いてきた貴族やキリスト教の司祭連中が皆、クロムウェルに“かしずいているように見えた”ことだった。自分達、大衆の味方だという男がそれまで自分達を苦しめてきた強そうな連中を懲らしめ、屈服させ、従わせているように“見えた”からこそ、そこに何か目に見えない力を感じた大衆は一気にクロムウェルに傾いていった。以来、この目に見えない力を感じさせる演出をする為にマスメディア(大衆広告媒体)はフリーメイソン(国家)にとって欠かせない道具となり、兵士の士気を盛り上げ、規律に従わせる為の携帯用聖書(the Souldiers Pocket Bible、1643年発刊)や街角で口ずさめそうな詩歌や話題にできるニュース、漫画などが描かれたチラシ(BroadsheetまたはBroadside ballad)、誰でも真似できるダンスや耳に残る台詞の芝居に至るまでフリーメイソン(国家)が税金を裏で流して無料または安価に大衆に配信するようになった。しかし、その一方でクロムウェルにかしずいているように大衆には見える貴族やキリスト教の司祭達の間では依然、金や国家権力を奪い合う内戦は続いているので今度はそのマスメディア(大衆広告媒体)を利用して相手の評判を貶め、自分を優位に見せる誹謗中傷合戦をするようにもなった。いわゆる現代でいうネガティブ・キャンペーンである。これに憤ったリッチ家を筆頭としたクロムウェル擁護派は自分達を支持するよう仕掛けてきたマスメディア(大衆広告媒体)そのものを無くしてしまおうと言論弾圧を行うようになった。しかし、それ以前からクロムウェル擁護派を含め議会派は大衆の中から自主的に自分達に反対したり、チャールズ1世率いる王党派に味方するよう扇動する人々を取り締まろうと早くからロンドンの劇場封鎖を行っていたのだが、これをいっそう強化し、さらにキリスト教徒にとっては最大かつ最重要行事であるクリスマスを禁止する手段に打って出た。さすがにこの言論弾圧はやりすぎだったためクロムウェルの支持率は凋落し、大衆からの支持が強みだったリッチ家やクロムウェル擁護派は議会派の中でも次第に味方を失って弱小派閥化するようになった。しかも、国家財政の頼みとする海外植民地の開拓(=侵略)はイギリスだけでなく他のヨーロッパ諸国も狙っているためいつまでも内戦ばかりに兵力を傾けられず、兵士(大衆)の士気の低迷はフリーメイソン(国家)の滅亡を招きかねない。そこでフリーメイソン(国家)はかつて国政に失敗した責任を国家の王(神)だったチャールズ1世に擦り付けて処刑した時と“全く同じように”、再び自分達の演出で“国を護る公卿”=護国卿などとたいそうな役名を与えて国家の王(神)に据えたはずのクロムウェルも大衆を引き寄せる魅力はもはやないと見るや植民地であるアメリカのバージニアから輸入された出来損ないの“ウィートラコッシュ”(第102話『腐敗』(注2)で説明したカビ菌で培養したトウモロコシのこと。アメリカの先住民族のプエブロ族やポウハタン族、中米のアステカ族などは日本の味噌や納豆と同じカビ菌でトウモロコシを発酵させる栽培技術を持っていたためそうした産業技術がなく国家経済が破綻し、入植(侵略)してきたイギリスの清教徒のような欧米白人種にその国土と技術を狙われることとなった。だが、そもそも彼ら欧米人達に他人への思いやりや尊重の精神があったら少なくともイギリス人達が入植(侵略)しに行った先のバージニアに住んでいたポウハタン族は直接民主制を取っていたらしく、英語の分かる者もいたので敬意を払って頭を垂れ、友好的に頼めば誰も傷つかずその技術を教えてもらうこともできただろうが、いかんせん、欧米白人種にそうした他人への尊重の精神を求めるのはやはり難しいようで、これまでの例に漏れず、イギリス人達は入植するやいなや彼ら先住民族を襲撃するようになった。そうして、まるで日本への黒船来航時を思わせるような大きな武装商船(海賊船)を見せびらかして軍事力(暴力)でもって脅迫し、その技術を奪い取ろうとしたのだが、先住民族の方もそうした襲撃を既に何度か体験してきて彼らに近寄ろうとしなかったり、そもそも言語が違うのに歩み寄る努力をしようとしない欧米人達が先住民族の持つ技術を理解できるはずもなく、結局、本土だけでなく植民地でもイギリス人達は開墾に失敗してとうとう人肉までも屠る悲惨な飢餓状態に陥った。(Starving time 1609年~1610年)そのため、先住民族から強奪してきた発酵がまだ途中のウィートラコッシュ(カビさせたトウモロコシ)も食べてしまったのだが、実はこれがとんでもなく恐ろしい猛毒だった。発酵途中のカビ菌は毒素が残ったままなのでアフラトキシンというカビ毒を発しており、1960年にはイギリスの南東部で起きた約500件の地域感染で延べ10万頭ほどの七面鳥が謎の死を遂げ(Turkey“X”disease)、1970年代にもインド西部の一般家庭でアメリカの食品であるトウモロコシか、ウィートラコッシュを食して97人が犠牲になり、2004年、2005年にはアフリカのケニヤでもなぜか2年連続でアフラトキシンの地域感染が起こって120人以上が死んでいる。それほどの猛毒なので大量に摂取すると短期間のうちに肝臓が壊死して目や皮膚が黄色くなる黄疸症状が現れ、脳神経をも侵し、多機能不全を併発する劇症肝炎で死に至りやすくなる。また、少量を長期に渡って摂取した場合でも発がん性が高く、動物実験でアフラトキシンを含んだ餌を与えられたラットは全て肝臓がんになったと報告されている。しかし、そんな猛毒のカビ菌でもポウハタン族は逆にそれを栄養素に変えて人々の健康(生命)を守る農業技術を持っていたため今でもウィートラコッシュは高級トウモロコシとしてメキシコの国家経済を支える代表的な農産物になっているのだが、そうとも知らないイギリス人達はまだ食べてはいけない発酵途中のウィートラコッシュを勝手に食べて大勢が中毒死してしまった。これに怒ったイギリス人達は戦争(人殺し)が始まったと勘違いし、罪もない女子供を拉致して虐殺した挙句、先住民族が仲良く平和に暮らしていた家やトウモロコシ畑も焼き払ってしまった。(The First Anglo–Powhatan War 1610年~1614年)そうして、ポウハタン族や彼ら部族と同盟を組んでいた他の先住民族もイギリス人達の暴挙で生活基盤そのものを壊されてその土地から追い出されることになり、仕方なく別の土地へと引っ越していったのだが、結局、そんな武力(暴力)を振るってもイギリス人達は自分達の食糧生産ができる訳ではないので再び先住民族を追って襲撃し、今度はポウハタン族の酋長(部族間の代表者)の娘を誘拐して人質に取り、彼女を使って食糧を無償提供するよう要求してきた。その時の酋長の娘と言うのが1995年に公開されたアメリカのディズニー社のアニメ映画『ポカホンタス』の女主人公のことである。むろん、欧米人達が脚色して作ったアニメ映画のおとぎ話と史実とはまるっきり異なるため映画に出てきたポカホンタスの恋人のジョン・スミスとは実際は彼女を誘拐した首謀者の名前で、彼女の本当の恋人の名はジョン・ロルフである。恋人と言っても誘拐されて24時間ずっと凶悪強盗集団のイギリス人達に取り囲まれ、軟禁状態にあったポカホンタス(=Pocahontas、ポウハタン族語で「小さないたずらっ子」という意味で、子供の頃の愛称であり、本名はMatóax、スペイン語で「斧で殺された」が彼女の本当の名前である。彼女が生まれた時に彼女の母親はスペイン人達の襲撃に遭って斧で殺されたためそう名付けられた。)は偶然、優しく話しかけてきたジョン・ロルフというタバコ貿易会社に勤めていてバージニアに駐在派遣された男につい、気を許してしまっただけで、誰でも極限状態に置かれて生命の危険にさらされていればたとえ敵でも少しは人間らしい気持ちがあって助けてくれそうな誰かにすがりたくなるのも当然である。それを恋愛感情と呼ぶのならそうかもしれないが、いずれにせよ、バージニアに来るまでにジョン・ロルフも嵐で船が座礁して大破したと見せかけて交易品の横領を企んだスミス達に妻や幼い娘を謀殺されていたため誘拐されたポカホンタスに同情したことは本当であり、お互い同じ犯罪被害者だったからこそ何とかこの凶悪強盗集団から逃れる術を必死に考えた結果、同盟結婚することにしただけだった。要はイギリス人とポウハタン族が上手く同盟できればお互い傷つかずに平和でいられると彼らは手を組んだのだが、スミス達、イギリス人入植者達にもはやそんな人間らしい“心”などどこにもなかった。彼らが結婚して子供が生まれるまでのしばらくは同盟条件としてポウハタン族から食糧が届けられ、トウモロコシの栽培方法も教えてもらえるようになり、平和な日々は続いたが、スミス達、フリーメイソン(国家)のメンバー達は何としてでもあのポウハタン族が何十人ものイギリス人達を毒殺した兵器である(と勘違いしている)ウィートラコッシュの製法が知りたくてうずうずしていた。そこで彼らはいつものごとく一計を案じ、フリーメイソン(兵器開発研究組織)を創設したジェームズ1世の妻であるアンヌ王妃に手紙を送って、ポカホンタスをロンドンに招待するので彼女をキリスト教に改宗させた“高貴な野蛮人”(=Noble Savage)として丁重にもてなし、彼女から上手くポウハタン族の持つ生物兵器の製法を聞き出せるよう協力して欲しいと頼んだ。そのため、スミス達が仕掛けた罠とも知らずポカホンタスとロルフ夫妻、そしてポウハタン族からも何人かが付き添いで選ばれ、大西洋を渡ってロンドンを訪問することになった。こうしてポカホンタスとその付添人達は、王制ではない直接民主制の酋長(選挙で選ばれた代表者)の娘とその友人知人というだけなのに、なぜかバージニアを武力制圧した部族王の姫とその臣下達というでたらめな肩書きで勝手に野蛮人として触れ回られ、一応、イギリスの国賓として出迎えられたのだが、ポカホンタス達としてはイギリスに観光に来た訳でも、イギリス人達にもてなしてもらおうとして来た訳ではなく、イギリスが自分達と交わした“約束を守ってくれる国(人々)”かどうかを確認する為だった。なぜなら、結婚同盟を結ぶ際にポウハタン族から出した条件は自分達にいわれのない戦争(人殺し)を仕掛け、家族を虐殺し、家や田畑を焼き払って娘まで誘拐した凶悪強盗集団の首謀者であるジョン・スミスの処刑だったからである。だが、むろん、ジェームズ王訳聖書のキリスト教の下で嘘(陰謀)は勝利の為の必要悪で、戦争(人殺し)は国家を守り、繁栄させる為の正義と教えられて育つイギリス人達に人間としての根源的な誠実さや人情など伝わるはずもなく、案の定、約束は破られ、スミスは処刑されるどころかのうのうと生きてポカホンタス達の前に姿を現した。しかも、スミスが姿を現す前からポウハタン族の中にもポカホンタスの父親である酋長がイギリス人達の襲撃に何の抵抗もせず逃げまどうだけなのに不満を持ち、クーデター(政権転覆)を狙ってイギリス人達に裏で支援してもらおうとスミスと密かに通じ合う者まで出ていた。とは言え、武器や兵器といった人殺しの道具は山ほどあっても自分達が生きる為の食糧は何一つまともに作れないイギリス人達がいくらアメリカ大陸を駆けずり回って戦争(人殺し)を仕掛けてきたところでいずれ食糧が尽きて餓死するのは目に見えていたのでポカホンタスの父親はそれを見越してできるだけ戦わずに逃げまどい、かつてはそれでスペイン人達を見事に追い払って30以上もの周辺部族をまとめる酋長に選ばれたのだが、そんな過去を知らない若い世代には戦わずして勝利を待ち、できる限り犠牲者を出さないように努めるという彼の戦法が弱者の言い訳に思えたらしく、自分達がしている裏取引こそ仲間である先住民族への裏切り行為だとも気づいていないようだった。しかし、全ての真実を知ったポカホンタスは再びスミス達がウィートラコッシュの製法を教えるよう脅してきたことで恐れをなして彼らに従うよう彼女を促す弱虫な夫ロルフを見て、自分の方がイギリス人のロルフを見込んで取引してしまったせいで酋長である父親や仲間の先住民族を裏切った張本人と思い込んでしまった。そのため、責任を感じた彼女は死を決意し、ウィートラコッシュの作り方を教えると言ってわざと毒を残して作って見せ、それを自分で食べて自殺した。彼女としては“真に正しい”ウィートラコッシュの製法を聞かれているものと思い、イギリス人達が健康に長生きする為の食糧技術を得ないよう、そしてこれを作って食べるイギリス人入植者達の死を願って故意に毒を残す作り方をして見せたのだが、スミス達の方は元より兵器としてのウィートラコッシュが欲しかったのでまんまと“猛毒だけ”を手に入れることとなった。その後、ポカホンタスの父親でもある酋長は自分が彼女を外交官(外国と交渉する人)としてイギリスに行かせたことで彼女を自殺に追いやったものとひどく後悔し、スミス達と裏取引してクーデター(政権転覆)を狙っていた義理の弟に酋長の座を譲り、翌年、彼女の後を追って同じく自ら死を選んだ。酋長となった義理の弟とポウハタン族もまた、スミス達との裏取引が決裂し、結局、自らイギリス人入植者達との戦争(人殺し)に挑んで壊滅状態となり、トウモロコシやタバコが作れるようになったイギリス人達は黒人奴隷達を引き入れて彼らに栽培させる大農園を経営できるようになり、アメリカ大陸はついにイギリスなどの欧米白人種の属国(植民地)となった。なお、ポカホンタス達が誰よりも死刑を願ったジョン・スミスは長年、王立の貿易会社の金銭や交易品を誤魔化し、横領してきた事が明るみになり、ジェームズ1世の次に王位に就いたチャールズ1世が密かに死刑を命じてニューゲート監獄で処刑された。そうして、ポカホンタスが最後に教えた偽ウィートラコッシュ(カビさせたトウモロコシ)はフリーメイソン(国家)には猛毒兵器としか認識されずその真の価値を知らないまま、今もウィートラコッシュの成分であるカビ菌を“恐れて”除去する為の検査に明け暮れ、検査の時にも大きな粉塵マスクや防護服の着用を義務づけ、そうすることでしか人の健康(生命)は守れないとしている。)という毒を盛ってクロムウェルを暗殺した。こうして、イギリスは自分達のこれまでの生き方や国家体制に疑問を抱くことなく、軍産複合体国家の道を選んだオスマン帝国(第105話『欺瞞』(注1)参照)と同じく、自分達、議会派(多数派)の木偶人形(アイドル)として徴税や徴兵の広告塔になってくれるなら王でも、護国卿でも何でもいいので、王制は嫌だと自分達が言い出して処刑したチャールズ1世の息子のチャールズ2世をクロムウェルの代わりに次の王(神)として担ぎ上げ、王政復古(=the Restoration 1660年)した。これがイングランド共和国(=the Commonwealth of England)、または空位期間(=the Interregnum)と呼ばれるイギリスに唯一、王や女王がいなかった時代の顛末であり、途中、クロムウェルが護国卿(独裁者)になった期間だけ護国卿時代(=the Protectorate)とも呼んでいる。)という地位にまで上り詰めた一介のタレント政治家であるオリバー・クロムウェルとその親戚、友人知人などが出資し、中米のニカラグアに設立したプロビデンス・アイランド・カンパニー(=the Providence Island company、日本語にすると「神に導かれた島株式会社」または「偶然、見つけた島株式会社」という、自分達から侵略しに行ったのに神に導かれただの、偶然、見つけただのと、甚だ聞いて呆れるような意味の社名である。ニカラグアからカリブ海を挟んで西のキューバやジャマイカに向けて約200km進んだところにある無人島を1629年に占領し、メンバー1人につき額面200ポンド(今の日本円にして大体、500万円程度)の出資を募って、現代でいうところの株式会社を設立し、本社をその島に置いた。そもそも人が生活(産業生産)できないから無人島になっていたのだが、そこをわざわざ占領して黒人奴隷達を入植させ、彼らを島民にして貿易会社本社を建てたのはイギリス本国からはるか遠く、目の届かない場所に会社を創って、その会社がどんな業務を行い、どれくらいの利益を上げているのか?その実態を隠す為だった。つまり、おおよそ400年後の現代でヤクザやマフィアのような犯罪組織や不正を行う悪徳政治家、企業経営者達が毎度、設立して自分達の資金源にするペーパーカンパニー(幽霊会社)の起こりがこのプロビデンス・アイランド・カンパニーである。だから、1892年に起きたパナマ運河疑獄事件や2016年のパナマ文書(第113話『内部者』(注1)参照)など脱税、租税回避にまつわる不正金融取引の醜聞がこれまで何度も取り沙汰されてきたが、どれも大体、このプロビデンス・アイランド・カンパニーがあったカリブ海周辺で起きるのはそうした脱税や租税回避などの裏金作りをイギリスやその他の欧米各国政府(王室)がこの地域を拠点として常習的に行ってきたからである。)のような表向きは貿易会社を名乗っているだけで、実際は水兵くずれのならず者を密かに雇い入れ、海賊に仕立てて交易品や金品を積んで航行しているスペイン船などの外国船や時には自分達、議会派(多数派)と敵対するリチャード一世所有の王立の武装商船すらも襲わせ、その積み荷を強奪(税金詐取)して売買するペーパーカンパニー(幽霊会社)を密かに作っていったことから、税金の横流しはもちろん、投資の将来性を見込んで新たな出資も増えるようになり、クロムウェル達、議会派(多数派)の軍資金(裏金)や物資は順調に増えていき、いつしか自分達の王(神)であるチャールズ1世に判断を仰がずとも議会派(多数派)が勝手にそれらの軍資金(裏金)をフリーメイソン(兵器開発研究団体)に注ぎ、武器や兵器の開発も好き放題に行うようになっていった。
つまり、現代においてヤクザやマフィア、テロリストなどの犯罪者組織が不思議なことに“かなりの潤沢な資金や武器を持ち”、ごく普通の一般人と同じように宗教団体や企業、時には国家まで作って新聞や雑誌、テレビやネットなどのマスメディア(大衆宣伝媒体)で度々、報道されたり、逆にそうしたマスメディアを通じて自分達と同じ犯罪者の仲間になるよう呼び掛けて宣伝するといった、どうも首を傾げたくなるような闇組織の営業活動が白昼堂々と行われるのも、上述したプロビデンス・アイランド・カンパニーがお手本になっており、政府(議会派、またはフリーメイソン)自身が海賊(=ヤクザやマフィア、テロリストなどの犯罪者集団)を裏で雇っているからで、言うなれば彼らも一応、公務員(=政府の下僕)ということになる。
ちなみに、この17世紀から18世紀頃にかけてイギリスのペーパーカンパニー(幽霊会社)に雇われていた海賊達(=Buccaneers、元はスペイン語でbarbacoa、「バーベキューする」という言葉をスペインの植民地にされたカリブ海周辺に住む人々がBucanまたはBoucanと呼んだことから「強奪したり、狩猟で捕ってきた家畜や野生動物をBarbecueにして食べる野蛮人達」という意味でBuccaneersとなった。)の強奪や殺戮などの犯罪ぶりを美化しておとぎ話風に描いているのが2003年に公開されたポカホンタスと同じディズニー社製作の米映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で、この中に出てくる人気者の海賊の名前がジャック・スパロウ(=Jack Sparrow)になっているのにはある理由がある。
特に“ジャック”(=Jack)とは今話の主題である切り裂きジャックと同じ名前なのだが、実はこのジャック(=Jack)こそフリーメイソンのメンバーであることを示すコードネーム(暗号名)になっている。
なぜなら、Jackとはフリーメイソンの創始者であるジェームズ1世が発行したジャコブス金貨(=Jacobus、ラテン語で「ジェームズ1世の所有物、または発行硬貨」という意味で、ジェームズ1世の顔が描かれた金貨の縁の部分に「IACOBUS D G MAG BRIT FRA ET HI REX」(日本語にすると「神の恩恵(?)により大英帝国、フランス、アイルランドの王であるジェームズ1世の発行硬貨」)、裏面は「FACIAM EOS IN GENTEM UNAM」(日本語にすると「私が一つの国にする」という旧約聖書(エゼキエル37章22節)に出てくるユダヤ教の僧侶のエゼキエルが大衆に向けて王権神授説とその軍事行動の正当性を訴える為に唱えた嘘の預言(=神の御言葉)が刻まれている。)という言葉があったため、イギリス人達の間ではその金貨のことを簡単にジャックと呼ぶようになった。なお、このジャコブス金貨の縁取りに書かれた文字の部分を削り取って硬貨の表の価値はそのままで、大量にお金を発行し、破綻しそうな実体経済を誤魔化して逆に景気がいいように見せかけ、株式投資や投機熱を煽って人々に莫大な借金を負わせてから後で借金の肩に実際に価値のある土地や資産、家屋や会社、産業技術などを奪い取るバブル経済政策(サウス・シー・バブル事件)を思いついたのがフリーメイソンのメンバーで天文学者のアイザック・ニュートンである。(Letter of Isaac Newton to John Locke 1698年9月19日付))と、中世英語でJenkins(正しくはKin of John、「ジョンの親類、縁者」という意味の言葉を縮めたのがJenkinsなのだが、これを後世ではさらに縮めてジャックと呼ぶようになった。)の二つの意味があるからで、資金集めができますようにと縁起を担いでフリーメイソンのメンバー達がJack(ジェイコブ金貨)にこだわるのも分かるが、その他にJack(ジョンの親類、縁者)と呼ばれたがるのは前述したモーツァルトの洗礼名にもつけられているフリーメイソンの聖者(?)である“ジョン”・テオフィリュス・デザグリエの親類、縁者と言いたいだけでなく、そのジョン・デザグリエ以上に“ジョン”・ハムデンという、フリーメイソンが創設されて以来、決して欠かすことのできないもう一人の恩人への称賛が込められているからである。
このジョン・ハムデンとは、オリバー・クロムウェルの従兄でプロビデンス・アイランド・カンパニーの株主の一人であり、何よりプロビデンス・アイランド・カンパニーで密かに海賊を雇ってスペイン船などの外国船の他に王立の武装商船も襲撃し、その船に積まれた交易品や金品を横取りすることで自分達、議会派と敵対するチャールズ1世率いる王党派の軍資金(税収)を枯渇させようと言い出した人物でもあり、その裏金作り(税金横領)がチャールズ1世に発覚し、チャールズ1世は船舶税(=Ship money)という、戦時中に国王が軍資金を集める為に各地の港湾に課税できる特別法を振りかざしてクロムウェルやリッチ兄弟、ハムデンら議会派(フリーメイソン)がカリブ海周辺のペーパーカンパニー(幽霊会社)に貯め込んでいる裏金(横領された税金)を自分の懐に戻そうとしたのだが、これにハムデンらは当然、反発して大衆(兵士)のクロムウェルへの人気を逆手に「議会(国会議員)の同意のない課税は拒否する」との、いわゆる“権利の請願”(=The Petition of Right 1628年6月7日制定。ポカホンタス達、アメリカの原住民族を虐殺し、食糧を強奪していただけでなく、アメリカとイギリスの間を航行する王立の武装商船に積まれた金品や交易品も度々、横領していてそれが発覚し、処刑されたジョン・スミスのように、クロムウェルやハムデン、リッチ兄弟などの議会派(フリーメイソン)が最初から強盗を行う為にプロビデンス・アイランド・カンパニーを設立する以前から王立の貿易会社では既に海賊を雇って盗難や災害を装い、積み荷を騙し取る手口が横行していて、そうやって横領された税金を自分もその犯罪に便乗して一部、かすめ取ろうとした不心得者がいたのだが、それがジョン・エリオットというイギリス南西部のコーンウォール州に敷地面積6,000エーカー(約24k㎡、日本で大体、15万人~20万人ぐらいが住める面積)にも及ぶ広大な不動産を持っていた国会議員で(今もその不動産は彼の子孫の所有となっている。)、彼はジョージ・ヴィリヤーズという後にジェームズ1世と息子のチャールズ2世の二代に渡って側近(男娼)を務め、バッキンガム公爵の爵位をも手にすることになる男と以前、恋人同士だったことからヴィリヤーズに王立の貿易会社の内情を教えてもらい、そこからイギリス王室の秘書官であるカルバート男爵が密かに雇っていた海賊のジョン・ナットをまんまと逮捕して司法取引をちらつかながら賄賂を要求し、その一方で自身の手柄としてナットも縛り首にしてしまおうとしたところ、ナットは逆にエリオットの賄賂の件を公に暴露してしまった。結局、ヴィリヤーズの仲介もあってエリオットは投獄だけで済んだのだが、以来、ヴィリヤーズとの関係が冷めてしまい、国王の寵愛を一身に受けて出世するヴィリヤーズとは対照的にエリオットはすっかり後れを取って王党派の中でつまはじきにされるようになった。そこで、狡猾なエリオットは王党派からハムデン達のいる議会派に鞍替えし、ハムデン達に王立の貿易会社の犯罪手口を教える一方、王党派に軍資金(税金)が渡らないよう納税を拒否する手段に打って出た。と言うよりも、自身がヴィリヤーズや他の王党派の仲間達と共にスペインやオランダのような、イギリスと同じようにアジアやアフリカ、新大陸から土地や資源、食糧、産業技術、労働力を強奪してきてそれで自国の経済を回そうとする植民地政策を採用している国々を逆に襲撃して戦争することで彼らがそれまでに獲得してきた植民地を戦争賠償金(戦利品)として横取りできると国内で散々、宣教し、莫大な海外遠征資金(税金)を注ぎ込ませ、実際は裏でちょろまかして自分達の懐に貯め込んでいたのだが、結局、敗戦して借金だらけになったためその責任を問われる国家的な裁判にかけられることになり、エリオット以外のヴィリヤーズを含めた王党派のメンバー達はお互い庇い合ってその責任がうやむやにされる中、なぜか自分だけが全ての責任を背負わされる贖罪の山羊(第61話『交渉』参照)にされただけでなく、罰金として追徴課税も課せられることになり、それを払えないと言って断ったところ(とは言っても、現代でもなお、広大な不動産が子孫に遺せているのだから払えないはずはないのだが・・・。)またもや逮捕されて今度はロンドン塔に投獄されてしまった。その私的な恨みがどうにも忘れられずそれを晴らそうとしたエリオットが議会派(フリーメイソン)の味方となって納税に反対する運動をするようになっただけで、それが今ではイギリスの民主主義の証、イギリスの憲法の要とも言われる“権利の請願”なる法律条項が生まれた本当のきっかけである。ただし、民主主義と言っても請願(=Petition)という言葉が記されている通り、この法律条項の正式名称は「The Petition Exhibited to His Majestie by the Lords Spirituall and Temporall and Commons in this present Parliament assembled concerning divers Rights and Liberties of the Subjects: with the Kings Majesties Royall Aunswere thereunto in full Parliament」(日本語にすると「臣民に与えられる様々な権利と自由に関して参集した現議会において神と全臣民から選ばれた国会議員達による国王陛下への請願及びそれについての今後の国会における国王陛下の御返答条項」)なので、あくまで臣下である国民(人間)が神様の化身と称する王様(人間)に納税を免除してもらうことを“お願いする”法律であり、はっきり「神でも何でもない私達と同じ人間なのに、なぜ自分の労働(生命)や財産を無条件にあなたに差し出す義務があるんだ?」と断っている訳ではない。臣民または奴隷が嘆願書を持ってお願いし、ちょうど軍事力(暴力)と共に一般国民の人気が低迷して立場が悪くなっていた王様の都合によって偶然、そのお願いが通っただけのことであって、一般国民全員の権利と自由、生命と財産を守ることが目的で成立した法律でも何でもないのだが、なぜかそれがイギリスやその他のイギリスの連邦国(=Commonwealth、表向きは独立している連邦国と言っているが、54か国にも上る連邦国の“象徴”(=the Head of Commonwealth)は未だイギリス王室であり、Commonwealthを直訳すると「共有財産の国々」という意味なので、公表されている連邦国としてカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、パキスタン、スリランカ、ガーナ、ケニヤ、ナイジェリア、シエラレオネ、タンザニア、ジャマイカ、ウガンダ、ザンビア、ガンビア、カメルーン、ボツワナ、ガイアナ、マラウイ、ナミビア、ルワンダ、ベリーズ、フィジー、モーリシャス、モザンビーク、セイシェル、南アフリカ、キプロス、マルタ、マレーシア、バングラディシュ、シンガポール、アンティグアバーブーダ、ブルネイ、バハマ、ナウル、ドミニカ、バルバドス、パプアニューギニア、グレナダ、キリバス、モルディブ、レソト、エスワティニ、セントクリストファーネイビス、トリニダードトバゴ、ソロモン、サモア、バヌアツ、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、トンガ、ツバルの53か国に加え、むろん、スコットランド、北アイルランド、ウェールズ、イングランドを一か国とするイギリス連合王国、その他、公式にはイギリスの連邦国(植民地)ではないものの、実際にはイギリスの属国(植民地)になっているアメリカ合衆国はもちろん、エジプト、イスラエル、バーレーン、カンボジア、ジンバブエ、パレスチナ、イエメン、ネパール、リビヤなどがあり、広義にはこの非公式のイギリスの連邦国に日本や中国、韓国、北朝鮮、ロシア、フランス、ドイツ、イタリアなどその他のヨーロッパ諸国も含まれるだろうが、これらの国々に住む人々の労働(生命)と税金(財産)は全てイギリス王室の共有財産、もしくは所有物であることを示しているのがこの連邦国という言葉である。)に住む人々の間では民主主義の基本法と信じられているため、必ず現地の傀儡政府または王室(皇室)を通じてイギリス王室(政府)に納税する“義務”が上記の連邦国(共有財産国)に住む全ての一般国民(臣民)に生じるようになっている。つまり、この地球に住むほとんどの人類は生まれた時から知らない間にイギリス王室(政府)に人間としての基本的な権利や自由、生存権すらもはく奪され、勝手に臣民(奴隷)の身分に貶められているためどこの国で生まれようと、どこの国へ亡命しようと必ずイギリス王室(政府)に納税する義務が臣民(奴隷)の枷としてはめられるのである。しかも、この権利の請願はイギリス王室はもちろんのこと、王室が贔屓にしていたり、認める人物なら誰でも納税義務が免除されるという不公平な法律でもあるため、脱税及び税金横領罪で投獄されたはずのエリオットがこの法律を通した為に横領した税金で作った莫大な私財を現代に至っても残せていたり、つい最近のパナマ文書でイギリス女王のエリザベス2世を始め、世界中の多数の政治家や企業経営者達が脱税をしていても誰も逮捕されることもなく、裁判にもかけられないのはそういう理由からである。)という、元々は王党派の国会議員達が犯していた税金横領を免除する為の法律をこれみよがしに掲げ、いかにも納税義務ばかりを押し付けられる貧民への不当な課税は許さないと言わんばかりの態度でもって、国会議員達一人一人の実態はもちろん、“自分達自身の日々の暮らしや人生の全てに関わる政治とその財政状態”さえ何も知らず、何も分からず、また、分かろうともしない大衆(兵士)を誘導して扇動し、自分達、議会派(フリーメイソン)が富と権力を握る為だけにチャールズ1世を王座から引きずり下ろして清教徒革命という、お互いを蹴倒し、殺し合って利益を奪い合う内戦の口火を切ったのがこのジョン・ハムデンだった。
その結果、財政破綻して滅亡寸前だったイギリスはハムデン達、議会派が海外からの食糧や資源、労働力(奴隷)の強奪、そして税金横領による資金調達で建て直すことになり、さらにその軍事(暴力)政策を支える為に集めた資金をフリーメイソン(兵器開発団体)に注いで軍事力(暴力手段)の増強を図りながらできるだけ内戦(人殺し)を長引かせ、貧民を始めとした一般国民(兵士)を切り捨てて国家人口(規模)を縮小させることで、国家の必要経費(食糧、医療など国民を最低限、生存させていく為の費用とその物資)を切り詰める節約政策を採るようになった。
以後、イギリスは国家経済が破綻する度にこの戦争節約(人殺し)政策を延々と繰り返し、海外植民地でも傀儡政府(王室)にその政策を指導実践させたため、日本も明治維新以後、海外から金品や資源、労働力(奴隷)を強奪する侵略戦争をするようになり、その略奪品の大半をイギリスに返済金(貢納金)として逆に分捕られた挙句、財政破綻すると今度は貧しい農民を始めとした一般国民(兵士)を煽って満州その他の海外へ移民に出したり、勝つ見込みもないような太平洋戦争(第二次世界大戦)に無理やり参戦して「一億総玉砕(全日本国民集団自決命令)」を唱えたのも、イギリスが今日まで生き残ってこれた手段として(とは言え、王族や特権階級以外の一般国民は殺されるだけで生き残れないのだが)清教徒革命から延々と繰り返してきた先の戦争節約(人殺し)政策を明治政府(皇室)がそのまま真似したからである。(第107話『革命(2)』後書き(注2)その1参照)
このように、プロビデンス・アイランド・カンパニー(闇企業)と清教徒革命(内戦)を始めたことでイギリスとフリーメイソンの両方を守り抜き、生き残らせたとされるジョン・ハムデンは、その後、清教徒革命(内戦)を始めるにあたって結成された鉄騎隊(=Ironside、1642年8月29日にクロムウェルの生まれ故郷であり、今もRAFアルコベリー(=Royal Air Force Alconbury、アルコベリー王立空軍基地)やRAFモールスワース(=Royal Air Force Molesworth、モールスワース王立空軍基地)といった英米軍の基地と軍事施設が密集するケンブリッジシャー州のハンティングドン市(=Huntingdon、古英語で「狩猟民族の丘」という意味。)でハムデン達、議会派が結成させた鉄砲を持った騎兵隊のこと。だから、その名もIron Side(鉄騎隊、直訳すると「鉄を側に置く」)であり、その後の革命軍(=New model army)の前身となった。なお、17世紀の欧米は日本の戦国時代(16世紀頃)に武将の織田信長が大量購入して使用し、戦勝したことで知られる火縄銃から縄の代わりに火打石で火薬に火をつけるフリントロック方式の鉄砲が開発されるようになっていたが、造りそのものは火縄銃とほとんど変わらず、火薬を発射装置に詰めた後、銃口から弾丸を込めてバネのついた火打石のコックを後ろに引っ張り、引き金を引くとハンマーのようにそのコックが発射装置の金具に当たって火薬に火をつけ、弾丸を発射させるという構造で、火縄銃と同じく銃口から弾丸を詰めなければならない鉄砲のため銃身(長い筒の部分)の内部にらせん状の溝(ライフリング)をつけて弾丸を回転させ、まっすぐ飛ぶようにする、いわゆる現代でよく見かけるライフル銃ではなく、銃身の内部は筒のままの、マスケット(大砲、または筒)型の銃だった。だから、ライフル銃ほど命中度も高くない上、一見、火縄よりも火打石の方が雨天の際に戦場で役立つように思えるだろうが、実際のところ、派手に火花が散る割には肝心の火薬に火がつかず、発射装置に火薬を残したまま次の弾を撃とうとして火薬を詰め込みすぎて暴発し、相手を撃つ前に自滅することの方が多かった。しかも、イギリスの鉄の製法(冶金術)がいかにでたらめかは19世紀の鉄橋や鉄道の事故、タイタニック号の沈没事故(第105話『欺瞞』本文及び後書き(注5)参照)で説明した通りなので当然、この頃の銃に使われていた鉄も例外なく不良品である。ちなみに前述の米映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』の主人公のジャック・スパロウが使っている拳銃もこのフリントロック方式のものである。)で支給する為にフリーメイソンが莫大な資金を使って開発した最新鋭の拳銃が暴発したことで戦時中に負傷し、その怪我が原因で1643年6月24日にこの世を去った。
以来、フリーメイソンはジョン・ハムデンの犠牲的な功績を称えてJack(ジョンの親類、縁者)をコードネーム(暗号名)とし、18世紀に再度、国家財政と共にフリーメイソンが潰れかかった際もハムデン達が考え出したペーパーカンパニー(闇企業による税金洗浄)と侵略戦争及び植民地(人殺しと強盗)政策から思いついたサウス・シー・バブル事件で何とか乗り切れたため、そのすぐ後の1717年にフリーメイソンの本拠地としてプレミア・グランドロッジ・オブ・イングランドをウェストミンスター宮殿近くに設立した記念日もわざわざハムデンの命日である6月24日にしたのは彼(の悪知恵)への多大な感謝の意が込められていたからだった。
そしてこれ以降もこの6月24日をイエスの到来を前にして処刑されて犠牲となった洗礼者ヨハネ(ヘブライ語ではヨハネ、またはヨハナン、英語名はジョン。第3話『裁判(3)』、第20話『生贄』参照)にハムデンをなぞらえ、キリスト教の洗礼者ヨハネの聖人記念日をハムデンの命日にすり替えて毎年、祝祭を開くのが2020年時点で全世界約600万人以上の会員数を誇るフリーメイソンの年中行事となっている。
そのため、米映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出てくるジャック・スパロウや切り裂きジャック事件の犯人がなぜ、トムやジム、オリバーなどではなく、“ジャック”という名前を使ったのかお分かりいただけたかと思う。
なお、スパロウ(=Sparrow、雀)も、イギリスの民話に出てくる伝説的英雄(というか、金持ちや貴族だけを狙って手下と共に金品を強奪し、その一部を貧民に配って回るという任侠(正義心)を装うヤクザやマフィアの親分のような)ロビンフッド(=Robin Hood、正しく書くならRobbing Hood、「フードを被って強盗する者」で、本来、Robin(駒鳥)とは全く関係ないが、英語ではしばしば末尾のgを読まずロビンとしか発音しないので、文字もそれに合わせてRobin Hoodとなった。)にちなんで作られた一見、子供向けの歌のようでいて実際は政治や社会への風刺や血塗られた殺人事件などを流行歌にしたイギリスの童謡『Who Killed the Cock Robin(邦題では『誰がクックロビンを殺したの』1744年初刊)』に出てくる、
― 誰がクックロビン(オスの駒鳥)を殺したの?
わたしだ、とスパロウ(雀)が言った。
わたしのBow(弓)とArrow(矢)で
わたしがクックロビンを殺した。
という歌詞の中の殺人犯のスパロウ(雀)から採ったものである。
書かれた歌詞を鵜呑みにして訳すなら、雀が駒鳥を殺したおとぎ話と思うかもしれないが、クックロビンはオスの駒鳥ではなく、人の名前で、愛称または呼び名である。
実はこの童謡が歌われ出した頃というのは、イギリスでは“ジェンキンスの耳戦争”(=The War of Jenkins' Ear、1739年~1748年)と呼ばれるスペインとの戦争(人殺し)の渦中にあった。
ジェンキンス(ジョンの親類、縁者)という名でピンと来たかもしれないが、ご推察通り、フリーメイソンが画策して起こした戦争(人殺し)であり、クックロビンとはその発端となったロバート・ジェンキンス船長の呼び名である。
イギリスではロバートという名前を短くロビンと言い換えて愛称にする習慣があり、また、クックとはこの当時のイギリス海軍の用語で大型武装船から上陸する際に物資などを運ぶ小型船の船長(=Cockswain)を意味する略語である。
そして、このロバート・ジェンキンスなる人物というのが、いつものごとくイギリス国家、(フリーメイソン)に雇われて主にスペイン船の積み荷を狙い、カリブ海周辺を荒らして廻っていた海賊船の船長であり、だから、イギリスの陸(国土)に物資(略奪品)を運ぶクック(手下の船長)と名付けられたのだが、そのクックロビンなる男は戦争が勃発する8年も前にその犯行を疑われてスペインの巡視船に拿捕され、巡視船の指揮官や船員達に左耳を切り落とされるという拷問を受けた後、「イギリス国王も同じ目に遭わせてやる」との暴言をスペイン人達に吐かれ、国辱を受けたと国会議員達や国王ジョージ2世の前で報告し、イギリスがスペインとの開戦に踏み切った事件の発端を作った男でもあった。
しかし、そもそもこの出来事は全て8年前に小さく書かれた雑誌記事だけが頼りであって、それ以外にこれといった証拠もなく、その雑誌記事自体も信憑性は非常に薄かった。
なぜなら、その記事を掲載したのはその事件が起きる半年前にロンドンの聖ヨハネの門(=St John's Gate、聖人“ジョン”の門)と呼ばれる取り壊された元修道院のアパートの一室に設立された『The Gentleman’s Magazine(邦題にすると『紳士の為の雑誌』1731年発刊)』という雑誌社で、順を追って発刊される書物にMagazine(フランス語で「店または倉庫」の意味で、恐らく「話題の倉庫」と言いたくて名付けたものと思われる。)という言葉をイギリスで初めて冠した雑誌でもあった。
その会社の場所名からして明らかにフリーメイソンの拠点であることは間違いなく、雑誌(と言ってもこの頃はまだ、新聞かチラシみたいなものだが)の表紙を飾る絵もまさしくフリーメイソンを示す聖ヨハネの門で、さらに言うと、イギリスでは開戦が囁かれ始めた1737年まで5年以上、この記事が話題に上ることはなかったのだが、なぜかイギリスから遠く離れたアメリカのペンシルバニア州の『The Pennsylvania Gazette(邦題にするなら『ペンシルバニア州官報』1728年発刊)という入植者向けに政治や経済、科学、社会問題などを取り上げて宣教する、いわゆる高級紙と呼ばれる新聞社を買い込んでジェンキンス(クックロビン)の耳事件が起きた同じ1731年頃にアメリカのフリーメイソンの支部会館(St. John’s LodgeまたはThe Tun Tavern Lodge,Philadelphia)に入会したアメリカの“建国の父”とも称される政治家で作家のベンジャミン・フランクリンが事件が発覚してわずか4ヶ月足らずでもう『The Pennsylvania Gazette』に事件の詳細を取り上げており、しかもそこに別の話まで盛って書くという特ダネ扱いにもなっていて、この当時、物資や情報を運ぶのに船で数か月はかかる状況でイギリスで話題になったこともなく、イギリスやアメリカからさらに離れた中米のカリブ海沖で起きた事件の細かい情報がそんなに早く好都合にアメリカに届けられたのか不思議で仕方ないが、当初からフリーメイソン同士が情報交換して示し合わせていたのなら説明がつく。
まして、その後、長い間、誰もその事件を口にしなかったのにある日、突然、その話題が再び急浮上してきて世間を賑わすのもおかしな話で、要は元々、『The Gentleman’s Magazine』が紙面を埋める為に書き溜めておいたでっち上げの記事をスペインに宣戦布告する為のネタ(理由)としてイギリス政府(フリーメイソン)が無理やり持ち出してきて人々の戦意を煽ろうとしたというのがこのジェンキンスの耳戦争の真相だった。
つまり、ロバート・ジェンキンスなる人物はどこにも実在せず、あくまでそういう“妄想”の被害をでっち上げて自分達の利害の為だけに行う戦争(人殺し)を正当化しようとするイギリス政府(フリーメイソン)が仕掛けた狂言拿捕&拷問事件だった。
そのため、アメリカの『The Pennsylvania Gazette』も当初から記事を載せていた訳ではなく、イギリスの『The Gentleman’s Magazine』の記事の信憑性を高める為に日付だけを1731年に替えて後から話を付け足しただけで、ロバートという名前がジェンキンス船長に付けられたのも実はその事件の話を復活させた後のことであり、ロバートとはホイッグ党(フリーメイソン、第114話『細胞』(注2)参照)から出馬し、フリーメイソンの陰の力で15年以上の長きに渡って政権を維持してきたものの、イギリス国家(フリーメイソン)にとっては決して欠かせない資金(税金)集めや軍事における指導力、技術知識に著しい時代錯誤を見せ始めたイギリスの初代首相であるロバート・ウォルポールにちなんだものだった。
このウォルポールというのが、現代の日本で例えるなら1980年代のバブル経済に浮かれて気持ちだけはいつまでも若いつもりの大御所政治家で、1710年~20年代にかけて始まったイギリスのサウス・シー・バブルで減債基金(=Sinking fund、国家の借金を返済する為に少しずつ税金を貯蓄する、今でいう企業の内部留保のようなものである。)を設立し、一気に勢力を拡大して成り上がってきたことでいい気になり、それ以来、金さえかければ人はもちろん、物や技術でも何でも手に入れられると信じてやまない金権政治家だった。
しかし、元から経済(お金)を国内で潤沢に回らせる産業技術がほとんどないイギリスは見た目だけ好景気を装って大衆を投機に誘い、国内の実質的な資産(田畑や産業技術など)を騙して吸い上げたところでその資産(田畑や産業技術)をさらに発展させて増やしたり、拡大させる“良い”知恵などあるはずもなく、結局、どんどん先細りし、再び財政危機に陥った。
そこでまた、いつか来た道を辿るかのごとく前述した戦争節約(人殺し)政策で財政再建を行おうとイギリスよりも前からアメリカ大陸に進出して植民地政策で潤っているように見えていたスペインを狙い、画策したのがジェンキンスの耳戦争だった。
その上、経費(食費)のかかる大衆を戦場に送ってわざと戦死させ、国家規模(人口)を縮小させて経費(食費)を節約する一方、味方の戦死者が増えたのは軍事指導力に欠いたウォルポールの責任であり、この作戦(戦争)自体、失敗だったとして政治の表舞台からウォルポールを退場させる一石二鳥を図ったのである。
(まるで終戦後、敗戦責任を問われた日本の首相の東条英機を思い起こさせる展開だが、これも元々は日本の自民党政権(明治政府)が何でも欧米の政策、特にイギリスの政策をそっくりそのまま真似てきたからである。)
その結果、中世以来、病原菌に侵された死体を培地にしてその病原菌を増殖させ、それを媒介して拡散できる動物を生物(細菌)兵器に仕上げることに国力(税金)のほとんどを注いできたイギリス(フリーメイソン)は、アフリカで発見した黄熱病菌もウィルス(=Virus、他の生物の細胞を使って複製を作る病原菌のこと。)が作れるよう人工的に培養し、ウィルス(複製で増殖させた病原菌)が蔓延した死体の血を蚊に吸わせることでその蚊を生物(細菌)兵器にして所構わず戦場で放出させ、敵味方関係なく殺戮していった。
それが第114話『細胞』(注2)で話した黄熱病がアフリカから遠く離れた気候も環境も違うアメリカ大陸で大流行した原因であり、新種の動植物を探して探検していたウォレスの弟のハーバードが突然、病死した理由である。
また、現代において欧米のバイオテクノロジー企業が近隣住民に反対されながらしつこくGM蚊(不妊の蚊)にこだわり、やたらと世界各地で放出したがる起点でもあった。
そうして、敵の死傷者が約5千人に対し、味方の兵士は2万人以上の犠牲者を出して一見、イギリスが敗戦したかに見えるだろうが、実際は原住民やスペイン人入植者達も黄熱病に罹ったり、感染そのものを恐れて次々と土地を離れていき、いつしか無人化してゴーストタウンとなった土地はイギリスの手に転がり込むこととなった。
それでもイギリスを始めとしたこの頃の欧米には人を病気にして殺戮できる生物(細菌)兵器は作れてもアジアでは既にあった人の生命を守って病原菌の感染を防ぐ牛痘のような(第97話『不浄(1)(注1)参照)ワクチン(弱毒化させた病原菌)接種の考えはまだ、なかったため無人となった土地を手に入れて19世紀にパナマ運河を建設しようとしても自分達が撒いた生物(細菌)兵器が仇となって難工事となり(第113話『内部者』(注1)参照)、結局、大損害を食らい、20世紀にようやくワクチン開発ができるようになっても相変わらず人を殺す兵器を作ることしか頭にないので、人の生命を守るどころかかえって病気にさせるだけのワクチンしか作れていない・・・。
そんなこんなでまた、話が長くなったが、ジェンキンスの耳が切り落とされたという雑誌の記事一つで2万人以上もの人々が戦死し、首相のウォルポールも政権から退陣することになり、あの童謡『誰がクックロビンを殺したの』が巷で歌われるようになった。
だから、スパロウとは雀のように雑誌のデマ記事を世間に広めてくれる大衆を指す意味と、古英語でSparrô(「木の柱」という意味。)の二つの言葉が掛け合わされていて、後者は16世紀に天然資源のほとんどないイギリスで唯一、資源らしい資源のグラファイト(黒鉛)鉱山が見つかり、さらにローマ時代のステュルス(第91話『ロゴス(言葉)(1)』参照)の名残りからか、折れやすい黒鉛を木材で包むよう思いついたイタリアのベルナコッティ夫妻が“大工の鉛筆”(=Carpentry pencil)と呼ばれる鉛筆の原型を発明し、元大工のカスパー・ファーバーが1761年にドイツ最古の文房具会社のファーバー・カステル社(=Faber-Castell、2018年時点でドイツでの従業員は約1,100人以上、世界では約8千人、売上収益約58億7,500万ユーロ(日本円で約739億円))を創設するなど、18世紀初めから鉛筆が生産販売されるようになったことから、その新しい流行品である鉛筆を使ってデマ記事を書いたという意味がそのスパロウという言葉に込められている。
そのため、歌詞の中の「わたしのBow(弓)とArrow(矢)でクックロビンを殺した。」も、未だ中世の考えに憑りつかれているロバート(ロビン)・ウォルポールなら戦いと言うとBow(弓)とArrow(矢)を使うことしか頭にないだろうが、これからの時代は机に向かってBow(頭を下げ)、Arrow(鉛筆の矢尻)で物を書くだけで十分、敵を倒すことができる、といったようにそれぞれの単語に二重の意味が隠されている。
このように、童謡の『誰がクックロビンを殺したの』にしても、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウという名前にしても、フリーメイソン(イギリス)がやたらと隠喩(第88話『母の願い(2)』(注2)参照)を駆使して多様な意味を言葉に忍ばせたり、時には「差別用語になるから」と言って言葉をいろいろと言い換えさせたり、あるいは流行語なるものを造ってメディアを通じて宣教し、大衆にその言葉を使わせようとするのは、そうやって大衆を騙して洗脳し、自分達に都合いいように誘導し、支配し、管理したいとのプロパガンダ(大衆扇動広告)活動やスパイ同士の暗号による情報交換の為もあるだろうが、何より彼らとしては自分達が今、まさにやっている、またはこれまで犯してきた詐欺や暗殺、税金横領、テロ行為、そして戦争(人殺し)などの真相が一切、表に出ることもなければ、自分達、仲間内でしか知り得ない情報が大衆に分かる訳はないとの絶対的な自惚れがあるため、自分達にまんまと騙され、操られている大衆を馬鹿にし、自分達の仲間内で茶化して嘲笑うことを目的にそうした言葉遊びに興じているようだった。
そのため、本来、イギリスやアメリカにとって『パイレーツ・オブ・カリビアン』の話のほとんどはカリブ海の底に沈めてきたはずの黒い歴史でしかないのだが、それをわざわざ掘り起こして大衆に向けてエンターテイメント(余興)のファンタジー(おとぎ話)映画に話を作り替えるのも、また、これからお話しする切り裂きジャック事件で真犯人が後に自分の犯した通り魔殺人を新聞や雑誌に投稿したり、事件から130年以上経っていても延々と事件を取り上げ、面白おかしく本にしたり、映画にするのも、自分達、政府(王室)とその手下のフリーメイソンによって今なお、搾取され、抑圧され、脅迫され続けている大衆がそうとも知らずに彼らの配信する本や雑誌、ゲーム、映画やネットを観て喜ぶ姿が何ともおかしく滑稽で、そんな大衆を自分達の掌で踊らせて支配しているという特権意識と共に自分達の全く根拠(成功した実績)のない薄っぺらな自信や薄汚いだけの虚栄心がそうしたメディアを用いた自慢または自己(存在価値)アピールで満たされるらしかった。
https://youtu.be/M34Z-g2NPjs
http://www.saitamakinen-h.or.jp/news_head/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%89%AF%E5%8F%8D%E5%BF%9C%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%95%E3%82%A3/
https://news.yahoo.co.jp/byline/horimukaikenta/20210310-00226836/
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210309001200882
本作品をよく読んでいただき、
医薬品に副作用(支障のある作用)があることは仕方ないとの
政府(厚労省や医師などの)見解を鵜呑みにせず
これまでの政府による薬害の歴史をよく思い出し、
ワクチン(弱毒化した病原菌)はどれも絶対に【接種しないでください】
同じ過ちを犯して悲劇を繰り返さないでください。
※※※
途中、チャールズ1世の表記がリチャード1世と誤表記しておりました。
訂正してお詫びいたします。2023年1月25日