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第百十五話 生命

今話のイメージソングです。↓

https://www.youtube.com/watch?v=L-Bzhpm8h0o

「Prayer X」by King Gnu より


『“人類”の文明とは神(=愛や正義、善、真実)を信じること。』


ニールスの母親は4人の子供を産んだ後、ニールスが4歳の時に死んでいる。

だが、ニールス以外の兄や弟妹に病気はなかったらしく、父親に至ってはニールスの母が死んだ後、その母親のいとこの女性と再婚し、6人の子供をもうけるほど元気だったようで、ニールスだけが遺伝的な病気をわずらっていた。

学校に行っても「心根はいい子だが、能力や元気がない。」と言われ、卒業させてもらえず、別の学校へ転校させられた後、彼はいつしか何とかして自分で自分の病気を治そうとするようになった。


ニールスが思いついた治療法とは、太陽に当たることだった。


北欧の、一年の半分以上は氷雪に覆われ、夏でも10度ほどしか気温が上がらず、風、雨、雪とも強くてほぼ毎日、どんよりした曇りの日が多いフェロー諸島で育った彼にとって、太陽はまさしく彼を暖かく包みながら生きる原動力(エネルギー)を与えてくれる元気のみなもとに思えたのだろう。

それ以降、ニールスはひどい貧血と倦怠感けんたいかんに悩まされながらできるだけ日光浴をするよう心掛けた。

すると、次第に彼は自分の体力がよみがえってくるのを感じたようだった。


だが、彼自身がその治療法を実践して正しいと思ったとしても医学的な根拠は何もない。


そこで、ニールスは医学を志し、“太陽光線”がいかに人の健康に役立つかということと、ダーウィンの進化論やダーウィンのいとこのフランシス・ガルトンが創設した優生学(注1)においての、「生まれつきの病気や障害は決して治らず、そうした病気や障害の遺伝を持つ人々は結婚して子孫を残すべきではなく、淘汰とうた(=抹殺)すべきだ。」とした当時の生理学(=Physiology、生物学の一つで、人間を始めとした動物、植物、菌類などを中心にその体を作っている細胞や器官、機能について研究する学問。生体内の細胞や器官を取り出して、それらの化学変化や運動力、熱、電気、光なども調べ、解剖学や化学、物理学、もしくは遺伝学なども生理学に含まれることがある。なお、イギリスの生理学会(=The Physiological Society、 1876年創設)の初代メンバーにチャールズ・ダーウィンといとこのフランシス・ガルトンも入っていて、ダーウィンは名誉メンバーでもある。また、北欧はガルトンの優生学に強い影響を受け、1930年代になると狂人とされた人々や障害者などに強制的もしくは自発的に不妊手術を受けさせる断種法を制定して(スウェーデン1934年、ノルウェー1934年、デンマーク1929年、アイスランド1938年、フィンランド1935年)1970年代までに延べ12万人を超す人々が断種法に基づいた不妊手術を受けさせられたと見られている。ちなみに日本も同じような“国民優生法”という断種法を1940年に制定し、遺伝的疾患を持つ人達や障害者に対して不妊手術を行った他、1948年には“優生保護法”と名称を変え、先の対象者に加えてハンセン病患者に対しても同じような不妊手術を行うようになった。)が間違っていることを証明することにした。


実際、この頃になると彼はかなり元気になっていたらしく、デンマークで最も由緒正しき難関校であるコペンハーゲン大学の医学部に進学し、卒業もできた。

しかし、太陽光線がどう人体の血液循環や代謝機能に影響するのかという目ぼしい証拠は見つからず、彼としては「太陽光線そのものが人の血液循環や代謝機能を高めているのか、それとも化学的な光線でも太陽光線と同じように役立つのか?」といった研究をすることにした。


そこで、彼が化学的な光線として用いたのは“紫外線”(=Ultra Violet rays)だった。


ちょうどニールスが別の高校に転校した頃、イギリスの公衆衛生医務官だったアーサー・ダウンズと同じくイギリスの化学者のトーマス・ポーター・ブラントが劣悪なロンドンの衛生環境や貧困状態を改善する為の調査研究をしていたところ、太陽光線の中で紫外線に殺菌作用があることを発見し、その研究論文を公表していた。(Researches on the Effect of Light upon Bacteria and Other Organisms 1877年)

生憎あいにく、彼らの研究はイギリス政府(王室)が長年、見て見ぬ振りし続けてきた貧困問題や非人道的とも言える劣悪な衛生環境を世間に暴露することにもつながるため、その業績もあまり日の目を見ることはなかったが、それをニールスは数ある論文の中から見つけ出し、これを利用して彼の若い頃からの夢だった「太陽光線で生まれつきの病気が治療できる。」ということと、「遺伝的な病気や障害は治らないと断定する今の生理学は間違っている。」という自分の考えを証明できないかと模索し始めた。


ただし、彼が生理学会はもちろんのこと、世間の風潮に逆らってそれを証明することは、ある意味、不可能とも言えるぐらい相当、難しいことだった。


まず、この当時の生理学では1771年にイタリアの医者で物理学者のルイジ・ガルバーニが行った、死んだカエルの脚に電気を通すと痙攣けいれんする実験が今でもよく知られているように“生体解剖”(=Vivisection、生きている生物を実験目的で解剖すること。)は当たり前で、“ダーウィニズム”(=Darwinism、ダーウィンの進化論、もしくはそれを支持する人々の意見や考え。)が流行り出してからは様々な動物を解剖してその生体機能から進化の痕跡こんせきや親から子に何が、どう遺伝しているのかを調べようと、お酒を飲ませた犬を麻酔もかけず解剖して血液循環機能を見せるといったような意味不明な“動物実験”(=Animal Testing、“人が想定した状況”下に置かれた動物がどういう反応を示すかを調べる為の実験のこと。そもそも、実験対象にされた動物にとってはまず、“自然下では起こりそうにない”、大抵、過酷な状況を設定された上、“突然変異”(=Mutation)と呼ばれる生物の遺伝子や機能の変化を無理やり起こさせて進化の痕跡を突き止めようとするため、実験に使われる動物の大部分は死亡、または重症を負いやすい。例えば、無理やりガン細胞を移植したマウスに何度も化学薬品を投与してその病態を観察した挙句、“治す気もなく”そのまま死なせたり、遺伝子を改変したマウスと別のマウスを交配させて生体機能に異常があるようなマウスを生ませるなど、おおよそ“治療とは言い難い行為や成果”しか上がっていない。)も頻繁に行われるようになり、こうした風潮の最中にニールスが自分の論文を生理学会に提出して世間に認めてもらうには生体実験は嫌でも避けられない状況だった。

(ただし、犬好きの多いイギリス人にとってさすがに犬を実験対象にされるのは許し難い行為だったらしく、レズビアン(=Lesbian、女性の同性愛者)で有名なアイルランド人のフェミニスト、フランシス・コッブスが1875年に動物実験に反対する“NPO団体”(=Non Profit Organization、政府や企業などが取り上げない社会問題の解決や公益を求めて活動する民間グループのこと。一般的に“非営利”団体と解釈されている。)を立ち上げてイギリス全土で反対運動を展開し、ついにダーウィンを国会へ証人喚問しょうにんかんもん(国会内での裁判)に呼ぶなどの成果を挙げ、法の“改正(?)”にまでに持ち込んだ。(The Cruelty to Animals Act, 1876)

しかし、元々、それよりも50年ほど前からイギリスでは既に動物保護法が作家のジョン・ローレンスやアイルランドの政治家だったリチャード・マーチンなどのグループによって制定されていて(The Cruel Treatment of Cattle Act 1822)、その法律では主に牛や馬、羊、ロバなどへの虐待を禁じ、食用にするにしても苦痛を感じさせないよう処分するといった、“基本的にどのような動物の生命でももてあそんではいけない”法律になっていたはずなのだが、コッブスやフェミニスト達はこの法律を曲解してしまい、単に元の法律が牛や馬といった家畜の種類しか書かれていないことに注目し、これに犬や猫のような自分達が好んでいる愛玩動物ペットの種類を付け加えることで、そうした愛玩動物ペットや家畜以外の“動物実験は免許や許可さえあれば許されるようにしてしまった”。

また、人の病気を治す為だと言い張って同じように免許や許可があれば愛玩動物ペットでも家畜でも結局、実験は許され、科学の権威や名目さえあればどんな動物虐待でも許されるよう元の法律をすり替えてしまったのである。


というのも、コッブス自身が元からこの動物実験そのものに深い愛着があった訳ではなく、彼女がレズビアン(同性愛者)だったことで夫も子供もいない彼女にとって生活費を稼ぐ手段(=仕事)がNPO団体を立ち上げ、そこに集まってくる動物実験反対運動への支援金でもって生計を立てるしかなかったからだった。

あらゆる財産も身分も教育も男達に奪われ、生きていく為には親に決められた結婚をするしかなかった欧米の女性達は、同じく打算的な結婚を嫌がる女性とレズビアン(同性愛者)の関係になることで結婚を強要する親達にとりあえず反抗はしてみたものの、その一方で汗水たらして働くといった“大人としての責務”は果たさずいつまでも少女(娘)のままでもいたかったため、子供を盾にしてフェミニズム運動をする既婚の女性達を見て子供の代わりに愛玩動物ペットを盾にしたフェミニズム運動を始めるようになった。

幸か不幸か、そんな彼女達の手本として50年以上も女同士で連れ添い、まっとうに働いた経験がなく、小さな屋敷の庭園作りと読書に明け暮れ、そこで読書サロンや簡易宿泊所を開くことで訪問客達から些末さまつな礼金をもらったり、家族や親戚の援助などで生活してきたランゴレンの貴婦人達(=The Ladies of Llangollen)と呼ばれるアイルランドの女性達がなぜか当時の有名作家や著名人達の間で話題となり(恐らく、宿泊させてもらった客達がお礼として彼女達を褒めただけなんだろうが・・・)、流行ファッションのように取り上げられたため、彼女達を見習ったフェミニスト達は以降、性的関係がある、なしに関わらず、レズビアン(同性愛者)を公言したり、あるいはそうした同性愛を扱った文学や芸術作品を称賛するようにもなり、また、何らかの突拍子もない話題を提供して世間をあおればそれで自分達の生計が立てられ、世間からも認められるようになることを知ってしまった。


だから、そうしたレスビアンの一人だったコッブスにとって動物実験反対運動はあくまで生活費を稼ぐ為の手段であって、動物実験そのものが本当に廃止されてしまったら当然、収入はなくなる。

また、動物実験を科学(理性)的に反証するほど“知識も関心もない”彼女にしてみれば、ダーウィン達、医者や科学者達の「学問や医療、科学の発展の為に動物実験は必要」との理屈を強く否定することができず、どこかしらその理屈に自分でも納得している。


そこで、元の法律の「どのような動物でももてあそんではいけない」との主旨(主たる目的)を法的根拠にすることなく、むしろ、その主旨をにごす形で「元の動物保護法は牛や馬などの家畜限定で定められたものであり、また罰則規定や罰金がゆるすぎる」として法改正を求め、動物の種類を増やすことで自分達のNPO団体は“徐々に動物実験や虐待を全廃させる方向”に向かって活動しているといった印象操作をしたようだった。


しかも、この印象操作が功を奏し、本当に法改正されてしまった。


以後、こうした部分的な法の手直しを求めるNPO団体やフェミニズム運動が増えるようになり、その活動の規模や過激さも相まって“非営利”な団体だったはずが今では世界中に支部や拠点も作られ、その運営資金ももはや一大グローバル企業と変わらない収支にまで拡大している。

そして、現代に至っても多少、心ある医学生や科学者などが「“人間の良心を持つ者として”動物実験には絶対に参加したくない。」ときっぱり意思表明して代替案を示す人は存在するものの、それでも尚、科学的権威に逆らえず動物実験そのものは全廃されていない・・・。)



だから、そんな生体解剖や動物実験が呪縛のようについてまわる世界で、ニールス自身も逆らえず大学卒業後の3年間、動物実験や生体解剖を準備する助手としての仕事に就いた。

そんな仕事に就いたのは大学の教授職を目指していたせいもあったが、ニールスとしては他の人と同じように結婚したい気持ちもあったからだった。

ちゃんと経済的に自立して妻子を養えるぐらいの地位や収入を得なくてはいけない。

そう決意して解剖の助手に就いてはみたものの、それは想像を絶するほどの過酷さだった。


幸い、解剖そのものは教授や他の人達がやるのだが、それでも実験対象となった動物達の人を見る時のおびえた目や異様なまでの身体の震え方、メスを入れられた時に上げる苦痛と恐怖に耐えかねた空気を切り裂かんばかりの切ない悲鳴に耳を塞がずにはいられない。

「いつかはそんな情も消え失せ、麻痺してくるものだ。」と皆は言うが、とてもじゃないが、耐えられない・・・。

それに、恐怖はそれだけに終わらない。

何より、生体解剖は動物だけではなく、人間の死体も解剖する。

だが、この人間の死体が一番、厄介だった。



(注1)優生学についての後書きは文字数の関係で次話として投稿させていただきます。

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