第百十四話 細胞
多くの人が自分の生命や健康についてひしひしと感じるのは、自分が実際に怪我をしたり、病気をした時で、その時ほど、自分が健康でいられることを有難いと身に染みて思う時はない。
自分が病気であるからこそ、自分が苦しいからこそ、二度とこんな苦しみを他の人達にも味わって欲しくない。
いつまでも元気で、健康で、長生きしてほしいと願う。
早く治したい、治してあげたい。
そうして、自分の生命や健康を守りたいと思うと同時に、自分の親や我が子、他の多くの人達の生命と健康を守ろうと医学を志す人達がいる。
それが本来あるべき医者や医療関係者の姿だと思うのだが、その一方で、どうもその志を冷笑する人達がなぜか医学や医療関係の仕事に従事していたりする。
また、そんな志や真に病気に苦しむ人達の気持ちを考えようとも理解しようとも思わず、単に“自分に対する同情や関心を引く為だけに”自分の身体や行動の中で普段、劣等感や負い目に感じている部分を病気や障害のせいだと思い込もうとしたり、自分の一時だけの落ち込みや気分、それほど深刻でもない症状を大げさに騒ぎ立てたりして、意識的にせよ、無意識にせよ、病気や障害を装うとする人達もいたりする。
時にはそうやって我が子を病気や障害に仕立て上げる親までいる。
あるいは、自分からわざわざ危険な真似をしたり、不摂生なことだと知りながら、自分の欲するがまま一時だけの快楽に身を任せた結果、病気や障害を負うことになってもそれを決して省みることなく、お金を払えば何でもすぐに治ると言われる薬や医療技術でもって自分の過ちをうやむやにしようとする人達もいる。
そして、傷つき、苦しんで病気を克服しようと何度ももがき、試行錯誤しながら得た結論を自分以外に苦しむ人達に少しでも役立てたいと発表した志高い人達の“智慧”(=心)を見て、彼らはそれを自分達の金儲けや出世を図る為の道具、または世間での自分の体裁を良くする装飾品、金を出せばいつだって都合よく健康を取り戻してもらえる魔法の杖だと勘違いすることがある。
現在のアイスランドとノルウェーの間にある、北欧の沖合に浮かぶデンマークの自治領、フェロー諸島の医師だったニールス・フィンセンは、そうした自身の苦しみを抱えながら最良の医療を求め続けた志の高い医者だった。
彼は決して他の人達より抜きんでて優秀だった訳ではない。
ただ、自分に与えられた病気を“克服しようと”必死だった。
ニールスに与えられた病気とは、幼い頃からひどい貧血と倦怠感、成人後の異常な腹水や車椅子生活を強いられたなどの症状からして、ニーマン・ピック病あるいはウィルソン病(注1)のような“先天性代謝異常症”を患っていたと見られる。
“先天性代謝異常症”(=Inborn errors of metabolism)とは、生命を維持するのに必要な新陳代謝そのものが生まれつきうまくできない“遺伝的な”難病である。
人間(生物)は生きていく中で食べたり、飲んだり、空気を吸ったり、日に当たったりと日々、自然から与えられる物質や栄養素を自分の身体の中に取り入れ、それらを吸収して組み合わせ(同化)、身体の各機能を強化したり、あるいはそれらを分解して必要な部分を自分が生きる為の原動力に変え、それ以外を不要な毒素として排泄する(異化)などして“身体を形作る細胞を刻々と化学変化させて生きている”。
それが“代謝、もしくは新陳代謝”(=Metabolism)である。
ところが、先天性代謝異常症を発症してしまうと、この代謝がうまくできず身体にとって必要な栄養素を組み合わせられなかったり、毒素を排泄できず溜まっていったりする。
そのため、ニールスのように正常な血液を作り出すのに時間がかかって貧血が起きたり、体内でエネルギーを蓄えられず異常な疲れを感じたり、あるいは不要となった身体の水をうまく排泄できず、お腹に溜まっていったり、神経を伝達する細胞が働かなくなって足が動かなくなるといった様々な症状が出てくるようになる。
特に、代謝には体内で物質や栄養素を組み合わせたり、分解する際の仲介役となる“酵素”(=enzyme、人体を構成するたんぱく質の一種。人体、つまり人の細胞はたんぱく質20%、水分60~70%、残りは脂肪でできており、酵素はそのたんぱく質の一部に含まれていて、中でも細胞内にある酵素はDNA(デオキシリボ核酸)から受け取った遺伝情報を各細胞のたんぱく質に伝えて、細胞の分裂や結合を促す役目を担っている。)の働きが重要なのだが、何よりこの酵素がうまく働かない。
そして、この酵素もいろいろな種類があってその役割もそれぞれ決まっており、こっちの酵素が正常に働いていてもこっちはうまく動かないといった不具合があり、それによって先天性代謝異常症という病気の種類も症状も治療法も変わる。
現在、“見つかっている”酵素の種類は約3,000種類。
酵素を含んだ人体のたんぱく質で“分かっている”のは約10万種類。
30歳で身長172cm、体重70kgの人の細胞の数は37兆2,000億個と“推計”されている。
それでも、酵素の種類も、酵素を含んだたんぱく質の種類も、細胞の数そのものだって、まだ確定されていない。
むろん、数が分かったところでそれらがどのように働き、どのような役割を担っているか全てを解明するなど、地球の全てを知るぐらいとんでもなく果てしない謎解きになる。
“その全てを正しく知っているなら、それこそまさしく神である。”
だから、本当のところ、古代から現代に至るまでこの地球上に住む人類は自分達、人間の身体を全て知っている人など誰もいない。
もちろん、ニールスが生きていた19世紀はまだ、“遺伝学”(=Genetics、生物の形や性質などを形作っていると見られる遺伝子について研究する学問)や“遺伝子工学”(=Genetic engineering、遺伝子組み換えや遺伝子導入のような遺伝子を交換したり、加えるなどして生物の形や性質を操作する技術を研究する学問)など存在すらしていなかった。
ちょうど、ニールスが生まれるぐらいにイギリスの生物学者のチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスが“進化論”(=The Evolutionary theory、1859年にダーウィンがウォレスの学説を併せて発表した著作『On the Origin of Species(邦題は『種の起源』)』において、地球上の生物や植物などの種は全て遺伝によって決まり、環境に適合できない遺伝を持った種は徐々に淘汰されていなくなり、環境に適合できる遺伝を持った種だけがその数を増やしていくとした学説)(注2)を唱え、グレゴール・メンデルというドイツの修道士がエンドウ豆の品種をそれぞれ交配させてそれぞれの形質がどう親から子の世代に遺伝されるか実験している真っ最中だった。(1865年「メンデルの法則」(注3))
なのに、貧困や人口問題、福祉制度への税金の使われ方を巡って人々が揉めだした頃からダーウィンの進化論は独り歩きを始め、「環境に適合できない遺伝を持った人間は不要で、環境に適合できる遺伝を持つ人間だけが生き残るべきだ。」などと考えられるようになり、いつの間にかニールスのような遺伝的な病気を持つ人達は、両親から与えられた遺伝情報がおかしかったから病気になり、一生、治らないとまで思われるようにもなってしまった。
だが、何度も言うようだが、一人の人間を構成している細胞の種類やその細胞の中にある“遺伝子は未だ、解明されていない。”(The Human Genome Project =ヒトゲノム計画1990~2003年)(注4)
確かに、遺伝子の並び方とかコード(暗号文字)化した遺伝子の情報はたくさん集められ、他の人達の遺伝子の記録と照らし合わせて似た傾向や特徴は伝えられるようになったが(血液型占いみたいなものかもしれない・・・)、人一人につき、約30億文字あるコード(暗号文字)化した遺伝子の意味を世界中の誰も今なお、解読できていない。
つまり、それは自分の身体の中の細胞が別の細胞にどう遺伝して、どう変化しているのか誰も正確には知らないし、分からないということである。
ならば、親から子にどんな遺伝情報が、どこまで伝わっているかなんてもっと分からない。
たとえ、人間の身体の中の一つの細胞に一つの核があって、さらにその核に“DNA”(=Deoxyribo Nucleic Acid、デオキシリボ核酸)という細い糸がたんぱく質に巻き付いた形で入っていて、その細い糸(DNA)にはいろんな“遺伝情報”(=遺伝子)が詰まっており、細胞分裂する時だけその細い糸(DNA)とたんぱく質が一束の巻き毛のような“染色体”(=Chromosome、染液をつけると色が変わるので染色体と言う。)へと変化し、そして、その染色体を23本持った父親の精子(1細胞)と、同じく23本の染色体を持った母親の卵子(1細胞)が受精することで合計46本の染色体を持つ人間の子供(1細胞)となり、その合計46本のうち、生殖細胞を作る染色体の1本だけを父親からX染色体をもらうか、Y染色体をもらうかで男(Y)になるか女(X)になるかの性別が決められ、さらに父親と母親、双方にもらったDNA(染色体)もその構造を組み立てている部品をA、G、C、TというDNAを構成する物質の頭文字を取ってコード(暗号文字)化し、この4つのコード(暗号文字)がどんなパターン(配列)で並んでいるかを見て、似たパターン(配列)を持った人同士を親子だと鑑定することができ、目や髪の色、身体の特徴、顔の形といった遺伝情報(遺伝子)がこの4つのコード(暗号文字)を使って親から子に伝えられていることは確かだろうけれど、それでも、「どうやって卵子はX染色体を持った精子、もしくはY染色体を持った精子を選んでいるのか?」とか、「どうして顔形が似ていない親子が存在するのか?」とか「なぜ、病気や障害のない両親から“遺伝的な”病気や障害を持った子が生まれるのか?」といったように、世界中の生物学者や研究者達によって約30億文字にコード(暗号文字)化された遺伝子の“文字を見ることはできても”、たった一つの細胞に込められた、神の創りし人一人の身体の中の遺伝計画については分からない事がまだまだたくさんある。
だからこそ、たった一人の身体の細胞にある遺伝子(遺伝情報)であろうとどんな役目を担って、どう働くのかを知る為に遺伝学が存在し、病気や障害の原因となる遺伝子が何かを知ってどんな治療が有効か解明し、その技術や方法を生み出す為に遺伝子工学があって欲しいと思うのだが、誰も知らない未知なる領域は誰もが“無知である故に”半ば当然のごとく、嘘がまかり通ってしまう。
その為、ダーウィンの進化論のように、一人の人間が言い出した学説を他の多くの人達が深く知ることもなく見栄えや肩書、伝統や権威だけで判断し、さも正しい真実であるかのようにしてしまうと、その学説の真偽を巡って延々と無駄な論争が繰り返され、今まさに病気や障害に苦しむ人達を治す手段を見つけるのに時間がかかるばかりか、あらぬ偏見や差別すらも病気や障害で既に弱っている人達やその家族にまで与えることになってしまう。
ニールス・フィンセンもそんな無駄な論争に巻き込まれ、自身の病気に加えてあらぬ偏見や差別を負わされた犠牲者の一人だった。
(注1)
ニーマン・ピック病(=Niemann-Pick disease)は、細胞内の酵素がうまく働かず、本来、分解されるべき栄養素や毒素が細胞内に蓄積する先天性代謝異常症の一種である。
この病気を1914年に発見したドイツの小児科医のアルベルト・ニーマンと同じくドイツの病理学者のルドヴィック・ピックによって症例がさらに紹介されたことから彼らの名前を採ってニーマン・ピック病と名づけられている。
A型、B型、C型にそれぞれ分類され、A型とB型はスフィンゴミエリナーゼ酵素という人間の神経細胞内で情報伝達する機能を持った脂質を分解する酵素が欠損していて、肝臓、脾臓、骨髄、肺、脳などにその脂質が溜まってしまい、神経障害を起こす。
主にA型は東欧系のユダヤ人の幼児に発症が多く、4万人に一人と言われ、生後数か月で肝臓や脾臓が膨れ上がり、母乳やミルクを吸う筋力が保てず、全ての中枢神経に影響して痙攣や筋硬直などを起こし、生後約3年程度で死亡しやすい。
B型はA型とは違い、急速な神経障害は見られず、内臓の肥大や肝硬変などを起こすが、それ以外での成長に問題はなく、病気が見つかる年齢も人によってばらばらで、幼児期に見つかる人もいれば、成人してから健康診断で分かる人もいてA型のような重篤な症状が見られることは少ない。
ただし、年齢を重ねると体を動かした際に息苦しくなったり、心臓が肥大することがある。
なお、A型、B型共、10万人に一人の発症と言われ、全ての人種に起こりうる病気だが、今のところ、日本人には極めて稀な疾患である。
しかし、C型はA型やB型とは異なり、肝臓や脾臓の脂質の他にコレステロールや糖脂質なども蓄積し、日本にも2012年時点で15人ほど患者がいて、全ての人種で12万人に一人が発症すると言われている。
症状としては脾臓の肥大の他に食べ物などの飲み込みが難しくなる嚥下障害、特に笑うと脱力してしまったり、認知症や眼球障害などの脳神経にも障害が現れ、成長発達に遅れが生じやすく、幼児期に発症すると10年後の生存率はかなり低く、11歳以上での発症でも半分弱の生存率となる。
ただし、診断によって医療措置を行うことで症状の緩和や生存率を高められる事例があり、早期の診断は非常に重要であるものの、こうした難病は症例が少なすぎて誤診や見逃しが多く治療研究も難しかったが、遺伝子工学技術により出生前に細胞内のコレステロールの蓄積測定などが行えるようになって出生前診断ができるようになった。
それでも2019年時点では、細胞内に蓄積する物質を一部、減らすことで症状を緩和したり、生存率を上げる治療薬ぐらいなもので、依然、根治できる治療法はまだ見つかっておらず、患者の心身の負担にならないような検査や診断方法と共に遺伝子工学医療の向上に期待が寄せられている。
ウィルソン病(=Wilson’s disease)も先天性代謝異常症の一つであり、肝臓細胞内のATP7Bと呼ばれるタンパク質が食べ物に含まれる銅を輸送して胆汁(肝臓で生成される消化液)の中に排泄するよう働くはずなのだが、遺伝子異常でそのタンパク質が生成されないため全身、特に肝臓や腎臓、眼、脳などに銅が溜まりやすく、食べた銅によって障害が起きる病気である。
1912年にイギリスの神経内科医のサミュエル・ウィルソンによって症例が報告されたため、ウィルソン病と呼ばれている。
ウィルソン病は3万人~4万人に一人が発症すると言われていて、先天性疾患ではあるが、大人になってから初めて発症する人もおり、発症年齢は幼児から中高年まで様々である。
欧米の人達よりも日本人の方が発症しやすいのは銅を多く含む海産物や大豆を好みやすいからと考えられている。
特に、沈黙の臓器とも呼ばれる肝臓に銅が溜まった場合、症状に気づきにくく慢性化して肝障害や黄疸、食欲不振などに陥ることが多く、腎臓に溜まると血尿や結石が生じたり、脳に溜まった場合は意欲低下や集中力の欠如、手の震えや歩行障害、痙攣、運動機能障害などを生じ、また、眼に溜まった場合は黒目の周りが黄緑色や黒緑褐色になるカイザー・フライシャー輪と呼ばれる症状が見られる。
こちらも採血による遺伝子検査で診断することができ、重篤な肝機能障害などになる前に治療ができるようきちんとした診断が確立されるべきだが、日本ではこのウィルソン病の診断が遅れていて発症しても治療がなかなか進まないという指摘もある。
なお、治療としては体内に溜まった銅を排出できる薬を内服し、なるべく魚介類やレバー、大豆、ナッツ、ココアなどの銅を多く含む食品は避けるよう心掛ければ症状は緩和できる。
ただし、服薬は一生、続ける必要があり、治療薬自体、発熱や発疹などの副作用も多く、服薬を続けられない患者もいて、更なる治療法の改善が求められている。
また、ウィルソン病で避けるべき食品として名前の挙がった大豆も近年、除草剤のような特定の農薬に耐えうる作物にしようと前もって品種の遺伝子そのものを組み替えるという遺伝子組み換え食品が流通しているが、巷で噂される通り、それらを食べることで本当にガンや白血病、アレルギーなどの症状が出るかどうかはわからないものの、少なくとも元々、中国や東南アジアなどの湿度のある地域で作られていたはずの大豆を何度も品種改良してアメリカやカナダといった乾燥した地域でも栽培できるようにし、政治的な圧力でそこで生産された大豆ばかりが世界中に輸出されて誰もがそれしか食べられなくなったのだから、本来、気候が生み出す植物の豊かな栄養素などがそうした大豆製品から抜け落ちていても不思議はない。
だから、健康増進の為に何らかの栄養効果を期待して「遺伝子組み換えではありません」と表示された大豆製品を食べていたとしてもそれほど栄養効果は得られないと思われる。
ちなみに、日本の食品によく見られる「遺伝子組み換えではありません」という表示には抜け穴があり、加工して遺伝子組み換えの成分が残っていなかったり、遺伝子組み換えの餌を食べて作られた肉や卵、牛乳などの畜産物には遺伝子組み換えの表示義務はないので、たとえ、遺伝子組み換え大豆やトウモロコシから作られた醤油や大豆油、サラダ油、水飴であっても、製品のラベルには「遺伝子組み換えではありません」と表示してもいいことになっている。
逆に、大豆そのものを原材料にして作る豆腐や納豆、豆乳には必ず遺伝子組み換えであることの表示が義務付けられているので、日本ではほぼ、遺伝子組み換えの大豆で作られた豆腐や納豆、豆乳は流通していないと言われている。
いずれにせよ、発展してほしい遺伝子工学技術が消費者と開発者で食い違っていることがお互いに誤解を生んでいると思われるので、必要とされる技術が何であるのかをもう一度、開発者の方に検証し直してもらいたいものである。
(注2)
文字数の関係で別途、次話として投稿させていただきます。
(注3)
メンデルの法則(=the Law of Mndelian inheritance)とは、1856年~1863年にかけてオーストリア帝国(現、チェコ共和国)の修道僧で農学者だったグレゴール・メンデルがえんどう豆の交配を通して見つけた遺伝の法則のことである。
農業を発展させる品種改良を目的に実験したもので、植物の交配を繰り返すとある一定の法則ができることをメンデルは発見した。
例えば、黄色の種子のえんどう豆と緑色の種子のえんどう豆を交配させると、黄色の種子の特徴が強ければ、次にできる種子は全て黄色になる。(優性の法則)
ただし、特徴として表れやすい黄色の種子が“見えているだけ”で、遺伝としては決して緑色の種子の特徴が消えた訳ではない。
だから、二種類からできた黄色の種子のえんどう豆(子)同士を再び交配させると、次にできるのは黄色の種子の遺伝だけを受け継いだえんどう豆と、それとは逆に緑色の種子の遺伝だけを受け継いだえんどう豆、そして双方の遺伝を受け継ぎながら見た目だけ黄色の種子の特徴が表れたえんどう豆にそれぞれ分かれる。(分離の法則)
また、種子の色だけでえんどう豆を作るとすれば、特徴の強い黄色の種子のえんどう豆の方が緑色の種子のえんどう豆より約3倍多く作りやすいことが分かった。
だが、種子の色以外でも特徴は他にもあるため、メンデルは二つ以上の特徴を併せ持ったえんどう豆も交配させてみることにした。
そこでまず、他の特徴としてしわのある種子のえんどう豆としわのない種子のえんどう豆を掛け合わせ、最初の交配と同じように特徴が出やすいのはしわのない種子のえんどう豆の方だと確認してから、黄色でしわのある種子のえんどう豆と、緑色でしわのない種子のえんどう豆とを交配させてみた。
すると、やはり双方の遺伝を全て受け継いでいるものの、見た目は特徴が出やすい黄色でしわのない種子のえんどう豆ばかりになった。
そしてまた、このえんどう豆(子)同士を交配させると、特徴の出やすい遺伝に関係なく、黄色でしわのある種子のえんどう豆と、黄色でしわのない種子のえんどう豆、さらに緑色でしわのある種子のえんどう豆と、緑色でしわのない種子のえんどう豆の4種類となった。(独立の法則)
ただし、黄色でしわのない種子のえんどう豆はどちらも特徴が出やすい遺伝であるため、他のえんどう豆より約9倍作りやすく、どちらか片方だけ特徴が表れやすい遺伝を継いだえんどう豆はどちらも特徴の出にくい遺伝だけを継いだえんどう豆より約3倍できやすいということも分かった。
それでも、遺伝に絶対の法則はなく、他にも様々な特徴の遺伝が複雑に混じり合うため、メンデルの法則が常に成り立つとは限らず、時には予想外の結果になることもある。
例えば、赤い花が咲く植物と白い花が咲く植物を交配させてみても必ずどちらかの花の色になるとは限らず、お互いの特徴が合わさってピンク色の花が咲いたりすることもある。(中間雑種)
とは言え、メンデルが地道に実験してこの法則を見つけたことである一定の方法でもって農産物の品種改良ができるようになったことは事実であり、メンデルと同じオーストリアの農学者だったエーリヒ・チェルマクはメンデルの法則に基づき、病害に強いライ小麦やオーツ麦などの新しい雑種の品種改良に成功するようになった。
このように、メンデルの法則は“人間や他の生物の生命を生かし、繁栄させる食糧増産”を目的に見つけ出されたもので、決して一部の人達にとって好ましくない特徴を持つ人達の出生を妨げたり、排除(抹殺)する為の法則ではなかったはずなのだが、ダーウィンの進化論が知られてからは見た目の遺伝だけにこだわる人々にこの法則が誤解されるようになり、動物の中でも特に“人間の品種改良”にメンデルの法則を当てはめて考える人々が増えるようになった。
その為、見た目の遺伝だけで人間の進化の度合いを測ったり、その変化ばかりを気にする学者や専門家達がいろいろな仮説を立ててこの法則を論じ、遺伝子が突然、変異して生物が生まれたとする突然変異説(=Mutationism)が唱えられ、これを信じる人々が核実験で人間に放射線を当てたらその遺伝子が変異するかどうかを調べたり、好ましい特徴だけを持つ人間を生まれさせて、それ以外の人間を排除(抹殺)する人間の品種改良を目指した優生学という生命そのものを軽んじて弄ぼうとする疑似科学まで創られることとなった。
(なお、優生学については再度、本作品にて触れる予定です。)
(注4)
ヒトゲノム計画(=the Human Genome Project)とは、人の遺伝子(=Gene)とそれをまとめている染色体(=ChromosoMe)とを併せてゲノム(=GenoMe)と呼び、その中で生物が持つ機能や活動をコントロールしているA、G、C、Tというペアとなっている物質(塩基対)がどのような情報を持っていて、人間の身体にどんな指示を出しているのか?それを全て解読することを目的にした計画のことである。
1985年にアメリカのカリフォルニア大学で研究会が作られ、エネルギー省が計画を推進し、当時のアメリカ大統領だったロナルド・レーガンもこの研究を支持して約1,600万ドルの税予算がつけられ、2005年の完成を目途に国家的なプロジェクトとして始められた。
2000年に一旦、下書きは完成したとしてヒトゲノムの解析データが公表され、2003年には全ゲノムの構造は決定されたが、実際にはまだまだわからないことの方が多く、引き続き、これを応用できるような研究が続けられることとなった。
その間、イギリス、日本、ドイツ、フランス、中国と、いずれも税金を使ってこの計画に参加するようになり、さらにアメリカのセレラ社(=Celera Corporation、偵察用カメラや天体望遠鏡などの光学機器を製造するアメリカの大手企業であるパーキンエルマー社(=PerkinElmer,Inc.1931年設立。2018年時点の売上高約280億ドル、従業員数12,500人)を親会社にして非営利団体のゲノム研究所の所長だったクレイグ・ベンター博士が1998年に設立した主にゲノム解析とそのデータの公開を行う半官半民の会社。)やガン検査を専門とするインサイト・ジェネティクス社(=Insight Genetics Inc、従業員50名ほどの非上場企業)などの民間企業も加わって国際的な解析が進められるようになった。
だが、人の身体を構成しているゲノム(遺伝情報)の設計図らしきものは手に入れられたものの、それはあくまで“人の目に見える情報だけ”であって、その見えた情報だけでもどう働いているのかまではまだ分かっておらず、当初、ガンや遺伝的な病気の原因解明とその診断、治療法の開発が大いに期待されていたが、実際には患者のゲノム(遺伝情報)解析のスピードが速くなってたくさんのゲノム(遺伝情報)がデータ化されやすくなり、病気を発症後、変異した遺伝子を見つけやすくなっただけで、ヒトゲノム計画が始まって30年以上経っていてもこれまでの薬や治療法に大した変化はなく、多少、変わったことと言えば、個人のゲノム(遺伝情報)に合わせて薬や治療法が選べるようになったぐらいが現状である。
それでも、2019年から自分のゲノム(遺伝情報)を解析してもらって教えてもらうまでの検査費が日本では56万円と定められて保険の適用がされることになり、その約39万円を税金(医療保険料)で負担することになったそうで、そんな高額な費用を払ってでも知る価値のある情報なのか個人的にはあまり関心はないが、イギリスやフィンランドなどでは50万人ものゲノム(遺伝情報)を集めているらしく、これに追随して日本も実施するようである。
そのイギリスはと言うと、1996年にクローン(=Clone、ギリシャ語で「挿し木」という意味で、木の茎を一部、切り取って土に埋め、そこから芽や根が出てきて同じ木が増えるようにする農業技術にちなんでいる。)技術を使ったドリーと言う名の羊を誕生させたことでも有名である。
生物のクローン技術には二通りあって、どちらも細胞の中にある核を移植する方法だが、一つは受精卵にできた胚(子供の細胞)から核を取り出し、別に核を取り除いた未受精の卵子にその核を移植して電気融合させ、その融合させた卵子から子供を産ませる方法と、ある人の皮膚や筋肉などの細胞から核を取り出してこれを同じく核を取り除いた未受精の卵子に移植し、電気融合させた卵子から子供を産ませる方法とに大別される。
本作品でも説明した通り、細胞の核には遺伝情報が詰まっているため、その核を別の核に入れ替えれば生物の遺伝情報がコピーできるようになるというのがクローン技術である。
既に胚移植は受精した卵子の胚(子供の細胞)を利用しているため父と母の遺伝を継いだ核ということになり、現在、不妊治療などで大いに活用されている。
一方、体細胞からの核移植は父と母の受精を必要とせず、既に存在する生物の遺伝情報をそのままコピーして子供を作れるため、主に肉質の良い牛とか、お乳の出が良さそうな羊といった人間に都合のいい特徴の遺伝を持つ家畜を量産できる技術として注目されている。
前述の羊のドリーも表向きはそうした理由から作られたものだが、そのドリーの生みの親であるロスリン研究所(=the Roslin Institute、1993年にエディンバラ大学の動物遺伝学研究所を基に作られた公的研究施設で、軍事秘密結社のフリーメイソンとの関係を疑う噂が今も絶えないロスリン教会に近い場所に設置されていた。その後、拠点を移したものの、未だロスリンの名前が付けられている。なお、ロスリン教会は代々、ロスリン伯爵の所有となっており、現在の所有者は前ロンドン警視庁(別名スコットランドヤード)総監でもあった。)ではその後、羊の体細胞の核に血が固まる酵素(タンパク質)を合成する人間の凝固血の遺伝子を組み込ませ、その遺伝子組み換えした核を未受精の卵子に移植することにより作ったポリーとモリーという新たなクローン羊を1997年に公開した。
この時、人の凝固血の遺伝子を組み込ませた理由は、遺伝的な病気とされる血友病患者に欠落しがちな凝固血の遺伝子を補う為の酵素(タンパク質)を羊の乳から出させ、それを治療薬に変えるということだったが、そもそもそういう遺伝子を組み換えられるなら初めから薬そのものにそれを組み入れれば済む話で、人と人が使う薬の間になぜ、羊の“子供”が必要だったのか甚だ疑問だが、とにかく遺伝子組み換えも併せた体細胞の核から生まれたこのクローン羊は一部、人間の遺伝子を持った半人半獣ということになる。
つまり、人間と他の動物の雑種を作ったのである。
そうまでしてこれらのクローン羊を作ったからと言って既に20年以上が経過しているが、その後、一部、人や動物の細胞を遺伝子組み換えして培養した遺伝子組み換え製剤が最近、出回っているようだが、それ以外で血友病患者にとって画期的な治療薬が生まれた訳でもないし、クローン羊が何か役に立ったというニュースもあまり聞かない。
また、それほど体細胞の核を使ったクローン羊がたくさん作れないこともわかってきたし、生まれても長く生きられなかったり、何らかの異常を持っていることも少なくない。
なのに、なぜ、そんなクローン動物をいつまでも作り続けなければならないのか?
ゲノム(遺伝情報)もなぜ、そんなにたくさん集めなければならないのか?
既に生まれてきているたくさんの生命を戦争(人殺し)で蔑ろにして弄んでいる一方で、遺伝子を操作して目に見える特徴だけを偏重した新たな生命を作ろうとする。
学者や専門家達のおもちゃにする為に神様は生物の生命を創った訳ではないのに・・・。