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第百八話 人間の掟

『L Girasoli(邦題では『ひまわり』)』(1970年公開)

・・・イタリアの名監督だったヴィットリオ・デ・シーカの指揮の下、同じくイタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した反戦映画の一つである。


結婚したばかりの夫(マストロヤンニ)を第二次世界大戦で徴兵された妻(ローレン)はシベリアの戦地に行ったきり帰ってこない夫を戦後もずっと待ち続け、ついにはソ連まで夫を探しに出かけるのだが、夫は凍死しかかっていた自分を救ってくれたロシア人女性と新しい家庭を築き、子供までいたという悲しい恋の話が描かれている。

圧巻なのは極寒の地に夏の間だけ咲く幾万ものひまわり畑のシーンであり、戦死した兵士の数が多すぎて墓が建てられず代わりにひまわりを植えたという話を夫を探す妻はロシアの役人から聞かされるのだが、戦争によって引き裂かれることになったこの夫婦も切なく悲しい話であるものの、生きてそれぞれの人生を再び歩める彼らはまだ幸せで、物言わぬひまわりにされてしまった多くの兵士達(一般国民)は二度と自分の国や家に帰ることもできず、自分の愛する家族や子供、友人や恋人に会うこともない。

その兵士達(一般国民)の悲しい叫びを幾万ものひまわり達はただ、風に揺れながら今も伝え続けている・・・。



https://youtu.be/VX0u0K3qt6Y

(URLを範囲指定して右クリックし、移動を選択するとすぐに聴けます。)

作曲:ヘンリーマンシーニ




だが、その“人類滅亡の危機”というのはこれまでにも繰り返し繰り返し、何度も何度も、訪れていた危機でもあった。



人類誕生から氷河期の終わりに至るまでもそうだったし、水や鉄、青銅を得たエジプトが超大国となって世界に君臨したけれど、結局、王族から庶民に至るまで伝染病に侵されて衰退していった時もそうだった。



もう、いい加減、気づけばいいのにと思うくらい、ヌバール・パシャが自分(の生命)を“救ってもらえると信じて頼った相手”がもたらすであろう未来は結局、これまでと同じ分かり切った結末でしかないのに、それでも人はそれに気づかない。



それがどうしても理解できない。


神から与えられた、たった一つの“人間としてのおきて”。







“人を殺すな。”






それは人類が誕生して以来、繰り返し繰り返し、何度も何度も、あらゆる歴史において、神が伝えてきたおきてだった。


人を傷つけるな、人と争うな、人の尊厳をけがすな、戦争するな、人の生命を大切にしろ、人を愛せ・・・。


全てはたった一つのルールでしかないのに、

“人として豊かに幸せに生きていく為にはそのたった一つのルールを守りさえすればいいだけ”なのに、

そのたった一つしかないおきてを、

たった一つしかない“神との約束”を、人はどうしても守れない・・・。



― 誰であれ、人を殺め、その血を流した者は

 その者も必ずその血を流す。

 神(善)は「神(善)の心を持て」と“人に思いを込めて”

 人を創ったのだから。

             (創世記9章6節)(第24話 山上の奇跡(1)参照)






だから、ヌバール・パシャは自分の主人であるアッバス・パシャが殺されたと知った時、何となくこの先、どうなるか分かっていながら結局、イギリスやフランスの銀行と同じ、戦争(人殺し)の種をまいて金を稼ぐドイツのロスチャイルド銀行を頼ることぐらいしか思いつかなかった。


元々、エジプトとは全く関係のないギリシャ系アルメニア人のキリスト教徒として育ち、これまた、エジプトと全く関係のないマケドニアからやってきたムハンマド・アリが暴動(戦争)を起こして“王朝”を立て、その王朝の下で自分の富と地位を築いてきた以上、その富と地位を維持しながらどうにか自分の生命を守るには誰がどう、犠牲になろうとも彼にとってはどうでもいいことだったのかもしれない。


むしろ、神によって王権は与えられていると信じるキリスト教の教えの通り、(自分自身は全く死ぬ気はないけれど)、国家(王室)を守る為なら誰かが屈辱と辛酸を味わい尽くし、犠牲(=殉教者)になってもそれは仕方ない、あるいは当然だとすら思っていたのだろう。




だが、その彼の“浅はかで身勝手な政治思想と宗教”のせいで、これまでどれほど多くの植民地エジプトに住む一般庶民が苦しめられてきたことだろう。



自分達の生活を潤す訳でもないダムや運河といった公共事業の為に無賃ただ同然で狩り出され、“現代ですら”ダムから流れ出る汚染水で食糧の源となる田畑が塩害を受け、子供が毎年、当たり前のように数千人も死んでいるのに、この当時はもっとひどかったに違いない。


まして、自分達の国土を流れる水も、その他の資源も、自分達が汗水たらして作った綿花や作物なども全てイギリスやフランスを始めとした欧米人達に独占され、それらを不当な値段で安く買い叩かれた上、彼らの企業からもらえる仕事に就いてももらえる賃金は明日、食えるか食えないかのわずかなもので、さらに欧米人達に持っていかれた資源や生産物は彼らの国に運ばれ、彼らの社名ブランドが入った値札タグ梱包パッケージが付けられると、彼らが汗水たらして運んだ訳でも彼らが一から働いて作った訳でもないのに、なぜか目の玉が飛び出るほどの高い値段がつけられ、彼らの国で売られることはもちろん、不思議なことにそれらは再び自分達の住む植民地エジプトにも舞い戻って(輸出されて)きて(中身は自分達が働いて作った物と同じ物であっても)、欧米で付けられた高い値札のままで売られるのである。




それもこれも全てはイギリスやフランスの銀行に借金している所為せいだった。



つまり、イギリスやフランスの銀行から武器や軍資金を得ている政権(ムハンマド・アリ王朝)が軍事力で植民地エジプトを制圧しているからこそ、植民地エジプトに住む一般庶民は奴隷状態からどうにも抜け出せなかったのである。



だから、ヌバール・パシャがその銀行をイギリスやフランスからドイツに替えたとしても、別に彼の安全が絶対に保障される訳でも、隷属を強いられる植民地エジプトの地位が上がる訳でもなかった。



逆に、彼自身は気づかなくても彼の立場は前よりももっと過酷なものになった。



何せ、イギリスから生命いのちを狙われる心配をするだけでなく、(二重スパイになったことで)今度はドイツからも狙われる危険があり、加えてムハンマド・アリ王朝もまだ、国際的に認可されていた訳ではなかったためオスマン帝国から何かと訴訟を起こされ、その裁判を収束させるのに追われ続け、気の休まるどころではない。

確かに、首相の地位にまで昇り詰めることはできたものの、アッバス・パシャの次に王になったのは(正確に言うと、それまでに2人ほど列車が海に落ちて死んだり、突然死して亡くなっているのだが・・・)アッバス以上に勘違いしているイスマーイル・パシャで、ヌバールがドイツの銀行から金を借りていることを知ると、途端にその金でもって裁判をうやむやにしてもらおうと、自分の金でもないのに気前よくオスマン帝国に巨額の賄賂を贈る始末だった。


そうなれば、イギリスやフランスからの借金だけでなく、ドイツからの借金も膨らむことになる。


さらに、イスマーイルの勘違いは続き、今度はイギリスやフランスがずっと独占してきたスエズ運河の利権にまで手を出し、ドイツの金でその株を買いだすようになった。

もちろん、急に羽振りが良くなった植民地エジプトにイギリスやフランスが気づかないはずはない。


ただし、イスマーイルがこれまで暗殺されたアッバスや他の二人の王族達と違ったのは、非常に口が軽いところだった。

だからこそ、自分(の欲望)に正直で、派手に金を使ってはやたらと自分の存在を世間に向けて誇大広告アピールするものだから、それがいつしか国内外の人々の注目を浴びるようになり、さすがにイギリスも“世間の目”を気にして彼を密かに始末することができなくなった。


とは言っても、イスマーイルの存在が厄介に思わない訳ではない。

そこで、イギリスとフランス(の銀行)はそれまでの借金の返済をエジプトに迫ってきたのである。



だが、もちろん、返す金などどこにもない。

祖先の代からこれまでに加算される利息を考えたらその額は天文学的な数字になる。


焦ったイスマーイルは何を考えたのか、逆にもっとドイツのロスチャイルド銀行から金を借りるようヌバールにせっついて、エジプト国内であちこち“文明開化”や“近代化”と称した大改造を始めたのだった。


それはまさしく日本の明治維新と同じだった。(1867年 大政奉還)


衰退した江戸時代の日本の中でも下から数えた方が早いくらい貧乏だった薩摩藩(現在の鹿児島県及び宮崎県)、長州藩(現在の山口県)、土佐藩(現在の高知県)、肥前藩(現在の佐賀県及び長崎県)がなぜか19世紀になると途端にどこも財政改革に成功するようになり、しかも、いかに以前から長州藩がイギリスとの密貿易で儲けが出ていたとは言え、どこにそんな金があったのかといぶかしむぐらい戦艦やら大砲やら銃などの高額な武器や兵器をイギリスから大量購入し、江戸幕府に戦争を仕掛けてそのクーデター(政権転覆)に成功すると、今度は「近代化だ!」「文明開化だ!」と騒いで、次から次に国内の建物を莫大な費用のかかる西洋式の建物に変えていった。


この明治維新の様子からも分かるように、実は日本もエジプトと同じくらい莫大な借金をイギリスの銀行からしていたのである。


だから、大政奉還の前年である1866年にイギリス資本の“香港上海銀行”(=The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation Limited、今は頭文字を取ってHSBCと呼び、世界最大のメガバンクである。)が早々(はやばや)と横浜に支店を置き、その後も神戸、大阪、長崎と次々と支店が開かれていったのも、それだけ明治政府(=薩長土肥)がイギリスの資本に頼っていたからだった。


そして、借金漬けになった日本がこの時、執った行動はエジプトのイスマーイルが採った行動と同じだった。




“模倣”(=Imitation、またはCopy)である。



要は、欧米が成功できたのなら自分達も同じ方法でやれば成功できるだろうと思ったのか、彼らの知識や技術はもちろん、政治や社会制度、国家設備、宗教、教育、慣習に至るまで“そっくりそのまま模倣コピーした”のである。


それも、できるだけ早く彼ら欧米人達に追いつき、追い越し、近代化(=欧米化)すれば、それですぐに借金が返せるものと勘違いし、全てを急激に変えていったため、それまでの歴史において様々な人達が汗と知恵を絞って考えに考え抜き、“真心を込めて”築き上げてきて、しかも、それまでは何の問題もなく機能していたものまで徹底的に“馬鹿にして”否定し、考えもなしにそれらを次々と壊していった。


その浅はかで愚かな明治政府およびイスマーイルの行動が、ひいては彼らの手本となった欧米人達のそれまでの行動も含め、この時を境に私達、人類の生命と尊厳をも脅かすことになっていくのである。





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