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第百四話 蒙昧

蒙昧もうまい・・・知識が不十分で道理に暗く、正しい理解や判断力に欠けていること。


https://youtu.be/QlVs6nmbYuU

Green boys by GReeeeN


『日本国憲法 前文』1946 年 11 月 3 日 公布 1947 年 5 月 3 日 施行


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、

われらとわれらの子孫のために、

諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、

“政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し”、

ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。


そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、

その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、

この憲法はかかる原理に基くものである。


われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅しょうちょく(注訳:天皇が公に発表する文書)を排除する。


日本国民は、恒久の平和を念願し、

人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、



“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、

われらの安全と生存を保持しようと決意した”。



われらは、平和を維持し、

専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、

名誉ある地位を占めたいと思ふ。


われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏からまぬかれ、

平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、

自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、

政治道徳の法則は、普遍的なものであり、

この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、

他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


“日本国民”は、国家の名誉にかけ、

全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを

誓ふ。


第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】

1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。



『虚栄の市(=Vanity Fair)』(1847年)はそんなイギリス上流社会を皮肉ってウィリアム・サッカレーが書いた有名な小説だが、まさしくその小説に出てくる美しくはないが気立てのいい働き者の女主人公アメリアは民衆そのものであり、対して美しく多才だが嘘つきで強欲でその本性をひた隠しながらたくみに“人心を操り”、地位や身分、財産を得ようとする女性ベッキーこそイギリス王室(政府)そのものを表していて、小説ではベッキー(王室または政府)の本性を鋭く見抜き、実直に生きる男ウィリアム・ドビン(William Dobbinは「大人しくてよく働く駄馬のウィリアム」という意味。作者自身のことで、作者の考えを表す登場人物)と民衆を象徴するアメリアが結婚するというハッピーエンドで終わるのだが、残念なことにこの後、“民衆が選んだ相手”=“社会の姿”はサッカレーの願い通りにはならなかった。


本は雑誌の宣伝効果もあって確かによく売れたが、彼がその小説に込めた“皮肉”(=Satire)に民衆のほとんどが何も気づかなかったのである。


単に小説の上辺だけに描かれた男女の恋愛話や三角関係、華やかな上流社会の生活様式(ライフスタイル)、金のかかった調度品ばかりに目が向けられ、本当は何をサッカレーが書きたかったのか?、何を社会(読者)に向けて訴えたかったのか?、そこに書かれた真の意味(心)を理解し、見抜くことが一般大衆には全くできなかった。

その為、“皮肉にも”サッカレーの死後、彼が小説で嫌味たっぷりに非難したイギリス王室の直属機関であるロイヤル・ソサイエティ・オブ・アーツ(=the Royal Society of Arts、1847年に王立として認められ、「新しい事業や企画を助成し、科学を発展させ、芸術、文化をより磨いて英国企業と商業を改革すると共に貧困をなくし、安定した雇用を生み出す」ことを目的に創られた公的な学問研究機関)から、彼の功績を称えた“ブルー・プラーク”(=Blue Plaque、英国及び世界において優れた功績を成し遂げた人物に捧げる記念碑)が贈られる始末だった。


だが、それほど社会(大衆)が愚鈍になったのも、作者であるサッカレー自身ですら本が売れたことで一躍、人気者になり、目先の成功に目がくらんで次第にその“虚栄の市”(=Vanity Fair)に溺れるようになったからだった。

つまり、ロイヤル・ソサイエティ・オブ・アーツが王室を批判したサッカレーをわざわざ公(大衆)の場で表彰してみせたように、イギリス王室は自分達、“生まれつき選ばれた者”(=Elite)を美化すると同時に、民衆の中でも特に学のある知識層インテリゲンツィア(=Intelligentsia)には資金を提供したり、勲章や表彰、学位や名誉を与えることで彼ら知識インテリ層に自分達と同じ生まれつき神に選ばれた者だという“特権意識プリヴィレッジド”(=Privileged、元はラテン語で「特別な法を授けられる」という意味から、自分が特別扱いされたり、社会の中で贔屓ひいきされる権利があると意識すること)を植えつけ、自分達、エリート(生まれつき選ばれた者)の仲間になるよう手懐てなずけたのである。


むろん、手懐てなずけられて飼われてしまった以上、多少、うなったり(批判したり)、たまによその人に尻尾を振った(民衆の味方の素振りをした)としても、本気で飼い主(=王室または政府)に歯向かうことは許されない。

それに、家の屋根と餌(=雇用と食糧)が保障され、その上、おやつ(=富や名誉)までたんともらえるのだから、わざわざそれを棒に振ってまでイギリス政府(王室)にとって不都合な真実(実態)など公(民衆)に話そうとも思わなくなる。


その上、念には念を入れ、当時、放置したままだったオックスフォード大学やイートン校、ラグビー校といった公立学校の建物や施設を税金(民衆から集めたお金)で補修することと引き換えに、うまく手懐てなずけた学校長や経営陣を通じて教育内容をイギリス政府(王室)が検閲けんえつする(内容を調べて都合の悪い部分を削除または変更させる)(1861~1864年The Clarendon Commission)ようにして、それまで“貧富の差に関係なく勉強したい人の為に税金(民衆から集めたお金)でもって建てられていたはずの公立学校”を、なぜか学費を払わなければ教育を受けさせてもらえない“王族とお金持ちの家庭に生まれた子の為だけ”の有料の学校に変えていった。(The Public Schools Act 1868)


しかも、それだけでなく、海外植民地に派遣していた宣教師や教師達が報告してくる海外の技術や社会制度から自分達と同じ王政(封建制)を敷く中国王室で長年、行われていた高級官僚を選抜する為の“科挙”(注1)という試験制度を知り、これを真似して自分達も官僚の採用やオックスフォード、ケンブリッジといった大学などの授業において、自分達、“政府(王室)が要求する答え(=知識や論文)だけを書く選抜試験”を行うようにした。(The Universities Tests Act 1871)



当然、この選抜試験の影響は大きかった。

イギリスのみならず、イギリスに植民地にされていたアメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、また、その他のヨーロッパ諸国や当時、イギリスと日英通商航海条約(注2)を結んだ日本も“高等文官試験こうとうぶんかんしけん”(1894~1948年)を実施するようになった。



このテストの導入で、国家が苦労して教えなくても必要な技術や学科を難なく習得できる知識(インテリ)層を選べるだけでなく、イギリス政府(王室)を批判するような思想を持った人間は最初から民衆と接触するような公職や社会的な立場から排除することができる。

従順で逆らわない、飼いやすい人材ばかりを集めておけば、まず、封建制(一部の権力者とその臣下が大勢の民衆を支配する社会)をひっくり返そうとするような革命を起こそうなどとは“考えなくなる”。


さらに、中国の科挙もそうだが、いかに教育の門戸が広く開かれているように見えても、実際には本を買ったり、競争が激しいと試験に受かる為の特別な授業を受けざるを得なくなり、当然、受験者はそうした費用や時間が捻出できる家庭の子弟に限られてくる。

また、合格しなければ“教育や仕事(=生きる為の手段)”を得る機会も失われるとなると、焦りや不安から試験に受かることだけを目標にするようになり、自分が勉強している知識や技術についてその目的(意義)を考えることもなく、まして政府(王室)に決められた“答え(=知識や論文)が本当に正しいのか?”などと疑問に思うこともなく、ひたすら“決められた答えを完璧に書くことだけ”に没頭するようになる。



こうして、“一体、何の為に勉強するのか?”、


“一体、なぜこんな社会になったのか?”


“何だかちょっとおかしいんじゃないか?”と、


民衆が疑問に思ったり、考えたりしないよう、

民衆が政府(王族や権力者)と封建制(身分社会)に対して再び、反旗をひるがえさないよう、

自分達、選ばれた者とその血のつながった子孫だけが永遠に富と権力を維持できるよう、

自分達(権力者)の言いなりになりやすい人々に圧力プレッシャーをかけ、

民衆に与える教育(情報)をどんどん都合のいいように変えていき、

都合の悪い真実を削除したり、民衆に見られないよう隠し、

明らかに間違っていても訂正もせず、改めもせず、

言い訳してうやむやにし、嘘をついてごまかし、

そうやって民衆が真実を知って理知の光に目覚め、

封建社会(権力者とその臣下が支配する身分社会)から脱出し、新たに

“お互いが豊かに仲良く楽しく生きていける手段を創造しようと自らの意志を持つ教育”を得る機会を奪っていった。



その一方で、いかにも民衆を(身分制から)自由に解放しているように見せかけながら、その癖、自分達の懐に入るお金は相変わらず民衆に稼いでもらおうと、文字を読んだり、書いたり、計算するといった基礎的な学力や労働させるのに必要な知識や技術を強制的に身に着けさせるよう、税金(民衆から集めたお金)でもって学校や教育制度を作っているにもかかわらず無料(?)だとして、特に貧しい民衆の子供達を5~6歳から学校に行かせる“義務教育制度”(=The Compulsory education system)を設けることにした。(The Elementary Education Act 1870)


これらの教育制度の改変により、人々(特に民衆)はますます自分個人で何かこうしたい、こういう考えや意見でもって何かを変えたいという“希望”(=Wish)も、これまでにない何か新しいものを生み出そう、自分で何かを成し遂げようという“意志”(=Will)も次第に失っていった。





何せ、自分一人が必死になって考えなくてもすべての答え(生き方)が最初から上(政府)によって決められている。


また、その決められた答え(社会制度)から外れたら、途端に生きていけなくもなる。


上(政府)に決められた答え(生き方&社会制度)に沿って従っていれば、周りから非難されることも、馬鹿にされることもない。





何より、その答え(生き方)は自分の意志で決めたわけではないから、命を懸けるほどの“覚悟をもって挑戦しなくていいし、失敗しても責任を取らなくても済む”。

「仕方ない、こんな社会なんだから。」と言い訳し、「これ以外にどう生きろっていうの?」と逆切れし、その責任を全て上(政府または権力者)にかぶせられる。





加えて、産業革命で登場した印刷機器により日々、大量の新聞や本、雑誌などが印刷され、宣伝用パンフレットに号外、チラシといったメディア(情報伝達手段)も頻繁に飛び交い、併せて面白おかしい映像フィルム(注3)まで流されるようになると、何だか虚構と現実がごちゃ混ぜになり、その上、その印刷された本や雑誌、世間(大衆)に向けて流される映像フィルムの内容もほぼ虚構(フィクション)の世界でしかなく、美しいお姫様や立派な王様、彼らの為に立ちあがる正義感あふれる勇者に英雄、王子様、胸躍る冒険活劇に、勇敢に戦う戦記や武勇伝、醜く恐ろしい姿で人々を呪い殺そうとする悪魔や怪物、幽霊、血みどろの凶悪な犯罪事件の噂にスキャンダラスな恋愛や修羅場の話、行ったことも見たこともないような異国(敵国)やそこに住む人々の奇異な風習や愚行の作り話、信じられないような奇跡に何でも願いが叶う魔法の数々、そういったおとぎ話や嘘ばかりが毎日、繰り返し繰り返し、何度も何度も、取り沙汰され、目や頭に延々と焼き付けられるのだから、もはや目の前の悩ましい現実も、難しい問題も、自分の生き方すらも、もう、どうでもよくなってきて、考えることそのものが面倒臭くなってくる。


たまに、社会制度から外れたり、あるいは矛盾した社会のひずみでもがくことになっても、酒やギャンブル、麻薬にセックスと、少しでも現実を忘れさせてくれる、何か退屈しない、刺激的で扇情的センセーショナルな、頭を悩ませて考える必要のない欺瞞ぎまんに満ちた世界さえあれば、そこにひたってさえいれば、自分が本当は無知で、弱くて、苦しくて、悲しくて、みじめであっても、その“本当の自分自身をずっと忘れていられる”。



こんな生活をしてみたい、こんな生き方をしてみたいと言った自分の心の奥底にしまったささやかな夢も希望も忘れていられる・・・。


何にも知らない、何にも分からないままでいた方が汚い現実社会(真実)から目を背け、本当は醜く腐って堕落した嫌な自分や社会の姿を見なくて済む・・・。



そうして、現実から目を背け、虚栄と欺瞞だらけにされていく社会の中で、ますます愚鈍になっていく、あえて愚鈍になろうとしていく人々(民衆)と共に、イギリス政府(王室)と封建社会(権力者とその臣下が支配する身分制社会)の存続を願うその他ヨーロッパやアメリカの“生まれつき神に選ばれたと言う人達”は、表向きは人類の科学や芸術の発展の為といった口実で古代エジプトのミイラや骨董品を博物館や美術館で披露して発掘資金(軍資金)を募りながら、裏では着々とエジプトとその周辺にある中東地域への侵略戦争の準備を進めていったのである。



(注1)

“科挙”(=Chinese imperial examinations)とは、古代中国において“武官の子弟だけ”を推挙して中央政府の官僚(要職)に就かせる任子にんし制度と、地方にいる役人達からの推薦(郷挙里選、または選挙)で主に人柄(親孝行ができ、先祖に従順かどうか)を測る孝廉こうれんという試験科目に、儒教の宗祖である孔子の経典『論語』を学んできた儒学生には『論語』を使ってその思想を測り、役所で書記や伝達係を務めてきた文吏官ぶんりかん(役人)出身であれば文字がきちんと書けるか、読解力があるかどうかを測る国語試験を合わせ、一品から九品まで順位ランキングを決めて官僚を採用する九品官人法きゅうひんかんじんほうに従って行われる官僚採用試験制度のことである。



任子にんし制度や孝廉こうれんなどは中国の古代史である『三国志』にも出てくるほど紀元前の時代から存在する制度であり、これに地方で郷挙里選(選挙)に使われていた郷試という試験制度を導入してAD6世紀頃から始められた。



その郷試(後世では解試とも呼ばれる)というのも、当初は地方の豪族達(資産家や役人)が集まって「イイね」と言われた数を競う人物評価(郷論)だけだったのが、現代で言う自然科学や数学、哲学、歴史、国語についての“知識だけ”を問う明経みょうぎょうに、明経みょうぎょう(5教科)の知識に加えてその論拠となる詩や句がどこに書いてあるかを示す進士しんし、そしてこれらの知識や論拠を示した上で現実的な方策(方法)を練って文章で説明できる秀才(後世では茂才もさい)の3つの試験科目が加わり(その後、これに法律の知識を問う明法や文章及び論理について問う明書、数学だけを問う明算も加わって6試験科目となる)、これら郷試に合格した人達だけが集まって受験する省試(後世では会試)という二次試験へと進み、さらに省試(会試)に合格した人達だけが皇帝から直々に面接される殿試に進めるという三段階試験制度となっていて、複雑怪奇な制度の上、膨大で幅広い知識量が必要とされるため、当初から優秀な人物を選ぶ為ではなく、既に武力(暴力)で制圧した自分達の政策や社会制度を脅かすような優秀な人物を探し出し、“それをあらかじめ排除する為”に行ってきた試験制度である。

その為、秀才(または茂才)のような知識も論拠も示した上、政策まで論じられる人物が中央政府に出てこられては皇帝とその臣下達にとっては自分達の権威が失墜するとあって合格者を出す訳には行かず、またそのような人物を中央政府に推挙してきた地方の役人は反政府思想があるとみなされて断罪に処された。

その一方で、科挙試験を行うのはそうした優秀な人物が答案に書いてくれる新しい政策や社会制度を盗む為であり、また、優秀な人物でなくても自分達の政権をひっくり返そうとする人達はいくらでもいるので、わざと複雑で難しい試験を課し、その試験の準備に時間と労力を費やさせてその反抗心や意欲をそぎ、たとえ合格して中央官僚になれたとしても既に中高年とも言える年齢になっている上、その官職報酬も試験の成績順もしくは推薦状に書かれた内申点を理由にして安く抑えられるため、いっそう自分達に対してクーデター(政府転覆)ができるような軍資金や活動資金などは貯まらず、“答案用紙一枚で多くの人々の人生を左右し、抑圧(奴隷化)できる仕組み”になっているからである。


だから、この科挙制度の裏事情(実態)を知っている人達(皇帝及びその臣下の子孫)はまともに勉強などしておらず、古代から延々と行われてきた任子にんし制度のまま武官や資産家の子弟だけが最初から賄賂やコネを使って合格できるようになっていて、そうした家庭に生まれてこなかった人達はその裏事情(実態)を知らないまま必死に勉強しようとするが、ほぼ膨大な知識の暗記だけに明け暮れるため理解力が乏しくなり、新たな政策や社会制度を創造できるような秀才(または茂才もさい)と呼ばれる人達は全くいなくなった。

その為、AD8世紀の唐の時代になると秀才(または茂才もさい)の試験は大した答案(政策)が集まらずやっても無駄なので廃止されるようになり、それまでの知識と論拠だけを示せる進士しんしの試験科目だけが偏重されるようになり、それと同時に勉強していない有力者の子弟ばかりが裏口合格していくようになるとその知識のレベルすらも衰退していくようになり、結局、科挙制度は1905年まで続けられたが、ほぼ1300年間、親孝行で親に従順な人達が親や先祖から教えられた知識を“そのまま書き写すだけの作業”で終わっていて、中国はこの科挙を始めとする知識偏重の教育制度でその国力を担うはずの優秀な人材を自ら抹殺していき、19世紀になると欧米諸国にその国土を乗っ取られることとなった。




(注2)

日英通商航海条約(=The Anglo-Japanese Treaty of Commerce and Navigation)とは、大砲などの兵器を積んだ軍艦でずかずかとよその国に乗り込んできて、軍事力(暴力)で脅しをかけてきたアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスなどの欧米5か国と江戸幕府が結ばされた“安政五か国条約”(正式名はそれぞれ日米修好通商条約、日蘭修好通商条約、日露修好通商条約、日英修好通商条約、日仏修好通商条約で、どれも1858年の6月~9月までに次々と調印されたためまとめて“安政5か国条約”と呼んでいる。)を、元から彼ら欧米人達と手を組んで倒幕を果たした明治政府がまるで苦心の末に欧米諸国と交渉し、不平等な条約を改正させたかのように民衆に印象付けるため、安政五か国条約のうち、一部、司法権を戻してもらい、欧米人達が犯罪を行った場合は日本の法律で裁けるようになったとされる条約のことである。


しかし、そもそも長年、汗水たらして国家(共同社会)を築き上げ、何一つ、欧米諸国に危害を加えた訳でもないのに、彼ら欧米人達の勝手な都合と強欲さから軍事力(暴力)を振り回して他人の国(共同社会)へとずかずかと踏み込み、その土地の資源をむさぼったり、そこに住む人々の平和と秩序を乱して凌辱りょうじょくし、奴隷にすること自体、時代が異なろうと、国境が異なろうと、言語が異なろうと、人種が異なろうと、“人として神の法を犯した大罪”としか思えないが、そういう“人としての理性(心)”を既に失っている連中に今更、何か言ったところで通じないのだろう。

元より江戸幕府が結ばされていた安政五か国条約もひどいもので、自国なのに日本の船舶の方が押しのけられる形で欧米のバカでかい戦艦が日本の港へ入港できるよう迫ったり、そうして入港してきた欧米の船舶や貿易品に対して日本側が関税を課す権利を奪ったり、その上、彼ら欧米人達が住む為の居留地をなぜか日本の税金で建設させた挙句、そこでは日本の法律よりも自分達の法律を優先させるなどの領事裁判権や犯罪を行った欧米人達を日本の法律で裁けない“治外法権”という特権までも設けさせる始末だった。

ところが、この安政五か国条約よりももっと不平等で最悪なのがこの日英通商航海条約で、恩も義理もなければ、まして危害しか加えてこない欧米諸国が戦争を行った場合、なぜか“彼らとは無関係な日本の一般市民が生命いのちを張って軍事支援を行う”という密約を交わし、その密約と引き換えにそれまでは居留地以外では住めなかったはずの欧米人達が日本国中どこでも好きな所に銃器を持って(日本では17世紀以降、一般市民は“刀狩り”によって銃刀を携帯することは禁じられているのだが・・・。)住めるようになり、さらにこれまで欧米人達を裁いてきた領事裁判権が撤廃されて日本の法律だけで裁くようになったため、既に手懐てなずけられている明治政府が欧米諸国の利害をおもんぱかって忖度そんたくし、不公平な裁判をしたとしても再度、欧米の法律でもって裁判にかけることもできなくなり、日本人被害者だけが泣き寝入りさせられるという、実質的には治外法権の範囲を拡大させただけの、いっそう屈辱的な条約内容だった。


それでも鳴り物入りで「明治政府は治外法権を撤廃させて日本の国際的地位を向上させた。」と言って安政五か国条約の時と同じく1894年7月16日にイギリスが調印すると、まるでそれが合図だったかのようにアメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、オランダ、イタリアと14か国もの国が明治政府と同じ内容の条約に合意するという、実に“物分かりのいい”スムースな交渉で進み、その翌週の25日には欧米諸国、特にイギリスがロシアの中国領土獲得を最小限に抑えようと日英通商航海条約での密約を振りかざし、日本に出兵を迫ってきたため、17世紀以降、一度もお互いの領土を侵略することなく平和でやってきた中国へ日本から正式な宣戦布告もせず(正式な宣戦布告は1894年8月1日)まさしく不意打ちで戦争を仕掛け、欧米諸国が行っている侵略戦争(強盗&人殺し)の仲間入りをすることになった。(日清戦争、1894年7月25日~1895年4月17日まで)

そして、不意打ちで日本から襲われた中国はあっけなく敗戦し、欧米諸国と日本に多額の賠償金を支払わされることとなった清王朝(中国)は欧米の銀行からの借金がかせとなって衰退し、その国土は欧米諸国と日本に占領されることとなった。


その武功(殺した庶民の数や他人の領土を荒らした行為)が称えられてか、イギリス王室から正式に日本がイギリスを始めとした欧米諸国の軍事的な支援を行う属国として定めた“日英同盟”(=The first Anglo-Japanese Alliance、1902年)が結ばれ、第二次、第三次とイギリスが兵站(軍備や兵士の補給&輸送)を始めとした日本からの後方支援が必要な間はこの同盟も更新されていたが、第一次世界大戦でドイツに勝利したイギリスがもはや日本からのあからさまな軍事支援を必要としなくなるとすぐさまこの日英同盟は破棄され、密約として交わした日英通商航海条約だけが残された。

しかし、この日英通商航海条約も世界大恐慌で経済破綻した欧米諸国が経済活性化の為に計画した第二次世界大戦中の1941年7月26日に破棄され、日本はこの年の12月8日、欧米諸国の指示に従ってイギリスの属国であるアメリカに宣戦布告を行い、“敵軍を演じて”太平洋戦争を引き起こすこととなった。


そうして敗戦した日本は、彼ら欧米諸国(中華民国も含めて)によって1945年7月26日に突きつけられた“ポツダム宣言”(=The Potsdam Declaration、正式名称は『日本への降伏要求の最終宣言(=the Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)』)を“無条件で受諾した”。

以下がそのポツダム宣言の要求内容である。


1945年7月26日

米、英、支三国宣言

(1945年7月26日「ポツダム」において)


一、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席及び「グレート・ブリテン」国総理大臣は我らの数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し今次(注訳:今回)の戦争を終結する機会を与うることに意見を一致せり


二、合衆国、英帝国及び中華民国の巨大なる陸、海、空軍は西方より自国の陸軍及び空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し最後的打撃を加うる態勢を整えたり。

“右”、軍事力は日本国が抵抗を終止するに至るまで同国に対し戦争を遂行する為の一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられるものなり


三、決起せる世界の自由なる人民の力に対する「ドイツ」国の無益、かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示すものなり。

現在、日本国に対し集結しつつある力は抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において全「ドイツ」国人民の土地、産業及び生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、測り知られざるほどさらに強大なるものなり。

我らの決意に支持せらるる我らの軍事力の最高度の使用は日本国軍隊の不可避、かつ、完全なる壊滅を意味すべく、また、同様に必然的に日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。


四、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵におとしいれたる我儘わがままなる軍国主義的助言者により日本国が引き続き統御とうぎょせられるべきか、または理性の経路を日本国がくつがえしむべきかを日本国が決意すべき時期は到来せり。


五、我らノ条件は左のごとし

我らは右条件(注訳:本宣言の第二項に書かれた日本が抵抗を止めるまで軍事力を遂行すること)より離脱することなかるべし。

右に代わる条件は存在せず我らは遅延を認めるを得ず。


六、我らは無責任なる軍国主義が世界より駆逐せられるに至るまでは平和、安全及び正義の新秩序が生まれし得ざることを主張する。

これをもって日本国国民を欺瞞ぎまんし、これをして世界征服のきょづる過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず。(注訳:無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは平和や安全、正義の新秩序は生まれないと主張し、この主張を受け入れる以外は日本国民をだまして、世界征服しようなどと間違った行いを犯させた者の権力やその勢力を永久に除去することはできない。)


七、右のごとき、新秩序が建設せられ、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕はだくせられたることの確証あるに至るまでは、連国の指定すべき日本国領域内の諸地点は我らのここに指示する基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。


八、「カイロ」宣言(注訳:1943年に欧米の連合国軍がエジプトのカイロに集まり、日本への将来的な軍事行動と朝鮮人民の奴隷状態を解放してその独立を後押しすることに決めた“公文書が存在しない宣言(口約束)”)の条項は履行せらるべく、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに我らの決定する諸小島に局限きょくげん(注訳:その範囲内に限ること)せらるべし。


九、日本国軍隊は完全に武装を解除せれたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営むの機会を得しめらるべし。


十、我らは日本人を民族として奴隷化せんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるが、我らの捕虜ほりょを虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし。

日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。

言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし。


十一、日本国はその経済を支持し、かつ公正なる実物賠償(注訳:戦争の責任を負ってその賠償金を実質の金銭や労役で賠償できるようにすること)の取立を可能ならしむるかごとき産業を維持することを許さるべし。

ただし、日本国をして戦争の為、再軍備をなすことを得しむるかごとき産業はこの限りにらず。

右、目的の為(注訳:生活経済の維持の為)、原料の入手(その支配とはこれを区別す)を許可さるべし。

日本国は将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。


十二、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意思に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍はただちに日本国より撤収せらるべし


十三、我らは日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右、行動における同政府の誠意につき適当、かつ充分なる保障を提供せんことを同政府に対し、要求す。

右以外の日本国の選択は迅速、かつ完全なる壊滅あるのみとす。(注訳:このポツダム宣言を拒否して日本が再軍備の選択をするなら、欧米連合国軍は即時、日本を完全に壊滅させる攻撃をするだけである。)

                        (出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)



この宣言を要約すると、これ以上、軍隊を持って日本が戦争しようとするなら欧米連合国(このポツダム宣言に調印しているのはアメリカ、中国、イギリス、ロシア、フランス、カナダ、オーストラリア、オランダ、ニュージーランド)は全員、日本に対して壊滅的な打撃を与える軍隊を送るつもりであるから“日本が一切の軍備を失くして、平和で安全な民主主義の国を創るなら、欧米の占領軍はただちに撤退する”と約束している。


つまり、このポツダム宣言を無条件で受諾した時点で日本は“自衛権も含めて一切、軍備をしてはならない”ことになっており、本宣言の第6項に書かれた“平和、安全及び正義の新秩序”として戦争軍備の一切を放棄するという日本国憲法が作られ、世界(国連)に向けて宣言する(誓う)形で書かれている英語版では国家として自衛権も放棄する文言がちゃんと記されている。

しかし、イギリスやアメリカを始めとした欧米諸国の本音としては引き続き、経済活性化の為に行われる戦争で日本に軍事支援して欲しい意図があるため、日本国憲法を作成する際にも極東委員会(国連)からの指令を受けた連合国軍司令官ダグラス・マッカーサーが日本国憲法の原則として「自衛権を含めた戦争軍備、陸、海、空軍は一切、廃棄する」を書いてまとめた、いわゆるマッカーサーノートと呼ばれるメモ書きを日本に渡したのだが、それをマッカーサーの部下でOSS(米国諜報機関CIAの前身)出身だったチャールズ・ケーディスは勝手にもみ消した。


チャールズ・ケーディス自身、一介の役人に過ぎず、しかも、“国際公約”(日本人も含め世界中の全ての一般国民と交わされる約束事)を一個人の考えだけで改編するなど絶対に許されないことなのだが(これが許されるなら、調印式や署名する意味など全くなくなる)、これを勝手に削除し、日本語版の日本国憲法では“自衛権放棄の部分を曖昧あいまいにするように”させた。(ケーディスは「自分が削除した」と日本の国営放送であるNHKのインタビューで証言している。→https://youtu.be/NlOHoSuPN2A?t=2014、またはhttps://youtu.be/L4xiKi2pHLM?t=1288)

(どちらの動画も削除されたようで、国民が払ってる税金で国民の為のテレビ番組を制作していると豪語し、“公共”放送を名乗っているNHK(日本放送協会=日本の公共放送を担う特殊法人)が著作権なるものを主張するのもおかしな話であり、国民の利益となるべき報道内容を政府(皇室)の利益の為に検閲削除するのも立派な憲法違反、反民主主義としか思えないが、そうやって隠せば隠すほど“そのやましく恥ずべきこれまでの行為が公にさらされるだけで結局、自滅するのが関の山”なのだが、悟れない=理解できない人々とはその悪循環を何度も何度も繰り返すだけでいつまでも“不幸と失敗と地獄の世界”を飽きもせず廻り続けたいらしい・・・。)

これにより、アメリカからの政治資金で首相となった吉田茂よしだ しげる岸信介きし のぶすけらが国会での法整備や世論の誘導などを行い、朝鮮戦争を支援する為に1950年に警察予備隊を立ち上げると、あれよあれよという間に1954年には自衛隊法が成立して陸、海、空の自衛隊が結成され、再軍備するようになった。

その為、この自衛隊の存在がポツダム宣言の第7項に書かれた「日本国の戦争遂行能力が破砕はだくせられたることの確証」には至っていないとされ、日本国内に米軍基地を始めとした占領軍が駐留し続け、さらに北方四島にはロシア軍が、また、中国や北朝鮮からも時々、軍事行動がけしかけられるのもこれ全て自衛隊という軍備を日本人が保持し続けているという“ポツダム宣言違反を理由としている”からであり、その所為で日本は毎年、5兆円もの税金を使って欧米から武器や戦闘機などを買い、国内に点在する米軍基地にも思いやり予算を貢納し続けている。(ちなみに、自衛隊発足当初の防衛費は1,396億円、中曽根内閣だった1985年(昭和60年)には3兆円を超え、平成が始まったばかりの海部内閣では(1990年)(平成2年)4兆円となり、橋本、小渕、森内閣と続く1997年(平成9年)以降は4兆9千億円とさらに増額され、小泉内閣(2004年~2006年)では5兆円で定着するようになり、そして2019年(平成30年)の安倍内閣では5兆5,300億円と過去最高を記録している。)


しかし、このポツダム宣言の裏を返せば、日本に軍備さえなければ彼ら欧米諸国は直ちに自国の軍隊を撤退させると、第12項で彼らの方から約束してきているので、この“公約”(神への誓い)をお互い守り合い、ぜひとも日本の陸、海、空の自衛隊を撤廃し、日本の一般市民だけでなく、世界中の一般市民の平和と安全と正義を守り、ついでに5兆円以上にも上る防衛費への税金も節約して経済格差で疲弊している一般庶民の懐を大いに潤そうではありませんか?


なお、中にはこのポツダム宣言は既に失効していると解釈をしている人達もいるようだが、国連憲章の“敵国条項”と呼ばれる第53条と第77条、そして特に第107条の「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果として取り又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」の通り、ポツダム宣言は有効となっている。


― 言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、

  基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて

  確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することが

  できる条件を確立する(国連憲章前文抜粋)

という理念の為に掲げられた“国際連合憲章の原則”から全く外れていないポツダム宣言が失効するなどあり得るはずもないので、ぜひとも「ポツダム宣言は失効している」などという妄言は控えていただきたいと心から願うばかりである。




(注3)

映像フィルム(=Film)は、元々は古代のインダス文明や中国文明において影絵や人形劇に光を当て、大きな鏡や布に投影させて大勢の人達に見せていたものから、今度は事前にガラスに描いた絵に光を当てて鏡に反射させ、その反射させた絵を小さな穴やレンズから大きな紙や布地に映し出す“幻灯機げんとうき”(=the Magicマジック lanternランタン)、今で言う“プロジェクター”(=Projector)が発明されたことで映像フィルムの原型ができるようになった。

この幻灯機(プロジェクター)を作ったのが17世紀のオランダの天文学者を名乗っていたクリスチャン・ホイヘンスという男なのだが、彼自身はこの幻灯機そのものが売りたくて作った訳ではなく、幻灯機につけるレンズを売ろうとして作ったのがきっかけだった。


レンズも、“ニムロッドレンズ”(=the Nimrud lenz)と呼ばれるBC8世紀のアッシリアで使われていた水晶でできた拡大鏡が存在するように古代からよく知られていたものだが、中世のヨーロッパでは主に軍事目的でレンズの開発競争が行われるようになり、その中で遠くに見える“天体の姿や形”=敵船の姿や形がよく見えるようにとガリレオ・ガリレイなどが望遠鏡を作るようになり、ホイヘンスもレンズの拡大倍率を50倍に上げた望遠鏡を作って他の軍事発明家達をしのぎ、ヨーロッパの王侯貴族達にそれを売ろうとしていた。

そうして、ガリレオ・ガリレイの頃はどのような姿・形なのか肉眼では全く見えなかった“土星の輪”(=the Rings of Saturn)の存在をホイヘンスは自分の作った望遠鏡(レンズ)を使って1655年に発表したのだが、実はこれがとんでもない大嘘だった。


現代の高倍率で高解像度の天体望遠鏡を使っても土星の輪などはっきり見えることはない。


なのに、17世紀の拡大倍率を上げただけの望遠鏡(レンズ)で土星の事細かな姿や形など見える訳がなく、まして眼鏡を愛用している人ならご存知かと思うが、レンズと肉眼では見え方が異なる。

なぜなら、レンズはそこを通る光を屈折させることで実際の物を大きく見せたり、小さく見せたりしているので実際の姿・形が“ゆがんで見えてしまう”ことがある。


つまり、楕円や輪に見えると言われれば(暗示にかかって)そう見えるし、四角や三角に見えるとその人が“思えば”そう見えてしまう。

“目の錯覚”が起きる。

だから、誰も土星になど行って実物の輪を見てきた訳ではないから、土星の周りには輪が“存在する”などとは断定できないはずなのだが、ホイヘンスはこれを断定してしまった。

そうして、その土星の輪が実際に存在する証拠を大勢の人達に見せようとして作ったのが幻灯機マジック・ランタン(プロジェクター)だった。

もちろん、インチキをしようとして作ったのだからさすがに恥ずかしかったのだろう。

本人も作ってすぐに後悔したらしく、弟への手紙には「自分が作ったと知られたら家名を汚すことになるから何とか公表するのを止めてくれ。」と書いたのだが、結局、彼の父親が当時のフランス国王ルイ14世の前で公表してしまい、止められなくなった。


その後、この幻灯機マジック・ランタン(プロジェクター)はフランス、イタリア、デンマークとヨーロッパ各国で販売されるようになり、もっぱら悪魔や死神の絵といった恐怖ホラー画像を見せつけて人々を脅かし、「この絵を見たら数日後に死ぬ」といったような噂話デマまで垂れ流して宣伝し、18世紀になる頃には日本で言う紙芝居屋に似た幻灯機を使って物語を話す幻灯機芝居屋が各地に現れるようになった。19世紀になると分厚いガラスに描かれていた絵が薄いガラスに描かれるようになり、次に光に化学反応して塩化銀が画像の形で浮き上がってくるようガラスに銀化合物とゼラチンを塗った乾板かんぱんと呼ばれるものにして写真を撮るようになり、ガラスも柔らかいセルロイド(プラスチック)にして巻物ロールに変え、そして連続した写真を撮って動く映像を映画として公開できるようにもなっていった。

こうして、今日ではレンズを通してガラスやセルロイドに焼き付けてきた光を電気信号に変えてテレビや携帯電話、パソコンなどに転送し、多くの人達に月や火星、土星といった天体の動画を見せられるようにもなったが、その技術でもって撮影された動画が果たして真実を映しているかどうかは誰にも断定できない。


だって、誰も実際に月や火星、土星に行って見てきたことなどないのだから。



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