第百三話 略奪
『民衆の歌が聞こえるか?』Do you hear the people sing?
・・・1985年、チュニジア生まれのユダヤ人作曲家のアレン・ブービルがフランス革命を題材にしたミュージカル劇『レ・ミゼラブル』の為に作詞した歌の一つ。
恐らく旧約聖書のイザヤ書を基に作詞しているらしく、特に「神はあらゆる国々の争いを鎮め、裁きを下す。だから、人々は剣を田畑を耕す為の鋤や鍬に変え、槍を魚釣りの針にする。そうして二度と剣を持って国を襲うこともなく、戦争に備えて兵士を育てることもなくなるだろう。さぁ、主の光の下で歩こうじゃないか。」(イザヤ書2章4-5節)の詩句が歌詞の中に使われている。
https://youtu.be/gYb9sRLUDyM
(URLを範囲指定して右クリックし、移動を選択するとすぐに聴けます。)
怒れる民の歌が聞こえるか?
二度と奴隷になるかと誓う歌
あなたの鼓動に太鼓が響くなら
新しいあなたの未来が始まる
あなたも加わるか、我らの聖戦に?
世界が夢見た砦の向こうへ
さぁ、立ち上がろう、自由の為に
怒れる民の歌が聞こえるか?
二度と虐げられるかと誓う歌
あなたの鼓動に太鼓が鳴るなら
新しいあなたの明日が始まる
皆の為に一人が立ち上がり、
皆が一人の為に立ち上がる
さぁ、広めよう
死んでいった多くの友の為に
怒れる民の歌が聞こえるか?
二度と奴隷になるかと誓う歌
あなたの鼓動で太鼓が鳴るなら
あなたの新しい未来が始まる
泣いてる民の声が聞こえるか?
闇に迷って光を探す歌
この世の闇で苦しむ人達に
この光掲げ、闇を消し去ろう
我らは自由に神の庭で生きる
剣を棄て、畑を耕すんだ
そうすれば皆、自由になれる
あなたも加わるか、我らの聖戦に?
世界が夢見た砦を超えた場所へ
幸せな民の歌が聞こえるか?
それが明日、あなたがもたらす未来だ!
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折しも、世界は19世紀から始まった産業革命(=Industrial Revolution)の真っただ中であり、特に発掘調査グループの本国であるイギリスやアメリカ、その他ヨーロッパ諸国は国を挙げて毛織物や綿製品を織る紡績機械を導入し、水力および石炭を使った蒸気ポンプに蒸気エンジンで走る蒸気機関車、蒸気船、蒸気自動車といった“鉄や金属で造られた”工業機械や輸送機器を次々と開発、生産し、それを世界に輸出することで稼いでいた時代だった。
だから、彼らは何より“鉄”という資源を欲していた。
しかし、ヨーロッパの中でとりわけ産業革命の発祥国であるイギリスは、世界と比べたら大した高い山があるわけでもなく、石炭以外は鉄やその他の金属がそれほど産出しない、どちらかと言えば天然資源に乏しい国だった。
だからこそ、イギリスは15~18世紀の“大航海時代”(=The Age of Discovery)において自国に足りない土地や資源を求めてヨーロッパ各国が競って行った植民地争奪戦(戦争)に参戦し、植民地にしていたアメリカから木材を仕入れていたのだが、軍事力で植民地を制圧している以上、常に有事に備えて武器や軍備を整えておかなければならず、そうした武器や海外植民地に乗り込む際の戦艦を造るのに使う木材を伐採しすぎて国内はもちろん、アメリカからの木材も欠乏するようになり、結局、仕方なく燃料資源を木材から石炭へと移行させ、そこから石炭を効率よく採掘できるよう蒸気ポンプや蒸気エンジンが開発され、石炭を運ぶ蒸気機関車や蒸気船も建造されて産業革命が始まっていた。
だから、そんな歴史を持つイギリスにとって自国で採れない資源は何でも海外植民地から奪えばいいとしか思っていなかった。
そんな時、世界を廻って植民地にする土地を探し出し、その土地の地形や資源を調べ上げ、なおかつ、現地人達をできるだけ反抗させないようあらかじめ教育する為に派遣していたキリスト教の宣教師(=Apostles、ギリシャ語で「派遣される人」または「使徒」の意味。英語ではMissionary、異教徒達に新約聖書を説いて改宗させる人を指す)(注1)や教師達(要するにスパイ達)がエジプトから古代の青銅器やら鉄器の品々を持ち帰ってきた。
何せ、中世の暗黒時代におけるでたらめな錬金術と迷信だらけのキリスト教教育のせいで、古代とは比べ物にならないほど冶金術(=製錬および精錬の技術)がすっかり衰えていた19世紀のヨーロッパ人(西洋人)達にしてみれば、耐食性(錆びにくさ)90%以上を誇る青銅器時代(古代エジプト)の骨董品の数々は驚愕の産物でしかなかったに違いない。
(それは今でも同じだろうが・・・。)
ちなみに、青銅器時代だからと言って鉄器が全くなかったわけではなく、前述の製錬法で説明した通り、黄銅鉱には銅だけでなく鉄や硫黄など他の成分も含まれていて、そうした他の金属成分を除去するだけでなく、再利用して別の金属製品に作り変えてもいた。
その為、ツタンカーメン王の墓の中からも多数、鉄の短剣やその他の品々が出土しており、それまで知られてきた19世紀以前の技術では4%以上のニッケル成分を持つ鉄製品を造ることができないはずが、ツタンカーメン王の墓から出てきた短剣は何とニッケル成分11%、コバルト成分0.6%という信じられないほど高品質の鉄製品に仕上がっていて、現代の学者の間でもこの世の物と思えず、「空から降ってきた鉄隕石で造られた物だ。」としている。
この高度な“鉄の宝物”を見たヨーロッパやアメリカがエジプトを植民地として狙わないはずはない。
早速、イギリスは大英博物館から、フランスはルーブル美術館から、ドイツはベルリンのエジプト博物館(=The Egyptian Museum of Berlin)から、アメリカからはこれまで美術や考古学といった分野におおよそ縁もなさそうな蒸気ポンプやボイラーなどの工業製品の規格を扱うアメリカ機械学会(=American Society of Mechanical Engineers、略してASME)(注2)の会長を務め、鉱山開発がご専門のイークリー・コックスが多額の寄付をしていたペン美術館(=The University of Pennsylvania Museum of Archaeology and Anthropology、略してThe Penn Museum)から、考古学者やら発掘調査グループが多数、派遣され、自分達の国でも何でもない土地を荒らして掘る為に「古代の素晴らしい文化や教養を研究することで人類の未来の為の科学や文化、教養に貢献する」とか「キリスト教が解釈してきた聖書の歴史観を実際のエジプトの遺跡で証明しよう」といった様々な建前や偽善、夢想を掲げて(時には「古代のお宝を見つけて一攫千金を狙おう」といった本音もにじませながら)観光客や冒険家、研究員などを装い、墓探しにかこつけて鉱山探しをするようになった。
その間、鉱山を発掘する為の開発資金はもちろん、エジプトを植民地にする為の侵略戦争の軍資金も稼がなくてはならない。
そこで、彼らは墓探しで見つけてきた骨董品や金銀財宝、ミイラなどを美術館や博覧会で展示し、見世物として広く一般公開することで寄付金や見物料を取ることにした。
時を同じくしてその頃は、1851年に“ロンドン万国博覧会”(=The Great Exhibition)が、1855年には“パリ万国博覧会”(=Exhibition Universelle)が開かれ、21世紀の今日まで各国が自国の最先端とする産業技術や工業製品、豪華絢爛な美術品を展示して、お互いに自国の知性と教養の高さ、技術力、そして国家としての経済力を競い合う時代の始まりでもあった。
中でも、イギリスとフランスは特に激しくにらみ合っていた国同士だった。
なぜなら、度重なる植民地争奪戦(戦争)で破産したフランスは、困窮した庶民によってフランス革命を起こされ、庶民を代表するナポレオン(注3)の台頭でイギリス王室を始めヨーロッパ中の王室(封建社会)が存続の危機を迎えていたからだった。
それは彼がエジプト遠征から持ち帰った“ロゼッタストーン”(=Rosetta Stone。1799年にナポレオン軍の兵士が見つけてきたプトレマイオス朝時代(BC2世紀頃)のエジプトの碑文。ヒエログリフとデモティック語(古代エジプト民衆文字)、ギリシャ語の3か国語で書かれている。)の解読論争でも垣間見れるように、本屋の息子で「一般庶民にも学校を!」と力説し、10年以上にも及ぶ努力と経験でもってヒエログリフの解読に当たったフランスの若き言語学者ジャン・フランソワ・シャンポリオンか?、それとも“ロイヤル・タッチ”(=Royal touch、イエス・キリストが盲人やライ病患者に手を当てて治療したという俗説にちなみ、キリスト教において神の子とされる王族に触れられるとあらゆる病気や障害が治るという奇跡療法のこと。)がまだ真剣に信じられていた時代に軍医として名だたる家庭に生まれ、物理学を始め、音楽、言語学と数々の学術書を出版し、「生まれついての天才」、「この世の全てを知り尽くした最後の男」ともてはやされ、王立協会フェロー(=Fellowship of the Royal Society)(注4)でもあるイギリスの医者のトマス・ヤングか?、この両者のどちらが先にロゼッタ・ストーンを解読したかで論争になるほど、これからは庶民が政権を握ると高らかに革命歌を謡いたいフランス(一般庶民/民主主義制度)と、これまで通り、王権を維持し続けたいイギリス(王族とそれに従う臣下/封建制度)とが、博覧会の展示物においてもエジプトの植民地争奪戦においても、競い合うのは必至だった。
だから、封建社会ゆえに家臣に与える為の領土や資源を求めてどこまでも戦争を仕掛け、植民地にしていく王族のやり口を真似てナポレオンがエジプト遠征でロゼッタ・ストーンやその他の戦利品を奪うと、イギリスも負けじと“ナイルの海戦”(=The Battle of the Nile、1798年にイギリス艦隊がエジプトのアレキサンドリアでナポレオンの艦隊を破った戦争)でこれを奪い返し、さらにナポレオン(民衆/民主制)そのものを潰すべく、他の王政を敷いている国々と連携して“第六次対仏大同盟”(=The Six Coalition、1812~1814年にイギリスを中心にオーストリア、プロシア、ロシア、ポルトガル、スペイン、ポルトガルとドイツの大公主および諸侯などが対ナポレオンで一致団結した同盟)を組み、ついにはナポレオンを廃位に追い込んでフランス王室を元に戻した。
だが、この時、イギリス王室(政府)(生まれつき選ばれた者達、エリート層=Elite)は、“民衆(または群集)”(=Populace)の団結力の凄まじさを思い知ることとなった。
と同時に、彼ら民衆の一番の弱点にもすぐに気づいた。
それは“教育”(=Education)だった。
ナポレオンが封建制の王族の真似をしてすぐに民衆を率いて暴力(戦争)に走ったように、彼ら民衆には封建社会の下で教えられた、“権力者に従って戦争し、他の国(植民地)から土地や戦利品を略奪して分配する方法”以外、生きていく手段(食糧を獲得する方法)=国家の経済体制をどう構築(創造)するのかが全く“分からなかった”。
つまり、誰か強そうな人、賢そうな人、権力を持っていそうな人にくっついてその指示に黙って従う以外、彼ら民衆には“生きる術が何もなかった”のである。
だから、軍事学校出身のナポレオンは軍事(どう暴力を振るうか、どう人殺しをするか)の才能にはあふれていたかもしれないが、それ以外で民衆(国家)をまとめて発展させ、富をどう増やし、これからどう民衆(国家)が生きていくかの“国策”(国家の政治手段)については知識や経験はもちろん、自分が立身出世すること以外、何の目標もなかった為、生きる手段や国家方針(目標)を見失った民衆がそのうち仲間割れしたり、離散するのは目に見えていた。
“そんな細かい事なんて、何も知らない”
“難しい事言われたって、何も分からない”
“俺は無知(=Ignorant)だから、誰か賢くて偉い人にやってもらおう”
“私は汚くて醜い世界の事なんて知りたくないの。汚れのない無垢で無邪気な(=Innocent)可愛い子でいたいの”
それは自分の生命を、自分の魂と尊厳を、自分では全く守れません、好きにしてくださいと悪意ある敵に向かって無防備な全裸のままでいるのと同じだった。
自分自身(の能力)を最初からあきらめ、棄てているようなものでもあった。
その民衆の弱点に気づいたというか、フランス革命やナポレオン戦争での理性を知らない群集(愚民)の暴行や略奪、残虐な殺戮を見ていて改めてそれに気づかされたイギリスは、徹底して自分達、王族(生まれつき選ばれた者達)を“美化”(虚飾)することにした。
実態(真実)はまるで違うのに、いかにも強そう、賢そう、立派そう、美しそう、優しく信心深そうに民衆(愚民)の目には映るよう、ありとあらゆる方法を使って上辺を飾って見せたのである。
(注1)
人類が誕生してから神の名の下で神の御言葉を伝える使命を持った人達、いわゆる預言者や宗教家、僧侶、巫女、神官などと呼ばれてきた人達がこれまでの人類史において大勢、存在してきたが、その中でキリスト教の宣教師は、英語でEvangelist、Apostle、Missionary、Proselytistと実に様々な名前がつけられ、いろいろな意味を持たされているものの、基本、彼らの仕事はイエスという何ら害や危険のなさそうに見える一人の人間を神に祀り上げ、そのイエスの名の下、派遣された土地に住む原住民達の警戒心を解かせて既存の社会体制や宗教などに不信や不満を抱かせ、“武力(集団)行動へと扇動すること”(=Crowd manipulation to violence)である。
そして、キリスト教によるそうした“扇動家”(ギリシャ語ではDemagogue、英語ではAgitator)=“宣教師”達の到来は既にイエスが前もって預言していて(第八十六話『最後の預言』及びマタイ23章~24章)、イエスが生きていたローマ時代からイスラエルがユダヤ戦争により滅亡し、キリスト教が台頭するようになるとますます増大するようになり、約2千年間に渡って現在まで世界各地に彼らが派遣されるようになった。
その為、彼ら宣教師(大衆扇情宗教家)達の密かな諜報活動や扇動によって原住民同士の裏切りや内戦、暴動などが勃発し、その仲介や鎮圧を理由に欧米諸国が軍事支援を行う形でその土地(国家)を“乗っ取りやすく(植民地化)できる”仕組みになっている。
ちなみに、Evangelistとは、ローマ時代のギリシャ語で「いい知らせを告げる人」の意味だそうで、現代では主に教会から教会へと渡り歩いて新約聖書を基にして説教する人達のことを言う。
なので、いつも同じ教会で説法を行う牧師や司祭とは“多少”、違うらしく、その歴史も元々、16世紀から始まった既存のローマカソリック教会の改革を訴える“プロテスタント運動”(=Protestantism、カソリック教会におけるローマ教皇を頂点とする封建体制を否定し、信仰者だけの共同(教会)体制を目指す運動のこと。1517年にドイツの修道僧マルチン・ルターがカソリック教会の政治体制を批判した『95 Thesen(邦題では『95か条の論題』)』というポスターを教会の扉に張り出したことが発端で、このポスターを巡って言論弾圧を行わないよう「異議を唱えた人々」をプロテスタントと呼んだことから以後、カソリック教徒以外のキリスト教徒達をプロテスタントと呼ぶようにもなった。)から派生しており、そのプロテスタントの中でもEvangelistと呼ばれる人達は1940年代からテレビやラジオで説法し始め、アメリカ南部を中心に世界中で爆発的な人気を誇ったビリー・グラハムや、同じくアメリカで“クークラックスクラン”(=The Ku Klux Klan、南北戦争後の1865年頃より元アメリカ連合国陸軍将校達によって結成された反外国人移民及び白人至上主義の秘密結社のこと。クークラックスクランとはギリシャ語の「狩猟サークル」という意味のKuklosとスコットランド氏族を表すClanを合わせ、「スコットランド氏族の狩猟サークル」という意味の言葉で、長いので略してKKKやThe Klanとも呼ばれる。)から支援を受け、人種隔離政策などの「スコットランド人のような欧米人達と血縁関係にある人達しか信用できないし、欧米人以外の人達とは共同社会は築けないので(たとえ自分達の仕事や家事育児の世話をしてもらう為に強制的に奴隷にして連行してきた人々の子孫であろうとも)、ご近所に住む黒人やその他の外国人移民の皆さんにぜひとも虐めや嫌がらせ、侮辱行為、リンチ(私刑)などを行いましょう。それが神の思し召しです。」とラジオなどで説法し、自分の思想に基づく大学まで創設したボブ・ジョーンズのような、いわゆるタレント活動を通じて政治や宗教、教育を行う人達を指すようである。
なお、彼らのようにマスメディア(大衆宣伝媒体)、特にテレビ(動画や講演活動も含む)を通じてキリスト教の説法をする人達を皮肉って“Televangelist”と呼ぶこともある。
ちなみに、『新世紀エヴァンゲリオン』というSF(サイエンスフィクション、空想“科学?”)アニメ映画に使われているエヴァンゲリオンもどうやらこのキリスト教の「使徒」を意味しているそうで、人類滅亡の危機になっても相変わらず暴力に煽られて暴力で返し、結局、お互い殺し合っていっそう人類滅亡に向かうという残念なお話になっているようである。
Apostleとは、Evangelistが使われる以前から「使徒」を意味し、元々はイエスの12人の弟子達のことを指していて、ギリシャ語で「派遣された者、または伝達者」を意味する。
文字通り、イエスの言葉を“そのまま”伝達するのを託されていた人達なのだが、本作品でも書いた通り、イエスの12人の弟子達のほとんどがイエスに反発して内部分裂していたため、イエスの話をまともに聞いておらず、新約聖書が作られる段階で弟子達自身の考えや価値観の違いによってイエスの言葉も曲解されたり、追記や削除されるといった改編を加えられており、その後も後世の人々の都合によってそうした改編は度々、行われ続け、現在もイエスが伝えたかった“神の御言葉”は全くと言っていいほど伝わっていない。
Missionaryとは、「太陽の沈まぬ国」と称えられ、オランダや南イタリア、オーストリア、中南米、フィリピン、マカオ(中国)、マラッカ(マレーシア)、ゴア(インド)、アフリカ大陸沿岸などの数々の植民地を制圧し、スペイン帝国を築き上げたハプスブルグ家出身の神聖ローマ皇帝カール5世や、アフリカ大陸に進出したエンリケ航海王子を祖先に持ち、インド航路を開設したマヌエル1世を父に持つポルトガル王のジョアン3世といった王侯貴族達から支援を受け、1534年にバスク出身の元傭兵イグナチウス・ロヨラが自身で創設した秘密結社“イエズス会”(=The Society of Jesus)のメンバーである同じバスク出身のフランシスコ・ザビエルやピエール・ファーブルらを派遣し、植民地にできそうな候補地を探す目的で始められた侵略計画(乗っ取り)事業の一つである。
イグナチウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルが生まれ育った“バスク地方”(=Basque)は元々、先住民族なのか移民なのかその歴史は定かではないが、主にピレネー山脈沿いを中心にスペイン北部やフランス南部、一部、アルプス山脈沿いのイタリア北部にも居住し、細々と農業や畜産業を営む一方、もっぱら傭兵を生業とする人達が住む地域でもあった。
その為、植民地政策で儲かっていたスペインやポルトガルの王族から依頼を受けた彼らは早速、キリスト教(イエスの話)を隠れ蓑にして世界中を航海して回り、無害に思われる宣教師(僧侶)を装いながらアジアやアフリカに住む軍事(侵略)行動に乗ってきそうな原住民達を集め、“ミサ”(=Missa、中世ラテン語で「派遣員、派遣された兵士」の意味。英語ではMass)と称した秘密集会を開き、そこで現地の社会体制に反対する運動や暴動、テロリスム(無差別攻撃)などを行うよう指示していった。
そのメンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルも、幼少期よりバスク人の伝統で傭兵もしくはスパイ(諜報員)として訓練されてきた男であり、家も家族も戦争が原因で全て失ってきているのだが、それでもまだ懲りないのか再び傭兵として生計を立てていくためパリ大学で軍事技術を学び、そこで知り合った同郷のイグナチウス・ロヨラやピエール・ファーブル達と共にイエズス会を結成し、派遣されたインドを拠点に植民地候補地を探すようになった。
その候補地の一つが日本であり、薩摩(現在の鹿児島県)出身で殺人犯として追われる身となり、マラッカで海賊か傭兵になっていた弥次郎という日本人に出会い、この男を通訳に雇って日本に入り込めるようになった。
元々、九州地方は武器や兵器を貿易するポルトガル商人達が多数、集まっていて警戒心が薄かったせいもあってか、当時、軍事技術を何より必要としていた島津貴久を始めとした戦国大名達から大いに歓迎されたようだった。
もちろん、その扇動ぶりは見事なもので、行く先々で改宗させた地元民や豪族達に暴動や反乱を起こさせ、新たに手下になる若い日本人も雇い入れ、大阪の堺や京都にも進出し、天皇や当時の征夷大将軍だった足利義輝と手を結ぼうとしたが、それほどの権力がないと知るやさっさと見切りをつけ、再び山口県や九州地方へと戻り、諜報活動を続けていった。
しかし、結局、ザビエルという一人の男も王族に雇われているだけのしがない傭兵でしかなく、言葉もまともに通じない遠い異国の地を延々、渡り歩いて人々に集団自爆テロ行動を煽って回るだけの生涯に終わり、たった46歳の若さで人の住む中国本土から遠く離れた孤島の軍事基地で一人寂しく死んでいったようである。
その他のイエズス会の宣教師(傭兵)達もほとんどがザビエルと似たような末路を辿り、創設者であるイグナチウス・ロヨラも生命を賭けさせる割には安い賃金の傭兵生活で既に片足を失くしていた上、イエズス会創設後は生物兵器の開発研究に携わっていたため結局、マラリアに感染してしまっただけでなく、腎臓や膀胱にも障害を負って老いの衰えと共に激しい腹痛に見舞われながら死んでいった。
ピエール・ファーブルは当初からロヨラに気に入られていたこともあって、遠いアジアに派遣されることもなくヨーロッパを渡り歩き、カソリック教会と対立するプロテスタントとの宗教戦争に勝つべく各地の大学や教会で軍事技術の教育に携わっていたが、それでも後年、ローマ教皇に気に入られてロヨラよりも出世するようになり、それに嫉妬を覚えたロヨラに直接、毒(生物兵器)をもられて彼の腕の中で40歳の若さで死んでいる。
そうして、イエズス会はいろいろな宣教師(傭兵)達を世界中に送ってはキリスト教思想に基づく“殉教精神”=“集団自爆(自殺)テロ”という危険思想を人々の心に植え付け、その後、日本では戦国時代からようやく徳川幕府によって平和になりかけた頃の1637年、ローマ教皇からの軍事支援を頼みとしていた日本人キリスト教徒達による島原の乱が起き、1863年にも再び倒幕を目論んで裏では密かに手を組んでいたイギリスと偽装戦争を行い、わざと負けてその多額の賠償金を幕府に支払わせて倒幕へと追い込もうとした薩英戦争、そして倒幕後、薩長土肥により樹立された天皇制度(封建制度)の存続の為に起こされた太平洋戦争と、いずれもキリスト教の宣教師(大衆扇情宗教家)達が広めた“殉教精神”=“集団自爆(自殺)テロ”思想(戦時中に流行したスローガンで言えば「一億総玉砕」)を信仰している人達から日本人同士の内部分裂が起き、日本全土(殉教精神(自殺願望)など全く持ち合わせていない罪もない人達)を巻き込むような戦争が起きている。
いうなれば、こうした戦争(集団自殺テロ行動)を起こさせるような危険思想を教育するイエズス会とは、日本で例えるなら1995年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教のような宗教を偽装して国家(軍事政権)から依頼されて結成されている秘密結社であり、実際、イエズス会の宣教師達に扇動されたアメリカの先住民達は侵略戦争をしかけてきた欧米諸国の軍隊とまともに激突して壊滅状態にまで追い込まれ、まんまとアメリカ大陸を欧米諸国に明け渡すこととなった。
しかし、そのような裏工作をしていても表向きはあくまで庶民や先住民、黒人奴隷などの弱者の味方であり続けなければならないのと、フランス革命の影響もあってかイエズス会も一時はその規模を縮小させ、欧米諸国の権力者達から迫害を受けている振りをしていたようだが、それでもフランス革命が終りかけていた1814年には再び復興し、現在、会員数約1万6千人、活動地域は世界112か国に上り、系列高校は世界で322校、大学は172校、2013年にはジョルジュ・ベルゴグリオを第266代ローマ教皇に輩出し、フランシスコ会に次ぐ世界で2番目に大きいカソリックの修道会となっている。
Proselytistとは、ギリシャ語で「未来に向かって進む人、新しくやって来る人」を意味し、元々はイエスの頃にユダヤ教に改宗させる人達のことを指していたが、現在ではあらゆる既存の宗教や思想から改宗させる人達のことを意味する。
(注2)
“アメリカ機械学会”(=American Society of Mechanical Engineers、略してASME)は、AIME(=The American Institute of Mining, Metallurgical, and Petroleum Engineers、アメリカ鉱山開発、石油開発及び金属工学研究機関。2012年時点の会員数145,000人以上。1871年に22人の鉱山開発技術者によって結成された。)の議長を務め、アメリカ土木学会(=The American Society of Civil Engineers、空港や鉄道、ダム、上下水道、水上交通、鉄橋、トンネル、高層ビルといった土木工学における規格を決めている“免税”組織団体。2016年時点で世界加盟数196か国、会員数152,000人以上、収益5,900万ドル、寄付総額3,130万ドル)でも副議長だった製鋼技術者アレクサンダー・ホーリーと、蒸気機関車及び蒸気船、火力発電や原子力発電で使われる蒸気ボイラーの給水ポンプを開発する技術者のヘンリー・ワージントン、機械部品を挟んで0.01mm毎に測定できるマイクロメーターと呼ばれる測定器具を作った工具屋のジョン・スウィート、アメリカの蒸気機関車の設計者だったマチアス・フォーニーらが1880年に結成した、主に蒸気機関車や蒸気船に使われるボイラー装置を始め、今ではエレベーター、工具、クレーン、ガス管、石油管、建築配管といった様々な機械部品や都市設備部品の形状や寸法、構造、成分、性能、製造方法などを定め、それを国際的に標準化させようとする組織団体のことである。
その初代会長となったアレクサンダー・ホーリーは、鉄道産業専門の新聞記者だったゼラ・コルバーンを通じ、技術者を装ったイギリス人のイサムバード・キングダム・ブルネルという、父は地下での軍事活動ができるようテムズトンネルを造った技術諜報員のマーク・ブルネル、母は革命真っただ中のフランスに潜り込み、イギリス王室の為にスパイ活動を続けて死刑囚として投獄されていたこともあるソフィア・キングダムという、筋金入りのスパイ一家に育ったこれまた技術諜報員の男と知り合い、彼の助言の下、アメリカ大陸を始め、世界中の国々(敵地)に敷かれる鉄道や都市設備の形状や寸法、構造を標準化させ、自分達が侵略した際に兵站活動(武器や兵器、兵士、軍事物資の輸送及び供給を行う活動のこと。)や破壊活動がしやすくなるようこのアメリカ機械学会を創設した。
ただし、表向きは自分達が設計及び製造した蒸気機関車や蒸気船、鉄橋などがことごとく、失敗していたため、そうした事故を無くすために創設したことになっている。
しかし、そもそも失敗ばかりしていた人達の意見や考えに基づいて決められている仕様や規格に沿って構造設計された乗り物や機械装置ほど怖い物はないと思うのだが、それでも2018年時点でこのアメリカ機械学会の世界加盟国数は140か国以上、会員数10万人以上、標準化されている規格は500種類以上となっており、ほぼ世界中で採用されてきている上、大手企業の役員達がASMEのメンバーであれば他の新規で参入してくる中小企業の規格を一般市場で否定的に宣伝して排除できるまでになってしまったため、1982年にアメリカの反トラスト法(独占禁止法)にひっかかり、“非営利”団体でありながらなぜか600万ドルもの多額の賠償金をASMEが支払うよう判決が下った事件まで起きている。(American Society of Mechanical Engineers v. Hydrolevel Corporation, 456 U.S. 556 (1982))
(注3)
ナポレオン・ボナパルト(=Napoléon Bonaparte)、またはナポレオン1世とは、1792年から始まったフランス革命戦争からフランス民衆の代表者及び反政府軍の指導者となり、1804年から1815年までフランス皇帝となってナポレオン戦争を引き起こしたコルシカ島出身のテロリスム(無差別攻撃)指導者である。
ナポレオンが生まれ育ったコルシカ島は、遡ればノルウェー、スウェーデン、デンマークなどのスカンジナビア諸島やイギリス、スコットランド、アイルランドなどのブリテン島のような島を拠点に密貿易や海賊を生業とする“バイキング”(=Viking、バイキングとは民族名の“ヴァンダル族”(=Vandal、ゲルマン語で「放浪する民族」の意味)と英語で王を表すKingを合わせ、「さまよえる王」を意味する。ちなみに公共物を落書きで汚したり、個人が大切にしている物を奪ったり、壊したりすることを意味する英語のVandalismは、このヴァンダル族にちなんだ言葉である。)が住んできた島であり、ナポレオンを始め、島の住人達は地理的に近いイタリアやフランスよりもその祖先はイギリスやスコットランドの方が近かった。
その為、フランス革命が起きる30年ほど前の1755年にコルシカ島はイギリスからの軍事支援によってフランスやイタリアから分離独立したコルシカ共和国を築いていたのだが、ナポレオンが生まれた年の1769年に再びフランスに併合されるようになった。(The Battle of Ponte Novu)
以後、彼らコルシカ人達(ヴァンダル民族)はあくまで分離独立を求めてイギリスからの軍事支援を受け続け、ナポレオンもイギリス海軍将校であるサミュエル・フッドと裏取引を行ってフランス革命戦争に参戦するようになった。
というのも、フランス革命は規律も秩序もない一般民衆が寄り集まっただけの烏合の衆でしかなかったため、イギリス王室としてはフランス王室と一緒にこれらフランス民衆も制圧しない限りフランス国土の乗っ取りが叶わず、その為に雇った男がナポレオンだった。
しかし、ナポレオンはフランス民衆だけでなく、他のヨーロッパ諸国の民衆からも絶大な人気を誇ったため、あらぬ野心を持ち出したナポレオンはイギリス王室の謀略から外れてナポレオン戦争を起こすようになり、結局、密かにもらっていたイギリスからの軍資金が途絶えて兵士達を養うことができず人心が離れ、セントヘレナ島に流刑後、毒殺された。
しかし、ナポレオン個人はイギリスを裏切ったとしても他のコルシカ人達はイギリス王室の属国としてアングロ・コルシカ王国(=the Anglo Corsican kingdom、1794~1796年)を築くほどイギリスに忠誠を誓っており、イギリスも彼らが自分達の名前を出さずに闇で行ってくれるヴァンダリスム(破壊活動)やテロリスム(無差別攻撃)を鎮圧して人心を掌握するのに都合がいいため、“ナポレオンが死んでからも”彼の子孫を王族に復興させ、ナポレオンの家(Maison Bonaparte)も1923年まで守ってやるなどしてコルシカ人達を保護し続け、そのおかげか現代になってもナポレオンの子孫は王族として生き残っているだけでなく、さらに1960~1980年代にかけてはARC(=Action Régionalist Corse)やFLNC(=Fronte di Liberazione Naziunale Corsu)といったコルシカ人によるテロリストグループが形成され、主にフランスにあるビルや銀行、観光施設、個人店などに侵入して「“革命税”(日本語だとみかじめ料)の徴収に来た」と笑えない冗談を言って破壊や強奪、暴行、殺人行為を繰り返し、その犯罪行為やテロ活動を取り締まる為にフランスの民衆は無駄な税金(日本で言えば暴力団対策費用)を支払わされるようになっている。
(注4)
王立協会フェロー(=Fellowship of the Royal Society)とは、ロイヤル・ソサイエティ―(王立協会)という16世紀からイギリス王室が創設している学術機関が自然科学や数学、工学、医療を始めとした様々な科学の発展に貢献したとされる人物に贈る賞と会員資格のことである。
これまで王立協会フェローに選ばれた人々は、天文学者のアイザック・ニュートン、生物学者のチャールズ・ダーウィン、物理学者のマイケル・ファラデー、アメリカの物理学者のアルバート・アインシュタイン、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、最近だと物理学者のスティーブン・ホーキングやチャールズ皇太子、ウィリアム王子といった王族を含め1900年以降、約8千人、うち280人がノーベル賞にも選ばれている。