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第百二話 腐敗

Carminaカルミナ Buranaブラーナ~O Fortunaオー・フォルトゥナ~』


https://youtu.be/O5b7tgkdFH0

(URLを範囲指定して右クリックし、移動を選択するとすぐに聴けます。)



michi quoque niteris;   お前達、人間はわたしをも疫病でもって汚す

nunc per ludum      さぁ、今こそ、その戦ごっことやらでもって

dorsum nudum       わたしが丸裸にしてやろう

fero tui sceleris       お前達、人間の悪意の数々を


Hac in hora       だから、まさしくこの時、

sine mora        もはや時を待たずして

corde pulsum tangite;  お前達が震えおののく運命の糸をたぐりよせよう


quod per sortem     生まれながらにして天命を持つ者が

sternit fortem,     強きをくじく



mecum omnes plangite!  さぁ、今こそわたしと共に嘆け!





化粧板が無かった頃のギザのピラミッドは、一定の温度と湿度が保たれ、はえや蚊、ダニやゴキブリ、のみ、さらにはコクゾウムシやコナナガシンクイムシ、ガイマイゴミムシダマシといった貯穀害虫ちょこくがいちゅう(注1)などが活動できないだろう環境構造(=Environmental structure)になっていて、ついでにピラミッド内の倉庫には花崗岩でできた石箱まで置いて、そこに害虫が嫌う強烈な香りを放つニンニクやトウガラシ、ホースラディッシュ(西洋わさび)、コリアンダー(パクチー)、ネギ、玉ねぎといったハーブ(薬)やスパイス(香料)を入れ、害虫と共にそれを餌とするコウモリやネズミなどが寄ってこないよう徹底した衛生管理がなされていた。


(現代の日本で例えるなら、米櫃こめびつの中に虫除け剤を入れるようなものである。)


ところが、化粧板である石板をピラミッドに張ってしまうと当然、温度と湿度は上昇し、中にある小麦だけでなく、そうした虫除け用の植物まで腐ってくる。




むろん、腐敗はカビ菌だけでなく、虫も呼ぶ。


虫が来れば、コウモリやネズミなども寄って来る。


そして、それらの害虫や害獣と共にカビ菌以外の病原菌をも運んでくる・・・。




だから、この政治と備蓄食糧の腐敗による公害がエジプトと食糧交易している近隣諸国を含めたエジプト全土の人々の生命と健康をむしばむのにさほど時間はかからなかった。





そうして、ヨブが公害被害を訴える時代までエジプトでは次々と原因不明とされる病気や障害で亡くなる人達が相次いだ。





ピラミッド(食糧備蓄倉庫)内の小麦から発生したカビ菌による赤カビ病や黒穂病くろぼびょう(注2)だけでなく、ゴキブリのような害虫から発生するサルモネラ菌や赤痢菌、チフス菌、小児麻痺ポリオウィルス(注3)、コクゾウムシなどの貯穀害虫が小麦を食い散らかした上に糞や死骸を混じらせ、栄養価を失わせる食品汚染、その害虫を餌とするコウモリがもたらす狂犬病や結核菌、さらにはネズミが運んでくるペスト菌にレプトスピラ菌、ハンタウイルス(注3)等々。




数え上げればキリがないほどありとあらゆる病原菌が次から次へと舞い込んでくる。




そして、腐りやすくなった小麦や害虫、ネズミ、コウモリの発生を食い止める為にもっと巨費(税金)を投じて虫除けの植物を買い込み、ネズミを駆除する為に猫も飼育するようになると、今度はそのネズミを駆除してくれるはずの猫に寄生するのみやダニ、しらみがわき、そこからまた、似たような病原菌が風に乗ってあらゆる空間にまき散らされるようになる。




しかも、見た目は腐ってなさそうでも以前と比べて明らかに栄養の劣る小麦を主食として毎日、食べていれば、身体の免疫機能(毒や異物、病原菌に抵抗して排除できる機能)も徐々に失われるので当然、病気にかかる率も高くなる。




さらにその罹患率りかんりつ(病気にかかる率)は人だけでなく、同じように小麦を餌として食べて働き、人間の暮らしを支える家畜にまで及ぶ。


そうなれば、小麦以外の食糧がなくなるだけでなく、輸送に携わるラクダが倒れたら人や荷物を運ぶ手段を失い、田畑を耕す牛や馬がいなくなれば労働する量が増えて過労死する人も続出し、飢饉はもっと深刻となり、経済活動はもちろん、あらゆる国家機能そのものが全く立ち行かなくなる。





まさしく“パンデミック(伝染病の世界拡散)”(=Pandemic)とはこのことだった。




こうなると、もはやどうすることもできず、人や動物がバタバタと倒れて死に絶えていくのを黙って見つめるしかない。




伝染病がもっと拡散するのを恐れて遺体から腐った内臓を次々と取り出し、壺に密閉して遺体をナトロン(=Natron、天然ソーダのこと。この当時、ナトロンは殺虫剤、消毒液、石鹸などとしてよく使われていたが、特に水分を吸収して乾燥させる効果があることからエジプトではミイラの防腐剤として用いられることが多かった)漬けにし、さらに石膏で固めて幾重にも厳重にリネン(包帯)で巻いていく作業に追われ、それでも何としてでも生き残ろうと踏ん張っても毎日のように人や動物が倒れていき、それを見て近隣諸国からも恐れられて交易も次第に途絶えがちとなり、貧困や飢饉にあえぎ、明日をも知れぬ病におびえ、何が間違っていたのか?、何が原因なのか?とお互いあれこれ論争し合い、「お前が悪い」、「お前の責任だ」とお互いを責め合って何とかして対策を講じようと考えあぐねても、その答えは見つからない。


そのうち、そうやって原因や対策を“考えること”そのものに疲れ果てうんざりしてきた彼らは、とうとう、考えることをあきらめるようになった。




そうして、過去の失敗や挫折、成功例を丹念に調べ上げ、どれほど辛くてもあきらめず、必死に考えに考え抜いてピラミッド(食糧備蓄倉庫)を創り上げた“創造力”や“発想力”を持つヨセフとは違い、ひたすら見た目の成功やにわかに湧き出た富にばかり心奪われ、己の利得にしか関心がなく、一度たりとも自分以外の他の誰か(公共)の為に考えることのなかった彼ら神官(政治家)達にできることと言えば、結局、誰かの発想アイデアを盗んだり、真似したり、これまで自分達が祖先に教えられてきた指示や前例をそのまま踏襲するだけだった。






そんな彼らがパンデミック(伝染病の世界拡散)を収める為に造ったのが、ピラミッドのど真ん前に鎮座している、あの“ギザの大スフィンクス”(=The Great Sphinx of Giza、またはヒエログリフ(古代エジプト語)でHorホー-emレム-akhetアンクエト、「エジプト王朝の初代ファラオであるホルスの生命もしくは子孫」の意味。)だった。


(ちなみに、“スフィンクス”という言葉は、ギリシャ語で「絞めつけて殺す、圧政する」という意味で、メスライオンが獲物を絞めつけて殺して餌にする姿を想像し、彼ら神官達が造ったライオンに似た巨像になぞらえてエジプトの政治体制を皮肉った言葉である。)




要するに、彼ら神官達を統率するファラオであり、ヨセフを大神官に抜擢ばってきしたアムン王(=Amun、またはアメンともアメン・ラーとも呼ばれる。)を神としてあがめ、このファラオの顔にライオン型のかぶとかぶった姿で知られるエジプトの女神セクメト(注4)のイメージとを合体させた神像を彫って、これをまつったのである。




言い換えれば、単なる“神頼み”に過ぎなかった。




それももう、土にかえって塵と化している人間の“先祖の霊”とやらをまつり上げ、その霊に魔法の力や奇跡を起こす力が備わっていると信じ込み、この霊を呼び寄せてパンデミック(伝染病の世界拡散)を鎮めてもらおうと必死に歌を歌って奇妙な踊りを舞い、酒や供物を捧げ、“死者の書”(=The Book of the Dead)(注5)にいろいろ書かれている意味のないヘンテコな呪文をたくさん唱えて祈祷の儀式を繰り返すばかりだった。




それが彼らの考え出した唯一の、パンデミック(伝染病の世界拡散)対策だったのである。




むろん、そんなマヤカシが通用するはずもなく、ヨブが世間(世界)に向かって公害被害を訴える日まで彼らのパンデミック(伝染病の世界拡散)は容赦なく続いた。




その結果、1843年にドイツ人考古学者のカール・レプシウスに発見され、現在、ベルリンのエジプト博物館に貯蔵されている『生活に疲れた男とその魂の論争』(=The Dispute between a man and his Ba)と呼ばれるパピルスに記された通り、「生きているより死んだ方がましだ」と叫ぶ生活困窮者であふれ返り、あらゆる都市で略奪や破壊が起き、それに乗じて政権を乗っ取ろうと内戦を始める者も続出し、おびただしい数のミイラ(伝染病による死体)の上にさらなる戦争の犠牲者達の山が築かれる。





それでも、生き残った人々の生活は続くわけで、以前と変わらず女性達は結婚して妊娠し、子供を産む。




だが、劣悪となった栄養や衛生状態の下で生まれてきた子供の多くは、伝染病の母子感染(母体の血液や粘液に含まれた病原菌が胎盤や出産時の産道、もしくは母乳などを通じて胎児に感染すること)が原因で、生まれながらにしていろいろな障害を負わされることとなった。



そして、それは貧しい家の子だろうと、生命いのちすらも金で買えるとおごり高ぶり、豪語する権力者の子だろうと差別なく襲い掛かる。




だから、1922年、欧米の植民地政策の一環として文化財事業と称したエジプトの発掘調査が流行していた頃、イギリスの伯爵であるカーナヴォン卿を始め、発掘仲介役のハワード・カーター率いる発掘チーム数人がその墓を暴いた為に次々と急死し、“ファラオの呪い”(=The Curse of the pharaohs)と現代まで面白おかしく騒がれてきた“ツタンカーメン王”(=Tutankhamun、長いので欧米ではKing Tutと略される。)は、既に幼少期から遺伝性の貧血病である鎌状赤血球貧血症かまじょうせっけっきゅうひんけつしょう(マラリアに対する強い免疫を持つと血液が鎌のような形に変形して壊れやすくなり、貧血や内臓機能障害を起こす病気)を患っていたようで、その他にもケーラー病(血液の循環が悪くて足のかかとや足首の骨がつぶれてしまった為、痛みで歩きにくくなる子供の病気)や、ATR-X症候群(X染色体に異常な遺伝子ができたことで身体機能や知的精神に遅滞が起きる障害)、口唇口蓋裂こうしんこうがいれつ(生まれつき唇や口の周りが裂けていて口と鼻がつながってしまう障害)といった様々な先天性の病気や障害を持っていたことが近年、エジプトと欧米各国の医療研究チームによるDNA(デオキリシリボ核酸から得られる遺伝子情報)検査やCTスキャン(コンピュータによる断層撮影)から明らかとなっている。




また、ツタンカーメン王の親族と思われる他のミイラも彼と似たような病歴があるようで、彼の子供と見られる2体の胎児は遺伝的な障害を持っていたため早世し、ツタンカーメンを含めた4体のミイラからはマラリア(マラリア原虫を持つ蚊に刺されることで感染する病気)(注6)の病原となる微生物が見つかっている。



実際、ツタンカーメン王の死因もどうやら彼の遺伝的なマラリア抗体を上回るほど強力なマラリアに感染した為だったらしく、彼の墓を暴いたカーナヴォン卿も墓の中にいた蚊に噛まれてからわずか4か月後に急死し、彼のミイラをX線検査した技師も1年後に変死、発掘を手伝ったハワード・カーターとジェームズ・ブレステッドという考古学者も急死ではないが、いずれも伝染病による病気で死亡している。




つまり、巷でよく耳にする、エジプトの元考古最高評議会(=Supreme Council of Antiquities)会長だったザヒ・ハワス氏の言葉を借りるなら、「ファラオの眠りを妨ぐる者、この墓の封印を解く者は、どの医術でもってしても治せない病により死の床につくだろう」との王家の墓に刻まれた呪いの碑文(ツタンカーメン王の墓にはなかったらしいが・・・)の通り、彼らは古代の人々がこれ以上、誰も感染しないようにと碑文を書いて警告を与え、厳重にミイラ(伝染病患者の死体)を封印して埋葬していたにも関わらず、考えもなしにその警告を無視して墓を暴いてしまった為に本当に“呪われた病”によって憑り殺されてしまったのだった。





しかも、彼らエジプト発掘調査グループがやったことはそれだけではなかった。


なんと墓に収められていた骨董品や金銀財宝だけでなく、ミイラ(伝染病による死体)も一緒に自分達の国へ輸送してしまったのである。





(注1)

貯穀害虫(=Pest)とは、貯蔵している乾燥食品や穀物に寄生して汚染する害虫のことで、主に米、小麦、大麦、そば、パスタなどの麺類、味噌、チーズ、砂糖などにも寄生する。

現在、100種類以上が確認されており、そのうち20種類が日本では特に害虫として注意が促されているものである。

中でもコクゾウムシは別名「米食い虫」と呼ばれ、縄文時代から既に存在していた害虫で、口から触手を出して穀物の粒を破り、その中に卵を産み付け、卵が孵化ふかするとその穀物を食い荒らして汚染する。メス一匹だけで年に3~4回出産して200個以上の卵を産み付けるため、出荷や貯蔵の段階で完全に取り除くことは不可能であり、また、コクゾウムシ自体、小さすぎて見えにくく、よほどたくさんかないと見つけづらい。

ただし、食べても中毒症状を起こす訳ではなく、危険はないが、栄養素が奪われた食品を食べることになるため、食品価値は著しく劣るものとなり、免疫力の低下につながるので注意が必要である。

また、コクゾウムシの他に小麦やパン粉にたかりやすいとされるコナダニは、人間を噛むツメダニの餌でもあるため、他のダニを呼び寄せることになり、ダニアレルギーを起こす原因になることもある。


しかし、こうした貯穀害虫のほとんどは23℃以上の湿気の多い場所では活発に動き回るが、逆に15℃~18℃以下の低温の環境下では活動を停止して徐々に死滅するため、お米などを貯蔵する場合は冷蔵庫や冷たい場所で保管することをお勧めする。また、光を嫌う傾向もあるようなので貯蔵の前に一度、新聞紙に広げて日干しするか(ただし、お米は長時間、直射日光に当てると栄養が失われるので注意が必要。)、明るい場所にさらしてから清潔な貯蔵容器に入れて保管するとさらに良いようである。

ただし、上述した害虫に対する忌避方法はあくまで最低限の基本知識でしかなく、害虫とされる虫達も“生きている以上”、生存欲もあり、反撃しようとする意志もあるので、私達、人間が“完璧に”害虫を駆除できる方法などどこにも存在しないことを一言、付け加えておく。


(注2)

赤カビ病と黒穂病くろぼびょうについては第100話『智慧 (1)』(注2)でも触れたように、主に米や小麦、トウモロコシなどの稲や穂につく植物のカビ菌である。


ただし、黒穂病くろぼびょうの中でもメキシコでトルティーヤ(小麦やトウモロコシの粉で作った薄いパン生地)の具として挟まれる、“ウィートラコッシュ”(=Huitlacoche、メキシコの最大民族であるナワ族や先住民のアステカ族によって話されるナワトル語で「眠りのコブ」という意味。英語ではCorn smut)と呼ばれるコブの形に似たとうもろこしのトリュフは、食べられるカビ菌で、中毒どころか、むしろ通常のトウモロコシよりもプロテインや必須アミノ酸のリシンの量が多く、栄養価が高くて高値で取引されるメキシコを代表する珍味である。

この食用のカビ菌については後ほど、本作品でお話ししようと思う。

なお、ウィートラコッシュという表記はナワトル語を母語としていた中世のアステカ帝国の首都の名前が元々はテノ“シュ”ティトラン(=Tenochtitlan)と呼ばれていた為で、これに倣って本作品ではウィートラコッ“シュ”と表記させていただいているが、現代のメキシコでは中世から占領されてきたスペイン語の影響を強く受けているため、現地でもウィートラコッ“チェ”と発音するようになっている。そのため、アステカ帝国の首都もテノチティトランと発音するメキシコ人が最近では多い。


(注3)

サルモネラ菌(=Salmonella)とは、2,500種類以上あるとされるサルモネラ属菌(細菌を型別に分けた場合の家族のようなもの)の中で約1500種以上がサルモネラ・エンテリカ菌(=Salmonella enterica)とされ、主にチフス菌、パラチフス菌、食中毒性サルモネラ菌、豚コレラ菌、ネズミチフス菌などと呼ばれているのはこのサルモネラ・エンテリカ菌から派生した菌で、それ以外はサルモネラ・ボンゴリ菌(=Salmonella bongori)に大別される。


感染経路としては、主に食品などを通じて感染する“経口感染”と言われ、感染して半日~2日程度の潜伏期間を経て下痢、嘔吐、腹痛、発熱などの症状を発症し、ほとんどの成人は数日後には自然回復する。

ただし、免疫力が低下しがちな老人や子供、持病のある人などは重篤化することもあり、これも麻疹はしか風疹ふうしんに似た(第97話『不浄 (1)』(注1)参照)弱者を標的にした伝染病である。

というのも、サルモネラ菌やチフス菌などを最初に発見したとされるドイツの細菌学者で生理学者のカール・エーベルスやそれらの菌の“培養”に成功した同じドイツの細菌学者のゲオルク・ガフキー、そして彼らの上司であるスイスの生理学者のアルベルト・フォン・ケリカーや「細菌学の父」とも呼ばれるドイツの細菌学者のロベルト・コッホ、さらにはそのコッホに弟子入りして「日本の細菌学の父」とされている北里柴三郎も全員、治療を目的にこれらの細菌を研究していた訳ではなく、あくまで生物兵器に使用できるよう軍備(戦争)を目的に研究していたからである。

その為、毒性のある細菌を分離し、それをわざわざ“培養して増やし”、さらに以前よりも殺菌に耐えうるような新たな細菌を作り出しては巷にばら撒き、人体実験を度々、行って集団感染を起こしている。


実際、満蒙開拓団まんもうかいたくだん(昭和恐慌や東北飢饉で貧窮した農民達を持て余した日本政府が移民として中国東北部やモンゴルに送り込んだ日本人移民のこと。)を先頭にして中国侵略を狙う日本軍と縄張り争いに参戦してきたソ連(旧ロシア)が日ソ国境紛争を起こした1939年、神戸市内の小学校で饅頭まんじゅうが配られて12人がチフス菌に感染し、うち1人が死亡したというチフス饅頭まんじゅう事件が発生しているが、この時の犯人である女医は“細菌研究所”に出入りし、そこからチフス菌を入手したと証言している。

さらに、事件の裁判も国家を揺るがすようなテロリスム(無差別攻撃)事件であり、一人の罪もない一般市民が殺害されているにも関わらず、チフス菌感染による死亡率は低く、殺意はなかったとし、さらに失恋の恨みからつい犯行に及んでしまった可哀想な犯罪者とするマスメディア(大衆情報紙)の詭弁じみた印象操作によって、被疑者に対する世間の同情票を集めて無期懲役の求刑が何とたった3年の実刑判決で済まされるという人一人の生命を踏みにじった事件が起きている。

それもこれも、元から“細菌研究所”という名目の生物兵器開発研究所がなければ事件も何も起きなかった訳で、さらに事件後もなぜそうまでして犯人をかばう必要があったのかと言えば、元から人体実験の為に饅頭まんじゅうを配ることが目的であり、恨みによる犯行ではなく、犯人の女医は国家戦略の一環として軍事の為に働いていたスパイ(諜報員)だったからである。


そもそも、サルモネラ菌のような細菌の存在はヨブが「天災ではなく、軍拡による人災だ。」と世間(世界)の人々に訴えたことで古代から広く知れ渡っており、だからこそヨブから後のモーゼの時代には“イースト菌(酵母菌)”を入れないパンを焼いたり、不浄とされる食品や飲み物についての戒律ルールができる訳で、日本でも日本酒に“火入れ”(醸造したお酒を加熱して殺菌すること)を行うのは室町時代には既に常識だったらしく、加熱消毒(殺菌)してから飲食するという知識とはまさに細菌学の知識であり、そうやって取り除いてきた細菌をわざわざ培養して増やす必要もないのに19世紀以降、こうした疑似科学がはびこるようになっていく。

それもこれも軍備拡張の為であり、また、こうした集団感染が報道されることでそれらの伝染病を予防したり、治療する為の医薬品や医療関連の商品が宣伝販売されるようになり、国家(政府)からご贔屓されている“一部の”民間企業などが儲かるようにもなっている。


赤痢菌については第97話『不浄 (1)』(注1)でも触れたが、“人と猿のみに寄生する細菌”で、1898年に朝鮮総督府の医院長だった志賀しが きよしによって発見されたことから学術名もShigellaシゲーラと名付けられている。

志賀 潔はハンセン病患者のような障害者の妊娠出産を認めない優生思想の持ち主であり、そうした優生思想に基づく人体実験はこれまでの歴史上、数多くなされてきており、その最たる悪名高い例はドイツのナチス党による民族浄化政策である。

優生思想についても後ほど、本作品で触れる予定である。


ペスト菌(=Yersinia pestis)も、1894年にフランス政府が後押しするルイ・パスツール研究所の香港出張所にいたスイス人細菌学者のアレクサンドル・イェルサンと日本の北里柴三郎が発見したとされているが、BC3000年頃から既にペスト菌は存在しており、ネズミののみを通じて発生する細菌であることはヨブが公害を訴えてからエジプトで書かれたBC16世紀のエーベルス・パピルスでネズミを駆除するようにとの注意書きがあるように(第99話『人災 』参照)、既に古代から病原菌の存在は知れ渡っており、これまでの歴史において度々、パンデミック(伝染病の世界拡散)が起こってきたのも、実はその知識を悪用し、生物兵器として使用してきた経緯があるからである。

例えば、1347年~1351年に中央アジアからヨーロッパまでペスト菌が人の手で拡散されて起きたのが“黒死病”(=Black Death)である。

この時、13世紀のモンゴル(元)民族による侵略戦争によって農業や貿易などの世界経済が大打撃を受け、ようやく立ち直りかけた頃に中国からまた、ネズミののみ(ペスト菌)がばら撒かれるという最悪の事態に陥った。

しかし、そうした生物兵器を拡散してしまうと味方の兵士も罹患させることになり、結局、その所為せいでモンゴル(元)の兵士を含めた世界(地球)の人口を約1億人も減らす結果となった。


なお、エーベルス・パピルスにはネズミがもたらす病原菌から身を守る方法について既に書かれているが、治療を目的に研究してこなかった所為か、現代ですらペスト菌に対する治療法はまだ、確立されていないようである。



小児麻痺ポリオウィルス(=Poliovirus、または急性灰白髄炎きゅうせいかいはくずいえん)も“人にのみ寄生するウィルス”となっており、1908年にオーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ人病理学者だったカール・ラントシュタイナーが分離に成功したもので、以来、現在に至るまで生理学や遺伝子工学などでも“よく研究されている”ウィルスの一つである。

しかし、そもそも小児麻痺ポリオウィルスは人の糞便が他の人の口へと運ばれて移る糞口ふんこう感染とされており、よほどの理由がない限り、わざわざ他人の糞便を口に入れようとする人などいるはずもなく、さらに“正常な免疫を持つ人”ならたとえ感染してもほぼ9割以上の人が発症することはない。

わずか5%~10%の人達が発熱や頭痛、のどの痛み、嘔吐といった風邪に似た症状を起こし、重篤になると下半身の麻痺や痛みなどが起きるかなり稀な伝染病である。


ならば、小児麻痺ポリオウィルスを発症させないような“正常な免疫”を持たせるような治療を行えばいいものを、あえて弱毒化した小児麻痺ポリオウィルスを“ワクチン(予防接種)”という名に変え、自分達で“先進諸国”と呼んでいる欧米諸国を始めとした国々が常々、植民地にしてきたパキスタンやナイジェリア、アフガニスタンなどの“発展途上国”と呼ばれる土地に住む、まだ言葉もたどたどしい無知で無邪気な子供達に接種させ、そのワクチンからもたらされる小児麻痺ポリオウィルスで下半身を麻痺させたり、場合によっては呼吸器系を麻痺させて呼吸困難に陥らせ、死亡させている。

それでもまだ、「ワクチン開発に資金が必要だ」と大々的にマスメディアやネットを通じて宣伝して寄付を募り、罪のない子供達に自分達が軍事(戦争)目的で開発したワクチンとやらを打ち続けようとする。

だから、「清潔な水やトイレ、衛生施設が足りないから伝染病が発展途上国で流行するんだ」とおっしゃる皆さんにこう言いたい。

だったら、ワクチンよりも水道やトイレを造ってあげたらいいじゃないですか?と。



狂犬病(=Rabies)も、犬やコウモリなどの歯のある哺乳動物によって噛まれたことから発症するウィルス性疾患とされているが、現代ではそう言って事前にペットにワクチンを接種させている。

ほとんどの国では犬からの感染が最も多いのに対し、アメリカではなぜかコウモリが最も多い感染源となっており、むしろ犬からの方がまれという不思議な現象が起きている。

感染すると、風邪に似た症状から発症して不安、興奮、錯乱、水を怖がるなどの精神異常をきたし、一週間前後で脳神経を始めとした全身麻痺が起きて呼吸困難で死亡する。

感染した国は150か国以上に上り、死亡例の95%以上がアジアとアフリカで起きていて、そのうちの約40%の死者が腕力もなければ抵抗もできない15歳以下の子供達である。

そして日本とオーストラリア、欧米諸国に住む犬達には狂犬病は存在しないとアメリカの疾病予防管理センター(=The Centers for Disease Control and Prevention、略してCDC)はそう断言しているようである。



結核菌(=tuberculosis)も、空気感染するとは言え、基本、“大気汚染がなく、人の免疫に問題が無ければまず、かからない”伝染病で、そうした都市環境造りを心懸けておけば、毎年、予防接種を受ける必要もないはずなのだが、1890年にドイツの細菌学者ロベルト・コッホが“ツベルクリン”(=Tuberculin、結核菌からグリセリンの成分を抽出して作ったワクチン)を開発して以来、欧米諸国を中心に多くの国家(政府)で推奨され、予防接種と称した人体実験が繰り広げられるようになった。

当時、世界中で膨大な数の人々が結核に罹患し、死亡していったにも関わらず、イギリスの女医と称するヒルダ・クラークが薬局を開いてツベルクリンを推奨し、婦人参政権活動への資金源と個人的な支持を獲得する為にその治癒効果を偽った発表を行った。

その結果、人道活動家として名の通った彼女の発表とその他のマスメディアの宣伝効果もあってか、ツベルクリンは様々な国(政府)で採用されたが、治療どころか逆に結核菌を拡散させる結果となり、元々、感染していた結核患者まで余計に苦しむことになったが、その結果についてはうやむやにされ続け、しかも、天然痘その他の予防接種を受けた人がツベルクリンのような新たな予防接種を受けると重篤なアレルギーを起こすということをオーストリアの小児医師だったクレメンス・ピルケが発見し、これを発表してアメリカのジョン・ホプキンス大学の教授にまで出世したが、軍事上、都合が悪かったのかそれとも機密を知りすぎたのか、1929年にクレメンスは妻と共に青酸カリを飲んで自殺したことになっている。

その後、ツベルクリンは治療目的ではなく、このアレルギーテスト(と言ってどのくらい結核菌に耐性があるのかを計測する)の為に採用されるようになり、1967年から日本では“ツベルクリン反応検査”と称して乳幼児や小中学生に強制的に接種させ、その後、また牛の結核菌を素に作られたBCGワクチンなる別の予防接種を受けさせられるようになった。腕にハンコ型の注射痕が残っている人達は知らずに子供の頃、ツベルクリンとBCGの両方、もしくはBCGの予防接種を受けさせられて人体実験を強要された人達である。

なお、2005年からツベルクリン反応検査はなくなったようだが、BCGワクチンの方は今も乳幼児の頃から予防接種を受けるよう強要され続けている。


レプトスピラ菌(=Leptospirosis)は、主にネズミに寄生する細菌で、熱帯湿潤の環境でないと生息できないらしく、中南米や東南アジア、タイなどの地域でよく流行しているようである。日本では特に米軍基地のある沖縄県国頭村くにがみそんに被害が集中しており、2014年の8~9月に67人の兵士が感染し、同年11月までに90人が発症、2016年にも同村の川遊びに来ていた小中学生を含む一般市民が11人も発熱や筋肉痛、結膜充血などの症状を起こす集団感染が起きている。

ネズミの糞や排尿から水や土壌を通じて人や牛、豚、犬といった家畜に伝染し、人から人への伝染はなく、重症化すると黄疸、出血、腎臓障害、血便などを伴い、死に至ることもある。

なお、10分間、50℃以上の加熱処理をすれば殺菌できる菌らしいが、沖縄県の米軍基地や軍関連施設周辺では絶対に生水を飲まないことをお勧めする。


ハンタウイルス(=Hantavirus)も、1976年に韓国高麗大学校に所属する李鎬汪リ ホワンを筆頭にした細菌学者達が汚染のひどい川に生息するドブネズミからわざわざ毒性のあるウィルスを分離して、ハンタウィルスと名付け、これを素にしたワクチンを1990年に開発して売り出すようになったが、分離するまでに学者達自身が相当、感染して発症しているようで、日本でも韓国に続けとばかりに1982年に国立感染症研究所と北海道大学獣医学部が実験用ラットから分離に成功したが、1984年まで続いた実験において研究者達がやはり大勢、被害に遭っていて、死亡例も起きたことから生物兵器としては断念したようである。

それでも1960年~70年の10年間に渡って既に人体実験は行っていたらしく、大阪梅田の繁華街などは当時、衛生環境がすこぶる悪かったせいかドブネズミを放って何度も実験を行い、119人が発症して、うち2人が死亡している。

その後、韓国と中国では依然、被害は続いているようで中国では年間約10万人、韓国では年間数百人、ヨーロッパやロシアでも数千ほどの感染件数が報告されている。

しかし、ドブネズミがいない限り(コウモリや他の動物を使っている国もあるようだが・・・)、感染するはずはないので、“各国政府が生物兵器の使用を止め、国民の居住する衛生環境に気を配ってさえすれば”何ら恐れることのない伝染病と言える。



(注4)

セクメト(=Sekhmet)とは、エジプトの女神と言われているが、実際はエジプトを武力(暴力)で制圧して封建制度(軍事政権)を確立させた戦争好きの王女のことである。

その為、彼女の名前のセクメトとはセクヘム(=Sekhem、古代エジプト語で「獰猛どうもうまたは武力を持つ者」という意味)にちなんだもので、その他にも「その悪意でもって人を震え上がらせる者」や「恐怖の女支配者」、「殺戮の貴婦人」とも呼ばれている。


元々、ライオンの狩猟で生計を立てていた女性らしく、そんな彼女のお気に入りの格好コスプレがライオンのかぶとをかぶることで、その銅像も全てライオンの頭をかぶったままの姿となっている。

三度の飯より人を殺すのが好きな娘セクメトを使ってエジプト領土を武力制圧できた父王ラーだったが、セクメトの残虐な殺戮がかえって占領民達からの猛反発を招き、その上、娘の行き過ぎた行動も抑えられなくなった。

そこで、妻のハトホルをセクメトの元に送り、“人としての品位”を教え諭そうとしたようだが、元々、粗暴で獰猛な彼女を言葉で説得するなど無理だったらしく、とりあえず酒を飲ませて酒なしでは生きられないような身体にし、ようやく凶暴な彼女を抑えられるようになった。

それでも、一度でも王女という高い身分や地位についた人となると、世間の人々の間では自分達の生命を散々、脅かしてきた彼女の殺戮行為や残虐性すら美化できてしまうらしく、彼女の軍事手腕の数々が伝説化されてしまい、特に生物兵器を用いて伝染病を拡散させる技術にかなり長けていたことから、古代エジプト人達の間では伝染病を広めている女神ではなく、なぜか伝染病を“鎮圧できる(?)”女神と誤解されてあがめられていたようである。



(注5)

“死者の書”(=The Book of the Dead)とは、古代エジプトにおける葬式で使われる呪文が書かれた書物のことで、日本で葬式の際によく行われる仏教のお経のようなものである。

書物として編纂されたのはBC16世紀ぐらいからだが、BC3000年頃には既に存在していたらしく、墓碑や腐敗した内臓などを入れた骨壺にも記されているようである。

ほとんどは前述のセクメト王女の父ラー神を主神にした信仰で、先祖霊による奇跡や魔法を信じていたようである。

その死者の書の中の一つで、1888年にイギリス人の考古学者アーネスト・バッジによってエジプト政府の保管庫から盗まれたとされ、現在も大英博物館にあるBC1250年頃作成の『書記アニのパピルス』(=The Papyrus of Ani)にはこんな面白い事が書かれている。

「おお、私の心よ、生まれし時から私の身体に宿る心よ。裁きの日に私という人間に異議を申し立てる者などいないように。私の体内におわす神様、私を創り、私の身体をいつも力強く生かしてくださる神様、あなたが私に幸福を授けてくださいますように!私、書記のアニは裁きの日に神様に申し上げます。私は不実な事を口にしたことはなく、偽りの心でもって行動したことなど一度もございません。私こと、ファラオの書記であるアニは、神を愛し、神に捧げる言葉は常に真実であります。」


(注6)

マラリア(=Malaria)は、蚊に寄生しているマラリア原虫が蚊に噛まれた時に人に移って感染する病気で、これまでは熱帯性マラリア原虫、三日熱マラリア原虫、四日熱マラリア原虫、卵形マラリア原虫の4種類だったのが、これにサルマラリア原虫が加わり、5種類に増えた。

1880年にフランスの軍医だったシャルル・ラベランがマラリア患者の死体を使った培養に成功し、以後、種類が追加されたようで、ヨセフの頃の古代エジプトだと熱帯性マラリア原虫が最も脅威とされており、BC4世紀頃に活躍した古代ギリシャの医師ヒポクラテスは症例及び気候や環境別にマラリアの種類を分けたため、低湿地帯で春から夏にかけて発生し、三日(48時間)毎に発熱を繰り返して比較的、軽症で済むものを三日熱マラリア原虫、稀ではあるが、秋から冬にかけてどこにでも発生して四日(72時間)毎に発熱を繰り返し、軽症でも慢性的にマラリアに感染させやすくするのが四日熱マラリア原虫とした。

なので、シャルル・ラべランが培養するまではこの3種類のマラリア原虫しか地球上には存在しなかったはずなのだが、熱帯性マラリアと四日熱マラリアが合併することに気づき、1914年にイギリス人軍医のジョン・スティーブンスによってイギリスの植民地のインドで三日熱マラリアと熱帯性マラリアを混合して作り出されたのが卵形マラリア原虫である。

さらに1927年にイギリス人熱病理学者であるライオネル・ネイピアーと共にイタリア人の病理学者でルイ・パスツール研究所長でもあったジュゼッペ・フランチーニが3頭の猿に卵形マラリア原虫と四日熱マラリア原虫などを混ぜ合わせて接種させ、作り出されたのがサルマラリア原虫である。


現在、この新たに加わったサルマラリア原虫がタイやマレーシアで流行しているらしく、これまでのマラリア原虫よりも急激に増殖して重篤になりやすいとされている。

一方、現在までにマラリアの感染者は年間2億人に上り、うち43万人以上が死亡していて、マラリアが発症されやすいとされるアフリカや南米、東南アジアといった赤道周辺諸国に住む人達にとってはマラリア原虫の種類が新たに発見されるよりも早く治療法や予防法を確立してもらいたいだろうが、相変わらずワクチンや副作用の強い薬品を買わせることに終始していて、古代からのマラリア原虫も含めて治療法や予防法は何ら進展していない。


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