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第十話 師弟(4)

この男、一体、何者なんだ?

どうして、無花果いちじくのことが分かったんだろう?


確かに、イエスが指摘した通り、ナサニエルがえてして無花果いちじくの木の下に座りたがるのにはわけがあった。

と言うのも、ナサニエルにとって無花果の木はまさしく、彼の希望を表す“ 象徴シンボル ”だったからである。



ナサニエルがヨハネに弟子入りしたのは、単に純粋な向学心からだったが、そこで彼が律法書や宗教教義以上に学んだ事は、悲惨としか言いようのない現実社会だった。


折りしもユダヤは不況の嵐が吹き荒れ、都市開発や地中海交易で都市が華やかに栄え続ける一方、ユダヤの国全体は確実に経済格差が拡がっていた。

それまでは普通に生活できていた人々が物乞いやかっぱらい、時には遊女にまで成り下がっていくこともあった。

親がわざわざ年端も行かない子供に物乞いをさせて暮らしていたり、盲人や悪霊つきを装って人から金品や食べ物などを分けてもらうやからまで出没していた。

誰もが生きる為に必死で、秩序など何もなかった。


そこで、そういった人々を改心させ、立ち直らせる為にヨハネはいつも町々をり歩いていたのである。


ナサニエルはそんなヨハネを心から慕い、人々の為に働く彼の後姿を眺めながら、こういった悲惨な現状がなんとかならないものか、といつも心悩ましていた。

実は、ナサニエルはとうの昔に自分の両親を亡くしており、心の底では常に寂しさを抱えて生きてきた男だった。

だから、今のユダヤの悲惨な現状とそれに苦しんでいる人々の気持ちを思うと、決して他人事には思えなかったのである。



そんな彼が日頃、心に刻んでいたのは預言者ゼカリヤの言葉だった。


それは、エジプトから人々を亡命させてユダヤの地に導いた預言者モーゼの亡き後、新たに人々の指導者となった“ ヨシュア ”(ヘブライ語で「神によって救われた人」の意。ギリシャ語ではイエスースと呼び、そこから日本語では“ イエス ”と発音するようになった)という男にもたらされた“ 神 ”の言葉だった。


― 聞け、高僧ヨシュアよ、そしてお前と共にいる者達よ。

  お前達は来るべきあらゆる出来事の象徴シンボルとなる。

  そして、わたしはわたしの召使である、砂漠に唯一つ生きる“ 沙棗さそうの枝 ”

 (別名;ロシアンオリーブ。オリーブの枝は「平和」の象徴)を連れてこよう。

  見よ! ヨシュア、わたしはお前の前にその小石のように名もなき小さな者(神の召使)を置く。

  その小石にはすべての出来事をあらゆるところから見る目がある。

  だから、わたしはその小石の心にわたしの言葉を刻んでやろう。

  そして、その時、わたしはこの世のすべての罪をたった一日で取りのぞいてやる。

  その時がくれば、お前達はそれぞれ自分の隣人を招いて

  ブドウや無花果いちじくの木の下に座り、お互いの幸せを喜ぶがごとくつどい合うことだろう

                                  (ゼカリヤ3章10節)


そうして、ナサニエルは、いつの日か神がその召使を連れてきてこのユダヤの地に広がった最悪の状況を何とかしてくれないものかと、自分の無力さをかみ締めながらいつも神に祈っていた。

だから、そんなナサニエルにとって無花果の木とは、その神の言葉、つまり“ 彼の心の中にある希望を表わしてくれる特別な物 ”(=象徴)だったのである。


そのため、ナサニエルはいつも好んで無花果の木の下に座った。

辛い時も、苦しい時も、無花果の木の下に座っていると自然と心が癒され、いつもの楽観的で明るい自分に戻れるような気がした。

だが、それは自分だけの秘めやかな場所であり、これまで誰にもその事を話したことはなかったので、まさかさっき出会ったばかりの男にその胸の内を見透かされるとはナサニエルは思ってもみなかった。



一体、この男、何者なんだ?



ナサニエルは、唖然あぜんとしてイエスの顔を凝視ぎょうしするしかなかった。



なぜ、この男はあのゼカリヤの句に気づいたんだろう?



「なぁ、ナサニエル、一緒にガリレーに行こう!

ゼブランとナフタリの土地へっ!」

その時、フィリポはナサニエルの動揺に気づかず、再びナサニエルの腕を強く引っ張った。

そこで、ナサニエルは我に帰り、イエスからフィリポの方へと目を向けた。


ゼブランとナフタリの土地?


ナサニエルはその言葉を聞いて、はっとしたように再びイエスを振り返った。

その彼を見て、イエスは会心えしんしたようにまた、ニッと笑った。



ああ、そうか。これは運命だ。

確かに俺は今、人生の岐路きろに立っている。

運命が今、どちらかを選べと俺にそうささやいているのだ。


そう思った瞬間、ナサニエルは意を決したようにイエスの前に立った。


「ラビ、あなたは確かにあのゼブランとナフタリの地に生まれるであろう神の子、そしてイスラエル人達を救う王(指導者)であるとわたしは信じましょう。

だから、私はあなたについて行きます」

ナサニエルはイエスのすずやかな目をじっと見つめて、彼の決心を告げた。

イエスもまた、さっきまでのにこやかな表情と打って変わって、ナサニエルと同じく真剣な表情になった。

「あなたはわたしが言ったことを信じますか? 

だったら、これからもっとすごい出来事の数々をあなたは見ることになるでしょう。

真実を言うなら、今から神の国の(言葉の)門が開かれ、そこから神によって遣われた者達(の言葉)が人の子の心と頭の上を行ったり、来たりするのがあなた達にもはっきり分かることでしょう」

イエスは静かにそう言った。

だが、ナサニエルにもフィリポにも、イエスが言った“ 言葉の意味 ”はまだその時、よく分からなかった。


ただ、自分達のそばを吹き抜けていった風がなぜかいつもより強いことを何となく不思議に感じていただけだった。



こうして、アンデレ、ペトロ(シモン)、ナサニエル、フィリポといったヨハネの弟子達がイエスの弟子となり、彼についてクファノウムに行くことになった。

彼らの他にも彼らと仲の良かった何人かが声をかけられて新たに加わり、結局、残されたヨハネの弟子達のほとんどがイエスの元に来ることになった。

そこで、イエスはその弟子達と共に一旦いったん、故郷であるナザレへと戻り、家に残してきた自分の家族も一緒にクファノウムへ連れて行くことにした。


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