あなたといると疲れる
鉱山候補地に、鶴嘴の音が響いていた。
元盗賊十三人が岩を砕いている。投降してから五日。逃げる気配はない。ここで働けば飯が出る。それだけで十分な動機だった。
リーゼロッテが露頭に張りつき、砕かれた岩の断面を覗き込んでいる。指で鉱石の粒を潰し、舌で舐め、吐き出した。
「前に見た通り粒が細かい。掘り進めても質は落ちていない。精錬の手間が半分で済む」
「半分か」
「鉄の質もいい。刃物に向く。農具にも」
前掛けの紐が肩からずれた。汗で張りついた麻の下に、鎖骨から胸の膨らみにかけての線がはっきり出ている。視線が落ちる。
喉が渇いた。
今じゃない。
「採掘が軌道に乗るまでどのくらいかかる」
「坑道の形次第だ。三ヶ月。ただし人手が足りない。十三人じゃ遅い」
「まず十三人で始める。鉄が出れば、人は集まる」
リーゼロッテは頷いた。鍛冶師の目が、もう次の鉱石に移っている。
その足で館に戻り、オットーを書斎に呼んだ。
「帳簿を出せ。全部だ」
オットーが羊皮紙の束を抱えてきた。声に力が戻り始めている。五日前の沈黙は消えかけていたが、目が合うと一瞬だけ逸れる。
「ユリウス様。以前おっしゃっていた記帳の仕組みですが」
「今から教える。一つの取引を、必ず二箇所に分けて記す。入った金を左に、出た金を右に。片方だけでは帳簿を閉じられない仕組みだ」
オットーの眼鏡の奥が光った。羽根ペンを掴み、早口が戻りかける。
「つまり、どの取引にも対になる記録が残る。どこかで数字がずれたら、対が崩れるから即座に気づく」
「そういうことだ」
「これは......すごい。五年分の帳簿を全部組み直せば、どこで金が消えているか一目でわかる」
オットーの声が跳ねていた。だが一通り書き終えると、羽根ペンの先が止まった。五日前の沈黙が、ほんの一瞬だけ顔を覗かせる。すぐに眼鏡を押し上げ、次の帳簿に手を伸ばした。
◇
夜。書斎の蝋燭が揺れている。
鉱山開発の費用を試算していた。坑道の整備、道具の購入、元盗賊たちへの食糧。蓄えの四分の一を注ぎ込むことになる。
だが、待てない。鉄が出れば歳入が変わる。賭ける価値はある。
問題は、どこから捻出するかだ。
答えは一つしかなかった。軍事費だ。巡回の頻度を落とす。それだけで金貨60は浮く。
羽根ペンを置いた。軍事費を削る。つまり、国境が薄くなる。
翌朝、ヘルムートに伝えた。
「巡回を半分に落とす。三ヶ月だけだ」
ヘルムートは何も言わなかった。膝を叩きもしなかった。眉間の皺が深くなっただけだ。
二週間後、ヘルムートが書斎に来た。
「巡回の兵が一人、やられた。帝国の斥候に。まだ髭も揃わん小僧だった」
それだけ言って、出ていった。
名前を聞こうとして、やめた。聞いたところで、巡回の頻度は戻せない。鉱山に金を回さなければ、この領地は二年で沈む。
二度目だ。俺の判断で、人が死んだ。
蝋燭の炎が揺れた。窓の外は闇だった。
モテるには金と名声がいる。まずは金だ。鉄を掘って、売って、歳入を増やす。単純な話だ。
前の世界でも、同じことを考えていた。金を稼いで、名前を売って、そうすれば女が振り向く。実際、稼いだ。名前も売れた。
で、どうなった?
あなたといると疲れる。
笑顔で言われた。嫌味じゃなかった。心の底から疲れたという顔だった。
笑えるだろ。
蝋燭が一本、燃え尽きていた。
◇
翌朝、オットーが書状を持ってきた。封蝋にエルヴィン伯爵家の紋章が押してある。
「ユリウス様。エルヴィン伯爵家からです」
書状を開いた。流麗な筆跡で、婚姻の申し入れが記されている。
娘を嫁がせたい、と。
「オットー。エルヴィン家について知っていることを」
オットーの早口が走る。
「中央の名門です。ただし、ここ数年で急速に勢力を落としました。先代の政争が尾を引いて」
「王都での発言力は」
「ほぼありません。資産はまだある。ただし組める相手がいない」
「没落中の名門が、なぜ辺境に婚姻を持ちかける」
「わかりません。格としては、失礼ですが、釣り合いません」
釣り合わない。それは俺も思った。向こうにとって、うちと組む利点が見えない。
目の奥が熱くなる。利得の目が反応している。だが、書状の向こうに人はいない。読めるはずもなかった。
政略結婚。
つまり、美人の嫁が来る?
いや、待て。こんな条件で飛びつくほど馬鹿じゃない。没落中の家が辺境に娘を出す。裏がないはずがない。
だが口角が上がるのは止められなかった。
「返事を出す。前向きに検討したいと伝えろ。ただし、先に相手の情報を集める」
「承知しました」
オットーが出ていった後、もう一度書状を読み返した。
エルヴィン伯爵家。没落中。だが資産はある。娘がいる。
下心と計算が、同時に走っている。どちらが先かは自分でもわからない。
どんな女が来る。




