表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/38

第九章 乳母の使命

 夏の陽が真上に差し、ヴェローナの石畳を白く照らしていた。

 人々が市場に集まり、野菜や葡萄酒を売り買いする喧噪の中、ひとりの老女が汗を拭いながら進んでいた。


 キャピュレット家の乳母──マルタである。

 彼女は心の中で何度も愚痴を零しながらも、足を止めることなく歩いた。


「まったく……お嬢様も無茶をなさる。こんな老骨に秘密の使いなど……」


 その声を遮るように、柔らかな声が響いた。


「マルタ殿、お探しは僕ですか?」


 ロミオが人混みから姿を現した。

 汗ばむ陽射しの中でも、その顔は輝いて見えた。

 覚悟を決めた男の瞳は、以前のように頼りないものではなかった。


「まあ! 本当にいらっしゃった……」

 マルタは胸に手を当て、安堵の息を漏らした。

「見つけられなければ、わたしはお嬢様に顔向けできませんでしたよ」


「ジュリエットからの使い、ですね」


「そうですとも。あの子は、すっかり貴方に心を奪われてしまって……。ですが、事は急を要します。パリス様との婚約が進められているのです」


 ロミオの胸に冷たいものが走った。

 ──パリス。

 彼はかつてロザラインを奪った相手。

 その婚約が成立すれば、ジュリエットもまた彼に縛られる。

 そしてロザラインの立場は、完全に奪われる。


「……それで、ジュリエットは?」


 マルタは周囲を見回し、声を潜めた。

「もし貴方が真にお嬢様を愛しておられるならば、今夜、修道僧ロレンス様のもとで結婚の誓いを交わしてほしいと」


 ロミオは即座に答えた。

「承知しました。必ず行きます」


 その即答に、マルタは目を見張った。

「まあ……なんと真剣な。昨日まで恋に泣いていた青年が、もう夫になる決意を固めるとは」


 ロミオは微笑んだ。

「……彼女が望むのなら、ためらう理由はありません」


 だが、その言葉の奥には別の影が潜んでいた。

 ロザラインの沈黙。

 ──“察して行動せよ”という命令。


 ジュリエットとの結婚は、ロザラインの計画の一部にすぎない。

 それを理解しているのは、ロミオただひとりだった。


「では、今夜に」

 マルタは深く頷き、買い物袋を抱えて踵を返した。

「お嬢様に必ずお伝えいたします。どうか……どうかお二人をお守りください、神様……」


 群衆に紛れて消えていく乳母の姿を見送りながら、ロミオは空を見上げた。


「ロザライン……僕は貴女のために、この愛を誓う。たとえそれが、ジュリエットの未来を破滅に導くとしても」


 太陽は眩しく輝いていた。

 だがその光の下で、ロミオの誓いは冷たく影を落としていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ