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第三十二章 死の口づけ

 聖堂の空気は血と蝋燭の匂いに満ちていた。

 棺の前にパリスの亡骸が倒れ、石床に赤黒い血が広がっている。

 そのすぐ傍らで、ロミオは震える手で小瓶を掲げていた。


 瓶の中には、赤黒い毒がわずかに揺れている。

 メアリーが手渡し、ロザラインが命じた――最後の使命。


「これを飲み干し、あの世に行け。次の世で、私がお前の愛に応えよう」


 その言葉が耳に蘇る。

 唇に苦笑が浮かんだ。

「……ロザライン。俺はようやく、お前のためにすべてを果たせる」


 震える手で栓を抜き、一息に毒を口に含む。

 舌に広がるのは金属を噛むような苦味と、血のように重たい味だった。

 喉を通った瞬間、胸の奥が焼ける。

 呼吸が乱れ、全身の力が抜けていく。


 ロミオは棺に身を寄せ、眠るジュリエットを見下ろした。

 その顔は白い布に包まれ、まるで本当に死んでいるかのように静かだった。

 だが彼の胸にあったのは、彼女への愛ではない。

 ロザラインへの渇望だけが、最後まで彼を突き動かしていた。


「……これで……お前に……届く……」


 ロミオの唇がジュリエットの冷たい唇に触れた。

 それは別れの口づけではなく、死の口づけであった。

 毒はすでに血に回り、視界は霞み、意識は遠ざかっていく。


 ――その刹那。


 ジュリエットの指が震えた。

 閉ざされていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

 彼女は浅い息を吸い、かすかな声を漏らした。


「……ロミオ?」


 しかし、その声はロミオの耳には届かない。

 彼の瞳はすでに虚ろで、唇は動かず、冷たい石床に体を投げ出していた。


 ジュリエットは上体を起こし、目の前の光景に息を呑んだ。

 愛した人が、棺の傍らで血のように赤い液を飲み干し、すでに動かなくなっていたのだ。

 彼の手には小瓶が握られ、床には割れた硝子の欠片が散らばっている。


「……そんな……どうして……」


 ジュリエットの瞳から涙が零れ落ちた。

 彼女の胸はまだ毒の余韻に震えていたが、それ以上に心が裂かれていた。


「ロミオ……なぜ……私を残して……」


 震える声が聖堂に響いた。

 蝋燭の炎が揺れ、長い影が二人の上に落ちる。

 ロミオの亡骸と、涙に濡れるジュリエット。

 その光景は、死と愛が交錯する悲劇の絵画であった。

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