第二章 裏切りの影
手紙を開いた瞬間、私は指先の震えを抑えられなかった。
巻紙には、たった一行。
『パリスとの婚約は破棄。ジュリエットと婚約を結ぶこととする』
その一文を読んだ途端、心臓が鼓動を止めたようだった。視界が霞み、息が詰まる。
「……は?」
私は思わず声を漏らしていた。
パリスは、私の婚約者だった。幼い頃から武に長け、エスカラス大公の長男として、ヴェローナの未来を担う男。私が剣と誇りで築いてきた全てが、彼との結婚によって実を結ぶはずだったのだ。
それを、よりによって──
「ジュリエット?」
キャピュレットの名を穢す存在。
血を継がぬ、フィオレンツァ夫人(キャピュレット夫人)の連れ子。外から嫁いできた女の腹から生まれたキャピュレットの血を継がぬ、よそ者。
あの娘が、私の居場所を奪う?
冗談ではない。私の方が家に尽くしてきた。剣を振るい、家中の信頼を得て、長老たちにも認められた。それなのに、父──家長ルチアーノは、彼女を選んだというのか。
胸の奥に、黒い焔が燃え上がった。
ジュリエットのあの瞳が脳裏に浮かぶ。何も知らぬ天使のような微笑み。自分が誰の血を引くかも知らず、ただ甘やかされて育っただけの小娘。
あの娘のなにが、私より優れているというのだ。
怒りが、鋭く胸を突き刺す。
私は書斎の机を拳で叩いた。インク瓶が倒れ、黒い染みが羊皮紙に広がっていく。だが、そんなことはどうでもよかった。
奪われたものは、取り返す。
私は迷わなかった。
手を伸ばしたのは、あの男──マキューシオへの手紙だった。
マキューシオ・ヴェローナ。
エスカラス大公の落胤でありながら、正統な継承権を持たず、周囲から冷たく扱われている皮肉屋。だが、彼にはただひとつ、確かな絆がある。ロミオ・モンタギューとの友情。
モンタギュー家。キャピュレット家と並び立つヴェローナの二大名家。そして、長年の宿敵。
だが、マキューシオはモンタギューに肩入れしている。むしろ、キャピュレット家を誰よりも憎んでいるだろう。彼がこの家で受けた冷遇を、私は知っていた。
その憎しみ。利用できる。
マキューシオは私の召しに応じた。手紙を見せると、彼は笑った。
「やっぱりな。キャピュレットの連中がすることだ。裏切りも慣れたもんだろ、ロザライン?」
私は静かに頷いた。
「ジュリエットを舞台の中心に立たせてはならない。私は彼女を……潰す」
「どうやって?」
「仮面舞踏会を開く。祝福の場に、ロミオを潜り込ませる」
「頭がどうかしてるのか? モンタギューの名を隠して、敵家の舞踏会に? 命知らずにもほどがある」
「彼は来るわ。私が招待したと伝えれば。あの子は、まだ──」
声が震えそうになり、唇を噛んで抑える。
……ロミオ。まだ私を信じているはず。
「当日の目印は、スカーレットのドレス。キャピュレット家の“祝福の娘”にのみ許される色。それを着ている女を誘えと伝えて」
マキューシオはあきれたように肩をすくめた。
「馬鹿げた賭けだな。だが……あいつのためなら、一肌脱いでやらなくもない」
彼の返事を聞いた私は、ようやく微かに笑みを浮かべた。
この一手がすべての始まり。ジュリエットが奪った舞台に、混沌をもたらすための。
夜、私はひとり屋敷のバルコニーに立ち、空を見上げた。
高く昇る月は、白々しく輝いていた。
「私のものだった未来を、あの女に渡してなるものか……」




