第十章 ジュリエットの焦燥
昼下がりのキャピュレット邸。
大広間は客人たちの出入りで騒がしかったが、奥の一室は静かだった。
そこに、ひとりの少女が窓辺に佇んでいた。
ジュリエット。
昨夜の舞踏会と、今朝のバルコニーでの誓いが、まだ夢のように胸に残っている。
「ロミオ……」
小さくその名を呟いたとき、胸が苦しくなった。
──だが同時に、不安もあった。
彼はモンタギュー。仇敵の名を背負う者。
もし両家に知られれば、命はない。
それでも彼は、修道僧ロレンスのもとで結婚の誓いを交わそうと言った。
信じたい。
だが、恐れてもいた。
その不安を押し殺すように、彼女は乳母の帰りを待っていた。
マルタは今朝早く、ロミオに会いに出かけていった。
戻りが遅いのは、人混みのせいか、それとも──
「どうか、何事もなく……!」
心臓の鼓動が耳の奥で鳴る。
時間が砂のようにゆっくりと落ちていく。
やがて、廊下に重い足音が響いた。
「お嬢様、ただいま戻りましたよ!」
その声を聞いた瞬間、ジュリエットは立ち上がった。
「マルタ! ロミオは? 何と? 早く!」
だが、マルタは息を切らしながら椅子に腰を下ろした。
「いやはや……暑い中を歩き回って、腰が砕けそうで……ちょっと休ませてくださいまし」
「もう! そんなことより……!」
ジュリエットは焦れて身を乗り出す。
「ロミオはどう答えたの? まさか……」
マルタはわざと溜息をつき、荷物を広げ始めた。
「まずは食事を……それからお話を……」
「マルタ!」
ジュリエットの大声に、マルタは肩をすくめて笑った。
「分かりました分かりました。お嬢様もせっかちでいらっしゃる。……ロミオ様は、今夜、修道僧ロレンス様のもとでお待ちすると」
「……!」
ジュリエットの瞳が大きく見開かれた。
頬が紅潮し、両手で口を覆う。
「本当に……?」
「ええ。あの方は迷うことなく承知されました。まるで、お嬢様を待ちわびていたように」
ジュリエットは窓辺に駆け寄り、陽の光を仰いだ。
涙が頬を伝う。
それは恐怖の涙ではなかった。喜びの雫だった。
「ロミオ……今夜、私たちはひとつになる……」
だが、彼女は知らなかった。
ロミオの誓いが、ただの愛の約束ではなく──ロザラインの沈黙に従う決意の延長であることを。