第一章 運命のはじまり
私の名前はロザライン・キャピュレット。ヴェローナの名門、キャピュレット家の分家に生まれた娘だ。
生まれたときから、私は他の女の子たちとは違っていた。リボンやレースのドレスよりも、鍛錬用の剣に心惹かれ、庭での礼儀作法の授業よりも、屋敷の裏庭での剣の素振りが好きだった。
母はいつも嘆いていた。「もっと淑女らしくしなさい」と。でも、父は笑って私の肩を叩いてくれた。「ロザライン、お前の瞳は炎のようだ。その炎を消す必要はない」と。
そんな日々の中で、ひとりの少年と出会った。
ロミオ・モンタギュー。
隣家の嫡男で、私と同じ年。金色の髪に透き通るような青い瞳を持つ、柔らかな雰囲気の少年だった。彼は剣を怖がり、血を見れば目をそらす子だった。けれど、本を読むのが好きで、いつも詩を書いていた。
私たちは、小さな頃から顔を合わせるたびに口喧嘩をしていた。私が木剣を振り回してロミオを追いかければ、彼は泣きながら逃げる。でも、なぜだか彼は、私の後をついてきた。
「ロザライン、今日も剣の練習? すごいね……でも、危ないから、あんまり無茶しないでね」
そんな風に言う彼の声は、どこか震えていた。優しすぎる少年。戦いには向かない、詩人のような子。
でも私は、彼の優しさがどこか苦手だった。私の中にある「強くなければ愛されない」という思いが、彼の柔らかさを拒んでいたのかもしれない。
ある日の午後、私は屋敷の裏庭で木剣を振っていた。
「ロザライン! また練習してるの? もう夕方だよ」
「うるさい。来るなら剣を持ちなさい」
「えっ、ぼ、僕と……?」
ロミオが木剣を握ったとき、その手は震えていた。私は彼に容赦なく向かっていった。剣を軽く打ち、足を引っ掛け、転がした。
「弱い! それで私を守れると思うのか!」
ロミオは地面に座り込んで、しばらく黙っていた。でも、その瞳の奥に何かが灯っていた。
「……僕、君のことが好きなんだ」
私は剣の切っ先を彼の喉元に突きつけ、冷たく言った。
「私にふさわしくなりたいなら、強くなりなさい」
それからだった。ロミオが毎日、詩を届けてくるようになったのは。小鳥に運ばせた手紙。薔薇の花束に添えられた短い詩。
“With love’s light wings did I o’er-perch these walls…”
(愛の翼で、僕はこの壁を越えた──)
その一節を読んだとき、胸の奥が少しだけ熱くなった。でも、私はその気持ちに応えることはなかった。母に言われていた。「お前は家の誇り。くだらぬ恋などにうつつを抜かすでない」
私の家──キャピュレット家は、誇り高き名門だが、本家との力の差は大きかった。分家の私が、家を立て直し、未来を手にするには、強き者と結ばれるしかない。それが私の選んだ道。
そして、十三歳の春。パリスとの婚約が決まった。
大公エスカラスの長男。武に優れ、礼儀正しく、家柄も申し分ない。私の心は、氷のように冷たくなっていた。
「ロザライン……あなたには、この家を背負う運命があるのよ」
母の言葉が胸に刺さった。
それ以来、私はロミオの詩を一切読まなくなった。彼の姿を見ても目を合わせず、庭に現れても背を向けた。
“Love is a smoke made with the fume of sighs…”
(恋は、ため息でできた煙──)
彼の詩は美しかった。でも、それは私にとって毒だった。
私は彼の思いに背を向けたまま、自らの未来を切り開こうとした。剣の稽古をやめることはなかった。むしろ、私はそれまで以上に自らを鍛えた。誰にも奪わせない、誰にも負けない力が欲しかった。
私が十四になった頃、キャピュレット家の長老たちが私を「次期当主候補」として扱い始めた。パリスとの婚約も噂となり、周囲の視線も変わっていった。
それは、私が望んだはずの未来だった。だけど──心の奥に空いた穴だけは、誰にも埋められなかった。
数年後、再び彼と顔を合わせたとき、私は息をのんだ。あの泣き虫だった少年は、剣を携え、鋼のような瞳で私を見つめていた。
「久しぶりだね、ロザライン」
その声には、かつての弱さがなかった。
ロミオは、ヴェローナの誰もが恐れる剣士になっていた。私の言葉通り、強くなったのだ。
噂では、彼は幾度もの決闘で勝利し、敵の剣を見切る技を持つという。その姿は、かつて私が夢見た「理想の騎士」そのものだった。
だけど、私はもう彼の隣にはいられない。私はキャピュレット家を背負う女。そして、彼はモンタギュー家の者。
私の野望と、私の使命。それが、彼を切り捨てる理由となった。
あの時の後悔は、今でも胸の奥で疼いている。でも私は、泣かない。剣を置くこともない。
なぜなら、私の戦いは、まだ始まってすらいないのだから。