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5 短い髪と大切な人たち

 儀式から数日が経った。


 王都は王女の快復を祝う賑わいに包まれている。

 けれど、私の耳には別の声も届いていた。


 「髪を失った令嬢」

 「もう縁談は難しいだろう」


 その声は好奇心や同情とともに、どうしても拭えない“拒絶”の色を帯びている。


 私は屋敷に閉じこもっていた。

 解呪の祝宴にも私は行かなかった。

 短くなった髪で人前に出る勇気はなかったし、何より――カイル様に会うのが怖かった。


 王女を救うためと知っていても、人々の根底に染みついた価値観は、短い髪の私を見るたびに本能的な違和感を呼び起こすだろう。

 それは私への悪意ではなく、ただ息をするように出てしまう反応――だからこそ、どうしようもない。


 鏡は片付けた。自分で決めたことだけど、失ったものを目にするのは怖かった。


 それでもふとした時に、目に入る。顔を洗う水盤、銀食器に移る自分。平民ですら見たことがないくらい、短くなった金色の髪。私は思う。きっと、婚約は解かれる。もう解消されているかもしれない。


 頭では受け入れているつもりでも、胸はその度にひどく痛んだ。




 その日の午後、玄関が少し騒がしくなって、低い声が響いた。



 「リリアーナ嬢に、お会いしたい」


 カイル様の声だ。




 心臓が一度、大きく跳ねる。

 短い髪で会うのは、これが初めてだ。ベールをかけて顔を隠したい――そう思ったときには、もう間に合わなかった。


 片付けそびれていた鏡が、ふと目に入る。

 映っているのは、思わず目を逸らしたくなるような、短い髪の見慣れぬ私。

 でも、会わないわけにはいかない。

 私は深く息を吸い、背筋を伸ばす。


 ここで終わらせよう。カイル様に、断りの言葉を言わせる負担すらかけたくなかった。


 私の口から、「これまでありがとうございました」と。今回のことは私の意志で、あなたの名に私の悪評をまとわせたくないから、と。ちゃんと言おう。


 言葉をひとつ、またひとつ、心の内で並べていく。


 喉は乾き、手のひらは冷たいのに汗ばんでいく。




 カイル様は、客間の扉の前にまっすぐ立っていた。

 青い瞳は静かで、いつも通りの無駄のない所作。



 「少し、外へ」



 短い言葉に従い、庭へ出る。冬の風が枝を鳴らし、乾いた葉が足元をかすめた。

 沈黙のまま歩く。私たちの間には、いつも沈黙があって、それはいつしか心地良いものに変わっていた。そんなことが頭を掠めて、未練がましい自分に恥ずかしくなる。


 カイル様が立ち止まって、こちらを向く。

 大切なことを決めた顔。

 目が合った瞬間、私は悟った。今、告げられる。


 言わなくちゃ。私から。

 口を開く。用意した言葉が、ゆっくりとこぼれていく。


 「その……婚約の件ですが――」


 言いかけた私の言葉を(さえぎ)るように――思えば、カイル様が私の言葉を遮ったのは、これが初めてだったのだけれど――カイル様は、私を見つめて強く言い切った。


「リリアーナ、どうか俺と結婚してほしい」


 世界が、一瞬止まった。

 用意していた台詞は、胸の内で音もなく崩れ落ちる。


「……でも、私の髪は、もう」


 どうにか絞り出した声は震えていた。

 カイル様は、今度はゆっくりと待ってくれる。そして、静かに言葉を続ける。


「髪じゃない。あの時、俺はあなたの心に惚れました。あなたほど美しい人を、俺は見たことがない」


 大きな手がそっと髪に伸ばされて、止まる。


「ふれても?」


 私は、小さく頷く。


 指先がそっと、私の短い髪の先にふれる。

 その仕草は、どんな祈りよりも優しかった。


「この髪がどれほど誇らしく、眩しく俺に映っていることか――俺の(つたな)い言葉では、十分伝わらないかもしれないが――どうか、生涯私と共にいてほしい」


 胸の奥で、固く結んでいた結び目がほどけていく。


――うれしい。


 でも、私は心の中にまだ溜まっている別の言葉を口にした。


「……私、何の取り柄もなくなった自分が恥ずかしくて。あなたの名に、私の悪評がまとわりつくのが怖い……それで――あなたに、嫌われるのが怖いの」


 言いながら、頬が熱くなる。これは願いなんかではない。ただ、ずっと胸に溜めていた本当の、一番臆病な気持ち。


 カイル様はそんな私の手を取り、指先にそっと口づけた。


「そんな恐れを抱く必要はないんです。俺は――心からあなたを誇りに思っているから」


 視界がやわらかな光でにじむ。

 戦場の英雄が、こんなにも優しい笑みを見せるのを、私は初めて見た。

 胸の奥に、暖かいものがじんわりと広がっていく。冬の風はまだ冷たいけれど、震えはもう止まっていた。


 ――私は、貴方のことが本当に――


 声にはしないけれど、確かに胸の内でそう言った。


 カイル様はゆっくりと私の髪をなでてくれて、それからやさしく体を引き寄せる。

 私はそっと目を閉じて、体を預けたその時――



「リリアーナッ!!!!!」


 私の名前を呼びながら、庭園の生垣を飛び越えて駆け込んできたのは、セレスティナ様だった。


「!」

「!」


 私たちは慌ててパッと体を離し、王族に対する礼を取る。

 絶対見られた――と思ったけれど、セレスティナ様はぼろぼろ泣いていて、多分私たちの状況には気付いていない。


「セ、セレスティナ様……??」


 隣に立っていたカイル様をドンっと押しのけ、セレスティナ様は私に抱きつき、ワアワアと声を上げて泣き出した。


「ごめん……ごめんなさい、リリアーナ。あなたのあんなに美しい髪をっ、私がっ、私のせいで……」


 自分より慌てている人を見ると、こちらは冷静になるらしい。私はそっとセレスティナ様を抱きしめ返し、幼子にするように背中をポンポンとやさしくなでる。王女に対しては不敬なことかもしれないけれど、私たちは友達でもあるのだ。


「セレスティナ様がご無事でよかった。なにも心配しなくても大丈夫ですよ」


「でも……でも、あなたの髪……」


 私はセレスティナ様に向き合うように姿勢を直し、短くなった髪をしっかりと見せた。

 それから穏やかに聞いてみる。


「どうですか? 短い髪でもまだ友達でいてくれますか?」

「そんなの! そんなの当たり前じゃない……! リリアーナは、ずっと私の友達よ!」

「ほら、大丈夫でしょう」


 私が微笑んでそう言うと、セレスティナ様はグスッと一つ息をついて、「でも」とカイル様の方を睨みつけた。


「この人、婚約破棄にきたんじゃないの? ねえっ、カイル、あなた一体どういうつもり!?」


 詰め寄っていくセレスティナ様に、カイル様は呆れたようにため息をついた。


「俺をなんだと思ってるんです……もう一度、求婚しに来たんですよ」

「えっ……!」

「いいところを邪魔したのは、セレスティナ様なんですがね!」

「ええっ……!」


 セレスティナ様、慌ててしまって顔が真っ赤だわ……

 いえ、私も真っ赤になっていたのだけど、それ以上……


「えっ、え、やだ、あっ、そういえば私が来た時、二人やけに近かったかも……あっ、うそ、邪魔した!??」


 カイル様はまた大きくため息をつく。

 さっきのことを思い出されると、恥ずかしい――私はセレスティナ様の思考を止めにかかる。


「あの、もうその辺りで……」


 

 その時、


「セレスティナ!」


 再び誰かが飛び込んできた。

 今日はなんだかずっと慌ただしい。


 現れたのは、スラリとした隣国のアシュレイ王子。セレスティナ様の婚約者だ。そう、儀式の前に、老魔導師の部屋で一度お会いしたことがある。

 走ってきたためか、ゼェゼェと息を切らしている。


「カイル、すまない。僕ではセレスティナを止めきれなくて……」

「いや、本当に止めてくださいよ」

「すまない……」


 ずいぶんと気やすい口の利き方だったが、後で聞いたところによると、アシュレイ王子は最近の魔物討伐でカイル様とご一緒されることが多く、かなり気が合っているらしい。


 セレスティナ様は、追いかけてきた婚約者のアシュレイ王子に向かって言う。


「アシュレイ、あなた知ってたの?」

「そう言ったじゃないか……って、リリアーナ嬢のことが心配すぎて、君、ちょっと冷静じゃなかったからね」

「……」


 私はタイミングを見計らって、アシュレイ王子に挨拶の礼を取る。


「再びお目にかかれて光栄です。エヴェレット子爵家の長女、リリアーナ・エヴェレットでございます」


「うん、儀式の前に、一度会ったよね。こちらこそまた会えてよかった。儀式の時も見ていたよ。今回の件では、セレスティナのために大切な髪を捧げてくれて、本当にありがとう。心から感謝する」


 そう言うと、アシュレイ王子は、私に向かって頭を下げた。

「あっ」とセレスティナも声を上げると、


「私もちゃんと御礼を言いたい。リリアーナ、本当に、本当にありがとう!」


 王子と王女にそろって頭を下げられて、私は大慌てだ。


「と、とんでもございません! 頭を上げてくださいませ!」

「いいよ、ここには僕らしかいないから」


 そう言って、アシュレイ王子はカラカラと気さくに笑う。

 見た目は神経質そうな魔導師然としているのに、ずいぶん寛容なお方だ。


「さあ、セレスティナ。僕らはもう退散しよう。彼らには積もる話があるだろうから」

「そうね……そうだ、リリアーナ。明日天気が良かったら、遠乗りに行きましょう! 誘いにきてもいいかしら?」


 私は笑って答える。


「ええ。もちろんです」


 アシュレイ王子はそんな私を見て、にっこり微笑む。


「セレスティナのこと、これからもよろしく頼むよ。おっと、婚約者殿のこともたまには相手してやってくれよ。カイル、儀式の時の君があんまり強くて美しいものだから、泣いてたくらい――」


 え?


「お二人はもうお帰りください!」 


 言いかけたアシュレイ王子の口をガッと掴むと、カイル様はぐいぐいと二人を追い返そうとする。

 賑やかな彼らを見ているうちに、私は幸せの真っ只中にいると気づく。



 この国では、私は長い間、「髪を失った令嬢」として同情と拒絶の目にさらされるだろう。


 でも――


 こんなに大切な方たちが、私を良いと言ってくれる。

 私は、私を誇れている。

 

 短い髪は、私の視界で揺れ続ける。

 それは、キラキラと眩しく、もうすぐ春になる風に、舞い上がるように軽やかに踊った。






最後までお読みいただきありがとうございました。

本編はここまでです。番外的に、カイル視点の短い補章をつけました。お読みになる方は次へどうぞ。

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