3 呪いと決意
王都の朝は、いつも活気に満ちている。
太陽が昇る頃から、遠くの方で市場の呼び声や石畳を行き交う馬車の音が響き始める。私はそれを聞くのが好きで、いつも早起きをしている。人々の暮らしが、少しずつ目を覚ましていくのが好きなのだ。
その日もいつもと同じように、それをぼんやりと聞きながら、私は窓辺で髪を梳いていた。
そこへ、慌ただしい足音とともに扉を叩く音。青ざめた侍女がやってきた。
「リリアーナ様、急ぎの使いです。宮廷から――セレスティナ王女が魔物討伐からお戻りになった直後に――お倒れになったと」
櫛を持つ手が止まり、胸の奥から手足の端までが一気に冷えた。
すぐに支度を整え、王城へと馬車を走らせる。
王城に着くと、侍従から「殿下は私室におられます」と告げられ、案内される。静まり返った廊下を急ぎ足で進み、重い扉を開ける。
ベッドの上で、セレスティナ様が横たわっていた。顔色は青白く、唇はかすかに震えている。
それでも私に気づくと、弱々しい笑みを浮かべた。
「……リリアーナ、ごめんね、心配かけるつもりじゃなかったのに……」
その声は、普段の快活さとは別人のようにか細い。
あまりにも痛々しい姿に、泣いてしまいそうになる。
側にいた宮廷魔導師が私を退出するように促す。
「まもなく大広間で説明があります。そちらへ」と告げられる。後ろ髪を引かれる思いで、私は部屋を後にした。
大広間にはすでに多くの貴族や高官が集まっていた。
壇上に立った宮廷魔導師が告げる。
「王女は……高位の魔物の呪いを受けられました。このままでは……数週間と持たないでしょう。……解呪には、この国で最も美しい髪を、生きた持ち主から捧げねばなりません」
ざわめきが走った。
長く美しい髪は貴族女性の価値そのものであり、家の存続や縁談にも直結する。
王女のためと知っていても、人々の心の奥底に染みついた価値観は、その犠牲を本能的に拒ませる。
それはこの国に根付く、どうしようもない感覚だった。
大広間で条件が告げられたあと、候補者探しはすぐに始まった。
「最も美しい髪」というあいまいな基準は、結局、社交界で評判の高い令嬢たちを順に呼び寄せる形となった。
だが、名指しされた者は皆、口を濁す。
「家の事情が……」「病弱な母が心労で倒れて……」
誰も、はっきりと「嫌だ」とは言わないけれど、その目は恐怖と拒絶で固まっていた。
実のところ、私はすぐに心を決めていた。
自分が候補に挙がることも、きっと時間の問題だろう。
けれど、それを待つより――。
その日の夕刻、私は宮廷魔導師の執務室を訪ねた。部屋には私も何度か見かけたことのある、最高位の老魔導師がいた。それと、セレスティナ様の婚約者である隣国のアシュレイ・セラフィード王子も。
アシュレイ王子は、スラリと細身で背の高い――ローブを羽織れば、高位の魔導師そのものといった風貌のお方だった。
私は老魔導師の前へ進み出た。
「……私の髪を、お使いください」
声は震えてしまう。それでも、部屋に響いた私の言葉は、案外はっきりしていた。
アシュレイ王子が、驚いたようにまじまじと私を見つめる。老魔導師は眉を上げ、しわがれた声で私に尋ねてきた。
「理由を聞いても?」
「セレスティナ様は、私を救ってくださいました。私にできるのは、これだけです……それに」
そう、そんなに難しい理由なんてない。
「彼女は、私の大事な友達です」
短く沈黙が落ち、それから老魔導師の厳かな声が、静かに響いた。
「決まりだ。儀式は三日後。場所は北の聖域だ。――よいな?」
「はい」
そのやりとりを見ていたアシュレイ王子は、短く呟いた。
「……すまない、ありがとう」
部屋を出たとき、足がわずかに震えているのに気づく。
この髪を失えば、私には何もなくなる。
――カイル様。
カイル様との婚約も解消されるだろう。
私の髪をきれいだと褒めてくださったカイル様。
それでも――
私の小さな決意の火は消えなかった。