2 凛々しい王女と普通の友達
王城で開かれる園遊会は、貴族にとって欠かせない社交の場だ。
けれど私は、あの人混みが苦手だった。
視線や囁き声がどうしても耳に残り、心をざわつかせる。
この日も、芝生の端にある大きな噴水のそばのベンチで、ひとり静かに過ごしていた。
「……あなた、ずいぶんと静かなところにいるのね!」
不意に、明るく軽やかに響く声がかかった。
振り返ると、陽光を受けて栗色の髪をきらめかせた女性が立っている。高く結い上げた髪には小さなルビーの髪飾り、金の瞳がまっすぐ私を見ていた。
王女・セレスティナ様――この国で唯一の王女様。
あわてて立ち上がり、膝を折る。
「も、申し訳ございません、セレスティナ王女殿下。このようなところで……」
「謝らなくていいわよ。むしろ、私もここに逃げてきたの」
「えっ?」
ふふっ、といたずらっ子のように笑ったセレスティナ様は、それはそれは格好よくて、可愛らしかった。
「ねえ、あなたの髪、すっごくキレイ。遠くからでも光ってるみたいだったよ」
「ありがとうございます……」
そうだ、まだ名乗っていなかった。私がそう気付いた時――
近くの植え込みがガサリと揺れ、小型の――といってもヤマヤギほどの大きさのある魔物が飛び出してきた。
鋭い爪が光り、私は反射的に後ずさる。
逃げる間もなく、魔物がこちらへ跳びかかってきた――と思った瞬間。
「下がって!」
セレスティナ様の声と同時に、空気を裂くような風が走った。
手のひらから光の矢が放たれ、魔物を正確に射抜く。ギャァ、という叫びとともに、魔物は地面に倒れた。
あっという間に人が集まってきた。騒然とする周囲。駆けつけた近衛が魔物を引きずっていく間にも、噂好きな貴婦人たちの声が飛び交った。
「まぁ……あの娘、王女殿下のそばにいたのに何もしていないわ」
「きっと取り入ろうとして近づいたのよ」
「セレスティナ様もまたあんな王女らしくないことを……」
セレスティナ様はパッとその声の方を向き、はっきりとした口調で言い返した。
「後から来てコソコソ陰口なんて、そっちこそ恥ずかしくないの!」
その毅然とした声に、私は息を呑んだ。
ハッキリしていて、とても気持ちの良い方だ。
相手はそそくさと逃げていく。
けれどセレスティナ様は、ふとこちらを見て、わずかに表情を曇らせた。
「怖がらせてしまったかしら。こういうところ、キツイって言われるんだけど……」
私は驚いて首を振った。
「いいえ……セレスティナ様。とても、格好よかった……です」
セレスティナ様の金の瞳が驚いたように揺れ、すぐに柔らかく笑みを浮かべた。
「あなた、変わってるわね。……名前は?」
「申し遅れました。リリアーナ・エヴェレットです」
「リリアーナ。ねえ、今度天気のいい日に乗馬に付き合ってくれない?」
「乗馬!?」
こうして、私と王女の奇妙な友人関係が始まった。
☆ ☆ ☆ ☆
それからというもの、セレスティナ様と顔を合わせる機会が少しずつ増えていった。
立場の違いから、当初は遠慮が先に立ったけれど、彼女はそんな壁を軽々と越えてくる。
会えばよく笑い、よく話し、そして必ず私の名前を呼んでくれた。
王女としての威厳も、その芯の強さも変わらないのに、気づけば私は、彼女の隣にいることを自然に感じ始めていた――。
ある日は乗馬。私はそんなに得意ではないけれど、セレスティナ様にゆっくり教えてもらい、今では少しの遠乗りならできるようになった。
大きな馬たちは初めは怖かったけれど、慣れると優しくて、とてもかわいいとわかった。
「ほら、あそこに野花が咲いているわ」
馬を降り、花を摘むセレスティナ様の横顔は、魔法の矢を構えたときと同じように凛として美しかった。
「なんて花かしら、かわいいわ」
「これはヨアケノキツネソウ、あっちの花はアカネカスミですね」
「まあ、よく知ってるのね」
「花の名前は響きもきれいなので、つい調べてしまうんです」
セレスティナ様は感心しながら花束を作っていく。大胆な彼女は、意外と手先も器用だ。なんでもそつがない。
「私、女らしくないって言われるけど、こういうことも好きなのよ」
そう少し照れたように言って、笑う。
そしてその花束は「初めての友人に」と言って私にくださり、今も部屋に飾ってある。
舞踏会でも時々顔を合わせる。社交の場では立場もあるので、そんなにべったり一緒にいるわけでもない。セレスティナ様はもちろん場の中心で華やかで、私は壁の花を通していた。
それでも私たちはなぜか気が合った。
「ねえ、リリアーナ。私、女友達って初めてなの。というか、私には友達なんてできないって思ってた。だって、魔物の討伐に出かける王女なんてって言われるし、そうじゃなければ取り入ろうとしてくる人ばかり。でも、リリアーナ、あなたは違うもの」
そんなふうに言ってくれる。
私も彼女が大好きだった。
凛として、強く、美しくて格好良い。言葉を飾らないで、いつも誠実。私にないものがたくさんあって憧れる。でも、セレスティナ様に言わせれば、私こそ彼女にないものがたくさんあるらしい。
「リリアーナはとってもステキよ。こんなに気持ちの優しい人、私初めてだもの。あの無愛想なカイルにはもったいないわ」
「そんなこと……私こそカイル様に釣り合わなくて……」
セレスティナ様とカイル様は、何度か魔物討伐で共闘なさったことがあるという。
「まあ、腕は断トツで確かなのよね……って、それは結婚には関係ないか。リリアーナ、もしひどいこととかされたら、絶対私に言ってよね。王女権限で罰してやるから!」
私は思わず笑ってしまう。
相変わらず沈黙の多い時間を過ごしていたが、カイル様にひどいことをされる、なんて想像したこともなかった。それくらい彼はとても丁寧に私を扱ってくれている、と改めて気付く。
「大丈夫ですよ。カイル様はお優しいですから」
「ええ? あのコワモテが優しい……? リリアーナ、あなたやっぱり変わってるわよ」
私たちはクスクスと笑い合う。
「そう言えば、セレスティナ様のご婚約者様も次の討伐隊に参加されるとか」
「そう! そうなのよ。隣国のアシュレイ王子ね。彼は、稀代の魔術師だわ。私、この前の討伐で思わず見惚れてしまったもの」
「まあ、そんなに」
「正直言って……最初に会った時は随分神経質そうだし、また王女が戦場になんてって言われるかと思ったんだけど……」
「けど?」
「強くてステキですねえ、ってニコニコしながら言うのよ……」
「まあ!」
最近、高位魔術を扱う魔物が現れ出しているという噂も聞く。そういう情勢もある中での王族同士の結婚だ。もちろん政略結婚だろう。それでも、アシュレイ王子のことを話すセレスティナ様は、なんだか見たこともないくらい、可愛らしかった。
互いの婚約者のことや、秋の祭礼に向けた刺繍作りのこと、魔物を倒した武勇伝、庭に咲く花々のこと……私たちは普通の娘たちと同じように、些細で他愛のないことを、ただおしゃべりすることがとても楽しかった。
カイル様もそんな私たちの関係をご存知だった。セレスティナ様ご自身がおっしゃったのだ。
「この前の遠征の際、セレスティナ様からあなたの話を伺いました」
「そう、ですか」
「ご友人になられたと」
胸の奥がじわりと暖かくなる。
――友人。
うれしそうにそう言う彼女の姿が目に浮かぶ。
「やけに自慢げに言われました。乗馬もご一緒されたとか」
「はい……私はあまり得意ではないのですが、色々と教えてもらって、少しは遠くへ行けるようにもなりました」
「それはよかった」
そういうカイル様は、いつもより少しうれしそうな感じがした。