05 森と火のロウグレア
ロウグレアの村に至る道は、丸一日半を要した。
「近くの村」とはいえ、馬車も使わずに足で向かうのは、それなりに時間がかかる。
その間、アレシアと色々と話をした。
話すのは好きではないし、無論得意でもない。
しかしアレシアが話題を切り出してくれるので、会話はあまり滞らなかったし、静寂にも気まずさは生まれなかった。
友達がたくさんいる子って、こういう子なんだろうなと、自然に思った。
「ノーティル様は、本当に街の外に出たことがないんですか?」
「まぁ……ほとんど」
特に用事もなかったし……師匠は遠方からの依頼が多かったからよく家を空けて街を出ていたが、俺はついて行くことはなく、留守番をしていた。家は最高だからな。
「じゃあ、これから行くところはノーティル様にとって全部初めてってことですね!」
「そうだね……あ、あのさ。前から言おうと思ってたんだけど、ノーティル様っていう呼び方……や、やめない?
なんかむず痒い……」
敬称をつけられるのは慣れておらず、呼ばれるたびに背中がむずむずした。
どうせなら呼び捨てをしてほしい。
「あ!ごめんなさい!気をつけますね!」
「いや、そんなに謝らなくても__」
「では、ノーティル殿とか、ノーティル先生とかでしょうか?」
「え?」
「え?」
話が食い違った。
「よ、呼び捨てでいいよ……」
「いいんですか?!
ノーティル様がそういうなら、そうさせてもらいます!
周りから呼ばれていたあだ名とかってありましたか?」
「……ぐはっ」
難題である。
あだ名っていうものは友達の間で呼ばれる愛称のことだ。しかし俺には友達というものがいない。
いた期間はあるが、それも記憶の中で最も苦しい時期である。
誰かが俺のことを呼ぶ時は、大抵……
「『静かな奴』とか『おい』とか『白髪の人』……とか」
「あだ名の概念を疑いたくなる呼び名ですね……」
結局あだ名の話は気を遣われて無かったことになり、俺は心の傷と引き換えにアレシアからの「様」呼びを取り除くことができた。
___
一度野宿をして夜を跨ぎ、俺たちは地図をみながらロウグレアに至る道を慎重に進んで行った。
あるところからそこは木々が増えていき、街道から枝分かれした細い森道が伸びていた。
茂る木の葉に陽光が覆われかけ、やがて整備されていた街道も途切れ、少し怖くなるような静けさに満ちたその森をアレシアと方角を確認しながら進んでいた。
しかしやがては迷い、穏やかな日がどんどんと落ちて行くのに二人で絶望しながら歩いた。
およそ半刻が過ぎた頃。
道の先に二つの人影が見えた。
背の高いすらっとした深緑色の長い髪を後ろでまとめた男性と、腰をやや曲げ杖をついてはいるがまだ初老と言える男性だ。
こちらが気づいて間もなく、緑髪の男性が先に声をかけてきた。
「ん……珍しいな、旅客とは」
アレシアの大きな荷物と俺の鞄を見て、彼は平坦な声で言った。
俺は何か返答をせねばと考え口の中で色々と言葉の引き出しをひっくり返したが、どもっている間にアレシアがシュバっと前に出て挨拶をした。
「初めまして!私たちは旅の者で、ロウグレアという村を探しているんです!
もし場所をご存知でしたら、森の進み方を教えていただきたいのですが」
す、すごいなこの子……初対面の相手を前に自己紹介と目的を簡潔にまとめた言葉をあっさりと話してしまう
見習いたい、絶対できないだろうけど。
アレシアの言葉を聞いた初老の男性は、一度緑髪の男性と目を合わせ、もう一度こちらを見て朗らかな笑顔になった。
「私はロウグレアの村長をしているロエムと言います。こちらはエリシエル」
「村長……!」
なんという幸運だろう!目指してる場所の長と遭遇するなんて。
ロエムさんが紹介すると、エリシエルと呼ばれた緑髪の男性は軽く礼をした。
「よろしければ村までご案内しましょう。辺鄙な場所にあるので、来客は久しぶりでしてな。
村の皆も喜びます。……ささ、こちらです」
ロエムさんとエリシエルさんと偶然出会えたおかげで、俺たちはそれから真っ直ぐロウグレアの村へと到着することができた。
その村は、森に守られるように囲まれ、まるで巨人が踏んだような凹んだ地形に、かなり広い土地の居住地が広がっている不思議な場所だった。隠れ里、といわれても信じてしまいそうな景色に、俺は目を真ん丸にして見入っていた。
見ているだけで現実感が揺らぎ、足元の感覚を忘れそうになる。
「街から少し離れた場所に、こんな綺麗な村があったなんて……」
「壮観でしょう。この景色が、ロウグレアでいちばんの自慢です」
ロエムさんは村の景色を見渡しながら、大変喜ばしそうに笑った。
なだらかな崖のようになっている村の外際には、階段が造られていて、その脇には大きな荷物を搬入するための滑車台がいくつもあった。整備された階段や設備を見るに、歴史がある場所のように感じる。
「お二人は、どんな用向きでうちの村に?」
「あ、ええっと……俺の師匠のローエルという人から、最近顔を出せていないからと、この村に寄るように伝言されまして……」
すると、ロエムさんとエリシエルさんが目を見開く。
「ローエル様!なんと、ノーティルさんは、あの方のお弟子さんなのですか?!」
「え……は、はい」
師匠はいろんなところに出向いているから、多方面で知られていることに別に違和感はないけれど。
様呼びはなんとなく引っかかる。
「師匠、何かしたんですか?」
「何か、だなんて、ローエル様はこの村の『英雄』ですよ!」
「英雄……」
興奮気味にそういうロエム村長に、俺は若干テンションで押されるようにのけぞってしまった。
英雄。師匠はここでも、そういう呼ばれ方をしているんだな__
「僕から説明しましょう」
俺とアレシアの後ろでエリシエルさんが突然喋り始め、二人で同時に肩をびくっとさせてそちらに視線をやった。
「かつて、ロウグレアを襲った『魔人大火』という災害。
人間の体が突如として燃え上がり、同時に魔物のように自我を失い攻撃性を持った『魔人』になってしまうという現象がおこりました。その魔人は村の住民を数名焼き殺すと同時に感染病のように『魔人』へと変貌させ__それだけではなく、魔術のように火を放って村全体に大規模な火災を引き起こしました」
「そんな……ことが」
魔人。というものは、明確に意味を定義された単語ではないことだけは知っている。
それは人がつける忌み名のようなもので、魔物のようになってしまった人間。を大きな枠組みとして意味づけているらしい。
「我々の暮らす場所のすべてが燃やし尽くされてしまうと、悲嘆に暮れていた時でした。
ローエル様はどこからともなくあらわれ、魔人となった人々を痛みなく一瞬で倒し、村に広がった大火を、手を使わずに村中の水路から水をいっぺんにまとめ上げ、村全体を覆うほどの巨大な水の塊としてこの村に落としたのです。
あれほど獰猛だった大火ですらなすすべなす鎮まり、彼女はこの村を襲った故知らぬ災厄を止めてくれました。
僕は当時幼く、彼女が女神であるとずっと勘違いしていました。それほど、彼女やってのけたことは英雄的だったのです」
「お、おぉ……」
なんだか、すごいことをやってるんですがうちの師匠が。
多分俺を拾ってくれるよりも前の話だろうけれど、そんな所業をしていたのかあの人。
何? 水路から水をまとめ上げるって。俺の権能とスケールが違うんだが……。
エリシエルさんは師匠の話をし始めてからやたら早口で、なんだか最後らへんは若干興奮気味で怖かったな。
「エリシエルは、幼い頃ローエル様を目の前で見て、それからしばらく初恋を拗らせていたんですよ」
「え」
ロエムさんがいきなり中々エグいカミングアウトをした!
だが、当のエリシエルさんは全く動じず、まっすぐな目で遠くを見ていた。
「えぇ、彼女は僕の初恋です。あの日から僕は強い女性に惹かれるようになりました……」
「へ、へぇ……」
あの人は今、百歳越えの若見え老婆だということを言っておいたほうがいいのだろうか。
いいや……多分知らないだろうし(年齢いじりは激怒するので自分から年齢は絶対言わないため)、夢は夢のままにしておいてあげよう……。
まさか十年以上の付き合いだった師匠が、村の少年の初恋奪っていた。なんて、なかなか人生では遭遇しない状況である。日記にでも書いておこう。
「ローエル様はあの原因不明の大火が再び起きぬよう、定期的にこの村に足を運んでくださっていたんですよ」
「そうなんですね__だから師匠は……」
一度もそんな話聞いたことなかったな。師匠は用事があるとき、「家を空ける」「留守番頼む」「じゃ」とかしか言わないことがほとんどだから、どこに何をしに行ってるのかわからないんだよな。
でも、師匠がこの村に寄ってくれと言っていた理由がわかった。単にこの村の安否確認をしてほしかったんだろう。
「話が長くなってしまいましたな。
もう日も傾いていますし、うちに寄ってください、夕食をご馳走しますよ」
「ありがとうございます!」
「助かります」
こうして俺たちは、ロウグレアの村に歓迎された。
その日は時間も遅く、翌朝になったら村の人に紹介すると言われ、村長の奥さんフエバさんが作ってくれた料理をいただき、提供された宿で眠った。
師匠のおかげか、色々なおもてなしをしてもらい、申し訳ないほどの手厚さでこちらが困憊してしまった。
弟子としては嬉しい反面、師匠と自分の遠さが色濃く滲むような気持ちになった。
翌朝。
「ノーティル様__ノーティル!
ど、どうしてこんなことに___!?」
アレシアの絶叫が、朝の村に痛快に響く。
「うわっ!髪白っ?!なんで〜?!」
頭に登ってくる子供が一人。雑草を掴むように俺の髪を引っ張っている。
「ねぇねぇ!英雄様の弟子なんでしょ!強いの?!」
右腕に蝉のようにしがみつく子供が一人。
「みてみて!懸垂!」
左腕で懸垂(まるで体は上に上がらず全身をバタバタさせているだけ)をする子供が一人。
「面白いことして〜」
「ねぇなんでそんな喋んないの〜?」
両足をホールドする子供が二人。一人は靴を思い切り踏んでいることに気がついていない。
それはまるで、猿山の「山」になった気分だった。
俺は猛獣たちに囲まれて、白目で直立したまま意識を失った。