02 ドアを開けて
家に帰ったらさっき助けた少女がなぜか玄関前に立っていた。
「ちょっとお話ししませんか! 私の英雄さん!」
「……お、お引き取りください」
俺は頭を下げ、そのまま少女の横を通り過ぎて玄関の扉を開ける。
できるだけ関わりたくないからだ。
どうやって名前も知らない顔を一度見ただけの相手の住所を割り出す?
どういう手段で?
どういう目的で?
どういう理由があって?
怪しすぎる。
「えっ……ちょっと待ってください!少しでいいのでお話を!」
「なっ、ちょっ」
__腕を掴まれた。
まずい。なにか秘密結社とかの勧誘じゃないだろうな。
だが振りほどこうとすれば彼女が錐揉みして吹っ飛んでしまうだろう。
なんとか切り抜けなければ……
「あ、空に火吹竜……」
「え?竜?」
もらった。
空を指差して注意を誘導し、その隙に彼女腕をすり抜けてドアを閉め施錠する。
この策に引っ掛かる人間が本当にいるとは……まぁ師匠に何百回と引っ掛けられた実例が俺なんだけどな。
「ちょ、ちょっとぉ?!」
少女は向こうから謀られた怒りを載せ扉を叩いている。
扉を無理やりこじ開けようとしてきたので一応手で押さえておく。
「怪しい者じゃないんです!」
「う、嘘つかないでください!俺の家を特定して来てる時点で怪しさマックスなんですよ!」
「そ__それは、ただ私の持ちうる全て探査魔術を使って追って来ただけで__」
「探査魔術……?!」
探査魔術なんて今どき教えてる魔法学校なんてあるのか……?
遺伝子情報とか足跡の可視化の魔術だよな……一般人が使うと色々と危険だから多くの図書館でも魔導書すら貸し出されない魔術なはずだ。
警察局の人間には見えなかったし、まさか独学で?
今の時代独学で魔術を学ぶことは効率が悪い。
魔術自体、詠唱や発動作用、消費魔力などについての知識は前提の上で、『感覚的な部分』が主体な技術であるため、師匠や教師という存在がいた方が学習効率がいいとされている。
独学で学ぶことはは、開拓され灯りのある洞窟を前にして、わざわざ未開拓の真っ暗な洞窟を、松明一本灯して歩き回るようなものだ。
昨今の価値観からすれば、不自然と言ってもいい。
__結論、めちゃくちゃ怪しいんだけれど。
「な、なんでそんなもの使ってまで俺を追って来たんですか!」
「頼み事があるんです__!」
「……頼み事?」
「あなた、ものすごく強いですよね! あの『反転』オークを一撃で倒せる人間なんて、そうそう居ませんし!」
『反転』オーク?
あの黒い猪の話か。ただ黒いだけのオークかと思っていたけれど、また別種だったのか?
「私は今、旅の仲間を探してるんです!」
旅の仲間、その言葉を聞いた時、無意識にも俺は口を注ぐんで耳をそば立てていた。
俺の部屋に転がる幾度も読み返した冒険譚の内容が頭に点滅するように蘇る。
扉の向こうで、こもった少女の声が響く。
「私、自分が生まれた故郷に行ったことがなくて。
こっちで里子として育って、その場所に行きたくても、一人じゃ絶対にいけないような場所で……
生半可な実力の人間がいけば、すぐに死んじゃうような危険な場所を超えた先にあるんです。
だから、私と一緒に故郷に行ってくれる強い人を探していて……」
少女の声が尻すぼみに弱々しくなっていくのが聞き取れる。
彼女自身その言葉に遠慮しているような様子だ。
他人にお願いをするのが不慣れな人なのかもしれない。
俺は、鍵を開け、ドアのノブに手をかけたまま止まる。
「だ、だから、オークを倒した俺を?」
「ただのオークじゃないんです!あれはオークよりもずっと強力な魔物なんです!」
「というと……?」
「……反転現象をご存知ですか?」
少女は、反転現象というものについて話し始めた。
その説明はあまりに端的で、彼女でもその単語についてあまり詳しくないことが伝わった。
「通説では、あらゆる生命は【本質】という名の形而上学的エネルギーを持っているとされています。
簡単に言い換えるなら__全ての生き物に宿る、未解明のエネルギーを秘めた「魂」、それが本質となります」
「それは、なんとなく聞いたことがあります……」
本質の話は、義務教育を行う学校でも人体学や倫理学で習う。
未解明ゆえに曖昧な説明が多く、宗教的な話だなと、大半の人間が受け流すような内容だ。
人間の魂が何でできているかなんて誰にもわからないし、
そもそも触れない、目で見ることもできないものを、研究しようがない。
だから教科書に載る本質についての内容など、見開き一ページにも満たないのだ。
「本質が、とあるきっかけで変質し、『反転』という自壊症状に近い現象を起こすことがあります。
反転したその生き物は自我を損失、理性は欠片もなくなることに加え__何かから力を分け与えれたかのように、無条件に強くなる」
「あの黒いオークも、『それ』だったと?」
「はい、あのオークが『反転』した場面を目撃し、最初に目を合わせたのが私です……目が合った者に対する殺戮衝動を抑えられなくなったオークは、私を執拗に狙い、あのような民衆の中でも他の誰にも狙いを移すことはなかったんです。
それが逆に、周囲に被害を与えなかった一因になりましたが……私は、あなたが来てくれなければ死んでいたと思います」
あの魔物、今思えば確かに様子が普通の魔物とは違った。
周囲にはあれほど野次馬がいたのにも関わらず、オークがあれほど一人の人間に対して執着的に攻撃をするなんて、それこそ激昂した状態でなければ有り得ない。
「あのオークは確実に反転により力を増していたはずなのに、
それを感じさせないほどの圧倒的力量の差で、あなたはオークを倒した……だから私は、あなたにお願いしたいんです!」
迷い、そして心のどこかで歪な歓喜が静かな喝采をあげているのを感じた。
これは、いわば冒険の序章だ。
何者でもないものが、ひょんなことから旅の目的を与えられ、仲間と共に冒険活劇の幕を開ける。
そんなスタートラインに、俺は何故か立っている。
この少女を故郷に送る旅。
今この扉を開けて、彼女の願いに応えれば__俺は本として描き、夢物語として諦めていた世界に生きられるかもしれない。
でも、本当に俺が適任なのかと、踏みとどまる。
ドアノブを持つ手が震え、虚脱しかける。
悪い癖だ。師匠に面倒臭い男だと言われるのがよくわかる。
俺はこういう場面で自分を信頼できない。
俺が人のために行動しようとすれば、何か悪いことが起こるのだと怖くて仕方がない。
だってそうだろう。
人とまともに話せないような奴が、仲間と冒険__?
人の目も見れないやつが、誰かを守って願いを叶える__?
頑強に蓋をした記憶の隙間から覗くのは、あの日俺が傷つけた子だ。
額から血を流し、芝に倒れながらギョロリと俺を睨みつける双眸が光っている。
『君じゃダメだよ』
そんな言葉、現実では一度も言われたことはない。
でも、ずっと心の奥底で、誰かがそう告げている気がしていて。
記憶の中の俺は、聖剣に見立てて手に握っていた木の棒をポトリと落とす。
気がつくと、現実の俺はドアノブから手を離し玄関から半歩足を退けていた。
束の間の逡巡の末、俺が出した答えは。
「__お引き取りください__」
俺は断った。
ドバァンッ!
その瞬間、玄関の扉が勢いよく蹴破られた。
項垂れた俺の鼻先を高速でドアが掠め、引っ掻くような痛みと同時に驚愕がやってくる。
「あれ、開いた。やっぱり鍵かかってないじゃないか」
そこに立っていたのは、紫の腰下まで垂れる髪と、怒っているのかそうでないのか分かり難い霞んだ赤い瞳。
まだ冬も越えたばかりだというのに丈の短いスカートとブーツ。
二十代にしか見えない若々しい姿態だからまだ許されているだけの、齢百三十を超えたばかりの女性。
進めないならとりあえず壊してみる。が座右の銘である俺の『師匠』ローエルだった。
最悪なタイミングでのご帰宅である。