01 助けを求める声
《__助けて》
師匠から頼まれた買い出しの帰りに、助けを求める声が届いた。
それは肉声ではなくて、遠くで誰かが危機に瀕したことで俺の【危惧】の能力に反応したもので、頭に直接響いてくる。
危惧は心臓に悪く、突如として「朧げな声」が内側で鳴る感覚に肩を震わせて驚いた俺は、買ったばかりの食材たちが入った紙袋を地面に落とした。
「いっ、いかなきゃ……」
俺は突き動かされるように危惧が届いた発信源の方向に歩き出すと、後ろから怒鳴るような声が届く。
「おぉい! 兄ちゃん! 買ったもんぶん投げて帰るのか?!」
八百屋の店主が商品を落とされて怒鳴っている。目は合わせられないが、声色からして怒っているはずだ。
売り物を購入した後だとはいえ、それを地面に落として去ろうとする奴がいれば、俺だって怒る。
「あっ、ご、ごめんなさい。あとで取りにきます……」
「いや、あとでって__」
「ごめんなさい、ごめんなさい__」
うだうだしていては間に合わなくなる。
俺は脳内で五十回は石畳に頭を擦り付けて謝罪しながら、体は地面を蹴って跳躍していた。
大通り脇に立ち並ぶ民家の屋根に足裏を着け、そのまま走る。危惧が示すのは北だ。
「屋根まで……ひとっとびしやがった__何モンだ?」
俺の名前はノーティル。
五歳から下の記憶はなく、師匠に拾われてから十二年。
友人はおらず、話す相手は師匠かご近所さんのみ、毎日鍛錬か本を書くだけのぼんやりとした日々を過ごしている十七歳だ。
俺は自分で言うのもなんだが、社会に適合できない人間で、他人に心を開けない。
イマジナリーなフレンズはたくさんいるけれど、現実で友人は作れない。
人の目を見られないし、人と会話する時も言葉がつっかえてしまう。そんな残念な人間だ。
だから俺は、本を書いている。
本の中で作り上げた人物とは、友人で居られるからだ。師匠には、若干引かれてるけど。
でも、無理に友人を作ろうとして、また誰かに迷惑をかけるよりはずっとマシだ。
俺は正しいことをしている。自分の身の程を弁えて、害悪にならないよう立ち回っているのだ。
熊が自分から「俺が人里に降りたら、人間は困るだろうな〜」と考えたら、大勢が助かるだろう。それと同じだ。
__まぁ、そんなんだから俺の十年以上閉した心の扉の内側は、カビが生えて、腐りきって、どうしようもないほどに捻くれてしまったんだけれど。
「……はぁ、大丈夫。
さっと片付けて、すぐ帰る。それだけ。大丈夫」
屋根伝いに北へと突き進んでいると、街の喧騒が一際激しい場所を見つけた。
喧騒というより、悲鳴と怒号の入り混じるような__まるで、戦場の叫びだ。
そこをちょうど見下ろせる屋根まで行くと、人々がかなり広い空間を空けるようにして中央にいる者たちを避けていた。
中央には、一人の少女と、倍以上の背丈をもつ巨大な__黒い人?
いや、そんなはずない、おそらく魔物だ。
毛深い黒い魔物は巨大な鉈を翳すと、少女に向けて振り回して少女は転げ回るようにそれを回避していた。
周囲の人々も助けに入ろうとたじろいでいるが、魔物の攻撃には小休止すらなく、誰が行くかを押し付け合っているような状態だった。
……早く行ってあげよう。
黒い魔物が鉈を縦に振り上げたタイミングで屋根から降り、両拳を固めて鉈を叩き割った。
「え?!」
『?!』
割った鉈の破片の影から、少女の顔が見えた。
ほんの刹那、目が合う。
十五歳前後といったところで、暗い水色の髪をした、魔術師っぽい装いをした細身の女子。
女子___こわいな。
俺は勢いよく目を逸らし、黒い魔物に視線を向ける。
下から見れば、魔物は猪の顔をしていて、オークであることがわかった。ちょっと色は変だが、オークの特徴を持っている。
オークの基本生息地は森林だ、街中で現れるとすれば、魔力だまりからの自然発生以外あり得ない。
仲間の居ないはぐれオークが、突然魔力だまりから生み出されて困惑し、自分を敵対視する人間を自己防衛の本能から襲っていた__って考えるのが自然だ。
魔物とは目が合わせやすい。
互いに人とは馴染めない者同士だからだろうか。
けれど、オークは俺に思い切り重い拳を振るってくる。
岩の塊のような大きな拳が、焦りの滲む緊張をはらんで飛んでくる。
俺はその拳を手のひらで受け止め、がっしりと掴んだ。
『!』
「わかるよ……人間が、一番怖いよな」
『ウオ゛ォ__?!(何ブツブツ言ってんだこのニンゲン__?!)』
「どうか安らかに__」
オークの動きを固定しながら俺は空いた拳を固め、【権能】の力を存分にこめ、オークの顎に振り抜いた。
オークは魔力に還り、黒い灰のようになって散った。
「あ、あぁ……」
場は、沈黙した。
恐怖の対象が一瞬で消え去った、ある種の残虐たる光景に息を呑んでいた。
そして、誰かがおそるおそる声をあげた。
「う、うおぉおお!」
「魔物をたった一撃で仕留めたぞ!」
「どこの英雄様だ?!」
「ありがとう!」
次々に観衆の声はあがり、その熱は比例して高くなっていく。
背後の少女から、声がかかった。
「あの、あなたは__」
「……俺は」
これは、ある日始まった社会に適応できない俺が偶然少女を救ったことで始まる英雄譚___
などでは、断じて無い!!!!!!
「お、俺はぁっ、
その、ただの通行人です、
へへっ、
じゃあこれで失礼しますね、
取りに行かなきゃいけないものがあるので!
ひへぁ、で、ではさようなら!」
「えええ?!」
「あ、英雄様が走っていってしまったぞ!」
「誰か名前は!名前は知らないのか!」
「下ばかり向いていて顔も見えなかったわ!」
____無理無理無理無理!
たくさんの人の前で名前晒すとかリテラシーに問題がある。
あぁやばい、あの野次馬の中に昔の同級生とかいたらどうしよう。
あぁ、早く帰ろう。今日はでしゃばりすぎた。
誰が英雄だ、オーク一匹倒したくらいでなんだ。
確かに珍しい色のオークだったけど、猪は猪だろ!
みんな大袈裟で困る。誰かを囃し立てていなければ正気を保てないのか。
しばらく全力疾走して、後をつけられないように路地という路地をあてもなく進み、暗い裏通りで一人きりになってようやく息をついた。
「はぁっ、はぁ……俺、一生こんなことしてるのかな」
背中で息をしながらふと、逃げ回ってばかりの自分に嫌気が刺してきた。
俺だって昔から、こんな性格だったわけじゃない。
小さな頃は、友人を作ろうとした。
同年代の友達と遊びたくて、初めて入った学校で数人仲のいい子ができたことだってある。
己が持つ、周囲の人間を傷つけてしまう要素を一切考慮せずに、他人に近づいた結果。
俺は失敗した。
幼さゆえの甘さ。
無為の悪意。
きっかけは、一本の木の小枝。
仲のいい五人組で、「英雄ごっこ」をした。子供達にとっては定番中の定番、誰かが悪役になり、誰かが英雄として悪を倒す。
英雄は日毎に交代し、勝敗はその場のノリで決まる。
子供の中でしか成立しない不安定なルールの遊びだ。
その日は俺が「英雄役」だった。偶然落ちていた小枝を拾い上げ、それを英雄の持つ聖剣に見立てて武器とした。
無論、それを誰かに叩きつけることはなく、ただ空を切るだけの演技をするつもりでいた。
悪役の子が襲いかかってきたので、英雄役の俺は枝を振るって抵抗した。
そして、相手は地面に倒れこんだ。
(え……?)
額が裂け、血を流し、地面に倒れて意識を失っていた。
他にいた三人がその子に駆け寄り、体をゆすったりして心配している。俺に怒鳴る子もいる。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
五歳をすぎたあたりから俺に現れはじめたいくつかの権能の一つ、【空虚】。
手を振るった先の虚空を押し出すことによって、見えない圧力を生み、制御次第では見えない空気の刃になりうる力。
その権能が、そのタイミングで発現したのだ。
俺は、間違いなく英雄ではなかった。
笑い合った友を切り、血を流させ、他の友からは糾弾され、駆け寄るでもなくただ動けずに立ち尽くす。
悪役だ。
俺は、あの場で誰よりも、悪だった。
俺が傷つけた彼は大事には至らなかったが、傷跡は残った。
その時から俺は、英雄という言葉に酷く怯えているように思う。
師匠に、俺には英雄の資質があると言われた。
この力は世のために使えと、幾度となく言われた。
誰かを助ける力。
誰かを幸せにする力。
俺の持つ力がそんな尊いものであるという幻想は、十年以上前に黒く塗りつぶした。
師匠の言葉は全て耳に入れるだけで無視して、誰にも知られずに生きることを望んだのだ。
そう、俺にはそれで十分なのだ。
「お。さっきの兄ちゃん、戻ってきたな」
八百屋の前になんとか立ち戻ると、紙袋を拾い頭を下げる。
「さ、さっきはすみませんでした」
「気にすんな、買ったもんはもうお前さんのもんだ。
それにしても、あんな高く飛べるなんて常人じゃあねぇだろ、どっかで鍛えてんのか?」
店主は顎髭を撫でるような(顔は見れないが)手の動きで、興味ありげに聞いてくる。
あまり長く話はしたくないので、冷たく返す。
「……高く飛べたところで、落ちた時の痛みが大きくなるだけです」
「ンハハ!
そりゃまた詩的な文句だな。
だがよ、飛びたくても羽がねぇやつだって、ごまんといるんだぜ」
「…………失礼します」
俺は店主に頭を下げて、足早にその場を去った。
結局店主が何を伝えたかったのかいまいちわからなかったが、考える必要もないと思考の隅に放り投げておいた。
今日は疲れた。慣れないことをしたからだ。
帰って、本の続きを書いて、自分の世界に閉じこもって寝てしまおう。
そうだ、そうしよう。
__町外れの家に帰ってきた。
玄関に近づくと、扉の前に誰かが立ちはだかっているのがわかった。
師匠かと思ったが、なんか違う。
師匠より小さくて、細い。
師匠の長い髪は紫色だが、彼女のは暗い水色だ。
まさか__と、全身の毛穴から冷たい汗が吹き出た。
「見つけましたよ!」
「な、んで__?!」
玄関の前に立ちはだかっていたのは、さっきオークに襲われていた少女だった。
「ちょっとお話ししませんか! 私の英雄さん!」