【02】魔法店と妖精のランタン 上
昼下がりにお店へきたのは、恰幅のいい中年の男性だった。
「ここが噂の、魔導具ってやつが買える店か」
戸口で立ち止まり、キョロキョロと店内を見回すその目が、カウンターに座るリュカスさんの姿を捉えた瞬間、わずかに驚きが走ったのが分かった。
老魔法使いのイメージでも抱いていたんだろう。年齢不詳のリュカスさんを目にして、その意外性に驚くのはよくある反応だ。わかる……。
内心でうなずきながら、笑顔でお客様を迎える。
「いらっしゃいませ。どうぞおかけください」
椅子を勧めると、男性は無言でうなずき、どっかりと腰を下ろした。その拍子に、腰につけた鈴が小さく鳴っている。
「消えねぇランタンが欲しいんだ。点けたり消したりすんのが面倒でな。手がかからねぇやつ、あるか?」
「……手持ちタイプのランタンで合ってる?」
リュカスさんの声は、いつも通り気だるそうな調子。けど、そういう時ほど、仕事はきっちりこなすから不思議。
男性は答える代わりに、折りたたんだ紙を取り出してカウンターに広げた。手描きのラフだが、伝えたいイメージはしっかりと伝わってくる。リュカスさんが目を通す隣で、私も少しだけ覗き込ませてもらった。
「あー……。これはオーダーメイドになるね。納期は一月くらいかな」
「金はこれだけあるんだが、足りるか?」
カウンターにどすんと置かれた布袋の中には、小銭と紙幣がぎっしり詰まっている。リュカスさんは即座に計算をすると、お札と硬貨を袋からガッツリ取り出した。
揃えられたお札の束と、種別ごとに積まれた硬貨。ふくよかだった布袋はすっかりヘタれている。
いつもお金勘定が早くて凄い……。私には出来ない芸当だ。
「これで十分。……ああでも、貨幣じゃなくても、腰にある鈴でもいいよ」
男性の腰には、鈍く光る熊よけの鈴。
リュカスさんは、「その人にだけ価値のあるもの」を見抜いてしまうのだ。
古びた鈴は、丁寧に手入れされているのがわかる。けど、私にはただの鈴にしか見えない。
一回くらいリュカスさんの見ている世界を見てみたい。
「こりゃダメだ。熊よけにもならんが、大事なもんでな」
この店では、店主に“価値”があると思われれば、それを対価に魔導具が手に入る。
それ目当てに、魔法の才のない一般の人も、噂を頼りに訪れることがあった。
リュカスさんはそれを拒まない。むしろ、お金よりも、価値ある物を求めている。
「……その特注のランタンは、どのくらい使えるんだ?」
ごもっともな質問だ。
魔導具は魔法使いのもの。それが当たり前。私達みたいな一般人には、自分が騙されているのか、適正な取引なのかすらもわからない。
「サラマンダーっていう妖精の火を使うんだ。それは、消さない限り燃え続ける」
「妖精? ……消すには?」
妖精はこの世界ではお伽話の存在。だけど、この人からはそのにおいがした……からか、妖精についてなにか質問をすることはなかった。
「同じサラマンダーの火を使うか、専用の火消し道具を使う。万一を考えて、それもつけておくよ」
リュカスさんに促され、私はバックヤードから小さな硝子瓶を持ってきた。
瓶の中で、橙色の火がゆらゆらと揺れている。薪も油も、空気穴さえないのに、不思議と燃え続けているその光に、男性は目を見張っていた。
リュカスさんが瓶に手をかざすと、炎は一瞬、種火ほどにしぼみ――やがてまた、ゆっくりと花開くように大きくなる。
「こんなふうに調整できるランタンを作るけど?」
「……リスクは?」
「魔法使いや妖精にいたずらされた場合かな。でも保護魔法を施すから、よほどの手練れじゃなければ悪さは出来ない」
男性は少しの間黙り込んで、瓶の中の火を見つめていた。それから深く頷いた。
「なら、それで頼む。俺はバーニーだ。支払いは金で頼む」
「なら、一ヶ月以降にまた来て」
リュカスさんが伝えると、バーニーさんは立ち上がりかけて――ふと言葉をこぼす。
「……その、ここが無くなってるってことはないよな?」
その問いに、リュカスさんが肩をすくめる。
「潰れてなければね」
「……あんたが、リュカスってやつか」
「そうだよ」
「また来る」
背中を向けて歩き出すバーニーさんの腰の鈴が、再び鳴っていた。パタリとドアが閉まる。
バーニーさんの退店の余韻を、ドアベルの音が演出しているようだった。
「あーあ……面倒くさい依頼だなぁ。それで? 自称見習い魔法使いのフィオナちゃんは、ランタンをどうやって作るんだい?」
本当に面倒くさそうに天井を見上げるリュカスさんは、サラサラの黒髪と、耳に下がるピアスを揺らしている。
たまにそれを目で追ってしまうのは、きっと呪いのせいだと思う。
魔法の先生でもあるリュカスさんの意地悪な問いに、私は頭の中で構成を組み立てた。
「サラマンダーの粘膜をランタンの内側に塗布して、耐熱性を持たせます。それと……最終的に保護魔法で全体を覆って、仕上げます」
「うーん。……ダメダメの三十点」
満面の笑みと共に出された点数に、私は口をきゅっと引き結び、リュカスさんを見上げた。
困ったような、悔しいような気持ちをぐっと胸に押し込んで、リュカスさんの次の言葉を待つ。
「材料を集めに行こうか」
その一言で、リュカスさんと共に店を閉めると、身支度を整えて店を出た。
仕事でリュカスさんと外に出るのは久しぶりだ。しかも行き先はアルヴヘイム。
またあの世界へ行けるなんて。
その事実だけで、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じる。けれど、それを顔に出したら何を言われるかわからないから、私は唇を結び、真面目な顔をして彼の背についていくのだ。
リュカスさんは妖精の祝福を受けてるらしい。だからか、普通なら行くことすら出来ないアルヴヘイムへも行けるし、人間に関わらないような妖精や亜人とも親交があるという。
最初に向かったのは、妖精の森に住む赤髪のピクシーの元だった。木漏れ日が揺れるたび、そこかしこに小さな光の粒が舞っている。
愛らしい姿のピクシーさんは、驚きに目をまんまるにしていた。
「……あんたが人を連れてるって噂、本当だったんだ………!」
ニヤニヤと笑いながら、ピクシーさんがリュカスさんの脇腹をつついている。彼はうんざりした顔をして、それを払うように身をひねった。
その様子はなんだか新鮮で、どうにも口元がニヤついてしまう。
それにしても、リュカスさんは本当に顔が広い。
アルヴヘイムへ連れてきてもらうのはこれで三度目だけど、会う相手は毎回違っている。
けれど、なぜか皆さんの反応はいつも同じ。
リュカスさんが私を連れているのに驚いている。その理由はいまだにわからない。
「なにその噂」
「随分前からされてるわよ?」
「……あいつか」
どうやら噂の出所に、思い当たる節があるらしかった。
ピクシーさんの真っ赤な瞳が、私を射抜くように向けられる。何かを読み取ろうとするように、目が細められた。なんだろ……?
「はぁん、そういうことね」
「色々あるんだよ。僕にも」
「はいはい」
私の耳には二人の会話がかすかに入ってきていたけど、言葉の意味はほとんど頭に残っていなかった。
目の前にある蜂蜜酒の蒸留器、妖精さんたちの繊細な作業。空間全体が、現実とは思えないほど幻想的だったのだ。
思わず手を伸ばしたくなるほど、すべてが美しく、小さく、愛おしい雰囲気だった。
「で? 紹介してくれないわけ?」
「……また来るよ」
リュカスさんは何かを手渡し、高級蜂蜜酒を受け取ると、話が長くならないうちにと、私の手を引きそそくさとその場を後にした。
気まずくて、私はピクシーさんを振り返りながら何度もお辞儀しておいた。
次に訪れたのは、ドワーフの鍛冶屋。
リュカスさんは依頼内容の図案を渡し、補足を加えながらランタンの外郭部分の制作を頼んでいる。それと、ドワーフさんの鍛工炉の火も少し分けて欲しいと伝えていた。
「報酬は高級蜂蜜酒でどう?」
「話が早いな!」
ドワーフさんは酒好きで有名らしい。ピクシーさんからもらった蜂蜜酒を差し出すと、まるで宝石でも受け取ったかのように目を輝かせていた。
この物物交換、精霊さん達の間では当たり前の光景だった。
私はというと、そのやり取りを横目に、ドワーフさんの住む石造りの集落に目を奪われていた。
土の匂いと鉄の熱。目に映るものすべてが新鮮で、体が勝手に動いてしまいそうになるのをぐっと堪える。
「で、この嬢ちゃんは?」
「色々あって……うちの手伝いをしてる」
「おまえさんが!?」
また話が長くなりそうになると、リュカスさんは短く返事をして、また私の手を引いてその場を後にする。
手を引かれなくても、ちゃんと歩けるのに……。
役得ということで、黙って後をついて歩いた。
その日最後に向かったのは、険しい山の渓谷。
その裂け目の奥にある洞窟は、サラマンダーさんの寝床だった。
光の届かない洞窟は真っ暗で、リュカスさんの明かりの魔法がなければ何も見えない。サラマンダーさんが、どんな姿をしているのかも分からなかった。
「君の炎を少し分けて欲しい。それと、皮膚の粘膜も。対価はドワーフの鍛工炉の火でどう?」
「ドワーフの鍛工炉の火だって?! もちろんいいに決まってる!」
ドワーフの鍛工炉の火は、火の女神ベリサマの髪からできているという。真偽のほどはわからないが、サラマンダーにとっては格別の味らしい。
満面の笑みだろう声音で取引に応じた反応からして、それは本当かもしれない。
にしても反応が可愛いな……。
そうして、リュカスさんに教わりながら、恐る恐る、保護魔法をかけた瓶にサラマンダーさんの火を。もう一つの瓶には、分けてもらった粘膜を丁寧に入れた。
私がいることにサラマンダーさんは少し驚いたようだったが、特に何も言わなかった。
リュカスさんは皆さんに、以前にフェルナート王国に行った人狼を知らないか聞いてくれた。
けれど、誰もが決まり文句のように「知らない」と言う。
その度に私の視線は足元へと落ちる。
どこかにいるはずの、黒い狼。それが見つからない不安は、日を追うごとに大きくなるばかりだった。