【01】魔法店が届ける、不思議な手紙
——ようやく手にした情報なのに、呪いは解けなかった。
「また……違いました」
そう呟くフィオナは落胆し、俯いていた。
その横顔はまるで泣いているようにも見える。
「……そうだね」
月明かりに照らされた白銀の髪が、静かに揺れていて、その姿は、夜の森に溶けるような狼の影のようだった。ひっそりとして、寂しげで、どこか遠い。
「そうガッカリしないで。また、探せばいいよ」
フィオナはその言葉にうなずいた。
けれど、彼女は知らない。
——呪いをかけたのが、目の前で優しく微笑む男だということを。
「まだまだ、時間はあるんだから」
「……そんなこと言ってたら、すぐにお婆ちゃんになってますよ」
フィオナは相変わらずの無表情で、ぽつりと呟く。
眠たげな目でじっとリュカスを見上げるその仕草は、まるで文句を言っているのか、ただの事実を口にしただけなのかはよく分からない。
だが、不思議とそれにリュカスは悪い気はしていない。――むしろ、クセになっている感覚すらあった。
「大丈夫さ。なんせ君は、老いないからね……」
夜風に紛れて、誰にも聞こえぬように小さく笑ったリュカスを、フィオナは不思議そうに見つめていた。
***
「はぁ……。思い出しただけで落ち込みます」
翌朝。
店の開店準備をしながら、私は大きくため息をついた。この店に来てもう少しで一年が経つ。数ヶ月ぶりに得た情報は、期待していた物ではなかった。
思い出すだけで涙がでそうだ。
……実際に泣いたりはしないけど。
「思い出さなきゃいいのに。けど、人狼ではあったね」
店主であるリュカスさんは、カウンターの奥で相変わらずのんびりと微笑んでいる。まるで他人事だ。
まぁ実際、彼からすれば他人事なのだけど。
「そうですけど……。白い狼の方でした」
“ルー・ガルー”とは、人間に変身する狼の一族のこと。亜人に区分される彼らは、妖精や異種族が暮らす世界「アルヴヘイム」の森の奥深くに棲むとリュカスさんが言っていた。
本来、人間はその世界に立ち入ることはできない。けれど、昔から私の暮らす国、フェルナート王国には、彼らにまつわる噂や逸話が残されている。──それは、時折こちらの世界に紛れ込んで暮らす者たちがいるから。
私が探しているのは、その人狼の中のシュバルツヴォルフ、通称「黒い狼」と呼ばれる種族だ。
「……リュカスさんはいいですね、呑気で……」
私はジト目を向けるが、効果がない事は知っている。どうせ、騙されたことに気づいた小動物のようだと、リュカスさんは思っているのだ。過去に何度かそう揶揄されたことがある。
「フィオが気にしすぎなんだよ」
「……そんなことないです」
ここは、魔導具などを扱う専門の小さな魔法店。街では「魔導具店」「願いを叶えてくれる店」なんて、呼び方や噂をされているらしい。
古びた棚に並ぶのは、見たこともない道具や不思議な薬品。外から見れば、ただの寂れた店——でも、この店には「呪いを解くヒント」があるかもしれない。
それが、私がこのお店に居続ける理由のひとつ。
「そんな顔しないで。それに、今日は来るかもしれないよ。……フィオの、“呪い”を解くきっかけになる人が」
「……それ、定期的に言ってますよ。リュカスさん」
柔らかく微笑んでいるのに、どうしてだろう。あの人の笑顔は、まるで深い霧の奥に潜む何かを隠しているようで、時々、恐ろしさすら感じる。
たまに青黒くも見える黒髪に、アンバーの瞳は琥珀の様に綺麗だ。いつもどこか気怠げで、掴みどころがなくて、手を伸ばせばふっと遠ざかってしまいそう。それが私からみたリュカスさん。
けれどそのくせ、時折見せる仕草や何気ない言葉に、胸の奥を優しく撫でられるようなぬくもりを感じてしまう。ずっと一緒に居たいなんて気になってしまうし、彼は私の味方であり唯一の理解者だ。
けれど私は居候の身。これ以上迷惑をかけたくない。呪がある限りこの店を離れられないジレンマを、日々感じている。
「……本当に、思ってます?」
「思ってるよ。それにここなら、色んな人が来るから情報も集まりやすいし」
リュカスさんはやっぱり楽しそうだ。
その言葉に、私は小さく肩をすくめると、扉に掛けた札を「営業中」に裏返す。
——今日もまた、不思議でちょっと奇妙な一日が始まる。
すっかり慣れたお店の日常が好きなのも事実だ。
「それじゃぁ、最後の配達に行ってきます」
「行ってらっしゃい」
そうして繰り出したのは魔法使いもいる私が暮らす国。店はこの国と、アルヴヘイムの狭間にある……らしい。詳しいことはわからない。
向かう先は、過去に店に来たお客さんの家。
彼女は、不思議な魔法店があると噂で聞きつけて、以前に来店してくれた人だ。
今日はそのお客さん、ドロシーさんに手紙を送る最後の日。ここ最近毎日訪れている彼女の家へのルートは、すっかり私の散歩道となっている。
目的地は、白い塗り壁が美しいアパルトマン。
格子のドアの隣には郵便受けの口が縦に並び、それぞれに部屋の番号が振られている。
間違えないように郵便受けの番号を指で順になぞっていく。203号室の所で指を止めると、持ってきた封筒を投函しようと手を伸ばした。
「お姉さん。それうち宛?!」
後ろから声をかけられて、驚きに身を固める。
肩を震わせた振り返ると、そこにはベリーショートがよく似合う女性、ドロシーさんがいた。期待の表情でこちらを見ている彼女は、溌剌とした顔立ちをしていて、少し興奮した面持ちで近づいてくる。
前にお店で会った時とはまるで別人の彼女の姿に、嬉しさから口元がにやついてしまうのを我慢する。
「どちら様、ですか……?」
彼女とは初対面という事になっているから、少し困惑した様子で首を傾げてみた。
「私ここの203に住んでるの。ドロシーよ」
でしょうね、なんて言葉は飲み込んで。入れかけて引っ込めた封筒を差し出すと、ドロシーさんはそれを両手で大切そうに受け取った。
「お姉さんが毎日届けてくれてたの? 本当にありがとう! 私このメッセージカードを心待ちにしてたの」
「……そうなんですね」
「ねぇ、このカードの差出人の人を知ってる?」
知ってるけどそれも言えない。
けど、私は実際にドロシーさんが、ここ最近毎日届くこの手紙――メッセーカードのことを、どう思っているのかが、実はとても気になっていた。
「すみません……知らないです。でも、ドロシーさんは、送り主が分からないのに、楽しみにされてたんですか?」
彼女はそれに肩をすくめて笑った。
「ふふ、確かにそうよね。……私ね、先月まで仕事してたんだけど……。色々あって参っちゃって、働けなくなったの。人が怖くて、……外にも出られなくなって。部屋に籠ってたんだけど。それから数日してね、突然この封筒が届くようになったのよ」
もちろんそれも知ってる。当時の彼女の様子は、見てるこちらの胸が痛む程に酷いものだった。
初めは玄関ドアに挟まっていた、宛名しかない封筒。突然届いたそれに恐怖したというドロシーさん。
何日か続けてその封筒が送られて来たけど、嫌がらせだったら、ストーカーだったらと開封出来ないでいたという。それはそうだろう。この手紙には宛名はあれど、送り主の名前がない。
私だったら恐ろしさに部屋の隅で怯えていたかもしれない。でも、それはリュカスさんも危惧していたことだった。
「一週間経っても飽きずに届くから、もうなんなの?! って、やけくそになって開封したの。
そしらそこには一言、元気を出して、私はあなたの味方よ。とか、今はゆっくり休めばいいのよ。なんて、私が欲しかった励ましの言葉や、応援する言葉が書いてあったの」
封筒を胸に抱いて話すドロシーさんは、今にも泣きそうな顔をしている。誰かも分からない、知らない差し出し人ではあるが、その励ましの言葉に救われたのが伝わってきた。
「怖かった。けど、それでも毎日届くそのカードに、不思議と恐怖心が薄れていってね。
気がつけば次の日が待ち遠しくなっている自分がいるのに気がついたの。今ではこうして外にも出られる様になったわ」
ドロシーさんはまた嬉しそうに笑った。
「だから、差し出し人さんにお礼が言いたかったのよ。あなたのお陰で私は元気を取り戻せました。ありがとう! ってね。あと、どうしてカードをくれたのかも、聞きたくて……。それと私、来月から新しい職場で働くのよ」
満面の笑みを浮かべるその姿は、一人の女性として美しく見え、とても心を病んでたとは思えなかった。
本当に元気になってよかった……。
「ドロシーさんのその気持ちは、きっと差し出し人の方にも届いてます。……私が保証します」
「嬉しい。ありがとう」
ドロシーさんは、また笑顔をこぼす。
なんて素敵な人だろう。
「今日で最後なの。寂しいけど、最後は何を書いてくれたのか、不思議と気になっちゃうのよね」
そう言って、彼女はその場で封を切ると中身を取り出した。
――もうきっとあなたは大丈夫! カードはこれで最後だけど、私の心はずっとあなたの側に。
カードの内容に目を通したドロシーさんは、親しい友人との別れを迎えた時の様な、切なくも温もりのある表情を浮かべていた。
「お嬢さんは……ポストマン、じゃ無さそうだけど、私にとってはラッキーガールだわ! 幸せを配達してくれてありがとう」
その言葉に、わずかに目を見開いた。ドロシーさんは私に再度礼を伝えると、手を振って部屋へと戻っていった。
「ドロシーさんの再スタートに、祝福があることを、お祈りしています」
ポツリ、つぶやいた声は、誰にも届かないまま消えていく。見えなくなった彼女を思い出しながら、お店へと帰路を歩く。
――記憶って消せますか?
そう言って彼女が店を訪れたのは丁度一月前。
リュカスさんが面倒くさそうに事情を聞けば、仕事でミスをしたドロシーさんは酷い叱責を受け、それから『お前には任せられない』と徐々に仕事がなくなっていったと話した。
上司からの嫌がせも相まって、心を病み仕事を辞めたと、ポツポツと涙ながらに事情を説明したのだ。
初めこそリュカスさんは面倒くさそうな顔をしていて、「それってそんなに重要なことなの?」とか「面倒だなぁ」なんて言っていて。
でも、私はリュカスさんが本当は優しい人だって知ってる。
「リュカスさん。どうにか、力になってあげられませんか?」
なんて聞けば、何度か迷う仕草をわざとらしくして、渋々と言った様子で取り合ってくれた。
『記憶を消すのもいいけど、君に毎日メッセージカードを贈るのはどう? この子が代筆をして、君は自分にかけてあげたい言葉を贈る。それを君宛に店から送るんだ』
『……そんなのに何の意味があるの? 私は毎日あの女の罵倒を思い出しては、眠れないほどに苦しんでるのに……』
『でも、君を苦しめたそいつ、今頃カフェでチェリーパイでも食べてるよ。クリームをたーっぷり塗ってさ』
そう言われた時のドロシーさんの瞳には冷たい炎が宿っていたように見えた。
その時、人って視線だけで人を殺せるって本当かもしれないって、本気で思った。
『いつか、その経験や気持ちが君の力になるんじゃない? だから、忘れるのはこの店に来た事だ。それでもやっぱりっていうなら、君の記憶を消してあげる』
少し考えてから、リュカスさんの案に同意したドロシーさん。
初めこそ恨み言や励ましとは思えない言葉で溢れていた彼女に「ドロシーさんの大切な人が、同じ様に傷ついていたら、どう言葉を掛けてあげたいですか?」って声をかけて、ようやく励ましの言葉が出る様になった。
けど、突然宛名しかない手紙が届くのも恐怖だろうと、手紙に親和性を感じさせる効果の魔法をリュカスさんが付与してくれた。
その効果はバッチリだったようだ。
——けれど、ドロシーさんはこれからも、その事は知らずに生きていく。
あのカードを書いたのも、届けたのも、実は全部“自分自身”だったことを。
「さすが、リュカスさん。……私の呪いにも、そんな“きっかけ”が、あるのかな……」
見上げた空は、雲一つない晴天。
それはまるで、ドロシーさんの心を映しているようで、嬉しさにまた口元が歪んだ。
ようやく戻ってきたお店のドアをあけると、そこにはいつもと同じ気怠げなリュカスさんの姿。
「戻りました」
「おかえり。ちゃんと配達出来た?」
リュカスさんとのこのやり取りも好き。
「はい。今日偶然ドロシーさんに会ったんです。とっても嬉しそうでした」
「ふーん。フィオがそんな顔になるなら、”幸せの郵便屋”も悪くないね」
リュカスさんはカウンターに頬杖を付きながら、悪戯っ子のように目を三日月に細めて笑っている。
「私……どんな顔してます? それにしても、リュカスさんの発想は素敵です」
「僕は別に何もしてないよ。それに……結果的に、君が一番働いてるじゃない」
やれやれと言わんばかりのその態度もいつもの事。
「私は、まだ見習いですから。これくらいしかできる事もないですし」
私は自称見習い魔法使いだ。
ここのお店に来る前は魔法とは無縁の生活をしていた。だから、私がここでできることは少ない。
「フィオが出来ることってあるの?」
また意地悪く笑うリュカスさん。
的確な指摘に私は思わず頬を膨らませる。不思議なことに、彼の言う通り、私の生活能力がとてつもなく低かった。
掃除に洗濯、料理も全て魔法でやってのけるリュカスさんの前では、私はただの居候でしかない。
「ないですけど……。そういう言い方、嫌です」
「あはは。ごめんごめん。でも、そういうフィオが好きだよ」
またそうやって隙をみせて笑うのも反則だと思う。
意地悪な店主と、のんびり屋の自称見習い魔法使いの私。
魔法商店は、今日も平和。
店の壁には、黒い狼を探しています。という手書きの張り紙。それは私が書いたもので、自身に呪いをかけた可能性がある人狼を探す為に貼らせてもらった。
——唯一、信じられる店主が、実はその呪いの張本人だなんて。
そんなことを知らない私は、今日も呪いを解く“希望”を探している。