前編
目の前で優雅にお茶を飲んでいるのは私の唯一の親友。
小さい頃、社交界で女の子たちから仲間外れにされて以来、怖くて家に引きこもっている私が、弟以外で唯一心から楽しんで一緒に過ごせる相手だ。
だからこんな風にドキドキしてしまうのは、気のせいだと自分に言い聞かす。
真っ白な肌にサラリとかかる薄い銀の髪。まつ毛は誰よりも長く、宝石のような澄んだ青色の瞳を縁取っている。
白と青の薄布が何層にも重なりフワリと広がる清楚なドレスは、私なんかよりよほど似合っている。
それなのに――
「どうしたの、パティ?」
「な、なんでもないわ。レニー」
今まで長年お友達としてそばにいたのに、私のパトリシアという名前を愛称の『パティ』と呼ばれることや、“彼”のレナードという名前を『レニー』と呼ぶことにすら心臓の鼓動が速くなってしまう。
頬は赤くなっていないだろうか。
「そう?」
「……!?」
レニーがいきなり私の額に手を当てるので、ビックリして、緊張で目が潤んでしまう。
こんなに近づいたら、心臓の音が聞こえてしまわないだろうか。
「うーん、熱はないかな。でも少し顔が赤いね。今日はお茶会やめておく?」
「大丈夫! 少し寝不足で、さっき欠伸をしてしまっただけだから」
ドレスを着て、ウィッグを被るだけでだれよりも美しい令嬢のようになっているレニーだけど、やっぱりその手はメイドのものよりも大きくて、逞しい。
その逞しい手が、私の額を触っているなんて……。
「よかった。パティとの秘密のお茶会、とっても楽しみにしているから」
私とのお茶会を楽しみにしているから中止にならなくてよかったと、甘えるような上目遣いで微笑む彼を、なぜ好きにならないでいられようか。
――彼は女友達なのに。
*****
レニーことレナード・ウェルズリーは、私よりも1歳年下の17歳。
私の1歳下の弟であるフィンレー・キャンベルの親友でもある。
子どもの頃、レニーは弟と遊びによくうちの屋敷に来ていた。
私はその頃、お母様によく連れていかれていた、子連れの貴婦人たちのお茶会で、仲良しだった女友達に裏切られて、仲間外れにされたことがショックで出かけられなくなってしまった頃だった。
だから弟が男友達と楽しそうに遊ぶのを、いつも羨ましく眺めていた。
そんなある日、レニーが私のドレスを羽織って鏡を見ているところに出くわした。
なんでもかくれんぼをしていたらしい。
このフロアならどの部屋に入っても良いと言われて潜り込んだ衣裳部屋で、自分にちょうどいいサイズのドレスを見かけて、思わず着てみてたくなったのだとか。
レニーは17歳の今でもドレスを着ればどんな令嬢よりも似合って美しいけれど、10歳やそこらだった当時はまだ女の子と全く変わらない体型で、どこからどう見ても可愛らしい女の子だった。
慌ててドレスを脱ごうとするレニーを、私も慌てて引き留めた。
仲間外れにされたショックで女の子が怖くなった私だったけれど、元々人嫌いだったわけじゃない。だから友達に飢えていた。
女の子は怖かったけれど、弟やその友達を眺めていたおかげで、男の子は怖いと思わなかった。
だから女の子の格好をした男の子のレニーは、私にとって理想の友達だったのだ。
実はずっと可愛らしいドレスを着てみたかったというレニーに、私はそれから色んなドレスを秘密で着せてあげた。
弟のフィンレーにも協力してもらって、フィンと遊びに来たと見せかけて、実際は私と、私のドレスを着たレニーで秘密のお茶会をするようになった。
「うわあ、可愛いドレス。ありがとう」
「レニーにすごく似合っているわ」
「フワフワしていて、可愛くて、嬉しいな。男の子ももっと可愛い服があれば良いのに」
「そうね。いつでもうちに来て、好きなだけ着てくれていいわ」
「ありがとう、パティ!」
「きゃっ。もう、レニーは甘えん坊なんだから」
喜んだレニーが、とても親しい女友達みたいに腕を組んできてくれたので、私は有頂天になってしまった。
ドレスを着るだけじゃなくて、レニーとは色んなお話をした。
レニーがやってみたいと言う刺繍やお菓子作りを教えてあげたこともあるし、逆に女の子は普通勉強しない哲学の本なんかを紹介してもらったこともある。
レニーには何でも話せたし、レニーも私に色んな話をしてくれた。
私が社交界にいけなくなったきっかけも、レニーになら話せた。
「そっか。それがパティには辛かったんだね。もしも私が側にいたら、絶対にパティを一人にはさせないのに」
「うん、ありがとうレニー」
一応男女の貴族が、二人きりで締め切った室内でお茶をするなんてありえないことだから、お父様とお母様にも内緒だ。
レニーは女友達なのだから、実際にはなんの心配もないのだけど。
ずっとそう思っていたけれど。
私は最近、彼に会うと変になってしまう。
*****
「パトリシア。あなたももう18歳なのだから、今シーズンは絶対に社交界に参加なさいよ」
「……」
ついにこの時がきてしまった。
今までずっと屋敷からほとんど出ないように、出たとしても絶対に同年代の女性と会わないように避け続けてきたけれど、流石に18歳の健康な令嬢が、全く社交界に出ないのを許してくれる両親ではない。
「あなたが屋敷から出てこないから、お父様とお母様が、今までどれほど社交界で肩身が狭かったと思う? 恥ずかしい。今年こそは何を言っても、引きずってでも連れていきますからね」
「そんな、嫌がるのを無理やり連れていっても……」
「フィンレー、あなたは黙っていなさい。跡継ぎであるあなたのためでもあるのよ」
「俺は別に。姉さんには自由にしてもらっていていいよ」
「そういうわけにはいかないの! ねえあなた」
「そうだぞフィンレー。パトリシアがいつまでも結婚しないでうちにいたら、お前の縁談にも影響するのだから」
家族そろっての夕飯は、私にとっては苦行の時間だ。
できれば一人で部屋で食べたいくらいだけど、お忙しいお父様やお母様は週に何日かは『家族団らん』の時間を設けてくれる。
『とても優しい両親』なのだ。
――レニーとのお茶会は、あんなに楽しいのに。
胃が重くなって、食事がすすまなくなる。
肩が落ちて頭が下がりそうになるけれど、そうなると増々怒られるから、頑張って背筋だけは伸ばすようにした。
「もうすぐハッチンソン伯爵の夜会があるから、参加してきなさい。同年代の若者の集まりだから、ちょうどいいでしょう。婚約者とまでは言わないから。せめてお友達くらいは作って……」
「分かったから、母さん。そのくらいで。俺が付き添いで姉さんと一緒に行くから」
「フィン。甘やかすのはパトリシアのためにも……」
「大丈夫だから。ね、母さん。俺に任せて」
「……もう」
お母様は跡継ぎであるフィンにとても甘い。
目線だけで、フィンにお礼を言う。
フィンもどういたしましてというように、軽く頷いた。
後で改めてお礼を言おう。
どうやっても社交界にでることは、避けられないみたいだ。
しかもよりによって、一番避けたい同年代の集まりに……。
社交界へ参加するのが怖い。
『ねえ、ブルーナ。どうしたの? 一緒にお話ししましょうよ』
『ブルーナ。この子だあれ? なんだか大人しそうで地味な子』
『親同士が仲良くて、無理やり遊ばされているの。つきまとわれちゃって、困っちゃう』
『まあ、大変。皆あっちへ行きましょう。ブルーナを守ってあげよう』
『なんでそんなこと言うのブルーナ? 私たち仲良しじゃないの? ブルーナ。ブルーナ‼』
あの時、私は一度で諦めるべきだった。ブルーナをすぐに諦めて、あれ以上近づかなければ、新しい友達もできたかもしれない。
だけどすぐには現実を受け入れられない子どもだった私は、お茶会でブルーナを見かけるたびに、なにかの間違いだと何度も話しかけにいって、逃げられてしまった。
そうしていつの間にか、その当時の同年代の女の子のほとんどが、ブルーナがパトリシア・キャンベルにつきまとわれている。可哀そうなブルーナを助けなきゃって、なってしまっていた。
「そのブルーナっていう子は、とても心が弱かったのかもしれないね」
「ブルーナが弱い?」
この話をした時、レニーは不思議なことを言った。
あれほど社交界で楽しそうに、私を虐めていたブルーナが弱いなんて。
「きっと自分が仲間外れにされるのが怖いから、先にパティを仲間外れにしたんだ。パティが優しくて、強くて、仲間外れなんて絶対しないって分かっているから。……仕返しで仲間外れにし返してくるような相手には怖くてイジワルなんてできないでしょう?」
「……私は強くないわ。こんな風にひきこもってしまって」
「それでも誰のことも傷つけない。パティは強いよ。強くて、優しい」
――その言葉の意味は今でもよく分からないけれど。
「パティがずっと屋敷にいたいならそうしたらいい。だけど外の世界も、ブルーナのような子ばかりじゃない。もしもパティが外へ出たくなる日がきたら、私はあなたの味方だよ」
この言葉は、分かる。ブルーナにイジワルされるまで、他の子と全く交流がなかったわけじゃない。優しい子もいっぱいいたはずだから。
いつまでもこのままひきこもっていてはいけない。
だってレニー。……レナードだって、いつかはこんな秘密のお茶会なんて、できなくなる日がくるだろう。
18歳になってしまった今、その時は意外とすぐ目の前に迫っているのかもしれない。
「パティは強いよ」
そう言って信じてくれているレニーや、ずっと両親から庇ってくれているフィンのためにも。
――もう一度外の世界に挑戦してみよう。