発覚2
中年女性は続ける。
「何人も馘首されて使用人は減りましたが、東棟は回りました。ナディネ様のお世話がなかったからです。
ナディネ様は自分の身支度は自分でなさいましたし、外出禁止でした。食堂へ行く時以外は軟禁状態で暮らしておられたので、使用人としては楽でした」
そんな酷い……と、どこかで声が上がる。場所からして本館の使用人だろう。
「貴族の子息は、親に見捨てられると酷い扱いを受けるのだなと思いました。いくらいいお屋敷に住んでいても、こんな孤独で自由のない生活を送るのなら、平民の我が子の方がましに思えました。子供らしくはしゃぐ事も許されず、遊びも許されない。出来損ないだと罵倒される毎日……ただ生かされるだけの、まるで人形のようでした」
「そんな……」
ブロドーク侯爵は視界が歪むのを感じた。
「学校へ通われるようになって、元気になられたように思います。長期休暇は毎回どこかへお泊まりになるようになったので、更に仕事は楽になりました」
「う、嘘をつくな! 旦那様、これは嘘です! 私を貶めようとしているのです!」
拘束されてもなお暴れる執事に、中年女性が挑戦的に言う。
「嘘ではございません。今日もナディネ様が行方不明だと大騒ぎになった後、マース様はナディネ様の部屋で何かしておいででした。ポケットに何か入れているのを見ました」
「くっ……!」
侯爵が視線で指示を出すと、拘束している騎士が執事のポケットを探った。中から出てきたのは、くしゃくしゃに丸められた書類。
侯爵の手に渡ったそれは、ナディネの置き手紙だった。
学校を退学するので、その必要書類をお願いすること。これまで育ててくれたお礼。
簡潔な言葉は、ナディネの心情を表しているのだろう。要らない子息が家を出ても、何の問題もないと思っていたようだ。捜索されるとは想像していなかったに違いない。
「ナディネ……!」
侯爵は崩れ落ちそうになり、すかさず傍らに張りついたサルーネが力強く支える。
そんな酷い目に遭っているとは思わなかった。食堂で会う姿が元気そうなので安心していた。身体は健康でも、内面までは分からないというのに。
妻を失った悲しみに囚われて、長い間、子供達を放置してしまった自覚はある。特にナディネは妻に瓜二つだったので、顔を見るのが辛かったのだ。
逃げるように仕事に没頭して数年後、何とか落ち着きを取り戻し、子供達の様子を気に掛ける余裕が戻った。
事あるごとに家令と執事に確認してきたが、何も問題ないと報告を受けてきた。
食堂でナディネに直接話し掛けた事もあるが、怯えた目で沈黙されて、その後、声を掛けられなくなった。
その時の、ナディネの怯えた表情が脳裏にこびりついてしまって、いつまで経っても忘れられなかった。
亡き妻と生き写しの顔のナディネに嫌われたのは、想像以上のダメージだった。あの声で「嫌い」と一言でも言われたら、立ち直れなくなりそうだった。
だから侯爵は自分から話し掛けるのを控えた。
それでもナディネと食事を共にする時間は、侯爵にとって特別なものだった。言葉を交わす事はなかったが、その顔を見るだけで癒された。
だから昨晩、ナディネから話し掛けられて、咄嗟に対応出来なかった。ナディネが何を言ったのかよく聞き取れなかったのもあるが、頭が真っ白になっていたのだ。
あの時に問い詰めていたら、こんな事にはならなかった。ナディネは今生の別れの挨拶をしていたのだ。
手元にあるくしゃくしゃの紙を見返す。
父親に疎まれていると洗脳されて辛い日々を過ごしてきただろうに、罵倒の言葉ではなく、恨み言でもなく、お礼の言葉が記されている。
ナディネはどんな想いでこれを書いたのか……。
侯爵はぎゅっと強く目を瞑ると、矛先を変えた。視線を家令に向ける。
「お前も息子の所業を知っていたのか?」
侯爵はこれまで家令に絶大の信頼をおいていた。王都屋敷の事を任せて、右腕として重宝してきた。それなのにまさかこんな仕打ちを受けるとは……。
「ち、違います! まさか息子がナディネ様にそんな真似をするなんて……! 何かの間違いです!」
青ざめた家令は、両腕を拘束されて床に跪いている息子に縋るような目を向けた。
「マース、嘘だろう? お前はナディネ様に誠心誠意お仕えすると誓ったではないかっ……!」
「あんな小者っ……!」
所業が暴露されて開き直ったのか、息子は吐き捨てるように父親に言い返した。
「俺は時期当主の嫡男にお仕えしたかったんだ! 次男なんていくら一生懸命仕えた所で、成人したらこの屋敷からいなくなるじゃないか! それにあんなおどおどした気弱な子供が主だなんて!」
本性を表した執事の頬がバシッと鳴った。
大股で距離を詰めた侯爵が手のひらで打ったのだ。凍り付くような冷たい目で見下されて、執事の顔から血の気が引く。
「貴様には横領の疑いもある。リード、ナディネ宛ての誕生日プレゼントはどこへ消えた。毎年、サルーネと同じ品物を手配するよう指示していた筈だが?」
「え……誕生日プレゼントですか? もちろんご命令通り、きちんと用意してお渡ししましたが……」
「誰にだ? この男にか?」
「ええ。ナディネ様づきなので……」
そこで家令は大きく目を瞠った。
「まさか……」
「誰か……サルーネの執事、何人か連れて東棟の使用人の部屋を改めて来い。特にこの男の部屋は重点的に。使用人に相応しくない高価な物品があれば知らせるように」
「かしこまりました」
東棟の使用人達は不安そうな顔になったが「後ろめたい事がなければ問題ない」との侯爵の言葉に、落ち着きを取り戻した。
その顔色だけで分かった。東棟の使用人全員で共謀していた訳ではなく、執事一人の暴走だったのだと。執事だけは両腕を囚われたまま、口惜しそうに顔を歪めている。
家令は「そんな……そんな……」と青い顔で繰り返していた。
「リード、お前は息子の所業を知らなかったのか? お前も騙されていたのか?」
「も、申し訳ございません!」
家令は膝をつき、額を床に押し当てた。
「知らなかったでは済まされません! なんという事を……どうお詫びすればよいのか……」
「東棟の使用人から訴えはあったようだが? よく調べもせずに馘首したのか?」
「そ、それは……確かに記憶にございます。しかしまさか息子がナディネ様にそんな酷い事をするとは思いもせず……」
「使用人と息子の言葉なら、息子を信用するよな」
「申し訳ございませんっ! あの時にきちんと調べていれば……っ!」
「手遅れだ。ナディネは家を出て行った」
「……っ……!」
「私に疎まれ、捨てられたと信じてだっ! 二度と戻らないつもりで、学校も退学して! あの子に……ナディネにもう二度と会えないかもしれないのだ! 二度とだ!」
その瞬間、激しい焦燥に襲われた侯爵は、心臓の辺りを強く掴んでふらりとよろめいた。
「父上!」
「旦那様!」
サルーネと家令が駆け寄ったが、侯爵は気を失って倒れ込んだ。
その場が更に混乱したのは言うまでもない。