発覚1
馬車がブロドーク侯爵邸に到着した。降りる直前、サルーネが話し掛けてきた。
「父上、俄には信じられないでしょうが、確認しなければなりません。あの伯爵が嘘をつく理由はないのですから」
「そうだな。調べれば分かる事だ」
まだ混乱中のブロドーク侯爵は力の入らない膝で何とか踏ん張り、馬車を降りた。
玄関ホールで出迎えた家令や執事に、使用人を全員、集めるように指示を出す。本館と西棟、東棟まで含めると物凄い人数になるので、一番大きなホールに集合させる。
家令は突然の指示に戸惑いながらも従った。ナディネを連れ帰っていないので、どういう意図なのか分からないのだろう。
「家令のリードも含め全員、この部屋から出るのを禁ずる」
「旦那様、ナディネ様はどうされたのですか? 見つかったのですか?」
「後で説明する。しばらく待機だ」
「……かしこまりました」
「サルーネ担当の執事、トールだけついて来るように」
「はい」
一人だけ名指しされたトールも困惑気味だが、ブロドーク侯爵とサルーネの後について来る。
無言で向かったのは東棟のナディネの部屋だ。
「父上、東棟の使用人だけ、やけに少なかった事に気付きましたか?」
「……ああ」
侯爵の表情が苦いものになる。嫌な予感と共にナディネの部屋に踏み込んだ。
間取りは西棟のサルーネと同じなので、部屋の大きさも同じだ。しかし受ける印象が全然違った。
「……殺風景だな」
「ええ。私の部屋と同じ大きさの筈ですが……やけに広く感じます」
理由はすぐに分かった。物がないからだ。
天蓋ベッドの他に机と本棚、ワードローブがあるが、サルーネの部屋には小物を収納するチェストがある。ワードローブも入りきらない衣装が溢れたので増やした覚えがある。
侯爵は真っ直ぐワードローブへ向かうと、扉を開けた。
中には学校の制服の予備と、部屋着が数枚あるだけだった。
「礼服がない……」
引き出しを開けても、貴金属の類いは一つもなかった。
「誕生日にはサルーネと同じ品物をプレゼントした。それなのに一つもないぞ」
「カフスボタンやクラバットピンですね。私は頂きましたが、ナディネに渡ったのでしょうか? トール、私の誕生日プレゼントはいつもどんな風に届けられた?」
質問されたトールは怪訝そうに答えた。
「誕生日プレゼントですか? 家令から預かってお渡ししました。時々、商人から直接受け取る事もありました」
「そうか……」
「旅立ちの資金にする為に換金したのでしょうか?」
「……どうだろう……」
二人は険しい表情で机や本棚も調べたが、本棚に並ぶ本の背表紙を見てサルーネが呟く。
「父上、幼子の手習い本しかありません。家庭教師がいたのなら、もっとたくさんの教本がある筈です。私の本棚にもまだ残してありますが、ここにはそれがありません」
そもそも本棚はスカスカで、絵本ばかりが目立つ。やけに使い込まれた辞書が一冊あったが、後はサルーネにも見覚えのある学校の教本が並んでいた。
対象年齢を考えたら、六歳から十二歳までの期間が、ぽっかりと抜けている。
「何と……まさか本当に……?」
ブロドーク侯爵の顔が歪んだ。
信じたくはないが、カディシス伯爵に聞いた話は本当なのだろうか? ナディネはまともな教育を受けないまま学校へ行き、辛い思いをしたと……。
五歳児並の知識しかなければ、学校で馬鹿にされて当然だ。しかも侯爵家の子息なので、当然、家庭教師がつけられていたと判断される。
家庭教師に学んだ上で理解していないと、とんでもない馬鹿だと、愚か者だと嘲笑されただろう。首席の兄と比べられて、ナディネはどんな屈辱を味わったのか……。
ブロドーク侯爵は拳を強く握り込む。憤りを胸に、本館へと戻った。
サルーネと執事も無言でついて来る。
使用人を集めたホールに戻ると、東棟の使用人だけ前に出るよう促した。
全員、何事かと不安な面持ちをしながら、言われた通りにする。
「……まずナディネ担当の執事に問う。私に言う事はないか」
執事はびくりと肩を揺らしたが「どういったご用件でしょう」と冷静さを取り繕った。しかし頬が引き攣っているのが見て取れた。
ブロドーク侯爵は使用人達に視線を移した。
「東棟担当の者達、これから質問するが嘘をつくのは許さない。嘘が発覚した場合、厳罰に処すので、それを踏まえて答えるように。徹底的に調べ上げるぞ。分かったな」
「「………はい」」
当主の強い口調に怯えた使用人達を、家令が庇うように前に出た。
「旦那様、一体何事ですか? ご説明をお願いします」
「お前は最後だ。しばらく黙って見ていろ」
いつになく冷たい主の声に、家令は息を呑んだ。侯爵が静かに激怒しているのを察して、大人しく下がる。
「まずは家庭教師の件だ。私はナディネに家庭教師を手配するよう指示を出したが、授業をしているのを見た者はいるか?」
ナディネ担当の執事はハッと目を見開いたが、他の使用人達は怪訝そうに首を傾げていた。
「だ、旦那様それはっ、ナディネ様が我が儘を仰って、癇癪を起こして家庭教師を追い返してしまわれたのです!」
ブロドーク侯爵の目が険呑に光った。
「それは本当か? そこの……一番右のお前に尋ねる」
その中年女性は一番古株のようだった。
この緊迫した空気の中でも真っ直ぐ前を見詰めていて、眼に力があった。最初は他の者達と同じように怯える素振りを見せていたが、家庭教師の件を問い質した途端、腹が据わったようにどっしりと構えたのだ。
侯爵はそれを見逃さなかった。この者の年齢からして、ナディネが小さい時から仕えていただろう。
「家庭教師など一度も見た事ありません」
「う、嘘をつくな!」
狼狽える執事とは裏腹に、中年女性は侯爵を真っ直ぐ見詰めてきっぱりと断言した。
「嘘ではありません。旦那様がナディネ様に家庭教師を手配したと、いま伺ってとても驚いております」
「それは何故だ?」
「旦那様はナディネ様を要らないと、出来損ないだと、いつも仰っていると聞いていたので」
「なんだとっ? 誰がそんな事を?」
「もちろん執事のマース様です」
「このっ……!」
「取り押さえろ」
執事が中年女性に掴みかかりそうになったので、背後にいた二人の騎士に素早く拘束させた。
侯爵が喋っている間に、サルーネが騎士に密かに指示を出していたのだ。
侯爵は、顔色を変えた家令にも動くなと告げる。家令の後ろにも騎士が二人ほど立っていて、場合によってはすぐに拘束できるよう待機している。
「私がナディネを要らないと……そんな嘘をナディネに吹き込んでいたのか? いつからだ!」
執事に怒鳴ったが、答えたのは中年女性だった。
「ずっとお小さい時からです。でも旦那様も、ナディネ様に会おうとはなさらなかったではないですか」
侯爵はハッとなる。
「母を亡くした小さなお子様を、一人きりで放っておかれた。ナディネ様はお小さい時、よく泣いておられましたよ。寂しかったのでしょうね。
そういう時は、我が儘を言うなとマース様に張り倒されて、腕を掴まれて引き摺られておいででした」
「なにっ?!」
「痣が残るような暴力はありませんでしたが、扱いは酷かったです。暴言も酷いものでした。本人は隠しているつもりだったのでしょうが、興奮すると声は大きくなりますからね。東棟の使用人はみんな知っておりました。まあ、隠そうとしたのも最初だけでしたが」
「……っ……!」
「そして見かねた使用人、数名があまりに酷いと家令に訴えて馘首されました。私は家族を養わなければならなので、馘首される訳にはいかなかったのです。沈黙を貫いて残ったのが、今の使用人です」
あまりにも酷い実態に、侯爵は絶句した。
侯爵だけでなく、サルーネも他の棟の使用人達も、青い顔で沈黙した。