魔法陣研究所2
もやもやを抱えたまま数日過ごしたナディネは、また王宮へ出掛けた。
今度はシグナスが代表を務める魔法陣研究所だ。
治癒魔法陣の開発者本人に直接話を聞きたいという意見が出たらしい。詳細はシグナスが説明したが、上手に構築出来た部下は一人もいなかった。
シグナスは渋った。単純にナディネを外に出したくなかっただけである。
でもせっかく開発した治癒魔法陣なのに、ナディネとシグナスしか使えないというのは勿体ない。
だから乗り気でないシグナスから打診があった時、ナディネは快く引き受けた。魔法陣に興味を持つ人達に会ってみたかったのもある。
だからナディネはどきどきわくわくしながら、魔法陣研究所に足を踏み入れた。
シグナスの後について部屋に入ると、学校の教室のような部屋に所員が勢揃いして待っていた。壁際の書棚には書物がぎっしりと詰まっていて、後ろの方の棚には束の紙類が乱雑に積まれていた。
もしかしたら古代言語の本があるのかな。
ナディネは一瞬そちらに興味を引かれたが、席に座っていた全員が一斉に立ち上がったので視線を戻した。
揃ってシグナスとナディネに頭を下げられて、思わず怯んだナディネの背中をシグナスに支えられた。
シグナスによる軽い紹介の後、シグナス主導で流れるように講義が始まった。
全員の手元には既に治癒魔法陣を記した紙が配布されている。中心部分の基礎の説明から始まり、外側へ向けての文言の説明がされる。古代言語の正しい発音の仕方や意味を、ナディネも丁寧に捕捉した。
そして質疑応答になり、ナディネはすらすらと答えた。開発者なので当然である。開発途中で躓いた箇所や文言、ややこしい言い回しについても詳しく説明して、なるべく分かりやすく伝わるように頑張った。
研究所員達も真剣に話を聞いていた。若造だからと侮る人はおらず、次々と質問の手が挙がる。真面目にメモを取り、手のひらの上に魔法陣を展開させようと試みている。
実際に他の人が展開しようとするのを、ナディネは間近で観察してみた。机の間を縫うように歩いて、個別の質問に答える。
一時間も経つ頃にはポツポツと成功させる人が出て来て、所員達がどっと湧いた。
ナディネも嬉しくなって拍手した。シグナスと目を合わせて微笑み合う。
「ナディネの説明はとても分かりやすい。こんなにすぐに効果が出るなら、もっと早く連れて来ればよかったな」
「ええ。僕も積極的に説明に赴くべきでした」
自分の開発した魔法陣……本来はトラを治療する為に開発したけれど、今となってはもっとたくさんの人に利用して欲しい。その為には魔法陣を作れる人を増やさなくてはならない。
和やかに所員達の質問に答えていると、途中で防護魔法陣についての質問が出た。
「……あのう……ナディネ様は防護魔法陣も完璧に作り出せるのですよね?」
「はい」
「私は第三層までは作れるのですが、どうしても第四層が作れなくて滞っていて……何か助言を頂けませんか?」
防護魔法陣はシグナスの開発なので一瞬戸惑ったが、完成形を作り出すまでの苦労は身に染みているので頷いた。
「僕でよろしければ」
ナディネは持参した本を取り出した。幼い頃から支えだったシグナス著作の分厚い本を、もしかしたら必要になるかもしれないと持って来ていた。
第三層から第四層にかけての頁を開くと、その所員は息を呑んだ。
「すごい書き込み……」
その声が聞こえた両隣の所員達も、身を乗り出して覗き込んできた。そして同様に大きく目を剥く。
「うわっ、凄い……!」
「なんだこれ……びっしりと細かい文字が……」
「え? なに?」
「どうした?」
声が聞こえた所員達が殺到し、見開き頁を覗き込んで絶句する。
「なにこれ!」
「すごっ!」
「ええと、お恥ずかしいです……」
幼い頃に解読を始めたので、高い本だと知らなかったのだ。貴重な本にこんな風に直に書き込みをする人はいないだろう。
ナディネは羞恥で顔を染める。
しかし所員達の目は一様に尊敬の色を浮かべていた。だからか……と納得する者もいる。
「ええと、僕の失敗でよければお話します。第四層を作り出す時に躓いた箇所ですが、ここの『ο』と『ρ』を読み間違えていたのが大きいです。文字と発音がよく似ていて混同しやすいですが、意味が全く違ってきます。他にもここの『σ』もそうです。細かい文字で混同しやすい上に何箇所もあります。念入りに確認をして、正しく理解したら成功しました」
書き込みを指で指し示しながら話すと、所員達は食いついてきた。
「そうか! そうかもしれない!」
「私ももしかしたら同じ過ちを!」
そこから急に防護魔法陣の訓練になり、ナディネは次々とアドバイスを求められて、快く応じた。
途中でシグナスと目が合い、気を悪くされないかと視線で伺ったが、にこにこしていたので構わないと判断して続けた。
するとこれまで何年も成功出来なかった副所長が、完成形を作り出すのに成功したのだ。
「やった! 出来た!」
大喜びの副所長は半泣きで飛び跳ねて、全身で喜びながらナディネに感謝を伝えてきた。
「ありがとう! ついに出来た! ようやくっ……ようやくだ!」
「おめでとうございます。完璧な防護魔法陣……奇麗ですね」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
興奮した副所長に両手を掴まれて、ナディネはぶんぶん振られた。半泣きで大喜びする副所長を見ているだけで、ナディネも感動してくる。
副所長の成功を見た他の所員達も、目の色を変えて防護魔法陣に取り組み始めた。
ナディネは本の書き込みを見て思い出しながら、自分はこういう失敗をしたと幾つかの経験を話して聞かせた。
するとやはり同じ箇所で同じ過ちをしている人がいたらしく、三人もの所員が完成形を作り出すのに成功したのだ。
これまで何年も躓いてきた事を考えたら快挙で、シグナスも目を瞠っていた。
何人もの人に感謝されたナディネは、時間がきたとシグナスに促されて部屋を後にした。
シグナスがしみじみと呟く。
「ナディネは人に教えるのが上手なんだな」
「いいえ。自分の失敗を話しただけですから」
ナディネはこの短い講義で何となく察していた。もしかしたらシグナス本人も気付いたのかもしれないが。
おそらくシグナスは人に教える事に向いてない。天才型なので、細かい説明なしでもすとんと理解してしまうのだ。だから治癒魔法陣の習得も早かった。
でも他の人はそうじゃない。シグナスのように感覚でコツを掴む事が出来ないので、地道で細かい作業が必要になる。シグナスにはその感覚が分からないので、いくら言葉を尽くしても微妙な齟齬が出るのだ。
防護魔法陣は繊細なものなので、その僅かな齟齬があれば失敗してしまう。だからこれまで他の所員達は成功しなかった。
でも努力型のナディネは違うので、所員達と同じ目線で見られる。指摘できる。その違いが今回の大幅な飛躍を生んだ。
帰りの馬車の中で、ナディネはとても感謝された。隣に座ったシグナスに頭を撫でられて、至近距離で微笑み合う。
役に立てた事が本当に嬉しかったナディネは、初めての体験に興奮したのか不思議な感覚がしていた。ふわふわと地に足がついてないような、そんな感じ。何となく落ち着かない。
それを見越したらしいシグナスに、宥めるように引き寄せられた。
ナディネは素直にシグナスの肩に頭を預けて、静かに目を閉じた。




