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最後の日

 学校が長期休暇に入るタイミングで、ナディネとトラは本格的に冒険者一本に絞ると決めた。あと半年で卒業だが、もう学校に通う理由はない。


 その日が近付いてきて、ナディネは落ち着かなかった。

 冒険者として生きていく事に不安はないが、どこかそわそわしてしまう。孤独しか感じない家をようやく出られるのだ。嬉しいし、ずっと心待ちにしてきた。


 生まれてきてからずっと暮らしてきた家だというのに未練もない。忙しくて顔を合わせない父と兄は遠い存在で、身近な執事からは罵倒されながら育った。

 当主である父に疎まれると、使用人からも冷たくあしらわれるものらしい。雇い主は父なので、父がどうでもいいと思う存在は、使用人にとっても傅く価値はないようだ。


 それについては自分の能力が低かったせいなので、父を恨む気持ちもない。兄のように優秀なら違ったのだろうかと夢想する事も、とうにやめた。


 それでも微かに、楽しかった記憶もあるのだ。

 まだ小さくて母も生きていた頃だと思う。屋敷の庭で、新緑と眩しい日差しの中、父と兄と一緒に楽しく笑っていた、きらきらした記憶の欠片。

 兄が木剣を持っていたので、父が兄に剣術指導をしているのを見学していたのだろう。自分の手にも重い木剣があり「ナディネにはまだ早いな」と父が笑っていた。


『ナディネは防御に特化した方がいいかもしれない』


 そう言ったのは誰だったのか。

 脳裏にこびりついたその言葉に従うように、ナディネは物心ついた時には魔法陣の専門書を手にしていた。

 おそらく父が買い与えてくれた物だと思う。学校に上がってから知ったが、とても高価な本らしい。


 トラと親しくなったばかりの頃、とても驚かれた。魔法を使う貴族は珍しくないが、魔法陣など見た事もないと。

 学校の魔法学の授業でも、さらっとした説明だけで実技の授業はなかった。


 学校の先生も詳しくないようだった。治癒魔法の魔法陣を開発しようと試行錯誤していた時、質問しに行ったのだ。

 しかし怪訝な顔をされただけで、何のアドバイスも貰えなかった。魔法陣は魔法学の教師ですらよく知らない分野なのだと、その時に知った。


 ナディネが物知らずなのは無理もない。

 学校へ通うようになるまで、ナディネは本当に一人だった。外出は禁止で、食事時に食堂へ出向く時以外は自分の部屋から出てはいけない。

 雷雨が怖い夜も、凍えそうな寒い夜も、いつも一人。怖いからと使用人を探してはいけない。父や兄の部屋を訪ねるなど、とんでもない。寒いと訴えてもいけないし、そんな事をしたら、あの不機嫌な執事を更に怒らせるだけだった。

 

 魔法陣は孤独なナディネの救いだった。兄のように家庭教師をつけられる事もなかったナディネには、魔法陣の本しかなかったのだ。

 子供には分厚い本だが何度も何度も読み返して、一字一句間違えないほど完全に暗記した。それだけの膨大な時間があったのだから。


 トラにはそれにも驚かれた。よその貴族の家では、みんな学校へ通う前に家庭教師から学ぶらしい。ナディネのように何も学んでない生徒は、ほぼいないと。

 学ぶのは一般常識や算術、魔法学、歴史、地理などの基礎知識。平民でも教会の勉強会で、文字や算術、国の仕組みくらいは学んでいると聞いた。


 ナディネも文字は読めたが、それは部屋にあった教本の知識でしかなかった。それは幼子の手習いで、五歳児並のものだった。

 かろうじて辞書があったので、魔法陣の本は辞書を片手に単語を一つ一つ調べた。それでも分からない単語が多く、完全に内容を理解したのは学校へ上がって図書室に通い詰めてからだ。古代言語という特殊な言語が使われているという事も、そこでようやく知った。

 つまり学校へ通う十三歳にもなって、まともに算術も出来ない、礼儀作法も身についてないナディネは平民以下だった。


 入学当初、憐れんだトラに教わりながら猛勉強した。

 基礎知識がないナディネはどの授業にもついていけず、先生が何を言ってるのか全く判らなかった。そんな貴族子息など前代未聞だ。

 

 首席の兄と比べられる以前の問題だった。最初の長期休暇はトラの実家の伯爵家に泊まらせて貰い、基礎知識をみっちり詰め込まれた。

 貴族の礼儀作法もその時に教わった。トラの両親や兄弟も協力してくれて、初めて人の温かさを知った。


 そこで本当の『家族』というものを初めて目の当たりにして、ナディネには家族がいない事を思い知らされた。父という名の男の人、兄という名の男の人と、同じ屋敷内で暮らしていただけだった。


 自分という存在は何なのか、何故生かされているのか悩んだ時期もある。とっくに諦めたはずの愛情を欲したり、そんなもの幻だと苦しんだり、消え入りたくなったり、落ち込んだりした。眠れない夜を何度も何度も過ごした。


 そんな苦しい時期を何とか乗り越えられたのは、ひとえにトラのお陰である。

 冒険者の仲間に誘ってくれて、将来の道を示してくれた。ナディネは成人してこの家を出る事を目標にして、これまで頑張ってきたのだ。


 ナディネは今回の長期休暇中に十七歳の誕生日を迎える。この国では十七歳で成人として認められるが、トラはもう成人していた。


 ようやくその時がきた。


 冒険者用の装束や荷物は、既にトラの家に預けてある。後は身一つでこの家を出て行くだけだ。




 最後になる夕食の席に、珍しく父がいた。結婚準備に忙しいという兄もいた。

 二人がナディネに興味がないとはいえ、一言もなく出て行くのは躊躇われた。


 ナディネはそれでも感謝しているのだ。これまで隙間風のない立派な家に住まわせて貰って、衣類も与えられた。食事を抜かれる事はなかった。学校にも通わせて貰えた。


 冒険者として活動する中、平民の冒険者たちと触れ合う機会もあって、ナディネの境遇が恵まれていると知った。孤独ではあったが、平民では考えられないほどの恵まれた環境で、過ごしてこられたのだ。


 だから食後、食堂を出る前に父の元へ歩み寄った。

 怪訝そうに顔を上げた父に向かって、軽く頭を下げた。


「……れまでありがとうございました」


「ん?」


 直接、父と話すのは何年かぶりだったので、小声になってしまった。

 しかも唐突だったので父は首を傾げている。

 ナディネはその視線から逃れるように兄を振り返ると、軽く会釈をした。

 いつもの行動ではないので、兄もきょとんとしている。

 最後まで挙動不審で上手く出来ない自分に苦笑しながら、ナディネは踵を返して食堂を後にした。


 東棟の部屋に戻ると、机に向かった。

 これからの事を父に報告する必要はない。忙しい人に、そんな無駄な時間を取らせる訳にはいかない。だからメモだけでいいのだ。


 学校を退学すること。事務手続きに保護者の署名が必要らしいので、その書類を置いておくこと。

 長期休暇後は成人なので必要ないかと思っていたが、学校事務の人に渡されたのだ。最終学年のこの時期に退学する者はいないので、本当に退学するのかと何度も確認された。

 最後に、これまで育ててくれた事への感謝の言葉を短めにしたためた。


 そして壁の本棚から分厚い本を取り出した。

 高価な本だったのに、もうボロボロになってしまっている。大事な大事な、ナディネの心の支えの本。


 これを書いたのは王弟だという。今の国王の弟で、とても優秀なのだそうだ。トラの両親から聞いた。


 どんなお方だろうと、何度も想像してみた。お目にかかる機会はきっと一生ないが、まだお若いそうだから、ずいぶん若い時にこの本を執筆なさったのだ。凄い人だ。


 冒険者として活動していたある時、前衛のトラが負傷した事があった。幸い大した怪我ではなかったが、もしも深い傷だったらと思ったら怖くなった。ナディネにはトラしかいないのだ。

 だから治癒魔法の魔法陣を描いてみようと思い立った。


 ナディネは古代言語を調べる為に学校の図書室へ通った。そして一から単語を調べ、呪文を繋げて陣を描いた。

 何度も何度も失敗した。選ぶ単語の種類と繋がりと順番、一つでも違うと発動しなかった。

 約三年かけてようやく成功した時は、トラと共に飛び上がって喜んだものだ。


 ナディネの治癒魔法の魔法陣は手のひら大の大きさしかないが、王弟の防護魔法陣は成人男性をすっぽり覆うくらい大きい。びっしりと様々な種類の魔法効果が紡がれていて、威力も凄い。


 あんな素晴らしいものを作った王弟は、ナディネの憧れの人だ。心の底から尊敬している。


 ナディネは荷物の中に分厚い本を忍ばせた。荷物になるが、これだけはどうしても手放せない。


 これからは自分の力で生きていかなければならない。トラと二人で協力しながら、平民として生きていく。

 そんな決意を胸に、ナディネは最後の夜を過ごしたのだった。




 翌朝、朝食の席に二人はいなかった。

 ナディネは一人で食事を終えて、学校の制服に着替え、馬車に乗った。

 学校までの送迎はいつものこと。冒険者として活動するようになってからは、迎えは断るようにした。トラの家の馬車で送って貰うようになったからだ。


 学校に到着し、馬車を降りる。

 いつもの御者にお礼を言って見送るのも、これが最後だ。

 何となくぼうっと佇んでいたら、先に到着していたらしいトラがやって来た。


「おはよう、ナディネ。いよいよだな」


「うん。よろしくね」


「こっちこそ」


 二人して笑い、最後の登校日を過ごす為に校舎に向かったのだった。

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