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公爵令息

「おい」


 ナディネはトラと一緒に廊下を歩いていて、自分を呼び止められたのに気付かなかった。


「おいっ、無視するな! お前だ、ナディネ・ブロドーク!」


「え?」


 驚いて振り返ると、男子生徒の集団がいた。先頭に一人いて、その後ろに取り巻きと見られる生徒達が並んでいる。

 トラ以外の生徒とほとんど話をした事がないので、ナディネは首を傾げる。こんな風に呼び止められたのも初めてだ。


 先頭の生徒は不機嫌そうに顔を歪めていた。背が高くて金髪に青い瞳。顔立ちも整っていて、色からすると王族に近い血縁の者だろう。

 その顔に見覚えがあるような気がして、ナディネは注視する。


「お前、卑怯だぞ。防護魔法陣なんて高度な技を使うなんて」


 あぁ……とナディネは腑に落ちた。


「決勝戦の人」


「あ? 俺が誰か知らないのか?」


「ごめんなさい。疎くて……でもこれまで話した事もない……はず」


「俺はサタユリ公爵家のジダンだ」


「サタユリ公爵家……」


 ナディネはさっと居住まいを正して礼をした。公爵家の中でも順列が上の、歴史の古い由緒正しい公爵家だ。


「あぁ、そういうのはいいから。そうじゃなくて」


 ジダンは大きく手を振った。

 ナディネは顔を上げる。


「ナディネ・ブロドーク。お前のせいで魔法学の首席を逃した。得意科目で負けたのは屈辱だ」


「屈辱……」


「公爵家の嫡男として全科目首席を目指していたのに……よりによって魔法学を落とすとは……」


「全科目首席……凄い。兄さまみたい」


「そう、それだ! 俺はずっと有名なお前の兄と比べられて、幼い頃から乗り越えようと頑張って来たんだ! それなのに最終実技試験でお前に負けた!」


「あ―……それはすみませんでした。でも僕にも事情があるので」


「まさかノーマークのお前に負けるとは思いもしなかった」


「でしょうね」


 ナディネは淡々としている。

 きっとこの男は最終実技試験に向けて対策を練っていたのだろう。決勝戦に上がってきそうな対戦相手を調べ上げ、戦略も練っていた。

 それがまさか完全に無警戒のナディネが勝ち上がってくるとは思いもしなかったに違いない。

 でもそれは仕方がない。ナディネはこれまで、どの教科も一度も十位以内に入った事はなく、名前が貼り出された事もなかったのだから。


「お前、あれだけ強いのに何で実力を隠してきたんだ? 筆記試験も急に伸びて名前が載ってるし。俺を油断させる為か?」


「まさか。そんな面倒な事をわざわざする筈がありません。単純に勉強時間が増えただけです」


「は?」


「失礼します」


 今更文句を言われても、どうしようもない。ナディネは軽く会釈して立ち去ろうとしたが、させてくれなかった。


「おい、待て。話はまだ終わっていない」


「……なんでしょう」


「お前、卒業パーティーには出るのか?」


「はい?」


 突然の話題転換に、ナディネは目を丸くする。


「これまでお前は学校主催の模擬夜会に一度も出ていないと聞いた。卒業パーティーはどうするつもりだ?」


「出席します。最後なので、父から出るよう言われています」


「そうか。同伴者は決まっているのか?」


「はい」


「だろうな。この時期に決まっていない方がおかしい」


 公爵令息は少し残念そうに口元を歪めた。

 ナディネはきょとんとなる。

 彼は言い訳するように目線を泳がせた。


「いや、父に訊いて来いと言われたんだ。最終実技試験で負けたと話したら、お前に興味を持ったらしい」


「は?」


「父に尋ねられても、俺もほとんど知らない。……少し怒られたぞ。あのブロドーク侯爵の次男と同級生なのに、何で知らないのかと」


「はあ……」


「友人達に尋ねても知らないと言うし。婚約者がいるという話も聞かないと」


「いませんからね」


「そうか。俺も父に訊いて来いと言われただけだ。すまんな。それだけだ」


「はい……」


 公爵令息は取り巻きをゾロゾロと引き連れて去って行った。


 ナディネはトラとそれを首を傾げながら見送った。




 その時は何だろうな……くらいの感想だったが、それ以来、卒業パーティーの同伴者について尋ねられる機会が増えた。名前も知らない同級生や下級生、教師からも訊かれた。

 その度に既に決まっていると答えたが、みんな残念そうに肩を落としていた。 


 不思議がるナディネはその件について父に報告したが、父の顔は盛大に引き攣っていた。

 隣の兄も眉を顰めている。


「こうなると殿下に決まっていてよかったのかもしれません。悔しいですが、守護者としてはこれ以上ないほど適任な方です」


「うぅ、実は私に直接打診してくる者も数名いたのだ。ナディネとの婚約を……」


「えっ、そうなのですか?」


「侯爵の身分では断りづらい高位の方もいた」


「あぁ……ではやはり王弟殿下がいて下さらなかったら危ないところでしたか……」


「悔しいが、そうなのだ」


 王弟の求婚を認めたくはないが、少なくともナディネは王弟に心酔している。

 魔法陣開発という生き甲斐は、これからのナディネになくてはならないものだ。ナディネの希望する未来を支える為には、王弟の存在は欠かせない。


「でも結婚などと……まだ早いっ」


「お気持ちはよく分かりますが、少なくとも面倒そうな他の方達は、王弟がいる以上、手出し出来ません。今はそれでよしとしましょう」


「そうだな……うぅ……」


 父と兄は顔を突き合わせて、結構長い間、こそこそと話をしていた。

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