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論文の波紋

 論文を発表したら騒がしくなると、あらかじめ王弟から言われていた。

 しかし王宮で長く働くブロドーク侯爵も、いまいちぴんときていなかった。そもそも侯爵は論文に関わっていない。騒がしくなるとしたらナディネの周囲だろうと、そう思っていた。


 しかし違ったのだ。


 いつものように与えられた自分の執務室で書類を捌いていたら、騎士団長の訪問を受けた。論文発表の当日だった。


「団長!」


 昔の部下である現役の騎士団長にそう呼ばれ、侯爵は苦笑する。


「私はもう団長ではないと何度言えば……」


「それどころではありません! 治癒魔法陣を開発したのはご子息で間違いないですかっ?」


 執務机に積み重なった書類を吹き飛ばす剣幕で迫られて、侯爵は慌てて押さえる。


「そうだが……」


「今度の遠征に同行して頂きたい! 治癒魔法陣の使い手がいてくれたら心強いのです!」


「それは駄目だな」


「えっ?!」


 まさか断られると思っていなかったらしい騎士団長は、大きく目を瞠った。


「何故ですかっ? 今度の遠征は魔獣暴走の可能性があって、万全の準備をしておきたいのですっ」


「ナディネはまだ学生だ。許可出来ない」


「えぇっ?! 嘘でしょう?!」


「嘘ではない。そんな危険な旅に同行させるなんて無理だ」


「学生? 学生があの優秀な魔法陣を作り出したのですか?」


「そうだ」


「なんと! 魔法省の役人ですら不可能だったのに……」


 騎士団長は唖然としている。


 侯爵は心の中で呟く。

 そうだ。ナディネは優秀なのだ。あの王弟ですら挫折した治癒魔法陣を完成させたのだから。

 ナディネの素晴らしいところはそこだけではない……と自慢を始めると止まらなくなるので、侯爵は冷静を装って冷たく繰り返す。


「魔獣暴走だろうが、今の騎士団で対処しなさい。私の次男は派遣しない。嫡男だけでも充分戦力になっているだろう?」


「それはそうですが……」


「話は終わりだ」


 まだ食い下がりたい騎士団長を強引に退室させようとしていたら、今度は宰相がやって来た。


「あぁ、騎士団長。お邪魔だったかな?」


「いや、もう帰るところだ」


 もう帰れと侯爵に目線で促された騎士団長だが、まだ納得いかないのか「い、いや団長……」と縋ろうとしている。


 大きな図体の騎士団長が侯爵に泣きつく光景はよく目にするので、宰相はあっさりと無視した。


「そうかい。ところでナリタ、お前の次男が開発したという治癒魔法陣の事なのだが……」


「私に訊かれても困る。詳しい事は王弟殿下に尋ねてくれ」


「王弟殿下は魔法省の役人や教会関係者に説明するのに忙しいのだという。陛下と妃殿下が詳しく知りたいそうなのだが……」


「王弟殿下が暇になってからでいいだろう。私は何も知らない。うちの子に尋ねるのも断固お断りだ」


「……そこを何とかならないか?」


「ならない。ナディネはまだ学生だ。それに詳細は論文に書いてある。それを読め」


 けんもほろろの侯爵に、宰相は降参した。


「分かったよ。陛下にはそうお伝えしておく」


 宰相が粘らずに退散したのは、侯爵を頼ってきた長年の習慣を改善しようとしているからだ。これまで頼りにし過ぎたのを反省している。


 騎士団長と宰相を追い返した侯爵だが、その後も次々も訪問者が現れては仕事を中断された。

 領地が隣接する領主だったり、教会関係者だったり、顔も忘れているような昔の同級生だったり……。

 用件は全て同じ。ナディネの治癒魔法陣で助けて欲しいという依頼だ。


 もちろん学生である事を理由に全て却下したが、本当にきりがなかった。それだけナディネの開発した魔法陣が優秀で、求められるものだったという事だ。 


 侯爵の周囲ですらこうなのだから、ナディネの近辺にも注意を払わなければならない。

 侯爵は学校の登下校の馬車に護衛を二人追加した。





 しかしその数日後、ナディネ本人から驚くべき報告を聞いたのだ。

 その翌日、侯爵は自ら学校へ乗り込んだ。もちろん苦情の申し立てだ。


「学校長、外部の人間を保護者の許可もなく無断で校内で生徒に会わせるとは、どういうおつもりか。しかも教師の仲介だったそうだ。言語道断と言わざるを得ない」


「そ、そんな事が?」


「学校長はご存じない? それは大変な事だ。教師が無断で外部の人間を校内に招き入れる。もしそれが犯罪者だったらどう責任を取るのだ?」


「も、申し訳ございませんっ」


「その教師をここへ」


 護衛を二人連れて学校長室に乗り込んだ侯爵は、ソファにゆったりと腰かけて、昨日、ナディネとトラから聞き出した教師の特徴を告げた。

 教師の個室の場所も、管理棟の東出入口から入って三番目だと詳しく教えておく。


 蒼白になった学校長は、部下に命じて教師を連れて来るよう命じる。

 個室の場所から特定されたのか、教師はすぐに連行されて来た。青白い顔色で侯爵の前に押し出される。


 侯爵は悠然と足を組み換えた。


「学校長、この者の名は?」


「はい。ユート・サガロール。サガロール伯爵家の三男です」

 

「あぁ、サガロール伯爵ね。ふうん。伯爵家の三男が不当に侯爵家の次男を呼び出し、偽者扱いしたのか。教師という立場を利用して」


「……っ……!」


 教師はガタガタと震えている。


「ナディネの論文が偽物だと決め付けたそうだが、証拠あっての事だろうな? 今すぐ出しなさい。私が直々に精査しよう」


「そ、それは……」


「学校の教師が証拠もなく、思い込みで生徒を断罪するなどあってはならない。そうだな? 学校長」


 話を振られた学校長は「そうです」と頷いている。


「私も興味がある。ナディネが特殊な魔法陣を開発したのは事実なのに、教師が決め付けるのであれば、根拠となる何かを手に入れたのだろう。ある筈のない証拠が出回っているのなら、速やかに回収しなければならない。無論、事実無根の出鱈目な証拠を作成した者も、迅速に特定しなければ……」


「ございませんっ」


「なに?」


「そんなものはございませんっ」


 侯爵は不愉快そうに目を眇める。


「証拠もないのに決め付けたのか? 学校の教師という立場の者が?」


「申し訳ございません! 私が間違っておりました。本当に申し訳ございませんでした!」


「………………同席したという外部の者は何者だ」


 侯爵の容赦ない追及に、教師は観念した。


「私の従兄弟です」


「魔法省の役人……魔法陣研究所の所員だな?」


「はい」


「ふん。そちらは王弟殿下に任せよう」


 所員の名を聞き出した侯爵は脳裏に刻み、学校長へ重ねて問う。


「この者は教師には不向きではないか?」


「そ、それは……」


「従兄弟とはいえ外部の人間を学校長に無断で校内に引き入れ、個室に生徒を呼び出し、大人二人がかりで責め立てる。それが教師のする事か? 教師としての適性を疑わざるを得ない」


 学校長は深く頭を下げた。


「仰る通りでごさいます」

「……………っ!」


 学校長の言葉に、教師は絶望した。

 しかし学校長は慎重に言葉を選んで続ける。


「今回の事は本当に申し訳ございませんでした。完全にこちらの落ち度で、ご子息には改めて謝罪にお伺いします」


「それは不要だ。ナディネはとても忙しい。その者の為に割く時間はない」


「そ、そうなのですか……」


 学校長は額の汗を拭きながら、何とか続ける。


「本当に申し訳ございませんでした。今後、二度とこのような事がないよう指導します。他の教師にも徹底させますので」


「その者の処分は?」


「外部の者を無断で引き入れたのは規則違反なので、とりあえず謹慎処分に致します」


「それだけか?」


「もしかしたら同じような事を他の生徒にもしているかもしれません。その調査が必要なので、どうしても時間がかかります。その上で改めて処分を決めようと思います」 


「なるほど。確かに今回が初めてではない可能性がある。調査はしっかりと……他の教師も似たような事をしていないか徹底するように。そうして頂けるのなら、こちらからはこれ以上、何も言わないようにしよう」


「………ありがとうごさいます」


 深く頭を下げた学校長と、がっくりと項垂れた教師を残して、侯爵は部屋を後にした。


 どうせ大した処分にはならないだろうが、釘を刺すのが目的だったので構わない。


 それよりも王弟に会わなければならない。侯爵は王宮に向かって馬車を走らせた。

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