魔獣暴走
トラとナディネも蒼白になった。
話に聞いた事はあった。数年に一度の頻度で起こる大きな災害。普段は山奥や森の奥に生息する魔獣が、突然群を成して暴れ出し、町を襲う。町の外壁が壊されたら被害は途轍もなく、昔は全滅した町もあったと聞く。
魔獣暴走……最悪の事態だ。
そもそもギルドでさえ想定していない事態だ。あまりにも突然の出来事にベテラン勢も目の前の敵を倒すので精一杯で、他のチームのフォローに回る余裕はない。
魔獣暴走の兆しはあったのか……。
小型や中型の魔獣が現れるようになったのは、その前兆だった? 森の奥からターナロンの群れが迫っていたから、逃げて来ていたのか。
ナディネは何度も魔法陣を作り出しながら、焦燥に駆られた。
これまでこんなにたくさん魔法陣を作り出した事がない。魔力が物凄い勢いで減っていくのが分かる。いくら魔法陣の消費魔力が少なくても、このままでは魔力切れを起こして倒れてしまう。
しかし目の前で今にも踏み潰されそうになっている人を見殺しには出来ない。
つい反射的に防護魔法陣を展開させてしまい、頭から血の気が引く。足から力が抜けそうになり、必死に踏ん張った。
「ナディネ!」
目の前の魔獣を仕留めたトラが駆け寄って来たが、ナディネは堪えきれずに膝をついた。
「大丈夫か?! 魔力を使い過ぎだ!」
「分かっている……でも……」
「下がろう」
トラは無傷だったが、あちこちから苦痛の声が聞こえてくる。怪我人も多いようだ。
魔法を使える者がいなくなり、剣を振るう冒険者にも疲労の色が見える。
あまりにも数が多すぎた。斬っても斬ってもきりがない。結構な数を斃していて死骸もあちこちに転がっているのに、その死骸を踏みつけてターナロンが前進してくる。
皆の頭に『撤退』という文字が浮かんでいた。でも撤退したらどうなるか……それもおそらく皆の頭に浮かんでいた。
今この町の冒険者チームのほとんどが集結して戦っている。
町に残っているのはランクの低い冒険者と、一般市民だ。ここで斃しきれなかったターナロンが町を襲ったら被害はどれほどになるか。頑丈な外壁に囲まれているとはいえ、ターナロンの巨体での体当たりは脅威だ。町には家族もいる。
だから冒険者達は限界を感じながらも、撤退しなかった。
トラとナディネもこれ以上は戦えないところまで追い込まれていたが、逃げようとはしなかった。足が動かなかったのもある。
ナディネは魔力切れで限界だと分かっていたが、トラを噛み千切ろうと迫ってきたターナロンに向けて、最後の力を振り絞って防護魔法陣を展開した。
防護魔法陣に阻まれた牙がガチンと痛そうな音を立て、ターナロンは後ろに転がった。
同時にナディネは気が遠くなり、ぐらりと倒れた。
「ナディネ!」
咄嗟に支えてくれたトラの腕の中で、ナディネはさっきとは別のターナロンが、こちらに突進して来るのを見た。
あぁ、もう声も出せない。指先すら動かせない。トラ……逃げて……。
迫って来るターナロンがスローモーションのようにゆっくり動くのを、ナディネは為す術なく見詰めていた。
でも次の瞬間、突然視界が真っ白になった。同時に耳をつんざく轟音が辺りに響き渡り、目の前に大きな防護魔法陣が浮かんだ。
防護魔法陣に阻まれて、ターナロンの巨体が後ろへ跳ね返されたのが見えた。
………………え?
ナディネは目を疑った。
魔力切れのナディネが作ったものではない。しかし目の前のこれは、とても見事な防護魔法陣で……。
「ナディネ! 大丈夫か!」
声と同時に、信じられない人が視界に飛び込んで来た。
「怪我をしているのかっ?」
「いいえ、魔力切れです」
焦りからか髪を乱しているその人に、トラが戸惑いながらも返答している。
「そうか、このまま動くなよ」
「すぐに片付けてやるからな」
ホッとしたように鋭い目元を緩めたその人は、こんなところにいる筈のない父だった。隣には兄もいて、優しい微笑みを浮かべている。
何故……どうして……。
こんなところにいる筈がない……。
幻……? 白昼夢……?
混乱するナディネの目の前で、二人は同時に魔法の詠唱を始めた。呪文が揃っていないので、違う種類の魔法を放とうとしているのが分かった。
そして詠唱が終わると同時に、またも視界が真っ白になり轟音が轟いた。父の雷魔法だった。雲と地面を繋ぐ巨大な稲妻が幾つも出現し、ターナロンを感電させている。
別の方向には兄が氷魔法が放っていて、ターナロンが次々と凍っていっている。辺り一面銀世界になり、急激に温度が下がった。
あっという間に、その平原は黒焦げのターナロンと氷漬けのターナロンで埋め尽くされた。森の奥から飛び出して来る個体も次々と斃れ、やがて途切れた。暴走が終わったのだ。
これまで奮闘していた冒険者達は茫然と事態を見守り、棒立ちになっている。
そして動いているターナロンがいなくなったのを確認して、泣きそうな顔で咆哮した。
わああああああという大きな歓声がしたのと同時に、ナディネは意識を失った。