カディシス伯爵領
乗り合い馬車に揺られながら、ナディネとトラはカディシス伯爵領を目指していた。
冒険者として独り立ちするとはいえ、土地勘のない場所でいきなり生活するのは難しい。家を借りる段階で、ある程度まとまった資金が必要になる。無理をすれば借りられたが、最初からそう気張る事はないと、トラの両親に説得されたのだ。
ひとまずトラには馴染みのあるカディシス伯爵領の屋敷に住まわせて貰い、現地の冒険者ギルドで実績を積む。余裕が出来たら町中で家を借りて、トラと同居生活を始める予定だ。
何しろ二人とも生活力がない。掃除も洗濯も料理もした事がないのだ。平民の当たり前の暮らしをしようとするだけで呆然となるのは目に見えている。
冒険者として仕事をするよりも、まずその経験を積む時間が二人には必要だった。屋敷で使用人から教わる予定である。
何事もなく領地屋敷に到着し、執事や使用人達から歓迎された。当主であるトラの父親から予め説明があったようで、しばらく滞在する予定の部屋に通された。
「お世話になります」
ナディネが礼儀正しく頭を下げると、執事は愛想よく笑った。
「いいえ。トラ坊ちゃんに相棒が出来て、私共もひと安心です。こちらこそよろしくお願いします」
執事に坊ちゃんに呼ばわりされて、トラは嫌そうに顔を顰めている。
ナディネにはそれがとても微笑ましく感じた。何しろ自分は執事に『お前』とか『あれ』としか呼ばれた事がなかったので。
トラの部屋へ行き、打ち合わせをする。
「明日はとりあえず冒険者ギルドに行って、簡単な採取の仕事を請け負うか。休息日に洗濯や掃除を習う。それでいいか?」
「うん。いきなり何もかもは難しいもんね」
使用人の人達とも挨拶を交わして、顔を覚えて貰った。
ナディネはいま客人扱いだが、それも少しの間だけだ。冒険者として生きていくと決めたのだから努力しなければならない。
もう貴族子息ではないのだからと、ナディネは改めて心に刻んだ。
翌日、冒険者ギルドに足を運んで、依頼が貼られている掲示板を眺めた。
「結構、討伐の依頼が多いんだね」
「そうだな。この町の北側には大きな森が広がっていて、魔獣の生息地になっているからな。手前に平原があって、農家の人達が働いている。森から魔獣が出て来る事はあまりないが、たまに畑を荒らすんだ」
「人も襲われる?」
「いや、普段よく見かける魔獣は大人しいから。でもたまに凶暴な魔獣が森の奥にある山から下りてくる時があって、その時は討伐依頼が増える」
「今のこの感じは多い方? 少ない方?」
「どうだろう。訊いてみるか」
二人で受付にいき、係の人に尋ねてみた。
「普段からこれくらいの討伐依頼が出てるのか?」
受付の中年男性は少し首を傾げた。
「いや? 普段はもっと少ない。言われてみれば多いかもな」
「多いのか?」
「ああ。森から出て来た魔獣に畑を荒らされたという訴えが多くて。ヨーピンやドロシュなどだ」
「ヨーピンとドロシュか……」
トラが眉間に皺を寄せたので、ナディネは訊いた。
「凶暴なの?」
「大人しくはないな。小型と中型の魔獣で農家の人でも鍬で抵抗できるが、冒険者が討伐しておいた方が安全だ。作業中に背後から不意打ちを食らったら大怪我をするからな」
「僕達でも討伐できるかな? どうする?」
「ヨーピンとドロシュなら俺達でも討伐可能だ。とりあえず採取の仕事を受けて、現地の様子を見ながら対応するか。途中で魔獣が出たら討伐しよう」
「分かった」
「でも慣れるまでは慎重に動くぞ」
「うん」
どこへ向かうかは土地勘のあるトラに任せた。
慎重にという言葉どおり、最初の数日は採取中に魔獣に出くわす事はなかった。
しかし一週間も経つうちに情勢が変わったのだ。
ある朝、ギルドに顔を出すと、冒険者が溢れかえっていた。ベテランから中堅、新人まで勢揃いしている。
ナディネとトラは何事かと顔を見合わせた。
パンパンと手を叩いたギルド職員が、受付で声を張った。
「聞いてくれ! 北の森から出没する魔獣が増えてきている。今日は指名依頼のない者、中級クラス以上の冒険者は皆そこへ行って貰いたい!」
「中級以上……」
トラとナディネは中級だ。ギルドの要請を受けなければならない。
二人は装備を再確認した。きちんと準備してきているので問題はない。
ぞろぞろとギルドを出る冒険者達の後に、二人はついて行った。討伐は久しぶりだが、初めてではない。狩った獲物を処理する方法も学んでいる。
現場の平原に到着すると、ベテランらしき冒険者が指揮をしていた。近くに畑のある農家の人達が、何事かと遠巻きに眺めている。
前にベテラン達のチームが並び、いかにも経験の少なそうなチームは後ろに配置される。
トラとナディネは最後尾だ。若い外見から判断されて、そこに配置されたようだ。王都では数年間の実績を積んできたが、ここでは新人だから仕方がない。黙って従った。
先頭の上位ランクの冒険者チームが森に入って行ったのを合図に、討伐が始まった。
繁みの中や樹木の上に潜んでいた魔獣が次々と姿を現し、容赦なく襲いかかってくる。
最初はベテラン達が優れた連携プレーで薙ぎ倒しているのを、後衛のチームは見守るだけだったが、途中で様子が一変した。
突然、大きな咆哮がしたかと思うと、巨大な魔獣が森の奥から群を成して現れたのだ。
「まさか! ターナロン?!」
どこかで冒険者が叫ぶ。
ターナロンという魔獣はとにかく巨体で、体高が成人男性の二倍はあった。ずんぐりした丸い形の四つ脚の魔獣で、太い前脚で人間を踏み潰そうとしてくる。大きく開いた口に、鋭く尖った長い牙も確認できた。
それが群を成している。冒険者達は一気に劣勢に追い込まれ、ほとんどのチームが大きく後退した。
ナディネもターナロンという魔獣を知っていた。とにかく獰猛で気性が荒く、身体全体を覆う鱗が硬いので物理攻撃が効きにくい。有効なのは魔法攻撃だ。
それを他にも知っている冒険者がいたようで、魔法攻撃に切り替えたチームが複数いた。大きな炎があちこちで上がっている。
トラとナディネも前衛の冒険者チームをフォローしながら戦った。
魔法使いがいるチームは珍しく、ほとんどが苦戦している。物理攻撃しか手段のないチームは複数人でターナロンを囲み、太い脚を何度も斬りつけて動きを封じるしかない。
動きを止めたところを一気に叩く。地味なやり方だが、それしか方法がないのだ。
他のチームに混じってターナロンの脚を斬りつけているトラを守りながら、ナディネは防護魔法陣を幾つも展開していた。
目の前で、今にも踏み潰されそうになっていた冒険者がいた。顔も名前も知らない冒険者だったが、見殺しには出来ない。
防護魔法陣に助けられた冒険者は驚き、ナディネが術者だと察するとサッと手を振って感謝の意を表した。そしてすぐに戦闘に戻っていった。
その繰り返しだった。
ここに集う冒険者チームの活躍で何頭ものターナロンを斃したが、後から後から湧いて出るように森から現れる。きりがなかった。
そのうち疲労が見え始め、幾つものチームが脱落していく。魔法をたくさん使った魔法使いも、地面に膝をついて苦しそうにしている。
「魔獣暴走……」
誰かがポツンと零した言葉に、周囲から悲痛な呻き声が上がった。




