襲撃
しまった……と思った時は遅かった。
わざわざ家紋のない質素な馬車を用意してお忍びを偽装したのは、どうやら無駄だったらしい。
隣町からの帰り道。
王都の外壁まであと少しという所で、盗賊に扮した連中に襲われた。人けのない郊外の道に十数人の襲撃者。こちらは御者と僅かな護衛しかいない。多勢に無勢だ。
いくら自分の腕に自信があるからと言っても、もう少し警戒するべきだった。選りすぐりの優秀な護衛とはいえ、明らかな戦力差で向かって来られては厳しい。
馬車から出るなという護衛の声を無視して、シグナスは馬車の外へ出た。
剣も扱える御者は既に右腕を負傷し、戦闘不能になっている。
三人の護衛達はぐるりと囲む敵とそれぞれ斬り結んでいるが、一人につき二人、三人と相手をしていて、じりじりと後退してきている。
敵は服装だけ見ると盗賊のようだが、剣筋を見れば明らかに違う。おそらくどこかの貴族お抱えの私兵、騎士だ。
舌打ちしたシグナスは、護衛たちの前に大きく防護魔法陣を展開した。
「……っ!」
魔法陣に驚いた敵は、一瞬、怯んで距離を取った。
しかし広く散開する事で対策を取られてしまう。散らばった敵がばらばらに動く事によって、シグナスは防護魔法陣をあちこちに展開させなければならなくなった。
何とかこの場を凌げないかと必死に考えを巡らるシグナスを嘲笑うかのように、護衛の一人が斬られて地面に転がった。
「……っ!」
倒れた護衛を助けにいく余裕はない。それまで何とか保ってきた均衡が一気に崩れたのが分かった。
正面の敵を相手にしていたもう一人の護衛は、横から別の敵が迫ってきたのに対応出来なかった。胸元から鮮血を噴き出しながら、地面に膝をつく。
咄嗟にシグナスが防護魔法陣を展開させて、後ろに引き摺った。その隙に別の護衛まで斬られてしまい、戦闘不能になった。
襲撃者たちがニヤリと笑ったのが分かった。
まだ戦えるのはシグナスひとり。怪我を負った護衛たちを庇いながら、これだけの敵を相手に戦うのは、いくら手練れと知られるシグナスでも難しい。
じりじりと囲う輪を狭める敵を見ながら、シグナスは奥歯を噛み締めた。
王弟という身分だけで、子供の頃から命を狙われてきた。身を守る為に様々な面で努力してきたが、そのせいで神童だと評判になってしまった。
シグナスには政治的な野心は皆無だが、今の現状に満足しない高位貴族は、兄王を廃してシグナスを担ぎ出そうと画策する。そして反対勢力にとっては、シグナスは邪魔な存在でしかない。
兄王とシグナスは仲が良いのに、それを取り巻く貴族たちの思惑が錯綜し、水面下でやり合っている。
これまで降りかかる火の粉を蹴散らすだけで、積極的に敵を倒そうとは思ってこなかった。面倒だと放置してきたが、どうやら甘かったらしい。
ここ数年は何もなかったし、対立するような案件もなかったので、こんな強硬手段に出る貴族がいるとは思っていなかったのだ。
目的は誘拐か殺害か。
一気に畳み掛けてこない襲撃者たちを観察するシグナスの前に、突然、何の前振りもなく巨大な防護魔法陣が出現した。
「え……?」
シグナスが作り出したものではない。真っ白で繊細かつ緻密な紋様の美しい魔法陣が、微かな光を放ちながら空中に浮かんでいる。
こんな大きな完成形の防護魔法陣を描けるのは第一人者のシグナスだけだ。魔法省の役人にもいない。それなのに……?
茫然となるシグナスの耳に「くそっ、邪魔が入った!」と叫ぶ声が聞こえた。
見れば隣町からの街道に、冒険者と思われる装束の若者が二人ほど現れている。こちらに向かって走って来るのが見えた。
「くそっ、あと少しで……っ!」
敵がそちらに気を取られた隙をつき、シグナスは防護魔法陣を全て消し、攻撃魔法に切り替えた。巨大な炎を作り出し、敵に浴びせる。
「うわあ!」
「ひいいっ!」
横方向に舐めるように広がった炎は襲撃者たちの衣類と肌と髪の毛を燃やし、悲痛な悲鳴が上がる。一瞬で全身に燃え広がった炎を消そうと、襲撃者たちは剣を放り出し、踊るような仕草でばたばた暴れ出した。
熱い熱いと地面に転がる者もいて、リーダーらしき男が「撤退だ!」と叫ぶと、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
それと入れ替わるように二人の冒険者が駆け寄って来た。
「大丈夫ですか?!」
若い冒険者達が、負傷した護衛たちに具合を尋ね、応急処置をしてくれた。
危機を乗り切ったシグナスも、ホッとする間もなく護衛達の手当てする。一番近くにいた護衛の腕の具合を確かめ、外套を切り裂いて作った布切れで縛って止血し、動かさないように固定する。
一通り処置が終わったので、シグナスは顔を上げた。
他の護衛の応急処置を終えてくれた冒険者達は、シグナスの方を見ていた。
二人はシグナスの身分が高いと気づいたようだ。お忍びの服装と馬車だが、全身から滲み出す生まれ持った気品は隠せない。
まだ少年のような顔立ちの二人だが、さっと外套の裾を捌くと、二人揃って見事な正式の礼をした。頭を下げたまま目線を合わせないのは、きちんとした教育を受けたと思われる。
どう見ても貴族子息だが、今は冒険者なのだろうか? 嫡男でない次男、三男など、婿入り出来ず騎士にもなれなかった者は冒険者になると聞くが、それにしても若い。まだ学生のような幼さだ。
シグナスは疑問に思いながらも、冒険者達に礼を言う。
「頭を上げてくれ。君たちのお陰で助かった。ありがとう」
「いいえ。たまたま通りかかったので」
剣士と覚しき若者が答えると、隣の小柄な方の冒険者が慌て出した。
「時間が! まずい」
「そうだな。急ごう!」
失礼しますっ、と言い残し、二人は王都の方向へ駆け出した。
「えっ、ちょっと! 君たち!」
まだ充分なお礼をしていない。
引き留めようとしたシグナスの声など無視して、命の恩人たちはあっという間に姿を消した。
傷ついた護衛達を放り出して追う訳にもいかないシグナスは、為す術なく見送ってしまう。
「シグナス様、あの者達は一体……」
筆頭護衛のカザティーが青ざめた顔で、斬られた筈の腕を見せてきた。
そこでシグナスは違和感を覚える。
「お前……傷は? 痛まないのか?」
「それが、あの若者が……小柄な方の若者が治してくれました。手のひら大の小さな魔法陣で」
「なにっ?」
「呆気にとられました。治癒魔法の魔法陣って、あるのですか? シグナス様に長年お仕えしている私でも初めて見ました」
「治癒魔法の魔法陣……?」
そんなものはない筈だ。今の技術では。
シグナスは先ほど目の前に出現した大きな防護魔法陣を思い出した。
完璧な防護魔法陣で、シグナスが作り出すものと遜色ない素晴らしいものだった。術式がシグナスが開発した物だったのは一目で分かった。
おそらく、随分前にシグナスが執筆した本を所持しているのだろう。あの本は発行部数も少なく、一般的ではない。それを個人で所持しているのなら高位貴族の子息に違いない。
そもそも魔法陣はとてもマイナー分野なのだ。普通に魔法を使った方が楽だからだ。わざわざ魔法陣を使う利点はあるが、習得が難しいという欠点もある。
あの少年は長い時間をかけて研鑽したと思われる。今の魔法省の役人でも、あれだけのレベルの防護魔法陣を作り出せる者は一人もいない。シグナスの部下でも手こずる大きさだったのに。
「カザティー、さっきの若者たちを探してくれ。最優先で」
「承知しました。しかし、その前に一言よろしいですか?」
筆頭護衛のカザティーは共に育った幼馴染みでもあるので、時々耳に痛い忠告もしてくる。
小言の気配を感じて、シグナスはすっと目を逸らした。
「シグナス様、護衛を守って下さるのは大変ありがたいのですが、そのせいで御身に危険に晒されるのは本末転倒でございます。今後、今のような事態に陥った場合、護衛など見殺しにしても自分が助かるよう行動なさって下さい」
「分かっている。今日は不意打ちされて焦って失敗した。次は気をつける」
「お願いしますよ?」
「ああ」
再び動き出した馬車の中で、シグナスは窓の外を眺めた。横に流れる景色にぼんやりと目を向けながら、先ほどの若者達を脳裏に浮かべる。
二人とも、おそらく学校を卒業したばかりの、親元から独立したての高位貴族の子息だろう。冒険者のようだがら、冒険者ギルドをあたればすぐに見つかる筈だ。
シグナスはそう思ったが、捜索は難航した。
想定以上の月日を費やす事となったのだった。