芸術は安眠だ!? うららの無意識アート
今日の授業は、美術。
普段なら、絵の具の匂いや粘土の感触が心地よく、比較的安眠しやすい科目なのだが、今日の課題は少し厄介だった。
テーマは「自由制作」。粘土や針金、木片、空き缶など、様々な素材が用意され、「自分の内面を自由に表現しなさい」とのことだ。
「(自由……? 内面……? 私の内面にあるのは、安眠への渇望と、面倒事への嫌悪だけだが……それをどう表現しろと……?)」
私は、目の前に積まれた粘土の塊と、用途不明の廃材を前にして、途方に暮れていた。創造性などという高尚なものは、残念ながら私には備わっていない。あるのは、いかに楽をするかという省エネ思考だけだ。
隣の席では、風祭モエが「うわー! 何作ろうかな! ワクワクするね!」と目を輝かせながら粘土をこね始めている。
猪突猛は「芸術は爆発だ! 俺の燃える魂を、この粘土に叩きつけてやる!」と、すでに粘土の塊に力強い拳を打ち込んでいた。(形になるかは不明だ)
「(……元気だなあ、二人とも……。私には無理だ……。とりあえず、一番楽な姿勢を……)」
私は、椅子に深く腰掛け、机に肘をつき、粘土の塊を枕にするような体勢をとった。この角度なら、教師の死角に入りやすく、かつ首への負担も少ない。完璧な安眠導入ポジションだ。
手持ち無沙汰なのもアレなので、とりあえず手元にあった粘土を、特に目的もなく、ただひたすらに、むにむにとこね始めた。意識はすでに、半分眠りの世界へと旅立っている。
***
うつらうつらとしながら、私は無意識のうちに粘土をこね続けていた。
温かくて柔らかい粘土の感触が、心地よい眠気を誘う。
時折、手が滑って粘土が歪んだり、指の跡が深く刻まれたりするが、気にする余裕はない。もはや、私が粘土をこねているのか、粘土が私の眠りを支えているのか、判然としなかった。
「……ん……?」
授業終了間近のチャイムの音で、私はようやく意識を取り戻した。
目の前には、私が寝ぼけながら作り上げた(というより、勝手に出来上がっていた)奇妙な物体が鎮座していた。
歪んだ球体のような、それでいて所々に鋭い突起があり、表面は指の跡でボコボコになっている。抽象的と言えば聞こえはいいが、はっきり言って、意味不明な粘土の塊だ。
「(……なんだこれ……ゴミか……? まあ、何か作ったことにはなるか……。提出して早く帰ろう……)」
私は、その謎のオブジェを、特に感慨もなく作業台の上に置いた。
***
その日の放課後、事件は起こった。
たまたま、世界的に有名な前衛芸術家であるジャン・ピエール・ナントカ(長い名前なので忘れた)氏が、文化交流か何かで、我々の高校を訪れていたのだ。
美術教師は、ここぞとばかりに生徒たちの作品を見てもらおうと、美術室に案内した。
並べられた生徒たちの力作(猛の魂の爆発や、モエの可愛らしい動物など)を、芸術家は「ふむ」「なるほど」と穏やかに眺めていた。
そして、彼の視線が、作業台の隅に置かれていた私の「謎のオブジェ」に注がれた瞬間、その動きがピタリと止まった。
芸術家は、吸い寄せられるようにオブジェに近づき、様々な角度から食い入るように見つめ始めた。そして、隣にいた美術教師に尋ねた。
「……これは? この作品は、誰が?」
「は、はあ……これは、安眠うららという生徒の……その、自由制作の……」
美術教師も、なぜこの凡作(?)に注目しているのか分からず、戸惑っている。
芸術家は、オブジェをそっと手に取り、感嘆のため息を漏らした。
「……素晴らしい……! なんという力強さ、そして儚さ……! この歪んだフォルムは、現代社会の持つ矛盾と不安を的確に捉えている! そして、この無数の指の跡……! これは、作者の無垢なる魂の叫びそのものだ! 計算され尽くした無作為性……ミニマリズムの新たな地平を見た思いだよ!」
「(…………は? 何言ってるんだこの人……? ただ寝ぼけてこねただけなんだけど……? 魂の叫びって、安眠への叫びのことか……?)」
偶然、忘れ物を取りに美術室に戻ってきて、その会話を聞いてしまった私は、内心で全力でツッコミを入れていた。
しかし、芸術家の絶賛は止まらない。
「特に、この……なんとも言えない不安定なバランス! まるで、現代人の心の寄る辺なさを体現しているようだ! 作者は、深い洞察力と、類稀なる感性の持ち主であるに違いない! ぜひ、作者本人に会って話を聞きたい!」
***
かくして、私は美術室に呼び出され、高名な芸術家と対面することになった。
芸術家は、目をキラキラさせながら、私の作品(?)について熱く語りかけてくる。
「安眠君! この作品に込めた君のメッセージ、私には痛いほど伝わってきたよ! この社会への疑問! 人間の存在への問いかけ! それを、この粘土という純粋な素材で表現するとは!」
「は、はあ……(メッセージ? 何も込めてない……ただ眠かっただけ……)」
私は、眠い目をこすりながら、適当に相槌を打つ。
「特に、この部分のテクスチャ! これは、どのような意図で?」
芸術家が、指跡ボコボコの部分を指差す。
「……(意図? ないよそんなの……ただ指が当たっただけ……)……えーと……まあ、なんとなく……?」
「なんとなく、か! 深いな! 狙ってできるものではない、無意識下の衝動の発露ということか! やはり君は天才だ!」
私の適当な返答は、ことごとくポジティブに、そして深遠な意味を持つものとして解釈されていく。
隣では、綿貫先生が「まあ! 安眠さん、芸術的な才能までお持ちだったなんて…! 感動しました!」と涙ぐんでいる。
猛は「なんと! 安眠殿は、無意識の境地で宇宙の真理と交信し、それを芸術として具現化するというのか! これぞ創造神の領域!」と、もはや崇拝の対象が人外の域に達していた。
***
結局、私の「謎のオブジェ」は、芸術家から「未来の巨匠の初期衝動が詰まった傑作」として、破格の評価を受けることになった。
そして、なぜか学園の玄関ホールに、ガラスケースに入れられて展示されることが決定してしまったのだ。タイトルは、芸術家が勝手に命名した『眠れる魂の胎動』。
「(なんであんなゴミが、学園の玄関に……。早く処分してほしかったのに……。恥ずかしい……)」
私は、自分のあずかり知らぬところで祭り上げられていく状況に、ただただ呆れ果てるしかなかった。
副賞として、高級そうな画材セット(大量の絵の具や筆、キャンバスなど)を贈られたが、私にとっては宝の持ち腐れだ。絵など描く気はない。
「(……この絵の具、顔に塗って寝たら、カモフラージュになるかな……?)」
そんな、罰当たりなことしか思いつかない。
***
次の日。
学園の玄関ホールには、ガラスケースに収まった私の「作品」が、スポットライトを浴びて鎮座していた。登校してくる生徒たちが、遠巻きに「あれが噂の…」「なんかすごいらしいよ」と囁き合っている。
私は、その異様な光景から目をそらし、足早に教室へと向かう。
教室の自分の席に着くと、机の上に小さなメモが置かれていた。
『安眠大先生へ。弟子入りさせてください。 猛』
その下には、猛が描いたであろう、私の「作品」の、熱意だけは伝わるが絶望的に下手なスケッチが添えられていた。
「(……断る。というか、先生じゃないし、弟子とかもっと面倒くさい……)」
私は、そのメモをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込むと、今日もまた、芸術とは無縁の、ただひたすらに安眠だけを求める日常へと、意識を沈めていくのだった。
新たな称号、「眠れる芸術家」を、その背中に(不本意ながら)背負って。