落とし物探偵(昼寝中)うららの観察眼
昼休み。それは、私、安眠うらら(あみん うらら)にとって、午後の授業という名の苦行を乗り切るための、貴重なエネルギーチャージタイムである。
いつものように、中庭の日当たり良好、かつ人通りの少ないベンチで、私は心地よい眠りに落ちようとしていた。
「うららーーー!! 大変! 大変だよぉぉぉ!!」
しかし、私の安眠導入儀式は、けたたましい叫び声によって無残にも中断された。
声の主は、もちろん風祭モエだ。彼女は、今にも泣き出しそうな顔で、私の目の前に走り込んできた。
「(……またか……。この平穏な時間に、なぜ必ず邪魔が入るのか……)」
私は、ゆっくりと重い瞼を開け、内心で深いため息をつく。
「どうしたの、そんなに騒いで……」
「私の! 私の大事なキーホルダーがなくなっちゃったの!」
モエが半狂乱で訴える。それは、彼女が最近お気に入りで、カバンに付けていたキャラクターもののキーホルダーだった。結構レアな限定品らしい。
「ふーん……。で?」
「で? じゃないよ! きっとどこかに落としちゃったんだよ! うらら、一緒に探して! お願い!」
モエが私の腕を掴んで懇願してくる。
「……やだ。面倒くさい」
私は即答した。落とし物探しなど、広大な学園を歩き回らなければならない、典型的な高カロリー消費活動だ。私の省エネ哲学とは対極にある。
「そんなこと言わないでよー! あれ、すっごく大事なんだから! うららのそのすごい能力で、パパッと見つけてよ!」
「すごい能力って何……?」
「ほら、なんか色々あるじゃん! 鳥と話せたり、テストの問題当てたり、スライディングで優勝したり!」
「(……全部、勘違いだって言ってるのに……)」
もはや訂正する気力も湧かない。
***
だが、モエが半泣きで「うぅ……どこ行っちゃったんだろう……」と落ち込んでいる姿を見ていると、さすがに少しだけ、ほんの少しだけ、不憫に思えてきた。
……いや、違うな。このまま彼女が落ち込んでいると、私の隣でずっとシクシク泣かれたりして、それはそれで安眠妨害になる。それだけは避けたい。
「(……仕方ない……。早く見つけて、この状況を終わらせなければ……。だが、私が動くのは最小限に留める……)」
私は、ベンチに座ったまま、目を閉じた。探すのは拒否するが、思考を巡らせるエネルギーくらいは使ってやろう。
「最後にそのキーホルダー見たの、いつ?」
「えっと……今日の朝、教室でカバンにつけたのは覚えてるんだけど……」
「その後は?」
「授業受けて、移動教室で体育館行って、購買寄って、中庭に来て……」
モエの今日の行動ルートを聞きながら、私は自分の脳内データベースを検索する。
それは、私が日々の安眠スポット探索で蓄積してきた、学園内の詳細な地理情報、人の流れのパターン、そして……「物が落ちていそう、あるいは忘れ物が放置されやすい場所」に関する膨大なデータだ。
「(体育館への移動ルート……あそこの階段の踊り場、日陰で風通しが良いから、たまにサボってる生徒がいる……物の受け渡しとかしててもおかしくない……)」
「(購買……あそこの自販機の前、よく小銭とか落とす奴がいる……ついでに何か落としてる可能性も……)」
「(中庭……このベンチの周辺は、日向ぼっこには最適だが、物が転がりやすい傾斜がある……)」
さらに、私は自分の「無意識の観察記録」にもアクセスする。
私は普段、楽な場所や移動ルートを探すために、無意識のうちに周囲の状況――床の汚れ、壁のシミ、隅に落ちている小さなゴミ、人の視線の動き――などを、ぼんやりとだが記憶しているのだ。それは、安眠という至高の目的のための、生存本能に近い情報収集活動と言える。
「(……そういえば、今日、体育館に向かう途中、階段の隅っこで、なんかキラキラしたものが視界の端に入ったような……気がしないでもない……。ホコリかと思ったけど……)」
「(……自販機の前は……今日は特に何も落ちてなかった……はず)」
「(……このベンチの近く……さっき来た時、足元に何か丸いものが……いや、あれはどんぐりか……)」
様々な情報を統合し、可能性を絞り込んでいく。これは、推理というよりは、消去法と、私の極めて個人的な「安眠関連情報」に基づいた、曖昧な推測に過ぎないのだが……。
***
「……ねえ、モエ」
私は、眠たげな声で口を開いた。
「なに? うらら、何か分かったの!?」
モエが期待に満ちた目でこちらを見る。
「……多分、だけど……」
私は、今日の自分の行動と、無意識の観察記録を反芻しながら、最も可能性の高そうな場所を特定する。
「……第三体育館に行く途中の、あの、ちょっと薄暗い階段の……踊り場の、隅っこ……。なんか、キラキラしたヤツ、落ちてなかったっけ……? 今朝……」
私の言葉は、極めて曖昧で、自信なさげだった。なにせ、本当に見たかどうかも定かではないのだから。ただ、「あそこなら日陰で涼しいから、私が立ち止まっていてもおかしくない場所だ」という程度の根拠しかない。
しかし、モエにとっては、それは神の啓示にも等しかったようだ。
「えっ!? 本当に!? 行ってみる!」
モエは一縷の望みを託し、体育館へと猛ダッシュしていった。
「(……まあ、あそこになかったら、私にはもう関係ない……。あとは自分で頑張ってもらおう……。さて、二度寝、二度寝……)」
私は、再び安らかな眠りの世界へと旅立とうとした。
***
数分後。
「あったーーーーーー!! うらら、あったよぉぉぉ!!」
先ほどとは打って変わって、満面の笑みを浮かべたモエが、キーホルダーを高く掲げながら、再び私の元へ駆け寄ってきた。
本当に、私が言った場所に落ちていたらしい。
「(……マジか……当たったのか……。私の安眠情報収集能力、意外と侮れないな……)」
自分でも少し驚いた。
「うらら、すごすぎるよ! なんでわかったの!? まるで見てたみたい! もしかして、透視能力とかあるの!?」
モエは、興奮して私の手をブンブン振り回す。
「(透視能力……? そんな便利なものがあったら、もっと楽に生きている……)」
そこに、騒ぎを聞きつけた猛もやってきた。
「なんと! モエの失せ物が見つかったと!? しかも、安眠殿のお力で!?」
猛は、モエから事の顛末を聞くと、感動に打ち震えた。
「おお……! さすがは師匠! この学園内の全ての事象は、師匠の千里眼によってお見通しというわけですな! 恐るべき観察眼! いや、もはや予知能力の域!」
「(千里眼……予知能力……勘弁してくれ……)」
勘違いは、もはや留まるところを知らない。
***
こうして、私はまた一つ、新たな伝説(と誤解)を生み出してしまった。
「安眠うららは、失せ物を見つける特殊能力を持っている」
「彼女に頼めば、どんな探し物も見つかるらしい」
「眠っている間に、全てを見通す『第三の目』が開くのでは…?」
そんな噂が、学園内を駆け巡ることになった。おかげで、その後しばらく、私のもとには「消しゴムなくしたんですけど」「教科書どこに置いたか忘れちゃって…」「私の恋の相手はどこに…?」といった、大小様々な(そして大半がくだらない)相談事が持ち込まれる羽目になった。もちろん、全て丁重に(眠たげに)お断りしたが。
当の本人はというと、
「(……ふう。これでようやく静かに眠れる……。それにしても、あの階段の踊り場、やっぱりいい感じの安眠スポットかもしれないな……今度、昼寝してみよう……)」
と、落とし物発見の功績(?)には全く興味を示さず、ただただ安眠のことしか考えていなかった。
モエからは、お礼として、私の大好物である高級プリンを3つも貰った。
「(プリンは正義……。まあ、面倒事に巻き込まれた甲斐はあったか……)」
プリンを味わいながら、私は次なる安眠計画――すなわち、明日の昼休みに、あの第三体育館裏の階段の踊り場で、最高の昼寝を敢行すること――に、思いを馳せるのだった。