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避難訓練と最速脱出経路(安眠用)

 ジリリリリリリリリ!!!


 けたたましいベルの音が、平穏な午後の授業を切り裂いた。

 同時に、校内放送が響き渡る。

『訓練、訓練。ただいま、地震発生。生徒の皆さんは、落ち着いて先生の指示に従い、速やかにグラウンドへ避難してください』


 避難訓練。

 年に数回行われる、学園の恒例行事だ。

 教室内が一瞬ざわつき、生徒たちは教科書やノートを慌てて机の中にしまい始める。


「(……避難訓練か……。面倒くさいな……。でも、授業が中断されるのは悪くない……)」


 私、安眠うらら(あみん うらら)は、けたたましいベルの音にも全く動じず、むしろ授業終了の合図のように捉えていた。問題は、この後、グラウンドまで移動しなければならないという事実だ。


「はーい、皆さん、落ち着いてー。『お・か・し・も』ですよー。押さない、駆けない、喋らない、戻らない、ですぅ」

 担任の綿貫ほのか先生が、のんびりとした口調で指示を出す。

 生徒たちは、それに従い、ぞろぞろと廊下へと出ていく。


 私も、重い腰を上げ、列の後ろにつく。

 だが、私の頭の中は、他の生徒とは全く違うことで占められていた。


「(……グラウンド……。今日の天気なら、あそこの大きな桜の木の下が、一番涼しくて寝心地が良いはず……。早く行って、ベストポジションを確保しなければ……!)」


 そう、私にとって避難訓練とは、災害への備えなどではない。いかに早く、そして楽に、次の安眠スポットであるグラウンドの木陰へと到達するか、そのためのタイムアタックなのだ。


 ***


 廊下に出ると、他のクラスの生徒たちも合流し、避難経路は軽い渋滞を起こしていた。皆、真面目に『駆けない』を守っている。


「(……遅い……! このペースでは、木陰が他の生徒に占領されてしまう……!)」


 私の安眠本能が警鐘を鳴らす。

 もはや、集団行動に合わせている余裕はない。私は、長年の安眠スポット探索で培った知識と経験を総動員し、独自のルートを選択することを決意した。


 安眠流・最速脱出ルート、実行!


 まず、メインの階段ではなく、普段は美術室の生徒くらいしか使わない、薄暗くて少し遠回りだが、確実に空いている裏階段へと向かう。

 次に、一階に下りると、多くの生徒が通る中央廊下ではなく、理科準備室や技術室が並ぶ、人気ひとけのない北側廊下を選択。ここなら、教師の目も届きにくい。


 途中、避難経路を示す矢印とは明らかに違う方向へ進む私を見て、風祭モエが「うらら! そっちじゃないよー!」と叫ぶが、私は聞こえないフリをして突き進む。

 猪突猛は「む!? 安眠殿は、我々とは異なる、より安全な避難経路をご存知なのか!? さすがは師匠!」と、またも勘違いしてついてこようとするが、私の俊敏な(ように見える)省エネ移動によって、すぐに見失ってしまう。


 障害物(廊下に置かれた机や椅子など)も、最小限の動きで華麗に(?)回避。曲がり角は、壁との接触を避けつつ、最短距離で曲がる。

 まるで、レースゲームで最適ラインを走るかのように、私は無駄のない動きで、グラウンドへと続く出口を目指していた。

 全ては、最高の安眠スポットを確保するため。その一点において、私の集中力は異常なまでに高まっていたのだ。


 ***


 そして、校舎の出口を抜け、グラウンドに到達した時、私の目に飛び込んできたのは、まだほとんど生徒のいない、がらんとした光景だった。教師たちですら、まだ避難誘導の途中で、グラウンドには数人しか到着していない。


「(よし……! 計算通り……!)」


 私は、勝利を確信し、一直線に目的の場所――グラウンドの隅にある、大きな桜の木の下――へと向かった。

 そこは、まだ誰にも占領されておらず、心地よい木陰が広がっていた。

 私は、地面に腰を下ろし、壁代わりに木の幹に寄りかかると、満足げに息をついた。


「(ふぅ……。ミッションコンプリート……。あとは、皆が集まってくるまで、しばし安眠タイム……)」

 私は、アイマスクを取り出し、早速眠りの準備を始めた。


 ***


 数分後。

 ようやく、他の生徒たちや教師たちが、ぞろぞろとグラウンドに集まってきた。

 点呼を取り、避難状況を確認していた教師たちは、木陰で既にくつろいでいる(というか寝かけている)私の姿を見て、目を丸くした。


「……安眠君!? 君はいつの間に……!? 我々より早く着いていたのか!?」

 学年主任の教師が、驚きの声を上げる。

「素晴らしい! なんという迅速な避難行動だ!」


 訓練の指導に来ていた消防署の隊員も、私の姿を見て感心したように頷いた。

「あの子はすごいな。非常時における状況判断と行動力が、他の生徒とは段違いだ。日頃から防災意識を高く持っている証拠だろう」


 その言葉を聞いて、猛が感動に打ち震える。

「おお……! 聞きましたか、皆さん! 安眠殿は、この訓練においても、我々の遥か先を行っておられた! 危機的状況下での最適行動! 冷静沈着なる判断力! これぞ師匠の真骨頂!」


 モエも「えー! うらら、めちゃくちゃ早かったじゃん! どこ通ってきたの!?」と、私の秘密ルートに興味津々の様子だ。


「(……別に、防災意識とかじゃなくて……ただ、早く寝たかっただけなんだけど……)」

 私は、周囲からの称賛と尊敬の眼差し(そして若干の疑惑の目)を浴びながら、内心でため息をつく。


 ***


 結局、この避難訓練において、私は「最も迅速かつ冷静に避難行動を完了した模範生徒」として、なぜか全校生徒の前で表彰されかけるという、非常に面倒な事態に陥った。(もちろん、全力で辞退したが)


 代わりに、「安眠うららさんに学ぶ! 災害時の心得」といったタイトルの、学園の防災ポスターのモデルにされそうになったが、それもまた「肖像権の侵害だ」と(眠たげに)主張し、なんとか回避することに成功した。


「(……まったく、面倒なことばかりだ……。早く避難しただけなのに……)」


 私は、内心でぼやきながらも、今日の訓練で、グラウンドの木陰という新たな安眠スポットの有効性を再確認できたことには、少しだけ満足していた。


 ***


 次の日。

 教室の掲示板には、昨日の避難訓練の結果報告と共に、こんな一文が追記されていた。


『特筆事項:安眠うらら生徒の驚異的な避難速度。皆さんも見習いましょう(ただし、ルートは正規のものを)』


 その下には、誰が描いたのか、ヒーローマントを羽織って猛スピードで走る(ように見える)私の似顔絵があった。


「(……だから、走ってないって……。あと、ヒーローでもない……)」


 私は小さく息をつくと、今日もまた、どんな状況下でも最高の安眠を追求すべく、静かに机に突っ伏すのだった。

 次回の避難訓練では、もう少しゆっくり移動しようか……いや、やっぱり早く寝たいから、また最短ルートで行こうか……。そんなことを、ぼんやりと考えながら。

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