文化祭の幽霊役者? うららの究極舞台放棄
学園祭が間近に迫り、校内は準備の熱気に包まれていた。
我がクラスの出し物は、多数決の結果、面倒くさいことこの上ない「演劇」に決定した。演目は、ありがちなファンタジーもの『眠れる森の王子様』(なぜか王子が眠る設定らしい)。
当然、私、安眠うらら(あみん うらら)は、役者など断固として拒否するつもりだった。セリフを覚え、動きを練習し、人前で演じるなど、私の省エネ哲学の対極にある行為だ。狙うは、舞台袖で音響を操作する係(ボタンを押すだけなら楽そう)か、あるいは最悪、背景の「森の木3」役だ。微動だにせず立っているだけなら、あるいは可能かもしれない。
しかし、配役決めの際、事件は起こった。
クラスの演出担当(やけに熱血な演劇部員)が、なぜか私を指名したのだ。
「主役の『眠れる王子』役は……安眠うららさん、君に頼みたい!」
「…………は?」
クラス中の視線が私に集まる。
「いやいやいや! 無理です! 人前とか苦手ですし、セリフとか絶対覚えられません!」
全力で拒否する私。
「大丈夫! この役は、物語のほとんどを『ただ眠っているだけ』なんだ! 君のその、普段からの見事なまでの『眠りっぷり』は、まさにこの役にぴったりだと、私は確信している!」
演出担当は、目を輝かせながら力説する。どうやら、私の日頃の怠惰(安眠)が、変な形で評価されてしまったらしい。
「そうだよ、うらら! ぴったりじゃん! 寝てるだけで主役なんて最高!」
風祭モエが無邪気に煽る。
「むん! 安眠殿が主役ならば、この劇は必ずや成功する! 舞台上で真の安眠を体現されるお姿、この目で見届けたい!」
猪突猛も、なぜか感動している。
「(寝てるだけ……? いや、それでも舞台に上がるのは面倒……でも、他の役よりはマシか……? セリフもほぼないなら……)」
悪魔の囁き(怠惰の誘惑)に、私の決意は揺らぎ始める。
結局、「ほぼ寝てるだけでいい」という甘言に乗せられ、私は不本意ながらも主役の「眠れる王子」役を引き受けてしまったのだった。
***
練習期間中、私の役者としての才能は遺憾なく発揮された。
数少ない覚醒シーンのセリフは棒読み。動きはぎこちなく、常に眠たげ。演出担当は頭を抱えていたが、「まあ、王子は眠っている時間が長いから……本番でちゃんと寝てくれれば……」と、半ば諦め顔だった。
私はといえば、練習時間のほとんどを、舞台セットの豪華なベッドの上で、文字通り「役作りのための睡眠」に費やしていた。これはこれで、悪くない役得かもしれない、とすら思い始めていた。
***
そして、文化祭当日、演劇の本番。
体育館の特設ステージには、多くの観客(生徒、保護者、そしてなぜか演劇評論家と名乗る人物まで)が集まり、熱気に包まれていた。
「(うわ……人多い……眩しい……早く終わらないかな……)」
舞台袖で、私はすでに眠気の限界を迎えていた。出番はまだ少し先だが、もう待っていられない。
物語は進み、いよいよ王子(私)が登場し、呪いによって深い眠りに落ちるシーン。
私は、豪華な衣装(着るのも面倒だった)を身にまとい、舞台中央に設置されたベッドへと、ふらふらとおぼつかない足取りで向かう。そして、ベッドに倒れ込むように横たわった。
「(……よし。ここからは、私の本来の役目……安眠だ……)」
スポットライトの暖かさ、観客の視線、周囲の喧騒……それら全てが、私にとっては心地よいノイズとなり、逆に深い眠りを誘う。私は、役の設定など完全に忘れ、本能の赴くままに、真剣な(?)眠りへと落ちていった。
***
舞台上では、他の役者たちが熱演を続けている。
魔女が現れ、呪いの言葉を吐き、ヒロイン(モエが演じている)が王子の目覚めを願って歌う……。
その間、私はただひたすらに、ベッドの上で微動だにせず、穏やかな(そしてリアルな)寝息を立てていた。
観客席は、最初こそ「王子役の子、本当に寝てない?」とざわついていたものの、私のあまりにもリアルすぎる「眠りの演技」に、次第に引き込まれていった。
「すごい……本当に眠っているみたいだ……」
「いや、あれは絶対寝てるだろ……役への没入感がすごい……」
「寝息まで聞こえてくる……リアルすぎる……」
特に、演劇評論家と名乗る人物は、腕を組み、難しい顔で唸っていた。
「ふむ……これは……役者が舞台上で完全に『無』になることで、観客にその存在の意味を問いかける……ブレヒトも驚くほどの異化効果を狙っているのか……? それとも、究極の自然主義演技か……? 深い……!」
ヒロイン役のモエも、隣で本気で寝ている私を見て、「(うらら、ガチ寝じゃん! 大丈夫かな!?)」と内心焦りながらも、必死に演技を続けていた。
そして、クライマックス。ヒロインが王子にキスをして、王子が目を覚ますシーン。
モエは、台本通りに私の額にそっとキスをする(フリをする)。
……しかし、私は全く起きる気配がない。完全に熟睡しているのだ。
「(……あれ? 起きない!? うらら! 起きてよ!)」
モエが小声で呼びかけるが、反応はない。舞台袖の演出担当も真っ青になっている。観客席も固唾を飲んで見守っている。
まずい。このままでは劇が終わらない。
モエはパニックになりながらも、アドリブで叫んだ。
「王子様! お目覚めください! あなたの深い眠りは、この国の平和の象徴なのです! しかし、もう朝です! 新たな希望と共に、どうか目を開けて!」
その必死の叫びと、それでも全く起きない私の姿が、なぜか観客の感動を呼んだ。
「なんと……王子は、民の平和のために眠り続けているのか……」
「ヒロインの愛も、彼の深い眠りの前では……切ない……」
「斬新な解釈だ! 眠り続ける王子……深い!」
結局、王子(私)が目覚めないまま、劇は幕を閉じた。
エンディングは、眠り続ける王子をヒロインが優しく見守る、という、なんとも言えない余韻を残すものとなった。
***
終演後、舞台袖は大混乱だった。
「うらら! なんで起きなかったのよ!」
「安眠殿! まさか、本当に深い眠りに……!?」
演出担当は「終わった……何もかも……」と頭を抱えている。
しかし、観客の反応は、私たちの予想とは全く違っていた。
ロビーに出ると、観客から万雷の拍手が送られたのだ。
「素晴らしかった!」「感動した!」「あの眠りの演技は伝説になる!」
そして、後日発表された文化祭の演劇コンクールの結果は……
なんと、我がクラスが**「審査員特別賞(最も斬新な演出と演技に対して)」**を受賞したのだった!
さらに、私、安眠うららは、個人として**「最優秀主演…眠り演技賞(?)」**のような、前代未聞の賞を受賞する羽目になった。
「(……え? 受賞? 私が? 寝てただけなのに……?)」
私は、全く状況が理解できないまま、賞状(受け取るのも面倒だった)を眺める。
猛は「おお! 舞台上で真の安眠を体現し、観客の魂を揺さぶるとは! これぞ究極のメソッド演技!」と涙ながらに称賛している。
モエは「まあ、結果オーライってことで! よかったね、うらら!」と、ケロッとしていた。
***
こうして、私の「究極の舞台放棄」は、なぜか学園演劇史に残る(?)快挙として語り継がれることになった。
「伝説の眠れる王子」「舞台上で寝る女優」といった称号は、しばらく私の周りにつきまとった。
「(……まあ、よく寝れたのは確かだ……。あの舞台のベッド、意外と寝心地良かったな……。家のベッドより良かったかも……)」
私は、副賞としてもらった(使い道のない)演劇鑑賞券を眺めながら、そんなことを考えていた。
***
次の日。
教室には、文化祭の興奮の余韻がまだ少し残っている。
私の机の上には、演劇部からの「ぜひ一度、我が部の練習を見学に……できれば、その『眠りのメソッド』についてご教授を……」という、丁寧だが完全にピントのずれた手紙が置かれていた。
「(……メソッドなんてない。ただ寝てるだけだって……)」
私は、その手紙を静かにカバンにしまうと(ゴミ箱に捨てるのも面倒だった)、今日もまた、授業という名の舞台で、最高の「眠りの演技」を披露すべく、ゆっくりと意識を手放し始めるのだった。
カーテンコールは、まだ遠い。