大雨の日の相合傘と濡れない伝説
その日の放課後は、朝からどんよりとした曇り空だった。天気予報は午後から雨、しかもかなり強く降る可能性があると言っていた。
もちろん、私、安眠うらら(あみん うらら)は、そんな情報には全く関心がなかった。折り畳み傘? 持っているわけがない。荷物が増えるのは、私の省エネ哲学に反するからだ。
「(まあ、降ったら降ったで、どこかで雨宿りして寝てればいいか……)」
私は、いつも通り楽観的(というより、何も考えていない)に、午後の授業を安眠で乗り切っていた。
そして、終業のチャイムが鳴り、生徒たちが一斉に帰り支度を始めた、まさにその時だった。
ゴロゴロゴロ……ピシャーン!
空がにわかに掻き曇り、雷鳴と共に、バケツをひっくり返したような、猛烈なゲリラ豪雨が始まったのだ。
「うわっ! すごい雨!」「傘持ってないよー!」「最悪ー!」
教室の窓からは、叩きつけるような雨と、あっという間に水浸しになるグラウンドが見える。昇降口には、足止めされた生徒たちが溢れかえり、軽いパニック状態になっていた。
「うらら、どうしよう!? 私も傘持ってないよー!」
風祭モエが、不安そうな顔で私に話しかけてくる。
「むん! この程度の雨、修行と思えば!」
猪突猛は、なぜか濡れて帰る気満々だ。
「(……はぁ。やっぱり降ったか……。まあ、想定の範囲内……)」
私は、騒がしい教室を尻目に、冷静に状況を分析する。この雨の中を無理に帰るのは、濡れるし、寒いし、体力を消耗する。最悪の選択だ。
ならば、取るべき行動は一つ。
「(雨が弱まるまで、どこか静かな場所で待機……すなわち、安眠だ)」
私は、おもむろに自分のカバン(中身はほぼ空っぽ)から、いついかなる時も安眠できるよう常備しているマイ・アイマスクを取り出した。
「え? うらら、ここで寝る気!?」
モエが驚きの声を上げる。
「だって、雨、止みそうにないし。待つしかないでしょ。待つなら寝てた方が効率的」
「いや、効率的って……」
私のあまりにマイペースな態度に、モエは呆れているようだった。
***
しばらくして、雨足は一向に弱まる気配がない。痺れを切らした生徒たちが、意を決して雨の中に飛び出していく。中には、一つの傘に二人、三人で入って帰る者たちもいる。いわゆる「相合傘」というやつだ。
「あ、安眠殿!」
猛が、ずぶ濡れになりながら、なぜか校舎に引き返してきた。手には、どこからか調達してきたらしい、大きなビニール傘を持っている。
「この猛、安眠殿をお送りいたす! さあ、この傘へ!」
彼は、私に相合傘をしようと申し出てきたのだ。
「……遠慮しとく。一人で帰るから」
私は即座に断った。他人と傘に入るなど、気を遣うし、肩が濡れるし、歩くペースも合わせなければならない。面倒くさいことこの上ない。
「しかし、この雨では!」
「大丈夫。私には私のルートがあるから」
私は、根拠のない自信(?)と共に、そう言い放った。
「(そろそろ、小降りになるタイミングのはず……。私の安眠気象予報によれば……)」
私は、窓の外の雨雲の動きと、雨音の変化を、怠惰な頭脳で分析していた。
そして、ほんのわずかに雨足が弱まった瞬間を見計らい、私は校舎を飛び出した。もちろん、傘はない。
***
私の帰宅ルートは、普通の生徒が通る道とは少し違う。
それは、私が日々の「安眠スポット探索」と「最短ルート発見」の過程で培った、学園周辺の裏道や抜け道、そして何より「雨宿りに最適な場所」を繋ぎ合わせた、秘密のルートなのだ。
まず、校門を出てすぐの、古い商店の長い軒下へダッシュ(に見える省エネ早歩き)。ここで一時待機。
次に、雨が少し弱まったタイミングで、向かいのビルの壁際(ビル風の影響で雨があまり当たらない)を走り抜ける。
信号待ちは、バス停の屋根の下の、最も雨が吹き込まない死角で。
アーケード商店街があれば、もちろんそこを最大限活用する。
普通の道でも、街路樹の大きな枝の下や、マンションの駐車場の屋根の下などを、まるで忍者のように(?)素早く移動し、雨に濡れる時間を最小限に抑える。
これは、雨を避ける超能力などではない。ただひたすらに、「濡れたくない」「楽したい」という怠惰な執念が生み出した、経験と観察に基づくサバイバル術なのだ。
***
その頃、猛やモエ、そして他の多くの生徒たちは、傘を持っていても、あるいは相合傘をしていても、激しい雨風によってびしょ濡れになっていた。
「うわー! 横殴りの雨、ひどい!」
「傘差してる意味ないじゃん!」
「猛、もうちょっとこっち寄ってよ!」
そんな彼らが、ふと前方に目をやった時、信じられない光景を目撃することになる。
ずぶ濡れの自分たちとは対照的に、なぜかほとんど濡れていない様子で、ひょうひょうと(眠たげに)歩いている、安眠うららの姿を。
「……え? うらら? なんで全然濡れてないの!?」
モエが驚きの声を上げる。
「ば、馬鹿な!? 安眠殿は傘を持っていなかったはず! なのに、なぜ……!?」
猛も、自分の目を疑っている。
「もしかして……見えない傘でも持ってるの……?」
「いや、雨粒が安眠さんを避けてるように見えるんだけど……!」
「まさか……超能力……!?」
彼らの目には、私が軒下から軒下へ素早く移動する姿や、絶妙なタイミングで雨宿りする姿が、「雨そのものをコントロールしている」かのように見えてしまったらしい。
「(……ふぅ。思ったより濡れずに済んだな……。計算通り……。早く帰って寝よう……)」
私は、周囲の驚愕の視線など全く気にせず、家路を急ぐだけだった。
***
翌日。
昨日のゲリラ豪雨と、その中をほとんど濡れずに帰宅した私の姿は、学園の新たな話題となっていた。
「安眠さん、やっぱり何か持ってるよ……」
「雨に愛された女……ってか?」
「いや、あれは絶対、特殊な能力だって!」
「気配で雨を弾く『安眠フィールド』があるらしいぞ!」
「聞いた? 安眠さんが歩くと、そこだけ雨が止むって噂!」
私は、新たに「雨を避ける女」「濡れない伝説の持ち主」「ウェザー・マスター(?)」といった、またも不本意な称号を授かることになった。
猛は、昨日ずぶ濡れになった自分を恥じるように、私にこう言った。
「安眠殿……! あなたは、天候すらもその意思の前では無力であることを証明された! この猛、一生あなたについていきます!」
「(……だから、ただ雨宿りが上手いだけだって……。あと、ついてこないでほしい……)」
私は、内心でため息をつきながら、窓の外の青空を見上げる。今日は絶好の安眠日和だ。
……だが、ふとカバンの中に目をやると、そこには昨日、モエが無理やり押し込んできた、小さな折り畳み傘が入っていた。
「(……まあ、たまには、こういう普通の対策も悪くないかもしれないな……。使うかどうかは別として……)」
私は小さく肩をすくめ、今日もまた、雨の日も風の日も、ただひたすらに安眠を追求する日常へと戻っていくのだった。
……なぜか、気象予報部の部員たちが、私の周りをうろつき始めたような気がしないでもないが。