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18/30

大雨の日の相合傘と濡れない伝説

 その日の放課後は、朝からどんよりとした曇り空だった。天気予報は午後から雨、しかもかなり強く降る可能性があると言っていた。

 もちろん、私、安眠うらら(あみん うらら)は、そんな情報には全く関心がなかった。折り畳み傘? 持っているわけがない。荷物が増えるのは、私の省エネ哲学に反するからだ。


「(まあ、降ったら降ったで、どこかで雨宿りして寝てればいいか……)」

 私は、いつも通り楽観的(というより、何も考えていない)に、午後の授業を安眠で乗り切っていた。


 そして、終業のチャイムが鳴り、生徒たちが一斉に帰り支度を始めた、まさにその時だった。

 ゴロゴロゴロ……ピシャーン!

 空がにわかに掻き曇り、雷鳴と共に、バケツをひっくり返したような、猛烈なゲリラ豪雨が始まったのだ。


「うわっ! すごい雨!」「傘持ってないよー!」「最悪ー!」


 教室の窓からは、叩きつけるような雨と、あっという間に水浸しになるグラウンドが見える。昇降口には、足止めされた生徒たちが溢れかえり、軽いパニック状態になっていた。


「うらら、どうしよう!? 私も傘持ってないよー!」

 風祭モエが、不安そうな顔で私に話しかけてくる。

「むん! この程度の雨、修行と思えば!」

 猪突猛は、なぜか濡れて帰る気満々だ。


「(……はぁ。やっぱり降ったか……。まあ、想定の範囲内……)」

 私は、騒がしい教室を尻目に、冷静に状況を分析する。この雨の中を無理に帰るのは、濡れるし、寒いし、体力を消耗する。最悪の選択だ。

 ならば、取るべき行動は一つ。


「(雨が弱まるまで、どこか静かな場所で待機……すなわち、安眠だ)」

 私は、おもむろに自分のカバン(中身はほぼ空っぽ)から、いついかなる時も安眠できるよう常備しているマイ・アイマスクを取り出した。


「え? うらら、ここで寝る気!?」

 モエが驚きの声を上げる。

「だって、雨、止みそうにないし。待つしかないでしょ。待つなら寝てた方が効率的」

「いや、効率的って……」


 私のあまりにマイペースな態度に、モエは呆れているようだった。


 ***


 しばらくして、雨足は一向に弱まる気配がない。痺れを切らした生徒たちが、意を決して雨の中に飛び出していく。中には、一つの傘に二人、三人で入って帰る者たちもいる。いわゆる「相合傘」というやつだ。


「あ、安眠殿!」

 猛が、ずぶ濡れになりながら、なぜか校舎に引き返してきた。手には、どこからか調達してきたらしい、大きなビニール傘を持っている。

「この猛、安眠殿をお送りいたす! さあ、この傘へ!」

 彼は、私に相合傘をしようと申し出てきたのだ。


「……遠慮しとく。一人で帰るから」

 私は即座に断った。他人と傘に入るなど、気を遣うし、肩が濡れるし、歩くペースも合わせなければならない。面倒くさいことこの上ない。

「しかし、この雨では!」

「大丈夫。私には私のルートがあるから」

 私は、根拠のない自信(?)と共に、そう言い放った。


「(そろそろ、小降りになるタイミングのはず……。私の安眠気象予報によれば……)」

 私は、窓の外の雨雲の動きと、雨音の変化を、怠惰な頭脳で分析していた。


 そして、ほんのわずかに雨足が弱まった瞬間を見計らい、私は校舎を飛び出した。もちろん、傘はない。


 ***


 私の帰宅ルートは、普通の生徒が通る道とは少し違う。

 それは、私が日々の「安眠スポット探索」と「最短ルート発見」の過程で培った、学園周辺の裏道や抜け道、そして何より「雨宿りに最適な場所」を繋ぎ合わせた、秘密のルートなのだ。


 まず、校門を出てすぐの、古い商店の長い軒下へダッシュ(に見える省エネ早歩き)。ここで一時待機。

 次に、雨が少し弱まったタイミングで、向かいのビルの壁際(ビル風の影響で雨があまり当たらない)を走り抜ける。

 信号待ちは、バス停の屋根の下の、最も雨が吹き込まない死角で。

 アーケード商店街があれば、もちろんそこを最大限活用する。

 普通の道でも、街路樹の大きな枝の下や、マンションの駐車場の屋根の下などを、まるで忍者のように(?)素早く移動し、雨に濡れる時間を最小限に抑える。


 これは、雨を避ける超能力などではない。ただひたすらに、「濡れたくない」「楽したい」という怠惰な執念が生み出した、経験と観察に基づくサバイバル術なのだ。


 ***


 その頃、猛やモエ、そして他の多くの生徒たちは、傘を持っていても、あるいは相合傘をしていても、激しい雨風によってびしょ濡れになっていた。


「うわー! 横殴りの雨、ひどい!」

「傘差してる意味ないじゃん!」

「猛、もうちょっとこっち寄ってよ!」


 そんな彼らが、ふと前方に目をやった時、信じられない光景を目撃することになる。

 ずぶ濡れの自分たちとは対照的に、なぜかほとんど濡れていない様子で、ひょうひょうと(眠たげに)歩いている、安眠うららの姿を。


「……え? うらら? なんで全然濡れてないの!?」

 モエが驚きの声を上げる。

「ば、馬鹿な!? 安眠殿は傘を持っていなかったはず! なのに、なぜ……!?」

 猛も、自分の目を疑っている。

「もしかして……見えない傘でも持ってるの……?」

「いや、雨粒が安眠さんを避けてるように見えるんだけど……!」

「まさか……超能力……!?」


 彼らの目には、私が軒下から軒下へ素早く移動する姿や、絶妙なタイミングで雨宿りする姿が、「雨そのものをコントロールしている」かのように見えてしまったらしい。


「(……ふぅ。思ったより濡れずに済んだな……。計算通り……。早く帰って寝よう……)」

 私は、周囲の驚愕の視線など全く気にせず、家路を急ぐだけだった。


 ***


 翌日。

 昨日のゲリラ豪雨と、その中をほとんど濡れずに帰宅した私の姿は、学園の新たな話題となっていた。


「安眠さん、やっぱり何か持ってるよ……」

「雨に愛された女……ってか?」

「いや、あれは絶対、特殊な能力だって!」

「気配で雨を弾く『安眠フィールド』があるらしいぞ!」

「聞いた? 安眠さんが歩くと、そこだけ雨が止むって噂!」


 私は、新たに「雨を避ける女」「濡れない伝説の持ち主」「ウェザー・マスター(?)」といった、またも不本意な称号を授かることになった。


 猛は、昨日ずぶ濡れになった自分を恥じるように、私にこう言った。

「安眠殿……! あなたは、天候すらもその意思の前では無力であることを証明された! この猛、一生あなたについていきます!」


「(……だから、ただ雨宿りが上手いだけだって……。あと、ついてこないでほしい……)」


 私は、内心でため息をつきながら、窓の外の青空を見上げる。今日は絶好の安眠日和だ。

 ……だが、ふとカバンの中に目をやると、そこには昨日、モエが無理やり押し込んできた、小さな折り畳み傘が入っていた。


「(……まあ、たまには、こういう普通の対策も悪くないかもしれないな……。使うかどうかは別として……)」


 私は小さく肩をすくめ、今日もまた、雨の日も風の日も、ただひたすらに安眠を追求する日常へと戻っていくのだった。

 ……なぜか、気象予報部の部員たちが、私の周りをうろつき始めたような気がしないでもないが。

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