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丑三つ時の遭遇? うららと学校の七不思議

 長く暑かった期末試験がようやく終わり、学園は夏休み前の解放感に満ち溢れていた。

 教室では、旅行の計画や部活の合宿の話題で持ちきりだ。蝉の声が、窓の外からけたたましく響いてくる。


 しかし、私、安眠うらら(あみん うらら)にとって、この時期は苦痛以外の何物でもなかった。

 昼間の喧騒、そして容赦なく照りつける太陽と蒸し暑さ……。これらは全て、私の至高の喜びである「安眠」を著しく妨害する敵なのだ。


「(うるさい……暑い……寝苦しい……。もはや、昼間の学園に私の安息地は存在しないというのか……?)」


 教室の隅で、私はぐったりと机に突っ伏し、深刻な安眠不足によるストレスを感じていた。

 隣では、風祭モエが「ねーうらら! 夏休み、海行こうよ! 水着買わなきゃ!」とテンション高く話しかけてくるが、私の耳にはほとんど入っていない。

 猪突猛は「夏こそ心身鍛錬の季節! 俺は山に篭って滝に打たれてくる!」と、相変わらずの熱血ぶりだ。


「(海……山……どちらもエネルギー消費が激しそうだ……私には無理……。もっとこう、静かで、涼しくて、誰にも邪魔されない場所はないものか……)」


 私は、ひたすらに快適な安眠環境を渇望していた。そして、その渇望は、ついに禁断の領域へと私をいざなった。


「(……そうだ。夜の学校……。昼間の喧騒も、うだるような暑さもない。静寂と、ひんやりとした空気……。まさに、完璧な安眠環境ではないか……!)」


 危険な思いつき。常識的に考えれば、深夜の学校に忍び込むなど、問題行動以外の何物でもない。

 だが、安眠への強い欲求は、時に私の倫理観や常識を、いとも容易く凌駕するのだ。


「(決めた……。今夜、決行しよう……)」

 私は、誰にも悟られぬよう、内心で固く決意した。


 ***


 その夜。

 草木も眠る丑三つ時。

 私は、得意の『気配希釈術』を最大限に発動させ、夜の闇に紛れて学園の敷地内に潜入した。用務員さんの見回りルートや時間を事前に(昼間の観察で)把握していたため、侵入は驚くほどスムーズだった。


 校舎のドアを(ピッキングではなく、たまたま昼間に用務員さんが油を差していた、少しだけ建付けの悪いドアを見つけて)そっと開け、中に足を踏み入れる。

 しんと静まり返った廊下。窓から差し込む月明かりだけが、ぼんやりと足元を照らしている。ひんやりとした空気が心地よい。


「(……最高……! これだ、私が求めていたのは……! この静寂、この涼しさ……! まさに安眠のためだけの空間……!)」


 私は、久しぶりに満たされた気持ちで、最高の寝床を求めて校舎内を徘徊し始めた。

 保健室のベッドか? あのふかふか具合は魅力的だ。図書室のソファか? 静かで落ち着ける空間だ。あるいは、誰も使っていない空き教室の、日陰になっている(はずの)隅か?


「(どこで寝ようかな……ふふ、贅沢な悩みだ……)」


 月明かりを頼りに、暗い廊下をまるで夢遊病者のように、しかし確かな足取り(安眠スポットへの嗅覚は鋭い)で進んでいく。


 ***


 そして、音楽室の前を通りかかった、その時だった。


 ポロロン……


 静寂の中に、不意に、悲しげなピアノの音が響いた。

 単音で、途切れ途切れだが、確かにピアノの音だ。


「(……? ピアノ? こんな時間に誰か練習……? いや、まさか……)」


 私の脳裏に、学園でまことしやかに囁かれている噂がよぎる。

『学校の七不思議』の一つ――『丑三つ時に、誰もいない音楽室から聴こえる、悲しげなピアノの音』。


「(……まさかね……。でも、何の音だ……?)」


 正直、少しだけ背筋が寒くなった。幽霊の類は、できれば関わりたくない。面倒くさいからだ。

 しかし、それ以上に、この謎の音が私の安眠を妨害する可能性の方が問題だった。


「(……音の出所を突き止めないと、安心して眠れない……。仕方ない、確認するか……)」


 恐怖心よりも、安眠への執着と面倒事の排除欲求が勝り、私はそっと音楽室のドアに手をかけた。軋む音を立てないよう、慎重に開ける。


 ***


 月明かりが差し込む音楽室の中には、やはり誰もいなかった。

 グランドピアノが、静かにその黒い巨体を横たえているだけだ。


 ポロン……


 再び、ピアノの音が響く。だが、鍵盤は誰も触れていない。

 私は、音の出所に近づき、注意深く観察する。そして、すぐに真相に気づいた。


 開いていた窓から、夜風が静かに吹き込んできている。その風が、ピアノの内部にある弦をわずかに揺らし、共鳴させて音を出していたのだ。古くなったピアノ特有の現象なのだろう。


 さらに、その風によって、窓際に立てかけられていた古い肖像画――おそらく昔の音楽教師か何かだろう――が、カタカタと小刻みに揺れていた。これが、暗闇と相まって、不気味な雰囲気をさらに増幅させていたようだ。


「(なーんだ、風か……。びっくりさせないでほしいな、紛らわしい……)」


 拍子抜けした私は、安堵のため息をつく。

 そして、ふと思った。


「(……でも、このピアノの音、不規則で、なんだか単調で……意外と、眠気を誘うかもしれない……? BGMとしては悪くないかも……)」


 新たな安眠スポットとして、この音楽室はなかなか有望かもしれない。

 私は、部屋の隅にある、程よくクッション性のあるマット(楽器の運搬用か何かだろう)の上に移動し、横になることにした。


 だが、その前に一つだけ、やっておくことがある。


「(……この肖像画、カタカタうるさいな……安眠の妨げだ……)」


 私は、壁際にあったその古い肖像画を、何の躊躇もなく(そして敬意もなく)ひょいと持ち上げると、グランドピアノの譜面台の上に、無造作に立てかけた。向きは適当だ。


「(これでよし……。静かになった……。おやすみなさい……)」


 ピアノのポロロン…という音を子守唄代わりに、私は満足して、深い眠りへと落ちていった。


 ***


 翌日。学園は、新たな噂で持ちきりになっていた。


「聞いた!? 昨日、音楽室のピアノ、マジで鳴ってたらしいよ!」

「しかも、あの不気味な肖像画が、ピアノの前に移動してたって!」

「え、怖すぎ! 誰かが除霊でもしたってこと!?」


 そんな中、一つの有力な(?)情報が駆け巡った。


「俺、見たんだ! 昨日の深夜、安眠さんが月明かりを浴びながら、ふらーっと音楽室に入っていくのを!」


 証言者は、なんと猪突猛。彼は昨夜、自主的な夜間トレーニング(という名の不審徘徊)の途中で、校舎に忍び込む私の姿を遠目から目撃していたらしい。


「間違いない! 安眠殿が、我々の知らないところで、学園に巣食う悪霊を鎮めに行ったのだ! あのピアノの音も、悪霊の断末魔だったに違いない!」


 猛の熱弁(もちろん誇張と勘違い満載)は、あっという間に広まった。


「えー! うらら、夜の学校行ったの!? しかも幽霊退治!? すごい度胸!」

 モエも、興奮気味に私に詰め寄ってくる。


 こうして私は、「学校の七不思議を解決した(?)謎の生徒」「眠りの守護者」「学園のゴーストバスター(?)」として、オカルト好きや怖がりの生徒たちの間で、一時的にヒーロー(あるいは畏怖の対象?)として扱われることになった。


「(除霊? 悪霊? ……ただ寝に行っただけなんだけど……。肖像画? ああ、うるさかったからどかしただけ……。なんでそうなるかな……)」


 私は、全く意に介さず、むしろ深夜の学校の快適さに味をしめていた。

「(夜の音楽室、結構良かったな……。また行ってみるか……?)」


 ***


 次の日。

 学園の七不思議の話題も、夏の暑さと共に少しずつ落ち着きを見せ始めていた。音楽室のピアノの怪音は、あの日以来、ぴたりと止んだままだ。その理由は、肖像画が風を遮るようになったからなのだが、もちろん誰も気づいていない。


 私は昼休み、新たな安眠スポットの候補として、音楽室を(もちろん無断で)利用し始めていた。ひんやりとした空気と、適度な暗さが心地よい。


 ふと、音楽室の扉に目をやると、そこには一枚の紙が貼られていた。

 下手な字で、こう書かれている。


『安眠さん参上記念! 悪霊退散! この部屋にはもう幽霊は出ません(たぶん)!』


 その下には、小さな文字で『猛 記す』と添えられていた。


「(……はぁ……。まあ、これで他の生徒が寄り付かなくなって、より静かに眠れるなら、それもいいか……)」


 私は小さく肩をすくめると、ピアノのそばの定位置(マットの上)に横になり、今日もまた、誰にも邪魔されない至福の安眠を求めるのだった。

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