男色を描く
それから直行は、寝る間も惜しんで一枚の絵と向き合った。左彦から渡された構図を手元に置き、そこに魂を吹き込むように筆を走らせる。
しかし――
(ダメだ……。男色など描けぬ!)
何時間も筆を握り続けた末に、直行はついに頭を抱えた。構図は分かる。どのように着色すればいいかも分かる。それでも、何度試みても絵に魂が宿らない。
「どこまでいっても独りよがり」
左彦がそう言った意味が、今なら痛いほど分かる。まるで、自分の絵そのものを言われているようだった。
(男を愛でる気持ちが分からない。そんな俺に、この絵を描く資格があるのか……?)
思考が堂々巡りし、どうにも出口が見つからない。直行は大きく息を吐き、椅子にもたれて天井の一点を眺めた。
このまま紙と睨み合っていても、何も変わらない。そう思い立ち、直行は市場へ向かった。男色春画とはどのようなものなのか、それを知るために。
向かったのは、物見に訪れた時と同じ書店街だった。今日は月の初めだけあり、たいそう賑わっている。子どもたちの弾む声があちこちから聞こえ、書店の前には小さな人だかりができていた。手習いの合間を縫ってやってきたのか、墨で汚れた指先のまま、絵草子をめくる少年たち。店の主人がそれを軽くたしなめながらも、どこか嬉しそうに見守っている。
町の喧騒に包まれ、己だけが妙に沈んだ空気を纏っているのが嫌でもわかった。周囲の活気とは裏腹に、足取りは重い。とはいえ、考え込んでいても仕方ないと、馴染みの書店へと向かった。
この店は、豪華な珍本が揃うことで知られている。相変わらず、今日も物好きな客が数人、棚を漁っていた。奥では鼻眼鏡の老人がそろばんを弾きながら、ちらりとこちらを見て目配せする。どうやら、今日はなかなかの掘り出し物があるらしい。
「おお……」
書棚を覗き込んだ直行は、思わず感嘆の声を漏らした。目の前には、まるで意図的に隠されたように、鳥文斎栄之の男色春画が他の本の陰に紛れていた。まさかこんな形で出会えるとは――密かに敬愛する絵師の作品を手に取ると、心の奥からじわりと高揚感が湧き上がる。迷う必要などない。すぐさま懐から金を取り出し、老人に手渡した。
書物をしっかりと胸に抱え、店を出ると長いため息をつく。だが、それは疲れではない。安堵のため息だった。
(さて、これでようやく、あの難しい仕事に取りかかる準備が整った。)
と、思ったのもほんの一日に過ぎなかった。
確かに、鳥文斎栄之の春画は相変わらず直行を驚かせ、その美しい筆は感動を誘った。初めて見た男の色ごとも、目を背けたくなるような生々しさと、目を奪われるほどの色っぽさを併せ持っていた。 写生を重ねれば重ねるほど、構造や描き方が自然と身につき、やがて納得のいく一作へと仕上がっていく。
しかし、一から作品を生み出そうとすると、どうしても機械的になってしまう。これでは、とても人の心を動かす絵とは言えない。
直行は目を閉じ、赤くなった瞼の奥でじわりと滲む疲れを感じながら、苛立ちを振り払うように爪を噛んだ。
(精神的にも、肉体的にも……今の俺には、左彦さんの期待に応える絵は描けそうにない。)
筆を握る手に力が入らない。描こうとすればするほど、思うように筆が動かず、焦りばかりが増えていく。まさに万事休す。
そんな直行のもとに、再び一通の便りが届いた。
「拝啓 池田直行様」
(……噂をすれば、左彦さんからだ!)
直行は目を見開き、手紙をそっと広げた。
「さても今頃は、さぞお悩みのことでございましょう。如何にして絵に魂を宿すべきか――そのようなことでござりましょうか。」
的を射た言葉に、直行は口を小さく開ける。紙面をなぞるように目を走らせると、喉の奥が渇き、生唾をゆっくりと飲み込んだ。
「ぜひ一度、お目にかかりとう存じます。拙者が胸に秘める想いをお聞きいただければ、きっと筆が進むことでございましょう。」




