68 少年の笑顔
「ユリア、もしよかったら明日市場に行かないか?」
「え?」
突然の言葉に、ユリアはぱちりと目を瞬かせた。
「あの少年に会いに行かないか? 実はあの火事の直後から、少年の父親が、お前にもう一度直接会って礼を言いたいと言っていてな。……お前に話そびれていた」
エルフナルドは少し申し訳なさそうに、視線を逸らして続ける。
「お前も、あの少年のことが気になっていただろう? もちろん、私も一緒に行く」
その言葉を聞いた途端、ユリアの表情がぱっと明るくなった。
「会いたいです! エルフナルド様が大丈夫だとおっしゃってくださっていたので、心配はしておりませんでしたが……それでも、直接様子を見たいとは思っておりました」
「そうか。ならよかった」
エルフナルドは小さく頷いた。
「では明日一緒に参ろう。明日に備えて今日はゆっくり休め」
「ありがとうございます」
ユリアは嬉しそうに微笑んだ。
翌日、エルフナルドとユリアは馬に乗り、市場へ向かった。
賑わう市場の空気に触れた瞬間、ユリアはどこか懐かしい気持ちになった。
王宮に来てから訪れたのはまだ数えるほどだが、ここに流れる活気は嫌いではない。
案内された先の小さな家の前で、少年の父親が深く頭を下げた。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます。こんな狭い家ですが……どうぞ中へ」
家の中に入ると、男は改めて頭を下げる。
「本来ならこちらから王宮へ伺うべきところ、本日はお越しいただきありがとうございます。そして――あの火事の日のこと、本当に、本当に感謝しております」
すると奥の部屋から、少年が勢いよく駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、ありがとうね! 僕、とっても元気だよ!」
少年は胸を張るように言った。
「あの火事の次の日から、またお父さんのお手伝いしているんだよ」
にっこりと笑うその顔を見て、ユリアの頬も自然と緩む。
「そう。元気そうで本当によかったわ」
ユリアは少し身を屈め、少年と目線を合わせて微笑んだ。
その優しい笑みに、少年は嬉しそうに胸を張る。
「最近は、ブレスレットだけじゃなく、指輪やネックレスも売ってるんだよ」
少し誇らしげにそう言う少年に、ユリアは目を細める。
「まあ、そうなの? ぜひ見せてほしいわ」
「ほんと? じゃあこっち!」
少年はぱっと顔を輝かせると、ユリアの手を引くようにして奥の部屋へと案内した。
その様子を、エルフナルドは静かに見送る。
ユリアが楽しそうに少年の話を聞いている姿に、彼の口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
ユリアと少年が奥に入ると、父親は周囲を気にするように視線を巡らせ、小さく声を落とした。
「陛下、あの……以前お話しいただいた件はご安心ください。私も息子も、誰にも話しておりません」
「ああ」
エルフナルドは短く頷いた。
「すまないな。その件をもう一度念押ししに来たわけではないのだが……」
そう言うと、父親は穏やかに微笑んだ。
「わかっております、陛下。王妃様をご安心させたかったのでしょう? とても大切に思われているのですね」
「……」
エルフナルドは答えず、奥の部屋の方へ目を向けた。
その視線の先では、少年が楽しそうに宝飾品を広げ、ユリアに見せている。
無邪気に笑う声が、かすかにこちらまで聞こえてきた。
少ししてから、父親は遠慮がちに口を開いた。
「あの……このようなことをお尋ねするのは無礼かもしれませんが……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「息子を助けていただいたことで……その、王妃様は大丈夫でしたでしょうか?」
火事からかなり日が経っている。
それでも父親は、ずっと気になっていた。
息子を救うために、何か無理をさせてしまったのではないかと。
「ああ。問題ない」
エルフナルドは静かに答えた。
「私がついている。お前は息子のことを考えていればよい」
短くそう言ってから、再び奥の部屋へ視線を向ける。
「それにしても、よい息子だ。育て方がよいのだろう」
「いえ、そんなことは……」
父親は照れくさそうに頭をかいた。
エルフナルドは、奥で笑う少年とユリアの姿を、どこか微笑ましそうに見つめていた。
「そろそろ帰ろうか」
エルフナルドが声をかける。
王宮へ向かう帰り道。
馬に揺られながら、二人はゆっくりと広がる景色を眺めていた。
「すこぶる元気そうだったな」
「はい。前と変わらない様子で安心いたしました。お父上も元気そうで」
ユリアは小さく微笑む。
「あの子の笑顔は、本当に癒されますね。心のわだかまりが晴れました」
エルフナルドは少しだけ間を置いて尋ねた。
「お前は子供が好きか?」
「ええ。子供の笑顔には癒されます」
「……そうか」
それ以上、エルフナルドは何も言わなかった。
しばらくの沈黙のあと、ユリアが口を開く。
「今日は連れて来ていただき、本当にありがとうございました」
「ああ」
エルフナルドは短く答える。
馬は静かな街道を進んでいく。
遠くには王宮の白い城壁が、夕暮れの光の中に浮かんでいた。




