65 奪われた姫
――ユリアが連れ去られる、少し前のこと。
ルトア国へ向かう途中、西の町で異変が起きているという知らせを受け、エルフナルドとカリルは町へ急行した。
「陛下……これは一体……」
カリルは、町の様子を見て眉をひそめた。
紛争が起きているという話とは裏腹に、町は普段通り人々で賑わっている。
「ああ……嵌められたな」
エルフナルドは、重く息を吐いた。
「一体、何のために……。とにかく、サリトスに会うぞ」
二人は馬を走らせ、塔へ向かった。
最上階にいたサリトスは、息を切らして現れた二人を見て、目を見開いた。
「お前ら、どうした? ルトアで重要な契約があるはずだろ」
「……西の町で紛争が起きていると聞きました。貴方が負傷して危険な状態だと……」
カリルの説明に、サリトスは呆然とした顔をした。
「……それを信じたのか? 俺が倒されるとでも?」
「……まさかとは思いましたが……」
エルフナルドは頭を押さえた。
「あり得るわけないだろ。俺を倒せる相手なら、お前らが来たって無駄だ」
二人は、確かにと頷いた。
「……それで、姫は?」
サリトスの問いに、エルフナルドの表情が曇った。
「……護衛と共にルトアへ向かわせた。……はずだった」
サリトスは顔をしかめた。
「……まさか」
「……狙いは、あいつだ」
低く吐き捨てる声に、わずかな焦りが滲んだ。
「お前に何かあるはずがなかった。もっと疑うべきだった……」
「……なあ、エルフナルド」
一瞬の沈黙の後、サリトスは低く問いかけた。
「姫は何者なんだ? 本当に、ユーハイムの王女、それだけなのか?」
エルフナルドは、答えなかった。
「……カリル。とりあえずルトアへ向かう。――あいつを探す」
低く、しかし迷いのない声だった。
「……俺は、必要か?」
サリトスが静かに問いかける。
「お前は引き続き、この町の警護を任せる。こちらのことは、私が何とかする」
エルフナルドは視線を逸らさず、そう言い切った。
「……御意」
サリトスは一瞬だけ目を細め、エルフナルドを真っ直ぐ見つめたまま、小さく頭を下げた。
カリルと共に急ぎ馬を走らせ、ユリアの元へ向かっていたその途中――
向かい側から、こちらへ必死に馬を走らせてくるアリシアの姿が見えた。
「陛下!!」
アリシアは慣れない馬を懸命に制し、手綱を強く引いた。
「陛下……大変なんです。ユリア様が、何者かに攫われてしまいまして……」
「やはり、そうか……。護衛の者たちはどうした? 他に連れ去られた者はいないのか?」
「……私たちは何者かに眠らされてしまい……。連れ去られたのは、ユリア様お一人だけです……」
声を詰まらせ、アリシアは深く頭を下げた。
「申し訳ありません……。私は……ユリア様に助けていただいたのに……!! どうか、陛下……ユリア様を、お助けください……!」
「ああ。心配するな。――必ず取り戻す」
エルフナルドは即座に言い切った。
「どちらの方角へ連れて行かれたか、分かるか?」
「……北の方角でした……」
エルフナルドは、北を見据えて眉をひそめた。
「北、か……」
「……何か、お心当たりがおありなのでございますか?」
エルフナルドは視線をアリシアへ戻し、ふと怪訝な表情を浮かべた。
「……お前、その背中はどうした?」
傷自体は既に癒えていたが、服は裂け、背中側は血で酷く汚れていた。
「……これは……」
アリシアは言葉に詰まり、視線を落とした。
ユリアの力のことを話すべきか、迷っている様子だった。
その表情を一目見て、エルフナルドはそれ以上追及しなかった。
「……怪我がないのなら、それでよい。この先に村がある。そこで待機していろ。使いの者を向かわせるから、合流したら国へ戻れ」
「……かしこまりました」
そう告げると、エルフナルドはカリルと共に北の方角へ馬を走らせた。
「……これは私の推測だが、おそらく連れて行かれた先はユーハイム国だ。急ぐぞ」
「……御意」
疾走する途中――
二人は道の脇に倒れているアルジール国の護衛たちを見つけた。
眠らされていたのだろう。
「……お前は、その者たちから話を聞いてからユーハイムへ向かってくれ」
カリルの叫び声が背後から聞こえた。
だがエルフナルドは、振り返ることすらしなかった。
胸の奥を締め付ける焦燥が、呼吸を荒くさせていた。
手綱を握る指に、無意識に力がこもっていた。




