64 ユリアの選択
エルフナルドは、ゆっくりと目を開けた。
次の瞬間、周囲の護衛達へと躊躇なく切りかかる。
あまりに洗練された剣さばきに、ユリアは目を離すことができなかった。
護衛達の剣が、エルフナルドの体に届くことは一度もない。
ほんの数瞬のうちに、護衛達は次々と床に倒れていった。
最後の一人が崩れ落ちた時、エルフナルドの体には――
返り血一つ、付いていなかった。
すべてを終えると、エルフナルドは静かに剣を下ろし、
ゆっくりとシルクベイン王へと歩み寄った。
「く、来るな!! お前は、自分が何をしようとしているのか分かっているのか!? 私は……こいつの父親だぞ! こんなこと、許されるはずがない! これ以上近付けば、ユリアを――」
その言葉が終わる前に、エルフナルドの剣が、静かに振り上げられた。
次の瞬間――
シルクベイン王の声が途切れた。
エルフナルドは一切の迷いもなく、剣をシルクベイン王の胸へと突き立てていた。
一瞬の出来事だった。
ユリアは、何が起きたのか理解できず、おそるおそる視線を床へと落とした。
シルクベイン王は、目を見開いたまま倒れ伏している。
――もう、動かない。
ユリアは静かに目を閉じ、深く、息を吐いた。
自分がエルフナルドの元へ戻るという選択をしたことに、後悔はなかった。
この結末が待っていることは、最初から分かっていたからだ。
たとえ今ここで逃れられたとしても、ティーン国の力に異常なほど執着していた父は、いずれ必ず、自分を取り戻しに来た。
――この連鎖を断ち切るには、こうなる運命だった。
それでも。
ユリアの頬を、静かに涙が伝った。
流れている理由が、すぐには分からなかった。
父を失ったからなのか、それとも――
長く続いていた支配が、ようやく終わったからなのか。
自分の力だけでは抗えず、最後は自分の選択でエルフナルドの手を汚させてしまった。
それが、悔しくて、苦しくて堪らない。
それでも――
胸の奥には、確かな安堵が残っていた。
そのことが、何よりもエルフナルドに申し訳なかった。
涙を止めようとしても、一度溢れ出したそれは、止まることなく零れ落ち続けた。
「……ユリア」
エルフナルドは近付き、拘束されていたユリアの腕のロープを切った。
泣きじゃくるユリアの背を、彼は静かに、そして優しく撫でる。
「も、申し訳……ありません……。悲しい……わけじゃ、なくて……。ごめんなさい……」
そう謝るユリアを、エルフナルドは両手で包み込むように抱き寄せた。
ユリアは、縋るようにエルフナルドにしがみつき、声を上げて泣いた。
――しばらくして。
扉が勢いよく開く音と共に、カリルが部屋へ駆け込んできた。
「陛下!!」
室内を見渡し、エルフナルドの姿を確認すると、カリルは大きく息を吐いた。
「……ご無事でしたか。お一人で先に行かれたので、心配しておりました。お怪我は……ないようですね。ユリア様は……?」
その声に、ユリアは我に返り、ゆっくりとエルフナルドから離れた。
「も……申し訳ありません……。大丈夫です……」
必死に涙を拭い、ユリアは、エルフナルドを見上げた。
「陛下……ありがとうございました」
ユリアは、床に額がつくほど深く頭を下げた。
そして、ゆっくりと顔を上げると、もう一度口を開いた。
「陛下……あの……もう一つ、お許しいただきたいことが……」
そう言い終えると、ユリアは再び深く頭を下げ、返事を待たずに隣の部屋へと走り出した。
突然の行動に、エルフナルドとカリルは顔を見合わせたが、すぐにユリアの後を追い、隣室へと向かった。
部屋に入ると、セルビアが壁にもたれかかるように、ぐったりと座り込んでいた。
「……セルビア……!」
ユリアは駆け寄り、慌てて脈を取る。
「……良かった……まだ、息がある……。遅くなって……ごめんね……」
かろうじて生きていることに安堵し、ユリアは静かにセルビアへ手をかざした。
迷いは、もうなかった。
――この力は、守るために使う。
力を込めると、切り裂かれていた傷口が、目に見えて塞がっていく。
やがて、セルビアの瞼がゆっくりと開いた。
「……ユ、リア様……? ご無事……でしたか……」
意識が戻ってすぐ、ユリアの身を案じるセルビアを見て、ユリアは思わず彼を抱きしめた。
「良かった……! 本当にごめんね……。ありがとう……私を助けに来てくれて……」
セルビアの背に回されたユリアの手は、かすかに震えていた。
「……何をおっしゃっているんですか。私は、貴方をお守りできたことなんて、一度もなかった……。戦争の時も……貴方が嫁がれる時も……。何もできなかった……」
「そんなことないわ。いつも、私の側にいてくれた。それだけで……とても心強かったの」
ユリアは、震える声で続けた。
「生きていてくれて……ありがとう。本当に……」
セルビアは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
「……私こそ。貴方が生きていてくださって……良かった……」
エルフナルドとカリルは、言葉を挟むことなく、静かにその様子を見守っていた。
ユリアとエルフナルドは、近くの宿の一室にいた。
体を休めるようにと、カリルが手配してくれた宿で、二人は同じ部屋へと通されていた。
「本当は一人部屋が良いかもしれないが、万が一のことがあっては困る。同室にした。許せ」
エルフナルドは淡々と告げると、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
「そんな……! 一人部屋がいいだなんて、思っていません。今日は本当に、ありがとうございました……陛下……あの……」
ユリアは対面の椅子に座り、不安を押し隠すようにエルフナルドを見つめた。
――……もう気付いているだろう。
セルビアの傷を癒す場面を、エルフナルドは確かに見ていた。
この力を、どう思われているのか。これから、自分はどうすればいいのか――。
言葉に詰まるユリアを見て、エルフナルドが先に口を開いた。
「……話さずともよい。大体は分かっている」
一瞬、視線を伏せてから、エルフナルドは真っ直ぐにユリアを見た。
「……お前は、何も気にせず、私のところにいればいい」
どこか苦しそうで、それでも覚悟を帯びた眼差しだった。
ユリアの目に、涙が滲む。
「…………ありがとうございます……」
それだけを、かろうじて絞り出すと、ユリアは俯いた。
次の瞬間、エルフナルドは立ち上がり、強くユリアを抱きしめた。
その腕は、驚くほど温かかった。
「……へ、いか……。ごめんなさい……私……」
「よい。好きなだけ泣け」
その言葉に堪えきれず、ユリアは声を上げて泣いた。
やがて泣き疲れ、ユリアはエルフナルドの腕の中で眠りについた。
エルフナルドは、腕の中の温もりを確かめるように、静かに息を吐いた。




